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ビルマ懐訪の旅 ②ビルマ1日目ミャワディからモーラミャインまで
5月15日金曜日

タイ側メーソットよりモエ川に架かる橋を渡り、ビルマへ足を踏み入れました。
ビルマ側のイミグレーションも橋の袂にあり、薄汚れた詰め所のような部屋へ入るように指示され、パスポートを提示。
部屋に入ったすぐのところのデスクに座っている係官から入国カードを渡され、それに記入するよう指示されます。
入国カードと言っても印刷も汚いザラ紙で、あっけに取られていたらどうやら係官は私がペンがなくて書きあぐねているものと誤解したらしく、ペンを取り出して貸してくれた。
おぉ、ビルマ人は親切だ。
以前インドに行ったときなど係官がペンを貸してくれと言うので貸したら、そのままポケットにしまわれてしまった経験がある。それと比較したら天と地の差がある。
ザラ紙の入国カードへ記載を終えて、その係官に借りたペンとともにパスポートを渡すと、隣の窓口を指差して、あっちへ出すように指示される。
その窓口でパスポートに入国スタンプをもらい、晴れてビルマへ入国となったわけです。

税関検査もなかったようで、そのまま橋の近くにある両替屋へ立ち寄りました。
道端に古い木の机を出しただけでタイでよく見かける宝くじの屋台のような感じ。両替率は10,000チャットが2,800バーツほどらしいのですが、私は3,000バーツをチャットに両替してほしいと言ったところ、10,700チャットになりました。ついでにドルだと100ドルいくらになるか聞いたのですが、ドルはわからないとのこと、、タイの国境ではドルを両替する人などいないのかも。
次にモーラミャインへ行きたいがどうやったら行けるかと質問したところ、「ちょっと待て、今聞いてあげるから」と携帯電話でどこかへ電話をかけ始めました。
しかし、その電話ではどうやら埒があかなかったらしく、またどこかへ電話をしています。
そういえば朝のトイレを済ませていません。
ミャワディからは山越えの悪路で相当時間もかかると聞いています。バスに乗り込む前にトイレへ行っておかなくては、、、
「あのぉ、トイレはありますか?」と質問したら、
「あるよ、ついといで、有料だけどね」
「有料って、いくらですか?」
「300チャットさ」
「300チャットでことはだいたい10バーツかぁ、、タイのトイレよりずいぶん高いなぁ、、きっと豪華なトイレなんでしょ?」
「まぁね」
しかし、案内されたのは古い商店の奥にあるトイレで、タイでもよほどの田舎に行かなければ見かけないようなトイレでした。

トイレが汚かろうが、出すものは出したのだから、約束どおりトイレの拝借チンを払わなくてはならない。
しかし、さっき両替したばかりなのだが、3,000バーツを10,700チャットに両替して手元にあるお金を見たら、5,000チャット札がたくさんと、500チャット札一枚、100チャット札二枚と言う具合で、チン料の300チャットぴったりにはならない。そこで500チャット札を出したところ、先方もつり銭がないらしく、ズタ袋をあさり5バーツコインを200チャットの代わりに手渡してくれた。
まだ金銭感覚がはっきりしないのだが、だいたいそんな計算なのだろう。
トイレ利用料 500チャットで釣銭 5バーツ

もとの両替屋に戻るとモーラミャインまでの車が見つかったとのこと、
しかし、探してくれたのは私が考えていたバスではなく、タクシーのことのようである。
料金を聞いたら35,000チャットとのこと、これがいったいいくらくらいなのかはすぐに計算できないが、
予備知識として事前に見ていたネットの情報では、乗り合いのバスやトラックで6,000チャットも見ておけば良さそうであった。
なので予算オーバー。
「調べてくれてありがとう、でもバスで行きたいんだよ、35,000チャットはちと高いんだな、、、」
「バスならもっと早い時間に来なくちゃだめだよ、もうバスないんじゃないかな?」と言われる。
そういえばネットにもミャワディからの山越えは隘路のため、一日おきの交互通行で、夜明けとともにいっせいに車列を組んでチャワディを出発していくと書いてあった。
時刻はすでにミャンマー時間で7時すぎ。
どうやら遅すぎたかも。
「乗り合いトラックなら人が集まれば出発するし、たぶん今日中にはモーラミャインまで行けるんじゃないかな」
とアドバイスをくれる。
今日中にモーラミャインまで行ければ、旅のスケジュールとしてはOKなのだけど、いつ動き出すかわからない乗り合いトラックで時間を無駄にするのは感心しない。
そうこうしているうちに「上客あり」との情報でタクシーの運転手がやってきたので、直接話を聞いてみる。
「1,000バーツだったらどうかな?」と運転手が料金提示。
「どのくらい時間がかかるの?」
「4時間くらいかな」
「800バーツにしてくれない」
「そりゃ無茶だよ、ダメダメ。800バーツだったらパアンまでだ。パアンまで行けばモーラミャインまでのバスがあるよ」
「いや、モーラミャインへ直行してほしいんだ。900バーツでどう?」
ここで両替屋のおばさんたちも加勢してくれて900バーツで話がまとまる。

ここまですべてタイ語での会話です。
ビルマ語は「こんにちは」のミンガラバーと「猫」を意味するミハーンの二つしか知りません。
しかも、ミハーンが本当にビルマ語の猫のことなのかどうかも疑わしい。
30年前、パガンの宿に泊まったとき、そこの主人が九州の大学へ留学していたことがあるとかで、片言の日本語を話せた。
そしてその宿で飼われていた猫を指差して「ミハーン」だと教えてくれた。
なので、ひょっとすると「猫」の意ではなく、その飼い猫の名前だったのかもしれない。

