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一時帰国で戸倉上山田温泉(後編)
7月9日 月曜日

朝5時に目を覚ます。
この温泉旅館では大浴場の入浴時間が、午後3時から深夜12時までとなっており、翌朝は午前5時から10時まで。
そして、今日は露天風呂がある側が男湯となっている日である。
さっそく布団を抜け出して一番風呂をしに行く。

一番だと思って勇んだが、脱衣所にはすでに何人も来ていた。
年配者が多いから、朝も早いのだろう。
そして露天風呂も先客が何人もいた。

この時期、夜明けが早いので、外はすっかり明るくなっているが、山に囲まれているので、まだ露天風呂まで日差しは差し込んでこない。
裏山の上の方から、陽が当たっている部分がだんだんと下の方へ伸びてくる。

入浴後、朝食前の散歩に出かける。
飲食店街の「新世界通り」の前を通る。

新世界入口
[昨晩は賑わうということがあったのだろうか]

観光会館のような建物の横を曲がって、万葉橋で千曲川を渡る。
渡ったところには日帰り温泉施設がいくつかあった。
ここでは千曲川の左岸が宿泊温泉施設、右岸が日帰りとすみ分けが行われているのだろうか。
国道沿いを歩き、昨日も見かけた役場前から大正橋でまた千曲川を渡って宿に戻る。

千曲川
[千曲川と言うのはなんだか大陸的な感じのする川だった]

朝食もバイキング。
イカの塩辛やワサビ漬けでご飯が進む。
パンもあり、このあたりはアンズの里ということで、アプリコットジャムもあり、食べてみるが、食べつけないためか、ちょっといま一つ。
そして、「モーニングカレー」と表示された寸胴鍋があった。
どんなものかと試しに食べてみたが、ケチャップ風の味のするカレーであった。
たぶん、きっと昨晩の残りのカレーではないかと思うが、カレーは一晩寝かせた方が美味しくなるそうだから、これもありかもしれない。
付け合わせの福神漬けとラッキョが嬉しい。

普段なら朝からこんなに食べたりしないのだが、バイキングだとついアレコレと食べてしまって、満腹となってしまう。

朝食後、また入浴して体重計に乗ってみると、2キロくらい体重が増えている。
バンコクを出てから、やたらと食べ過ぎているし、アルコールの摂取量も多い。
体脂肪率も20%を越えているようだ。

温泉街の裏に八王子山という山があるらしく、ハイキングコースもあるようなので登ってみる。
登り口には「カタクリの自生地」などとも書かれていた。

八王子山登り口
[距離がどのくらいで、どのくらい歩くかも書いてあればよいのに]

歩き始めて少し行くと、木が倒れて道を塞いでしまっている。
倒木は桜の木のようで、枝葉の茂みを踏み越えて進む。
ところどころ見晴らしの利くところもあり、千曲川と温泉街が見える。

途中からの展望
[まだ高さはそれほどでもない]

さらに進むと「クマに注意の警告」の立て看板。
このあたりクマが出没するらしい。
私のようにフラフラと独り歩きするのはマズイらしい。
うーむ、でもまだもう少し登りたい。

クマに注意
[この警告の対象すべてに該当してしまってる]

この看板から先は、どれが道だかよくわからなくなった。
ハイキングコースもあまりよく整備されていないようだ。
急な斜面を登り進んでいくと、小さなお宮さんがあり、また立て看板。
右へ行くと姨捨山で山頂まで3時間半とある。
そんなには時間がない。
それに八王子山はどっちだろう。
適当に立て看板が示すのとは反対の左の斜面を登っていく。
道は着いていないけれど、ところどころ、木々の枝にリボンが付けてあるので、きっと登山道なのだろう。
どこへ続くのかはわからないけど。

倒木
[倒木で道が塞がれている箇所もあった]

斜面の下の方でガサガサガサという音が聞こえた。
さっきクマに注意の看板を見ていたので、ドキリとするが、それきり音はしなくなった。

登っても、登っても、頂上には至らず、そろそろ宿に戻る時間が近づいてきたので、八王子山の頂上に立つことなく下山する。

八王子山中腹
[山の斜面には松が多かった]

西日本の水害での死者は100名を越える惨事となっているようだ。
テレビはしきりと水害関連のニュースを流している。
そんななかで、少し不謹慎ながら、私も天気予報をネットでチェックしている。
明日はもう台北経由でバンコクへ帰るのだけれども、どうも台風が台湾に接近しているらしい。
しかも、台北からバンコクへ飛び立つ夜10時過ぎくらいに、台湾北部へ上陸するらしい。
台風の進路予想図を見る限り、台風による欠航は避けられそうにないようだ。
しかも、最大瞬間風速が70メートルを超える猛烈な台風らしい。

