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一時帰国
9月29日から10月3日まで、東京の家へ帰っていた。
今回の一時帰国の目的は、税金関係の手続きと墓参り。
墓参りは毎度一時帰国をしていれば朝に夕にと一日に2回も墓参りをしてきているけれど、墓参りをする小平霊園では毎年10月1日に慰霊の合同献花式と言うのをやってくれている。
以前にも一度参加したことがある。
13回忌さえ何もしてこなかったので、せめてこういう式典に便乗させていただこうと考えたわけ。

今回も台北経由の中華航空だけれど、いつもと比べて台北での乗り継ぎが良くなって、当日中に成田行きに乗り継げて、朝出れば夜には到着できるようになっている。
その代わりバンコクの出発は朝早く、6時前のエアポートリンクに乗らなくてはならない。
そのエアポートリンクの駅まで、歩けば30分ほどなのだけれど、今回はスーツケースに本をたくさん詰め込んで、重さが30kgを越えている。
重たいスーツケースを引っ張っていくのはことなのでタクシーを利用したが、朝の早い時間はタクシードライバーの交代時間なのかやたらと乗車拒否に遭って、なかなか乗れなかった。
バンコクのタクシーは値段が安いけれど、乗車拒否は改善してほしい。

バンコクの空港でさっさとチェックインを済ませて、中華航空のラウンジへ一目散。
サラダを丼いっぱいいただき、飲茶やスープもいただく。
ここのスタッフたちとももう顔なじみ。
パートンコーを食べながら、「あったかい豆乳があるといいよね」と言ったら、冷蔵庫に入っているパックの豆乳を温めてこようかと言ってくれる。
こういうのが嬉しい。

サラダ
[サラダは常にきちんと盛り付けられていて、新鮮な感じが嬉しい]

ラウンジしっかり食べたけれど、機内食もしっかりいただく。
本日のメニューは白身魚の餡かけとチャーハン、温野菜がメインで、前菜はポテトサラダ、デザートはフルーツとココナッツゼリー。
白身魚の餡かけにはガーリックフライがこれでもかってほど入っている。
これを食べた機内の人が吐く息で、機内は相当ニンニク臭くなっているはず。
でも、自分も食べているので、どのくらい臭いかよく解らない。

機内食はチャーハン
[ニンニクは嫌いな人もいるので控えめにしてほしい]

機内ではテキストだけだけれどWiFiが使える機材だった。
ネットサーフィンとかは有料でアクセス権を買えば使えるようだけれど、仕事のメッセージをやり取りするには無料のテキストだけで十分。
しかし、これも善し悪しで、飛行機の中でも仕事のメッセージに追われることになった。

飛行機に乗る前も乗ってからもずいぶんと食べているけど、ちょっと口さびしくなったのでスナックが欲しいと言ったらば、ミックススナックの小袋を3つもくれた。
パッケージの色はピンク色。
いつもは青い色をもらっていたが、中身はおんなじでエンドウ豆ばっかり。
しかし、私は黒いパッケージはビジネスクラス用でアーモンドとかが入っていることをしている。
こんな小さなことでもエコノミーとビジネスでは待遇が違うようだ。
それから、スナックの小袋だけでなく、頼みもしないのにトランプを二箱ももらってしまった。
一人暮らしで、トランプで遊んでくれる友人もいない身でトランプをもらっても仕方ないけど、有難く頂戴しておく。

スナックとトランプ
[トランプなんてもう何年も遊んでいない]

台北の乗り継ぎでは、第二ターミナルのラウンジに入ってみる。
第一の方がゴージャスな雰囲気があるけど、第二は明るく、そして食べ物がおいしい気がする。
特に翡翠餃子が美味しい。
お酒の充実度はおんなじ。
お酒では梅酒がある。
台湾の人は梅酒好きが多いのだろうか。
また、今日は中秋節なので月餅もお月見団子のように皿に盛られている。

ラウンジのバー
[飾り気はないけど、飲み物は充実している]

乗り継ぎ時間は3時間。
その間もメールやらの仕事をこなす。
しかし、片手には高級なお酒の入ったグラスを持ちながらだから、まじめに仕事しているとは言えない。
きっと誤字脱字ばかりで、意味不明なメールになっていることだろう。

