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続・タイガーエア台湾で格安台湾旅行
6月10日 日曜日

このところ薬の副作用によるアレルギーで体がかゆくてよく眠れない日が続いていたけれど、昨晩はずいぶんとぐっすり眠れた。

6時前に起きだして、宿の周辺をウロウロしてみる。
今朝も青空が見える。

6月9日の朝
[廬山園の中庭より、今朝もいい天気]

この廬山園の朝食時間は通常7時過ぎからだけれど、今朝は団体客がいるからか、6時半前には朝食会場がオープンしていた。
この30分の差は大きい。
6時半に朝食を食べられれば、7時5分に廬山温泉を出るバスに乗れる。
このバスに乗れば、途中でバスを乗り継ぎながら合歓山へ日帰りすることができる。

今回は滞在時間も短いし、体力的にも、自力で山の中を長距離歩き回る自信がないが、バスで合歓山まで行くことができれば、周辺をトレッキングすることができる。
この合歓山までは何度か行ったが、今までは合歓山が目的ではなく、花蓮側へ向かうために通過したに過ぎず、合歓山周辺をゆっくり歩いてきていない。
この機会にきょうは合歓山へ行くことにしよう。

団体客と一緒なので朝食はバイキングスタイル。
テーブルは昨晩と同じで丸テーブルにひとりでポツンと座ることになるが、料理は台湾風のものからトーストまで食べ放題。
料理の味も良い。
朝からガッツリと胃の中へ詰め込む。

廬山園宴会場での朝食風景
[団体客と一緒の朝食会場]

7時にはバス停に行き、バスに乗り込む。
バスの乗客は私一人。
出発予定時間よりも少し早めにバスは動き出す。

合歓山へ行くバスは清境農場の国民賓館を8時半に出るので、このまま霧社まで行ってしまうと少し待ち時間が長くなってしまう。
そこで春陽村で途中下車し、山道を登って仁愛国民中学校前に出て、そこから国民賓館に向かうバスに乗り換えることにする。
温泉から春陽村までのバス代23元。

春陽村のバス停
[春陽村のバス停、乗ってきたバスは小型のマイクロバス]

部落の急な坂道を登り、春陽国民小学校のグランドを突きって、山道を進む。
途中で路面が崩れて車両通行止めの箇所があったけれど、歩いて通り抜けることはできた。

春陽国民小学校
[春陽国民小学校は警察派出所の隣、戦前からこんな位置関係だったんだろう]

仁愛国民中学校から先のバスは8時過ぎに来ることになっているので、その間にコンビニに立ち寄ってICプリペイドカードへリチャージをしておく。

仁愛国民中学校前のコンビニ
[仁愛国民中学前のファミリーマートの駐車場は団体バスも止まれるほど広い]

国民賓館方面へのバスは翠峰行きで、観光バスのような大型バスであった。
お客は三分の一も乗っていないのではないようだ。
日曜日なので、もう少し乗車率が良くても良さそうな気もする。
合歓山行きのバスも翠峰を通るので、このバスに乗って終点の翠峰まで行き乗り換えても良さそうだけれど、合歓山行きのバスはマイクロバスなので、途中から乗り込もうとして満員だったらつまらないので、始発の国民賓館から乗り込むことにする。
仁愛国民中学校から国民賓館まで23元。

国民賓館のバス停にはすでに何人かが合歓山行きのバスを待っていた。
バス停で並んで待っているが、山を登って行く車が多い。
みんなイイ車ばかり。
台湾の人は自家用車にお金をかける傾向があるようだ。

国民賓館のバス停
[国民賓館前バス停で合歓山行きバスを待つ人たち]

8時半、合歓山行きのマイクロバスがやってくる。
ここが始発だと思っていたが、すでに乗り込んでいる人が沢山あったので、始発はもっと手前にあったのかもしれない。
私がこのバス停から乗り込んだ最後で、私が乗ったら空席がなくなった。

きょうは天気に恵まれたので、バスの窓から見える景色もなかなかだ。
この山岳道路を自転車で登ってくるグループも多い。
大型バイクのエンジン音を轟かせて来るグループもいる。
そして、なんと空気だって薄いだろうに、軽快なランニングで山を駆け登っている女性までいた。
私もジョギングはするが、歩くのだって大変なこの山道を走って登られるとは、まったく尊敬してしまう。

東西横貫公路霧社支線
[翠峰を過ぎると右手に仁愛郷の集落郡が下のほうに見える]

昆陽から武嶺にかけては、私がいつも感動する景色。
バスの車窓から眺めるだけではなく、途中下車して歩いてみたくなる。
女性的でなめらかに笹に覆われた山肌に一本線を引いたように伸びる道路。
しかし、周辺の山は筋肉質で荒々しい岩肌を見せている。

昆陽-武嶺
[昆陽-武嶺はこの路線のハイライトのような景色]

この道路の最高地点である武嶺は標高3275メートル。
観光客が沢山集まって記念写真を撮りあっている。
武嶺からは下り坂となり、バスに乗ること約1時間ほどで終点の合歓山到着。
国民賓館から合歓山までのバス代83元。

合歓山のバス停
[バスの後ろに見えるのがレストハウス]

標高自体は武嶺の方が高いが、合歓山には広い駐車場やレストハウスなどの施設が充実している。
さらに手軽なトレッキングコースが用意されている。
南投県と花蓮県の県境でもあり、松雪楼というホテルもある。
このホテルには泊まったら、朝日や夕日などすばらしい景色を楽しめそうだけれど、いつも「本日満室」の札がかかっている。

この合歓山レストハウスのすぐ裏に、聳えているのが合歓尖山。
山頂までまっすぐに山の峰に沿って登山道がついており、歩く距離はたいしたことがなさそうに見える。

合歓尖山登山道
[頂上はすぐそこに見えるが道はなかなか厳しい]

登山道はゴツゴツした岩がむき出しになっているが、ちゃんと階段状に足場が用意されており、急斜面だけれども歩きやすい。
ちいさな青い花が咲いている。
リンドウのようだ、
紫外線の関係かもしれないが、青い色がやたらと鮮やかだ。

阿里山リンドウ
[阿里山リンドウという種類らしい]

途中一箇所鎖を使ってよじ登るようなところもあったりするし、とにかく見晴らしが良い峰を急角度で登っていくので、景色の展開も面白い。ぐんぐんと高度も稼げて、振り向くたびに登り口のレストハウスがどんどん小さくなっていく。

合歓山レストハウス
[合歓山レストハウスが小さくなっていく]

合歓尖山の山頂は3,217メートルで登り始めて10分ほどで到達してしまった。
景色は良いし、楽しい山登りだったけど、たった10分ほどだとやはりどうにも物足りない。

合歓尖山頂
[合歓尖山の頂上]

奇莱峰の雄姿を拝みたいところだけれど、あいにく雲がかかって、山頂部は見えない。
それでも山腹部分のゴツゴツと岩がむき出しの山肌からは迫力が感じられる。
とても私なんかには登れそうにない山だけれど、惹きつけられるものがある。

奇莱峰
[合歓尖山から見た奇莱峰、残念ながら半分雲に隠れている]

レストハウスや駐車場のある場所まで戻ってきて、午前10時。
合歓山からの戻りのバスは一日3便。
09:45/12:15/15:35となっている。
最終の3時過ぎのバスまで滞在すればずいぶんと歩き回れそうだけれど、このバスだと乗継が悪くて廬山温泉に戻るのが6時半になってしまう。
6時半でも夕食時間に間に合うけれど、ゆっくり温泉に入っている余裕がない。
消去法で12時15分のバスに乗ろうと思う。
それまであと2時間。

山岳解説図
[見えている山々はいずれも三千メートル以上の大物ぞろい]

地図を見ると松雪楼の裏にもハイキングコースがあり、合歡山東峰へ登れるらしい。
距離も片道1キロほどと、これもあっという間に往復できそうな気がする。

松雪楼
[松雪楼は今日も満室]

合歓尖山へのコースはとても急な上りであったけれど、この合歡山東峰へのコースも先ほどではないにしても急な登坂路の連続。
それでも、ゴツゴツの岩むき出しの峰を歩くのと違って、笹に覆われて斜面を登るので、トレッキングの感じがする。

合歓東峰へのトレッキングコース
[松雪楼の裏から合歓山東峰へ]

歩き始めて30分ほどで崩れかかった廃墟があった。説明板もあり、その廃墟は民国74年(1985年)以前にはスキーリフト乗り場(降り場)として使われていたものが、自然災害で壊れてしまったそうだ。

スキーリフトの残骸

後で調べてみると「日本が統治していた時代に作られたリフト設備跡」と紹介しているページもあるが、戦前からこの中央山脈で雪が降ることは知られていたがスキーリフトがあったという話は聞いたことがない。
もしリフト施設のあるスキー場などがあったとしたら、当時の絵葉書や写真などで紹介されて、ネットでも出てきそうなものだが、日本統治時代にスキーリフトがあったとは考えにくい。
しかも、日本本土ですらスキー場にリフトが設置され始めたのは戦後であるらしい。
中華民国滑雪滑草協会のホームページを調べてみたら、ここのスキーリフトは民国55年(1966年)に400メートルのゲレンデとともにオープンしたらしい。

