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金子光春を追って(中編)
6月24日 (土)
同室の若者たちの何人かは夜明け前に部屋から出て行った。
灯りもつけず、静かに荷物を整理して出て行った。
ドミトリー部屋でのエチケットはしっかりと守られているようだ。

私は7時にベッドから這い出して、朝の散歩に出かけた。
朝食は7時半からだそうなので、それまでに金子光春の住んでいた場所をもう一度歩いてみることにする。

サンマリ教会
[夜明けはそんなに早くないみたいだ]

土曜日の朝だからだろうか、表通りは人通りも車も少なく、閑散としている。
空は澄んだ青空。
スカラビークへ向かう道は、まっ正面にサンマリのドームがそびえているのが見え、歩いていくとどんどんドームが迫って来て迫力がある。
昨日は夕刻だったので、通りにまでディナーのテーブルが並んでいたが、まだ朝早いので車道も歩道もがらんとしている。
ときどきゴミ収集車が回ってくる。

Rue De La Hoecht 113番地
[Rue De La Hoecht 113番地]

この時間にも店開きしているのは青果屋で、ここだけは歩道にまで果物を入れたケースを並べている。
今の時期は桃が旬らしく、桃の甘い香りが周辺に漂っている。
桃なんて随分と長いこと食べてない。
美味しそうで、たべたいけれど、ぜいたくなことはしないことにしているので、香りだけ楽しませてもらう。
ここで売られている桃は、押しつぶしたように扁平な形をしたものもあった。
日本では見たことのない種類のようだ。

八百屋
[光春が住んだ部屋の下もこんな八百屋だったのだろうか]

さらに進んでサンマリ教会の周りを半周する。
小さな公園があって、その公園の木の幹に毛糸を編んだようなものをたくさん貼り付けてある。
なんとなくタイ東北部で縁起物として吊るされているトゥンを思い起こされる。
ベンチにはトルコ人らしい男性たちが座っている。
この毛糸を編んだものもトルコに関係があるものなのかもしれない。

毛糸の編み物

[なんの目的で、どんな意味があるのだろ江]

金子光春が暮らした部屋でリュウデラポスト(郵便局通り)へも回ってみたが、その途中、リュウデラポストの一本隣りロワイヤル・サントマリー通りに郵便局があった。
つまり郵便局通りの隣に郵便局は移転したんだろう。
それでも、通りの名前は昔のままらしい。
そのロワイヤル・サントマリー通りの先には、スカラビーク市役所の建物が見える。

スカラビーク市役所
[スカラビーク市役所]

8時にはユースホステルへ戻って朝食にする。
朝食はバイキングになっているけれど、サラダもハムもない。
食べられるものは、パンとチーズ、それに若干の果物とシリアルくらい。
コーヒーやジュースはある。
ナイフとスプーンは並んでいるけれどフォークがない。
厨房にいた男性にフォークがほしいと言ったのだけれど、
「朝食はスプーンとナイフで食べるもので、フォークは夕食で使うものだ」と教えられた。
周りの人たちもフォークなどは使っていない。
ナイフも果物を剥いたりバターを塗るのに使う程度。
スプーンはシリアルやヨーグルト用で、パンとチーズなんかは手づかみで、食べている。
60年近く生きてきて、初めて知った。
果物にはリンゴと一緒に洋梨もあった。

この日の予定は、午前11時過ぎのバスでパリに向かう。
朝食を食べ終わってもまだ時刻は9時。
ちょっとまだ早いけど、チェックアウトしてキャリーバッグを引っ張りながら、昨晩歩いたグランプラスへ向かって歩きはじめる。
ブリュッセルの道は石畳が多くて、キャリーバッグの車輪が壊れるのではないかと心配になる。
なるべくガタガタの少ない道を選んで歩くようにする。

出発
[コングレ記念塔]

グランプラスへの道はなだらかな下りになっているところが多い。
坂を下っていくと、大きな塔が2つ並んでいるのが見えた。
正面へ回ってみると、塔は大きな聖堂の左右に伸びているモノであった。
この聖堂はサン・ミッシェル大聖堂だそうで、昨日はバスに乗って移動したので気が付かなかったけれど、歩いていると色んなものが見られて楽しい。

サン・ミッシェル大聖堂
[サン・ミッシェル大聖堂]

ギャルリ・サンテュベールというアーケードの入り口も見た。
吉祥寺のサンロードなんかとは比較にならないくらい豪華なアーケード。
並んでいる店も高級品店ばかりのようで、私には無縁の場所のようだ。
さっさと通り過ぎる。