台北からの飛行機の中でも月餅をもらった。
一口サイズの小さな月餅。
実は明後日、10月1日に息子と新宿で会う約束をしている。
息子は彼女もつれてくるという。
以前ネコの本をプレゼントされており、お返しもできていなかったことを思い出して、今朝は4時前に起きだして、24時間スーパーへ土産になりそうなものを買いに行った。
しかし、タイからの土産になりそうなものが見つからない。
折から中秋の名月でもあり、タイでもドリアン入りの月餅とかが進物用にたくさん売られていることを思い出して、夜明け前のスーパーの陳列棚を見回したけれど、月餅はなかった。
月餅は中華レストランやS&Pというチェーンレストランで売られているのはよく見たけれど、終夜営業のスーパーでは日常的に入用なものばかりしか売っていない。
こんな中で、月餅ではないけれど、似たような中国菓子があった。
直径が20センチくらい、重さも500グラムくらいありそうな菓子で、月餅のような洗練された高級感はなく、とてもローカルな菓子で、私もバスターミナルなどでいつ作ったかわからないような、そしてずっと小ぶりの中国菓子を買って食べたことが何度かある。
味はまずくないけど、たぶんラードでも使っているのかちょっと脂っこくて、腹にたまる菓子。
タイでは中国系の人たちが祭壇などへ置いて先祖への供養に使っているのを見たことがある。
つまり、土産としてふさわしいかどうかは怪しいけれど、それしかないのでその巨大な中国菓子を買い求めた。

月餅
[機内でもらった小さな月餅]

成田に到着したのは夜8時過ぎ。
早く荷物を回収して、家に向かわないといけないのだけれど、荷物受け取りのターンテーブルから本が詰まって重たいスーツケースがなかなか出てこない。
バンコクで預けるときに"First Priority"という赤い最優先タッグを付けてもらっているのに、いつまで待っても出てこない。
うーむ、またロストバゲージだろうか?
6月のパリ、8月のロンドンと続けてロストバゲージに見舞われている。
まぁ、ロストバゲージでも、すぐに必要なものはないので、明日でも東京の自宅へ持ってきてくれれば、こっちも重い思いをしなくて好都合だとも思った。
係員に荷物が出てこないことを伝えたが、あんまり親身になって対応してくれない。
「私たちも探しますからもう少し待ってみましょう」という。
こっちは遅くなると東京郊外の自宅へ帰れなくと困るし、さっさとロストバゲージの処理をしてもらいたいのだけれど、ただ待つように指示される。
が、カバンは最後の最後になって、出てきてしまった。
待つこと30分。
もうほかに出てくるカバンもなくなって、まわりに飛行機から降りた乗客もいなくなったところで出てきてしまった。
カバンに回したベルトは留め具が壊れて、ベルトがだらりと取っ手に絡んでいた。
「おカバンの損傷は補償の対象ですが、ベルトの損傷は補償の対象外となります」と地上業務を請け負っている日本航空の係員は説明した。

結局、帰宅したのは深夜12時前。
曇り空だけど、雲の切れ目から満月が見えた。

中秋の満月
[スマホのカメラだと夜空も明るく写ってしまうみたいだ]

9月30日 (土)
朝少し寝坊をする。
身体がだるい。
眠り足りないような気もする。
昨日の飛行機での暴飲暴食が祟ったのかもしれない。
それでも、不在中に届いていた郵便物を確認し始める。
郵便受けにあふれるほど貯まった郵便物などの半分以上は広告のチラシ類。
他は公共料金の請求書など。
そんな中に固定資産税の督促状があった。
それも普通の督促状だけではなく、最後通牒(最終催告書)まであった。
10月3日までに払わなければ差し押さえるという。
いやはやギリギリじゃないか。
急いでネットバンキングで1年分まとめて払い込みを行う。
他にも郵便物の不在通知なんかも来ているが、すでに保管期限が切れているものもある。
息子には1か月に一度くらいは、家に来て部屋に風を通すくらいのことをしてほしいと思っているが、もう何か月も放置されていたことがはっきりした。