合歓山スキー場
[なるほど雪が降ればスキーには最適なスロープ]

45分ほどで山頂近くまで登ってこれた。
合歓山東峰の頂上そのものは狭く、それでいて沢山の人が集まっているので、頂上は後回しとして、さらに先まで歩き進んでみる。

合歓山東峰山頂付近
[山頂部には沢山の人]

シャクナゲが咲いている。
以前バスの中から見た山の斜面にシャクナゲが咲いている風景が印象的で、あのときのシャクナゲは白い花で、もっと大きかったような気がするが、いま目の前に咲いているシャクナゲは薄いピンク色をしている。

しゃくなげ
[このシャクナゲは薄いピンク色]

この合歓山東峰がこのあたりでは一番高い場所になるのか360度の展望がある。
これだけの山岳風景は日本でもなかなか見られないのではないだろうか。
それに標高が3,400メートルを越える場所だって、日本なら富士山くらいだろう。

合歓山東峰からのパノラマ
[おにぎりでも持ってきてここで食べたらおいしそう]

山の背中
[このあたりの山の峰は尖っている]

周辺を一巡してから合歓7山東峰の頂上へ向かう。
まだ高校生グループの一団が記念撮影中であったが、彼らが退散するのを待って私も頂上で記念撮影をする。
合歓山東峰の標高3,421メートル。
ずいぶん高いところへ登ってきたものだけど、でも実際には自分の足で登ったのは200メートル少々くらいなのだろう。

合歓山東峰山頂
[合歓山東峰山頂]

高山植物はさっぱりわからないけど、小さくてかわいい花が咲いている。
花の色はとても鮮やかに見えるし、下界のように雑草が繁茂しているわけでもないから、まるで作り物ではないかと思えてしまうほどだ。

道端に咲く小さな花

黄色い花

高山植物だけではなく、やはり下界ではお目にかかったことのないような赤い鳥も見かけた。
あまり人を恐れないのか、すぐ近くまで寄っても飛び立ったりしなかった。

赤い鳥

下りは上りよりも視界が開けて見えるので、より一層気持ちがいい。
そして、らくらくと下れるので、30分ほどで松雪楼まで降りてきてしまった。

合歓山東峰からのトレッキングコース
[下りでは周辺の展望が開けている]

気温は15.3度で半袖では少し肌寒いくらいの温度だけど、日差しがあるので日焼けしてしまった。
また、気圧も696.2ヘクトパスカルで下界より30%も低いけれど、航空性歯痛は発症しなかった。

レストハウスの電光掲示
[レストハウスの電光掲示板]

12時15分のバスで山を下りる。
ほぼ満席に近いくらいだったけれど、立つ人はいなかった。
下るにしたがって霧が出てきた。
しかし、雨になることもなく、清境農場が近づいて来たら霧が晴れた。
青青草原で途中下車する。
合歓山から青青草原までのバス代74元。

霧
[途中霧が深かったが、青青草原まで来たら霧が晴れた]

まだ時刻は1時。
時間も早いので、少し歩いて春陽村まで行ってみることにする。
歩くのならば車の往来が多い省道ではなく、清境農場の中を歩いたほうが気持ちがいいのだけれど、清境農場に入ると200元の入場料がかかるので節約。
こんなところでケチする人は台湾にはいないようで、国民賓館から青青草原へ向かう路線バスは頻繁に満員の乗客を乗せて上って来る。
みんな国民賓館に車を止めて、バスで青青草原へ登り、清境農場の中の歩道でまた国民賓館まで下るのだろう。

清境農場の綿羊
[清境農場では牧羊犬のショーをやっているらしい]

しばらく道を下っていくと、清境高空景観歩道なるものの入り口があった。
以前にネットニュースに記事掲載されていた高架式の歩道で、樹木に邪魔されずに、また車の往来もなく景色を楽しみながら歩けるという観光施設で、1.2キロの長さがある。
ただし、これも有料で通行料は一人50元。
当然ながら私は清境高空景観歩道を利用しなかった。

歩いているうちに日差しが気になってきた。
そういえば、宿を出るときには帽子を持ってきたはず。
どうもはっきりしないがバスの中に置き忘れてきたような気がする。

清境農場
[清境農場はもともと退役軍人の就労先として開発された それ以前の日本統治時代は「見晴らし」と呼ばれ牛が飼われていた]

国民賓館の駐車場を見回したらば、合歓山への往復をしていたマイクロバスも止まっていた。
マイクロバスなので窓から車内を覗ける。
私の帽子は往路、合歓山へ向かうときに座っていたシートの下に落ちているのが見えた。
しかし、運転手は乗っておらず、乗降口も鍵がかかっていて開かない。
待てばそのうちに運転手も戻ってくるだろうけれど、待っている時間ももったいない。
しかし、運の良いことにということに、運転席横のドアは施錠されておらず、ドアを引いたら簡単に開いた。
なんとなく車上荒しと疑われそうだけど、運転席から乗り込んで、急いで帽子を引っ掴んで、何食わぬ顔してバスから離れた。

国民賓館はホテルではあるけれど、ホテル以外にもここ清境農場の中心的施設で飲食店やコンビになどの商業施設もある。
昼食時間も過ぎているので何か食べようかとも思ったが、観光地っぽい店ばかりで、いまひとつ食べたいという気にならず、ちょっと覗いただけで外へ出た。

国民賓館の商業施設前
[商業施設前には黒い犬が寝ていた]

国民賓館から春陽村へ歩いていくのに、省道ではなく、翠湖歩道というのを歩いてみることにする。
翠湖歩道へは国民賓館の中の茶園歩道というのを歩いていけばつながっているように案内地図には書かれていた。
しかし、その茶園歩道を歩いてもどうもうまく翠湖歩道へたどり着けず、国民賓館の周辺をぐるりと回っただけで、また商業施設へ戻ってきてしまった。

翠湖歩道の案内板
[この地図はデフォルメされすぎているようだ]

仕方なく、省道を少し山の方へ戻り、栄光巷という道を歩くことにする。
どうもこの栄光巷という道が翠湖歩道ということだったようなのだが、歩道ではなく車も走る狭い舗装道路であった。

栄光巷を歩き始めてしばらくすると雨が降り出してきた。
折りたたみ傘をさして栄光巷を下る。
ところどころに栄光巷の湾曲部分をショートカットするような歩道がついており、その畑の中の道を歩く。
雨の中の花畑もなかなか詩情があってきれいではあるが、傘をさしてもぬれるくらいの雨で、畑の中の小径を歩くと、茂った植物が集めた水滴をズボンでぬぐって歩くような状態になってしまう。

雨の中の花畑
[雨に霞む花畑も見ているだけならきれいでいい]

雨脚はどんどんと強くなってくる。
急な斜面の道はもう川のようになっている。
靴はずぶぬれ。
畑の中の小径などまるで沢くだりのような感じになっている。

雨
[雨脚はどんどん強くなってくる]

栄光巷から再び省道に出て歩く。
舗装された省道も、路面には雨水が走っている。
それを車が跳ね上げながら横を走っていくので、道の端を歩く私は水しぶきにさらされないように走りすぎる車に向けて傘を差さなくてはならない。
そのうちに折りたたみ傘の柄が折れてしまい、傘として役に立たなくなってしまった。

かばんの中から100円ショップで売っているような安直なビニール合羽を取り出して被る。
もう惨憺たる状況である。

仁愛国民中学校手前から春陽村へショートカットする山道に入る。
下り坂はますます急になり、路面はまるで激流のように雨水が暴れながら流れ下っている。
道が崩れて道路工事中だった箇所は、崩れた場所がさらに拡大し、崖下へまるで滝のように路面を流れ下ってきた激流が流れ落ちていっていた。

雨のため、歩くのにもいつもより時間がかかり、春陽村を午後3時20分過ぎに通る温泉行きのバスに間に合わない懸念が出てきた。
雨が降りしきる急な坂道で小走りになる。

温泉行きのバスには間に合った。
水滴の垂れるビニール合羽を脱いでバスに乗り込む。
このバスも乗客は私一人だけ。
春陽村から温泉までのバス代23元。

バスの車内
[やっと乗り込んだバスの車内]

終点の廬山温泉で下車すると、雨はほとんど上がっていた。
時刻はまだ4時前。
廬山園のプールで少し泳いで、そのまま温泉に入る。
たいして山登りもしていないのに、なんだか足が筋肉痛のようだ。
最近の運動不足だったからだろうか。

入浴後、すっかり雨の上がっており、晩酌用に吊橋の向こうの雑貨屋へ紹興酒を買いに行く。
廬山園ホテルには紹興酒を置いていない。
缶ビールと知らない銘柄のウイスキーと漢字でラベルが書かれた葡萄酒くらいしかお酒は置いていない。
その代わり、外で紹興酒を買って持ち込んでも別に文句を言われるわけではない。