高級アーケード
[ギャルリ・サンテュベール]

グランプレスには朝からたくさんの観光客が来ている。
昼間ということもあるのか、昨晩のように広場に座り込んだり、寝転んだりしている人の姿は見かけなかった。
夜のグランプラスは豪華な印象だったけれど、青空と明るい日差しの中で見るグランプラスは、まるで中世のおとぎの世界のような印象を与える。
あまりにも見事なので、これは実物ではなく映画セットのようなハリボテではないかと思ってしまうほど。

グランプラス
[オイル交換でもらったTシャツ]

大聖堂とか博物館、美術館などベルギーには見どころがたくさんあって、世界中から観光客を集めているけれど、たいていどこも入場料を徴収している。
私は基本的に入場料のかかるところへは入らないことにしているけれど、このグランプラスは無料で眺められるので、大いに気に入った。
こんな景観が無料で開放されているとはすばらしい。

グランプラス
[どれだけの富が蓄積されてきたのだろう]

そして、ベルギーと言ったらチョコレート。
カカオの産地を植民地に持っていたからだろうか、ベルギーのチョコレートは世界的に有名。
そんなチョコレートを土産に売る店もグランプラス周辺には並んでいる。
でも、チョコレートを買ってまで食べたい思っている私はショーウィンドウから眺めるだけ。

チョコレート屋
[チョコレート屋のショーウィンドウ]

小便小僧にも挨拶していく。
ここにも朝から観光客が集まっている。
この小便小僧、毎日世界中から送られる衣装に着替えているそうで、この日はケベックから送られた衣装を身に付けられていた。
日本からのもあるそうだけれど、日本からだとどんな衣装になるのだろうか。

小便小僧
[小便少女には衣類がないのだろうか]

パリ行きのブラブラバスは、昨日下車した場所と同じブリュッセル中央駅の南口から出ることになっている。
小便小僧から中央駅への道は、ちょっと下町っぽい感じのところだった。
石畳ではなくなったのでキャリーバッグでも楽に歩けるようになったけれど、道路工事をしているところもあった。
中央駅に近づくにつれて、だんだん場末に近づいているような雰囲気もしてきた。
近代的な建物なんかも見えるけれど、薄暗い高架下からはアンモニア臭も漂ってくる。
浮浪者らしき姿もちらほら。
なんとなく新宿の大ガード下に似た印象を受ける。
タイでは、食べ物の腐った臭いとかよく嗅がされるが、こんなアンモニア臭の漂う場所は記憶にない。

パリに向かうバスは昨日のバスよりも大きなバスであったけれど、座席の間隔はだいぶ狭くて、ちょっと窮屈。
それに乗車率も良くてほぼ満席。
私の隣に座った人は、ずっとノートパソコンを開いて仕事をしていた。

狭い座席
[パリ行きのバスは大きいけどシートは狭い]

バスは高速道路を快調に走り、いつ国境を越えたのかも分からないうちにフランスへ入っていた。
パリに近づくとところどころで渋滞もしたけれど、パリのセーヌ河畔ベルシーにあるバスターミナルへ定刻より少し早い2時半過ぎに到着。
地下にあるようなターミナルのためかちょっと薄暗く、そしてここもちょっとアンモニア臭い。
このターミナルはパリからヨーロッパ各地への格安長距離バスの発着場所になっているようで、モニターにはたくさんの行き先が表示されていた。

パリ到着
[ベルシーの地下バスターミナル]

さて、とうとうパリ入城。
バリは25年ぶりくらいだろうか。
ベルシー橋でセーヌを渡り、左岸へ。
パリでの宿はモンパルナス近くのダゲール通りまでは、距離にして5キロくらい離れているけれど、ここも節約してメトロに乗らず歩いて向かう。

セーヌを渡る
[ベルシー橋は二層構造で上に地下鉄]

ダゲール通りへの道は弧を描くように続いていて、その途中にイタリー広場がある。
前回パリに来た時、つまり25年前に産経新聞記者で「サイゴンから来た妻と娘」を書いた近藤紘一の足跡を訪ねてこのイタリー広場周辺を歩き回った。
25年前のイタリー広場のロータリー周辺と現在とではだいぶ変わっていた。
ロータリーに面して大きなショッピングセンターがある。
レストランも高級化している。
近藤紘一が生前パリ足跡を残してからもう40年になる。

イタリー広場近く
[イタリー広場近く]

パリも好天に恵まれて、ダゲールへ向かって歩く道筋の街路樹の緑が新鮮で気持ちがイイ。
大通りの真ん中にはメトロが走っており、それが地下へもぐったり、地上へ出てきて高架へ登ったり。