宿の部屋は12時までいられて便利だが、東京への戻りのバスは、午後2時半に出発。
チェックアウト後は居場所がない。
ちょうど昼時ではあるけれど、朝ごはんの食べ過ぎで、空腹を覚えない。
それでも、なにか食べておこうと、コンビニへ行って、カップヌードルを買う。
このコンビニの駐車場には温泉の足湯があり、足を湯に浸けながらカップヌードルを啜る。
タイにもカップ麺はたくさんあるが、カップヌードルほどおいしいカップ麺はない。
それに、カップヌードルのような具沢山なカップ麺はタイ以外でも見た記憶がない。
日本に一時帰国したら、一度はカップヌードルを食べたいと思っているので、お腹は空いていないけど食べれてしまう。

帰りのバスは、小型のバスであった。
やはり満席ではあるけれど、定員が20人ほどで、私たちの席は最後部が指定された。
バスは小さいけれど、足元は広くて、快適であった。
佐久平と上里で休憩を取り、所沢には5時半に到着。

ツバメの巣
[休憩所のトイレにツバメの巣があった ぴょん子がヒナだったころとそっくりなヒナたち]

帰宅後、ドンキホーテに買い出しに出る。
税制が変わって、非居住者は5000円以上の買い物で免税の優遇が受けられるようになったということなので、私もその恩恵にあずかろうかと、免税店でもある近所のドンキホーテに向かったが、買って帰りたいと思うものはそれほどなく、免税基準金額を満たすことはできなかった。
エビスビールを買って、晩酌とする。

夜、中華航空からメールが届き、明日の台北発バンコク行きは台風のため欠航となり、翌日のフライトへ変更になったと伝えてきた。

7月10日 火曜日

朝一番に母の墓参りへ自転車で行ってくる。
今回は自転車には乗ったけれども、ラビットスクーターのエンジンをかけることがなかった。
9月末まではもう一時帰国する予定がないので、前回の一時帰国から半年近くもラビットスクーターは眠ったままということになる。
錆などの腐食も気になるところだ。

12時半過ぎに成田空港へ到着。
中華航空へチェックインするが、やはり台北からバンコク行きは台風で欠航らしい。
しかし、24時間後の飛行機ではあまりに遅すぎるので、台北を午前中に飛ぶ予定の飛行機に予約を変更してもらう。
変更も、座席の希望も聞いてもらったところで、いざ搭乗券を発券するところで、その飛行機も出発時刻の変更が入って、午後1時過ぎに台北を出発することになった。
まぁ、午前中の飛行機に乗って、午後早々にバンコクへ到着したら、そのまま会社へ出社しなければ義理が立たないが、午後の飛行機になって、夕方にバンコクへ到着すれば、義理立てする必要もなくなるので好都合。

それに台北までは予定通り飛んでくれそうで助かった。
もし、台北までも飛ばずに、明日まで待つようなことになったら、もう財布の中には日本円の現金が1000円しかなくて、家に帰る交通費にも足りなければ、食事代にも事欠いてしまうことになるところだった。
台湾まで行ければ、台湾元ならまだ財布に数日は遊べるだけ入っている。

台北までの飛行機も出発が少し遅れた。
そのぶん長くラウンジで飲食をして、好物の稲荷寿司も好きなだけ食べることができた。
シュウマイも、どん兵衛の天ぷらそばも、ミックスナッツにチーズも食べた。
台北まではプレミアムエコノミー用のシートで最前列窓側の30Kを取ってあるので、ちょっと飲みすぎてトイレが近くなっても安心とばかりに、生ビールも、シーバスも、紹興酒も、手当たり次第に飲んだ。

保険会社に電話をして、バンコクへ戻る予定が、台風で台湾に一泊することになったことを伝える。
宿泊代など、領収書を取り付けてあれば、保険が下りるとのことで、空港で夜明かしする心配はなさそうだ。

しかし、実際に飛行機に乗り込んでみたらば、30Kのシート番号は、プレミアムエコノミーなんかではなく、ただのエコノミーで、しかもかなり後方の座席であった。
どうやら利用する機材がボーイングから一回り小さいエアバスに変更になってしまっていたようだ。
それに、もともとプレミアムエコノミーなんて付いていない機材である。
機材変更となっても、シート番号は変更になっていないから、こんなことになるとは予想だにしていなかった。
もしチェックインの時にでもわかっていたら、いつもの8Dをお願いしていたはずなのに、残念だ。
しかも、機材が小さくなったからか、満席である。

成田空港を飛び立って、東京湾を横切る頃までは、雲もなく窓から下界がきれいに見えていたのだけれど、丹沢あたりから雲が増えてきて、楽しみにしていた富士山はまるで見ることができなかった。
どうも今回は運が付いていないのかもしれない。

富士山上空なれど姿を見せず
[雲がかかっていて富士山は姿を見せてくれなかった]