浴場の内庭
[浴場の内庭には松が植えられている]

何十年も前からそのままのような古い雑貨屋の棚で陳年紹興酒を探したが置いていなかった。
学生の頃もこの雑貨屋でよくお酒を買ったものだ。
当時の紹興酒は一本105元だった。
もう30年以上前のことだけど、当時の私には105元はちょっと高かった。
そこで、紹興酒よりもアルコール度数の高い「米酒頭」という米焼酎を買ったりしていた。
これだと飲み干すのに数日間はかかる。
埔里から温泉までのバス代が当時29元だったのが、現在は三倍以上の99元になっているから、紹興酒の価格上昇はバス代に比べたら緩やかなのかもしれない。
さて、陳年紹興酒は雑貨屋にはなかった。
店の人に陳年がほしいと伝えたら、もうラベルの色も変色しかかった紹興酒を棚の奥から取り出してきた。
陳年ではなく、普通の紹興酒だが、2016年2月の製造とラベルに製造年月日が印字されていた。
5年以上寝かせた紹興酒が陳年だが、2年以上売れ残った紹興酒も陳年の部類に入るのだろうか。
価格は180元であった。

2年もの紹興酒
[紹興酒のラベルの色も変色しかかっている]

夕食は昨晩とは違って団体客もおらず、数組が小さなテーブルに分かれて食べていた。
メニューは昨晩とは少し違い、蒸し鶏。きのこと竹の子の炒め煮、厚揚げの煮物、野菜炒め、中国ソーセージとポテトフライ、豚のスペアリブと苦瓜のスープ。

廬山園二泊目の夕食

スペアリブと苦瓜のスープ
[スープはあっさり味]

他の人のテーブルにはピーナッツと小エビの塩煎りが付いているが私にはない。
ここのピーナッツと小エビの塩煎りを私は特に気に入っているので、私もピーナッツと小エビの塩煎りを食べたいと訴えたところ気前よく小皿を持ってきてくれた。
これを紹興酒のツマミにすると最高なのである。

ピーナッツと小エビの塩煎り
[ピーナッツと小エビの塩煎りがやたらと美味しい]

夕食後、警光山荘前でネコを探す。
去年来たときには、ここにネコがいた。
人懐こいネコで、温泉客に自分から擦り寄っていくようなネコだった。
しかし、今回は見かけない。
どうしたのだろうか、誰かに拾われていったのなら良いのだけれど。

吊橋手前の以前碧華荘の入り口があった場所にはネコが何匹かいた。
昔も碧華荘の周辺にはネコが何匹かいついていた。
たぶんその末裔だと思うが、人懐こいのもいるし、人を怖がるのもいる。

旧碧華荘周辺のネコたち
[ここのネコはクリーム色したネコが多い]

警察の派出所横ではセミの幼虫が羽化しようと桜の木の幹に登ってきているのを見かけた。
はじめは黒い塊がセミの幼虫だとは思わず、クワガタのメスだと思って手でつまんだらば、グニュリと柔らかく、それでいて持ち重りがして、クワガタなんかではなくセミの幼虫だと気が付いた。
幼虫なら成虫にうかする瞬間を見てみたいとは思ったが、しばらく観察したが、羽化にはずいぶんと時間がかかるものらしく、幼虫は木の幹に掴まったままちっとも動かない。
観察は途中であきらめて、宿に戻り、またもう一度温泉に入って寝てしまう。

セミの幼虫

<HR>

6月11日 月曜日

朝6時前に起きだす。
昨晩のセミの幼虫はどうなったかと思って見に行ったら、もう羽化してどこかへ飛んで行ったようで、木の幹には抜け殻が残されていた。

セミの抜け殻
[無事に羽化できたらしい]

それから源泉のある温泉頭まで歩く。
別に温泉頭へ行っても何かあるわけではないし、源泉ブクブクが見られるわけでもなく、古びて朽ち果てかかった施設があるだけ、しかもまだ営業時間前という状態だけれど、廬山温泉に来たからには一度は足を運んでおかないとバチがあたるような気がして、毎度お参りしてしまう。

温泉頭
[奥に見える建物のあたりが源泉]

7時過ぎに朝食。
団体客がいないので、昨晩と同じように宴会場ではなく、「接待中心」と入り口に掲示された"和風舞月館"というエレベータ付き建物の1階にある食堂で食べる。
バイキングではなく、夕食と同じように給食風のプレート式。
煎り卵、キャベツ炒め、ピーナッツ、豚肉のデンブ、きゅうりの漬物と台湾の一般的朝食メニュー。
白粥と饅頭は好きなだけ食べられる。

朝食プレート
[朝食としては生野菜か果物がほしいところ]

8時40分のバスで下山するために、8時半には廬山温泉のバス乗り場へ到着。
万が一いつものとおり乗客がいないので、出発時刻前にバスが出てしまったら大変である。

旧天廬ホテル前
[急ぎ足でバス乗り場へ向かう]

今朝のバスも温泉から乗っているのは私一人であった。
そして、出発時刻の8時40分まであと2分ほどあるがバスは走り出した。
霧社までは左手にタロワン渓、ブカサン渓の深い谷が続き、雲が低く垂れ込めている。
温泉から埔里までのバス代99元。

雲龍橋からの車窓
[谷の底に雲がたまっているように見える]

霧社からはバスに乗り込んでくる乗客がある。
霧社から乗ってきたのは地元の人たちらしく、また年配者も多くて山の言葉をしゃべっている。

雨が降り始めた。
九十九折れの峠を下り、人止関を抜けて眉渓沿いに走って埔里のバスターミナルに9時45分に到着。
ちょうど良いタイミングで台中行きのバスに乗り継げる。
台中行きの乗客は街の人たちばかりで若い人もいる。
高速道路を順調に走ってぴったり1時間後の10時45分に台中へ到着。
埔里から台中までのバス代は124元。

バス車内に貼られた飲食禁止の張り紙
[車内での飲食禁止のはずがなぜか日本語では「食事なし」、さらにハングルでは"ダイエット禁止"]

台中で降ろされた場所は旧台中駅の南側。
以前と同じバスの下車専用バス停。
ここから旧台中駅前を突っ切って、台中駅北側の新しいバスターミナルまで歩く。
運よく降っていた雨も上がり、歩くのに支障はない。

台中駅の旧駅舎
[堂々とした赤レンガの台中駅旧駅舎]

桃園空港へのバスは11時31分発を予約してあるが、バスターミナルに到着して、一本前の11時01分発の便に変更してもらった。

空港行き統聯バスは台中市内を途中のバス停でお客を拾いながら朝馬まで30分くらいかけて走り、高速道路へ。
昨年歩いた三義の山が見えるあたりから、苗栗あたりまでは昔ながらの台湾の田園風景が続いたが、新竹が近づく頃には、もう台北近郊ではないかと思うような近代的な町並みが多くなった。

桃園空港行きの切符
[予約変更したらマジックで書き換えてくれた]

空港まで高速道路の渋滞もなく、午後1時半前には到着。
タイガーエアのチェックインも無事に終え、指定されたシート番号は10D。
昼食をまだ食べていないし、また機内食のサービスもないので空港内のコンビニ(ハイライフ)で維力のカップ麺でお気に入りの炸醤麺と台湾ビールのロング缶を買ってベンチで食べる。
ベンチにはベトナムあたりから来たのか外国人労働者の団体が集まっていた。
炸醤麺と台湾ビールで78元。

出国審査の手前の食品専門みやげ物店である新東陽で竹炭花生を買う。
やはり空港のみやげ物店だからかパッケージはきれいだけれど、250グラム入りの値段はちょっと高くて180元。
ちなみに今回買えなかったけれど埔里農會の竹炭花生は通販で売られているものを見ると同じ250グラムで95元となっている。

免税店で10年もの紹興酒十年窖蔵を買って帰ろうと思っていた。
しかし、注文をした際に行き先を聞かれ、バンコクと答えたところ、「タイ免税範囲はお酒1本までなので、この紹興酒は2本入りのセットなので持ち込めません」と販売を断られてしまった。
善意というか、余計なお世話というか、こちらの「陶器入りでしたら」大丈夫ですよと故宮博物院の収蔵物レプリカのような壺入りを勧められる。
これは私の方からお断りする。

バンコク・ドンムアン空港行きタイガーエア台湾IT505便の出発は30分遅れた。
そして帰りの機内もほぼ満席で、私の隣にもタイ人女性が座っていた。
やっぱり足元が狭くて、居住性が悪い。
そして、台湾滞在中は取り立てて気にもならなかったが、薬アレルギーによる身体の痒みが戻ってきてしまった。
この痒みも気分的なものと関係しているのかもしれない。

タイガーエア台湾の搭乗口
[出発は30分遅れの16:00になっていた]

ドンムアン空港の入国審査は、予想に反してガラガラで、すんなりと空港ターミナルの外へ出ることができた。

おわり

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=109 |
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タイガーエア台湾で格安台湾旅行
6月8日 金曜日

