2015,08,30, Sunday
7月23日より4泊5日で日本へ一時帰国してきました。
往復には中華航空の台北乗継便を利用。 もともと中華航空は好きだったのですが、去年あたりから一時帰国で利用したい航空会社ナンバーワンに私の中で決めています。 マイレージの会員にまでなったけれど、安い割引エコノミークラスを利用していたのではちっともマイルは貯まらず、私の熱い思いとは裏腹に何の恩恵にも浴することができずにいます。 その中華航空の便の中でも、最も不人気と思われるのがCI838便で、午前2時過ぎにバンコクを飛び立ち、翌朝台北に到着するというものです。 人気がないということは、機内も空いているだろうというのが私の予想。ガラガラならエコノミーでも横になれるかもしれない。 そのCI838便へ真夜中にチェックインを済ませ、まだ少し時間があるのでラウンジでサンドウィッチをつまみながらソファーで休憩。 ラウンジの係員が「ママー食べますか?」と聞いてくる。 ママーとはタイのインスタントラーメンのこと、そんなものは食べたくないので断り、その代わりシーバスリーガルをいただく。 昔、東京で堅気に働いていたころ、よく飲んでいたのがシーバスリーガル。 当時はシーバスがどこでも一般的だったように思う。 キープボトルの棚に並んでいるのはシーバスかヘネシーか、、、今でもそんなのだろうか? 少なくともシーバスを私が口にする機会はめっきり減ってしまった。 ウイスキーは好きだけど、バンコクではちょっと高くて躊躇ってしまい、飲むことができない。 そろそろ搭乗開始時間かなと思いゲートに向かって歩き始めたら、とっくにファイナルコールも終わって、私の名前が呼び出されている。 まだ30分もあるのに、気の早いことだと思ったが、飛行機に乗ったら、機内はまだほとんど人が乗っていなくてガラガラ。 ナンダやっぱりまだ早いじゃないかと思ったが、すぐにドアが閉まり、安全に関するデモンストレーションが始まった。 どうやら、あんまりにも乗客が少ないので、ゲートを開けたとたんに私以外全員搭乗完了してしまい、残った私をアナウンスで呼び出したのかもしれない。 予想通りのガラガラで、3人掛けのシートに横になって行くことができた。 深夜過ぎの時間帯ではあってもちゃんとビールのサービスも受けたし、機内食も食べ、食後にはワインまでいただいてしまった。そのためせっかく横になれてもほんのちょっと寝ただけで、朝になってしまった。日よけを開けたら朝の光が飛び込んできて、まぶしい。 しかし、窓からの景色は良い。台湾山脈が霞の上に浮かんでいるのが見える。 雄大な眺めで、しばし見とれているうちに着陸。 余りに乗客が少ないからな、ターミナルから外れたところで降ろされバスに乗せられる。 さらにそのバスを降りた場所から入国審査場までもかなり遠かった。 最近、台北の空港では中国大陸からの観光客が多すぎて、入国審査の行列がひどいことになっている。 一時間くらい待たされることもあるし、マナーの問題もあって少々不愉快である。 その点、早朝に到着すると大陸からの観光客もおらず、スムースに入国審査を抜けられた。 乗継便は午後なので、数時間の台北滞在。 今回、台北でやりたいことは二つ。 一つは北投温泉の瀧乃湯へ入ること もう一つは台北駅前、コスモスホテル隣で餛飩麺を食べること。 空港から市内まで国光号バスに乗る。 昔は公路局の最優等バスであったけど、今では民営の高速バスがたくさん走っており、しかも豪華なサービスを競っているので、国光号は普通のバスの位置づけになってしまっているようだ。市内までの料金も民営のバスより少し安い。 しかし、普通のバスに成り下がっても、乗り心地は以前と変わらず、車内設備もしっかりしている。 平日なので台北市内に近づくと渋滞があったけれど、それも大したことはなく、高速道路を降りた。 北投まではMRTという都市型電車があることは知っているが、どこでバスを降りて乗り換えたらよいのかわからない。 私が知っている北投温泉は台北駅から北に延びる淡水線というローカル線で行った時のことで、もう何十年も昔のことである。 そんなローカル線などとっくに廃止されて、そこを今はMRTが走っているらしいのだが、台北市内の街並みも随分と変わってしまって、どこがどこやらチンプンカンプン。 