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一時帰国で戸倉上山田温泉(後編)
7月9日 月曜日

朝5時に目を覚ます。
この温泉旅館では大浴場の入浴時間が、午後3時から深夜12時までとなっており、翌朝は午前5時から10時まで。
そして、今日は露天風呂がある側が男湯となっている日である。
さっそく布団を抜け出して一番風呂をしに行く。

一番だと思って勇んだが、脱衣所にはすでに何人も来ていた。
年配者が多いから、朝も早いのだろう。
そして露天風呂も先客が何人もいた。

この時期、夜明けが早いので、外はすっかり明るくなっているが、山に囲まれているので、まだ露天風呂まで日差しは差し込んでこない。
裏山の上の方から、陽が当たっている部分がだんだんと下の方へ伸びてくる。

入浴後、朝食前の散歩に出かける。
飲食店街の「新世界通り」の前を通る。

新世界入口
[昨晩は賑わうということがあったのだろうか]

観光会館のような建物の横を曲がって、万葉橋で千曲川を渡る。
渡ったところには日帰り温泉施設がいくつかあった。
ここでは千曲川の左岸が宿泊温泉施設、右岸が日帰りとすみ分けが行われているのだろうか。
国道沿いを歩き、昨日も見かけた役場前から大正橋でまた千曲川を渡って宿に戻る。

千曲川
[千曲川と言うのはなんだか大陸的な感じのする川だった]

朝食もバイキング。
イカの塩辛やワサビ漬けでご飯が進む。
パンもあり、このあたりはアンズの里ということで、アプリコットジャムもあり、食べてみるが、食べつけないためか、ちょっといま一つ。
そして、「モーニングカレー」と表示された寸胴鍋があった。
どんなものかと試しに食べてみたが、ケチャップ風の味のするカレーであった。
たぶん、きっと昨晩の残りのカレーではないかと思うが、カレーは一晩寝かせた方が美味しくなるそうだから、これもありかもしれない。
付け合わせの福神漬けとラッキョが嬉しい。

普段なら朝からこんなに食べたりしないのだが、バイキングだとついアレコレと食べてしまって、満腹となってしまう。

朝食後、また入浴して体重計に乗ってみると、2キロくらい体重が増えている。
バンコクを出てから、やたらと食べ過ぎているし、アルコールの摂取量も多い。
体脂肪率も20%を越えているようだ。

温泉街の裏に八王子山という山があるらしく、ハイキングコースもあるようなので登ってみる。
登り口には「カタクリの自生地」などとも書かれていた。

八王子山登り口
[距離がどのくらいで、どのくらい歩くかも書いてあればよいのに]

歩き始めて少し行くと、木が倒れて道を塞いでしまっている。
倒木は桜の木のようで、枝葉の茂みを踏み越えて進む。
ところどころ見晴らしの利くところもあり、千曲川と温泉街が見える。

途中からの展望
[まだ高さはそれほどでもない]

さらに進むと「クマに注意の警告」の立て看板。
このあたりクマが出没するらしい。
私のようにフラフラと独り歩きするのはマズイらしい。
うーむ、でもまだもう少し登りたい。

クマに注意
[この警告の対象すべてに該当してしまってる]

この看板から先は、どれが道だかよくわからなくなった。
ハイキングコースもあまりよく整備されていないようだ。
急な斜面を登り進んでいくと、小さなお宮さんがあり、また立て看板。
右へ行くと姨捨山で山頂まで3時間半とある。
そんなには時間がない。
それに八王子山はどっちだろう。
適当に立て看板が示すのとは反対の左の斜面を登っていく。
道は着いていないけれど、ところどころ、木々の枝にリボンが付けてあるので、きっと登山道なのだろう。
どこへ続くのかはわからないけど。

倒木
[倒木で道が塞がれている箇所もあった]

斜面の下の方でガサガサガサという音が聞こえた。
さっきクマに注意の看板を見ていたので、ドキリとするが、それきり音はしなくなった。

登っても、登っても、頂上には至らず、そろそろ宿に戻る時間が近づいてきたので、八王子山の頂上に立つことなく下山する。

八王子山中腹
[山の斜面には松が多かった]

西日本の水害での死者は100名を越える惨事となっているようだ。
テレビはしきりと水害関連のニュースを流している。
そんななかで、少し不謹慎ながら、私も天気予報をネットでチェックしている。
明日はもう台北経由でバンコクへ帰るのだけれども、どうも台風が台湾に接近しているらしい。
しかも、台北からバンコクへ飛び立つ夜10時過ぎくらいに、台湾北部へ上陸するらしい。
台風の進路予想図を見る限り、台風による欠航は避けられそうにないようだ。
しかも、最大瞬間風速が70メートルを超える猛烈な台風らしい。

