■かれんだー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<前月 2015年05月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

ビルマ懐訪の旅 ④ビルマ3日目キンプンからヤンゴン(ラングーン)まで
5月17日 日曜日

隣の部屋と仕切るは薄いベニヤ板なので、隣の部屋がうるさかったら眠れないのではないかと心配したが、夜はまったく静かだった。
宿は満室ではないものの、ガラガラと言うわけでもなかったようで、夜中もドアが開いたり閉まったりと言う音はときどき聞こえてきたが、話し声などは気になるほどには聞こえてこなかった。
私は寝るときに下着だけなので共同のトイレに立つたびにズボンを履かなくてはならないのが不便だった。そしてベッドにでも虫がいたのか腿を噛まれて少しかゆい。

今日はキンプンからチャイトーへもどり、そこからまた汽車に乗ってヤンゴン(ラングーン)入りするつもりでいる。そして、汽車はバゴー(ペグー)で途中下車してバゴーの涅槃仏などを見学したいと思っている。
チャイトー発の汽車は昨日モーラミャインから乗ってきたものが10時半過ぎに来るだろうから、それに乗れば昼過ぎにはバゴーに着くだろうし、後続のモーラミャイン発ヤンゴン行きの汽車があったので、バゴーで乗り継ぎ時間が2時間くらいあるはずである。2時間あれば涅槃仏の見学ができるだろう。
10時半のチャイトー発の汽車に乗るなら8時半にキンプンを出発すれば間に合うはず、時刻はまだ6時過ぎでまだたっぷり時間がある。朝の散歩に出かけることにする。

キンプンのメインストリートを奥へ向かって歩く。
昨日は舗装が途切れた場所から先少し行ったところで、この先に宿無しと断念して引き返してきたが、今朝は宿探しをするわけではなく、むしろ山道のようなところをハイキングしたいと思っているので、宿を出て左へ向う>。
朝のメインストリート
まだ朝が早いからかメインストリートの両側に並ぶ店も眠っている。通りを歩く人もほとんどいない。
やがて舗装が途切れ、林間に赤土の道が続いている。
土の道
道沿いに民家はあるが、屋根は葉っぱを葺いたもので、とても簡素な作りである。そして部屋の中まで丸見えの家も多い。この様な江戸時代にタイムスリップしたような家の中から今風な音楽が聞こえてきたりして少し違和感を感じるが、若者でもいるのだろう。また、お経を唱えている声が聞こえる家もあった。窓越しに老人が経典を手にしている姿が見えた。
民家

このあたりの集落はモン族なのか、それともカレンなどの山岳民なのかそれらしい民族衣装を着ているわけではないので私には良く分からない。土間の家ではなく、床があるが高床と呼べるほど高い床ではない。

ここまで

しばらく歩くと監視小屋のような木造の小さな建物があった。
中は無人であったが、たぶんここから先へ外部のものが足を踏み入れるには、ここで許可を取らなくてはならないのだろう。どうせ無人だから無視してそのまま歩いて行けそうだが、あとで咎めを受けることになっても困るので、ここで引き返すことにする。

托鉢
メインストリートまで戻るとエビ茶色ノ袈裟を着た僧侶や見習い僧が托鉢に回っている。それもずいぶんと托鉢僧が沢山いる。戸口で喜捨を用意して僧たちを待つ女性たちも多いが、どの僧がどのお宅へ伺って喜捨を受けるのか決まっているのだろうか?

花売り
頭の上に花篭を載せた少女も歩いてくる。彼女は花売りの少女なのだろうか?このあたりの人たちは花を部屋の中に飾る習慣があるのか、それとも仏様へお供えするために花を買うのだろうか?花篭を載せた少女が托鉢僧に混じって歩いてくる姿はなんとも情緒がある。なにか絵本の中の1ページのような光景だ。

広場の近くの食堂でミルクティーを飲んでいる人たちがいる。
私も朝食代わりにミルクティーを飲むのもいいかなと思い、その食堂へ入る。
ここも薄暗い飯場のような食堂だが、そろそろこの手の食堂にもなれ始めてきたので入ってみる。
入ってすぐ左手の釜にチャーハンが山盛りになっている。
それもギトギト油ではなく、カラリとパラパラのチャーハンのようだ。
具はほとんど入っていないようで、色も薄いが美味しそうな香りが漂ってくる。ミルクティーは棚上げして、このチャーハンを注文する。皿にチャーハンが盛られ、付け合せも小皿に付いて来た。
このチャーハン、美味しかった。シンプルなのも良かった。

テーブルの土瓶には中国茶が入っており、これは勝手に飲んでもいいらしい。
さらに三角形のインド風スナック、サモサも3つ皿に盛られて運ばれてきた。これは勝手に食べてもよいと言うわけではないだろう。客がテーブルに着くとサモサが運ばれてくるシステムになっているようだが、それをつまむ客もいるし、手をつけない客もいる。残ったサモサは再び店の前の大皿へ戻っていく。たぶん、食べた分だけお金を払うシステムではないかと思われる。
私もサモサをひとついただいてみる。タイで良く売られているカレーパフに似ているが、イモ餡を包んでいるのはパイ生地ではない。