アンバサダーホテルというバス停があったのでそこで下車してみる。 アンバサダーホテルは中山北路に昔からあるホテルなので、この西に歩けば昔の淡水線の跡に出れると見当をつけた。 何百メートルか路地を歩いたら、一段高いところに遊歩道のような、公園のような場所が南北に延びていた。 たぶんこれが淡水線の跡に違いない。 北へ向かって遊歩道をしばらく歩いたらMRTの駅入り口にたどり着き、エスカレーターで地下深く潜る。 バンコクの地下鉄によく似た電車だけど、バンコクよりずっと長い編成なので堂々としている。 車内に空席はなく、立ったまま。 乗っている人はバンコクだと若い人が多いけど、台北は中年以上の人が多く、高齢者も目立つ。 ちょうど日本の郊外電車のような客層。 しばらく走ると地下からはい出し、外の景色が見える。 以前の圓山動物園のあったあたりを過ぎ、基隆河を渡り、丘陵地にアパートがたくさん立っているのが見える。 車内のアナウンスは中国語、台湾語、英語で繰り返されているようだ。 英語での駅名は北京語での発音に近いが、イントネーションが少し違う感じ。 日本人と思われる母娘三人も乗り合わせてくる。 盛んにガイドブックを見比べている。 その三人も北投駅で下車して、温泉のある新北投行きの電車へ乗り換えた。 北投温泉はここで支線に乗り換えてもう一駅行ったところなのだが、すでにこの乗換駅からして温泉モード全開。 北投と新北投のたったひと区間をを結ぶ電車も温泉のイラスト。 現在の台湾の人たちがどれほど温泉好きになっているか知らないけれど、私の知っている古い知識では、台湾の人たちには大浴場でお風呂をするという習慣はなく、温泉でも大浴場ではなく、客室の小さなバスタブで温泉を楽しむというのが一般的と思っていた。仮に大浴場があってもプールのように水着着用の義務があった。例外として台東の郊外にある知本温泉では時間を限って、日本のように裸で露天風呂を楽しめる場所もあったが、そこだって入浴しているのは日本からのツアー客ばかりだった。 しかし今や台湾の人たちが日本へ温泉旅行にやってくる時代、入浴の習慣も変化してきているのかもしれない。 電車の中も温泉モード。 さっきの電車と同じような車体だけど、なんと車内に風呂桶、それもヒノキ?の風呂桶オブジェが置かれている。 もちろん、いくら温泉モード全開でも電車の中、衆人環視の下で入浴するほど台湾の入浴文化が変質してしまったわけではない。 この風呂桶オブジェは湯船型観光案内マシーンであった。 新北投駅で降りて瀧乃湯へ向かって歩く。 駅前の交差点を過ぎると小川に沿って公園緑地のような空間が続いている。 大変よく整備されていて気持ちの良い歩道もついている。 私が初めて台湾に来た当時、この北投温泉はまだ公娼が廃止されたばかりのころで、まだまだ落ちぶれかけてる歓楽街のイレージが強かった。そして確か日本の熱海温泉と姉妹協定を結んでいたかと思う。しかし、今こうしてみてみるとまったく健康的な温泉地になっており、熱海というより箱根湯本といったイメージに変身している。 変身といえば、数年前に話題になったのが、日本で旅行業界人が選ぶナンバーワン旅館に毎年選ばれている和倉温泉の加賀屋がこの北投温泉にオープンしたこと。 こちらは日本でも超高級、もちろん台湾でもそうでしょうから、私のような貧乏人がお世話になれる場所ではないのですけど、しかし、外見から見たところ、料理の写真を大きく使った広告を表に出していたりして、日本の高級旅館らしからぬ演出。これでは加賀屋の名が泣いてしまうのではないかと思うけど、郷に入れば郷に従えで、台湾だとこの方が受けるのかもしれない。それに中に入ればちゃんと加賀屋のおもてなしが受けられるのかもしれない。 もっとも、やっぱり私には縁のないことなので、素通りして瀧乃湯へ急ぐ。 こちらが現存する北投温泉最古の瀧乃湯。 なんてったって大正時代に当時皇太子だった昭和の天皇陛下がご入浴になられたという由緒正しき温泉。 その浴室が、恐れ多くも共同浴場として我々平民に開放されているというのだから、これはすごいことである。 しかし、大正時代の施設が、ほぼそのまま、たぶん多少は改修しているとしても、実際のところは改修よりも老朽化の速度のほうが勝っている印象。 