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ビルマ懐訪の旅 ③ビルマ2日目モーラミャインからゴールデンロックまで
5月16日 土曜日

午前5時に起きようと目覚ましをセットしておいたのだが、これが失敗であった。
目覚ましは5時になっているが、目覚ましそのものがタイ時刻のままで、腕時計を見るとまだ4時半。
ちょっと早く起きすぎたけど、これから二度寝したら寝坊しそうなので起きることにする。
まだ外は真っ暗。

携帯電話は一晩中電源につなげていたけれど、やはり充電できていないのか、電源が入らない。
せっかくWiFiがあるのに、何にもならない。
地図もガイドブックもないので、いく先々で訪ねながら情報を仕入れなくてはならない。
まぁ、本来一人旅なんてそうあるべきなんでしょうけど。

5時半過ぎに荷物をまとめて部屋を出る。
1階に下りたところにいた若衆にチェックアウトと告げたのだが、宿の外を指差し、どうやらそこにこの宿の本館があり、そこでチェックアウトをするらしい。
どうりでこの建物の1階にはレセプションがないと思った。

泊まっていた宿の斜め前にやはり宿があり、そこがやはり本館になっているようで、狭いながらロビーもレセプションカウンターもあった。
チェックアウトと告げると、係員が飛び出していってどうやら私の泊まっていた部屋をチェックに行ったようである。
その間少し待つように言われる。
ソファもあるので座って待てばよいのだが、この建物の前にもネコががいたので、「ネコに」じゃれついて遊ぶ。
うちのネコはちゃんと留守番しててくれてるかな?
バンコク出て二晩が過ぎネコのことが気になる。

係りが戻り宿泊料15,000チャットを支払い、預けたパスポートを受け取って駅へと向かう。
すでに外は明るくなっていた。
モーラミャインの宿泊料(Narawat Motel) 15,000チャット シャワー・エアコン付き

駅のホームにはすでに私の乗る列車が入っていた。
タイならば駅前に食べ物の屋台とかが出ているのが普通だが、このモーラミャイン駅には屋台もコンビニもなかった。
ホームで何か売っているが、私が食べられそうなものは売っていない。

私の乗る車両はアッパークラス1号車となっいる。
ビルマでは数字も我々が普段使うアラビア数字ではなく、ビルマ数字であり、私にはまだ読めない。
しかし、1号車と言うからには、一番前か一番後ろの車両のはずと思い、まずは一番前まで行ってみる。
号車番号はビルマ数字で読めないが、ドアの横にアルファベットで「オードナリークラス」となっていて、一番前の車両ではないようだ。
しからば後ろかとホームを戻ると、ロンジーの上にワイシャツを着た公務員風の男性が居て、私の切符を見ると私を乗るべき車両まで案内してくれた。さらに窓から手を突っ込んで、「ここが席だよ」と教えてくれた。

車内の座席は通路を挟んで二人がけと一人がけで、横幅も前後間隔もゆったりしているリクライニングシートで、白いシーツまでかけてある。
しかし、座席は相当に古く、痛んでいる。
肘掛のところに飛行機のビジネスクラスのようにテーブルの収納が付いているが、その収納の蓋を開けたがテーブルは壊れて引き出すことができなかった。

汽車
出発時刻は6時15分ということであったが、6時10分には動き始めてしまった。
定刻より遅れることは考えられるが、定刻より早く出発したら乗り遅れる人が出て困るだろうに、どうしたんだろう?
しかし、列車がホームを抜け切ってしまう前に停車した。
やっぱりフライングだったようで、そのまましばらく停車して、6時15分を待って再び動き出した。
駅名

ゆっくりと走り始め、やがて高架橋へ登り、進行方向左手には昨日夕方に登った北の丘のパゴダが見える。
車窓パゴダ
昨日はこのあたりを徘徊したんだっけ。

続いて大きな橋を渡る。
モーラミャインと対岸を結ぶ橋で、自動車の走る道路も並行している。
鉄橋
橋

満席ということはなく、空席も多い。
アッパークラスということで、乗客の身なりも良い。
私の座っている席の周辺はワイシャツを着ている人ばかりである。
やはり公務員なのだろう。書類に目を通していたりする。