1時間ほどかけて歩き、ダゲール通りへ到着。
狭い路地のような通りであった。
金子光春の文章の中から想像されたダゲールは、絵の具がこびりついた服装の人が行き交っているものだったけれど、いま眼前にはそんな人は一人も見当たらない。

ダゲール通り
[とうとうダゲール通りに到着]

金子光春が森美千代と暮らしたパリのホテルは、現在"Le Lionceau Hotel"という名前になっている。
金子光春が暮らしていた時期だけでオーナーが変わったりしているので、それからどのくらいオーナーが変わったり名前が変わったのかわからないけれど、現在はSolar Hotelという50メートルほど離れたブラール通りにあるホテルの別館と言う位置づけになっている。
なので、チェックインの手続きはSolar hotelで行う。

Le Lionceau Hotel
[金子たちが住んだホテル]

ここも小さなホテルで、入って行くと小さなレセプションがあった。
チェックインは簡単に済み、予約の時に希望していた別館のLe Lionceau Hotelに部屋が用意できているという。
今回、このホテルに1泊するが、料金は119ユーロ。
パリでは一番安いクラスの価格帯。

Solar Hotel
[こちらが本館に相当するSolar Hotel]

ホテルの一階はどういうご縁があったのか知らないが、タイ料理屋になっている。
そのタイ料理屋の横の階段を登って上に上がる。
金子光春たちが暮らしていた時も、階段にも絨毯が敷いてあり、夜でも足音が気にならないと言ったようなことが書いてあったが、現在もちゃんと赤い絨毯が狭い階段の端から端まで敷き詰められている。
階段の手すりも年季が入っている。
金子もこの手すりを握ったのだろうか。

絨毯敷きの階段
[絨毯敷きの階段]

金子たちの部屋はダゲール通りに面していたようだけれど、私の部屋は中庭に面していた。
窓から中庭を見下ろしてみたけれど、中庭には何もなかった。
金子たちのところへ、「金子たちが部屋を出る」との噂を聞いたあわてんぼうの洋画家が、家財道具抱えてやって来てしまうエピソードがあり、結局さの画家は中庭のアトリエに住むことになったと書かれていたが、現在の中庭にはアトリエは内容だった。

中庭
[かつてはここにアトリエがあったのだろうか]

部屋はシンプルなダブルベッドの部屋。
清潔でエアコンはないけれど窓を開けていれば快適。
冷蔵庫らしきものが部屋にあるが、壊れているのか使えなかった。

ベッドルーム
[私にはちょっと贅沢すぎる部屋]

風呂場にはバスタブもあるし、フランスらしくビデまである。
タオルなどのリネンもしっかり備わっていて、あとでお風呂に入るのが楽しみだ。

バスルーム
[お風呂に入るのが楽しみ]

フロアーの見取り図を見てみると、ダゲール通りに面した部屋は私の部屋より一回り程狭いようだ。
私の部屋は4階で、屋根裏部屋もあるようだけれど、客室にはなっていないようで、客室は3階と4階だけ。
各フロアーには3室だけしかない。

18号室の扉
[各部屋の扉には絵が描かれている]

金子光春以外にも、この宿は日本人と縁があったようで、ホテルの紹介文にも18号室には画家の板東敏雄がいたとある。
私の部屋は21号室だけれど、各部屋のドアもちょっとアートな感じなっている。
アメリカの彫刻家、アレクサンダー・カルダーもここで作品を作っていたそうだ。
金子たちはパリで額縁に彫刻を施す内職をして、ノミを叩く音や削りカスに気を使っていたようだけれど、他にも彫刻家が作品を作っていたことになる。

私の部屋の扉
[これは私の部屋の扉]

このホテルでは嬉しいことに無料のレンタサイクルのサービスがある。
さっそく自転車を借り出してパリの名所めぐりに出かけることにする。

時刻は4時半過ぎだけれど、まだまだ全然夕方の雰囲気はない。
モンパルナスからエッフェル塔、凱旋門、ノートルダムと時計回りにぐるりとパリのハイライトをサイクリング。
パリやローマは車の運転が乱暴だといった印象があり、自転車なんかでちょろちょろ走り回っても大丈夫だろうかと懸念をしていたけれど、パリでペダルをこいでみると自転車専用レーンが整備されているし、東京の郊外同様に自転車に乗っている人も多い。

最初にやってきたのはアンバリッド廃兵院。
ドーム型の屋根を持つ建物があり、ここにはナポレオンの墓があるそうだ。

アンバリッド廃兵院
[アンバリッド廃兵院]