中国の朝食でよく食べられている細長い揚げパン風の油条もあった。これも食べてみたい。台湾ではこれと豆乳の朝食をよく食べたものである。油でからりと揚げた油条は香ばしいものだった記憶がある。ここには豆乳はないようだけど、豆乳の代わりにミルクティーでも美味しいはずと注文してしまう。
油条は今まで食べたものと比べると大変巨大であった。
しかし、残念なことに期待していたようなカリっ揚がっていない。
油でべっとり、ふにゃりになっている。残念だったけど、甘いミルクティーに浸して食べるとそれほど油が気にならなくなる。
チャーハン・サモサ・油条・ミルクティーの朝食 1,200チャット (満足度高い)

宿へ戻り身支度をする。
このゲストハウスの主人は植物が好きなのか、花や果樹が敷地内にいっぱいであった。マンゴーもザボン(ソムオー)もなっている。花も色とりどりに咲いている。気持ちがいいので歯磨きをしながら庭を歩いていたらだらしない格好を主人に見られてしまった。
ゲストハウス

8時過ぎにチャイトー行きの乗り合いトラック乗場へ行く。
トラック乗場の前の路上はちょっとした市場を兼ねているようでドリアンなどの果物や野菜などを売っていた。
露店

「チャイトー!チャイトー!」と腹の底から野太い声を出してお客を集めている。乗り合いトラックのその声を聞いていたら、韓国の地下鉄車内で回ってくる新聞売りを思い出した。新聞を抱えた新聞売りが「チョソンイルボー、チュンアカイルボー」などと野太い声を張り上げて、混雑する車内で乗客を掻き分けながら突進してきていた。これも30年以上前のことで、今でもこんな新聞売りがいるのか分からないが、この客集めの声を聞いていたら、ソウルの朝の地下鉄を思い出した。あの朝の車内はニンニク臭かったっけなぁ。

乗り合いトラックの荷台で待つこと10分ほどでほぼ満席となり出発となった。
キンプンからチャイトーまでの乗り合いトラック 500チャット

キンプンの村を出かかったところで、学校のような建物の前で旅芸人なのか民族舞踊のような踊りを踊っていた。
衣装から見て男女の掛け合いのようなダンスでとてもリズミカル。関節をくねらせながら踊っているのだが、よく見たら二人とも男性であった。このあたり、ビルマの事情に疎くよくわからないのだが、ビルマもタイのようにオカマさんが多いということなのだろうか?それとも日本のように踊りなどは女形を演ずる男性がいるのだろうか?
もう少し民族舞踊を見ていたかったけれど、乗り合いトラックはお客さんの乗降がすむとすぐに出発してしまった。

チャイトー駅には9時には到着。
駅前の広場の片隅で結婚式をしていた。
新郎新婦は西洋式のウェディングを着込んでいた。
丸テーブルが露天に並べられ、一部はテントも張り出されている。
タイでも良く見かける田舎の結婚式スタイルだ。
そして今様な音楽が巨大なスピーカーからガンガン流れていた。

10時半過ぎの列車の切符を買おうと窓口で「バゴーまでアッパークラス1枚」と言うと、「12時だよ」と言われる。
12時だってぇ? それは私がバゴーから乗ろうと思っている後続の列車だから、これに乗ったらバゴーでの途中下車観光ができなくなってしまう。「10時半過ぎのはないの?」と質問したら、今日は走らないのだそうだ。どうやら日によって走る日と走らない日があるようだ。それとも今日が日曜日だから走らないのだろうか?

ここで昼まで3時間も汽車を待つのはもったいない。
もちろん、田舎町でも歩き回れば面白いものがあるだろうが、それより有名なバゴーの涅槃仏を拝みに行きたい。
汽車がダメならバスがあるだろう。
モールミャインでも中古の観光バスが長距離バスとして走っているのを見かけたので、そんな海を渡ってきた観光バスに乗ってみるのも悪くない。
駅前の道をキンプンとは逆方向に歩き始める。
見回したところ駅前は繁華街ではなさそうだ。
しかし、昨晩の宿の主人が「チャイトーなら携帯電話屋がある」とのことだったので、そんな店がある場所がどこかにあるはず。
でもキンプンからここまでの間には見かけなかったので、さらに奥へ向かって歩けば町の中心へたどり着けるだろうと考えたわけだ。

しばらく歩くとロータリーがあり、そのロータリーを右に曲がると鉄道線路を跨ぐ橋になっていた。
そして橋を越えた左手に携帯電話屋があった。
ものは試しと携帯電話屋に飛び込み、「バッテリーが充電できなくなって電源が入らないんだ」と訴えたところ、私の携帯電話を店の充電器と接続して充電を試みてくれた。しかし、残念ながら充電しないようだ。
「故障だね、ここでは修理できないよ」と言われる。
「修理するから3日後に取りに来て」と言われても困るけど、これで踏ん切りがついた。バンコクへ戻って修理しよう。それまで携帯電話のことは忘れてしまおう。