話には聞いていたが、ビルマの汽車は激しく揺れる。
スピードはじそく40キロ程度で走っているのだろうが、時々シートから尻が20センチくらい飛び上がるほど上下に激しく震動する。
バッコン、バッコン、バッコンと規則正しく周期的に上下する。
アッパークラスでシートにクッションがあるからいいが、一般車の木のベンチだったら堪らないことだろう。
クッションがあるのは良いが、私の座っているリクライニングシートは背もたれが倒れっぱなしになっている。
寝そべるには良いのだが、寝そべったまま上下に震動して跳ね上がると、落ちてきたとき体勢が苦しい。
しかし、それも経験。なかなか面白い。
それによくもこんなに揺れて脱線しないものだ。

列車が揺れるのは、車両がボロイからだけではなく、線路の路盤の整備が悪いからだと思う。
路盤を固めて、砂利をしっかり敷き詰めれば、乗り心地は改善されるはずである。
そして私の見たところビルマの鉄道は今ずいぶんとがんばって路盤の強化をしているうに見える。
あちこちでたくさんの労働者が保線工事をしている。
それはまさに人海戦術と言った感じで、すべてが手作業で行われている。
重機もコンプレッサーもない。
線路端に積み上げられた砂利の山から籠に砂利を詰め、その籠を頭に載せて運んでいる。
砂利を敷き詰めるために線路を浮かすのはバールのようなテコだけである。
これではなかなか捗らないだろう。
昨日の東西経済回廊のように重機を使って保線作業をしたらばきっと鉄道での輸送力も大幅に改善するだろう。

車窓
車窓からの景色を眺めているのは楽しい。
特に美しい景色が広がっているとかというよりも、そこに住んでいる人たちの生活をのぞくことができるので面白い。
大きな街はなく、小さな集落がいくつも車窓を流れていく。
小さな集落でも、村の中の道を歩いている人は多い、このあたりの人たちは建物の中に入っているより、戸外にいる方か多いのではないだろうか。
子供たちもたくさんいる。
昔のままの「明るい農村」と言った感じがする。

牛車
以前は地方ならどこでも見かけた牛が引く荷車が、ずいぶん減ったなと思っていたが、まだまだ農村部では少なくなったとはいえ現役であるようだ。

途中の駅で貨物列車とすれ違う。
タイの貨物列車は現在ほとんどコンテナ車かタンク車ばかりだけれど、ビルマの貨物列車は昔ながらの有蓋貨車や無蓋貨車を連ねていた。
もっとも、貨物列車で大きなコンテナを運んできても、このあたりにはコンテナを積み降ろしする重機もなさそうだから、コンテナ輸送ができるようになるにはまだ時間が少しかかりそうだ。
貨車
貨物列車かと思ったら、有蓋貨車にはベンチがあって人もたくさん乗っていた。
このあたりの人たち用の汽車なのだろう。

お腹がすいた。
車内の通路を物売りが行き来するのだが、食事になりそうなものは売っていないようだ。
他の乗客たちは弁当持参で乗り込んでいる。
私は食べ物がない。
やがてトウモロコシを籠に入れ頭の上に担いでいる女性が来たので呼び止めて一本購入。
熱々のトウモロコシ 200チャット
トウモロコシは黄色く粒もそろっており、ずいぶんと改良された品種のように思える。
しかし、塩水で茹でたものではないらしく、塩っけがまるでないので、味が薄く感じる。
素材の味は悪くないが、ここで少し塩でもまぶしてあれば、もっと甘みも引き立つのに、、ビルマでは塩を使わないのだろうか?

ビルマの女性は者を運ぶときに頭に載せるのが一般的なようだ。
このトウモロコシ売りの女性もトウモロコシの入った籠を頭に載せて通路を行き来している。
籠を頭に載せているから、首を振るわけにいかないのだろう。
左右の客席を見回し、買いそうな客がいないかと探すときも背筋を伸ばし、首から上を固定したまま、目だけキョロキョロとよく動かしている。
それがなんだかバリ島の民俗芸能を踊るダンサーの目配せの仕方に良く似ているなと感じた。

トウモロコシだけではなく、途中駅に停車したときにはデッキからピーナッツを飴で固めたような円盤型のお菓子を買う。
いくらなのかもわからないが、高いものではないだろうと思い、一枚摘み上げて500チャットを渡したら、もう3枚手渡された。
つまり4枚で500チャットと言うことなのだろうか?
味は飴で固めたといっても甘すぎず、少ししょっぱいくらいなので、なんとなくスーパーの惣菜コーナーで売っている「ピーナッツ味噌」に似た味がした。
私は子供のときピーナッツ味噌が好きだった。
もっとも飴で固めているのでかなり硬く、食感は固焼きせんべいである。
ピーナッツの飴固め煎餅  500チャット (4枚)