最後通牒
[危うく差し押さえになるところだった]

2020年の2月に、ピサヌロークで息を引き取った私のネコの骨を埋めたベランダの下へ手を合わせに降りてみた。
ちょうど季節なのか赤い彼岸花が綺麗な花を咲かせていた。

彼岸花
[彼岸花の朱色は物悲しくて心に染みる]

あれからもう3年半。
ネコのことは忘れたことがない。
埋めたと思われる場所を見たら、アブラゼミだろうかセミの抜け殻がひとつ転がっていた。
もう9月も終わり、アブラゼミの季節ではないはずだけれど、
私のネコがセミに生まれ変わって、3年半幼虫として土の中で過ごし、そして空へと飛んで行ったのだろうかと勝手な空想をしたら、涙が出てきてしまった。
セミに姿を変えたとしても会いたかった。

セミの抜け殻
[ネコがセミになってしまうなんて]

昼前に自転車に乗って小平霊園へ墓参りに行く。
小平霊園でもあちこちで彼岸花が咲いていた。
共同墓地前では明日合同慰霊祭の準備でテントを張ったりしていた。
その後、郵便局へ回って帰宅。

小平霊園の彼岸花
[小平霊園でも彼岸花が咲いていた]

帰宅後はラビットスクーターの整備。
前回帰国時にエンジントラブルを起こして動かなくなったままにしていた。
まずはキャブレターを分解して石油で細かな部品や細い穴の一つ一つまでよく洗浄する。
だいたいこんなモノかなと思われる程度までで組み上げてエンジンをかけてみようとしたが全然ダメ。
ガソリンが流れてきていない。
燃料タンクの中が空っぽになっている。
燃料コック周辺から燃料漏れを起こしていたようだ。
燃料コックも分解して石油でよく洗浄。
それからトボトボと重たいラビットスクーターを押してガソリンスタンドへ。
試しに300円だけガソリンを入れてみる。
スタンド内でエンジンがかからずバタバタしているのを見られるのは恥ずかしいので、そのままラビットスクーターを手押ししながらガソリンスタンドの外へ出る。

ラビットスクーター
[数か月ぶりにカバーを外す]

歩道の上で、エンジンをキックしてみる。
バゥ、バゥ、バゥとエンジンがかかった。
白い煙もモクモクと吐く。
エンジンの回転数も安定している。
これは嬉しい。
天国のネコが見守っていてくれたからだろうか。
そうなると、さっそく乗り回したくなる。
ラビットスクーターは古いこともあるし、整備もしっかりできていないので故障も多い。
だけど、乗っててこれほど楽しい乗り物はないと思う。
そのまままた小平霊園へ行く。
夕方の墓参りのついでに事務所へ行って、明日の献花式の段取りについて教えてもらった。
以前は慰霊祭のスピーチとかの儀式に続いて、参列した遺族により献花となっていたけれど、現在は代表献花だけになつたとのこと。
代表は霊園の管理代表者で、その人が代表で献花をし、遺族は式典後に各自献花ができるという。
なので、以前のように遺族が集まるようなことはしないそうだ。
これも感染症予防対策なのだとか。
代表献花の様子はYouTubeにアップするのでそれを見てほしいという。

10月1日 (日)
小平霊園の代表献花が始まる前に一足先に朝の墓参りを済ませておく。
まだ朝早いので、誰も来ていない。
実のところ、代表献花にしてもらって良かったと思っている。
こんなことを言ったら霊園で眠りについている母親に怒られるかもしれないけれど、花を供えたくないなと思っていた。
日本は花が高いので、ケチな自分としては花を買うのがもったいないと感じているのも事実だけど、ほかにも切り花が好きではないということもある。
せっかく咲いている花を観賞用に切ってしまうというのは、お花がとてもかわいそうに感じる。
そのままにしておいてあげれば、花はやがて実を結んで、次の世代へはつながって行けたかもしれないのに、ほんの一時の観賞用に切ってしまいたくない。

そんなことを考えながら帰宅して、ベランダ下へ回ってみたら、昨日までとてもきれいに咲いていた彼岸花が、茎のところからバッサリ切られてしまっていた。
誰かが、家の仏壇にでも備えようとして持って行ってしまったのだろうか?
やっぱり、きれいな花でも摘み取ってしまったらかわいそうだ。
また来年もここに咲いてくれるだろうか?

