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ウタイタニ・サモートーン温泉
2月13日と14日の2日間で、サモートーン温泉までネコを連れてドライブしてきた。
サモートーン温泉はウタイタニ県にあり、バンコクから大体300キロ程北西に位置する。
過去にも訪れたことがあり、今回で4回目くらいになるだろうか。
タイの温泉の中では、なかなか気に入っている温泉である。

ウタイタニへドライブ
[ウタイタニへのドライブ]

このところ夜になると蚊が多くて、よく眠れないので睡眠不足気味。
アパートの部屋では蚊取り線香を一度に4つも焚き、電気香取も付け、プーンと蚊の羽音が聞こえたら盛大に殺虫剤を撒き、全身に虫よけローションを塗りたくっているのに、ちょっとウトウトするとすぐに2、3か所くらい蚊に食われている。
当然かゆい、痒み止めの軟膏を塗る。
こんなことを一晩中繰り返しているから睡眠不足になる。
アパートは湿地に囲まれていてもともと蚊が多い。
そこへもってきて、最近はアパートの隣に建設現場で働く出稼ぎ労働者たちの大規模なバラック風宿舎ができて、それまで人より野良犬の方が多かった環境が、一気に人口過密エリアになってしまった、
つまり、蚊たちにとっては湿地と言う理想的な居住環境とバラックで無防備な労働者たちと言うまるで食べ放題のような環境により大発生しているのだろうと推測している。
さらに私自身も、無防備である。
窓を閉めて、エアコンをつけるとか、せめて蚊が入ってこないよう窓や戸をしっかり閉めれば良いのだけれど、夜中にネコが屋上へ遊びに行けるよう、部屋の扉は開けっ放し、ベランダへも出れるよう窓も開けっ放し、暑いので私もパンツ一丁でいるなど、完全無防備。
蚊取り線香や殺虫剤くらいで、少しくらいの蚊を追い払っても、後続部隊は次々にやってくる。
まさに203高地の様相である。
しかも、蚊は世代交代も早く、蚊取り線香や殺虫剤の利かない、耐性を持った蚊たちが増殖している可能性がある。
虫よけローションも寝汗で流れ落ちてしまう。
打つ手なし。

そんなわけで、寝不足気味の状態で運転するのはどうかと思い、朝起きてから二度寝をする。
そして目が覚めたらばもう10時過ぎ。
面倒だから、もう行くのやめようかとも思ったくらいだけど、10時40分にネコを車に乗せて出発することができた。

バンコクからまずはスパンブリーを目指す。
距離にして100キロ少々。
チャオプラヤー川を越えると、道路に沿って高架橋が続いている。
どうやら近々開業予定のパープルラインと思われる。
日本製の電車が走るそうだが、当面は既存の地下鉄とかに接続する駅などがないので、交通システムとしては不完全な存在に思われるが、駅などの施設は随分とお金をかけて不必要なほど大きなものを作っている。
新しく電車が通るので沿線の開発も活発なようでコンドミニアムや分譲住宅、商業施設がたくさん作られている。
高架鉄道橋はアウターリンクのバーンブアトーンあたりまで続いていた。
バーンブアトーンは終戦直後、当時在留日本人の強制収容所があった場所。
当時ここに収容されて苦労された方々が、もうじきこのあたりに日本の電車が開通すると聞いたらさぞかし感慨深いものがあることだろう。

バーンブアトーンを過ぎると、風景は一気に農村になる。
田んぼが広がり、クロンと呼ばれる運河が走っている。
道沿いでは活エビを売る露店が続いている。
このあたりで養殖でもしているのだろうか。
また、海老だけではなく、野ネズミや野鳥のあぶり焼きを売る屋台風の露店もある。
変わったところでは焼き蛇なんてのまであった。
タイの人たちも中国人に劣らずいろんなものを食べるようだ。

沿道の露店
[沿道の露店では活エビだけではなく、野ネズミや野鳥のあぶり焼も売っている]

スパンブリー県との県境近くに、サパン・クロン・イープンと言う橋を渡った。
時速80キロくらいで走っているので、読み違いもあったかもしれないが、和訳すれば「日本運河の橋」と言うことになる。
つまり、この橋の下を流れている運河は日本運河と呼ばれていることになる。
いったい日本とどんな関係があるのだろう。
スパンブリはアユタヤ王朝時代に、いく度も隣国ビルマとの激しい戦場となった土地である。
当時のアユタヤには日本人の傭兵部隊もあったそうだから、そうした日本人たちが活躍でもしたのだろうかと想像してみる。
が、あとで調べてみたら、日本とは何ら関係のないことが判明。
この運河を掘った人の名前が訛って、それがイープンになったというだけのことらしい。