通路を挟んだ隣の公務員風の男性からバナナを2本いただく。
台湾バナナのように細長くて大きい品種のもので完熟で香りもよく甘かった。
タイでクルアイホームと呼ばれる品種のようである。
私がお腹をすかせているのがバレてしまったようだ。

10時半過ぎに「チャイトー駅についたよ」とバナナをくれた男性が教えてくれた。
急いで荷物をまとめて列車から降りる。
時刻表も持っていないし、文字も読めない、社内アナウンスもないから、そろそろ着くかなと思っていたけど、こうして教えてもらわなければ乗り過ごすところだった。

ホームから階段を昇ったところに古めかしい駅舎があり、駅前広場はただの空き地と言った感じだが、乗り合いトラックが止まっている。
そのトラックの車掌が手招きして「キンプン、キンプン」という。
そう、確かゴールデンロックの入り口の村の名前がキンプンだったはず。
すでにほぼ満席ながら、先に乗っている人たちに詰めあってもらってベンチに座ることができた。
チャイトーからキンプンまで乗り合いトラック 500チャット

きれいな舗装道路を30分ばかり走ってキンプンの村に到着。
時刻はまだ11時過ぎ。これなら今日中にゴールデンロックの見学がして来れそうだ。
それに今日中にゴールデンロックへ参拝して、明日も今日乗ってきた汽車にチャイトーで乗れば、バゴーまで2時間くらいだろうから明日の午後はバゴーの観光もできそうだ。
今回はスケジュールがとても順調に進んでくれている。

今晩はこのキンプンの村に泊まる事にして、まずは宿を探さなくては。
乗り合いトラックを降りたところから、舗装された道路が奥へと続いています。
観光地らしく道路の両側には観光客相手の店や食堂が並んでいます。
やたらと熱心に呼び込みをする食堂もありますが、今はもう空腹ではないので宿探しを優先させます。

まずは一軒、左手にAir-Con ゲストハウスと書かれた宿が見えましたが、あまりにも外国人バックパッカー御用達みたいな感じがして敬遠。
そのままスタスタと行き過ぎます。
500メートルも歩いたところで舗装はなくなり、土の道となりました。
そして森の中に入っていく感じで、この先に適当なホテルなどなさそうです。
ふたたびトラックを降りたところまで戻り、何軒か宿を見つけましたが、ことごとく「ノー・フォリナー」「ローカル・オンリー」と断られてしまいました。
ビルマでは外国人を止めることができない宿泊施設があることを知りました。
しかし、外国人を泊めないなら英語の看板でHOTELなんて書かないでほしい。
ビルマ文字だけで十分なはずなのに。

なんども行ったり来たりし、そのたびに食堂の呼び込みに声をかけられ、「あとでねぇ」と日本語ではぐらかしていたら、西洋人の若い女性が前から歩いてきた。
そして先方から「ハーイ」と声をかけて来た。
宿を探している旨伝えると、「自分が泊まっている宿は8,000チャットと安くて、快適だよ。バスルームはすごくシンプルだけどね」とさっき私が敬遠したゲストハウスを紹介してくれた。

Pann Myo Thuというゲストハウス。
主人に部屋はあるかと聞いたらあるという。
トイレとシャワーは共同とのことで、値段は9ドル。
9ドルが8,000チャットなのか良くわからないが、これ以上宿探しをして時間を無駄にしたくないので、ここに決めた。
部屋は「うーん、バックパッカーたちはこんなところに泊まるんだな」と思うような狭い部屋で、壁はベニヤ板。扇風機はあり、網戸はない。
テレビも冷蔵庫もない。ま、いらないけどね。
しかし、WiFiはあるのだそうだ。しかし携帯が壊れて使えないけどね。
ベッドのシーツは白くなく、日本の子供用シーツなのか日本の電車のイラストがプリントされたものであった。Train in Night Skyと書いてあった。
キンプンのゲストハウス Pann Myo Thu 9ドル (エアコンなし、トイレ・シャワー共同)