慰霊献花式
[慰霊献花式の立て看板]

昼からまた小平霊園へ行く。
こんどは人がいっぱい来ている。
みんな豪華な切り花を抱え、線香に火をつけ、そして手を合わせている。
私も便乗して、手ぶらだけど手を合わせる。
そして、霊園からメッセージカードを1枚いただく。
別に人を感動させるようなことはなにも書かれていない。
丁寧な文章だけど、ただそれだけ。
持ち帰ったら仏壇に上げておくことにする。

小平霊園から水道道路を自転車で走り、小金井公園へ行く。
今日は都民の日で、小金井公園内にある江戸東京建物博物館が無料開放されている。
実はこの中に入るのははじめて。
子供のころは今と違って武蔵野郷土館だった。
そのころは入ったことがあるが、現在とはまるで違ったもので、地味な郷土資料館だった。

無料開放だからなのか、博物館は人がいっぱい。
外国人の姿も見られる。
江戸時代に建てられた豪農の屋敷がある。
ここへ移築する近年まで人が住んでいた建物だから、すべてが江戸時代のままという訳ではないけど、畳敷きの部屋は時代劇に出てきそうな雰囲気。
そんな部屋の中も開放されていて、見学者が歩き回っている。
こんなところで貸衣装でも着せて写真でも撮らせたら、タイ人とか喜びそうだ。
どこかの貸衣装屋と組んで、オプショナルツアーでも作ったら人気が出そうな気がする。

お月見の飾り
[古民家の縁側にはお月見の飾りつけ]

明治時代に建てられた財界人の邸宅やハイカラな店もあり、カフェになっていたりする。
どこも靴を脱いで内部まで見学できるようになってといるけど、私は靴を脱がず、内部の部屋へは上がりこまなかった。
私は身長が高く、そして昔の人たちの生活は畳に座ってと言うものだったろうから、ほとんどのものが低い位置にある。
そんなところ下の方をキョロキョロしながら歩いていたら、鴨居に頭をぶつけてしまうのが目に見える。

そんな建物が並んでいる中にボンネット型バスがあった。
行先方向幕は「上野広小路」となっている。
塗装も昔の都バスに似せている。
建物のように詳しい説明が付いていない。
ただ昔のバスはこんな形だったとあるだけ。
しかし、なんか違う。

ボンネットバス
[昔の都バスに見えるけど、違和感を感じる]

私はバスについては、ちょっと詳しいつもりでいる。
高校大学とバス会社でバイトをしてきている。
まず、いすゞのボンネット型バスと言うのには異論はない。
しかし、都バスなどとして市街地を走り回るバスとしては、腰が高すぎる。
このタイプのバスは、中学3年の時に岩手県八幡平で見たことがある。
岩手県北バスだったと思う。
もう40年以上前だけど、そのころでももうボンネット型バスはとても珍しいものになっていた。
そして、最近その当時見かけたバスが今も現役であることをネットで知った。
冬季の八幡平で運用されているという。
そのバスはただのボンネット型バスではなく、日本で唯一の全輪駆動バスであるらしい。
もともとは全輪駆動のトラックのシャーシーにバスのボディーを乗せたものだとも書かれていた。
つまり、トラックだったので乗客の乗り降りなど想定してなくて腰が高いスタイルになっている。
この江戸東京建物博物館に置かれたバスの床下を覗き込んでみたら、やっぱりそうであった。

前輪にもデフ
[特注の全輪駆動車であった]

野外展示場の反対側は大正時代から昭和初期の建物が中心で、昔よく見かけたような懐かしい建物が多くあった。
看板づくりと言う商店の形態や古い旅籠宿、花屋や乾物屋。
このあたりは見ていて面白い。
酒や醤油などは量り売りだったと説明に書かれているし、古いポスターが貼られている。
銭湯もあって内部見学ができる。
男湯と女湯があっても、見学者は男も女も関係なく入って行く。
古い建物が並んでいて、映画のセットのようだけれどセットのようなハリボテではなく、実際の建物と言うのがまた面白い。