さらに先へ歩くと市場のような場所が見えてきた。
歩いてきたのと同じ道ではあるが、道の端を歩く私を大型バスも警笛を鳴らしながら行き過ぎていく。
この警笛が「お待たせ、バスが来たよ、乗りな、乗りな」と言った物ならイイのだが、バスは速度を緩めるでもなく、走り過ぎて行ってしまう。つまり「邪魔だ、邪魔だ」と威嚇しているだけのようだ。

市場の前で「バゴーへ行きたい」と言ったら、通りの向かいに止まっている乗り合いトラックを指差された。
うーむ、観光バスに乗りたかったけど、乗り合いトラックも地元の人が乗り降りするなど、よりローカルで面白いかもしれない。
乗り合いトラックの車掌に「バゴーへ行くか?」と聞いたら「さぁ、乗れ乗れ」と言う。
出発時間まで時間があるなら、ちょっと市場ものぞいてみたかったので、何時出発かたずねたら9時半だという。まだ少し時間がある。

雑踏した市場の中は少しぬかるんでいた。
タイの製品が多いし、野菜などもタイと同じようなものなので、タイの田舎の市場によく似ている。
しかし、食べ物を売っている露店はほとんど見かけない。
小さなパイナップルの皮を剥いて売っていたので買ってみる。
小さなパイナップル 300チャット

タイならこうしてカットして売っている果物は氷で冷やしているものだが、昨日のスイカもそうだが生温かいまま売っている。生温かいからその分だけ味も濃く感じるのか、甘いパイナップルだった。

乗り合いトラックに戻ると満席になっていた。
ほかの乗客たちの荷物も多い。
まぁ、汽車で2時間少々の距離だから、トラックなら1時間半くらいで行くのではないかと安心していた。

この乗り合いトラックはバスであるとともに、本当にトラックでもある。
荷台にはお客を目いっぱい詰め込み、荷台の屋根の上には荷物を山ほど積み上げている。
乗客の荷物だけではなく、沿道に配達するビールも何ケースとなく積んでいる。
大きく重そうなズタ袋には穀物のようなものが入っているようだ。

お客さんは頻繁に乗り降りする。
そしてお客さんだけではなく、屋根の荷物も上げ下げしたり、配達して集金までするから時間がかかる。
その間に後ろから来た大型観光バスにどんどん抜かれていく。
これは失敗だったかも、、、
車掌が集金に来る。
他の乗客は500チャットくらいのお札を出してる。
それでお釣をもらっている人もいる。
私は自分の運賃がいくらかわからない。
車掌がトラックの後ろで金額を答えているようなのだが、うまく聞き取れない。
周りの人に「バゴーまでいくらですか?」と聞いたら、指を1本立てる人もいるし、2本立てる人もいる。
右手が1本で、左手が2本と言う人もいる。
つまりいくらか良くわからないが、私の前に座っている女性が「2,000チャットよ」と教えてくれた。
しかし、どうして私だけ2,000なんだろう?何も言わずに500チャット札1枚渡すべきだったかな。
**乗り合いトラック チャイトー⇒バゴー 2,000チャット

1時間ほど走って皆降りる。おやおや、やっぱりトラックは早いね。
もうバゴーかなと思って私も降りたが、しかしすごく田舎過ぎる。
車掌に「バゴー?」って聞いたら、別のトラックに案内されてた。
その際、この車掌からもう一台のトラックの車掌にチャット札を渡して何やら伝言をしていた。
「この日本人をバゴーで降ろしてくれよな」とでも言っているのかも知れなかった。

乗り換えたトラックはすでに相当の混み具合で、座る場所がない。
しかし、「早く乗れ」と指示され、荷台の奥に押し込まれ、床に風呂のイスよりもさらに小さなイスがあり、そこへ膝を抱えるようにしてしゃがんで乗ることになった。

しばらく走ると大きな川を渡り始めた。
たぶんシッタン川であろう。
でも、そうするとバゴーはまだまだ先と言うことになる。
現在の場所は行程の半分にも満たないはずだ。
この調子だと、チャイトーの駅で3時間待っても汽車の方が早かったかもしれない。
トラックは鉄道線路に並行する形で進んでいる。

雨も降り出してきた。トラックなので荷台に窓ガラスがあるわけではない。
雨が吹き込んでくる。
雨脚が激しくなったところでトラックは停車し、屋根からシートですっぽり荷台を包み込んで雨を防いだ。

私の背中にはこのトラックの燃料であるプロパンガスのボンベが何本も積んである。
ボンベからガスを供給しているので徐々にボンベ内の気圧が下がるからであろうが、ボンベが冷たくなる。
蒸すような車内で私の背中だけでエアコンにあたっているかのように涼しい。

2時間ほど走って大きな道路に出て左折した。
そして交通量が半端ではない。たくさんのバスやトラックが走っている。
きっとマンダレー街道に出たのだろう。
つまり、今私と同じ方向へ先を争うように走っている車たちは、大都市ヤンゴンを目指しているのだろう。