モーラミャインまでタクシーをチャーターすることで合意成立し、運転手とともにタクシーを止めてあるは所まで歩く。
国境の橋の下あたりの路地にトヨタのライトバンが止めてあり、それがタクシーなのだと言う。
私は小型トラックにでも乗せられるのだろうと思っていたので、ライトバンとはいえ、予想より快適そうだ。
ナンバープレートは黒でビルマ数字の文字も消えかかっているが、車体はそう古くもなさそう。
車内は砂埃がいっぱい入り込んでいたが、気にしない。
どうせこれからの悪路では砂まみれになることくらい覚悟しているので、この程度の砂埃などどうってことない。

7時半、ミャワディ出発。
車は右ハンドルながら、道路は右側通行。
つまり助手席に座った私がセンターライン寄りと言うことになる。
タクシードライバー

雑踏するミャワディの市街地は、あんまりきれいではない。
タイも好き勝手に道路を横断する人がいたりして、交通整理ができていないが、ミャワディはウロチョロ、フラフラ走る自転車やバイク、荷車が好き勝手に動き回り、人もさまざまな角度で歩き回っているので雑踏の度合いがタイより数段上な感じがする。特にセンターライン側に座っているので、真正面から近づいてくる対向車にはヒヤヒヤし通しだった。

町外れのガソリンスタンドで給油。
満タンではなく20リットルだけ入れるのだそうだ。それでモーラミャインまで走れるとのこと。
ガソリン代は14,000チャットとのことで、なんとなくタイよりずっと安い気がする。
なんでこんな僻地でタイより安いんだろ?
ガソリンはどこから運ばれてきているのかな?タイからだろうか?それともビルマの港からだろうか?
これも昔、ラングーンからパガン方向へバスに乗っていたとき、車窓から油田を見たことがあった。
そこで採掘されているのが石油ならビルマは産油国で、だからガソリンが安いとも考えられる。
もっとも、そのとき車窓から見えた油田はアラブの油田とはまるで規模の違う、「石油井戸」と言った程度のものだった。

ガソリンを入れ終わるとドライバーがペットボトル入りの水を持ってきて
「よく冷えてるから、ここに置くよ」とギアの近くのボトル入れに置いてくれた。
タイでもガソリンスタンドでよく水をくれるけど、ビルマも同じなのだろうか?
それともドライバーがわざわざ買ってくれたのだろうか?

トラックがずらりと並んでいる場所がある。
トラックの二台にはスクーターやバイクがたくさん乗せられている。
そのほか生活雑貨品なども積まれているようだ。
その並んでいるトラックの先頭に税関検査所があった。
ドライバーによるとここでタイから入ってきた物資の税関検査をしているとのこと、そして検査には時間もかかるし税金も高いのだそうだ。

このミャワディからの道路、インドシナ半島を東西に貫くインドシナ東西経済回廊として期待され、いままさに整備が進んでいるところ。
2月にラオスへ行って、この東西経済回廊のベトナム-ラオス-タイを結ぶハイウェイに巨大なコンテナトレーラーがひっきりなしに走っているのを見た。
「物流が世界を変えているぞ!」とびっくりしたばかりである。
ちょうどその旅行の直前に梅棹忠夫先生の「東南アジア紀行」を読み直したばかりであったのでより驚きが大きくなった。
梅棹先生がジープでベトナムから山越えしてラオスのサワンナケットへ入ったのは今から60年も昔のこと。
川に橋なく、岩盤を乗り越え、猛獣の光る目に脅えながら走ったと言う道が物流の大動脈になっているのだから、月日の流れで世界は変わっていくものだ。
私も30年前にタイのメコン川沿いの町、ナコンパノムやムクダハンでメコンの川べりに立ち、対岸のラオスを眺め、行きたくてもいかれない世界。
われわれとは異なる政治体制、東側の世界。そしてメコン川沿いのラオス難民キャンプなど、いったいこの川向こうはどんなことになっているのだろうと思ったりした。
そんなことなどを書き綴った大学ノートの旅日記が先日ひょっこり段ボール箱の中から見つかり、読み返してみたら自分がタイムスリップして当時をいろいろと思い出してしまった。

税関待ちをしているトラックだが、ベトナム-ラオス-タイ側の東西経済回廊で物資を運んでいるのは大型のコンテナトレーラーであったが、このミャワディからの東西経済回廊ではコンテナトレーラーは見かけず、普通トラックばかりであった。まだトレーラーが走れるような道路が整備されていないためなのかもしれない。

税関を素通りして、しばらく走ると道が二股に分かれた。
左側へ続く道には銃を持った兵士が立っている。ドライバーは少し迷ったが、兵士のいる側へハンドルを切った。
兵士が停車を求め、ドライバーが窓越しに兵士と何か話し、何枚かのチャット札を握らせると遮断機が上がった。

「この先のコーキまでは道が2本あるんだ。この道は新しい道でまだ完成していないけど、この道だと早い。以前の道だと山道ですごく時間がかかるんだ」とドライバーが教えてくれた。
このドライバーはタイ語がわかるので大変助かる。
そして、この新しい道こそ、整備が進む東西経済回廊のようである。ネットの情報では年内の開通を目指して工事が進んでいるような表現であったけれど、もうほとんど完成していると言ってよいほど快適なハイウェイになっている。
本当は整備されたハイウェイよりも隘路の山越えをしてみたかったが、一足お先に東西経済回廊を走ってみるのも悪くない。
東西経済回廊

この東西経済回廊はなかなかの大工事で、山を大きく削ったり、橋を架けたり、急な坂や急なカーブもほとんどない。
まだ作業中の重機も良く見かける。これなら今後タイからビルマ側への物流も大きく変わることだろう。