スパンブリ市内にはバンハーン・タワーと言う展望タワーが聳えている。
バンハーンはスパンブリ出身の有力政治家で、その地元に展望タワーを作ったわけだが、
このあたりは市の中心部が市街地である以外、周囲は田んぼが広がっているだけである。
遠くまで見渡しても田んぼばかり、何か特別な景色が広がっているわけではない。
以前に一度登ったことがあるが、入場料を払ってまで登るほどの感じではなかった。
タワー内部では、田舎臭い土産物を売っていた。
土産物と言っても、特産品と言うより、衣類とか雑貨などが中心だった。

スパンブリのタワー
[スパンブリのランドマーク、バンハーン・タワー]

そのスパンブリのタワー近くで昼食にする。
中華麺を食べされる店で、特にアヒルのローストを使った中華麺が自慢らしい。
私も緑色の中華麺にローストダックの入ったバミーヨックペットヤーンの大盛を注文。
なるほど看板料理だけあって、肉も柔らかくおいしい。
しかし、血を固めたゼリーが入っていた。
これは得意ではないので、避けて食べる。
飲み水は無料だが、氷代として1バーツかかり、会計は41バーツ。

支払う際に、壁際のメニューを見たらアヒルのバジル炒め載せライスがあった。
これはちょっと珍しいので、もう空腹ではないけど一皿注文してみた。
アヒル肉はやはりローストしたものを小さく刻んであり、ローストに甘みが浸みている。
不得意なニンニクを避けながらいただくが、これもなかなか美味しい。
こちらも40バーツではあったが、この内容でこの値段、もしバンコクだったら大繁盛することだろう。

アヒルのバジル炒めライス
[ローストダックとバジルの相性がグッドでアロイ]

昼食を終えて、ちょっと食べすぎて苦しくなりながらも、午後1時過ぎスパンブリを出発。
ガソリンスタンドに立ち寄って給油。
1リットルが21.85バーツと随分と安くなっている。
30リットル少々入れても670バーツ。

田舎道を走っていると、ラウダ航空遭難慰霊碑の案内があったので立ち寄ってみる。
ラウダ航空の墜落事故から20年以上が過ぎており、この事故のことを覚えている人も少なくなっているかもしれないが、慰霊碑の周りは小さな公園のようになっていた。
また墓守のように、住み込みでこの慰霊碑を守っている人もいるようだ。
しかし、ここに慰霊に来る人もそう多くはないのだろう。

ラウダ航空遭難慰霊碑
[慰霊碑の周りは公園のようになっていた]

慰霊碑には犠牲者の名前が彫り込まれていた。
中国系の人の名前が半分くらいを占めていた。
ラウダ航空はウイーンに向けてバンコクを飛び立ったのち、このスパンブリの郊外で空中分解を起こしたと当時の新聞に出ていた。
日本人の犠牲者がなかったからか、新聞の国際面左下の小さな扱いだったように記憶している。

1991年5月26日
[慰霊碑には遭難した日付として1991年5月26日と刻まれていた]

北へ向かって進むと、田んぼよりもサトウキビ畑が目立つようになってきた。
ちょうど収穫期にあたるようで、収穫したサトウキビを満載したたくさんのトラックに行き交う。
こぼれるくらい満載してどころではなく、実際に路面へサトウキビを撒き散らしている。
やがて広大な規模の製糖工場が見えてきた。

サトウキビ運搬トラック
[サトウキビ運搬トラックの車列が続く]

ウタイタニ県に入り、山が近づき田舎道沿いではパイナップル畑が目立つようになって、午後4時過ぎにサモートーン温泉に到着。
温泉に入る前に今晩の寝床を確保する。
温泉公園内にも宿泊施設があるが、どうせ満室だろうから、手前にあるプ・ナムローン・サモートーン・リゾートと言うところに宿をとる。

温泉リゾート
[温泉公園手前500メートルにある簡易宿泊施設]

名前こそリゾートだけど、果樹園の中にある山小屋のような施設である。
テレビはあるが、エアコンも冷蔵庫もない。
ベッドもない代わりにネットレスがあって、床に寝る形。
窓にはガラスもないが、網戸はある。
今回は温泉に入るつもりだから、部屋に風呂入らないが、大きなバスタブ付き。
ただし、お湯は出ない。
これで1泊600バーツと言うところを500バーツにしてもらう。

山小屋風
[モーテルのような、山小屋のような、、]

ベランダ
[部屋の前にはテラスがある]

山小屋の部屋の中
[部屋の中はいたって質素]

寝床を確保したので、さっそく温泉へ。
今回入浴した温泉小屋は、一回40バーツの一番小さな個室である。

個室浴場が並ぶ
[公衆トイレ風の建物に個室浴室が並ぶ]

小さくて丸い浴槽は幅が80センチくらいだろうか、深さもそのくらいあり、一人なら何とか入れるが、足を延ばしてゆったりと言うわけにはいかない。
お湯は少し薄黄緑色をしていいる。
源泉かけ流しではあるけれど、温泉の湯はかなり熱いので水でうめないと熱すぎて入れない。
シャンプーも石鹸も持参したが、風呂椅子もなければ手桶もない。
カランはないが水のシャワーはある。
洗面器ぐらいは持ってくるべきだった。