宿の主人から明日はどうするのかと聞かれ、「バゴーに行くつもりだ」と答えたら、「それなら自分のところでバスの切符を用意できるよ」とのことだった。
しかし、私はまたさっき乗ってきた列車でバゴーへ行こうと思っていると伝えたら「オー、セーブ・マネー」と言われてしまった。
「イエス、セーブ・マネー、アンド・ダンシング・イン・トレイン、ベリー・フォニー」と答えたら笑われた。

この宿で気に入ったのは、宿のまわりにネコたちがたくさんいるということ。
そしてビルマのネコたちは働き者である。
ちゃんとネズミを捕まえてきている。
ネズミ捕り
いまどきの日本のネコでネズミを追い回すようなのがどれほどいるだろうか?
我が家のクロネコはネズミを捕まえたことはない。小鳥やヤモリ、トッケーは時々くわえて来る。

さて寝床も確保できたので、ゴールデン・ロックを目指すことにする。
乗り合いトラックから降りた場所へ戻り、広場に観光バスが何台も止まっていた。
ゴールデン・ロックへ行くバスは大型トラックだというから、これらの観光バスではなさそうだ。
そんなバスの中に一台、以前ラングーン(ヤンゴン)の街を走っていた古い市バスが大きな合歓の木の下に止まっている。
昔のバス
当時でも相当に古くてボロボロだったが、このバスは綺麗に塗り替えられている。きっと観光用なのかもしれない。
観光用

小腹もすいたので広場脇の屋台でモヒンがーヌードルを食べる。
白いビーフンの麺のモヒンガーと中華麺で北タイのカオソイに似た麺とがあったが、中華麺を注文する。
このヌードルの名前はカオスエと言うそうだ。やはり北タイのカレーヌードル、カオソイの祖先なのだろう。
小さなどんぶりで、黄色いカレーのようなスープがかかっているが、カレーのように辛くはなく、私はここに唐辛子ペーストとハーブ類をいっぱい入れて食べた。
汁のあるヌードルだが、日本のラーメンなどのように熱々ではない。
すごく美味しいというものではないが、ギトギト油でないだけ食べやすい。
これだけでは食べたりないので、テーブルの上にあった揚げ豆腐のようなものを指差し、これも食べてみたいと伝える。
揚げ豆腐をハサミでチョンチョンと一口大に切り刻み、野菜や唐辛子と一緒に捏ねる様に混ぜ合わせる。
タイ料理のヤムのような感じである。
味の方もやっぱりヤムに似ていてライムでしめてある。
こちらはちょっと衛生面で気にはなったが、味は良かった。ビールのツマミになりそうなのだが、これからゴールデン・ロックへ参拝するのだから飲んでるわけには行かない。
値段も屋台だけあって安かった。
カレーヌードルと豆腐のヤム 800チャット

ゴールデン・ロック行きトラック乗り場は、通りを挟んで広場とは反対側にあった。
4トン半くらいの中古トラックの荷台に狭くベンチを何本も並べてたバスだ。
私の二列前には先ほどの若い西洋人女性が、座ってビルマの若い坊さんと英語で話している。
満員になったら出発するシステムのようなのだが、だんだん席がふさがってきて、前後左右の人と密着しなくてはならないくらいお客を詰め込むようだ。
西洋人女性が若い坊さんに、「私がここに座っていてはいけないんですよね」と聞いている。
たぶんガイドブックか何かで小乗仏教の坊さんに女性が触れるとそれまでの修行がお釈迦にになると知っているのであろう、盛んに気にしているが坊さんは「ノープロブレム」と言っている。
しかし、一緒に乗り合わせた年配の僧侶から咎められ、彼女は後ろの席に移っていった。そしてこれでもかというくらいお客を乗せたところでようやく出発。
キンプンからゴールデンロックまでのトラックバス 2,500チャット