まるで映画のセット
[このあたりが一番人気らしく見学者も多い]

都電も展示されている。
これは7500型で本物の都電。
こっちは車内に乗ることもできるようになっている。
その都電の横でラムネや駄菓子なんかを売っている。
たぶん今でも縁日なんかでラムネが売られていると思うけど、あれは容量が少なく、それでいて安くないのでコスパは悪いけど、あのビー玉で栓をしているのを開けるのが面白いということなんだろう。
その点では同様にコスパの悪いシャンパンに似ている気がする。

都電
[都電は本物の都電]

江戸東京建物博物館を出たところで雨が降ってきた。
急いで自転車をこいで駅へ向かう。
夕方には息子と新宿で会うことになっている。

最初、息子は精進料理の店を指定してきた。
しかし、調べてみると値段も高く、肩が凝りそうな店であることが判明。
それに肉好きの息子が精進料理なんか喜んで食べるとは思えない。
そこでこちらから別の店を指定した。
新宿御苑近くにある「随園別館」。
きれいな店ではない。
街中華みたいな店構えで、30年以上前にここで羊肉のしゃぶしゃぶを食べたことがある。
満員の盛況で、旨かったことを思い出したからだ。
料理は華北料理。
飾りっ気の全くない店だけれど、年配のボーイたちはワイシャツに黒服を来て、蝶ネクタイ。
雰囲気としては昭和初期の中華レストラン。
店お勧めの水餃子、皮が肉厚だけど、それがまた良い。
オム野菜炒め。
オムライスのように玉子に包まれているが、中はケチャップライスではなく野菜炒め。
これを北京ダックの餅皮で包んで食べる。
まだ季節ではないからないかと思っていたけど、羊のしゃぶしゃぶもあった。
私としては、羊が食べたいという訳ではないけど、薄い黄土色をしたタレがやたらと旨い。
食べるだけではなく、飲む方も飲んだ。
ビールから紹興酒、そして羊しゃぶしゃぶが出てくるころから二鍋頭という北京の地酒。
これは白酒(パイチュー)で、度数も50度を超えている。
これを口に含ませ、歯茎がジリジリしてくるのを待ってグイっと飲み込む。
喉から胃へ流れていくのがわかる。
食事をしながら息子がまだ小学五年生のとき、二人でタイからラオス、そして中国の雲南省へ入って上海へと旅した時の思い出話をしたり、むかしの北京の話をしたりした。
二鍋頭という酒を知ったのも昔の北京でだった。
あの頃の北京は夜がとても暗くて、店の前に張り出した円卓で一皿2元程度の菜を摘まみながら二鍋頭の小瓶を次々に開けた。
そんなどうでも良い話をしても、息子の彼女はちゃんと話を聞いていてくれて、それが嬉しくて次々と二鍋頭の盃を空にしてしまう。
そんなわけで、店を出たときにはいい加減に酔っぱらっていた。
新宿三丁目の駅で息子たちと別れて、フラフラと西武新宿まで歩き電車に乗る。
始発駅なので座ることができたが、そのまま眠り込んでしまい、気が付いたら降りるべき駅を通り過ぎていた。

10月2日 (月)
二日酔い。
午前中は墓参りに行くことくらいしかできなかった。
午後になってようやく本調子となりラビットスクーターに乗って近所を走り回る。
市役所に行って、妻の健康保険や介護保険の手続きをする。
お金の出ていくことばかり。
東村山高校の脇を走っていたら、後ろから来た新聞配達のバイクに声をかけられた。
「いいの乗ってんねぇ、ラビットだろ」
私よりも一回りくらい年配の男性であった。
ラビットスクーターに乗っていると時々こうして声をかけられるのも楽しい。
でも、ラビットスクーターも製造中止から55年。
声をかけてくる人、つまりラビットスクーターを知っている人はもう70歳以上ということになるのだろう。
もう10年もしたら、誰も声などかけてこなくなるかもしれない。
そうそう、むかし東村山市役所の人でラビットスクーター好きの方がいらして、公民館の地下でラビットのレストアをされていた。
あの方はどうしているだろう。
もう40年も前のことだ。