丸い浴槽
[丸い浴槽、窓から外が眺められたら良いのだけれど・・]

水を足してちょうどいい湯加減にしてドボーン。
うん、なかなかいい感じ。
この温泉、湖の中の小島のようなところに湧いていて、なかなか風光明媚なのだが、温泉に浸かりながら景色を楽しむということはできない。
窓はあるにはあるが、擦りガラスでまるで外が見えないのが残念だ。
それでも、時間制限もないようだし、貸切なので、のぼせて来たら湯から上がって、休憩したり、水のシャワーを浴びたりと好き勝手に過ごせるのもいい。
それになんと言っても天然温泉。

いい湯だ
[狭い浴槽だけど、すっぽりハマれば、極楽、極楽]

1時間少々温泉に浸かったり出たりして、十分に満足したところで、ネコと一緒に温泉公園を散歩する。
ネコの首輪にリードを付けて散歩しようとするのだが、ネコは犬のようには散歩をしてくれない。
勝手な方向へ行こうとしたり、うずくまって動かなくなったり、物陰に隠れようとしたり、結局は一緒に散歩ではなく、私がネコを抱きかかえての散歩となった。

足湯施設
[足湯施設もあり、王女も足を浸けたらしい]

金色の大仏[お寺ではないけど、黄金仏もいらっしゃる(翌朝撮影)]

夕暮れの景色がなかなかイイのです。
うっすらと湖面に靄がかかったようで、魚でも獲っているのか網を手繰っている笹船のような小さな船も浮いている。
公園内ではテントを張ってキャンプをする人もいる。
景色は良いのだが、静かではない。
カーステレオのボリュームをいっぱいに上げて、ガンガンとタイ・ミュージックを流しているグループが何組もいる。
キャンプなら、たき火を囲んでフォークギターで歌でも歌うくらいにしてほしいが、それはタイの流儀ではなさそうだ。

ネコと湖

続・ネコと湖

黄昏、湖畔の温泉
[湖畔の温泉、黄昏がきれい・・写真なら騒音は伝わらない]

今晩の夕食は公園内の簡易食堂。
海辺でもそうであったが、タイの行楽地にある食事施設の常として、メニューはタイ東北部イサーン料理が中心。
私もイサーン料理を注文。
ソムタムとコームーヤーンと言う豚のあぶり肉。
豚の首の回り、二重アゴになっている部分のお肉なので、脂分が多いのだが、炭火であぶり、辛いタレを付けて食べると酒の肴にピッタリである。
その酒はビールではなく、ホントーンと言うタイ・スピリッツ。
消毒用アルコールのような香りがして、カラメルで着色しているので、甘ったるい。
しかし、これをソーダで割って、辛いイサーン料理と一緒にいただくとベスト・マッチして大変おいしい。

イサーン料理
[イサーン料理で一人宴]

食事をしていると、公園内をウロついているイヌたちが集まってきた。
この豚のあぶり焼きの香りに惹きつけられてきたのだろう。
クンクン言いながらこっちをじっと見ている。
テーブルの上ではネコがのんびり侍っている。
なりふり構わずモノほしそうなイヌに比べると、ネコには気品があるように感じられる。
それにイヌになど少しも関心がないようだ。

イヌを無視
[ネコはイヌになど関心がないみたい]

カオニャウと呼ばれるモチ米もいただき満腹。
少しほろ酔い気味。
ホントーンの大瓶はまだ半分以上残っているので、そのまま持ち帰ることにしてお会計。
410バーツなり。

イヌ
[おすそ分けであぶり肉を何切れか上げたら、もっと欲しがって離れない]

満天の星空の下、山小屋へ戻る。
まだ、夜8時を回ったばかり。
でも、なーんにもすることがない。
もう一度温泉にでも入りたいところだが、既に温泉小屋も営業終了済み。
仕方なく、持ってきた文庫本を読んで寝ることにする。

小説ヤマト運輸
[小説ヤマト運輸、、読んでたら深夜になってしまった]

夜中、部屋にトッケーでもいるらしく、トッケー、トッケーと大きな声が部屋の中に響いた。
ネコはトッケーを捕獲しようと、真っ暗な部屋の中をときどき走り回っていた。
トッケーは捕まえられなかったようだが、ヤモリのチンチョックには犠牲者が出たようで、朝目を覚ましたら、枕もとにチンチョックの尻尾だけが落ちていた。

<HR>

ジョギング
[翌朝、湖畔の堤の上をジョギング。この湖は灌漑ダムであることが判明]

朝もや
[朝靄がたなびく、静かな景色]

水牛たち
[堰の斜面に水牛たち]

テラスでのんびり
[翌朝も温泉に入りに行き、昼までテラスで文庫本を読む]