きれいに整備され、加賀屋まで進出してきた北投温泉にあって、異質な存在に感じられる瀧乃湯ではある。 植民地時代からある由緒正しき温泉であり、戦後の台湾で共同浴場として今日に至っていることを考えると歴史の重みを感じさせてくれる。 史跡として保存すべきと思うけど、こうして共同浴場としてまるで開発から取り残されているところもとても興味深い。 保存もいいけど、現存現役というところがすごい。 ここが番台に当たり、浴場の主人が奥から出てきて、なにやら言う。 口ぶりからすると「ようこそいらっしゃいました、さぁどうぞごゆっくり」と言っているのではなさそう。 むしろ迷惑そうに、そしてよく聞いてみると中国語で「服は脱いで、下着も脱いで入るのだよ」と言っている。 私は日本人なので、温泉には裸で入れることの方が歓迎である。 「日本人だから大丈夫だよ」と答えたが、この主人、まだ安心できないのか、今度は日本語で「全部脱ぐ、パンツもダメ、裸ね」と念を押してくる。 代金は100元。 日本円にしたら400円ほどなので、日本の銭湯より少し安いくらいだろうか? 当然ながら男湯と女湯で左右に分かれる。 中に入ると、一段低いところでいきなり浴場となっている。 脱衣所として仕切られたものはなく、壁際に棚があり、そこで服を脱ぐことになる。 洗い場らしきものは奥にある。 風呂椅子もプラスチックの洗面器もあるが、洗い場のシャワーからはお湯は出ないで、水がちょろちょろと出る程度。 浴槽は四角い石造りのものが左右に仕切られて二つある。 向かって右側がとんでもなく熱く、左側がとても熱いお湯が張られている。 私は熱いお湯が好きなのだが、右側の浴槽には手を入れて温度を見ただけで入浴できなかった。 左側もかなり熱いが、何とか入れる。 熱いだけではなく、かなり成分が濃い源泉かけ流しなのか、肌がチクチクする。 入浴しているのは台湾のおじいさんたち。 みんなペットボトルに飲料水なんかを用意して、お湯にしばらく浸かったと思ったら、床で横になって休憩したり、おしゃべりをしたりとのんびり時間を過ごしている。 私には無理だった右のとんでもなく熱い浴槽に入っている人もいる。 すごい人だと感心してしまう。 私に話しかけてくる人もいる。 日本人だというと、片言の日本語を話してくれたが、会話が弾むほどには日本語ができないようだ。 昔は、ちょっと歳をとった人ならみんな日本語を自然に話せたものだが、今ではそうした日本教育を受けた人たちも高齢になりすぎて、出会うことも少なくなってしまったのだろう。 私も数分間入浴しては休憩をし、古めかしい浴室を眺めたり、天井を見上げたりして台湾の温泉を楽しんだ。 そのうち日本人の親子が入ってきた。 当然だけど、お父さんとその息子である。 私がとても熱い浴槽に入って大の字になっていたためかもしれないが、無茶というか、とんでもなく熱い浴槽へ入ろうとして、 「わっ、こりゃだめだ、熱すぎる」と言って後ずさりしていた。 見かねて私が「こっちの方がいくらかぬるいですよ」と教えてあげたが、しかし、それでも長くは入っていられないようで、すぐに真っ赤に茹で上がってしまっていた。 もう少し時間があれば、私もペットボトルに飲み水を用意して、もっとのんびりしたいところだが、そろそろ戻らないと飛行機に乗り遅れてしまうかもしれない。 それにもう一つの目的、「コスモスホテル隣で餛飩麺」も食べなくては、、、 番台に書かれている内容をもう一度見ると、温度は42+/=2度とあるので、たぶんプラス側で44度がとんでもなく熱い湯の温度ではないかと思う。 そして、ペーハー値が1.2 +/-0.2phとなっている。 大昔にならったペーハーだけど、確かペーハー7が中性で、それより数値が小さければ酸性、大きければアルカリ性、、、1.2というのは半端でないくらいの酸性のはず。 しかし、酸性ということはお酢に近いのかと思うけど、温泉のお湯を口に含んだが、ちっとも酸っぱくない。むしろとんでもなく苦かった。 これはどういうことなんだろう。 いずれにしても、これほどの強酸性、殺菌効果はすごいだろう。 浴場の建物も昔のままのようだ。 日本時代の建物そのままで、ただし生活様式は台湾化している感じ。 