宿の部屋は12時までいられて便利だが、東京への戻りのバスは、午後2時半に出発。
チェックアウト後は居場所がない。
ちょうど昼時ではあるけれど、朝ごはんの食べ過ぎで、空腹を覚えない。
それでも、なにか食べておこうと、コンビニへ行って、カップヌードルを買う。
このコンビニの駐車場には温泉の足湯があり、足を湯に浸けながらカップヌードルを啜る。
タイにもカップ麺はたくさんあるが、カップヌードルほどおいしいカップ麺はない。
それに、カップヌードルのような具沢山なカップ麺はタイ以外でも見た記憶がない。
日本に一時帰国したら、一度はカップヌードルを食べたいと思っているので、お腹は空いていないけど食べれてしまう。

帰りのバスは、小型のバスであった。
やはり満席ではあるけれど、定員が20人ほどで、私たちの席は最後部が指定された。
バスは小さいけれど、足元は広くて、快適であった。
佐久平と上里で休憩を取り、所沢には5時半に到着。

ツバメの巣
[休憩所のトイレにツバメの巣があった ぴょん子がヒナだったころとそっくりなヒナたち]

帰宅後、ドンキホーテに買い出しに出る。
税制が変わって、非居住者は5000円以上の買い物で免税の優遇が受けられるようになったということなので、私もその恩恵にあずかろうかと、免税店でもある近所のドンキホーテに向かったが、買って帰りたいと思うものはそれほどなく、免税基準金額を満たすことはできなかった。
エビスビールを買って、晩酌とする。

夜、中華航空からメールが届き、明日の台北発バンコク行きは台風のため欠航となり、翌日のフライトへ変更になったと伝えてきた。

7月10日 火曜日

朝一番に母の墓参りへ自転車で行ってくる。
今回は自転車には乗ったけれども、ラビットスクーターのエンジンをかけることがなかった。
9月末まではもう一時帰国する予定がないので、前回の一時帰国から半年近くもラビットスクーターは眠ったままということになる。
錆などの腐食も気になるところだ。

12時半過ぎに成田空港へ到着。
中華航空へチェックインするが、やはり台北からバンコク行きは台風で欠航らしい。
しかし、24時間後の飛行機ではあまりに遅すぎるので、台北を午前中に飛ぶ予定の飛行機に予約を変更してもらう。
変更も、座席の希望も聞いてもらったところで、いざ搭乗券を発券するところで、その飛行機も出発時刻の変更が入って、午後1時過ぎに台北を出発することになった。
まぁ、午前中の飛行機に乗って、午後早々にバンコクへ到着したら、そのまま会社へ出社しなければ義理が立たないが、午後の飛行機になって、夕方にバンコクへ到着すれば、義理立てする必要もなくなるので好都合。

それに台北までは予定通り飛んでくれそうで助かった。
もし、台北までも飛ばずに、明日まで待つようなことになったら、もう財布の中には日本円の現金が1000円しかなくて、家に帰る交通費にも足りなければ、食事代にも事欠いてしまうことになるところだった。
台湾まで行ければ、台湾元ならまだ財布に数日は遊べるだけ入っている。

台北までの飛行機も出発が少し遅れた。
そのぶん長くラウンジで飲食をして、好物の稲荷寿司も好きなだけ食べることができた。
シュウマイも、どん兵衛の天ぷらそばも、ミックスナッツにチーズも食べた。
台北まではプレミアムエコノミー用のシートで最前列窓側の30Kを取ってあるので、ちょっと飲みすぎてトイレが近くなっても安心とばかりに、生ビールも、シーバスも、紹興酒も、手当たり次第に飲んだ。

保険会社に電話をして、バンコクへ戻る予定が、台風で台湾に一泊することになったことを伝える。
宿泊代など、領収書を取り付けてあれば、保険が下りるとのことで、空港で夜明かしする心配はなさそうだ。

しかし、実際に飛行機に乗り込んでみたらば、30Kのシート番号は、プレミアムエコノミーなんかではなく、ただのエコノミーで、しかもかなり後方の座席であった。
どうやら利用する機材がボーイングから一回り小さいエアバスに変更になってしまっていたようだ。
それに、もともとプレミアムエコノミーなんて付いていない機材である。
機材変更となっても、シート番号は変更になっていないから、こんなことになるとは予想だにしていなかった。
もしチェックインの時にでもわかっていたら、いつもの8Dをお願いしていたはずなのに、残念だ。
しかも、機材が小さくなったからか、満席である。