機内食は照り焼きハンバーグ。
あまいソースの照り焼きはあんまり好きではないし、すでに満腹ではあったが、完食し赤ワインのお替りまでいただいてしまう。

機内では韓国映画も見る。
題名は"1987"で、ソウルで起きた学生の拷問死事件を取り扱った映画であった。
1986年から1987年は私もソウルで留学生をしていた時なので、映画舞台背景は懐かしく見入れた。
民主化要求をする学生たちを取り締まる警察が随分と横暴に演出されており、この図式は韓国の反日映画で、描かれるやたらと暴力的に誇張された「日本人」の演出とそっくりであった。
そして、民主化要求デモをする学生たちは、平和的で、社会正義を代弁しているかのように映し出されていたのだが、しかし、同じ時代に、同じ場所に立っていた私から見ると、かなり歪められた演出と感じた。
当時の学生たちは、平和的にデモなどしていなかった。
衝突は常に学生側からの挑発によって引き起こされていた。
学生が警察隊に向かって火炎瓶や石を投げつける。
大学の門の前から、大通りへ向けてデモをはじめ、交通が麻痺する。
火炎瓶が当たって火だるまになる警官もでる。
そうなってから警察隊によって催涙弾が撃ち込まれる。

私は学生たちからは「日本人は米帝の手先だ」と攻撃対象にされ、鎮圧側からは「日本人が学生たちを煽っている」と追われて、双方から逃げまどわなくてはならなかった。
警察は大嫌いだったが、学生たちが叫ぶ民主化には賛成しかねた。
学生運動ではあったが、学生たちは労働者階級を見下していた。
相手が大学生でなければ、「無知識な連中」でひとくくりにしていた。
大学生であるという優越感から、何をしても良いという発想で、火炎瓶を投げたり透析していたのではないかと思えた。

いまの韓国は容共主義者が政権を取り、この映画のころとは、まったく逆転した社会になって、当時の学生運動を美化し、鎮圧側を極端に醜悪化させる構図は、本当の意味の民主化とは程遠いことを示しており、まるで溺れる犬を棒で叩いているように感じられた。

なお、この映画で悪の権化のように描かれている鎮圧側幹部を演じた俳優は、なかなかいい演技をしていたと感じた。

1987のワンシーン
[この警察幹部はイイ味出していた]

台北には少し遅れて到着。
台風が接近しているという割には、まだ雨も降っておらず、風も大して強くないようだった。
これなら今夜のバンコク行きの飛行機も飛びそうに思えるほどであったが、空港の発着案内を見ると、夜8時くらいからの発着便は全面的に欠航と表示されていた。

台北市内へ向かう前に、ネットで今晩のホテルの予約をする。
宿代も保険で賄えるということだけれど、それでも少しでも安い宿を探してしまう。
見つけた宿は北投温泉の熱海ホテル(熱海大飯店)。
北投温泉なら定宿の「月光荘」が格安なのだが、いままでの宿泊で領収書をもらったことがない。
いくら安くても領収書がなければ、保険請求ができない。

台北市内へ入ったら、雨が降り出してきた。
地下鉄を北投駅で乗り換えるころには、風もかなり強くなり、新北投までの電車は徐行運転となり、距離1キロほどに10分以上かかった。

駅から熱海ホテルまでは徒歩15分くらいの距離。
傘をさして歩いたが、びしょ濡れとなった。
公衆浴場の「瀧乃湯」も臨時休業の看板を掲げていた。

熱海ホテルは大きな観光ホテルであった。
一昔前の団体専用ホテルと言った感じである。
チェックインカウンターには「台風の影響で温泉水が断水する」と表示されていた。
せっかく温泉宿に来たのに温泉に入れないのでは面白くないが、確認するとまだ断水していないが、いつ断水するかわからないので早く入った方が良いとアドバイスを受ける。
温泉大浴場は地下一階とのこと。

熱海大飯店
[熱海ホテルは北投でも大きなホテルの部類に入る]

8階の部屋は広めのツインベッドルームで冷蔵庫も湯沸かしポットもあった。
冷蔵庫の中には飲料水のペットボトルが2本入っており、冷蔵庫の上にも2本置かれていた。
テレビは今の時代なら当然だろうけど大きな液晶テレビになっている。
しかし、古いホテルで窓のサッシが甘いのか、窓から雨水が漏れるようで、白布が窓のサッシ下に敷き詰められていた。

熱海ホテルの部屋
[豪華ではないけど清潔で快適な部屋だった]

何はともあれ、急いで地下の大浴場へ向かう。
熱海ホテルの大浴場だが、大きなホテルの割には、それほど大きな浴室ではなかった。
蘆山温泉の蘆山園と同じくらいの広さで、しかも地下なのであんまり風情がない。
岩風呂風の演出はされているのだけれど、コンクリートで固めた部分が丸見えなのも情緒をそいでしまっている。
脱衣所が浴室と完全に分離されていないのは台湾の温泉に共通している。
しかし、水着着用義務のある温泉施設が多い台湾で、裸で入れるのは嬉しい。
また、私が浴室に来た時は先客が誰もおらず、私一人で占有できたのも良かった。

温泉の泉質は私が今まで入浴してきた北投温泉の「青湯」とは異なり、少し白濁した「白湯」であった。
青湯と違って、おとなしい泉質で、お湯で顔を洗っても目が痛くならないし、湯上りに肌がチクチクするようなこともない。
安心して入浴できるのだけれど、北投温泉の過激さを知ってしまっているとどうにも物足りなさを感じてしまう。
お湯の温度も、瀧乃湯や月光荘と比べると低いようで、戸倉上山田温泉の上田館と同じくらいの温度であった。