つまり、床があっても土間の生活。 犬も床に上がってくるし、主人もサンダル履きのまま。 この老犬、なんともこの瀧乃湯によく似あっている。 <HR Size="2" Color="#339900"> さて、次の目的、コスモスホテルの隣で餛飩麺を食べる。 再びMRTに乗って台北市内へ戻り、台北駅の出口がどこに出ていいのかわからず迷いながらもお目当てのコスモスホテル隣の餛飩麺の食堂に到着。 なんでここが目的地になったかというと、これも昔、初めて母を台湾へ連れてきたとき深夜の台北空港に到着して、空港の客引きの言うまま泊まったホテルがコスモスホテル。 深夜に部屋のテレビをつけたら日本の時代劇をやっていて愛川欣也さんがからくり人形師を演じていた。 そして、その翌朝、ホテルの隣の食堂に入って食べたのがこの餛飩麺。 豚ひき肉の入ったワンタン麺であるが、母がえらくこの餛飩麺を気に入ったようで、コントンメン、コントンメンと言っていた。 「字面も面白いし、美味かったねぇ」と後々まで言っていた。 そこで、これも供養かと思い、コスモスホテルの隣の食堂で餛飩麺を食べてみることにした。 「温州大餛飩」という屋号の店で、現存していた。 あっさりスープに、海苔が浮いてて、おいしい。 ワンタンも上品な味なんだけど、しかし、あの時食べたのはもっと具がはち切れんばかりに入っていたような気がする。 確か店の奥で何人もが無心にワンタンを包んでいるのが見えたけど、今は作り置きのワンタンを茹でるだけのようだ。 以前食べたのは、ただの餛飩麺ではなく屋号にもなっている大餛飩というのが別にあったのかもしれない。 一杯だけでは物足りないし、大餛飩があるのか確認してみたかったが、空港への道が渋滞でもしていては困るので、空港行きのバス乗り場へ向かう。 <HR Size="2" Color="#339900"> 12時ちょうどに大有バスがあったのでその窓口で空港までの切符を買おうとして、ちょっとまた別の考えが浮かんだ。 台湾に来たらやっぱり餃子も食べておきたい。 「南カンまでどのくらいかかますか?」と聞いたら30分とのこと。 南カンは空港手前のちょっとした町で、最近は台北空港での乗り継ぎ時間が数時間あるとよくこの町で餃子を食べている。 空港へは1時半くらいまでに着けば乗継便に間に合うだろうから、寄り道を決行。 しかし、この大有バス、台北市内であちこちのホテルへ立ち寄ってお客を集めて回っている。 南カンまで30分と言われたけど、12時半はまだ圓山大飯店でお客さんを拾っていた。 結局、南カンには1時に到着。 このまま空港まで乗って行ってしまおうかとも思ったけど、道端に「手巧水餃」の看板を見つけたので、バスから飛び降りる。 水餃子15個と缶ビールを注文。 やっぱり、湯上りだし、ビールがうまい。 それに水餃子もジューシーで美味。 大急ぎで食べてまた大有バスに飛び乗り、空港へ。 台北から空港まで大有バス、なぜか同じバスでも南カンで途中下車した方がトータルの運賃が安くなっている。 2時には空港に到着。 搭乗券はすでに持っているので、チェックインカウンターは素通りして、出国審査場へ。 朝入ってくるときは並ばなかったけど、午後のこの時間は中国大陸へ帰る観光客と一緒になり随分と時間がかかり、少しハラハラする。 それでも、こんどは名前を呼び出されることなくゲートにたどり着けた。 飛行機が水平飛行になれば、機内食が出るわけで、さっき食べたばかりだけどまた食べてします。 中華航空の、それもエコノミーの機内食なので、豪華ではないけど、いつもなんだかほっとさせられる内容で、私は気に入っている。 それに、塩コショウなど付いていない。 そんなもの必要としないくらい、味はしっかりしているということだろうと思っている。 そして、中華航空のうれしいのはサッポロビール。 今回もらったのは「北海道」という名前で、缶に書かれた解説によるとサッポロビールが初めて作ったビールのレシピをもとに再現したビールだそうな。 つまり、明治の味というわけ、、、大正の湯につかり、明治のビール。 なんとも大時代的。 <HR Size="2" Color="#339900"> 末筆ながら、日本に帰国した翌日、再び群馬県の四万温泉へ家族旅行に出かける。 こちらは強酸性ということもなく、実に穏やかな泉質で、久しぶりに日本で温泉に浸かり、畳に布団で寝た。 やっぱり、温泉はこのくらい落ち着いた方が楽しい。 大浴場にも入ったし、貸切風呂にも家族で入った。 息子も今年は二十歳になるし、もうこんな経験することないんだろな。 息子とオセロゲームをして勝った。 まだまだ知能では息子に負けていないことが証明されてうれしい。 旅館の近くではアジサイが咲いていた。 |