成田空港を飛び立って、東京湾を横切る頃までは、雲もなく窓から下界がきれいに見えていたのだけれど、丹沢あたりから雲が増えてきて、楽しみにしていた富士山はまるで見ることができなかった。
どうも今回は運が付いていないのかもしれない。

富士山上空なれど姿を見せず
[雲がかかっていて富士山は姿を見せてくれなかった]

機内食は照り焼きハンバーグ。
あまいソースの照り焼きはあんまり好きではないし、すでに満腹ではあったが、完食し赤ワインのお替りまでいただいてしまう。

機内では韓国映画も見る。
題名は"1987"で、ソウルで起きた学生の拷問死事件を取り扱った映画であった。
1986年から1987年は私もソウルで留学生をしていた時なので、映画舞台背景は懐かしく見入れた。
民主化要求をする学生たちを取り締まる警察が随分と横暴に演出されており、この図式は韓国の反日映画で、描かれるやたらと暴力的に誇張された「日本人」の演出とそっくりであった。
そして、民主化要求デモをする学生たちは、平和的で、社会正義を代弁しているかのように映し出されていたのだが、しかし、同じ時代に、同じ場所に立っていた私から見ると、かなり歪められた演出と感じた。
当時の学生たちは、平和的にデモなどしていなかった。
衝突は常に学生側からの挑発によって引き起こされていた。
学生が警察隊に向かって火炎瓶や石を投げつける。
大学の門の前から、大通りへ向けてデモをはじめ、交通が麻痺する。
火炎瓶が当たって火だるまになる警官もでる。
そうなってから警察隊によって催涙弾が撃ち込まれる。

私は学生たちからは「日本人は米帝の手先だ」と攻撃対象にされ、鎮圧側からは「日本人が学生たちを煽っている」と追われて、双方から逃げまどわなくてはならなかった。
警察は大嫌いだったが、学生たちが叫ぶ民主化には賛成しかねた。
学生運動ではあったが、学生たちは労働者階級を見下していた。
相手が大学生でなければ、「無知識な連中」でひとくくりにしていた。
大学生であるという優越感から、何をしても良いという発想で、火炎瓶を投げたり透析していたのではないかと思えた。

いまの韓国は容共主義者が政権を取り、この映画のころとは、まったく逆転した社会になって、当時の学生運動を美化し、鎮圧側を極端に醜悪化させる構図は、本当の意味の民主化とは程遠いことを示しており、まるで溺れる犬を棒で叩いているように感じられた。

なお、この映画で悪の権化のように描かれている鎮圧側幹部を演じた俳優は、なかなかいい演技をしていたと感じた。

1987のワンシーン
[この警察幹部はイイ味出していた]

台北には少し遅れて到着。
台風が接近しているという割には、まだ雨も降っておらず、風も大して強くないようだった。
これなら今夜のバンコク行きの飛行機も飛びそうに思えるほどであったが、空港の発着案内を見ると、夜8時くらいからの発着便は全面的に欠航と表示されていた。

台北市内へ向かう前に、ネットで今晩のホテルの予約をする。
宿代も保険で賄えるということだけれど、それでも少しでも安い宿を探してしまう。
見つけた宿は北投温泉の熱海ホテル(熱海大飯店)。
北投温泉なら定宿の「月光荘」が格安なのだが、いままでの宿泊で領収書をもらったことがない。
いくら安くても領収書がなければ、保険請求ができない。

台北市内へ入ったら、雨が降り出してきた。
地下鉄を北投駅で乗り換えるころには、風もかなり強くなり、新北投までの電車は徐行運転となり、距離1キロほどに10分以上かかった。

駅から熱海ホテルまでは徒歩15分くらいの距離。
傘をさして歩いたが、びしょ濡れとなった。
公衆浴場の「瀧乃湯」も臨時休業の看板を掲げていた。

熱海ホテルは大きな観光ホテルであった。
一昔前の団体専用ホテルと言った感じである。
チェックインカウンターには「台風の影響で温泉水が断水する」と表示されていた。
せっかく温泉宿に来たのに温泉に入れないのでは面白くないが、確認するとまだ断水していないが、いつ断水するかわからないので早く入った方が良いとアドバイスを受ける。
温泉大浴場は地下一階とのこと。