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映画「先生と迷い猫(Finding Calico)」を見る
2月6日 土曜日

午前中、タイ日ユースセンターへ運動に出かける。
一周が800メートルほどのジョギングコースを7周する。
また、ここの会員の年会費を払って更新手続きを行う。
年会費は40バーツ。
昨年、初めて会員になった時は70バーツを支払ったが、更新は少し安いようだ。
そしてプールの利用券を買う。
こちらは15バーツ。
しかし、プールを利用するための健康診断書を次回持ってくるように言われる。
健康診断書も一年に一回提出しなくてはならないらしい。

更新手続きと言えば、先日運転免許の更新手続きをした。
古い免許書は2016年の誕生日まで有効となっていたので、昨年末に休みを取って更新に免許センターまで出かけたら、一日の受付は300人までで、もう締め切ったと門前払いされていた。
こちらも会社勤めをしている身で、休みの申請は一か月前にしなくてはならず、今日だめならまた明日と言うわけにいかない。
それで誕生日過ぎになってようやく免許の更新となったわけである。
が、誕生日を過ぎてすでに失効していても免許の更新に支障がないところがタイらしい。
失効後一年以内に更新すれば問題ないそうだ。
なお、交通安全に関するビデオを見せられた。
前回の更新時に見たビデオと同じものだった、
安全運転のトヨタドライバー一家と、無謀運転のホンダドライバー父子の物語。
写真撮影をして免許書を受け取る。
写っている写真を見て愕然とする。
頭は白髪交じり、肌にツヤはなく、前回の免許に写っていた自分と比べると相当に老けて見える。

免許センターの張り紙
[免許更新07:30から受付 1日300名まで]

このところ少し肌寒い日が続いていたが、プールの水温は冷たいというほどではない。
それに利用者も少なく、レーンを占有してマイペースで泳ぐことができた。
50メートルプールを15往復して1500メートル。
15バーツの利用料だから、100メートル1バーツの計算になる。

昼少し前にプールから上がって、乗ってきたバイクのタイヤを交換する。
ディンデンの下町にある行きつけの小さな修理屋へ乗り付けて「タイヤ交換できるか?」と聞いたらもちろんとのこと。
修理屋だからそれは当然かもしれないけど、でもこの修理屋には交換すべきタイヤの在庫がなかった。
たった一人のエンジニアはバイクに乗ってどこかへ出かけ、そしてしばらくして新品のタイヤを買ってきた。
タイヤはミシュラン。
交換作業はものの15分ほどで完了。
工賃含めて800バーツ。
日本だったらパンクの修理代くらいの金額だろうか?

昼から出社して半日仕事。
土曜日だからと言って仕事の量が少ないわけではないけれど、気分的にはのんびりしていて気楽だし、それでいて能率も上がる。
6時半ころに切り上げる。

昨日、以前からあった古いNECのノートパソコンを引っ張り出してきて、動くかどうか試してみた。
もともとウインドウズ2000が入っていたようなパソコンで、前回電源を入れたのがもう5年以上前。
動くかどうか不安だったが、もし動くならビデオカメラを付けて、不在中のネコ監視用モニターにでもしたいと思っていた。
が、電源を入れてもハードティスクからカリカリと音が聞こえてきて、そのうちスクリーンにオペレーションシステムが見当たらないと警告してきた。
うーむ、ハードディスクがダメになってしまっていたらしい。
ハードディスク交換して、OSの再インストールしたらば、まだ使えるのだろうか?
そんなことを考えて仕事帰りにパンティッププラザへ行ってる。
随分と長いこと来たことがなかったけれど、パンティッププラザの中は以前はたくさんあった海賊版のソフトを売る店が随分と減っている。
パソコンを取り扱う店も減っているし、全体として以前より活気がない。
エスカレーターも動いていない。
しかし、バイクの駐車料金は15バーツに値上がりしていた。
初めて来たときは5バーツだった。
前回来たときは10バーツで、
今回は15バーツと随分と値上がりしている。

で、ハードディスクを探す前に、パソコン売り場を除いたら、小さくて安いパソコンがあったので、つい買ってしまった。
いつも使っているヤマダ電機で買ったオリジナルブランドのノートパソコンはCD/DVDも付いているし、バッテリーも大きなものにしてあるので、気に入っているのだか重たい。
旅行中に持ち歩くにはもう少し軽いものが欲しいと思っていた。
衝動買いしたパソコンはレノボ・ブランドで、重さが1.2キロ。
スクリーンは小さいけど、薄くて軽くて、おまけに安い。
OSもウインドウズ8が入って、6,490バーツ。
ただ安くても現金の持ち合わせがなくてクレジットカードで支払う。