2015,08,28, Friday
7月3日から5日にかけてチェンマイへ行ってきました。
前回はバンコクからチェンマイまで14時間の汽車旅について書きましたが、今回はチェンマイで食べたものについて書きます。 これも旅日記の一部ですが、カテゴリーを「食」としてみました。 カテゴリーが「旅」以外となるのは初めてです。 今回のチェンマイ訪問は梅林先生の七夕植樹祭参加が目的で、本来ならそのことについてブログに書くべきかもしれませんが、植樹祭に参加された方々が写った写真を勝手にアップしてご迷惑をかけるわけにもいかないので、七夕植樹祭についてはか割愛させていただきます。 でも、少しだけ、参加した感想。 今回は植樹祭の案内が事前にしっかり届いていなかったためか、参加者が多くはありませんでした。 チェンマイからの参加者もほとんどはチェンマイのライオンズクラブの方々で、在留邦人の方や領事館関係者の姿はあまり見かけなかったようです。 今回の段取りのほとんどはチェンマイの旅行会社ボーナススマイルさんとライオンズクラブの方々が行ってくださっており、なんとなく梅林先生は名誉職的な感じに思われました。 少しその辺が寂しく、来年以降が心配です。 さて、チェンマイ駅に降り立ったのち、市内へ向けて歩きました。 駅前にはたくさんの客待ちソンテウやトゥクトゥクがいて声をかけてきますが、お構いなしに駅前広場を抜けて、通りを西に向かいます。 そして、メーピン川まであと少しのサンパコイにある「肉まん屋」に立ち寄り、肉まんを購入。 タイ語の店名は「ウィクンパーニット」らしいのですが、漢字で「江桂泉餅家」と書かれてあり、この方が日本人にはなじみやすいようです。 ここの肉まんはバンコクでもなかなかお目にかかれないくらいのボリューム満点の肉マンで、甘辛の豚ひき肉と野菜の餡の他に、塩卵と中国ソーセージが入っています。 人気店なので、いつも店の前には路上駐車の車があり、肉まんを注文している人がいます。 店内で食べることはできずテイクアウトだけです。 また、肉まん以外に中華まんではゴマ餡もあり、大ぶりのシュウマイや中華粽も売られています。 肉まんには大と小の二種類があり、私は大を注文。 肉まんをほおばりながらメーピン川を渡ってチェンマイ市内へ入りました。 <HR Size="2" Color="#339900"> 今回のチェンマイでの宿は「東京ホテル(最近SRI TOKYO HOTELからTOKYO VENDERHOTELへ改称されたらしい)」。堀の北西端に建つ安ホテルです。 初めて私がチェンマイに来たとき、このホテルはナイトバザールにありました。 しかし、その後現在の場所に移転して、それからもうすでに相当の年月が過ぎて、老朽ホテルになってました。 部屋も安いだけのことは理解できるような部屋で、それが老朽化を隠そうとでもするかのような不似合いなデザインで壁や廊下をペイントしているので、ますます中途半端な宿になってしまってます。 一応小さいながらもプールがあり、泳いでみましたが、プールサイドにデッキチェアなどはなく、元はサウナだったような施設もありましたが、現在は使われていないようでした。 泳いで小腹も空いたし、ビールも飲みたいので外出。 以前よく食べに行っていた「台湾小吃」へ行ってみる。 10年前はフアイケウ通り、レモンツリーの隣にあって、いつもここの主人が店の前でタバコをふかしていたものだが、その後ナコンピンコンドの斜め奥へ移転し、店の主人も見かけなくなった。 ここの食べ物は概して私の口に合い、美味しいし安いので気に入っていた。 今晩は梅林先生に挨拶に行くので、ビールは一本だけと決めて焼き餃子を注文。 しかし、出てきた餃子は私の期待を大きく裏切った。 