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ビエンチャン、ショートトリップ
3月18日 (土)
コンケーンでの仕事が午前中で終わり、時間ができたのでタイ-ラオス友好橋を渡ってビエンチャンへ行ってみた。
昨年末にも行ったばかりだけれど、一人で友好橋を渡ってラオスへ渡るのは30年ぶりくらいじゃないかと思う。

国道2号線を北上し、午後1時にノンカーイにある国境に到着。
夕方には戻ってくるつもりで車は道端に路上駐車。
ちゃんと国境を渡る人向けに有料駐車場もいくつもあるけれど、数時間のことだし、それに路駐している車も道端にずらりと並んでいる。
有料駐車場代は1日100バーツ。

パスポートにタイ出国のスタンプが押されて、国境の橋を渡るバスを待つ。
バス代は週末追加料金5バーツが加算されて35バーツ也。
距離にして2キロあるかないかくらいの距離だから、ちょっと割高。
年末に利用した鉄道は確か20バーツだったと記憶しているけれど、便が少なくて利用しづらい。

国境の橋の下を流れるメコン川の色は少し青みがかっている。
もともとは茶い色だったと思うけど、最近は青く見えていることが多い。
乾期ということもあるけど水量も減っている。

国境の橋
[メコン川、左がタイで右がラオス]

バスに乗り込んでいるのはほとんどが地元の人。
商売人だろうか、慣れた感じでキョロキョロすることなくバスに乗っている。
満員の乗客を乗せたバスがラオス側に到着して、ラオスの入国審査を受ける。
バスから降りた人の大半はパスポートではなくボーダーパスと言うものを持っていて、入国審査も簡略化されている。

私はパスポートを使うので入国カードへの記載も求められる。
事前にバスに乗るときにでも配ってくれれば、手間が省けるのだけれど、そういうサービス精神はなさそうだ。
しかし、入国審査にも20バーツがかかる。
これは週末・時間外サービス料金だそうだ。
飛行機で到着する人にもこんな風にして集金しているのだろうか。

ラオスの入国スタンプをもらって、先に進むと両替所があったけれど素通り。
数時間の滞在とほとんどお金も使わないし、ビエンチャンだけならタイバーツでもそのまま使える。
だいたいラオス通貨1万キップが20バーツくらいのようだ。
さっきのラオス入国審査での請求が1万キップか20バーツと言われた。

タクシーの客引きを無視してバス停へ進む。
クリーム色と緑のボディーをしたバスはなんとなく都バスを連想させる。
メーカーはいすゞ製で、JICAの援助みたいなことが書かれている。
午前中にコンケーンでお会いした方は、もとJICAの所長さんで、「むかしのJICAでは現地に赴いたら、まず現地の人の友達を作れと教えられたものだ」と言われていた。
しかし、それが最近は現地の人との交わりをあまり持とうとしておらず、また援助をしてやるんだという意識が先に立ってしまっているともぼやかれていた。

ビエンチャン市内行きのバス
[色の塗り分けが都バスによく似てる]

バスに乗り込んだのが午後1時半。
まずは順調と思ったのだけれど、乗り込んだのはいいけれどなかなか走りださない。
一応はエアコン付きのバスなのだけれど、エアコンの効きが悪い。
暑さを我慢すること20分。
ようやくバスは走り出した。
ビエンチャン市内タラート・サーオのバスターミナルまで12,000キップ。
タイバーツだと30バーツだそうだ。
タイ語とラオス語はよく似た言葉で、もともとがおんなじ語源らしいのだけれど、数字の数え方が異なっているようだ。
12000も、タイ語だと「ヌンムーン・ソンパン」と言い、日本語に直訳すると、1万・2千となる。
タイ語では、10万や100万の単位を表す単語もある。
これに対してラオス語では12000を、「シプソーン・パン」と発音していた。
日本語で直訳すると12・千。
つまり、万の単位の単語を使わない。
ラオス語について知識がないので、万や10万といった単位の単語がないのか、ただあまり使わないだけなのかわからないけど、千の単位を使うというのは、お金の単位としては理解しやすくて便利だ。
とにかくラオスの通貨では単位が大きくなりすぎて、ほとんど1000キップ以下のものがないから、シプソーン・パン・キップのところをパンキップが通貨単位として理解すれば、桁の多さが気にならなくなる。
なお、ラオスの旧国名は「ラーン・シャーン」で、意味は「100万のゾウ」ということになる。
つまり、100万の単位もちゃんとラオス語には昔からあるわけで、きっと万や10万を表す単語もあるのだろう。