パンティッププラザを出たのが8時少し前。
そのままRCAにある映画館へ向かう。
先日から邦画の「先生と迷い猫(Finding Calico)」がかかっている。
HOUSE RAMAと言う映画館。
いつも良い映画を上映しているので気に入っている。
チケットブースで「メーオ(ネコ)」と言って100バーツを払う。
タイ語の題名はなんだかわからないからメーオとだけ言ったけど、それだけで通じた。
ポスターには英題のFindind Calicoと書かれている上に"クラップバーントゥナ"と書かれている。
「帰っておいでよ」と言う意味だろうか。

先生と迷い猫
[先生と迷い猫 映画館のWEBページより]

チケットブース
[HOUSE RAMAのチケットブース]

映画館の壁画
[映画館の壁画]

ゆったりしたシートは座り心地が良い。
20%に満たないくらいの入りだろうか?
土曜日の最終回としては観客が少なすぎるような気もする。
何本かの予告編のあと起立して国王賛歌を拝聴する。
今まで見てきた国王賛歌のフィルムとは異なった新しいバージョンで、仏教徒もイスラム教徒も、都会の人も、農民も、山岳少数民もみんな国王陛下を愛しているといった感じ構成になっていた。
以前のバージョンは国王陛下が国民の中へ入って指導をしたり、国民と触れ合う部分が中心だったように記憶している。

さて、この「先生と迷い猫」だが、
主人公はイッセー尾形が演じるところの校長先生と呼ばれる写真好きの老人。
すでにリタイヤしており、近年にネコ好きの配偶者を亡くしている。

その配偶者の仏壇の前に、いつも野良猫がやってくる。
校長先生はそれが気に入らず、ネコを追い出す。
このネコは後半のストーリーでわかってくるのだが、もたいまさこ演じるところの亡き配偶者が生前に可愛がっていた野良猫。
そんなネコがやってくると校長先生は亡くなった配偶者のことを思い出してしまい、つらくなるらしい。
それでネコを追い払う。

そのネコは朝一番に美容院に入り込み、昼寝をする。
ネコ好きの美容院の女主人を演じるのは岸本佳代子。

それから校長先生の所へ行き、また雑貨屋店の前でエサをもらい、最後はバス停で帰宅途中の女子高生と過ごすという日課。
そこに登場する人物それぞれが、それぞれその三毛猫に名前を付けている。
美容院では「たまこ」、
雑貨屋の店の前でエサをあげる女性からは「ソラ」、
女子高生からは「チヒロ」、
そして校長先生の配偶者からは「ミー」。

ある日、川沿いの道で、小学生の男の子が学校にも行かずにいて、動けなくなって倒れている白ネコを見ていた。
ネコはナイフのようなもので切られて血を流していた。
「死んでるの?」と聞く男の子に
「まだ生きている、動物病院へ連れて行くから、君は早く学校に行きなさい」と校長先生は言い、
ぐったりしている白ネコを抱きかかえて動物病院へ連れていく。

が、その前後のストーリーとあわせると、この男の子がネコを切りつけたのではないかとも想像させる。
しかし、その結論は最後まで見てもわからなかった。
ただ、この男の子は修道女のところに暮らしているということだけがわかる。

校長先生はネコが家の中に入ってこないようにネコ用通用口をふさいだりする。
そして、ついにネコは来なくなった。
来なくなったのは、校長先生の所だけではなく、美容院にも、雑貨屋前にも、夜のバス停にも姿を見せなくなった。

いつも来るはずの三毛猫が来なくなって心配した美容院の女主人が迷い猫の張り紙を作って張り出した。
それを見た校長先生は、がぜんいなくなったネコを探し始める。
その探し方は、滑稽に思えるほど。

そして、探し疲れ、夜中のお寺の境内で倒れてしまい、そして配偶者が生きていたころのことを回想する。
思い出したくはないと言いながら、忘れたくないという気持ちが強かったということに、校長先生は気づく。
その回想シーンの中で配偶者は「猫がきらいだなんて、人生の楽しみの一つを知らないってことよね」と言っている。
ネコ好きな人なら、思わずうなづいてしまうセリフだが、この映画は決して「ネコ賛美」している内容ではない。
可愛いネコがいっぱい出てきて、愛嬌を振りまくというようなものではない。

ストーリーの中で車の修理工が野良ネコにエサだけ与えて可愛がっているのは無責任だと叱る。
保健所のケージに入れられたネコもたくさん出てくる。
ネコアレルギーの役場の職員も出てくる。

しかし、ネコに助けられる人も描かれている。
ネコとの共生について考えさせられる映画だった。

このネコとの共生と言うことだと、つい先週読んだ本が、ネコとの共生について書かれた本だった。
「ネコと暮らせば--下町獣医の育猫手帳」野澤延行著
この本も地域ネコについてたくさんページを割いている。
ネコを好きな人もいるし、嫌いな人もいる。
また、好き嫌いだけでなく、ネコが自然体系を狂わす害獣になってしまうこともある。
つまり、ネコを飼うということは、それだけ責任感を持つ必要があると訴えているし、
地域ネコを可愛がるにも、周囲への配慮や、ネコの去勢や疾病予防などの心構えを説いていた。