ひとりで湯船を独占していたら、やはり入浴客が皆無というわけではなく、三々五々年配の男性が入ってきた。
どうやら日本人の観光客らしい。
どこかで夕食でも済ませて帰ってきたところだろうか。
「台湾に来て温泉入れるなんて思ってなかったよね、あぁ硫黄の香りするね」なんて言い合っている。
でも、私にはほとんど硫黄臭は感じられなかった。

そのうちに中国人のグループも入ってきた。
台湾の人ではなく、大陸からの観光客らしい。
若い人も混ざっている。
この大陸からの人たちの特徴として、浴場内でもサンダル履きと言うのがあって気になった。
浴室の入り口に下駄箱があり、履物は脱ぐようにと中国語で書いてあるのだが、まったく無視している。
2年前に山東省から韓国までフェリーに乗った時も、船内の浴室に「履き物を脱ぐよう」注意書きが書かれていたけれど、中国人船客はみんなサンダル履きで、おまけに浴場で盛大に洗濯までしていた。
きっと、浴室で裸足になると水虫(香港脚)にでもなると警戒しているのだろうか。
浴槽内からサンダル履きでカランを使っている彼らを見るのは気分が良くないけれど、彼らがサンダルを履いている限り、彼らから水虫をうつされる心配をしなくても住みそうでもある。

熱海ホテルの大浴場
[ホテルのHPより:この写真は女湯かもしれない、女湯の方が男湯より大きいらしい]

1時間ほどで入浴を終えて、夕食をどうするか考える。
食べずに寝てしまっても良いが、やっぱり何か食べておきたいし、湯上りなのでビールも飲みたい。
部屋の冷蔵庫には水しかないし、ホテルのレストランの営業は8時過ぎまでで、もう営業時間が過ぎている。
外はだいぶ台風の影響が強くなっているようで、暴風雨の様相を呈している。
でも、それもまた一興と、駅近くまで出かける。

傘などまるで役に立たないくらいの風雨で、傘の骨がひん曲がってしまった。
台風なので屋台は当然ながら出ていないし、そうそうに店じまいしている飲食店も多くて、営業しているのは牛丼の吉野家くらい。
吉野家の牛丼も嫌いではないけれど、面白くないので、スーパーに飛び込んで食材と缶ビールを買い込む。

ずぶ濡れになってホテルへもどり、遅くなった夕食をNHKを見ながら食べる。
窓のサッシが吹き付ける風でヒューヒューと深夜過ぎまで大きな音で鳴いていた。

<hr>

7月11日 水曜日

台風は無事に通過していったようだけれど、台風一過で青空が広がっているといった状況ではない。
まだぐずぐずと小雨が降り続いている。

熱海ホテルの部屋より
[部屋の窓からは北投温泉の公園が見える]

朝食はホテルの食堂で台湾式バイキング。
お粥も饅頭もある。
台湾風のおかずも揃っているし、サラダやパンも少しあるけれど、果物はない。
日本人のツアー客もちらほら見かけたが、生卵や納豆は用意されていなかった。
残念なのは豆乳もあるのだが、油條が「これが油條なのか」と感嘆したくなるような貧弱なものが並んでいたことだ。
飲み物はコーヒーやお茶はあるけれど、ジュースはない。
その代わりカルピスのサーバーがあった。
白いカルピスとフルーツカルピスの2種類で、フルーツは台湾らしくマンゴーフレーバーだった。

濁流
[温泉公園脇の渓流が濁流となっていた]

9時にはチェックアウトして空港へ向かう。
駅へ向かって歩く途中で昨晩夕食とビールを買ったスーパーに立ち寄り、レトルトの「宮保鶏丁」を買う。
ナッツとチキンの炒め物で、私の好物でもあり、レトルトなので昼の弁当用にしたいと思って買い込んだ。

地下鉄を園山駅で降り、空港近くの南崁行きのバスに乗る。
南崁にはスーパーのカールフールもあり、冷凍食品などが充実している。
そのカールフールで冷凍餃子なども買い込む。

空港には11時過ぎに到着。
台風で閉鎖されていた空港が開いたばかりだからか、チェックインカウンターも出国検査場もものすごい行列だった。
それでもテキパキと処理しているからか、順番が回って来るのにそれほど時間がかからなかった。

ラウンジでお昼ご飯を食べる。
フルーツのコーナーには大好きなパイナップルが置かれていなかった。
グアバとケンタロープ、オレンジはある。
まぁ、バンコクまでの機内食はフルーツプレートをリクエストしてあるし、その中にパイナップルもあるだろうから、慌てることなどないかと思ったのだが、飛行機が欠航になって、フルーツプレートの希望が伝わっているか心配になった。

地瓜
[台湾の人は焼きイモ好きが多いようだ]

