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金子光春を追って(前編)
6月22日(木)から五日間の旅行に出る。
夕方の中華航空に乗って台北へ飛び、そこからアムステルダム行きに乗り継ぐ。
4月の旅行の時はオランダだけ、しかもハーレムに3泊滞在するのんびりとしたものだったけれど、今回はアムステルダムからベルギー、フランスと回る駆け足旅行。
それぞれの移動区間のバスもすでに手配済みなので、どこかでスケジュールが崩れると身動きが付かなくなってしまう懸念がある。
その試練第一歩が初日の台北での乗り継ぎ。
乗り継ぎ時間が1時間しかない。
飛行機が遅れるのはしょっちゅうなので、ここで乗り継ぎに失敗したらどうにもならない。
数日前から飛行機のフライト状況を確認すると、だいたい15分くらいの遅延で台北へ到着しているが、1時間近く遅れている日もあった。

そんな懸念を抱きながらも台北には15分ほどの遅延で到着し、無事に乗り継ぎに成功。
しかも、ラウンジにも立ち寄って缶ビールをいただく余裕まであった。
コロナからずっとラウンジに置かれたビールは台湾ビールだけだったけれど、今回覗いてみたらサッポロビールも置かれていた。
ここも少しずつサービスがコロナ前に近付いてきている気がする。

台北からアムステルダムまでは14時間のフライト。
機内はほぼ満席。
私の隣は運よく空席になっている。
機内では機内食を食べて、狭いシートでうつらうつらして過ごす。
今回の旅行に出る前の数日間も忙しく飛び回っており、睡眠不足になっていたから機内ではぐっすり眠れるだろうと思っていたけれど、どうもうまく眠りに入れない。
機内は照明が消されて暗いのだけれど、半分くらいの人は起きて映画を見ているらしく、シートのスクリーンが青白い光を放っている。

6月23日(金)
アムステルダムにはほぼ定刻の7時過ぎに到着。
入国審査も簡単に終わり、荷物を受け取り税関前にあるトイレへ入る。
トイレへ入った時、手洗い場に女性がいたので、最初入り口を間違えたかと思った。
が、入り口を間違えたわけではない。
次に女性用が混んでいるから男性用に回ってきた人かと考えたけれど、よく観察してみたらここのトイレ、入り口は男性と女性が分かれているが、中に入ると男女一緒になっている。
日本でもタイでもまだこのような仕組みのトイレは見たことがない。

スキポール到着
[台北での乗継含めて20時間かかって到着]

さて、次の目的地はベルギーのブリュッセルなのだけれど、ここスキポール空港からなら電車で直接ブリュッセルへ行けるようになっている。
オランダは電車が発達していてとても便利。
しかし、ヨーロッパの交通機関は運賃が高い。
ブリュッセルまで早割りで25ユーロと言う金額。
タイから来た身には、ちょっと高く感じたので、もう少し安くいく方法はないかと調べたらBlaBlaバスという会員制のようなバスが走っていて、これがやたらと安い。
スキポール空港からブリュッセルまで11ユーロほどの金額。
所要時間は電車よりかかるけれど、値段が安いので09:48発のバスを予約しておいた。
バスの出発時刻まで時間があったけれど、空港内のベンチに座って、ブリュッセルに着いた後の行動予定などについてスマホを使って計画を立ててみる。

今回の旅行の目的は、金子光春の足跡をたどってみようというもので、以前にもマレーシアのバトパハを訪ねている。
画家であり、詩人である金子光春は、マレー蘭印紀行、眠れパリ、西ひがしの3冊の旅行記の傑作を残しており、90年の時を隔てても、色あせない情景を再現してくれている。
しかし、90年の間に、世界中いたるところが変わってしまい、当時と今とでは全く違っているところの方が多い。
バトパハでは、金子が滞在していた日本人倶楽部の建物は健在で、すでに倶楽部ではなくなっているが、ここの一室の藁布団で金子は寝泊まりしていたのかと思うと、タイムスリップしたような気になれた。
今回、この3冊の旅行記に加えて、「マレーの感傷」という作品集を読んでみた。
その中には、ブリュッセルやパリで過ごした住所番地まで記されていた。
それを頼りにして、ブリュッセルとパリを訪ねてみたかった。