事前にいつくかネットで見た旅行記では、このトラックバスはまるでジェットースターのようだと書いてあるものが多かった。
車酔いして吐いてしまう人も続出らしいが、実際乗ってみた感じはジェットコースターまでは行かなくてもなかなか激しい乗り心地。
私はさっきもっと激しく上下に震動する汽車に乗ってきたので揺れに関する感覚が鈍っているのかもしれない。
周りのビルマ人たちも車酔いしている人は見かけなかった。
むしろこの乗り心地を楽しんでいるかのようである。
このトラックバスに乗っている人たちは狭い環境の中でスマートフォンを使って写真を撮りあっている人がたくさんいる。
ビルマの物価や人件費から考えてスマートフォンをビルマの人たちが買うのは大変なことだと思う。
それでもこうしてスマートフォンを持っている人が多いということは、みんな無理してでも買いたいのかもしれない。
それとゴールデン・ロックはビルマ随一の観光地でもある。こうしてここへ来れる余裕のある人たちにとってはスマートフォンくらい大したことがないのかもしれない。
チャイトーからキンプンまでの道筋でも黄色いスポーツカーを見かけた。
ビルマにも富裕層が増えているのだろう。

クネクネと山道を登っていると標高が高くなるにしたがって涼しくなってきた。
ネットの情報では外国人は途中で降ろされてそこから一時間くらい山道を登らなくてはならず、お金があれば籠に乗ることもできるとあった。
このくらい涼しくなったら山道をハイキングがてら登ってみるのも悪くない。
下界の展望が開けたところからは大きな川とその河口が見えた。シッタン川だろうか?
やっぱり茶色い色をしている。
やがて霧が出てきて、下界の展望は望めなくなった。
霧

トラックバスは途中検問のようなところに2ヶ所ほど停車し、私を登山道の前で降ろすことなく頂上まで上り詰めた。
霧が深い。
下車した人たちはぞろぞろと参道を奥へ向かって歩いていく。
私は道端でスイカを切って売っていたので、それを買って立ち食いしたので少し出遅れる。
しかし、スイカは冷えておらず、また少し傷みかかっていてあまり美味しくなかった。
スイカ一切れ 100チャット

キンプンと同じで道の両脇に観光客向けの店が並んでいる。
ただし、キンプンとことなりこちらにはホテルも何軒か並んでいる。
こんな山の上に宿をとれば夕日でも朝日でも眺められるだろうし、星空の下にライトアップされたゴールデン・ロックも眺められたかもしれない。
多少高くてもこのあたりにとまる価値はありそうだ。

右手にある事務所で入場料を集金され、首からかける紙のカードを渡される。
見学中は入場料払い済みの証明として身につけておく必要性がありそうだ。
「入場料を払いなさい6,000チャット」と言ったことが各国語で書いてある。
きっとズルをする人がいるんだろな。
ゴールデン・ロック入場料 6,000チャット

途中からやはり履物を脱がなくてはならない。
太陽が照り付けているわけでもないので裸足になっても足の裏は熱くない。
道端のあちこちに落書きがされてある。
ほとんどがビルマ文字なので何が書いてあるのかわからないのだが、きっと「だれそれ参上!」みたいなものが書いてあるのではないだろうか?
ここは観光地であるだけではなく、ビルマの人にとって聖地のようなところだから、日本人が寺社の山門などにお札を貼り付けるのと同じ感覚なのかもしれない。

ゴールデン・ロック1
見えてきましたゴールデン・ロック!
30年前には観光ポスターで見たことがあったが、当時はここまで上ることがほぼ不可能で、当時の英文のガイドブックでも「リスキー」ト書かれていた。
当時は外国人のビザは1週間しか滞在が認められず、ラングーン(ヤンゴン)からキンプンまでも大変時間がかかり、さらにその後は巡礼者に混じって山を登らなくてはならないので、天候に恵まれるなど、よほど条件がそろわなくて訪れることが不可能とされていた。
それが今は半日で見学できてしまうのだから隔世の感がある。
ゴールデン・ロック2

確かにこのゴールデン・ロックは微妙にバランスをとりながら大きな岩の上、それも隅っこのほうに乗っかっているが、近くでよく見ると危なっかしさはあまり感じず、結構堂々としている。
ちょっとくらい押してもビクともしない感じだ。
これは30年以上前、韓国の雪岳山へ登った時、フンドルバウィと言う巨岩があった。
この岩はバランスが悪く、相当の巨岩ながら両手で押すとグラグラと揺れた。
しかし、ゴロリと転がるほどではなかったので、きっとこれもバランスの問題だったのだろう。