ラウンジの係員に調べてもらうと、リクエストが引き継がれていなかったことが判明。
「特別食は24時間前までにリクエストしないと用意できないことになっている」とか弁解をしている。
「私は台湾のパイナップルが食べたいからフルーツプレートを頼んだんだよ」と再度お願いをしたが、機内の係員に言ったら何とかなるかもしれないと逃げられてしまった。

1時過ぎの飛行機は、出発が遅れて2時過ぎとなった。
フルーツプレートの件は、結局ラウンジの係員が私の搭乗券の裏に経緯を書き込み、それを見た搭乗ゲートの係員が客室乗務員に内容を伝えてくれた。

そして、離陸し、しばらくしたら私のところに機内食が運ばれてきた。
特製のフルーツプレートになっている。
感激。
たぶんビジネスクラスのフルーツを集めて、陶器の皿に盛り付けてくれたのだろう。
見た目もきれいで、大満足である。
また、シートもこんどはプレミアムエコノミーのシートで、しかも新型のエアバス350型。
フルーツをツマミながら赤ワインをいただけて、至福の時間を過ごせた。

特製フルーツプレートミール
[ここまでやってもらったら言うことありません]

バンコクには夕方4時半ころに到着。
入国審査場が混雑していたので、未使用のまま持っていたプレミアムレーン用の優先入国カードが持ち歩いていたので、それを使って優先入国を試みた。
こちらはほとんど並んでいることもなく、すぐに順番が来た。
私は優先入国カードを係官に提出したが突き返されてしまった。
「このカードは古いからもう使えなくなったよ」という。
どうやら私のカードの色は薄い茶色であったが、現在のは青いカードになっているそうで、今月から変わったのだそうだ。
ということで、いままで貯め込んできた優先入国カードはもう無効になってしまったようで悔しい。
それでも、この係官は融通が効くというか、カードは突っ返して来たけれど、そのまま入国審査を済ませてくれた。

【完】

追伸。
後日、北投のスーパーで買った「宮保鶏丁」を弁当のおかずにしてみたのだが、パッケージの写真とは似ても似つかぬ内容でがっかりした。
封を切った時には間違ってタイのパネーンカレーのパックを持ってきたのではないかと疑ったほどだった。
ナッツもピーマンも見当たらず、チキンの香辛料入りオイル煮のような内容だった。

宮保鶏丁
[このスーパーのプライベートブランドのようだけど、パッケージに偽りあり]

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一時帰国で戸倉上山田温泉(前編)
7月6日 金曜日

今日からまた日本へ一時帰国。
このところ為替がタイバーツに不利に働いているようで、バーツから日本円に両替しようとすると、以前よりもだいぶ悪くなっている。
そのため今回はバーツから日本円への両替をしていくことを見送り、財布の中に入っている日本円は12,000円だけと言う、心細い状況となっている。

一時帰国に利用する航空会社は今回も中華航空で台北乗継。
バンコクから台北までの飛行機はガラガラでたぶん搭乗率にしたら20%にもならないのではないかと思われる。
ガラガラの飛行機と言うのは、乗客の立場からすると、圧迫感もなく、大変結構である。
以前はこの中華航空が台北で乗り継ぎにはなるものの、日本とバンコクを結ぶ航空会社としては最も低価格の航空運賃だったようで、日本人の利用者も多かったが、近ごろはそれよりも安いLCCが登場。
しかも直行便ときているから、だいぶ利用者が流れてしまっているのかもしれない。

お定まりの音楽プログラム「ニッポンゴールド」を聴く。
「1970年代から昨年までの永遠の名曲を集めた・・・」というナレーションが入った2時間ほどの番組で、どんな曲が入っているかは聞いてみなければわからない。
そしてそのなかにキャンディーズがエントリーしていないかと、毎度気になってしまっている。
しかし、残念ながら今回もキャンディーズを聴くことはできなかった。
1970年代の歌謡曲は尾崎 紀世彦の「また逢う日まで」しかなかった。
1980年代も寺尾聰の「ルビーの指輪」くらいしかなかったようだ。
ほとんどが2000年以降の曲で、私の知らない歌手が知らない歌を歌っていた。