タイガーエア台湾という航空会社に初めて乗る。
中華航空の系列会社のようだけれど、LCCでまったくの別会社ということらしい。
タイガーエアというのはシンガポール航空系のLCCだったから、そこと中華航空が一緒になって作った会社ではないかと思っている。
そのシンガポールのタイガーエアは最近同じシンガポール航空系LCCのスクートに統合されてしまったので、タイガーエアを名乗っているのはこの台湾タイガーだけではないだろうか。
いままでにも台湾までLCCを使ってきていたが、使ってきた航空会社はノックスクート。
これもシンガポール航空系のLCCでタイを本拠地にしているのだが、そろそろLCCもそんなに安く感じなくなってきていたところ、タイガーエア台湾で往復5,000バーツを切った運賃があったので、衝動買いをしてしまった。

出発空港はアパートからはアクセスが不便なドンムアン空港。
出発時刻は19:20ということになっている。
先日来薬疹により病院通いをしており、今日も午前中勤務した後、病院へ行って治療を受けていた。
まったく、日本なら医療事故として訴えたいくらいの事態であるが、タイでは泣き寝入りしかできないようだ。

薬疹以外にも「航空性歯痛」という厄介な歯の病気を患い、先週末にプーケットまで飛行機で往復した際に死にそうな思いをしている。
こちらも同時進行で治療を受けており、今回の飛行機搭乗で再発しないかと不安も抱えている。
なんといっても、この航空性歯痛、飛行機が飛んでいると激痛に襲われるというもので、プーケットまでの1時間でさえ耐え難かったのだから、台湾までの4時間だとどんなことになるかと恐怖であった。

午後6時前にチェックインカウンターへ行ったらば、だれも並んでいない。
これは飛行機がガラガラなのではないかと期待をする。
チェックインを済ませて、スーパーのレシートのような搭乗券を受け取る。
指定された座席は2Aとなっている。
随分と前方の窓側らしい。
機材は全席エコノミークラスのA320型機なので、前の方でも席はどうせ狭いのだろう。

タイガーエア台湾のチェックインカウンター
[チェックインカウンターはガラガラ]

出国審査場もガラガラでスムースに抜けられる。
免税店にも興味はないし、ラウンジが使えるわけでもなく、そのまま搭乗ゲートへと直行する。
ゲート前まで来て、ガラガラだろうとの期待は遠ざかった。
ゲート周辺には私と同じ黒猫のイラストの入ったタッグが付いた荷物を持った人たちがたくさんいた。
小型のA320型によくもこんなに搭乗させられるものだと思うくらいたくさんの人がいる。
これはつまり座席間隔を詰めて乗客数を増やしているためではないかと想像される。
薬疹の痒み止め薬と睡眠薬を服用して搭乗開始を待つ。

タイガーエア台湾の搭乗券
[搭乗券はスーパーのレシートみたいなペラペラ、タッグにクロネコ]

7時に少し遅れて搭乗案内。
後方の座席から案内されるので、私の搭乗案内は一番最後。
まぁ、どうせ早く乗り込んでも窮屈なだけだから、最後に余裕で乗り込む方が正解だろう。

タイガーエア台湾のA320
[飛行機はトラ模様]

機内は満席で、ぎっちり詰まっている。
しかし、追加料金のかかる最前列の座席は空席のまま、そして2列目も空席。
私は指定された窓側に座り、隣に太った人が来なければいいなと念じているうちに飛行機の扉が閉まった。
なんとラッキー、足元はとても狭いけど、3人掛けのシートに私一人らしい。

タイガーエア台湾の機内
[機内は満席だけど、最前方の2列は空席のまま シートもクロネコ]

飛行機が離陸してぐんぐんと高度をあげていくけれど、歯痛は発生しない。
どうやら航空性歯痛は完治したようだ。

バンコク上空からの夜景
[高度を上げても航空性歯痛は発症しなかった]

水平飛行に移ってから、後ろの方の人が空いている前方のシートへ移動を試みてやってきたが、CAから追加料金を求められ、そのまま引き返していった。
つまり、この3人掛けのシートは私のベットとして使えるということらしい。
ちょうど、今日の午後処方してもらった強力な睡眠薬も効き始めてきて、シートにゴロリと転がったとたんに記憶が無くなってしまい、CAに揺り起こされたときは、もう台湾上空まで来ていた。

<hr>

6月9日 土曜日

バンコクの出発は少し遅れたけれど、台北にはほぼ定刻に到着。
午前零時へ過ぎには入国手続きを済ませて、第2ターミナルへ移動する。
移動の理由は第2ターミナルの地下にはコンビニエンスストアがあり、そのコンビニの前にはカフェテリア風にコンビニなどで買ったものを自由に食べられるスペースがあるから。
つまり、遅くなったけれど機内食の提供を受けていないので、コンビニで何か買って夕食にしようという魂胆である。

深夜台北・桃園空港へ到着
[ターミナルまではバスに乗せられて移動]

第2ターミナルへの移動にはターミナル間連絡の小さなシャトル電車に乗る。
成田空港の第2ターミナルも以前はこんなシャトル電車があったけど、今は動く歩道になっている。
どちらが便利で効率が良いのかわからないが、たぶん移動に要する距離に関係しているのではないだろうか。
その点では、バンコクのスワナプーム空港は歩かせる距離が長すぎる。

ターミナル間のシャトル電車
[深夜にもかかわらずシャトル電車の利用客はいるものだ]

コンビニはセブンイレブン。
各種お弁当や冷凍食品、インスタントまで充実している。
いろいろとあるので迷ってしまう。
弁当も日本風のものも、台湾式のものも揃っている。
せっかく台湾に来たし、台湾式の弁当にしようかとも思ったけれど、台湾式の弁当はいずれもお肉のボリュームが半端ではない。
ドカーンまたはゴロゴロと肉がご飯の上に載っているので、こんな深夜に食べるには少し重すぎる。
かといって日本風も面白くないので、迷っていたところ麻婆豆腐弁当と言うのがあった。
これだと食べやすそうだ。
それに麻婆豆腐は好物でもある。

深夜のコンビニ
[バンコクの空港内コンビニは市内より値段設定が高いが、台北は値段が市内と同じようだ]

レジで会計60元也。
ちゃんとレンジで温めてくれるが、レジ袋は付かない。
これは有料。

カフェテリアスペース
[こんなスペースがケチンボ旅行者には嬉しい]

麻婆豆腐はご飯と麻婆豆腐が別プレートの二段重ねになっており、味の方は私からすると唐辛子の辛さは控えめで、その代わり山椒の痺れる感じが強かった。
ボリュームの点でも味の点でも及第点だけれど、麻婆豆腐しかなく、できればザーサイでも良いし、ゆで卵でもいいから、もうひとつ何かを付けてほしかった。

麻婆豆腐弁当
[同時に果物を購入すれば10元オフとも書かれている]

麻婆豆腐弁当
[日本人的には、せめてご飯に胡麻でもふってもらえるとありがたい]

午前1時半の台中行き国光号バスに乗る。
台中まで280元。
乗客は3分の1程度で、車内は空いており、座席指定だけれど、好きな席に座れる状態。
私に指定された席は一人掛けのものであったが、広くゆったり座れる二人掛けのシートへ移動して、再び寝込む。

午前3時45分、台中到着。
駅前に新しくできたバスターミナルは、複数のバス会社が乗り入れており、24時間バスが発着しているようで、ターミナル内の施設も充実している。

台中駅ターミナル到着
[午前4時前、無事に台中駅ターミナルに到着]

まずは最終日に空港へ戻るバスの切符を購入しておく。
午前4時前と言う時間でももちろん切符販売カウンターはちゃんと営業している。
11日の11時31分発の統聯バスで、これも運賃は280元であった。

統聯バスのカウンター
[統聯バスのシンボルカラーは黄緑らしい]

長距離バスのターミナルは24時間営業しているけれど、温泉へ行く始発バスまではまだ時間がある。
それに、始発で温泉に向かっても、早く着きすぎて宿の部屋に入れない可能性もある。
そこで台中から温泉に行くのに少し寄り道をして行こうと思っている。

台中の南に二水と言う駅があり、そこから集集線と言うローカル線が伸びている。
その終点の車埕というところへ行ってみようと思う。
昭和5年の霧社事件当時、霧社や埔里へ至るにはこの車埕を回るルートが一般的だったようで、車埕から埔里までは台車(人力トロッコ)線も営業していたようだ。

もともとこの集集線は日月潭ダム建設や材木を運ぶ目的の路線だったようで、終点の車埕はそうした森林開発や製材が盛んだったころを再現したテーマパークのようになっているらしいので、今回は話の種としても寄り道してみたくなった。

その集集線の起点である二水へ行く電車もまだ走っていない。
昔の台湾にはたくさんの夜行列車が走っていたけれど、いまはなくなってしまって、電車は午前6時ころの始発を待たなくてはならない。
始発電車が6時と言うのは日本の感覚からすると遅いような気もするが、とにかくまだ電車は走っていない。

カラオケボックス
[ターミナル内にはカラオケボックスもあり、こんな時間に熱唱している人がいる]