ビエンチャンへの道は片側二車線の道路なのだけれど、道路の状況はタイと比べると格段に劣る。
走っている車は韓国車と中国車が目立ち、日本車もよく見かけるけど、タイのように圧倒的多数派と言うわけではないようだ。
高級車乗用車は日本車、コンパクトカーは韓国車、そして軽トラみたいな車は中国車とマーケットが分かれているようにも感じられる。
そして、運転マナーもタイより劣るようだ。

30年前はほとんど車は走っていなかった。
当時国境からビエンチャン市内まで利用したタクシーは大型のベンツだった。
しかも、そうとうの年代物で、丸みを帯びたダルマのような車だったことを覚えている。
いまは、道には車やバイクがあふれている。

2時半近くにビエンチャン市内に到着。
まだ昼食を食べていなかったので、ビエンチャンへ行ったら食べたいと思っていたバゲット・サンドウィッチを食べることにした。
路地奥に入ったところにあるPVOという食堂に入る。
ネットで調べた有名店だそうで、こじゃれててきれいな食堂だった。
ベトナム料理屋ということになっているようで、メニューもタイでよく見るベトナム料理が並んでいた。
しかし、やっぱり看板料理はバゲットのサンドウィッチで、カオチーと呼ばれている。
ネットで調べるとベトナム風にバインミーと紹介されているものが多かったけれど、バインミーはベトナム語であるから、ラオスならカオチーと紹介すべきかとも思う。
しかし、ラオス語のカオチーと言うのも厄介で、タイの東北部で食べられているカオチーというものもある。これは五平餅と言うか焼きおにぎりのようなモノで、私の好物でもある。
そしてラオスでもよく屋台で売られている。
カオチーの意味はカオがご飯で、チーが焼く。
なので焼きおにぎりがカオチーなのはよくわかるが、バゲットがカオチーなのは、パンも「ご飯」と同一視して、しかも窯で焼くからカオチーと言うことらしい。
ラオスでは米食もパンもカオらしい。
ヌードルもやっぱりカオで、汁そばのことをカオピヤクと呼んでる。
ピヤクはタイ語風に理解すれば、「濡れている」という意味に当たる。

PVO食堂
[路地奥だけど人気の店らしい]

で、ここのカオチー・サンドウィッチだけれど、確かに美味しかった。
パクチーをはじめとしたハーブ類がたくさん入っておりラオスらしさを感じさせる。
ラオスの人は豚肉などを入れたり、フランス風にパテを挟んだりするのが人気のようだけれど、私は肉を食べたくないので卵を入れてもらった。
テーブルには激辛の唐辛子ペーストもあり、これもトッピングと塗りたくった。
刺激的な味で、ビールがひときわ旨くなる。
私はラオスビールのプレミアと一緒にいただいたけれど、メニューにはビールがなかったで、最初はビールを出さない店かと思った。
他のテーブルでもビールを飲んでいる人はいなかった。
しかし、ウエイターにビールを頼んだら、愛想よく持ってきてくれた。
グラスにはタイと同じように氷が入っていた。
カオチーのサンドウィッチも美味しいけれど、ラオスはやっぱりビールがうまい。
さっき国境から乗ってきたバスの沿道に見えた道端の看板広告などもラオスビールのものが多数派だった。
アルコール飲料の宣伝が禁止されているタイから来て、こんなにビールの宣伝広告ばかり見せられたら、ビールが飲みたくなって仕方がなくなりそう。

カオチーのサンドウィッチとラオスビール
[サンドウィッチのサイズがやたらと大きい]

フルサイズのサンドウィッチと大瓶のビールで95バーツだった。
大満足。
サンドウィッチはメニューに3万キップみたいに提示されていたから、これで60バーツなんだろう。
そして、95-60=35だから、ビールは35バーツということになる。
タイのコンビニで買う缶ビールよりも安い!
ラオスはいい国だ!