まだ開通前と言うことで走る車はほとんどないのだが、道端で重機を構えて立つ兵士はたくさんいる。
このミャワディからモーラミャイン側への沿道では最近まで少数民族との戦闘が活発で、ビルマ政府も外国人の立ち入りを厳しく規制していたはずである。
元産経新聞の記者近藤紘一氏の著書「妻と娘の国へ行った特派員」に収録されている昭和60年7月発行の「諸君!」から転載されている文章に「密林の中の"共和国"」と言うのがあり、そこに当時のメーソットからビルマ側へ入ったところにあるカレン族の"国"のことや闇貿易のことが書かれている。
つまり当時のビルマにはこのような国の中に少数民族の"国"がいくつもあったらしい。
私もそんな国を見てみたいと思ったか、大学の教授から「そんな危ないところへ行くことは認めない。禁止する。」と叱り飛ばされ断念した思い出がある。
当然であろう、「見てみたい」などという甘い気持ちで、民族独立の戦闘が行われている渦中へ物見遊山に行くなどまったくの「若気の至り」。
さて、その文書の中で書かれていることによれば、闇貿易でメーソットから運び込まれた物資は、かつぎ屋によってモーラミャイン(原文はモールメン)まで運ばれる。
「森の中の小径を二十人ほどの男が六十キロはあろうかと思われる大荷物を背負子にのせて」「四日から六日」かけて運んでいたのだそうだ。
「山越えに象を使わなくてはならないことがある」とも書かれている。
30年前に「禁止」された道を、メオダムはタクシーで進んでいる。
その道はまだ未完成のことながら、あまりにも快適なので、なんだか不思議な感じがする。
そして、その快適さは道端で銃を構えている兵士たちによって守られているのかなどと勝手に想像してみたのだが、どうやらそうではないらしい。
別に現在は兵士が守らなくてはならないほどの地域ではないようだ。
この兵士たち、いちいち停車を求めてくる。
検問と言うわけでなさそうで、身分証の提示を求めるわけでもない。
ドライバーはこの停車を求められるたびに何枚かのチャット札を窓越しに兵士へ渡している。
「この道は通行料金がかかるのか?」と質問したら
「兵隊たちはタバコ代をほしがっているのさ」と教えてくれた。
タイではよくコーヒー代と言うが、ビルマではタバコ代なのかと理解する。
しかし、こうしょっちゅうタバコ代を払うのでは大変である。
900バーツに値切ったものの、これではドライバーの手元にいくらも残らないのではないかと気になる。

コーキ1

未完成のハイウェイも30分ほどで終わり、山のふもとのコーキという町へ下りてきた。
このコーキという町の名はドライバーに教えてもらったのだが、地図を見たらば「コーカレイ」と表示されていた。
ビルマの地名は、地元民の名前と地図の名前が異なることがしばしばあるようだ。
ミャンマーという国名だってそのように思われる。
以前は国際的にBURMAと表記されバーマと英語読みされていたが、ビルマ人たちはもともと自分たちの国をバーマとは呼ばず、
MYANMARと現在の国名で呼んでいた。
これも私の耳にはつづり通りに発音したミャンマーと言うより、ビャンマと聞こえる。
つまりミャンマーよりビルマの方が原音に近い気がする。

そのコーカレイことコーキの町だが、なかなかいい雰囲気の町である。
ここで途中下車して、少し散策してみても良かったかもしれないと後になって思ったりしている。
たぶんモン族が普通に暮らしている町なのだろうけど、何十年前と変わらないたたずまいを残している。
コーキ2

コーキから先はごく普通の道で、道幅も広くはなく、地元の生活道路を兼ねているようなのだが、道の両側が並木になっており、大きな木が木陰を作っている。
いかにもビルマの昔ながらの街道と言った雰囲気なのだが、交通量は多く、バスやトラックが次々にやってくる。
私はハイウェイでここまで来たけれど、ミャワディからコーキまでの旧道はこうしたバスやトラックがひしめき合っていたのではないかと想像される。
農耕用の耕運機も荷車を引いて走ってくる。
以前のビルマだったら、耕運機ではなく牛や水牛が荷車を引いて走っていたものだが、そうした畜獣の引く荷車はほとんど見かけなくなってしまった。
しかし牛や水牛はまだまだ健在で、街道両脇の休耕地でいくらでも見かけられる。
まだ雨季前で、田んぼの仕事もなく、のんびりしているのだろうけど、来月あたりになって雨が降り出したら、田んぼで鋤を引くのだろうか?
灌漑が進んだタイでは季節に関係なく田んぼに水が引かれているところが多いが、このあたりでは水が引かれているところはまるで見かけない。

チェンドゥという少し大きな町を過ぎ、大きな川を橋で渡る。
この川の名前は何かと聞いたらば、「ジィン」と教えてくれた。
川も大きいが、橋も立派なつり橋である。
そして有料で橋の袂で集金される。
しかし、集金するのは銃を構えた兵士ではなく、女性の公務員であった。

のどかな街道で窓を開けて外の風を感じたいところながら、対向車も多く、排気ガスや埃もひどいので窓は締め切りエアコンを効かせる。
タイと同じでガンガンにエアコンで冷やしてくれる。
しかも、サービスのつもりか運転席側のエアコンの吹き出しまで私の方へ向けてくれる。
ありがた迷惑なのであるが、仕方がない。

道がまた二手に分かれるところへ来た。
右はパアン、左はモーラミャインと書いてある。
その分かれ道のところで停車して、ドライバーは何か思案している様子。
やがて通りかかったバイクを止めてなにやら言葉を交わしている。
バイク左を指差している。
ドライバーはまだ十分に納得できないと言う顔をしながらハンドルを左に切って進み始めた。

未舗装

モーラミャインへの道は先ほどまでの並木の茂る街道とは異なり、未舗装の牛車道でした。
轍は深く、前から車でも来ようものなら土煙がまるで煙幕のように続き、視界を失ってしまう。
なるほどこんな道だからドライバーは躊躇してたのかと納得する。
「雨が降ったら走れなくなるんだ」とドライバーは言った。
「遠回りでもパアンからモーラミャインへ向かった方が道がいいんだよ」とも言った。