そして、パリと言ったらエッフェル塔で、東京タワーとは貫禄が違う。
金子光春の本の中にも何度か登場しているが、1930年ころは今よりもひときわエッフェル塔が目立つ存在だったのだろう。
しかし、金子自身は高所恐怖症でもあるらしく一度も登ったことがないという。

エッフェル塔
[エッフェル塔前でバナナを食べる]

私は過去に妻と登ったことがある。
観光バスのコースで、塔の上にあるレストランでのディナーが付いていた。
そして、そのディナーで失敗した記憶がある。
2人に1本ずつシャンパンが付いており、下戸の妻の分も私がいただいた。
さらにテーブルで同席になった日本人母娘のふたりも飲めないというので、そちらも頂戴して、シャンパンを都合2本も飲んでしまった。
ここで止めておけばいいのに、またムーランルージュのキャバレーショーでもシャンパンを飲ませてもらい、翌日悪い二日酔いでフラフラになってしまった。

セーヌの遊覧船
[船の上は通勤ラッシュ並のようだ]

天気も良いので、セーヌ川を行き来する遊覧船も人でいっぱい。
花の都パリと言われるほどに、どこへ行っても観光客がたくさんいる。
私のように自転車をこいでいる人もいるが、電動自転車も多いし、それより電動キックボードが物凄い。
それらがちょろちょろしたり、追い越したりするので、自転車レーンを走っていても時々ヒヤッとすることがある。

ジョルジュサンクの通りを抜けて凱旋門へと向かう。
途中ジョルジュサンクホテルの隣にプリンスドガルホテルがある。
どちらも超高級ホテルで、最低でも一泊10万円以上するはずだけれど、妻とバリで滞在したのは、このプリンスドガルだった。
ロビーも部屋も重厚な作りだったなとの印象は残っているけど、ただそれだけ。
いまもホテル前には黒塗りの高級車がずらりと並んで、私のような自転車は近づくことさえ遠慮しなくてはいけなさそうな雰囲気。
周辺の店も一流のブランド品店が並んでいる。
そうそう、妻と二人でシャンゼリゼを歩き、ハンバーガー屋に入りたいと妻が言うので立ち寄りハンバーガーをかじりながら華やかな通りを歩いた。
あの時妻が食べたのはフィレオフィッシュだったはず。
自分が何を食べたのかは記憶にない。

プリンスドガル
[若いときは身分不相応ということがわかってなかった]

西日を背後に受けて凱旋門は聳えていた。
今年になって、ラオスのビエンチャンへ行く機会があり、ラオスの凱旋門をなんどか見ている。
シルエットとしてはどちらもよく似ているけれど、ラオスのとは華やかさがまるで違う。

凱旋門
[壁面や上部の彫刻もフランスのパワーを感じさせる]

観光バスがたくさん来ており、凱旋門を登ろうとする人たちはたくさんの車が行き来する巨大なロータリーの中にいる。
彼らはどうやってバスからロータリーの真ん中へ渡って行ったのだろうか。
自転車でロータリーを周回するのも、ヒヤヒヤものだった。

凱旋門からプラタナスの並木に若葉が茂るシャンゼリゼの緩い坂道を下っていく。
ここでも電動キックボードが私の自転車を追い抜いていく。
が、私の自転車を追い抜いたばかりの電動キックボードが、私のすぐ前で転倒した。
危うく私も巻き込まれるところだった。
乗っていたのは中国人風の若い女性だった。
自転車レーンがあると言っても、路面は石畳なのでデコボコしている。
車輪の小さな電動キックボードなど、慣れてなければ転倒事故など起きて当たり前。
それに歩行者を巻き込んでしまうこともあるだろうし、あんまり野放しなしているのは危険だと感じる。

シャンゼリゼ
[ハンバーガーを食べながら歩いたのはこのあたりだろうか]

ずっと下ってコンコルド広場に出る。
このあたりから重厚な建物が増えてくる。
オペラ座、ヴァンドーム、高級ブランドのショーウィンドウ。
まったく私とは縁のない場所で自転車で走り抜ける。

ヴァンドーム広場
[ヴァンドーム広場]

ルーブル美術館入口、ガラスのピラミッドも横目で見ただけで、そのままセーヌの河畔に出る。
もともと美術とかへの興味がないので、美術館などを見て回ろうという発想がない。
世の中にはヨーロッパで美術館周りをしたい人はたくさんいるだろうけど、私には猫に小判。
それに美術館の入場料が高いというのも、入らない理由になっている。