私が好きだった台湾小吃の餃子はこんな餃子ではなかったはず。 ちゃんとした焼き餃子だったはずなのに、タイのナンチャッテ日本料理店で出てくるような、またはタイのフードコートに入っている「すかいらーく」の餃子のように、油炒め餃子になっている。 フライパンで餃子の底辺をこんがりと焦げ目がつくくらいに焼き、パリパリの仕上がっていながら、上のジグザグになった接合部分は蒸し焼きとして、耳たぶくらいの硬さで弾力を残し、これを口に含んだ時にカリっという食感と、ブニュっという食感の後に、餃子の皮で包まれた餡から染み出してくるジュワっといううま味の濃縮された汁がほとばしるから焼き餃子は旨い。 それがこんな油炒め、全方位的にカリカリでしかないのは、私の食べたかった焼き餃子なんかではない。 店内には韓国人の男性客が二人、ローカルなビジネスの話などしながらやはりこの餃子をつまみビールを飲んでいる。 韓国人にはこの焼き餃子、抵抗ないのだろうか? <HR Size="2" Color="#339900"> 梅林先生に市内のホテルで挨拶をした後、再びフアイケウ通りにあるレモンツリーへ行って、一人で夕食を食べる。 レモンツリーはもともとナコンピンコンドの中に入っていたものが、表通りに店を構えるようになったと聞いているが、10年前に私たちがチェンマイに住んでいた時からフアイケウ通りで、タイ人や外国人に人気のタイ料理レストランだった。 洒落た店だし、料理もまずまず美味しく、値段も比較的リーズナブル。 2階に上って料理を注文。 雰囲気は昔のまんま。 店のスタッフは顔ぶれが変わってしまったけれど、昼間に店のシェフと通りで出会っているので、きっと今もこのシェフが采配を振るっているだろうし、この店は裏切らないだろう。 まずはビールを注文するが、ここでちょっとトラブル。 メニューにはレオ、シンハ、ハイネケンの3種類のビールが書かれており、レオが安い。 私はレオを注文したが、「ない」とのこと。 通常なら「じゃ、シンハ」と注文するところだが、メニューに書かれた料金はシンハもハイネケンも同額。 スーパーで買ってもハイネケンの方が高いのだから、ハイネケンを注文する方がお得というもの。 しかし、ハイネケンもなく、あるのは「シンハだけ」とのこと、、、 シンハはもともと好きだったのだが、 10年前にボトルのデザインが変わり、その際に味が随分と薄くなってしまった。 ちょうど後発のチャーン・ビールが安値で市場を席巻し、シンハとしては「都会的な味」あっさりした軽いビールに走ったのではないかと思う。 私はもともとキリンビール派なので、以前の重たいビールが好きだったのでけど、この時は少し残念だった。 それが、今度は1年ほど前にとんでもないことをシンハはしてくれた。 なんとビール瓶のサイズを大びんから中びんにサイズダウンをしたのである。 シンハの言い分としては、大びんだと飲み残す人が多く、合理的ではないからとのことであった。 私は、「そんなことあるもんか!」と思う。 確かに一人で大びんは飲みきれない人もいるかもしれないが、タイ人の習慣からして、一人でビールを飲む人なんて少数派。 一般的には何人かでビールを盛大に何本も飲むという形で、飲み残しなんてありえない。 そして、私が憤慨したのは、シンハはサイズダウンしても、メニューに書かれた料金は値下げされた形跡がないこと。 つまり実質的な値上げである。 「そんなシンハなんて嫌いだ」とは思っても、ほかにビールがなければやはり注文してしまう。 そして、飲めばやっぱり「タイ料理にはビールがうんめぇ」と言うことになってしまう。 これが注文した夕食。 レモンツリーへ行ったらこれを食べないと気が済まない。 ヤムパクブントートクロープ、空芯菜の天ぷらにシーフードと目玉焼き、豚ひき肉の入った辛くて甘酸っぱいタレをまぶしていただく逸品。 バンコクでも一般的になった来たけど、ここレモンツリーより旨い店を私は知らない。 そして、チューチープラムックヤッサイ。 こちらは小イカに豚ひき肉を詰めて、タイ南部風味のカレーシチューで煮込んだもの。 ちょっとこってりしているけど、イカの弾力ある歯ごたえと、カレーのエスニカルな風味、ビールにも合うし、ご飯にも合う。 この二品を食べ、「中ビン」のシンハビールを飲んだら満腹になってしまった。 <HR Size="2" Color="#339900"> 東京ホテル、朝食がついており朝食会場は屋上となっている。 バイキングということになっているが、ホテルのレベル同様貧弱な内容。 寂しい限りの朝食ではあるが、屋上の朝食会場は、旧市街が見張らせて、美味しくはないけどコーヒーでもすすりながら朝のこの風景を眺めているだけでも価値があるような気がする。 旧市街を囲む堀と城壁の北西端にホテルが位置しているので、逆光だけど、それがまた朝の風景らしくていいんです。 旧市街も、歩いてみると中国人観光客向けの漢字の看板が増えたり、古都には似つかわしくないような現代的な店などが増えたけれど、こうして上から眺めてみると、そうした夾雑物は見えないので昔のままのような感じもする。 反対側はドイステープも見える。 フアイケウ通り沿い、アパートや店などずいぶん増えたような思えたが、こうして眺めてみるとまだまだ緑が多い。 風景を眺めながら朝食を食べていたらテーブルにハトがやってきた。 朝食で食べたもの おかゆ、フニャフニャのソーセージ、キャベツの千切り、コーヒーとトースト <HR Size="2" Color="#339900"> クアンパーク村での七夕と矮性ヤシの植樹をおこない、チェンダーオ山の麓で昼食。 いつもならビールを飲むところ、ビールは飲まずに同じテーブルに着かれた日本からの参加者の方からホタルについての面白い話を伺う。 名古屋城の堀にもたくさんのホタルがいるのだが、ほとんどの人がホタルに気が付かないのだそうだ。 また、光らないホタルというのも多いらしく、飛べないホタルもいるそうで、そうなるとホタルの仲間であっても、もうただの虫に過ぎないような気がする。 午後にはクイーンシリキット植物園でマナオの植樹をこなして夕刻に解散。 私は夜の飛行機でバンコクに戻るので、これで皆さんと別れ、ワロロット市場やムアンマイ市場などを歩き回り、空港前の管制官用の保養所にあるレストランで夕食をまた一人で食べる。 ここは一般の人にも開放されており、料理の味もいいし、値段も安い。 池に面していて、夜など雰囲気もいいので盛況である。 私のように一人で食べに来る人はいないようで、家族連れやグループばかり。 このレストランでのお気に入りメニューはソムタムプラドックフーで、ナマズのソムタムである。 タイ料理にヤムプラドゥクフーという料理があり、だいたいのタイ料理のレストランで注文でき、ナマズのフレークを油で揚げて、辛くて甘酸っぱいタレと和えて食べるものだが、ここのはソムタムと和えるところがちょっと変わっている。 そして、美味しい。 ビールともよく合い、ここではちゃんと大びんのチャーンビールもあった。 どちらも上品な味ではないが、B級の味丸出しで、うまい。 さらにカニチャーハンも注文。 タイでもチャーハンはよく食べるけど、屋台などで注文するチャーハンは野菜や肉など具だくさんではあるが、トマトなど水っぽい野菜も平気で入れているのでチャーハンが湿っぽい。 しかし、カニチャーハンを提供する食堂では、そうした水っぽい野菜は入れず、せいぜいワケギ程度で、栄養バランスとしては劣るかもしれないけど、パラパラとお米が軽く、噛みしめるとカニの甘みが染み出してとてもおいしい。 ステージではエレクトーンの演奏に合わせて女性歌手が歌を歌い、その歌などほとんど耳を傾けている人などいないようだ。 あたりが暗くなると、ほぼ満席の大盛況。 私ももう一本ビールを飲みたいところだけど、このところ一人ではビールの大びん2本はとてめ飲みきれなくなってしまった。 このレストラン、いろいろな思い出があるのだけど、中でも母と生前最後の食事をしたのもこのレストランだった。 あの時も夜の飛行機に乗るまでの時間だったが、何本ものビールを飲んだため、機内では頻繁にトイレに立つ羽目になった。 |
2015,08,22, Saturday
7月3日から5日にかけてチェンマイへ行ってきました。