このゴールデン・ロックを押してもグラグラすることはなさそうだが、触ることは可能らしく、金箔を貼り付けている参拝者がいる。
私は金箔を持っていないが、ゴールデン・ロックに触れてみることにする。
この巨岩の前には警備員風がいて、荷物はその場において近づけという。
カメラもダメで身一つだそうだ。
それに従い、私も巨岩の前に膝まづき、手を合わせて拝む。
またまた妻の足のことをお願いする。
そのまま地面に額づく。
手のひらで金箔まみれの巨岩をさする。
額を巨岩に押し当てる。
信仰の対象となっているだけあるのか、なんとなく霊験あらたかな感じがする。

こんどは少し巨岩から離れたところへ移動し、そこからじっと眺める。
ひっきりなしに参拝者が来る。
スマートフォンで写真を撮る。
ビルマでも自撮りする人が多い。
自撮り棒は中国人観光客だろうか?
西洋人も何人か見かけた。
そのうちに霧が晴れてきた。
霧が晴れる

私のカメラは古いカメラで、自撮りなどできないし、三脚も持っていない。
ゴールデン・ロックの前で写真を撮りあっているグループがいたので「すみませんが、シャッター切ってください」とお願いする。
快く了解してくれてカメラを受け取り、ファインダーののぞき方やシャッターの場所を教える。
そしてカメラを構えたところ、そのグループの何人かが私の周りに集まって、一緒に写真に納まった。
彼らのカメラでも私はモデルになっていた。
モデル

まったく見ず知らずの日本人と記念写真撮ってもどうにもなんないだろうけど、土産話くらいにはなるのかもしれない。
しかし、あとで画像を確認したら私たちはちゃんと被写体として写っているものの、肝心のゴールデン・ロックがほとんど隠れてしまっていた。

逆光
霧にかすむゴールデン・ロックよりも太陽の光に輝くほうが迫力がある。
それに逆光で見上げるのも悪くない。
このゴールデン・ロック、全体が金箔に覆われているけど、崖側のほうはどうやって金箔を貼ったのだろうか?
足場でも組んで、何年かに一度張るのだろうか?

先ほど私の額をゴールデン・ロックに押し当てたからだろうか、額を手でぬぐったら手に金箔の欠片が着いた。
額には金箔がこびり付いていたらしい。
これもご利益になるのかもしれない。いいことあるかも。
裏側

ゴールデン・ロックも十分堪能したし、願い事もしたので、そろそろ下山することにした。
元来た参道をトラックバス乗り場へと歩く。
ちょうど夕刻のためか、これからこの山の上の宿に泊まろうとする宿泊客が上ってくるのに何組か出くわした。
ある人たちはスーツケースを引きずって、参道を登ってくるし、ある人は運び屋に荷物を運ばせている。
運び屋の荷物の運び方は、背負子を使っているのだが、背負子の使い方が日本人やタイ人とは異なっている。
日本人なら背負子は当然肩に背負うものだが、ビルマの運び屋たちは背負子の紐を肩にかけるのではなく、額にかけて背負っているのである。
ヒマラヤあたりのシェルパもこのように額に紐がけをしていたし、台湾の山岳民も同じであった。
この方が彼らにとっては楽なのだろうが、よほど首が丈夫でなければできない芸当である。

宿泊客の荷物を運ぶ運び屋だけではなく、何か建物でも工事しているのかレンガを運ぶ人たちもたくさん上っている。
それも若い女性が多い。
彼女たちは巨大なまな板のような板の上にレンガを20個くらい積み上げ、それを頭に載せて運んでいる。
レンガひとつが1キロくらいとして、大変な力持ちである。
それにそんなに重たいものを頭に載せて運んだら首が縮まってしまうのではないかと心配になる。
(首長族もビルマ出身だから、重いものを運んでも首が縮むことはないのかとも思う)

下山するトラックバスでも先ほどの西洋人女性と一緒になる。
「明日はどこへ行くの?」と聞いてきたので、バゴーへ行くと答えたら、
「バゴーだったらサンフランシスコってゲストハウスが良かったわよ。フレンドリーだし、リーゾナブル。私はそこで自転車を借りてバゴーを見て回ったんだけど、それが良かったわ。あとで行き方教えるわね」と私の宿の心配までしてくれた。
彼女はドイツ人だそうで、英語が話せる。
私が「英語は苦手なんだよ、40年前から英語を勉強してるのにこのざまだからね」と言ったら
「英語なんて簡単なのよ、アルファベットもドイツ語と大体同じだからね」と言われる。
彼女にとって英語はドイツ語と似てて簡単かもしれないけど、私にとって英語は40年来苦しめられ続けている存在だ。
そのほかにも「バゴーには大きな寝釈迦仏があってね、それが不思議なことに目の色が青いのよ、肌も白いのよ。それと大きなヘビのいるお寺もあるんだけど、そのヘビはものすごく大きくて、そうね5メートル以上はあるの確かだわ、お腹の周りなんかこんなに太いのよ」と言って両腕を胸の前に抱えてヘビの太さを表現していた。
トラックの荷台がお客さんでいっぱいになるまでしばらく待たねばならず、斜め前に座った彼女は動き出すまでずっと後ろを向いて話し続けていた。
下りのトラックバス ゴールデン・ロックからキンプンまで 2,500チャット