午後1時近くになってバゴーに着いた。
降ろされた場所がバゴーの町のどのあたりなのかさっぱりわからない。
とりあえずヤンゴン行きの切符を買っておきたいので、駅へ行きたい。
道端の人に「鉄道駅はどっちですか」とたずねたら、「このままずっとまっすぐだ」と教えてくれた。

まっすぐと言うので歩き出したらすぐ陸橋になった。下には鉄道の線路が走り、右手に駅が見える。
なんだ、ずっとまっすぐなんかではなく、すぐ右手にあった。
陸橋脇の土手を降り、線路脇に出てそのまま駅のホームへ入った。
ホームは無人であるが、駅舎にはたくさんの人がいる。
ホームと駅舎の間は鉄格子で隔てられてて、汽車を待つ人もホームへは出られない構造になっている。
そして、私も切符を買いに駅舎側へ入れない。
ホームのはずれに駅員の控え室があったので、そこで「切符を買いたいのだけど」と訴えたら、改札口まで案内してくれて、南京錠解いて鉄格子の扉を開いてくれた。なんだか牢屋から釈放されたといった感覚である。
切符はまたまた簡単に買えた。
バゴー⇒ヤンゴン 1,150チャット

ヤンゴン行きは3時ちょうどとのことである。まだ2時間ほどある。
さて、涅槃仏はどこだろうか?
駅前をキョロキョロしてたらバイクタクシーの運転手が寄ってきた。
「どこ行きますか?」と日本語で聞いてきた。
上手ではないが、なんとかわかる。
しかし、私は涅槃仏のあるお寺の名前がわからない。
「大きなブッダ、寝ているブッダのあるお寺へ行きたい」
「大丈夫 1,000チャット」
どのくらいの距離があるのかわからないので、その金額が妥当かどうかもわからない。
「往復だったらいくら?」
「2,000チャット でも大きいパゴダのお寺とヘビのお寺も行くよね 3,000チャット」
なるほど、昨日の西洋人の女性が大きなヘビの寺があると言っていたっけ、、
「うーん、でも3時の汽車に乗るから、時間もないんだ それに昼ごはんも食べたい」
「大丈夫、間に合う」
「ほんとぅ? 昼ごはんが食べられるレストラン、どこかお勧めある?」
彼はそのまま駅の前にある古くて暗くて汚い食堂へ案内してくれた。
うーむ、行きがかり上しかたないかぁ、、、
ここもやはり鍋の中にビルマカレーの煮込みが入っている。
いくつかの鍋をのぞいて「玉子なら食べられないと言うこともない」と判断してエッグカレーを注文する。
焦げ茶色に煮込まれたゆで卵が一個と、ハーブや野菜の盛り合わせ、スープにライスが運ばれてきた。
そして老婆も出てきた。
「ジャパニー?」と聞いてきたので、そうだと答えたら「私の名前はユキコです」と老婆は言った。
「ユキコさん?どうして日本の名前なんですか?」と質問したら、
彼女か生まれたのは1942年で、日本の時代だったからとのことであった。
彼女も終戦時はまだ幼児であったわけだから、日本の時代の記憶などないだろうが、こうしてこんな場末(本当は駅前の一等地)の食堂に日本名を持つ女性が暮らしているなんて、なんだか驚き。
確かに30年前に来たときは、日本語の話せる人がたくさんいた。
マンダレーでであった女性は戦時中に日本語学校で日本語を学んだと言っていた。
当時日本語を教えてくれた先生の名前を覚えていて、「あの先生はどうしていらっしゃることでしょう」と話されていた。そしてその旅行から帰ってすぐに大学の図書館で調べたら、戦後の引揚者の名簿の中にその先生のお名前があった。宇品へ上陸されたところまではわかったが、その後の消息は調べ切れなかった。

この老婆がいてくれたおかげで、この食堂の印象ががらりと変わった。
玉子カレーもおいしく食べられた。
そして食事代も申し訳ないくらい安かった。
駅前食堂玉子カレー定食 500チャット

食事を終えてバイクタクシー氏がニコニコ近づいてきて「おいしいね、ではそろそろ行きますか」と言ってきた。
バイクの後部座席にまたがり最初に連れて行ってもらったのは大きな涅槃仏。
駅の裏の方へ走ること数分で到着。
このくらいの距離で地図さえあれば歩きたいところだった。
この涅槃仏、確かに大きい。
涅槃仏
バンコクのワットポーにも大きな涅槃仏があるがそれより少し大きいかもしれない。ワットポーの涅槃物は金色をしているが、ここの涅槃物はクリーム色に近い白い肌をしている。昨日聞いたとおり確かに目の色は青い。
青い目