木でできた橋を渡る。
しかも、壊れかかっている橋が多く、高さこそないが、橋が崩れたら只ではすまないだろう。
木の橋

渡るときやはりハラハラする。
最徐行で通過するが、こんな橋がいくつもある。
ドライバーにしてもここで900バーツの運賃のためにタクシーをダメにしたら明日から路頭に迷うところであろう。
いくつめかの橋からは、もう橋を渡らず、橋の手前から道をそれ、橋の横を迂回するようになった。
乾季のためか橋の下の川があったはずの場所は干上がっており、車でもらくらく走れる。
それに轍がたくさんあるところを見るとほかの車も橋を渡らず、横で降りている様子だ。

一時間くらい未舗装の悪路を走ったところで、再び街道に合流。
よくできたもので、街道端に埃だらけになった車を洗う洗車屋がずらりと並んでいる。
このタクシーも埃だらけなので、そうした一軒に立ち寄って、埃を洗い流してもらう。
洗車屋

車の洗い方はあんまり丁寧ではなく、車内の掃除とかもしてくれていなかった。
ただ車体に着いた土ぼこりを落とすだけのようで、ドライバーは何も不満も言っていなかった。
「車内もきれいにしてもらったほうが良かったんじゃないかな」と言ったところ、
「車内はまた別料金だからね」とのことだった。

ふたたび大きな橋を渡る。
流れている川は先ほど渡ったジィン川だそうだ。
やはり有料で料金を集金される。
ジィン川

この橋を渡るとモーラミャインはもうすぐらしく、モーラミャインのどこで降りるか聞かれる。
ホテルを決めているわけではないので、どこでも良かったのだが、明日はゴールデンロックへ行こうと思っている。
そこまでの途中にあるチャイトーと言う町まで汽車に乗ろうと思っていた。
その汽車の切符を今日のうちに買っておきたい。
「鉄道の駅で降ろしてくれよ」と言った。
しかし、どうやらこのドライバーは鉄道の駅がどこにあるかわかっていないらしい。
途中なんども車を止めて道を尋ねている。
モーラミャインで鉄道の駅はあまり知られていないのだろうか?
あいにく私も地図など持っていない。
ようやくこの先にあるらしいと言うところまで来たのだが、ドライバーが変なことを言い出した。
「悪いけどここで降りてくれないか、駅まではあと1キロくらいらしいし、なんならバイクタクシーをつかまえてあげようか?」
そんなくらいの距離なら、そこまで連れてってくれても良さそうなものだが、話を良く聞くとこの車のナンバープレートは田舎道は良いが町の中を走ることが禁止されていて、これ以上市街地へ入ることができないのだそうだ。
確かにナンバープレートはボロボロだし、そんなものかと納得。
無理も言えないので、約束どおり900バーツを払って下車する。
時刻は11時半前。
ミャラディ⇒モーラミャイン タクシー代 900バーツ

昼前にモーラミャインへ到着できた。
午後はモーラャインの見学に当てられる。タクシーなどと贅沢をしてしまったが、結果的には正解だった。
炎天下の中、麦藁帽子をかぶり、言われたとおりまっすぐ歩く。
そして確かに1キロほど歩いたところで、右手に立派な駅が見えた。
駅

切符売り場の窓口へ行き、明日のチェイトー行きの切符を買う。
朝の汽車は6時15分発と8時発の2本あるとのこと。
もともと、8時の便があることは知っていたが、それより早いのがあるのなら、そっちが良い。
早めにチャイトーへ着けばその日のうちにゴールデンロックの観光ができそうだ。
しかも、アッパークラスの切符も買うことができた。
アッパークラスはリクライニングシートで、一般のオードナリークラスはクッションもない木のイスだと聞いていたし、30年前もそうだったので、もしアッパークラスに乗れずオードナリークラスになった時のことを考えて、今回は手提げに麦藁帽子と座布団を入れてきたのである。
モーラミャイン⇒チャイトー 汽車の切符代 1,400チャット アッパークラスなのに安い

明日の朝は早いと言うことだと、今夜の宿は市街地ではなく駅周辺に泊まった方が良さそうだ。
街道から駅に入るところに何軒か小さなホテルがあったので、そのあたりをのぞいてみる事にする。
ゲストハウスもホテルもあったが、モーテルと書かれた宿も一軒あった。
そのNARAWAT MOTELと書かれた建物に入っていくと、男性がイスで昼寝をしていた。
「すみませんが、部屋は空いてますか?」
これはタイ語でなくて英語で質問。
そしたら、オレ関係ないよ、あっちで聞いてと裏口を指差す。
素直にしたがって裏口から外に出た左側にNARAWAT MOTELの裏口があった。
なんかややっこしいつくり。
再度そこにいた若衆に「部屋空いてるかな?」と聞いたら、上の階に向かってたぶん「フォリナーが来たけどどうしたらいい?」みたいなことを叫んでいる。
それがビルマ語なのかどうなのか、フォリナーという言葉しか聞き取れなかった。
階段から宿の主人らしい女性が降りてきて、きれいな英語で応対してくれた。
部屋は二種類見せてもらった。
ひとつはシャワートイレ共同の薄暗い部屋、これで8,000チャット。
もうひとつはシャワートイレ付きで多少は広い部屋で、しかもエアコン付きの15,000チャット。
「15,000チャットよりもう少し安くなりませんか?」と交渉をしたが、15,000チャットはローカルプライスでこれより安くならないという。
どうやらローカルプライスというのはビルマ人用の料金で、外国人はそれより高くなるらしい。
「うん、でも特別にこの部屋でも15,000チャットでいいわ」とまた別の部屋を見せてもらう。
こちらもシャワートイレにエアコン付き、しかも窓からの見晴らしも良い。
さっき切符を買った駅が見え、その先に地平線が広がっている。
「よし決めた、この部屋にするよ、支払いは今かな?」と聞いたら、明日の朝でよいとのこと、そして手続きのためパスポートは預けてほしいとのことであった。