10年前には住んでいたし、何年か前までは年に何度か訪問していたなじみのチェンマイでしたけれど、最近は年に一度、すっかり七夕様のような関係になってしまっています。 バンコクなんかよりずっと好きな街なんだけど、ちょっと見ないうちにどんどんと変わってしまい、私の思い出のチェンマイからどんどん遠くなってしまっている感じです。 そんなチェンマイへそれでも年に一度、七夕様の前後に訪問し、梅林先生の植樹祭に参加をしています。 今年はなかなかお誘いも来なかったし、先生のホームページも更新されていないので、心配していたところ、今年も開催とのことで、7月3日の夜、仕事が終わってからバンコク発の急行列車に飛び乗りました。 夜、10時発の列車。急行とは言ってもチェンマイに到着するのは、翌日のお昼です。 14時間以上もかかる汽車旅です。 私は汽車が好きだから、14時間でもかまわないけど、汽車好きでなかったら退屈で仕方がないことでしょう。 しかも、エアコンのない旧式の2等寝台車です。 でも、これがいいんです。 朝になるとタイ北部の山の中を汽車は進んでいるだろうし、エアコンがないから窓は開けて、風を楽しむこともできる。 夜中も、星空が見れるかもしれない。 定刻の夜10時に出発。 しばらくは各駅停車のように駅に止まる。 駅に止まるごとに乗り込んでくる人がいて、寝台が埋まっていく。 寝台のカーテンは閉めても、窓は開けたまま、埃も入ってくるし、騒音も入ってくる。 でもこれがタイの汽車らしい。 白いシーツに粉塵が降り注ぐ。 アユタヤにも止まる。 大きなバックパックを背負った西洋人も乗り込んでくる。 ワン子も乗り込んでいた。 タイ国鉄の規定ではエアコンのある車両に動物を乗せてはいけないことになっている。 しかし、この2等車はエアコンがない。 ワン子もチェンマイまで行くのだろうか? ウチのネコともこうして汽車旅がしたいけど、ウチのネコだと、じっとしていないし、14時間もの長旅だとトイレの心配もある。 午前5時を過ぎ、夜が明け始めてきた。 少し肌寒い。 薄手のタオルケットにくるまる。 窓を閉めれば良いだけだけど、窓は開けておきたい。 ベッドに寝そべりながら、刻々と色を変えながら明るくなっていく空を眺める。 ウータラデットを過ぎると、北部の山の中に入る。 ベッドに寝そべっていて、空を見ていると、しばしば大きな木が空をふさぐようになった。 日本の鉄道と違い、鉄道沿線や駅は町の中心から離れたところにある。 だから、森の中や荒野を走っていることが多い。 街中を見ることはできないけど、自然を楽しむことができるので、まるでトレッキングをしているかのようだ。 朝8時を過ぎると、ベッドをたたんで向かい合わせのシートにするところが増えてくる。 厨房車から朝食の出前も通路を行き来する。 そろそろ退屈し始める旅行者も増えてきたようだ。 裸の西洋人、彼は本国でもこうして裸で汽車に乗ることがあるのだろうか? ワン子は、お行儀良くしているけど、きっと退屈なんだろな。 朝食にパッタイを買う。 量も少ないけど、具も少ない。 パッタイらしさとは賑やかだと思うけど、このパッタイには賑やかさがない。 朝ごはんの代わりだから、こんな物でもあっさりしていて好ましい。 ランパーンの名物は観光馬車。 造花で飾られた馬車が情緒のある古都を走っている。 ランパーンの駅にはその馬車のオブジェがある。 タイの駅はこのようなオブジェに限らず、いろいろと趣向を凝らしている駅が多いように思う。 ほとんど人の乗り降りのないような駅でさえ、きれいに花壇で花を育てたり、池を作ってみたりしている。 しかも列車だって1日に何本も走ってないのだから。 ひょっとして駅員さんたちも暇すぎて、こんなことでもしてないと間が持たないのかもしれない。 なんたってタイ北部の路線で各駅停車は1日1往復しか走っていない。 たぶん、その日1日誰も乗降客がないような駅もたくさんあるのだろう。 ランバーンを出て、最後の峠を越えれば、チェンマイ盆地に入る。 峠を越えるため、一部の客車を切り離して身軽にし、しかもディーゼル機関車をもう一両連結してパワーアップ。 車窓からの景色も、変化に富んで面白くなる。 窓から吹き込む風も酸素の濃度が高いように感じられるくらいだ。 峠を下り、ランプーンを過ぎれば、ドイステープが見えてくる。 14時間半かかって12時半にチェンマイ到着。 普通の人には長すぎる汽車旅だろうけど、車窓から景色を眺めているだけで喜んでられる人には、お勧めできる汽車旅です。 |