台北空港には少し遅れて到着したようで、東京行きの飛行機までの乗り継ぎ時間が1時間を切っている。
乗り継ぎに間に合わないほどの切迫感はないのだけれど、ラウンジで台湾ヌードルを食べておきたい。
長いコンコースを歩き、手荷物検査を受けてようやく第二ターミナルのラウンジへたどり着いたら、閉鎖されており改装工事中である旨の張り紙がしてあった。
そして、張り紙にはまたラウンジの代わりにクーポン券を係員から受け取るようにとも書かれている。
しかし、見回したところクーポン券を配っているような係員など見当たらない。
近くの搭乗ゲートでは関西行きの中華航空の搭乗が始まっいたので、そのゲートで中華航空の係員を捕まえて確認してみたところ、クーポン券ではなく、イミグレーションの上にあるプラザと言うラウンジが使えると教えてくれた。
ふたたび長いコンコースを歩いてイミグレーションの前まで行き、階段を駆け上ってプラザを探し当てた。
しかし、プラザの受付に搭乗券を提示しても、係員はチンプンカンプンのようである。
これまでのいきさつを中国語と英語と日本語をチャンポンにして説明したが、やはりプラザの係員は「利用できない」と言う。
しかし、素っ気無いというわけではなく、「ちょっと待って」と言って、どこかへ消え5分ほどで戻ってきた。
そして「あちらで聞いてください」と右手を指さす。
指された方向には中華航空の上級会員向けのラウンジがあった。
なるほど、ここに入れるのかと喜んだが、その入口の男性係員から「ご不便をおかけし申し訳ございません」と丁重な日本語でお詫びを言われ、「ラウンジはモアを使ってください」と言われ、搭乗券に紙を貼りつけ何やら書き込み始めた。
どうやら上級ラウンジに入れてくれるのではなく、別の有料ラウンジへ回されるらしい。
「モアはこの建物の反対側です」と言われる。
大きな空港の建物で、反対側へ行くのにもまた随分の距離があった。

MORE LOUNGE
[奥に見えてきたのが代替ラウンジのモア]

そのモアというラウンジ、あんまり時間があるわけでないので、ざっとしか見なかったけれど、飲食物はあんまり充実していなかったようだ。
なにはともあれ、ここまで随分と走ったりしたので、汗もかいたし、喉も乾いたのでビールが飲みたい。
しかし、冷蔵庫にビールが見当たらない。
皿をかたずけていた係員に「ビールどこ?」と尋ねて指さされたのが、青島ビールのビールサーバー。
台湾で青島ビール、それも生ビールが飲めるとは思わなかった。
グラスにビールを満たす。

青島ビール
[青島ビールのサーバー]

中華航空と同じで麺類カウンターがあり「肉燥乾麵」を注文。
番号札が渡される。
この番号札がハイテク(?)で、注文の品が出来上がると、ピーピーとなり始める仕組みになっていた。
つまり番号札が鳴ったら、カウンターで受け取る仕組み。
しかし、どうせサービスするならGPS機能でも付けてテーブルまで運んでくれればいいのにとも思う。

肉燥乾麵
[野菜やザーサイをたっぷり入れたので、豚挽き肉が埋没]

ブツブツ言っても、肉燥乾麵と青島ビールを大急ぎで食べなくては。
もうのんびりしている時間は全くない。
でも、その青島ビールだけれど、やたらと軽い。
苦みなし、泡立ち少な目で、泡は大きめで荒い。
アルコール度数も随分と低いように感じる。
そういえば、昨年だったか青島でビールを随分と飲んだけれど、どれも薄いビールばっかりだった。
別にまずい訳ではないけれど、いくら飲んでも物足りなさを感じた。

そういえば、台湾ビールも昔は随分と薄味で、アルコール度も低かった記憶がある。
アルコール度数が昔は3%だったか3.5%くらいだったのではないだろうか。
今は5%で日本と同じくらいになっている。
そして、反対に昔のタイのビールはアルコール度数が高かった記憶がある。
度数が何パーセントだったかは記憶にないが、ビール一本でもけっこういい気分になったものだ。
いまでもそうだけれど、タイではビールに氷を入れて飲む習慣がある。
昔は冷蔵庫が普及していなかったから、ビールに氷を入れて飲むのだと教えられ、また氷でビールが薄まるから、アルコール度数を高くしてあるとも聞いた記憶がある。

ここのモアというラウンジにはコンビニにあるようなセルフの「おでんコーナー」もあった。
そして、アイスクリームはハーゲンダックで、やはりセルフでスコップに掬うシステムになっている。
ハーゲンダッツとは豪勢だが、スコップはとても小さく、丸く掬ってもウズラの玉子大にしかならない。
そのアイス用のガラス皿もお寿司の醤油受けくらいの大きさしかない。
どうもこのラウンジ、見掛け倒しが多いようだ。

おでんコーナー
[「おでん」を関東煮と表記してあるが、日本の「おでん」とはちょっと違う]

台北から成田へはほぼ満席。
しかし、私の席8Dの隣は空席のままで、やっぱり快適。
乗客は圧倒的に台湾からの観光客。
家族連れも多いし、カップルもいる。
機内では映画の「ミックス」という卓球がらみの恋愛映画。
かなりコミカルなところもあった。
でも、若い女性を主人公にして、恋愛が絡んでくるようなストーリーは見ていて少し退屈してしまう。

成田空港から東京まで事前に東京シャトルの切符をネットで買ってあった。
事前購入でも、便の指定があるわけでなく、カウンターで乗車券を受け取らなくてはならないのだけれど、カウンターの係員は「バスは20時25分まで満席です」と言う。
なんと50分もまだ時間がある。
「切符買ってあるんだから、一席ぐらいもっと早いのなんとかなりませんか」と聞くが、「この便ももうすぐ満席になりますけど、乗らないんですか」とつれないことを言う。
悔しいので、リムジンバスにでも乗った行きたいところだけれど、財布には12,000円しかお金が入っていないので、ぐっとこらえて辛抱する。