熱海大飯店
[熱海ホテルは北投でも大きなホテルの部類に入る]

8階の部屋は広めのツインベッドルームで冷蔵庫も湯沸かしポットもあった。
冷蔵庫の中には飲料水のペットボトルが2本入っており、冷蔵庫の上にも2本置かれていた。
テレビは今の時代なら当然だろうけど大きな液晶テレビになっている。
しかし、古いホテルで窓のサッシが甘いのか、窓から雨水が漏れるようで、白布が窓のサッシ下に敷き詰められていた。

熱海ホテルの部屋
[豪華ではないけど清潔で快適な部屋だった]

何はともあれ、急いで地下の大浴場へ向かう。
熱海ホテルの大浴場だが、大きなホテルの割には、それほど大きな浴室ではなかった。
蘆山温泉の蘆山園と同じくらいの広さで、しかも地下なのであんまり風情がない。
岩風呂風の演出はされているのだけれど、コンクリートで固めた部分が丸見えなのも情緒をそいでしまっている。
脱衣所が浴室と完全に分離されていないのは台湾の温泉に共通している。
しかし、水着着用義務のある温泉施設が多い台湾で、裸で入れるのは嬉しい。
また、私が浴室に来た時は先客が誰もおらず、私一人で占有できたのも良かった。

温泉の泉質は私が今まで入浴してきた北投温泉の「青湯」とは異なり、少し白濁した「白湯」であった。
青湯と違って、おとなしい泉質で、お湯で顔を洗っても目が痛くならないし、湯上りに肌がチクチクするようなこともない。
安心して入浴できるのだけれど、北投温泉の過激さを知ってしまっているとどうにも物足りなさを感じてしまう。
お湯の温度も、瀧乃湯や月光荘と比べると低いようで、戸倉上山田温泉の上田館と同じくらいの温度であった。

ひとりで湯船を独占していたら、やはり入浴客が皆無というわけではなく、三々五々年配の男性が入ってきた。
どうやら日本人の観光客らしい。
どこかで夕食でも済ませて帰ってきたところだろうか。
「台湾に来て温泉入れるなんて思ってなかったよね、あぁ硫黄の香りするね」なんて言い合っている。
でも、私にはほとんど硫黄臭は感じられなかった。

そのうちに中国人のグループも入ってきた。
台湾の人ではなく、大陸からの観光客らしい。
若い人も混ざっている。
この大陸からの人たちの特徴として、浴場内でもサンダル履きと言うのがあって気になった。
浴室の入り口に下駄箱があり、履物は脱ぐようにと中国語で書いてあるのだが、まったく無視している。
2年前に山東省から韓国までフェリーに乗った時も、船内の浴室に「履き物を脱ぐよう」注意書きが書かれていたけれど、中国人船客はみんなサンダル履きで、おまけに浴場で盛大に洗濯までしていた。
きっと、浴室で裸足になると水虫(香港脚)にでもなると警戒しているのだろうか。
浴槽内からサンダル履きでカランを使っている彼らを見るのは気分が良くないけれど、彼らがサンダルを履いている限り、彼らから水虫をうつされる心配をしなくても住みそうでもある。

熱海ホテルの大浴場
[ホテルのHPより:この写真は女湯かもしれない、女湯の方が男湯より大きいらしい]

1時間ほどで入浴を終えて、夕食をどうするか考える。
食べずに寝てしまっても良いが、やっぱり何か食べておきたいし、湯上りなのでビールも飲みたい。
部屋の冷蔵庫には水しかないし、ホテルのレストランの営業は8時過ぎまでで、もう営業時間が過ぎている。
外はだいぶ台風の影響が強くなっているようで、暴風雨の様相を呈している。
でも、それもまた一興と、駅近くまで出かける。

傘などまるで役に立たないくらいの風雨で、傘の骨がひん曲がってしまった。
台風なので屋台は当然ながら出ていないし、そうそうに店じまいしている飲食店も多くて、営業しているのは牛丼の吉野家くらい。
吉野家の牛丼も嫌いではないけれど、面白くないので、スーパーに飛び込んで食材と缶ビールを買い込む。

ずぶ濡れになってホテルへもどり、遅くなった夕食をNHKを見ながら食べる。
窓のサッシが吹き付ける風でヒューヒューと深夜過ぎまで大きな音で鳴いていた。

<hr>

7月11日 水曜日

台風は無事に通過していったようだけれど、台風一過で青空が広がっているといった状況ではない。
まだぐずぐずと小雨が降り続いている。

熱海ホテルの部屋より
[部屋の窓からは北投温泉の公園が見える]