ワットポーと同じように足の裏には曼荼羅が描かれている。
ワットポーの足裏曼荼羅は螺鈿細工と豪華だが、こちらはレリーフが金色に色付けされている。
足の裏

タイの涅槃仏は一般に薄っぺらい。
正面と背中側との幅が体の横幅に比較して狭い。
ここの涅槃仏もその傾向があるようだ。

バゴーの涅槃物といったら日本ではビルマの竪琴のハイライトシーンとして有名だし、歴史的にも有名なので、もっと観光客や参拝客がいていいはずなのに、参拝者はほとんどいない。
涅槃仏が新しく見えるのは、塗り替えたり、補修をしているからなのかもしれないけど、私が以前見た写真では屋根付きの建物の中に入っていたはずだが、目の前に横たわる仏様は露天である。補修するときに建物を撤去して、まだ再建されていないだけなのかな?
本当に私の訪れたかったのがここであるのか少し疑問が沸くが、バイクタクシーの運転手が「バゴーで有名で巨大な涅槃仏はここだ」と言う。しかも彼は日本語も少し話せるくらいだから、日本人が行きたがる涅槃仏がどこかも熟知しているはず。
それに違ったとしても、要は信心の問題。
ここでもしっかり手を合わせ、三度額づいて参拝をする。

この涅槃仏の前にはお賽銭箱はあるが、拝観料の集金はなかった。バゴーの涅槃仏は拝観料を徴収していると聞いていたけど、制度が変わったのだろうか?

★タイに戻ってから確認したところ残念ながら当初私が考えていた「有名なバゴーの涅槃仏」ではなかったことが判明。
私の考えていた涅槃仏は、このすぐ隣にあるように地図に出ていた。

次に案内してもらったのはバイクで街の中心部を走りぬけ、街の東側にある寺院で、バゴーで一番大きなパゴダのある場所だそうだ。
バイクは正面の参堂ではなく、北側の入口へ回り、案内してくれた。私は正面から見たパゴダが立派だったので、写真に取りたいと思い、彼に「私はここから入って、正面へ回るから、そちらで待っていてほしい」と伝えたのだが、「正面側へはバイクで連れて行くから、ここへ戻ってほしい」と言われる。
先に金色に塗られたパゴダは由緒あるパゴダであると言う俄か覚えがあり、またバゴーのパゴダはとてもビルマの人たちに崇められていると聞いていたので、そのがこのパゴダなのだろうと、今回は確信した。
参道の手前では裸足になり、境内へと続く階段を登る。

鈍い色
階段を上りつめて境内に出たら大きな金色のパゴダがそびえていた。
おぉ、これは凄い。
と、カメラで写真に収める。しかし、生憎と雨が降り出してきた。
晴れているときには金色が輝くが、雨雲の下だと金色も鈍って見える。
パチリと雨雲を背景にした金色のパゴダを撮る。
すると「カメラ・フィー」と言って男性が近づいてきた。
この寺院ではカメラの持込料を徴収するらしい。
それは良くあることなので、素直に支払う。
カメラ持込料 300チャット

ここは先ほどの涅槃仏とことなり参拝者が多い。
タイからの観光客もガイドに引率されて着ていた。
私のバイクタクシー氏はガイドはしてくれないので、私はタイ人グループから少しだけ離れたところで、そのグループのガイドが話す説明を聞いてみた。
タイからの観光客は自分が拝むべき仏像がどれなのか盛んにガイドに質問をしている。やはり生まれた曜日によって拝む対象となる仏像の形が異なっているのはタイもビルマも同じようである。しかし、タイの人たちは自分の生まれた曜日の仏様がどのような形をされているか良く知っているはずだから、わざわざ質問などしなくても分かりそうなものだが、ひょっとするとタイとビルマでは仏像の形が少し違うのかもしれない。私は木曜日生まれなので座禅を結ばれた姿の仏様だが、ちょっと見渡したところ「これだ」と確信を持てる仏像が見つけられなかった。
ガイドの説明の中で、水曜日は昼と夜とで仏像の形が異なると言っていた。これはタイも同じで、タイ人たちが頷きながら説明を聞いていた。
タイ人グループ

モーラミャインのお寺でも不思議な像があったけれど、このお寺も不思議な像を発見。
小鳥だろうか?
口のところに丸く穴が開いている。水でも噴出すのだろうか?
下に何か書いてあるがビルマ語だけなのでさっぱり分からない。
以前ビルマに来たときは、お寺でフクロウを模ったものが寄進されていたり、売店で売られていたりした。
この2羽はフクロウには見えないけれど何なんだろう。
景色を眺めるだけならいいが、こうしたところではやはりガイドがいてくれた方が良さそうだ。
小鳥

雨が上がり、日が差してきた。
こうなると金色のパゴダは輝き始める。
もっと青空が広がるまで待ちたかったけれど、汽車の時間もあり、そろそろ戻らないと心配だ。
金色

バイクタクシー氏が「次はヘビ寺ね」と言う。
しかし、もう時刻は2時半。
そろそろ駅に戻るべきかと思うが、「大丈夫、大丈夫、汽車は遅れるはずだから」と言う。
そうかも知れないが、やはり3時までには駅に戻りたい。
「でも3時には駅に戻りたい」と主張したが、
「大丈夫、戻れる」とのことで、そこまで言うならヘビ寺へ行ってみることにした。