<hr>

7月7日 土曜日

朝一番で自転車に乗ってふじみ野まで行く。
片道15キロほどあり、自転車でも1時間以上かかる距離だけれど、南北方向の移動にはバスしかないし、バスの便も何度か乗り継ぎがあって便利ではない。
ラビットスクーターなら30分くらいで行けそうだけれど、昨晩帰ってきたばかりで、まだ整備をしていないので、走るかどうかもおぼつかない。

小金井街道で清瀬に入り、新座から川越街道。
昔ながらの並木のある旧道で、情緒はあるが、しかし、21世紀の今となっては交通量が多く、特に大型のトラックが多いので、自転車で走るのはあんまり快適ではない。
このあたり出版関係の倉庫や物流拠点が多いからトラックも多いのだろう。

昼に戻ってくるときは、南風が強く、つまり向かい風で、自転車のペダルがやたらと重たく感じた。

午後にはやはり自転車で小平霊園まで母親の墓参り。
その帰り道で、ガス器具屋を探す。
昨晩帰宅したときに、「ガスコンロの火が付かない」と言われた。
なるほど点火スイッチを押すと火は着くが、放すと消えてしまう。
つまりガスがちゃんと来ていないようなのだが、ネットで原因を調べると、メーカーのページで電池切れか温度センサーの汚れを疑ってみるようにとある。
しかし、電池も交換し、温度センサーもきれいに磨いたが、症状は改善せず。

火が付かないガスコンロ
[ガス器具にもいろいろセンサーが付いていることを初めて知った]

これでダメなら器具の故障の可能性が高いので「修理を依頼するように」とある。
が、どうもブログなどを見ると、修理には出張費、技術料、部品代などで合計1万円前後かかるらしい。
もう財布の中には1万円札1枚しか入っていないので、これは困ったことになった。
しかも、ガス器具の部品交換など簡単にできそうなのだけど、日本では部品を市販していないらしい。
ガスは危険だから専門家しか修理できないルールになっているようだ。
部品代はともかくとして、出張費と言うのが数千円もするようだから、どこか修理してくれそうなガス器具屋を探して、持ち込めば安くなるだろうという魂胆である。

ガスコンロの型番
[コンロのメーカーはリンナイ]

ガス器具屋は中学校裏にあった。
もともとプロパンガスの店のようだが、ガスはガスだろうと相談を持ち掛ける。
しかし、ここは都市ガスが入っていないので、持ち込まれても確認できないという。
「ディスカウントストアなら安いのもあるはずですよ」と商売っ気のないことまで言うが、大変に人の好い主人のようで、「新しいの買ったら、捨てることになるので、修理したい」と言ったら、「じゃ、ちょっと見に行ってみましょうか」ということになった。

コンロを分解して調べてもらったところ、立ち消え防止センサーに障害が出ているらしいということが判明。
が、その障害も部品の交換を要するほどではなく、吹きこぼれの滓が浸み込んで、電気がリークしている可能性があるとのことで、コネクターなどを磨いてもらう。

「これでどうかなぁ、、、」
カチカチカチ、ボッ!、
スイッチから手を放しても火は消えていない。
おぉ、直った。
「もう製造から12年も過ぎているから、メーカーにも部品がなかったかもしれませんね」とも言われる。
そして、この修理代なのだが、「別に大したことしてないし、じゃガソリン代として1,500円でいいですか」と言う。
なんと良心的な、、せめて2,000円をとお渡ししようとしたが、「いえいえ、結構ですから」と全く受け取らない。
それでもちゃんと領収書まで書いてくださった。

夕食にはスーパーで弁当を買って食べる。
キリンビールも一本飲む。
やっぱり日本のビールは美味しい。

西日本地方では大雨で川が氾濫し、酷いことになっているらしい。
東京は雨も降っていないので、実感がわかないが、堤防が決壊したり、屋根の上で救助を待っている人もいるらしい。

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7月8日 日曜日

信州、戸倉上山田温泉へ一泊しに行く。
このところ体の不具合や精神的ストレスが溜まっていたので、温泉にでも入って気分転換したかった。
いつもの格安&飲み放題の伊東園グループのリバーサイド上田館と言う戸倉上山田温泉の旅館が所沢から無料の送迎バスを運行しているので、これは便利と予約をしておいた。

大型バスに満席の45人を乗せて9時過ぎに所沢駅前を出発。
乗客の年齢層が高い。
ほぼ年配者ばかりなので老人会の慰安旅行に紛れ込んだような感じである。
佐久平の休憩所で昼食として「山菜そば」を食べた。
信州といったら「そば」を食べたいし、山菜も良さそうに思っていたが、そばはともかくとして、なんとなく山菜は中国からの輸入もののような感じがした。
ちょうど昨日の夕方に業務スーパーで見かけた中国からの輸入山菜パックに入っていた山菜と切り方も内容もそっくりであった。