レトロなバス
[シャンジュ橋にて]

セーヌの右岸を走り、シテ島へ渡るシャンジュ橋のところでレトロなバスを見かけた。
大戦前の市バスのようで、緑色とクリーム色をした小型の車体。
バスの路線番号まで掲げているけれど、たぶん観光バス何だろうと思われる。
金子光春がパリに暮らしていた時にもこんなバスがパリ市内を走っていたのだろう。

レトロなバス
[レトロなバス]

やがてノートルダムが見えてきた。
先年の火災で焼失したと聞いているけれど、西側の塔がそびえている側から見る限りは、堂々とした威容が昔のままのように感じる。
塔の上の方にあるテラス欄干の怪獣もそのままのように見える。
ここにもたくさんの観光客が来ていて記念写真を撮っている。

ノートルダム
[パッと見には火災があったとは感じさせない]

しかし、ノートルダムの裏側、東側の部分は完全に焼け落ちてしまっていた。
ダンゴムシが脚を伸ばしたようにも見える聖堂と尖塔などは再建の真っ最中で、足場が組まれ、クレーンが動いている。
来年末には修復が完了して、内部も見学できるようになるとの話もあるらしい。
近藤紘一の本の中にもノートルダムは先妻との思い出の中に出てきていた。
それは、決して明るいものではなかったが、とても生々しかった。

修復作業
[修復作業]

時刻は既に7時近くになっている。
そろそろホテルへ戻って夕食の食べ物を買いにスーパーへ行かないと、昨日のようにスーパーが閉まって買い物ができなくなる恐れがある。
シテ島からは左岸、カルチェラタンの路地裏や坂道を自転車で進む。
坂を登り切ったところにパンテオンがあった。

パンテオン
[自転車だと坂道がちょっと辛い]

7時過ぎ、ダゲール通りに戻ってくる。
ダゲール通りでも道に貼り出してテーブルを並べてディナーを食べている人がいる。
そんな中を、ちょいと上を見たらば、黄金色した馬の首が3つ飛び出していた。

馬の首
[金色をした馬の首が三つ]

金子光春の部屋の窓から外を見ると、そこには黄金の馬の首があるように書かれていた。
その馬の首は馬肉屋のシンボルで、金子も馬肉を買って食べていたようだけれど、現在ダゲール22番地、金子たちがいた部屋の向かい側は馬肉屋ではなく、「香満閣」という中華料理屋になっている。
この90年の間に馬肉屋もダゲール通りの中を移転したとも考えられるのだけれど、現在この黄金の馬頭がある場所が馬肉の店かどうかの確認はシャッターが閉まっていて分からなかった。

現在のホテル向かい側
[現在のホテル向かい側]

ダゲール通りを金子は庶民的なところだとしていたが、確かに八百屋があったり魚屋があったりして、少し生活臭を感じさせるが、行き交う人の大半は居住者と言うより観光客のように感じられた。

八百屋や魚屋
[八百屋や魚屋]

夕食の食材探しにロシュロウ駅の向こう側にあるカールフールへ行く。
カールフールと言ってもコンビニを少し大きくしたくらいの小さな店舗。
何か買って食べようかと総菜や食品の棚を眺めたけれど、どれも値段がとても高い。
アムステルダムのスーパーと比べても倍くらい高いように感じる。
結局、ビールと白ワインだけを買う。

スーパー
[小さなカールフール]

夕食はカバンの中に食べ残しのパンとワイン。
カタコンブ近くの小さな市民公園のベンチに座って食べる。
ほんとうは近くのモンパルナス墓地で食べたかったのだけれど、墓地は6時閉園で入れなかった。
市民公園では子供たちが遊んでおり、そんな中でベンチでパンをかじり、ワインを飲むのはちょっと恥ずかしくもあったけれど、ボルドー産の白ワインはとても美味しかった。

白ワイン
[久しぶりに美味しいと感じる白ワインを飲めた]

ワインを半分ほど飲んで、ベンチから腰を上げ、ホテルの部屋へ向かう。
時刻は既に9時を回っているが、まだ十分に明るく、夕方のような感じ。
ホテル1階のタイ料理屋も大繁盛で、通りへ張り出したテーブルまで満席になっている。
パッタイが13ユーロと、タイの10倍くらいの値段だけれど、タイ料理はヨーロッパで随分と人気があるようだ。
どこの街角にもタイ料理の店がある。

ダゲール通り
[西日が差し込んできてまぶしい]

部屋へ戻って、バスタブにたっぷりとお湯を張って入浴をする。

22番・ダゲールまで
[22番・ダゲールまで]

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