それまでの時間を利用して24時間営業のスーパーへ買い物に行ってみる。
まだ眠ったような台中の町を南に歩き、鉄道のガードをくぐって、さらに歩き続ける。
距離にして1キロ少々。
夜明け前に歩いても安心なのが台湾の良いところだろう。

夜明け前の有明町路地裏
[スーパー周辺は戦前「有明町」と呼ばれていたらしい]

頂好スーパーに入る。
中規模の店で品ぞろえは大したことはないけれど、土産用のパイナップルケーキや温泉で飲もうと思っている紹興酒を物色する。
パイナップルケーキはともかくとして、これから向かう埔里は台湾で紹興酒の産地として知られていて、わざわざ今から買っておく必要もないように感じたが、埔里の街はともかくとして、温泉まで行くと意外と紹興酒が入手しずらい。
それと、今回気が付いたのだけれど、普通の紹興酒と5年物の陳年紹興酒の価格差がスーパーでは15元くらいしかない。
両者の味覚面での差は15元以上大きいので、これは陳年を買う方が理にかなっている。
ということで頂好スーパーでの支払額は合計373元。

スーパーのビール売り場
[日本ブランドのビールが多い もちろん冷えたビールも冷蔵庫にある]

買い物を終えてスーパーの外に出てみるともう外は明るくなり始めていた。
またもと来た道を歩き台中の鉄道駅へ。

台中の夜明け
[朝が来ていた]

台中から南下する始発電車は午前5時42分発の自強号特急で、それは特急なので集集線の二水駅のような小さな駅には止まらないので、自強壕では途中の彰化まで乗ることにして、彰化で二水駅に止まる電車に乗り換えようと思う。

始発の自強号車内
[始発電車の車内はガラガラ]

台中から彰化まではあっという間で、15分とかからなかったが、彰化駅構内に差しかかる手前に機関庫が見え、オレンジ色をしたディーゼル機関車が何両も止まっている。
そのなかで、転車台を取り囲むような機関庫から煙が上がっている。
火事の煙ではなく、蒸気機関車が石炭を焚き始めた煙に見える。

彰化駅でそのまま二水に止まる電車に乗り換えようと思ったけれど、この機関庫が気になったので途中下車してしまう。
台中から彰化まで23元。

タイの鉄道施設と違って、線路や敷地内への立ち入りは禁止されているようで、機関庫へは直行できず、跨線橋を渡り、住宅街の中を歩いてアプローチを試みる。
近づくにつれてかすかに煤煙の香りが混じって来る。

彰化駅の跨線橋より
[彰化駅跨線橋より 青い車体に白帯は昔の台東線の軽便車両に思われる]

路地裏のような道から機関庫のある「彰化機務段」の門の前までたどり着く。
この機関庫は彰化県県定古跡に指定されているそうで、「彰化扇形車庫」というらしい。
中を見学させてほしいと門の横にいた守衛さんに尋ねてみたが、「見学は10時から」とつれない。
もっとも、施設見学を開放しているだけでも感謝すべきことかもしれない。
でも、10時まで待つ気はないので、駅へ戻る。

扇形車庫
[もうすぐ目の前まで来ているのに残念]

線路沿いを歩ければ、この機関庫を覗けるだろうけれど、線路沿いは立ち入り禁止になっている。
であれば、もういちど上り方向の電車に乗って、窓越しにのぞき見してやろうという気になった。

すぐの上り電車に乗り込み、ドアの窓から外を睨みつけるように固視する。
機関庫が見えてきたが、電車のスピードが速すぎて、一瞬で見えなくなってしまった。

扇形車庫
[一瞬で通り過ぎてしまったが、車庫からは確かに煙が漂っている]

チャンスはもう一度、次の成功駅で下車して、また彰化方向へ戻る電車に乗る。
しかし、今度も車庫前との間をディーゼル機関車が塞いでしまっている。
まぁ、もういいだろう。
別にチラリと見れたからどうということにもならないし、またいつか機会があれば指定時間に見学に来ればよいだけ。
そのまま彰化で下車せずに40分ほど電車に乗り続けて二水駅へ向かう。
二水まで42元。

転車台と扇形車庫
[ほとんどさっきと同じ写真になってしまった]

のどかな二水駅前は、台湾の田舎の町と言った感じで、ロータリーと駅前旅館があるだけ。
いまどきこんな駅前旅館にどんな人が泊まるのだろうか。
自分としては、こんな旅社にノスタルジーを感じて泊まってみたいと思うのだが、時代から取り残される感じは否めない。

二水駅前
[朝の駅頭風景としてはのどかすぎる]

なにか簡単に朝食になるものを食べたいと思い、駅の周りをうろついていたら、「葱油餅」と書かれた屋台が出ていた。

葱油餅
[作り方はお好み焼きにも似ている]

これは先日北投温泉の朝食で食べたネギ入り台湾風パイによく似ている。
これを朝食にいただくことにする。
玉子も一緒に焼いてもらい一食分30元也。
あわせて別の屋台で冷たい豆乳も10元で購入して駅のホームで食べる。

集集線のディーゼルカーは昔と違って新しい車両になっていた。
しかし、そのためシートは通勤電車のようなロングシートで、旅情の点からはつまらない。
一部の車両の一部だけ前向きに座れるシートがあったが、グループ客で占有されていた。

集集線のディーゼルカー
[なんとなく昆虫をイメージさせるデザイン]

一番前まで行ってみたところ、運転台の横にも客席があり座れるようになっていた。
しかも空席。
これはラッキー。
前方の展望ができる特等席である。

運転席横の特等席
[ここからなら景色をたっぷり楽しめそう]

午前8時出発。
本線と離れてすぐにローカル色満点となる。
一番前の座席で、前面が開けてはいるが、シートそのものはロングシートと同じで横向き。
まっすぐ座っていれば、見えるのは運転席で、進行方向を見るためには常に右を向いていなくてはならない。

南国のローカル線
[ビンロウ椰子を除けば日本のローカル線とそっくりな車窓風景]

座席に座って前を向けば、正面は運転席で、床にはタブレットが置かれ、ときどき駅でタブレットの交換をしている。

床に置かれたタブレット
[床に置かれたタブレット]

タブレット交換
[運転席の窓からタブレットの交換]

もともと田舎の景色が続いていたが、先へ進むほど山の中に入っていくようで、遠くに山が見えているなと思っているうちに、山の中へ入ったのかトンネルに入ったりする。
坂道なのかエンジンの唸りも大きくなっている。

トンネル
[前方の景色の展開を眺めていると飽きない]

50分ほどの乗車で、前方に小さなトンネルが現れ、そしてくぐり抜けたところが終点の車埕であった。
駅周辺は聞いていた通りテーマパークのようになっていて、鉄道車両も展示されているが、駅舎はないのか改札口のようなものを見かけなかった。
そのためICカードをチェックしておらず、あとでカードの利用状況を確認したらどうも無賃乗車をしてしまっていたらしい。

車埕駅
[ホームはあるが改札口はどこだったのだろう]

展示されている鉄道車両はディーゼル機関車と貨車で、貨車は戦前のものを含めて日本製のようだった。
最近の台湾ではあちこちに鉄道関連の展示施設ができているけれど、以前の台湾で鉄道に興味を持っている人など皆無に等しかったのに、最近は変わってきているのだろうか?

車埕駅構内に展示されている車両
[きれいに展示はしてあるが解説はあまり充実していない感じがした]

鉄道車両以外にも実物大で復元されている製材所の作業風景展示や貯木場の池などがあり、日本統治時代の家屋なども復元されていた。
貯木場の先はすぐにダムになっており、今でも発電所として使っているのか高圧線鉄塔が何本も立っていた。
全体的にきれいによく整備されていて、懐古趣味的なつくりになっている。

製材所の風景
[製材所の作業風景]

テーマパークと呼んで差しさわりないとは思うが、入場料などは取られず、インフォメーションへ立ち寄ったら何枚かの絵ハガキさえもらってしまった。
もっとも絵ハガキは、この車埕のものではなく、日月潭のものであった。

貯木場と日本式家屋
[貯木池の水の色は緑 山も緑、空は青]

今日は土曜日、週末だけれど、まだ朝早いこともあり観光客の姿はチラホラしか見かけないが、あと2時間もしたら、観光客がたくさん押しかけてきそうな雰囲気が、何軒も並んだ土産物店や飲食店から想像できる。
ここの名物は小さな木のお櫃に入った弁当だそうだ。

埔里へのバスはこの車埕から少し山側へ登ったところを走る道路に外車埕という停留所があるそうで、午前中とはいえ、強い日差しの中を汗かきながら坂道を少し登る。

バス停は外車埕、戦前の名称のまま

バスは9時45分にやってきた。
埔里までクネクネと曲がる山道が続いていたようなのだが、車内ではほとんど居眠りをしていたので、どんな道を走っていたのかあんまり記憶がない。
ときどき目を覚ましてキョロキョロしただけで、それも寝ぼけたままである。