下り坂
下り坂の方がスピードも上がるのでよりジェットコースターの感じに近いかもしれない。
それにトラックの排気ブレーキによる「ゴゴゴー」という音が響いてより迫力がある。

キンプンの村へ降りてきたら夕方5時になっていた。
ゲストハウスに戻って水浴びをしようと共同のシャワールームへ行き、扉を半開きになっている扉を押し開けたら、小学生低学年くらいの姉とまだ学齢に達していないくらいの妹のビルマ人の女の子二人が水浴びの最中であった。彼女たちはケラケラケラと笑って扉の後ろに隠れた。
おっとこれは失礼、「ごめんねぇ」と日本語で謝って、部屋に戻り彼女たちの水浴びが終わるのを待つ。

バスルームも私の順番になったようで、こんどは扉が全開している。
バスルームとは言っても風呂があるわけではなく、水のシャワーがチョロチョロと出る程度、床も壁もコンクリートの打ちっぱなし。
シャワーを使うより、同じバスルーム内にあるやはりコンクリート製の水タンクに水が張られており、その水を桶ですくってかぶった方が気持ちがいい。
バシャバシャと頭から水を浴びて沐浴を済ませる。

夕涼みがてらキンプンのメインストリートを歩いてみることにする。
ゲストハウスの前ではネコの親子がいた。
親子
子猫たちはお母さんネコにおっぱいをもらっている。
私も今晩の夕食をどこで食べるか決めなくては、、、。

昼から何度も往復した道だが、奥へ行けば行くほど店の中が薄暗くなっていく感じで、夕食にふさわしい店がなくなっていく。
ゲストハウスを出る前に宿の主人に携帯電話が壊れてしまったけど、どこか修理のできる店はないかと質問してみたのだが、
「チャイトーの町まで行かなくては携帯電話屋はない」とのことであった。
携帯電話も使えず、適当な食堂も見つからないままウロウロするばかりでは仕方がないので、夕食は盛んに客引きをしている食堂へ入ることにした。

ここでは頼まずとも英文のメニューが出てきた。
できますものは英文で料理名が書かれていても内容がさっぱりわからない。
店の人が店頭に並べている鍋のところへ私を引っ張っていき、鍋の中身を説明してくれる。
「これは豚のカレー、こっちは鶏のカレー、こっちはマトンのカレー、、、、」とビルマ風の煮込み料理が並んでいる。
しかし、どれも焦げ茶色で、見た目があんまり美味しそうに見えない。
鍋の中身など見ないで注文すれば、皿に盛り付けられて、少しは見栄えもイイのかも知れない。
結局決めかねて再びテーブルでメニューを眺め、フィッシュボールカレーというのを注文した。
メニューによれば、1,200チャット。
ビールはミャンマービールしかないそうだが、それでも結構なので一本注文。
フィッシュボールカレーもやはり店頭の鍋から小さなアルミの皿に盛り付けて盛ってきてくれた。
ミートボール程度のが三つほど入っているだけだ。
ライスやハーブ類の盛り合わせ、発酵した納豆風の豆、スープな定食風に何品か並ぶ。
作り置きの鍋からよそってきただけなのでフィッシュボールカレーは冷えている。
やはり油が気になるが、不味くはない。
ライスも熱々ではないが、チャーハンのように油でギトギトしていないだけありがたい。
ライスはお替りまでしてしまった。
満腹、満腹。

この食堂で少し離れたテーブルに日本人の若者二人が食事をしていた。
この二人、一緒に旅をしているのではなく、またまたこの地で出会っただけのようで、旅の情報交換などをしている。
二人ともビルマだけでなく、世界のあちこちを放浪している最中のようであった。
まだ学生さんなのだろうか、日本に帰ったらどうするのだろうかなどと私はひとりで想像する。
昨日の私を見ているようだと思いかけたが、昨日どころじゃない。30年も昔の私だ。
むしろ、私の息子の世代である。

