2015,08,16, Sunday
ダラダラしているうちに時間が過ぎて、もう8月になってしまいました。
それも今日は16日だから、8月も後半。 このブログ 全然手付かずのまま放り出していましたが、その間にもいろいろと出歩いていました。 まずは、6月19日から21日の2泊3日で会社の慰安旅行に参加してきました。 行先はサメット島、ラヨーン県にある島です。 実はメオダムまだ行ったことがなかったのです。 行く機会は、ありましたが、行かないまま今日まで至っています。 初めてサメット島の名前を聞いたのは1983年。 タイを旅行中に、バンコクの駅前でたぶんインド帰りらしい日本人の若者二人から行かないかと誘われました。 当時はメオダムも若者でしたし、彼らより年下だったと思います。 彼らが言うには、サメット島ではマリファナが手軽に手に入るらしいから行こうというのです。 ダバコすら吸わないメオダムはマリファナなど興味の対象外。 彼らの誘いに乗らず、カンチャナブリへ向かう汽車に乗ってしまいました。 それから数年後、今度は台湾でサメット島の名前を耳にしました。 美智という名の女の子で、知り合いの友人に当たるのだけど、旅行会社で勤め始めて、先日添乗員としてサメット島へ行ってきたのだそうです。 そしてサメット島がすごくよかった、きれいだったを連発するのです。 私のイメージはサメットはマリファナがあり、台湾からの観光客が行くところとはイメージが異なります。 台湾からのツアーはサメット島へも行くのかと感心してしまいました。 それから30年、サメット島の名前は何度も耳にしてきましたが、行ってみたいという気にはならなかったし、イメージもはっきりしない島のままでした。 そこへ慰安旅行で連れて行ってもらえるというのは、とても良いチャンスです。 喜んでバスに乗り込みました。 バスは途中、ラヨンにあるフルーツファームに立ち寄りました。 果樹園を見て、ランブータンをもいで食べ、マンゴーも食べ、ドリアンも食べました。 ドリアンなど特別食べたいという果物ではないのですが、こうした機会に食べさせてもらえるというのは好都合です。 わざわざ買ってまで食べたくはないけど、あるなら食べたい、そんな果物です。 タイ人社員たちのドリアンへの思いは私と異なり、大好きか大嫌いの二手にはっきりと分かれるようです。 サメットまではバンペーの桟橋から漁船を改造したような船に乗り、30分ほどで到着。 さらにトラックの荷台に乗って、夕方前にはホテルに到着。 グランドビューとかいうビーチに面したリゾート。 案内された部屋はメゾネットタイプというのか、ドアを開けて入ると、左手にトイレとシャワールーム、正面に階段があり、上に登ると寝室。 寝室の横には広めのテラスが付いている。 が、寝室はダブルベッドが一台、ドーンと占有しており、イスもテーブルもない。 タイ人の男性スタッフと相部屋なのだが、男二人でダブルベッドなど、勘弁願いたい。 慰安旅行の幹事に苦情を言ったがどうにもならない。 満室だから部屋替えられないよとまるで気にしていない。 あきらめてエキストラベッドだけでも入れてもらうよう頼む。 夕食前にひと泳ぎと、ホテルの前のビーチへ。 少し波は高いが泳ぐには支障はない。 海水の透明度は低く、水中に潜っても何も見えない。 せっかく慰安旅行でピーチに来ているのに、海で泳ごうという社員はまるでいない。 このホテルはプールがないから泳ぐなら海しかないはずだけど、みんな泳がない。 で、社員たちは何をしているかというと、記念写真の撮り合いっこである。 あっちでポーズ、こっち来てまたポーズ、自撮り棒も使って、一大写真撮影会の様相。 それに水着を着ての撮影でもない。 夕食、ホテルでバイキング。 しかし、ホテルのバイキングとはかなり印象が違う。 おかずはタイの家庭料理と屋台料理を合わせたようなものが数品。 ビールもない。 さびしい。 慰安旅行なのに、なにも余興もなく、ただあるもの食べるだけ。 バイキングというよりただのセルフサービス。 隣の中国人グループが食べているセットメニューのタイ料理のほうがおいしそうに見えた。 夕食後、部屋に戻っても独りぼっち。 同室のタイ人スタッフは、ほかのタイ人スタッフの部屋へ遊びに出かけたまま。 こちらも日本人スタッフ探してビーチサイドでビールを飲む。 ビーチにゴザ敷いて、座卓を並べただけの店がビーチ沿いにいくつも並び、それぞれ繁盛している。 タイ人の若者もいれば、中国人も西洋人もいる。 余興でファイアーダンスやリンボーダンスをしている。 音楽が大きく鳴り響くので、話をしても聞き取れない。 夜中、一晩中蚊の攻撃にさらされた。 レセプションへ電話をしようと思ったが、部屋に電話はなかった。 そしてレセプションにもスタッフはいなかった。 続き▽ |