戦前は同じところを手押し台車が通っていたということだけれど、私はもっと平坦なルートを走っていたのだろうと想像していた。
こんな山道で人力でトロッコを走らせていたとは、随分と人夫たちも苦労したことだろう。
かつて台車で4時間かかった道をバスで1時間少々、11時には埔里へ到着。
運賃は109元で、資料公開されている大正15年の時刻表によると、当時の台車の運賃は4人乗り台車に4人で乗って、一人4円8銭だったらしい。
また、雨天時は二割り増しと記載されている。
さらに雨避け日除け覆い付きは三割り増しともある。

4月に桃園空港で竹炭花生と言う竹の炭でコーティングしたピーナッツを探したことがあった。
どうも適当なものがなく諦めたのだが、その後南投県ではピーナッツ栽培が盛んらしく、しかも埔里の農協でも竹炭花生を作っているらしいことを埔里農会の通販ページで発見する。
しかも、空港で売られているものよりかなり安いようだ。

廬山温泉行きバスとの乗り継ぎ時間を利用して埔里農会の即売所を訪ねてみる。
しかし、即売所には竹炭花生はなかった。
紅麹花生など別のフレーバー豆菓子はあったが残念。

埔里農会即売所
[わざわざ来てみたけれど竹炭花生はなかった]

始発のターミナルよりも埔里農会に近い市内のロータリーにあるバス停から廬山温泉行きのバスに乗り込む。
台湾には梅雨前線がかかり、毎日雨との予報であったけれど、きょうは晴れ渡って良い天気である。
12時半、終点の廬山温泉に到着。
埔里から廬山温泉まで99元。

バスから降りたのは私ともう一人30代くらいで軽装の男性。
どうも日本人のように見えたので声をかけてみたら、やはり日本人であった。
軽装なので日帰りかと聞くとそうだと答え、台中に泊っているそうだ。
台湾旅行の目的は野球観戦だそうで、わざわざ台湾の野球を見に日本から来るような時代になったのかと思う。
日帰りなら、温泉街の奥にある源泉で入浴ができると教えたのだが、どうやら夕方からの野球を見に戻らなくてはならず、のんびり入浴などしていられないらしい。
それどころか、今乗ってきたバスが折り返しで山を下るので、それに乗らなくては次のバスまで2時間待ちであることを知らせたら、慌ててバス停へ戻って行った。

6月9日の廬山温泉
[天気に恵まれてよかった]

いつもの廬山園ホテルでは、いつもと同じ料金で部屋へ通してくれた。
今日は土曜日で、予約なしだったので、満室で宿泊を断られるのではないかと心配していたが、空室はあったようだ。
いつもと同じ谷川に面した部屋。

お昼時だけれど、昼食には今朝方台中のスーパーで買っておいた即席麺を食べることにする。
いつもの台湾炸醤麺と同じタイプ、つまり日本のカップ焼きそば式のインスタントで、「地獄辣椒風味大乾麺」と書かれたパッケージに惹かれて買ってしまったものだ。
メーカーは炸醤麺と同じ維力で、同じように麺のゆで汁でスープを作る形になっている。

地獄辣椒風味大乾麺
[地獄辣椒風味の文字に興奮してしまう]

地獄辣椒とは、どれほど辛いものだろうかと期待していたが、辛さは大したことがなかった。
そして台湾のカップ麺に共通することだけれど、和えタレなどの調味料は充実しているが、フリーズドライのカヤクはほとんど入っていなかった。

地獄辣椒風味大乾麺
[まずくはないけど、もっと地獄を体験したかった]

午後2時より散策に出かける。
散策と言っても、この温泉の周りはどちらへ進んでも山ばかりなので、山歩きということになるが、もう何度も来ているのでだいたい周辺は歩き尽くしている。
まだ行ってないところはないだろうかと考えていたら、前回来た時だったか地図に能高山登山歩道と書かれた道があり、途中に展望台があり片道3キロくらいと案内されていた。
その時は時間がなくて行かなかったが、片道3キロだったら今から軽く歩いてくるのに適当と思われ、能高山登山歩道を歩いてみる。

マヘボ部落跡

警光山荘の横から旧マヘボ部落の跡へ続く道を進む。
このあたり果樹栽培が盛んで、柿や梨などが栽培されている。
道端にプラムの木があり、下にプラムの実がいくつも落ちている。
いずれも小さな実で、虫食いのものも多いから、間引かれたものだろうか。
落ちているものの中から、比較的きれいなものを拾い上げて齧ってみる。
甘さはあまりなく、少々渋いけれど、ビタミンがいっぱい入ってそうで、それなりに美味しい。

小さなプラム
[昼食にカップ麺しか食べていないので、これで栄養バランス?]

登山道と言っても山の中の農道のようなもので、歩いていても退屈な道である。
林間が開けると茶畑になり、ときどき眼下に温泉街が見える。

温泉街

展望台と思われる赤い屋根の東屋が途中にあったが、山の中腹で、特別見晴らしが効くという感じてもないので、立ち寄らずそのまま先へ向かって歩き続けた。

展望台
[わずかに赤い屋根が見えるが、これが展望台なのだろうか]

地図には能高山登山歩道と紹介されていたようだけれど、どうも能高山へと続く道ではないらしく、最後は茶畑の中で道は途切れていた。

茶畑
[能高山登山歩道は茶畑の中で途切れていた]

ここまで1時間少々で、いまから宿に戻って温泉と言うのも悪くないし、ちょっとプールで泳ぐのも悪くないと考えながら今来た道を引き返し始める。
登って来る時には時に気にならなかったが、途中で谷側へ下る別れ道があった。
その道も農道のようなのだが、このまま谷へ下ればたぶん廬山温泉の源泉が湧く裏当たりに出れそうな気がする。
まだ時間もあるので、その谷へ下る道を進んでみる。
この道も農道のようだけれど、果樹園や茶畑はなく、森ばかりであった。

GPSで位置確認
[スマートフォンのGPS機能で位置確認するが、地図に道は表示されない]

30分くらい歩いたところで農作業小屋があった。
作業小屋ではなく、人も住んでいるのかもしれない。
谷底の狭い土地に畑が作られていた。

作業小屋のネコ
[ネコがいるということは誰か住んでいるのかも]

そのまま進んで行くと谷川が見えてきて、対岸の河原にはどうやらオートキャンプに来ている人がいるようだ。
谷川沿いに岩場を少し下ると、ところどころで温泉が湧いていることに気づいた。
このあたりでは温泉が自噴しているらしい。
温度はかなり熱くて、源泉では手を入れられないほどだ。

オートキャンプ
[対岸でオートキャンプをしているらしい]

キャンプをしている人が準備したのか、要領よく大きなビニールシートに温泉を貯めて、即席の露天風呂ができていた。
私も入浴させてほしいところだが、他人のお風呂に勝手に入るわけにもいかないし、それに水着も持ってきていない。

ビニールシートの露天風呂
[自然満喫できそうな露天風呂]

さらにもう少し先に歩くと、こんどは湧出する温泉を堰き止めた深さ10センチほどの池が作ってあった。
そばでオートキャンプしていた家族連れに聞くと、適温だと誘われた。
浅いので入浴と言うわけにはいかないが、お湯浴び程度はできそうで、タオルを温泉に浸して体を拭いたり、脚や腕に湯を掛けたりできた。
源泉だけでは熱すぎるので、適当に川から水を引いてきて、混ぜてある。
この家族連れは2日前からキャンプをしているそうで、この温泉の名前は精英温泉と教えてくれた。

精英温泉
[こんど来る時はスコップでも借りてきたい]

ここから廬山温泉まで谷川沿いに下ることはできないそうで、廬山温泉へ戻るにはいま来た道を戻るか、吊り橋を渡って対岸へ渡り、廬山部落を経由して行くしかないらしい。
廬山部落を経由したら何時間歩かなくてはならないかわからない。
「車で送ってやるよ」とも言われたけれど、いま来た道を引き返すことにする。

情人橋
[この吊り橋の名前は「情人橋」と言うそうだ]

谷川の精英温泉から廬山温泉まで歩くこと1時間少々。
山の峰を一つ越える感じで、延々と登って、ダラダラと下り、6時に宿へ戻る。

夕食までまだ少し時間があったので、プールでほんの少し泳ぐ。
1月に頸椎の手術をして以来、水泳を禁止されていたので、ほぼ半年ぶりにプール入った。
そして、そのまま大浴場で入浴。
今夜も団体客か入っているようだけど、台湾の団体客は裸湯になれていないのか、浴場にはいつもの通り誰もいなかった。
そとからは宿の中庭でカラオケを歌う声が聞こえてきた。

廬山園の大浴場
[大きな風呂ではないけれど、いつも一人でのんびり入れるのが気に入っている]

宿のレセプションにある冷蔵庫からビールを一本抜き取って、夕食前に風呂上がりの一杯。
金牌台湾ビール、35元。

夕食は、毎度おんなじメニュー。
合鴨のロースト、酢豚風炒め物、キャベツ炒め、ポテトフライ、そして肉団子とタケノコのスープ。
団体客が盛大に食べている片隅の丸テーブルでひとり夕食のプレートを突く。
今回はいつもよりちょっとアップグレードした陳年紹興酒もグビグビといただく。
ご飯もすすむ。
贅沢なものなどないけれど、素朴で健康的なメニューが美味しい。