スキポール空港からのBlaBlaバス、チケットにバス乗り場は「スキポール空港」と書かれているだけで、何番のバス乗り場とかの表示がない。
ターミナルを出たところでタクシーの客引きをしている男性に確認したら、タクシー乗り場の隣で待っていれば来るよと教えてくれた。
バスの出発1時間前には、バスの座席番号を知らせるメールも届いた。
座席は6Aだそうだ。

バスは少し早めにやって来た。
車内は空席が目立つ。
空港を出て、牧場の中を走るハイウェイを快調に走る。
ホルスタイン種の白と黒の牛が緑の中に群れている。
集落には教会の尖塔が見える。
風車小屋を見るとオランダに来ていると言った実感がわいてくる。

空席が目立つ
[車内は空席が目立つ、乗り心地も悪くない]

30分ほど走ってユトレヒトに到着。
ここで数名乗車してくるけど、まだまだ車内は空席が目立つ。
さらに30分ほど走って国境を越えてオランダからベルギーに入った。
国境には高速道路沿いにここからベルギーみたいな看板が一つ立っているだけで、国境となるような川だとか、山の尾根なんてものはなにもない。
もともといったいどのようにして国境を定めたものなのだろうか。

ユトレヒトのバス停
[ユトレヒトのバス停]

国境を越えてすぐガソリンスタンドに立ち寄る。
スタンドにはスーパーが併設されていたので、バスから降りて覗いてみる。
コンビニのようなスーパーで、奥の方に惣菜が売られている。
コロッケのような揚げ物が売られているが、値段が高い。
ひとつ3ユーロ前後になっている。
このところユーロが値上がりしていて、1ユーロが38バーツくらいになっているから、3ユーロだと120バーツ近い金額。
日本円でも500円くらいだろうか。
ベルギーはオランダよりも物価が高いのかもしれない。
それにしても、500円のコロッケとは驚いた。
むかし、日本が世界で一番物価が高いと思っていた。
アメリカでもヨーロッパでも、物価が高いとはあんまり感じなかったけれど、どうやら世の中変ったようだ。
東南アジアの発展途上国に20年も沈没していたので、浦島太郎になってしまった。

コロッケが3ユーロ
[無駄遣いはしません]

バスはアントワープでたくさんのお客を載せて、ほぼ満席となった。
このバスの最終目的地はパリということしい。
みんなパリへ行くのだろう。
アントワープは金子光春の妻、森美千代が金子と別れて船賄事務所で働いていた場所。
大きな港町で、大型船の入れる運河があるけれど、バスの車窓から見る限りでは、港町と言った印象は受けない。

アントワープ
[バスの窓から見たアントワープ]

ハイウェイを走る車はほとんどが欧州製で、ベンツやシトロエン、ワーゲンなど。
日本車の占める割合は1割くらいではないかと思われるくらいの少数派になっている。
それもコンパクトカーばかり。
ここでも世界の中から日本の影が薄くなっているのを感じる。
そんな欧州車ばかりのハイウェイも所々で渋滞する。
特にブリュッセル近くは交通量も多いようで、もうとっくにブリュッセルに到着している時刻なのにまだハイウェイの上。
1時間遅れてブリュッセルに到着。

今夜の宿は、ユースホステル。
先ほどスキポール駅で計画を練っているときに、ブリュッセルの移動にはバスや市電に乗り放題となるフリーパスが便利でお得であるということを調べた。
24時間使えて8ユーロほどらしい。
とりあえず地下鉄の駅へ行けば買えるだろうと思って、地下鉄駅へ。
駅のキオスクで買えました。
確かに8ユーロ。
「24時間使えますよね」と念押し確認したら、
「ちがう、今日だけだ」と言われる。
うーむ、買うキップを間違えたかな。