満腹となり、食堂を出てメコン川の川岸へ向かって歩いてみる。
ツアーでなんども立ち寄っているメコン対岸のシーチェンマイを眺めてみたかった。
いつもはシーチェンマイの側からビエンチャンを眺めてきたけれど、今度はビエンチャン川から眺めてみようとの算段。

メコンの川岸近くにある公園に銅像が立っている。
いまから200年前、ビエンチャンを繁栄させ、そしたビエンチャン王国最後の王となったアヌウォンの銅像。
タイでアヌウォンは「裏切者」「侵略者」として悪名高いが、ラオスにしてみれば英雄なのである。
この王の生涯は、タイによって翻弄され続けていた。
子供のころはタイで人質として過ごし、成人してからはタイのために戦争に参加し、タイの推挙でビエンチャン王になり、善政を布いてラオスを発展させた。
そして、ビエンチャン王国をタイから独立させるために挙兵したが、結局タイに負けて、捕らわれて死んでしまう。
タイではこの挙兵の部分が、タイへの侵略者として誇張されており、このアヌウォンを反撃した女傑スラナリーは今でもタイの英雄として映画やドラマとなっているようだ。

アヌウォンの銅像
[アヌウォン王はメコン川の方向、つまりタイ側を向いて立っている]

20年前、長男と二人でビエンチャンへ来たときに泊まったホテルがランシャンホテル。
戦前からある古いホテルで、高級ホテルというよりもただの古めかしいホテルに成り下がっていたけれど、もともとはラオスを代表するホテルで、バンコクのオリエンタル、サイゴンのマジェスティック、ヤンゴンのストランドなどと並ぶインドシナにある著名なホテルだった。
そんなホテルに私が以前泊まったのは、1にも2にも値段が安かったから。
そして、朝食のブッフェが美味しかったから。
そんなランシャンホテルへ今から10年ちょっと前に家族3人で泊まろうと予約したことがあった。
ビエンチャンにある旅行会社へ全額前払いで代金も払い込んでいたのだけれど、いざホテルへ到着してみると予約が入っていなかった。
予約が入っていないどころか、ホテルのスタッフによればホテルは全面改装中で宿泊そのものの受付をしていないという。
スタッフを通じて予約を入れた旅行会社へ連絡してもらい、1時間ほど待たされて旅行会社のスタッフがやって来た。
「工事中だから泊まれない」と言う。
まったく、ぜんぜん責任感がないと言うか、怒っても埒のあきそうにない相手だった。
「クレジットカード払いだから返金はできない」との理由で、
その代わりおんなじくらいの金額のホテルに部屋を用意するからと言われて、スタッフは引き上げて行った。
待つこと1時間ほどで、ランシャンホテルのスタッフを通じて「別のホテルの用意ができた」とのメッセージを受け取る。
その代替ホテルの場所を教えてもらい、とぼとぼと向かったのだけれど、ランシャンホテルとは全然レベルの違うバックパッカー向けのゲストハウスだった。

そのランシャンホテルも改装が終わって、少しは高級ホテルらしくなっていたそうなのだけれど、その後ビエンチャンに来て泊まる用事もなく、どんなホテルになっていたかはよくわからないが、今回そのランシャンホテルを見てみようと行ってみた。

ランシャンホテルは再び改装中だった。
単なる改装と言うよりも、立て替え作業の真っ最中の様であった。

ランシャンホテル跡地
[ランシャンホテルは建て替え工事の真っさなかだった]

メコン川の対岸にシーチェンマイが小さく見える。
シーチェンマイからビエンチャンを眺めるときはいつも一国の首都だというのに、ビエンチャンには大きな建物もほとんどなくて、全くの田舎町だなと感じていた。
今回は反対にビエンチェン側からシーチェンマイを眺めたらば、「シーチェンマイなんてまったくなんにもない所だな」と感じた。
よく目を凝らしてみると昼食でときどき利用するマヨン食堂の赤い屋根らしきものが見えたり、大きなナーガの像がある公園がかすんで見える。

メコン対岸のシーチェンマイ
[霞んでいるのはたぶんPM2.5の影響]

ビエンチャン市内のスーパーに入ってラオスビールの缶ビール6本パックを買う。
これは土産用。
ラオスビールにはいろいろな種類があるのだけれど、買ったのはさっき飲んだプレミアムという種類の500cc。
あと一本だけ黒ビール風も買ってみる。
これは冷蔵庫で冷やされていたもので、歩きながら飲むつもり。