廬山園の夕食1日目
[二人以上だと料理は皿に盛られてくるけど、一人だとこのプレート]

団体の添乗員さんが、紹興酒を飲んでいる私に気づいて、塩煎りしたピーナッツを一皿差し入れてくれた。
台湾の人の人情も嬉しい。

夕食後にもう一度温泉に浸かって、早めに休むことにする。

つづく

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航空性歯痛
馬祖島で最後の朝食を食べているときだった。
奥歯に突然刺すような痛みがあり、その後も少しうずくような感じがあった。
しかし、大したことはないだろう。
虫歯でもできたかなくらいに思っていた。

一眼で撮った青の涙
[フィルム一眼キヤノンAE-1で撮影した馬祖島の「青の涙」はちゃんと写っていた]

一眼で撮った津沙集落
[津沙集落の写真は焼いたばかりなのにもうセピア色っぽいのはフィルムが古かったからかな]

バンコクに戻って2日が過ぎた5月18日になって念のために歯医者に行ってみた。
予約なしの飛込であったが、何度か行ったことのある歯医者のため、さほど待つこともなく診察を受けられた。

「あー、クラウン(かぶせもの)が外れかかってますね」と言うことで、その場で填めてもらった。
最初に歯痛があったので虫歯の有無を確認してもらったが、虫歯はないとのことであった。
填めてはもらったのだが、何か噛み合わせが悪く感じたので、そのことを訴えたところ、歯を少し削って調整をしてくれた。
でも、まだなんだか噛むと歯の根っこのところが疼くように感じるが、「そのうち良くなるから」と言われて、治療費1,020バーツを支払う。
歯は保険が効かないので、やたらと高く感じる。

5月21日の朝、通勤のためアパートから30分ほど歩いて、もうすぐクロンタン駅と言うところで、突然奥歯に激痛が走った。
それはまるでペンチで奥歯をへし折られるかのような痛みで、目から火花が飛び、目の前が真っ暗、立っていられずにその場にしゃがみ込んでしまった。
なんなんだこれは!

まったくの突然のことで、いったい何が起きたのかさっぱりわからない。
わかるのは奥歯が激しく痛いということだけ。
歩くこともままならず、これでは出社は無理と判断。
時間が経つにつれて、少しずつ痛みが引き始めたので、そのまま歯医者へ向かうことにした。

しかし、まだ朝早く、歯医者で診察を受けるまでに2時間以上も待つことになった。
その間に外では土砂降りの雨が降り始めた。
「噛み合わせが良くないのかもしれない」と言われてまた歯を削られる。
そのころにはもう痛みはほとんど収まっていたし、まぁそんなものだったのかとも思って、そのまま雨の降る中、トボトボとラチャダ通りのバス停まで歩く。

歯医者の場所はディンデンという下町で、小さな縫製作業場の多いところ。
路地が多くて、道は入り組んでいる。
本当に迷路のようで、行き止まりの路地が多いから、迷い込むと脱出が大変な地域でもある。
そんな細い道に古い小さなトラックが止まっていた。
赤くて可愛らしいトラックだが、なんだか懐かしさの感じられるトラック。
どこのメーカーだろうか、古い英国製トラックのような半キャブオーバー構造になっている。
"ToyoAce"と書かれている。

初代トヨエース正面
[裏町の路地で見かけた古い赤いトラック"Toyo Ace"]

トヨエースって、トヨタの小型トラック。
子供のころ、チリ紙交換に回ってきていたトラックもトヨエースだったが形が違う。
あとでネットで調べてみたら、この赤いトラック、今から60年以上も前の初代トヨエースであった。
私が子供のころにチリ紙交換で回っていたのは2代目のトヨエースらしい。
それにしても、ずいぶんと改造されているとはいえ、古いトラックが生き延びていたものだ。
なんだか、欲しくなってきてしまった。

初代トヨエース側面
[側面から見るとキャブはタイ式に改造されてドアを撤去して半分オープン構造]

その後しばらくは、奥歯のことなど忘れていた。
少し疼くかなとも思ったが、我慢できないほどではないし、それに虫歯になっていないと言われていたので安心しきっていた。

6月最初の週末、急にカオラックへの研修旅行に参加することになった。
6月2日土曜日の朝、プーケットまでは飛行機。
ひさびさのタイ航空で、なんとジャンボジェットだった。
中華航空のように2階席のビジネスシートという訳にはいかなかったが、非常口横の席で、足元だけは広々だった。

タイ航空のジャンボ機
[バンコクからプーケットへの国内線でタイ航空のジャンボ機に乗る]

機内はインドからの乗り継ぎ客か、インド人ばかりでほぼ満席であった。
中国人観光客同様に、機内では騒がしい人たちだが、さらに身体に塗っている香油の匂いが機内に充満する。
タイにいながらにして、インドの国内線に乗っている気分になる。
離陸して、順調に高度を上げ始めた時、またしても奥歯に電撃的な激痛が走る。

あの時よりも激痛は激しく、気が遠くなりそうであった。
髪の毛を掻きむしりながら必死に我慢する。
なんなんだこれは!
機内サービスのスナックや飲み物が配られているが、こちらはそれどころではない。
シートになど座ってられず、非常口前であることをよいことに、床の上にしゃがみ込んでしまう。
全身汗だく、きっと顔面蒼白、怒髪天を突き、心身衰弱。
CAから、席に着いてシートベルトを締めるよう注意をうける。

シートベルトどころか、もう半狂乱で、このまま非常口を開いて外へ脱出したいくらいの気分であったが、プーケットに近づき、機体が降下を始めたら痛みが嘘のように消え始めてしまった。
なんなんだこれは!

プーケットに着陸し、ネットを使って現象から検索をしてみると「航空性歯痛」というものが該当するらしいことが判明。
これは歯根内にある空洞の気圧と外気圧との差によって、神経を圧迫されたり、患部の膿が詰まったりして激痛を起こすもので、歯が破裂することさえあるという。
気圧の急激な変化により引き起こされるため、台風が近づいたり、高い山へ登っても起きるという。

そう、前回の激痛もきっとスコール前で急に気圧が下がったため、激痛が発生したんだろう。
飛行機のパイロットも航空性歯痛を避けるため、歯の健康が確認できないと乗務できないらしい。
何ということだ、次の週末にはまた台湾へ行って、山登りをしようと思っているのに、飛行機も山登りも激痛の原因になるとは。

翌日バンコクへ戻る飛行機に乗るのが怖くなってきた。
飛行中、歯が破裂したらどうしよう。
それに、回を重ねるごとに痛みが激しくなってきている。
嫌だ、もうあの痛みは嫌だ。

そうだ、バンコクまでバスで帰ろう。
夕方には研修が終わるから、そのまま夜行バスに乗って帰ればいいんだ。
空港内のタイ航空の発券カウンターへ行って、切符の払い戻しができるか確認してみたら、出発の3時間前までにキャンセルすれば大丈夫と言われる。
よし、バスだ。
それが安心だ。

会社へ飛行機ではなく、夜行バスに変更したい旨メッセージを送る。
折り返し、「わかってるとおもうけど、月曜日は遅刻しないでね」と返事が来る。
プーケットを夜出たバスは何時にバンコクに着くのだろう。
それに1泊2日の予定で出てきたので、ネコのことも気になる。

ホテルのスタッフにバスのことを確認してみる。
カオラックからもバンコク行きのバスはあるそうで、12時間くらいで到着するらしいが、バスターミナルはバンコクの郊外にあり、そこから市内までが遠いのだそうだ。
どうするか悩む。
「あしたの昼までに連絡してくれれば、バスの切符を用意しておきますよ」とまで親切に言ってもらえた。

研修とはいえ、観光旅行のようなもので、おいしい料理もいただき、豪華なリゾートホテルにも泊めてもらい、ずいぶんと楽しませてもらったが、奥歯のことで他の参加者にも心配をかけてしまった。

カオラックの夕日
[モンスーンシーズンで少し波が高かったけど、きれいな夕日を眺めることができた]

6月3日、さてどうするか。
ホテルの副社長さんまで心配してくれながらも、大丈夫と励ましてくれる。
「自分も飛行機に乗るとよくなるんだ」
「コツがあってね、鼻をつまんで息を詰めれば治るから平気だよ」
などなどと言ってくれる。
うーむ、バンコクまでの1時間のフライト、鼻つまんで息を詰めていたら、歯痛の前に窒息死してしまいそうだ。
しかし、ここまで言われて、「でも怖いんでバスにします」とは言えなくなってしまった。

カオラック・タクアパーの媽祖廟
[カオラック北部のタクアパーは華僑の町で、なんとなくバトゥパハに似ていた]