1日乗車券
[一日乗車券]

とにかく、地下鉄に乗り込んでユースホステルへ向かう。
バンコクや東京の地下鉄と比べるとぐっと小さな車体で、エアコンがないので窓も開けている。
そのため車内は狭くて騒音も大きい。
イスラム系の女性や黒人、アラブ系の男性など、車内はいろんな人種の人が乗っている。
駅と駅の間隔は短くて、500メートルくらいだろうか?
ドアは半自動で、取っ手を引くとガラガラと開く。

ユースホステルは小さなロータリーに面した建物で、時刻はすでに3時を回っていたのですぐにチェックインさせてくれた。
受付の女性は片言の日本語を話し、香港出身で日本が大好きだと言っていた。
部屋は8人部屋だけれど、私以外はまだ誰もチェックインしていないようなので、窓よりのベッドを確保させてもらう。
宿泊料には朝食も含まれており、また共用のキッチンもある。
夕食には冷凍食品でも買ってきて食べようかと思う。

ユースホステルの建物
[なかなか立派な建物のユースホステル]

金子光春の住んでいたエリアはユースホステルから北に1キロほどの場所。
歩いても行けるところだけれど、せっかくフリーパスがあるので、ちょっと遠いところへ行ってみようと思った。
金子光春がブリュッセル滞在中に、いろいろと面倒を見てくれていたベルギーの東洋趣味コレクターのルパージュ氏が空港に近いディーガムというところに住んでいて、金子はそこへ頻繁に通っていたらしい。
そのディーガムのルパージュ氏の住所も「風車小路の7番地」と書かれており、だいたいの場所も見当をつけ、宿近くからバスが出ていることも判明した。
さっそく、そこから行ってみようとバスに乗り込む。
パスを読み取り機にかざしたけれど、ピピーという信号音がならない。
変だなと思ったけれどドライバーはイイから乗り込めという仕草を見せる。
が、どうも乗ったバスは目的地とは反対方向へ向かうバスだったことが判明する。
次のバス停ですぐに降りて、バスを乗り換えることにする。
フリーパスなので、こうして乗り間違えしても問題ないから良かった思う。
が、乗り換えようとしたバスの読み取り機もピピーっという信号音がならない。
そして、こんどのドライバーは「イイから乗れよ」という仕草をしない。
"Can you speak English?"と聞いてくる。
自信はないけど、イエスと答えたらば、
「そのパスではこのバスに乗れない、別の会社のバス用だ」と教えられた。

どうやらブリュッセルには2つかそれ以上のバス会社があるらしく、このフリーパスは共通で使えるものではないらしい。
しかも、ディーガム方向へ行くバスはいずれも別会社のバスらしい。
それでは仕方がない、別の場所へ行くとするか。

ブリュッセルの街
[バス会社がいくつもあることまで確認していなかった]

「マレーの感傷」の中には金子が歩き回った土地の名前がたくさん出てくる。
ワーテルローやビールセルなどを金子は森美千代と歩いている。
そんななかにテルビウルンと言うのがあった。
大きな森の公園らしく、白領コンゴー殖民博物館があるとなっている。
ブリュッセルの街の南東側にあるのだけれど、そこまでなら地下鉄と市電を乗り継いで行けそう。

モンゴメリと言うところから乗った市電が良かった。
2両編成でちょっと旧型の市電は、最初乗り場を探すのにウロウロとしたけれど、乗り込んでしまうと市電とはいっても東京の荒川線のようにほとんどが専用軌道を走り、その軌道は両側から包み込んでくるような緑の茂みに覆われいる。
この緑のトンネルの中を進む雰囲気がメルヘンチックで、ディーガムへは行けなかったけれど、なかなか雰囲気の良いところへやってくることができたと思った。

テルビウルンへの市電
[緑の中を走っているのは爽快]