ヘビ寺はバイクで畑の中の田舎道を進んだ町外れにあった。
社務所のようなところにある家具の下に大きなニシキヘビがあた。確かにおとなしい。見学者がチャット札をヘビの腹の上などに置いていくようで、ヘビの周りにはチャット札がたくさん散らばっていた。
しかし、別にこのヘビは信仰の対象になっているわけではないようで、ただこの寺の中で買われているというだけのようである。
バイクタクシー氏が「写真撮ってもいいよ」と言ったが、ヘビを見ていたら、ひっきりなしに参拝者が来て覗き込まれるヘビが不憫に思えてきた。中にはヘビを棒などで突くような人もいるのではないだろうか、ヘビだってもっとのびのびしたいだろうに、、そんな事を考えたらカメラを向ける気になれなかった。
その代わりここにもパゴダがあったので拝んでから駅へ向うこととする。

バイクタクシー氏が何か日本語で言っているのだが、何といっているのか良く聞き取れない。何度も聞きなおしていたらメモ書きを示した。そこには日本語をローマ字で書いてあった。
書いてある内容は「バゴーの入場料は立て替えて払っているから自分に払ってください」と言ったようなものだった。
しかし、彼の「入場料」と言う発音が「ヂョーヂョーヂョー」と聞こえ、何のことかさっぱりだったのである。
ビルマ人は「東京」のことも「トゥーヂョー」と発音する傾向がうるので、はじめは何のことか良く分からなかった。
この「入場料」と言う発音も彼らには難しいのだろう。

しかし、私は入場料がかかるなんて知らなかったし、立て替えてたなんて初耳だ。もしドライバー氏が片言の日本語を使って日本人の旅行者をお客にしたいなら、日本人の性格も言葉同様に理解しておく必要がある。

「私は入場料をあなたが立て替えていたなんて、知らなかったよ。もしそうだとしたら、先にそのこと説明しておくべきだったな。そうしないと不信感を抱かれて、せっかく日本語を覚えたのに、日本人に信じてもらえなくなるよ」と言った。
たぶん、私以外の旅行者とも同じような経緯があったのだろう。
「OK、10,000チャットでもいいよ」と彼は言う。
残念、どうも理解されていない。
料金交渉をするつもりで話しているのではなく、日本人相手の仕事の仕方について教えたつもりだったのに。
「いったい、立て替えてくれた入場料はいくらなんだい?」
しかし、この質問もよく理解してくれなかったようだし、彼の説明もしどろもどろになってきた。
「ヤンゴンのシェダゴン1万チャット、バゴーお寺1万チャット、ぜーんぶ1万チャット、、、」
彼が本当に入場料を立て替えてくれていたのか、残念ながら疑わしくなったけど、先の涅槃仏で事前に入場料がかかると聞いていたのに、私は払っていない。つまり彼が立て替えていてくれたのかもしれないけど、どうもよく分からない。
「入場料5千チャット、バイク3千チャットでOK」と聞いてくる。
本当のところが分からず、ちっともすっきりしないので、OKではないが、こんな町外れで交渉するのは不利である。
「7千チャットだな」と私は言った。
「入場料1万チャット、、、」とまだ言っている。
「7千チャットしか払わないよ」と再度伝える。
バイクタクシー氏はしぶしぶ承諾し、駅へ向う。
38歳で子供が4人いるそうだ。
「奥さんは何人?」と質問したら「一人だよ!」と言って笑った。

このバイクは6年乗っていると言う。
しかし、だいぶボロボロになっている。
「もう少し整備した方がいいよ」とアドバイスをする。
お客さんだって綺麗なバイクのほうが良いだろう。
バゴー観光のバイクタクシー 7,000チャット

タイに戻ってから確認したところ残念ながら当初私が考えていた「有名なバゴーの涅槃仏」ではなかったことが判明。
私の考えていた涅槃仏は、このすぐ隣にあるように地図に出ていた。


バゴー駅の駅舎は白いがだいぶ汚れている。
説明を受けなければ駅とは気がつかないかもしれない。
倉庫か古い役場かと勘違いしそうだ。
バゴー駅

3時になったが列車はまだホームに入ってきていない。
改札口の鉄格子も閉じられたままだ。
列車を待つ客は地べたにそのまましゃがみこんでいる。
ベンチもあるにはあるが絶対数が足りない。
駅員から「数分遅れてるよ」と告げられ、「これ食べないか?」ととうもろこしを差し出されるが、お腹もすいておらず遠慮させてもらった。
ずいぶん待って漸くホームへの扉が開かれた。
30分近く遅れてやって来た列車は既にほぼ満員の状態。
それでもこのバゴーから乗り込もうとする客もホームにいっぱいいる。私は座席指定のアッパークラスなので心配いらないが、普通車の人たちは大変だろう。
さっきとうもろこしを食べないかと声をかけてくれた駅員はとても親切で、私と一緒に客車内まで乗り込み、私の席を見つけてくれた。席には既に若者が座っていたが、駅員が話して席を立った。