さっそく、シャワーを浴びて、無料といわれたWIFIにアクセスしようとするが、WIFIにログインできてもインターネット接続ができないらしい。
それに携帯のバッテリー残量も減っているので、ここで充電しているうちに昼食をかねて町歩きをしてくることにした。
宿の1階にいた若衆に「WIFIはログインできるけど、インターネットにつながらない」と訴えたら、「よくあることでビルマではそれが普通だよ」と言われる。
納得。

宿を出てすぐのところでヤギがいた。
このあたりはモスリムの人が多いのかな?
やぎ

駅前の交差点から西に伸びる道は丘に登るような形になっている。その道を進むとすぐにパゴダが見えてきた。
まずはパゴダ参りでもしてこようか、、、
パゴダ1

地図も持っていないし、ガイドブックもない。
携帯電話も充電中で、それにあったとしてもネットにつながらないので、このパゴダが何なのかもわからないが、以前の知識としてビルマで金色のパゴダは由緒あるパゴダだけで、一般のパゴダは石灰を塗った白いものだ思っているので、このように丘の上にあって、金色をしているパゴダだからきっと有名なパゴダなんだろう。それにモーラミャインには有名なパゴダがあるとかの話を聞いたことがあるような気もする。
モーラミャインパゴダ1

ビルマのお寺の境内では裸足になるしきたりだったことを思い出し、手前の階段で靴も靴下も脱ぎ、カバンに詰め込む。
境内は裸足で歩いても問題ないくらいきれいなタイル張りになっている。しかし、白いタイルならまだ良いが、色つきのタイルは照りつける太陽光線でとても熱くなっている。特に黒いタイルなどは火傷しそうなくらい熱い。白いタイルを選び、日陰があればなるべく日陰に入るようにして境内を歩く。

モーミャインパゴダ2

なるほど、立派パゴダである。
さっそく額づいて拝み始める。
「妻の足が早く良くなりますように」と願い事をする。
別居中の妻は数年前から膝が痛いといってまともに歩けなくなってしまっている。
あちこちの病院へ行ったが、どこでも「骨や関節に異常は見られない」と言われ門前払いをされ、唯一整骨院だけが「ちゃんと通っていれば治りますから」と言われて通い続けているが、一向に改善されている兆しがない。私の見立てでは、CTなどの検査をして骨に異常がないとすれば、きっと更年期障害の弊害で、神経が変なところへ伸びてしまって痛むのではないかと思う。医者で治せないなら、仏にすがるのが手っ取り早い。もっとも、今まで手っ取り早くても、私が妻の足のことで手をあわせ、額づいて拝むなどということは一度もなかった。しかし、このまままるで歩けなくなって身の回りのこともできなくなり、私が介護しなくてはならないようなことになったら一大事なので、今回の旅ではあちこちで願掛けをして回ろうと思っている。

熱いタイルの境内を歩き回り、四方で願掛けをして回ったので、私の方が足の裏を火傷して歩けなくなるところであった。
境内の端に東屋があり展望台をかねていたので、涼みがてら入ってみる。
パゴダの丘より

おぉ、なんと見晴らしの良いことか。
ここからモーラミャインの市街地も一望だし、大きな川には貨物船も見える。
モーラミャインはビルマ南部の入り口で、また港町だと聞いたことがある。
第二次世界大戦中の泰緬鉄道も、カンチャナブリを経てこのモーラャインまで鉄路でつなぎ物資や兵員を運んでいたそうだ。
ただし、当時はモーラミャインから北、ラングーン(ヤンゴン)方面へはこの大きな川を渡る橋がなく、船に乗り換えなくてはならなかったらしい。
いまは鉄道も道路も橋で対岸につながっているので便利になっている。

ナット神
境内には仏様以外にもいろいろと像がある。
たぶんこれはナット神と呼ばれ、ビルマの土俗信仰の神様と思われる。
タイでもピーと呼ばれる精霊信仰があり、そのビルマ版だと思われる。
大学時代にこの手の東南アジアの土着宗教に関して講義を受けた記憶があるが、どんなものだったかはほとんど記憶に残っていない。
竹山道雄の「ビルマの竪琴」にもこのナットは登場していた。
映画では出てきていないが、児童向けに書かれた当初のストーリーは冒険モノの色合いがあり、水島上等兵が森の中か何かで土着の人たちに囲まれ、さて捕まって焼いて食われるか、煮て食われるかするときに、水島上等兵はとっさに「ナット、ナット」と叫んだところ、ナットを悪霊として恐れる連中から逃げることができたと言ったようなストーリーがあったと思う。これは40年くらい昔に読んだきりなので、細部は忘れてしまったが、そのナットに大学の講義で再会したので名前だけは記憶に残っていた。
しかし、この寺で見るナットは悪霊には思えないな。
ちょっと猫背だし。

力士?
こちらはさらによくわからない。
力士?
そんなわけないよな。

無事、モラミャインの名刹も参拝し、市街地側へ参道を下っていく。
屋根つきの階段になっており、お釈迦様の生前の物語ジャータカの絵が描かれている。
ジャータカ

パゴダの丘を下り、市街地に出た。静かなところで病院があったりする。
昨晩のバスの中でもらったお菓子を口にしただけで、まともに食事を摂っていないのでお腹も空いてきた。
道端に食事をさせる店が出ているが、屋台並みでなんだか食指が動かない。少しは小綺麗なところをと探していたら、涼しげな食堂を発見。
エアコンはないが、比較的店構えもしっかりしているし、入っている人たちの身なりも良い。
早速入ってメニューをもらう。
ぜーんぶビルマ文字。全く読めないし、料理の写真もない。
英語のメニューはないかと尋ねたところ、ヨレヨレのコピーを持ってきてくれた。
しかし、英語で書いてあっても、それがどんな料理か想像がつきかねる。
とりあえず、ビールが飲みたい。ビールはすぐわかった。
ミャンマービールと言うのがあり、1,600チャットとなっている。
料理はチャーハンならハズレはないだろうと思い、チャーハン類を見たら、タイ風とかマレー風とかがある。
タイは食べたくないが、マレー風なら良さそうだ。ナシゴレンは好物である。料金は1,200と1,500の2種類が書いてある。きっとブタかトリかエビかによって異なるのだろうと判断。せっかくなのでエビにする。