終点がテルビウルンの公園前になっており、そのまま公園へ入っていくと、堂々たる建物があり、アフリカ博物館となっている。
これが元の白領コンゴー殖民博物館で、金子もこの明るい森の中の道を歩いたのだろう。
大きな長方形をした池があり、そり回りは手入れの良い芝になり、そして森となっている。
金子は日本の森と西洋の森は違ってて、日本の森はジメジメしているが、西洋の森は明るいと言ったようなことを書いていたけれど、この公園の中の森は深いけれど、確かに明るい森であった。
長方形の池や芝など、幾何学的に設計された公園で、美しいけれど、その美しさは人間によって作られ、管理されている美しさで、日本のような自然そのものの美しさとは別物だとわかる。
多くの画家がここで絵を描いたということだけれど、日本と西洋では描く絵でも被写体への向き合い方が違っているのではないだろうか。

アフリカ博物館
[広々として壮大な博物館]

ふたたび、緑の中を市電に揺られてモンゴメリへ戻る。
調べてみるとモンゴメリからブリュッセル市の外周を走って、ディーガムの近くまで行くバス路線があることを発見した。
私が買ったフリーパスはブリュッセル市の交通局のパスで、ブリュッセルにはブリュッセル市以外の近郊からもバスが乗り入れており、そうしたバスは交通局のバスではないから乗れないということらしい。
モンゴメリからディーガム近くへ行くバスは、ブリュッセル市から外へ出ないようだ。

目論見は当たって、ディーガムまで1キロほどのアーレンという町までバスで行くことができた。
近郊住宅街と言った感じのところで、ちょっと歩くと麦畑になっている。
そこから歩いて風車小路へ向かう。
大きな幹線道路を越えてすぐのところに風車小路と金子が呼んでいた"Watermolenstraat"はあった。
大型のトラックが行きかう幹線道路と違って、昔ながらの曲がりくねった小道で、道の両側にレンガ造りの住宅が並んでいる。
7番地もすぐに見つかった。

風車小路
[風車小路の入り口]

通りの左側が奇数番地で、右側が偶数番地。
なので通りに入って4件目がもう旧ルパージュ氏の邸宅ということになる。
ルパージュ氏は代々区長の名誉職にあり、本人も実業家で手広くビジネスをしていたようなのだけれど、実際風車小路7番地に建っている建物は邸宅と言うイメージからは遠く、庶民階級の住宅と言った印象を受ける。

旧ルバージュ邸
[旧ルバージュ邸と思われる]

たぶん、建物自体90年前と同じではないかと思われる古い作りで、ここにルパージュ氏が住んでいて、金子はここを頻繁に訪ねていたのに間違いはないだろう。
いまもここにはルパージュ氏の縁続きの人が住んでいるのかどうかはわからない。
日本の住宅と違って、表札などは出ていない。
どんな人が住んでいるのかはわからないが、子供用の自転車が庭にあったので、きっと子供のいる家庭なんだろうと思われた。

旧ルバージュ邸
[いまはどんな人が住んでいるのだろうか]

これでディーガムも確認できたし、あとはブリュッセル市内の金子の旧居3か所を探すだけ。
これも本に書かれており、
Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階

居所番地
[金子光春の居所番地が書かれている]

最初の家は、八百屋の2階ということになっていたけれど、現在は八百屋ではなく肉屋になっているようで、"Foungee 1978 Boucherie Abdel"と書かれている。
路地と路地の交差する角に立っており、西側へ続く路地は下り坂でブリュッセル北駅へ向かっている。
金子はここは広い部屋と書いていたけれど、外から見ただけでも一面に窓が3つもあり確かに広そうだ。
現在のこの店の名前からも推測できるように、このあたりはトルコ人がいになっていた。
時刻は7時過ぎで、通りにはトルコ料理の店がテーブルを並べていた。

Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
[現在は八百屋ではなく肉屋になっているようだ]

そこから少し北に歩いたところ、サンマリ教会の裏側の路地が、リュウデラポスト(郵便局通り)で、183番地はクリーム色の壁に深緑の扉と言ったこじゃれた3階建て。
このあたりは住宅街なのか。商売をしている建物ではない。
所番地は間違えないけれど、瀟洒な建物は牛乳屋だった面影はない。
既に建て替えられたものなのだろうか?

Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
[牛乳屋には見えない]

3軒目は、少し離れていて、郵便局通りの建物と比べると一格落ちるようなレンガ建ての住宅で、当時は洗濯屋だったのかもしれないけれど、現在は商売をしているようには見えない。
そして、金子が住んでいたのは4階となっているけれど、このあたりの家並はどこも3階建てで4階のあるものは見かけない。
金子が言っている4階と言うのは屋根裏部屋のことなのだろうか。
通りかを見上げても、屋根裏部屋にあるはずの出窓は見えなかった。

Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階
[3軒の中で一番小さい建物]

ここまで回って、いったんユースホステルの部屋に戻った。
時刻は8時半を回っている。
部屋にはもう若者たち数人が入っていた。
私はシャワーを浴びて、夕食材料を買いにスーパーを探そうとGoogleMapで調べてみるのだけれど、この周辺には大型スーパーはなく、どこもコンビニに毛の生えた程度の店しか表示されなかった。
しかも、コンビニ並みなのにどこも夜8時閉店で、すでに店が閉まっている。
サマータイムでしかも緯度の高いところなものだから、夜9時になっても外は明るい。
どうも時間の感覚がずれてしまっている。
しかたなく、機内食などで食べ残したパンなどを持って外へ出る。

ブリュッセルの下町のようなところを歩く。
ブッシェ通りと言う路地を進んでいくと料理屋が連なっている。
どこも繁盛していて、店の外にまでテーブルを並べている。
デリリウムというピンク色のゾウのマークがあるビール屋の奥に「小便少女」がいた。
小便小僧のパロディーということらしい。
有名なベルギービールの店ということで、店の中も外もお客でいっぱい。

小便少女の路地
[この奥に小便少女像がある]

そこから少し歩いたところで、ネコを一匹発見。
ベルギーで見かけた最初のネコ。
このネコがやたらとジャンボ。
毛が長くて大きく見えるということもあるけど、普通のネコの3倍くらいのサイズ。
カバンに忍ばせておいたキャットフードを取り出して与えた大喜びで食べて、あとはスリスリ。

ベルギーのネコ
[ネコはどこでも人気者]

夜10時、グランプラスに到着。
旧ギルドの壮麗な建物に囲まれた世界一豪華な広場と言われる場所だそうで、この広場の石畳の上に寝転んで取り囲む建物を見上げるとよいというので、早速やってみる。
この広場で機内食の残りのパンや飲茶とともにビールを飲んで、ちょっといい気分になる。
貧しい食事だけれど、目に映るのは豪華な建物。

グランプラス
[エビシュウマイ]

それにビールも飲茶も美味しい。
ヨーロッパに来て思うのは、ここで飲むビールは冷えてなくても美味しく感じられること。
日本やタイだと冷えてないビールなど飲めたものではないけれど、ヨーロッパなら美味しく感じる。
湿度など気候と関係しているのだろうか。

グランプラス
[ベルギーで台湾ビール?]

この時間になってやっと少し薄暗くなってきて、建物に明かりがともり始めているけれど、まだまだ明るい。
夜空の下で見上げた方が、より感動的なんだろうけど、もう時間的には夜も遅い。
ユースホテスルの門限も気になる。
しかし、小便小僧の像にも挨拶しなくては。

小便小僧
[世界三大ガッカリの一つらしいけど]

グランプラスからバスや地下鉄を乗り継いでユースホステルに帰る。
時刻は11時を回っており、地下鉄から外に出たらばさすがに暗くなっていた。
ユースホステルのルームメイトたちもすでに明かりを消して眠っているらしい。

白夜かな
[夜11時でもまだ少し明るい]


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