スーパーで買ったビール代として200バーツを出したら、お釣りとして12,000キップが返ってきた。

黒ビールはギネスなんかと比べるとライトな感じだけれど、そのぶん飲みやすい。
コクが深いので、歩きながらゴクゴクと喉に流し込むよりも、どこかに座って飲みたくなるが、座る場所もないので、歩き続けながら飲み干す。

そろそろ国境へ戻るバス乗り場へ向かう時刻と思い歩いていたらタートダムと呼ばれる古い仏塔が左手に見える交差点に出た。
この交差点を渡ったところには古い屋敷を改装したラオス料理のレストランがある。
この景色、見覚えがある。
はじめてラオスへ来た時に宿泊した宿が、この交差点に面して建っていた。
この宿に入ったとき従業員がフランスパンを刻んだものを丼に入れ、スライスチーズと一緒に食べていたのにショックを受けた。
フランスパンを千切って丼に入れ箸で食べているのにも驚いたが、きっと中国系だったのだろう。
それより驚いたのは、当時タイではデパートの食品売り場で輸入品として売られているくらいだったスライスチーズをこんな宿の従業員が何食わぬ顔で食べていることだった。
当時はまだラオスは鎖国に近い国で、タイよりもソ連の方が近いと感じさせる国情だった。

タートダム
[奥に見えるのがタートダム、左手の囲いがかつて泊まった宿の跡]

その宿はすでに取り壊されて更地になっていた。
また、交差点の反対側にあったラオス料理のレストランは当時と変わっていないようだった。
ここでもショックを受けたのは、レストランの入り口に物乞いの少女が二人しゃがみ込んでいたこと。
貧しいながら、貧富の差がなく、平等な社会と宣伝されていた共産圏で物乞いの少女がすがるように手を伸ばしてくる。
物乞いだけでなく、身体も売りそうな感じであった。

ラオス料理レストラン
[この店は今も変わらずラオス料理の高級店らしい]

バスターミナルのあるのはタラートサーオと言うところで、ビエンチャンの中心。
もともとは朝市の開かれていた場所で、むかしは建物などなく、露天でゴザに野菜や魚、雑貨などを並べて売っていたのを見た記憶がある。
今は大きなショッピング・コンプレックスのような建物になって大通りに面して立っている。
大通りの先の方には凱旋門、反対側には大統領官邸が見えるラオス切っての道幅の広いメインストリートなのだろうけど、このショッピング・コンプレックスは田舎臭いデパートの様だった。
むかしの市場がそのまま大きな建物に入ったような印象。


凱旋門
[差し詰めビエンチャンのシャンゼリゼ通りか]

バスターミナルはこの建物の裏側にあった。
バスターミナルと呼ぶにもおこがましいような建設途中で放棄されたビルのような建築物の下がバスの発着所になっている。
むかしはコンクリートの構造物などなくて、露天であって、そこを発着するバスと言うのが、日本やタイで目にするバスのイメージを大きく裏切るもので、古いダンプカーであった。
ダンプカー改造してバスに仕立てたのではなく、ダンプカーそのままをバスとして使っているというものであった。
砂利を載せる荷台に乗客はよじ登って乗り込んでいた。
屋根があるわけではなく、当時の悪路で揺られるのは相当大変なことだったろうと想像される。
しかし、冒険心をそそられてルアンプラバーンまでダンプカーに乗ってみたかったけれど、当時は外国人が地元の人に交じって乗せてもらえるものではなく、私は双発の飛行機でルアンプラバーンまで飛んでしまった。
ビエンチャンの空港も空港と言うより、飛行機待合所と言った感じだった。
格納庫の前には何十年前のものかと思われる複葉機さえ並んでいた。

バスターミナル
[現在は市内バスとタイ行きの国際バスだけが発着しているようだ]

バスターミナル横の屋台で、バゲットパンを買う。
5本入って25バーツとのこと。
しかし、このパンを後でタイに戻ったから食べてみたけど、昼に食べたのと比べて全然美味しくなかった。

ビエンチャンから国境の橋までのバス代として、さっきビールを買ったときの釣銭とてもらった12,000キップで支払う。
今回のラオスで使った最初で最後の現地通貨。


ラオス側からタイ側へ戻るバス、こんどは週末の追加料金がかかっておらずバス代は30バーツだけだった。

メコン川
[夕闇迫るメコンを渡ってタイへ戻る]

18:30 夕暮れですっかり暗くなったタイ側へ到着。
数時間のラオス旅行だったけど、なかなか濃い時間だった。


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