マレー風チャーハンだが、お皿の周りに薄くスライスしたキュウリやトマトを飾って演出してあるのだが、チャーハンものものは「どうしてこんなに油だらけなんだ?」と言ったくらいに油でギトギトになっている。ナシゴレンのパラリと軽いタッチとは程遠い。脂っこすぎることを除けば、食べられないほど不味くはないが、ナシゴレンをイメージしていたのでギャップが大きい。
エビも極小さな小エビで、カップヌードルに入っているエビくらいの大きさしかない。
ビールで口の中の油を洗い流さないと食べられなかったかもしれない。
今後この旅の期間中にはチャーハンを食べないことにしよう。

さて、空腹も収まり、周りを見回すと、お茶にしているグループがいる。
ミルクティーを飲んでいるようだが、インド風にカップからソーサーへ溢して、ソーサーに口をつけて飲んでいる。
これはタイでは見かけない飲み方だ。
私のようにビールを飲んでいる人はいない。

さて会計だが、私は3,600チャットくらいだろうと思っていたが、4,100チャットと言われる。
「あれれ、どうして4,100チャットなんだい?」と質問したところ、チャーハンは2,500チャットなのだそうだ。
メニューの金額と異なるけど、英語のメニューはだいぶ古そうだったから、実際には既に料金改定済みで、ビルマ語のメニューには新料金が記載されていたのかもしれない。
5,000チャット札を出したところ、1,000チャットのお釣りが帰ってきた。本当の金額はいくらだったのだろう?
昼食 マレー風?チャーハン+ビール 4,000チャット

再び麦藁帽子をかぶり川岸へ向かって歩き始める。
このあたりは住宅街のようで、比較的静か。井戸なんかがあったりして、井戸端で洗濯している人もいる。
夕方ころにでも来たら井戸端では沐浴している人たちを見ることもできるかもしれない。

桟橋
川岸にたどり着くとそこには桟橋があった。
そして船を待っている人たちがたくさんいた。
対岸へ渡る船着場になっているのかもしれないが、文字が読めない。
桟橋にいる人に話を聞くべきだったかもしれないが、船を待つ人も私も暑さにバテ気味。

茶色い川
川の色は茶色い。

タイの川も茶色いけど、ここまで茶色くはない。
きっと土砂の含有量がとても高いのだろう。
昔パガンのイラワジ川を泳いだことがあるが、あの時もこんな色の水だったような気がする。
特に岸辺が粘土のようで、川から上がって歩くのが大変だった記憶がある。

プロムナード
川沿いのプロムナードを北へ向かって歩く。
強烈な日差しを別とすれば、なかなかイイ散歩道である。
適度に並木が茂り、木陰を作ってくれているし、交通量も少ないので静かである。
メーチー
右手には先ほどのパゴダの丘も見える。
ピンク色の衣を着ている女性たちはタイでメーチーと呼ばれる女性出家者の集団だと思う。
ビルマもタイと同じ小乗仏教の国だから、女性は坊さんになれない。
ただお寺でお坊さんの世話をしたりする女性たちはタイでもよく見かけメーチーと呼ばれるが、衣はピンクではなく白である。
そういえば、ビルマのお坊さんの僧衣は茶色だが、タイはオレンジがかった黄色で、お坊さんの衣の色もタイとでは違いがある。
この女性出家者たちはみんな若いが、歳をとった女性もやはりピンクの衣を着るのだろうか?

火焔樹
ビルマの空はタイと比べて青い気がする。
バンコクあたりではスモッグのせいもあるかもしれないが、こんなに青い空をまず見たことがない。
青空をバックに咲き誇る火焔樹のオレンジの花が見事である。

やがて繁華街と呼べるようなところまで来た。
店が多くなり、行きかう人も慌しくにぎやかになった。
古い商店は薄暗く埃をかぶっているようだ。トラックへの積み出しをしている問屋のような店、携帯電話を売る店はタイそっくりで店の前では音楽を鳴らしてキャンペーンガールまで踊っている。
なんとなくおもちゃ箱をひっくり返した雑然とした面白さはあるが、なんだか落ち着かない。
華僑系の人たちが多いのだろうけれど、中国系もビルマ族もモン族もみな似たような顔をしているので区別がつかない。
そこへ行くとインド系の人たちはまるで顔かたちが違うのですぐわかる。
そしてモスリムの人も多いようで立派なモスクがモーラミャインの目抜き通りに聳えていた。
モスク

もし気の利いたレストランがあれば、夕食時にまた足を伸ばしてみようと思っていたのだが、このような繁華街でもレストランはほとんど見かけない。
中国料理の店はあったのだが、できればオーセッンティックなビルマ料理を食べてみたい。それもできればビルマ伝統音楽の演奏かなんかがあったりしたら多少高くてもいいかと思っている。
しかし、そんな店はぜんぜん見かけない。川沿いにリバーサイドレストランとでも名付けてもよさそうな店もあったが、どうも地元の若者が背伸びして入るような感じの雰囲気で、なんとなく夜になると騒がしいバンド音楽かなんかが演奏されていそうな気がして気が乗らない。

大きな市場があり、その市場の前にロバが引く荷車が止まっていた。
この荷車をタンガーといったと思う。昔は農村部で水牛や牛が大きな荷車を引いていて、都市部ではこのようなロバが引く荷車が軽快に走り回っていた。荷車といっても地方都市ではタクシーやバスの代わりに利用されており、私もパガンと隣町のニャンウーとの間で何度か利用したことがある。
タンガー