今日の汽車は昨日と同じアッパークラスだが、昨日は通路を挟んで1人がけと2人がけと言う相当ゆったりした構造だったけれど、今日のは通路の両側とも2人がけになっている。また満席なので少し狭く感じる。

バゴーを出てしばらくは田園風景であったが、ヤンゴンに近づくにつれて徐々に今まで見てきたビルマの風景とは異質な風景が展開し始めた。
建設工事現場が多くなり、クレーンやショベルカーなどの重機が働いている。建設されている建物も、いままで見てきたビルマの建造物とはまるで異なる。コンドミニアムやアパートなど高層建築もある。ヤンゴンは既にビルマではないようだ。そしてまた私の知っているラングーンの街からも大きく変貌している。

5時過ぎにヤンゴンに到着する。
ホームから階段を登ったら、そのまま大きな陸橋の上に出た。
車が走っている。
乗用車が多い。
陸橋から眺めても大きなビルがたくさんある。
バンコクのビルと比べると野暮ったい感じのビルが多いが、昔のホンコンのような感じもする。狭いところに無理やりビルを建てたような感じた。以前は5階建て以上のビルなど見かけなかったのに、いまは5階建てのビルの方が探すのに苦労しそうだ。

ボジョーク通りを右折して歩く。
人通りが多い。
バンコクのように露店も多い。
食べ物の露店、衣類や古道具などが歩道を占有している。
シャングリラホテルがあった。
ホテルはあちこちにたくさんある。
小さなホテルが多いようだが、私が今回泊まるのも小さなホテルのはずである。
以前来たときは、ラングーン(ヤンゴン)で宿泊が許可されているホテルはたったの6軒しかなかった。インヤレイクホテル、ストランドホテル、ダゴンホテル、YMCA、YWCAそしてゲストハウスが1軒のみ。週3便のタイ航空がミンガラドン空港に到着すると、ホテルがすぐに満室になってしまうと言われており、安いYMCAの部屋を確保するのにソワソワしたものである。
数年前まで、ホテルこそ増えたが、ヤンゴンを訪れる観光客やビジネスマンがそれ以上に増えて、ヤンゴンではホテルが足りないと言われたものだが、今こうして歩いてみると内容はともかくとして、宿泊施設は雨後の筍のように、あちこちに乱立気味に見える。

ボジョークマーケットが見えてきた。
以前はラングーン最大の市場として、静謐と感じられるほど閑散としたラングーンのまたの中でも、ここだけは人だかりがして活気があったのだが、今は町全体が騒乱状態かと思うほど活気がありすぎて、ボジョークマーケットが静かに感じられる。
ボジョークマーケット

大きな交差点で信号が変わるのを待っていたら、一陣の風が吹いて私が被っていた麦わら帽子を吹き飛ばしてしまった。
あれよあれよと言う間に、交差点の中に飛んで行き、何台もの車に跳ね上げられたり踏まれたりしてしまった。
そして麦わら帽子は道の反対側で、こちらに向って道路を横断してくる歩行者に拾われ、ボロボロになって私のところに帰ってきた。

私の泊まるホテルはROYAL 74 HOTELと言う、中国人街の路地奥にあるこじんまりとしたホテル。
ホテルの周辺は中国人街だけあって食堂が多い。
ただしビルマ料理屋ではない。中国風の食堂もあるが、日本食の食堂が3軒も路地の中にあった。

ホテルは見たところ比較的新しいようで、入口はガラス張りで中も明るく、レセプションのスタッフやドアボーイの身なりも良い。
スタッフの対応も親切で感じが良い。
ホテル代はドルでもチャットでも良いとのことで、当初私はチャットで支払った。しかし、後になってよく考えたら、もう財布の中にチャットがほとんど残っていない。これだと明日の食事にも事欠きそうだ。レセプションに「さっきチャットで払ったけど、ドル払いに戻してほしい」とお願いしたら快く受けてくれた。
ホテル代 ROYAL 74 HOTEL 20ドル (エアコン、温水シャワー、冷蔵庫、テレビ付き)

部屋は広くはなかったが、清潔感があり綺麗であった。
シーツも白いし、トイレもシャワーも具合が良い。
石鹸やシャンプー、白くて大きなバスタオル、歯ブラシまである。
つまり日本のビジネスホテルのようなものだ。
ただし私の部屋には窓がない。

夕食がてら外に出る。
ホテルの隣りに日本食の食堂がある。
このホテルには日本人が多いから、このような食堂があるのだろうか?
それとも、バンコク同様にヤンゴンでも日本食がブームになっているだけなのだろうか?
いずれにしても日本食が食べたい気分ではない。