たまたま、同じようなテーマの本と映画が重なった形となった。
うちのクロネコも道端で拾ったものである。
可愛い首輪もつけていたのでたぶん捨て猫だったんだろうと思っている。
名前は付けていない。
バンコクでネコと暮らしているが、このネコをペットとは思っていない。
ベットなどと言う愛玩目的で生き物を飼うというのは私の趣旨に合わない。
ネコは家族みたいなものだけど、家族と言うよりパートナー、
そして私の場合、このネコは私にとって戦友のような存在である。

週末にパソコンのセットアップを終えた。
パソコンを使ってアパートの部屋のモニターができた。
携帯電話でも部屋の中の様子がわかるようになった。
そして、前々からそうではないかと思っていたことだが、
我が戦友は私が仕事場で七転八倒している最中に、ずっとベッドを占有して寝ていることが判明した。

モニターで昼寝が発覚
[やっぱりネコは留守中に寝ていた]

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昭和が流行 台北・紅帽山温泉
1月26日 火曜日

雪の温泉を堪能してバンコクへ帰る日。
まだ暗いうちに出発して西武線と地下鉄東西線を乗り継いで東京駅の「東京シャトル」と言う格安高速バス乗り場へ向かう。

スカイツリー
[隅田川とスカイツリーに朝が来た]

成田空港へは8時前に到着。
チェックインカウンターには行列ができている。
IT企業の社員旅行の団体さんが並んでいるようだ。
私はすでにインターネットでチェックインを済ませているけど、荷物を預けるために列の後ろに並ばなくてはならない。
これではネットでのチェックインの意味がないので、早いところ改善してほしい。

ほぼ満員の乗客を乗せて台北へ向けて飛び立つ。
飛行機に乗るときは、なるべく足元の広い席を取るようにしているけど、この東京から台北へ向かう飛行機だけは、足元の広さ以上に右舷の窓側、それも翼にかからないところを重視している。
それは富士山を見たいからで、今日あたりは雪を頂いて真っ白な富士山を拝めそうである。

富士山
[願ったり叶ったりで富士山を眼下に眺める 窓が少し汚れているのが残念]

機内食は焼鮭定食のようなもの。
これも悪くない。
欲を言えばお味噌汁なども、インスタントでいいから付けてほしいのと、お箸が欲しい。
でも、安いエコノミーで欲を言える立場でない。

鮭定食
[焼鮭定食 ビール付き]

デザートにドーナッツが付いている。
ドーナツなんて、まず食べることがない。
油で揚げてあり、おまけに砂糖まで振りかけてあるのだから、要注意の食べ物と思っている。
しかし、このドーナッツのパッケージ、かわいい顔が昭和風のタッチで描かれている。
これを見ていたら童心に帰ったような気がする。
子供のころ買い物の途中で買ってもらって食べたドーナッツを思い出す。
あのころニラの畑の中を抜けて歩いて行くと、バス通りに面して、たしか名前はカネヨシマーケットとか言ったお店があった。

ドーナッツ
[昭和風のドーナッツ]

しかし、食後に下げられていくトレーを見るとドーナッツを残している人がたくさんいるようだ。
食べてもらえなかったドーナッツがなんだかかわいそうに思えた。

機内では映画を2本見た。
一本目は、「リトルフォレスト」の秋・冬編。
この映画は昨年RCAのHouseと言う映画館でかかっていて、見に行こうと思いながら見逃していた映画だ。
そしてもう一本は、「ぼくたちの家族」。
末期症状の脳腫瘍で余命1週間ほどと診断された母親と、その家族の物語。
仮面家族のようだったのが、母親を何とか助けたいと駆け回ることで、家族としてまとまっていく。
そして、実は末期がんではなく、悪性リンパ腫で、手当の方法もありそうだとの診断を受ける。
しかし、家族が抱えていた借金が露呈していて、なんとか頑張るよと言いあう家族だが、
私は天邪鬼なので、メデタシめでたしとは思えずに、これからの介護や治療費を含めて、「頑張るよ」を何年にもわたって維持していくのは、現実には大変すぎることだと思ってしまう。

台北にはほぼ定刻に到着。
機内の後方キャビンなので、慌てずにのんびりと席を立つ。
どうせ急いでも出口までの通路にはたくさん並んでいるはず。
急いでもどうにもならない。

ゆっくりと機外に出ると、地上係員が乗客の誘導で声を張り上げている。
どうやら本来ならこの便は第2ターミナル側へ付けるべきところ、第1ターミナルへ到着してしまったようで、係員がターミナル間連絡用のシャトルへ乗客を誘導していた。
私は荷物の受け取りもないので、どのターミナルでも関係ない。
係員の横をすり抜けて最寄りの入国審査場へ向かった。