市場からは再び宿のある駅の方まで戻ることにする。帰りは川沿いではなく、町の東側を歩いてみる。
歩き始めて15分位したら丘の上に大きなパゴダが見えてきた。
あれれ、さっきは丘を下ってからずいぶんと川沿いを歩いてきたと思ったけど、実はこんなに近かったんだと勝手に合点してしまう。
そして、さっきは丘を南から登って、西側へ降りてきたから、今度は北側から東へ回り込んでみようと考える。
**

パゴダのある丘の北側にはなんとエレベータのようなものがあった。
さっきはまるで気がつかなかったけど、こんな設備があったんだ、、と感心しながら、さらに北側から回り込み、そして細い道へ分け入って東側へ丘を下ってみる。トラックなど交通量の多い通りを横切り、さらに東へ丘を下る。やがて遠くに鉄道線路が見えてきた。
ヨシヨシ、線路伝いに進めばすぐに駅に着き、宿も近いだろう。行きはずいぶん歩いたけど、帰りはラクラクだ。3時すぎには宿に着けるだろうから、そしたらちょっと昼寝でもしよう。

しかし、それからが長かった。
歩けど歩けど駅などないし、線路は高架になっていて並行する道もない。貧民屈のような集落の中を抜けたり、お寺の境内を横切ったりしながら、ひたすら歩く。草葺高床式の集落の中を歩くのはそれなりに面白かった。たぶんモン族の集落ではないかと思うけど、小屋のような家の中は丸見え。ほとんどの家にテレビがある。エアコンのある家(小屋?)などはひとつもない。軒先で料理をしている女性や昼寝をしている人など、このあたりの人の生活が見られて興味深い。

トラックが走る道へ出て、今度は素直に南へと歩く。
ビルマの運転手たちは車もバイクもやたらとクラクションを鳴らすようだ。
タイではこんなにクラクションを鳴らしたりしない。
こちらが道の端を歩いていても、通り過ぎる車という車、バイクというバイクがこれでもかというくらいクラクションを鳴らしていく。
これはあんまりいい感じがしない。

時刻も4時すぎになったところで長距離バス乗り場のようなところに出た。
さらに1キロほど歩いてようやく宿までたどり着いた。
いやはやずいぶんと歩いたものである。


部屋に戻るとWIFIでのインターネット接続ができるようになっている。
さっそくネットでモーラミャインの地図を見てみる。
おやおや、私はどうやらとんでもない見当違いをしていたようだ。
宿の近くにある丘の上のパゴダは"U ZINA PAGODA"となっており、そのはるか北側に"KYAIK TAN LAN PAGODA"というのがある。
どうやら私はその町の北はずれにあるパゴダを宿の近くのパゴダと勘違いして、ご丁寧に北側を回って歩いてきたことになる。
地図で見るとモーラミャインの町の外周を一周したことになる。

少し休憩をして、さっき参拝することなく北側を迂回してしまった"KYAIK TAN LAN PAGODA"と言うのがどうにも気になる。
地図で見た感じでも、宿近くにパゴダより数段大きそうだ。本当のモーラミャインの名刹とはこっちの可能性が高い。このまま参拝せずにモーラミャインを離れたら片手落ちになりそう。
時刻は6時前。まだ日没までには少し時間がありそうだ。もう一度あのもうひとつのパゴダへ行ってみる事にしよう。

今度はわき道に入らず、街道沿いに歩き始める。
しかし、このまま歩いたらやはり1時間はかかり、パゴダに着いたときには日が暮れてしまっていそうだなと思ったところでバイクタクシーが「乗ってけよ」と声をかけてきた。
「どこまで行くんだ?」
「ずっと向こうにある大きなパゴダまで行きたい。いくらだね?」
「なんというパゴダ?」
「名前は覚えてないけど、この道をずっと行った左側だと思う」
「よくわかんないけど、500から700チャットで行くから乗りな」
と言うことでバイクタクシーの後ろにまたがる。
さっき歩いた街道をスイスイ走り、左手の丘の上に大きなパゴダが見えてきた。
「あそこさ、あのパゴダに行きたい」

歩くのは大変だったが、バイクならあっという間に着いてしまった。
バイクタクシー 宿前から北の丘のパゴダまで 700チャット

バイクを丘のふもとで降りるとそこにもエレベータがあり、そのエレベータで丘の上まで一気に昇る。
係員はいるが別に料金など請求されなかった。
エレベータで昇る
宿の窓からも広々した大地が見張らせたけど、この丘からの方がはるかに遠くまで見渡せる。
北向き
さっきは暑い中あのあたりを歩いたんだよなと言ったことを丘から眺めながらなぞってみる。
下界の景色も良いのだが、やはりパゴダでお参りしなくては。
お願いすることはさっきと同じで妻の足のこと。

北の丘パゴダ

やはり、規模と言い、参拝者の数と言い、こちらのパゴダが数段勝っている。
そして、境内のあちこちにネコがいる。
猫

このネコは左右で目の色が違う。
しかし、片目は眼病にかかっているのか目やにを垂らしていた。目薬でも点してあげたいが、持ち合わせていない。
ネコ

寄ってきてなつっこい。
こうなるとなんだか心が痛むんだよな。
ごめんね、つれってってあげられないんだよ。
はやく目が治るといいね。
ねこ

境内にはネコだけではなく、ここでもヘンテコな像を発見。
かっぱ
なんかカッパみたいだけど、なんだろう?