10月3日 (火)
タイへ戻る日。
いつもならタイへ持ち帰る食料品などの仕入れをするのだけれど、もうタイでの暮らしも残り4カ月ほどとなり、在庫の食料品ですら食べきれない可能性があるので、今回持ち帰る食品は納豆のパックが一つだけとなってしまった。
荷物は軽くなり楽だけど、毎度持ち帰る食料品をスーパーで物色して、1円でも安いところを探して回るのは嫌いではなかった。
納豆は、いままで業務スーパーで緑色のパッケージのものが格安だったので、それを求めていたけれど、先月の札幌と同様に緑色の納豆パックは入荷されていなかった。
あまりの低価格商品で採算が合わなくなってしまったのだろうか。
帰りの飛行機は成田発午後2時半頃。
9時ころには家を出て空港へ向かった。
朝のラッシュ時間も過ぎており大きなスーツケースを持って電車に乗ってもそれほど不便を感じない。
ただ、日暮里からの京成電車は空港への快速電車の時間が合わず、途中で2度ほど乗り換えをすることになった。

成田空港でチェックインを済ませて、荷物検査場に入ろうとしたら「ここは日本航空利用者専用の検査場だから、向こうへ回るように」と係員に制止された。
日本航空専用の手荷物検査場なんてものがあったなんて知らなかった。
もっとも一般用の検査場も空いていて並ぶ必要はなかった。

さっさとラウンジへ入る。
エメラルドとパラゴンメンバー専用室へ通してもらたけれど、特別に豪華にしつらえられているとか、特別メニューが用意されていると感じではなかった。
ただ、専任のスタッフがいて、ブッフェのラインへ皿持って取りに行かなくてもテーブルに運んでもらえるというだけで、私は自分で好きなものをラインから持って来る方が好きなので、面倒だけど専用室を出て、一般のブッフェラインが欲しいものをもらってきた。
欲しいものの筆頭は稲荷寿司。
今回は太巻きも加わっていて、助六が復活していた。
助六になったのは嬉しいのだけれど、太巻きにはワサビが欲しいところだったけれど、ワサビは用意されていなかった。

稲荷寿司
[稲荷寿司&海苔巻きで助六寿司、江戸っ子のシャレだね]

しかし、これも気に入っていたクロワッサンのサンドウィッチはなくなっていた。
スタッフに聞いたところメニューは時々入れ替えているとのことだった。
スタッフが言うには、今回のメニュー入れ替えでの目玉は「カレーライス」とのことであった。
カレーライスの味の方は、特別美味しいというものではなく、ごく普通のカレーライスであった。
福神漬けはあったけれど、トッピングと呼べるものは用意されておらず、ちょっと寂しい。

カレーライス
[カレーライス、、トッピングがあればいいのに]

おなじエメラルドとパラゴンメンバー専用室でも台北の空港はホームベースということもあって、豪華な作りだし特別メニューもいくつか用意されていた。
そんなメニューの中に「うな重」もあったので注文してみる。
一口サイズのミニサイズだったけれど、ウナギは蒲焼と白焼きが交互に並べられていて楽しい。
ただ残念だったのは、ご飯の炊き方でお米にふっくら感が足りなかったことと、山椒が着いてこなかったこと。
成田空港のワサビにしても台北の山椒にしても、どうもちょっと一つ欠けているのは気になるところ。

ミニうな重
[ウナギを食べたのは久しぶり]

バンコクでは無事にすぐ荷物も出てきて、そのままタクシーでアパートへ向かうことができた。
歳をとってきたからか、深夜の時間帯に動き回るのはだんだんと辛く感じるようになってきた。
以前のように飛行機の中やラウンジでひたすらお酒を飲み続けるようなこともしておらず、かなり控えめにしているけど、こうして飛行機に乗ったりしたあとに疲れがのこってなかなか抜けなくなってきた。

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| 日常 | 04:17 PM | comments (0) | trackback (0) |

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