朝食はホテルの食堂で台湾式バイキング。
お粥も饅頭もある。
台湾風のおかずも揃っているし、サラダやパンも少しあるけれど、果物はない。
日本人のツアー客もちらほら見かけたが、生卵や納豆は用意されていなかった。
残念なのは豆乳もあるのだが、油條が「これが油條なのか」と感嘆したくなるような貧弱なものが並んでいたことだ。
飲み物はコーヒーやお茶はあるけれど、ジュースはない。
その代わりカルピスのサーバーがあった。
白いカルピスとフルーツカルピスの2種類で、フルーツは台湾らしくマンゴーフレーバーだった。

濁流
[温泉公園脇の渓流が濁流となっていた]

9時にはチェックアウトして空港へ向かう。
駅へ向かって歩く途中で昨晩夕食とビールを買ったスーパーに立ち寄り、レトルトの「宮保鶏丁」を買う。
ナッツとチキンの炒め物で、私の好物でもあり、レトルトなので昼の弁当用にしたいと思って買い込んだ。

地下鉄を園山駅で降り、空港近くの南崁行きのバスに乗る。
南崁にはスーパーのカールフールもあり、冷凍食品などが充実している。
そのカールフールで冷凍餃子なども買い込む。

空港には11時過ぎに到着。
台風で閉鎖されていた空港が開いたばかりだからか、チェックインカウンターも出国検査場もものすごい行列だった。
それでもテキパキと処理しているからか、順番が回って来るのにそれほど時間がかからなかった。

ラウンジでお昼ご飯を食べる。
フルーツのコーナーには大好きなパイナップルが置かれていなかった。
グアバとケンタロープ、オレンジはある。
まぁ、バンコクまでの機内食はフルーツプレートをリクエストしてあるし、その中にパイナップルもあるだろうから、慌てることなどないかと思ったのだが、飛行機が欠航になって、フルーツプレートの希望が伝わっているか心配になった。

地瓜
[台湾の人は焼きイモ好きが多いようだ]

ラウンジの係員に調べてもらうと、リクエストが引き継がれていなかったことが判明。
「特別食は24時間前までにリクエストしないと用意できないことになっている」とか弁解をしている。
「私は台湾のパイナップルが食べたいからフルーツプレートを頼んだんだよ」と再度お願いをしたが、機内の係員に言ったら何とかなるかもしれないと逃げられてしまった。

1時過ぎの飛行機は、出発が遅れて2時過ぎとなった。
フルーツプレートの件は、結局ラウンジの係員が私の搭乗券の裏に経緯を書き込み、それを見た搭乗ゲートの係員が客室乗務員に内容を伝えてくれた。

そして、離陸し、しばらくしたら私のところに機内食が運ばれてきた。
特製のフルーツプレートになっている。
感激。
たぶんビジネスクラスのフルーツを集めて、陶器の皿に盛り付けてくれたのだろう。
見た目もきれいで、大満足である。
また、シートもこんどはプレミアムエコノミーのシートで、しかも新型のエアバス350型。
フルーツをツマミながら赤ワインをいただけて、至福の時間を過ごせた。

特製フルーツプレートミール
[ここまでやってもらったら言うことありません]

バンコクには夕方4時半ころに到着。
入国審査場が混雑していたので、未使用のまま持っていたプレミアムレーン用の優先入国カードが持ち歩いていたので、それを使って優先入国を試みた。
こちらはほとんど並んでいることもなく、すぐに順番が来た。
私は優先入国カードを係官に提出したが突き返されてしまった。
「このカードは古いからもう使えなくなったよ」という。
どうやら私のカードの色は薄い茶色であったが、現在のは青いカードになっているそうで、今月から変わったのだそうだ。
ということで、いままで貯め込んできた優先入国カードはもう無効になってしまったようで悔しい。
それでも、この係官は融通が効くというか、カードは突っ返して来たけれど、そのまま入国審査を済ませてくれた。

【完】

追伸。
後日、北投のスーパーで買った「宮保鶏丁」を弁当のおかずにしてみたのだが、パッケージの写真とは似ても似つかぬ内容でがっかりした。
封を切った時には間違ってタイのパネーンカレーのパックを持ってきたのではないかと疑ったほどだった。
ナッツもピーマンも見当たらず、チキンの香辛料入りオイル煮のような内容だった。

宮保鶏丁
[このスーパーのプライベートブランドのようだけど、パッケージに偽りあり]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=111 |
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