モーラミャインの街を歩き回ったわけだけど、外国人観光客の姿などまるで見かけなかった。
しかし、このパゴダには何人もの西洋人が夕日を眺めに登ってきていた。
ゆうやけ

さて、暗くなる前にふもとへ下りることにしよう。
帰りは歩くとして、南斜面にも寺院やパゴダが連なっているようだから、南側を下ってみることにする。
南側

街道まで降りてきたら完全に暗くなった。
相変わらず行き交う車はクラクションを鳴らす。
暗い夜道を歩きながら携帯電話屋で乾電池を買う。
私のデジカメは充電式のバッテリーではなく、単三乾電池を4本使う。
経済的ではないけど、旅先で充電できなくても不自由しない。
しかし、ビルマではこの乾電池が結構高かった。
PANASONICとあるがMADE IN THAILANDと書かれてた。
乾電池4本 (2本セットを2組) 2,400チャット タイより高いかな

バスターミナルには日本の中古バスや韓国の中古バスがたくさん止まっていた。
中古バス
丹頂とネーミングされたバスははるばる北海道から来ているようだし、ハウステンボス行き特急と書かれた西鉄バスもあった。
中古とはいえ、まだまだ十分現役で耐えられそうにきれいなバスたちであった。
明日は汽車に乗るが、ビルマでこんな日本の観光バスに乗るのも悪くないかもしれない。

宿前まで戻ったときにはもういい加減いい時間になっていた。
夕食に市街地まで歩く気力もない。
さりとて、宿周辺にある大衆食堂は薄暗いし、食べ物も怪しそうで入る勇気がない。
さっき汽車の切符を買ったときに、駅構内の2階にCAFE & RESTAURANTと書かれていたのを思い出し、駅へといってみる。

階段を昇った2階に食堂らしきものはあった。
しかし、食事をしている客は西洋人が一人だけ、あとは従業員らしいのが数人テレビを見ていた。
こんなんじゃ旨いものを食わせてくれそうにないなと諦めて階下へ降りる。

駅のホームにはヤンゴン行きの夜行列車が出発を待っていた。
夜行列車
夜汽車というのはビルマでも哀愁を感じさせるものだ。
美味しそうな駅弁でもあればそれでも食べようかとも思ったけれど駅弁などは売っていなかった。

ホームのはずれ
ホームのはずれからはパゴダがライトアップされて輝いているのが見えた。

宿の方へ戻り、食堂を探す。
何か煮込んだものを入れた鍋を並べた食堂があるが、あんまり美味しそうに見えない。
味見したわけではないが、見た目で食欲がわかない。
隣の店ではビールを飲んでいる男たちがいる。
ビールなら飲みたい。
その店に入って何か食事も取れるかと聞いたら、「NO!」とのこと。
ビールを飲んでいる男たちも食事をしているわけではない。
ビルマでは食事のときにビールを飲む習慣はないのかな?

しかたなくもう一度駅へ取って返し、2階の食堂に入る。
食堂もどこも薄暗いのは当地の電力事情によるものと諦め、できればエアコンのあるところで食事をしたかったが、それはこの街では無理と悟った。
しかし、広い食堂の中で、客は先ほどの西洋人一人だけ、扇風機も天井からぶら下げられた一台だけ。
しかもけしからんことに、その扇風機の直下を占有しているのはテレビを見ている従業員たち。
客を優先するという発想はどうやらないらしい。
そしてメニューもなかった。

厨房から食堂の主人が出てきて注文を聞く。
ビールは冷えたのがあるという。
ただし、ビルマのビールはなくタイのシンハかチャーンの缶ビールだけとのこと。
うーむ、まぁ仕方ないかぁ、、、「シンハ1本」と注文。
食事は、昼に食べたチャーハンがやたらと油っこかったので、フライドチキンなら油も気にならないだろうと思い、フライドチキンとライス、そして野菜炒めを注文した。

缶ビールを飲み始めたら隣の西洋人が「こっちきていっしょにやらないか」と手招きする。
こちらもヒマなので缶ビール片手にお邪魔する。
初老の彼は現在中国のアモイに住んでいる英国人なのだそうだ。
彼なりの仏教の解説やら、諸悪の根源はアメリカにあるとか、中国人は金のことしか考えていないとか、いろいろと話しまくる。
こちらはもっぱら聞き役である。
きっと話し相手がほしかったんだろう。

彼が食べているのはチャーハンであった。
そしてやはり油がギトギトのチャーハンであった。
しかし彼は「ナイス」だと言う。
ヤンゴンから南下してきたところで、先週までヤンゴンはものすごく暑かったけど、今週なって雨が降り、だいぶ涼しくなったと教えてくれた。

私の料理が運ばれてきた。
しかし、注文と違う。
油ギトギトのチャーハンが皿に盛られている。
主人を呼んで説明を求める。
「私の注文したのはフライドチキンだよ」
「イエス、フライドチキン、インサイド ベジタブルズ、オールソー、インサイド」
うーむ、確かにチキンも野菜もフライドライスに入っているけど、私の完敗。
昼夜続けてギトギト油ライスとは、、、。
そして、チキンには骨がいっぱいあってちょっと食べにくい。

彼はこれからさらに南下を続けてドキュメンタリーを作る予定なのだそうだ。
彼の宿は私の宿と通りを挟んだ向かいにあるホテルとのことだった。
料金は25ドルとのことで、私の部屋が15,000チャットと言ったら、「それは安い。次回自分はそっちに泊まる」と言っていた。
チキンチャーハン 2,000チャット+缶ビール 700チャット 計 2,700チャット

彼と食堂を出て一緒に歩き、宿の前で別れた。
私はまだなんだか飲み足りない気もするが、油に負けて胃もたれもする。
少しスッキリしたものを飲みたいと思い雑貨屋でソフトドリンクを買う。
ペットボトル入りのMAX+というファンタオレンジのような炭酸飲料であった。
炭酸飲料 MAX+ 300チャット

もう一度シャワーを浴びてベッドに入る。
携帯電話の充電器をコンセントに差し込むが、ちっとも充電しない。
それどころかバッテリーの残量がどんどん減っていき、夜中前にはバッテリー切れを起こしてスイッチも入らなくなってしまった。


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