リバーサイド上田館には午後1時半に到着。
そのまま部屋へ入ることができた。
広い部屋で、二間であり、そのどちらの部屋にも布団が敷いてあった。
大浴場での入浴は3時からということなので、それまで少し周辺を散策してみる。

千曲川
[宿は千曲川沿いにある]

温泉街とは言っても、宿の周辺はかなり寂れてしまっている。
崩れかかった家屋もあるし、何年前から営業していないのかわからないような店もある。
昔は戸倉上山田温泉と言ったら、歓楽街の温泉のような印象もあったが、まったく閑散とした温泉になっている。

千曲川を渡り、対岸は住宅地のようで、こちらも静まり返った住宅地ではあったが、一応西友ストアなんかもあった。
そんな住宅地のなかに一般の民家風の食堂があった。
看板には「大小宴会」「和食グルメ処」とあり、田舎の食堂が背伸びをして「グルメ」なんて書いてるところが、ますます田舎っぽいのだけれど、その横に添えられたのが「本場ベトナム料理」の文字。
和食グルメ処のはずが、本場ベトナム料理とは一体どういうことなのだろうか。

和食グルメ処本場ベトナム料理
[ちょっと見は普通の民家、しかし実は和食処で、しかもグルメにして本場のベトナム料理を出すらしい]

造り酒屋があり、茅葺の大きな建物は食堂を兼ねていた。
明日の昼食に食べに来たい気もするが、妻と歩いてくるには宿から少し遠すぎるだろう。
また、駅前にはリンゴジュースの工場もあった。
駅前とはいえ、商店はあまりなく、やはり眠ったような、しかも冬眠でもしているかのように静まり返っていた。

茅葺の食堂
[国道沿い、造り酒屋併設の食堂は茅葺]

宿に戻って入浴。
大浴場は8階にあり、千曲川が眺められる展望浴場となっている。
露天風呂は1か所しかなく、日替わりで男性と女性が交代で使うようになっている。
今日は女性の日らしく露天風呂には入れなかった。

温泉は無色無臭で、台湾の北投温泉のような刺激などなく、まったく穏やかな泉質のようだ。
温度は41度くらいで適温。
さっきバスに乗り合わせていた人が何人も先に来ていた。
メタボ腹のひともいるし、瘦せて干からびたような人もいるけど、若い人はいない。

風呂は好きなのだが、もう長いこと日常的にお湯に浸かることのない生活をしているため、身体がお湯になれておらず、あんまり長く入っていられない。
3分もお湯に入っていたら、しばらく上がったりしないと湯当たりしそうだ。
サウナもあったが、サウナはバンコクで普段からサウナ風呂のような環境で暮らしているので、長めに入っていてもへっちゃらである。

入浴後、ふたたび、今度は妻を伴って温泉街を散策。
街道沿いには廃業していない商店や食堂もあり、コンビニもあった。
道沿いの電柱にはなぜかわからないが、布団が巻き付けてある。
このあたりの名物料理なのか「おしぼりそば」とか「おしぼりうどん」と書いたメニューを掲げている食堂が多い。
「おしぼりそば」とはいったいどんなものなのかと、食堂ごとに気になったが、ある食堂の前に写真入り解説メニューがあり、当地特産の辛味大根をすりおろしたときに出る汁につけて食べるそばやうどんのことらしい。
私もそばには薬味として大根おろしを入れるのは好きだが、ここではその汁をつけて食べるらしい。

あじさい
[アジサイが見ごろを迎えている]

街道の向こう側には、「新世界」とアーチのかかった歓楽郷の名残があった。
たぶん全盛期は賑わったのだろうと思われるが、だいぶ寂れている。
それにまだ日没前で、どこも店を開けていない。
ここの飲食店で目についたのは、韓国の店とタイの店である。
何軒も何軒もあるのである。
中国やフィリピンなどの店は見かけなかった。

白猫
[飲食店街で見かけたネコ、グリーンとブルーの目をしている]

夕食は伊東園お定まりのバイキング。
取り立てて旨いものもないが、まずまず美味しく食べられる。
ビールの生ビールサーバーから好きなだけ飲める。
お酒は「真澄」が入っていた。
この地の酒屋の看板でも「真澄」を見かけたので、このあたりで人気の酒なのだろう。
この酒も信州の酒ではあるけれど、諏訪の酒で、神州一味噌の宮坂醸造の酒であり、20年も前に仕事で宮坂醸造には随分とお世話になったことがある。
社長さんから限定醸造のお酒と言うのもいただいたことがある。
中野の工場からはインスタント味噌汁も随分とたくさんいただいた。
冷酒でも美味しい辛口だけれど、日本にいるので熱燗をつけてお銚子とお猪口でいただく。
酢味噌で食べる刺身こんにゃくと相性がとてもよかった。

夕食後も温泉に入り、また飲食店街がどうなっているか見学に行った。
やはりあんまり繁盛しているようには見えないし、カラオケの声も聞こえてこないけれど、それでも店は営業をしているらしかった。

西日本の豪雨水害のニュースはますます酷いことになってきて、相当数の死者や安否不明者がいることを報じていた。

(つづく)

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