お腹がいっぱいになったが、まだ何か飲み足りない。
もう少しアルコールが飲みたいが、ミャンマービールばかりもう一本飲む気はしない。
以前ビルマに来たときは、ビールなど国営ホテルなどのバーに行かなくては飲めず、街中の商店などでは手に入らない貴重品だった。
銘柄はマンダレービールというものだけであった。
当時は一度だけ飲んだことがある。
パガンの国営ホテルのテラスで、、、
パガンの遺跡で出会った桜井さんという年配の紳士にご馳走になった。
桜井さんはキリスト教関係の役員をされておられ、ビルマでも協会訪問をされているところだそうだ。
それに戦時中は将校としてビルマにいたそうである。
あの時飲んだマンダレービールはえらく美味しかった。
ビールの味がそれほど美味しかったのかどうかははっきりしないが、40度近い暑さの中、遺跡めぐりをして、白いテラスで冷えたビールは最高だった。

そうだ、だからマンダレービールを飲んでみたい。
しかし、この店にはないという。
ほかを探してみることにしよう。

「お会計」と声をかけたら「3,800チャット」と言われる。
あれれ、ちょっと計算がここでも合わないなぁ「え?どうして3,800チャットなの?」と質問したら、メニューをひとつずつ指差しながら説明してくれた。
「フィッシュボールカレー 1,200チャット、ライスは300チャットだけど、2皿食べたよね、そしてビールは2,000チャット、しめて3,800チャットね」
うーん、ライスが別料金で一皿300チャットとは、、、それにメニューでビールだけは金額が空欄になっている。
2,000チャットが妥当かどうかわからないが、とにかく3,800チャットを支払う。
夕食(フィッシュボール・カレー定食+ビール) 3,800チャット

同じく呼び込みをしている隣の食堂を覗いてみる。
「マンダレービールはあるかな?」
「ミャンマービールがあるよ、さぁ奥へ入って、なに食べる?」
「ごめん、じゃいいんだ」

ダメなのかな、今のビルマにはタイのビールかミャンマービールしかないのだろうか?
諦めて、今夜は早めに寝てしまおうか、、、とゲストハウスへ戻りかけたとき、薄暗いを通り越してほとんど暗闇のような食堂のカウンターに褐色の液体の入ったビンを並べた食堂が目に入った。そうそう、ビールでなくて、もっと度数の強いのが飲みたいんだな。店は穴倉みたいで、たじろぎそうだけど、ビルマのスピリッツを飲むにはこれもひとつのムードだろうと、アルコールが絡むと私は意地汚くなってしまう。
果たして褐色の液体はミャンマーウイスキーだと店の人は言った。
ブランド名は"Grand Royal"たいそうな名前であるが、それもいい。
小さな小瓶を注文したら、チェイサーとして大きな水のペットボトルを持ってきてくれた。
つまみにハーブと生野菜の盛り合わせも、、、悪くないじゃん。
ミャンマーウイスキーはスコッチなどとは程遠い味で、タイのウイスキーから甘ったるさを取ったような味である。
辛口だけど、飲み口は悪くない。クピクピいける。
アルコール度数は40度くらいだろうか、さっきまで満腹だったのに、アルコールが胃を刺激するのか、なんだかもう少し食べたくなってきた。
「なにかヌードルを持ってきてよ」と注文したら、焼きそばを作ってくれた。
しかし、これもやたらと油がきつい。
皿を傾けると油が流れるのが見えるほどだ。
この店にもネコがいて、焼きそばの中に入っていた油まみれの炒め卵を取り出して分けてあげたが、ネコは臭いを嗅いだだけで食べようとはしなかった。
ネコもやっぱり油っこすぎるのは好きではないのか、それとも空腹ではないのか、しばらく私の足の周りに擦り寄っていたが、そのうち見えなくなった。
小瓶ではあったが飲み干すことはできず、飲み残しのミャンマーウイスキーをポケットに入れてゲストハウスへ戻り寝ることにする。
もういい時間だ。この店も店じまいの時間のようだ。
ミャンマーウイスキと焼きそばの夜食 2,500チャット(満足度高い)

つづく

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