今回も入国審査の長蛇の列を尻目に、優先入国レーンでの楽々入国。
係官から、「ここで入国したら、荷物受け取れなくなりますよ」と言われたが、「手荷物だけです」と答えた。
そのまま税関も素通りし、台北市内行のバス乗り場へ。

夜までの半日、今回は紅帽山温泉へ行ってみようと思っている。
国光バスの窓口で切符を買う。
83元。
台北の天気は晴れ。
気温も暑からず、寒からず。

台北市内でMRTに乗り換え、石牌へ。
案内によれば、紅帽山温泉へはここからバスに乗り換えて行くのだそうだ。
石牌駅前はごく普通の郊外にある街並みで、とても温泉地への入り口には思えない。
本当にここからでいいのかと少し心配になってしまう。
しかし、これは北投温泉でも同じことだった。

温泉へ行くバスは小さなマイクロバスで、お年寄りがたくさん載っていた。
しかし、温泉へ行くお年寄りと言う感じではない。
まったく普段着のまま、このあたりの住民なのだろうか?
街中を抜けるとすぐに山道に差し掛かる。
クネクネと山を登っていくと、台北の街並みが遠くに見えたりする。

台北遠望
[遠くに台北101も見える]

15分ほどで下車する「行義路三」に到着。
山の中腹でなんとなく箱根っぽい雰囲気。
温泉の入浴施設も密集しているが、いずれも宿泊施設を持たない日帰り入浴なのだそうだ。
「伊豆」「櫻崗」「湯瀬」など、いずれも日本の温泉をイメージした施設だ。
しかし、お風呂の写真付きの広告をやたらと大きく掲載しているので、その点では温泉としての景観が削がれてしまっている。
台湾の人はこの手の派手で直截的な写真看板がお好きなようだ。

紅帽山温泉街
[市内から15分で深山幽谷の温泉へ]

今回利用するつもりの施設は「川湯温泉」。
ネットなどを見ても人気ダントツの様である。
400元以上の食事をすれば入浴無料と言うのもうれしい。

川湯温泉
[北海道の川湯温泉ではありません]

食後すぐに入浴と言うのはあまり良くないかもしれないけど、少し小腹も空いているし、先に食事をいただき入浴させてもらうことにする。
川湯温泉は長い階段を下ると、狭いエリアに飲食施設や入浴施設が密集している。
なんとなく昭和を思わせる演出。
それに古い日本映画のポスターなんかもあちこちに張り出されている。
ポスターの石原裕次郎が若い。

長い階段
[長い階段を下る]

茶房と言う食堂に入りメニューを眺める。
ちゃんと日本語でも説明がついていてわかりやすい。
値段はちょっと高めかもしれないけど、それでも日本のラーメン屋の中華メニュー程度。
一人だし、単品の料理を注文するより、何か定食のようなものが良かったのだけど、メニューには定食などは記載されていなんった。
変わったところではマンボーを食材に使ったものなんかがあった。
注文したのは無難で安いところのチャーハンと宮保鶏丁、鶏肉とナッツの唐辛子炒め。
このは唐辛子の量が半端じゃなく入っている。
もともと四川料理だから唐辛子を利かせて辛い料理だけど、まるで手加減なしだ。
味は悪くない。
チャーハンは、台湾の蓬莱米を使っているのか、タイ米のようなパラパラとした軽さがなく、べたつく感じ。
チャーハンと言うより炊き込みご飯風の食感である。
二人前くらいあって、ボリュームがすごい。

宮保鶏丁
[宮保鶏丁の唐辛子 半端な量じゃない]

店内では鍋を食べているグループが多かった。
火曜日の午後にこんな温泉に来るなんてどんな人たちなんだろうか?
ジョッキでビールを飲んでいる女性もいる。

茶房店内
[壁に張られたポスターは おめでとう王貞治756号]

会計は490元。
支払いを済ませたら温泉の無料入浴券を一枚もらった。
さっそく温泉へ。

脱衣所の棚は籠なんかではなくコインロッカーになっており、一回20元也。
これはあとで返金されるタイプではない。
よく見るとロッカーに衣類を入れても鍵をかけていないところがたくさんある。
つまり20元を節約する方法らしい。
私も見習おうかとも思ったが、パスポートなど貴重品もあるので20元を投入。

脱衣所以外は露天になっている。
大きな浴槽がふたつある。
渓谷に面した側の浴槽はお湯の温度が42℃になっていて、ちょうどいい湯加減。
当然ながら男性ばかりが入浴しているが、若い人から年寄りまで年齢層は広い。
湯に浸かっているのとほぼ同じくらいの人が浴槽の外にある淵に上がって休憩している。
もう一つの浴槽は、45℃とかなり熱めのお湯である。
こちらは若い人は入っておらず、年配者だけが入っている。
私も浸かってみたが3分ほどで茹で上がってしまった。