中国人街なので中華料理でも良いかと思ったが、入りたいと思わせる店はなかった。
表通りに出たら市バスがたくさん走っている。
それもさまざまな中古バスばかり。
日本から持ち込んだ中古バスは、ビルマが日本と異なり右側通行のため、もともとの乗降用のドアは車体の反対側になってしまい、バス停側にある非常口のドアを加工してしつらえてある。
ワンマンカーではなく車掌が乗っており、バス停にバスが着くたびに車掌はバスから飛び降り、ここでも腹の底から出てくる野太い声で行き先を叫んで呼び込みをしている。
それが面白くて、ただバス停で次々にやってくるバスを見る。
韓国製の中古バスもやってくる。
こちらはもともとビルマと同じ右側通行用にできているので、本来の乗降口から乗り降りできる。
日本製も韓国製も外装は広告だらけで、もともとどこのバス会社から来たものか判別つかないものが多いが、車内は日本語やハングルの表記がいっぱいである。
さらに中国製のバスも走ってくるが、こちらは中古車ではなさそうに見えるが、くたびれ方は中古車並みのようだ。

交差点の角にビールを飲ませる店があって、インド系の男たちがビールを飲んでいた。
私もビールを飲みたいが、この店で食事をしている人はいない。
このような形態の店では食事は出さないのだろうか?

1ブロック先の通りへ出てみると、こちらの方がにぎやかで屋台とか出ている。
また店も日本の100円ショップに似たような店もある。
しかし、食堂はこれといったものがない。
餃子を焼いている屋台があった。
餃子とビールなんて良さそうだと思ったが、ビールはないとのこと。
それに餃子も鉄板で焼いているのだが、ものすごく油がいっぱいで、焼くと言うよりフライでも作っている感じである。
値段は小ぶりの餃子10個で1,500チャットとのこと、興味はあったがやめた。

ヌードルの屋台も何軒かあった。
モヒンガーの屋台で、モヒンガーもビルマ庶民料理の代表格ながらまだ食べていない。
この機会に食べるのも悪くないが、ビールのツマミになりそうにない。
同じヌードルでも、チャイトーやバゴーなどでハーブや唐辛子などを混ぜた汁なしの和え麺を見かけており、それが美味しそうだと気になっていた。
タイのヤムウンセンに似た感じなのでビールにも合いそうだった。
しかし、モヒンガーなど汁そばはあるが、汁なし麺は見つからなかった。

この街では、夕食にビールを飲むと言う習慣がないのではないかと思えてきた。
そうだとしたら私の夕食探しに問題があるわけで、一度ビールのことは忘れて、食べ物のことだけ考えることにした。
そうしたら、目の前に朝食べたパラパラのチャーハンと同じタイプのチャーハンを食べさせる露天を見つけた。
チャーハンだけでなく、鍋入りの煮込みも何種類もある。
朝と同じだが、その露店の風呂イスのような小さく低いイスにしゃがみこみ、チャーハンを食べることにした。また、白いご飯とナスのビルマカレーももらった。
どちらも味は良い。
これでちゃんとした、せめてキンプンの食堂並みの設備があればもっと満足度が高いはずなのだが、まことに残念である。
この店でも生野菜やハーブの盛り合わせが付いてきた。
さらに感動的だったのは、これだけ食べてたったの800チャットに過ぎない。
夕食 800チャット (チャーハンとビルマ風ナスのカレー定食)

お腹がいっぱいになったが、やはりビールが飲みたいので、先ほどのビールを飲ませる店まで戻る。
ここはビールを飲ませるだけあって、ミャンマービール以外にも何種類かビールがある。
そんな中で
ビール瓶の王冠に納税証明印紙の貼ってあるビールがあった。
いままで飲んできたビールにはそんなものなかったし、タイでもそのような印紙はウイスキーなどには付いているがビールでは見たことがない。
ライオンのイラストの書かれたそのビール、ブランド名はダゴンと書かれている。
なんとなく、高級そうだし、美味しいのではないかと期待が高まる。
そして味は、、特別美味しいと言うほどではないが、泡立ちは控えめで、飲み口はやはり良いし、ホップの香りもよく、コクがある。毎日ビールを飲んでいるが、ミャンマーのビール、イイ線行っているように思える。
それに安い。
中国系のオーナーに値段を聞いたら1,500チャットとのこと、ちなみにこの店でミャンマービールは1,800チャットとのことだったので、高級そうに感じたけど、実は安ビールだったわけだ。値段など聞かなければ良かった。
ビール屋にてダゴンビール大瓶 1,500チャット

なお、この店には何種類ものビールがあったが、マンダレービールはなかった。

満腹でビールも飲んだのでホテルへ戻ろうと思うのだが、部屋に戻ってシャワーを浴びたらまたビールを飲みたくなるだろうと思い、ちょっと遠回りしてスーパーに立ち寄る。
スーパーは小さく狭く、商品陳列も雑貨屋並みであった。
商品もほとんどがタイのものであった。
ここではアンダマンと言う銘柄の缶ビールを買うことにする。
またツマミにカシューナッツも買う。
スーパーで缶ビールとカシューナッツ 1,500チャット

シャワーを浴び、エアコンを弱めにして、ビールを飲みながら本を読む。
部屋の中が明るいので、夜でも本が読める。
やっぱりヤンゴンは都会だ。

| http://www.chiangmaikk.com/blog/index.php?e=4 |
| | 09:20 PM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