夕刻、無事に研修を終えてプーケットの空港で解散となる。
歯痛にはタイレノールという鎮痛剤が効くらしいというので、一度に4粒ほど飲んで準備する。
「寝てしまえば痛みを感じないはず」らしいというが、同じように睡眠薬を飲んだら、なんだかそのまま起きられなくなりそうなので、睡眠薬は自重する。
その代わり搭乗直前にさらにタイレノールを2粒服用する。

帰りの飛行機のシートは非常口横ではなかった。
狭いシートに座り、シートベルトを緊張しながら締める。
機内は満席。
インド人は減り、西洋人や日本人観光客の比率が増えた。

離陸して、高度を上げ始める。
じっと目を閉じて、あわよくば寝てしまおうと試みる。
しかし、離陸して数分もたたずに激痛は襲ってきた。
しかも、合計6粒もタイレノールを服用しているのにも関わらず、過去最大級の規模で奥歯から顎にかけて、破廉恥なほど痛む。
狭いシートで、身体をよじり、頭を掻きむしり、手の指にあり歯痛を止めるというツボをボールペンで押しまくる。
発狂寸前の状態に、となりの席のタイ人が心配してCAを呼んでくれるが、CAは"Are You OK?"と聞くだけ。
こちらはとても話ができるような状態ではなく、なにも答えられず、肩を震わせ、首を打ち振るのだが「マイペンライナー」と言って無視されてしまった。
その後もなんどか、隣の人がCAに声をかけてくれていたようなのだが、もう苦しくて周りの声など耳に入らなかった。

運が悪いというか、空港が混雑していて着陸許可が出ないとかで、20分近くバンコク上空を旋回したため、往路以上に苦しい時間が長かった。
しかし、着陸してしまえば歯痛は嘘のように消えてしまった。

翌6月4日月曜日、職場から歯医者へ電話をして事情を説明し、夕方6時の予約を取った。
日中は別に歯が痛むようなこともなく、このままずっと歯が痛まなければいいのにと思いつつも、週末の台湾行きが不安でたまらない。

定時に退勤して、大急ぎで歯医者までバイクを飛ばして向かったものの、診察室に入るまで1時間以上も待たされてしまった。
さらに、歯科医は私の口の中を確認しようともしない。
私はどれほどの苦痛だったかを訴え、気圧の変化でトラブルが起きることを説明したが、「私もなったことがあるから判るわよ」と言う。
ならば根本治療をしてほしいところなのだが、「時間が経てば少しずつ良くなるから」と言われる。
虫歯をはじめとして、歯のトラブルが擦り傷みたいに自然治癒していくなんて聞いたことがない。
しかし、相手は歯科医師だし、当然私より知識があるはずで、本当に時間が解決してくれるのなら、私としても御の字ではある。
でも、今度の週末までの時間で治癒するとは思われない。
「じゃ、痛み止めと、抗生剤を出しとくからそれ飲んでなさい」
と言われて、診察室から出されてしまう。
薬局で買えば100バーツもしなさそうな薬に高いお金を払わされて帰宅する。

夕食後から飲むようにと言われていたので、ピンク色した大粒の錠剤と、カプセルの抗生剤を2錠ずつ飲んだ。
が、少しして体調に異常を感じ始めた、なんだか朦朧としてきて、それでいて心拍数が上がっているように感じる。
さっきの薬が原因のように感じて、ネットでどんな薬を処方されたのか確認した。
ピンクの錠剤はタイでは一般的な鎮痛剤のようだったが、カプセルはアモキシシリンであった。

歯医者で処方された薬(アモキシシリン)
[歯医者で処方された薬、カプセルはアモキシシリン]

私はペニシリンとアモキシシリンに対して酷い拒絶体質のため、服用は禁止されていると、歯医者のカルテにも記載されているはず。
チェンマイにいた時も、アモキシシリンのアレルギーで死にかけて大学病院に緊急入院までしたことがある。
大急ぎで、トイレに駆け込み、喉の奥に指を突っ込んで夕食もろとも吐き出した。
溶けかかったカプセルが出てきたのが見えた。
さらに何リットルも水を飲んでは吐いて、胃の洗浄を試みた。

身体の異常は収まらず、とにかく床について寝てしまうことにしたが、なかなか寝付けない。
一晩中ウトウトするばかりであったが、朝になったら心拍も平常に戻ったようだし、朦朧とした感じもなくなった。
どうやらアモキシシリン中毒にはならずに済んだように思えた。

もうあの歯医者は信用できない。
早速別の歯医者にかかることにした。
職場のあるビルの1階の歯医者なので、仕事を抜け出して治療を受けるのにも便利だ。

「レントゲンで確認してみましょう」と若い女性の歯科医は言った。
奥歯にはクラウンを被せてあるので、外からは確認できない。
「歯根の先に膿が溜まって、感染症になってるわね」
「歯根の治療は1万2千バーツだけど治療しますか?」
もっと安く上げるには抜歯と言う方法しかないらしい。
歯は抜きたくないので、泣く泣く治療をお願いする。

が、現在のクラウンは再利用できないそうで、また新しく作り直しと言うことらしい。
「これと同じ材質のものだと2万バーツからだけど、もう少し安いのもあるわよ」
なんてこった。

ちゅーる
[ネコにCiaoちゅーるを与えてみる 臭いが気になって仕方がないらしい]

ちゅーる
[ちびちびなんて舐めてられなくて、ガブリ、、これ一本が15バーツ ネコには贅沢すぎかも]

6月5日火曜日、なんだかインキンタムシにでもなったかのように股間が猛烈に痒い。また、手首や足首も南京虫に噛まれたように痛痒い。
時間が経過するにしたがって、身体全体が赤く腫れあがり始め、全身が痒くなる。

6月6日水曜日、前夜から痒みでもがき苦しみ、とてもではないが出社できる状態ではなくなる。
また、全身がむくみ始め、薬指にはめた結婚指輪が、指に食い込んで、指が千切れそうに痛い。
これはチェンマイの時の症状と同じだ。
朝一番でサミティベート病院ヘ駆け込む。
血液検査をし、アレルギー専門医の診察を受ける。
「アモキシシリンの拒絶反応、なんでもっと早く来ないの」と叱られる。
抗ヒスタミンとステロイドの注射を打ってもらったら、痒みがだいぶ収まった。
飲み薬もステロイドと抗ヒスタミンをたくさん処方される。

午前中に歯科医で、歯根の治療を受ける。
歯科医師も2日前とは違ってむくみ、赤く腫れあがった私を見て驚いていた。
歯根の中の空洞に薬を充填してもらい、気圧の変化の影響を受けないようにしてもらった。
これで飛行機に乗っても大丈夫なはずとのこと。

その後、注射の効力が落ちてきたのか、ふたたび全身が激しく痒くなるし、むくみも酷くなる。
夜は痒くてとても眠れたものではない。

6月7日木曜日、サミティベート病院から入院を勧められる。
しかし、明日から台湾へ山登りに行く予定になっているから、入院しなくても済むように治療してほしいと訴え、また注射を打ってもらう。
また、昨日の薬よりも強い薬と睡眠剤を処方してもらう。

6月8日金曜日、午前中の半日仕事をして、午後にサミティベート病院へ行く。
昨日もらった睡眠剤では、痒みに勝てず、眠れなかったことを訴えて、さらに強い睡眠剤を出してもらう。
「お風呂に入ってはだめだからね、それとアルコールもダメですよ」と言われるが、「台湾の温泉に行って、お酒飲むのが楽しみなんだから勘弁してください」と懇願したところ、「そのぶん治るのに時間がかかって、辛い思いするわよ」と警告を受ける。
「辛くても我慢しますから、いまできる治療をお願いします」と言って、また注射を打ってもらう。
薬ではあまり効き目はないが、注射は数時間は痒みが収まるようだ。
それと股間や手首、足首の痒みは収まり、胸や腕、腿に背中など痒い部分が体の中心へ移転し始めているようだ。

台湾では温泉と紹興酒三昧で、おかげでアレルギーは改善しなかったが、精神面では開放されて、夜もよく眠れた。

6月15日金曜日、サミティベート病院で診察を受ける。
まだ痒みは少し残っているが、身体のむくみはすっかり取れてきたようだ。
あと一週間ほど薬を飲み続けるように指導を受ける。

ピーターコン
[体調が悪くても飛び回ってます 16-17日の二日間ピーターコン祭りへ1000キロドライブ]

6月20日水曜日、歯医者にて治療の続きを受けるが、他にも外からは見えないが、虫歯とか歯根の炎症などが起きている可能性があるのではないかと疑い、全部の歯をレントゲンで撮ってもらった。
そしたら、どうも前歯2本と奥歯の2か所に虫歯か欠損部分があるように影ができていた。
特に奥歯はクラウンを外してみないとわからず、もし欠損や虫歯だとクラウンの作り直しが必要になるらしい。
早いうちに見つかってよかったと考えるべきか、こんなもの死ぬまで見つからないでいてくれればよかったと考えるべきか悩むが、航空性歯痛から解放されると、どうも見なかったことにしたい気持ちが大きくなってくる。

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| 日常 | 06:20 PM | comments (0) | trackback (0) |
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