洗い場は少メンテナンスがいい加減な感じがしたが、手桶は木でできていた。
情緒はあるが、相当使い込まれていてる代物だった。
ここでも石鹸は固形ではなく液状のボディーソープ。

打たせ湯はスイッチを押すと高いところから勢いよくお湯が吹き出してくる。
その吹き出し方が、日本の打たせ湯のように細くチョロチョロなんてものではなく、
まるで消火栓を全開にしたかのようなすごい水圧で噴出して、痛いくらいだ。

スチームサウナは、温度こそ高くはないがとんでもないスチームで中は真っ白で何も見えない。
奥に進んで壁際に腰かけようと思っても、すぐ前にいる人が見えないくらいなのだ。

紅帽山の渓谷
[温泉の横を流れる渓谷 水が温泉と同じ色になっている]

台湾の温泉は、やはり日本と比べると過激だなとの印象を受ける。
昔、何十回も台湾に来ていたが、台北郊外にこんなに温泉施設があるなんて知らなかった。
当時台北周辺の温泉と言ったら北投温泉と烏来温泉くらいで、いずれもあまりいい印象は持たれていなかった。
台湾の人も温泉なんかにそれほど興味を示していなかった。
ずいぶんと変わったものだ。

ここのお湯は透明ではあるが少し青みがかった灰白色をしている。
匂いも特に感じない。
温泉の隣の谷川の水も同じような色をしている。
湯船に数分浸かっては、浴槽の淵に上がって休憩し、また湯に浸かっては飲水機から水を飲む。
ここの施設で一番うれしかったのは、飲水機があったことで、汗で失われた水分補給ができる。
飲水機は熱湯も出るので、お茶を入れている人もいる。
中国式のミニチュアのような茶器を使ってお茶を楽しんでいる。
しかし、茶を飲む彼らも裸である。

川湯温泉夜景
[夜の川湯温泉も昭和情緒たっぷり]

約2時間ほど温泉を堪能。
外も暗くなってきたので、そろそろ退散。
ずいぶんと長いこと温泉に入っていたので湯疲れしてしまい、温泉からの長い階段を上るのに難儀をしてしまった。

帰りのバスはマイクロではなく普通のバスで、席も空席がいくつもあるくらい空いていた。
石牌でMRTに乗り換え、圓山へ。
ここから空港手前の南?へ立ち寄り、前回同様に八方雲集で餃子を食べ、翌日の昼食用に火車弁当を買うことにしている。
さらに今回は、八方雲集でお持ち帰り用の冷凍餃子も買いたいと思っている。
南?へのバスは空港行の国光バスなのだが、来るバスが2台続けて満席と言うことで乗れなかった。
3台目にやっと乗り込んだら、坊主頭で恰幅のいい、ちょっと任侠映画に出てきそうな運転手がハンドルを握っていた。
台湾でときどき見かけるタイプである。
が、見てくれは怖いし、声も大きいのだが、私が乗り込んだら、「こんばんわ」と日本語で声をかけてくれた。
また、最前列の席に着いたら、振り返って「安全帯(シートベルト)ね」と言う。
バスを降りる時も「ありがとう さようなら」と声をかけてくれる。
悪い気がするわけがない。

南崁で無事に餃子と弁当を仕入れて、空港に到着したが、コンビニでさらに冷凍食品を買い込みたい。
到着した第1ターミナルの中を探したが、セブンイレブンがない。
セブンイレブンではひとパック29元の冷凍食品を3パック買うと79元になるプロモーションをやっていた。
なので、セブンイレブンへ行きたい。
確認するとセブンイレブンは第2ターミナルらしい。
ターミナル間のシャトル電車に乗って、無事にセブンイレブンにたどり着き、焼き餃子とシュウマイを買い込む。
バンコク行の飛行機は第1ターミナルからの出発だけど。戻るのは面倒なので、そのまま第2ターミナルで出国してしまう。
出国審査場も長蛇の列だったけれど、ここでも優先カウンターで、並ぶことなく抜けてしまう。
さて、バンコク行の便はどこのゲートだろうかとモニターを見上げるが、ターミナルが違うからか掲載されていない。
インフォメーションカウンターへ行ったら、電動カートを呼んでゲート前まで送り届けてくれた。
なんだかVIPにでもなったような感じ。
でも、ボロボロの毛糸のチョッキにヨレヨレのジーンズ、冷凍食品の袋までぶら下げているから、見た目はVIPではなく、護送されていく難民と言ったところだろうか。

電動カート
[電動カートに乗せてもらえてラッキー]

バンコク到着は30分ほど遅れて、午前1時過ぎ、荷物もなかなか出てこなくて、帰宅したら午前3時近くになってしまった。
おまけに翌朝気が付いたら、カバンの取っ手が壊れてなくなっていた。

カバンの取っ手が消えた
[翌々日中華航空へ電話したら修理のため業者が引き取りに来てくれるとのこと]

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