■かれんだー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

ナコンサワン旅情(前編)
3月6日と7日の2日間でナコンサワンへ泊りがけで出かけてきた。
ナコンサワンはバンコクとの行き来で、いつも通過している街、この街に前回泊まったのはチェンマイに住んでいた時、2001年10月20日に家族とドライブ旅行の途中に泊まっていることになっている。
今回は、バンコク在住のIさんとナコンサワンの駅で合流してナコンサワンをめぐることになっている。
以前から戦記物好きのIさんに、ナコンサワンには軍馬の慰霊碑があるから行きましょうと誘っていたのが、今回実現することとなった。
Iさんはバンコクから列車で、私はピサヌロークから車で。
待ち合わせ時刻は列車の到着時刻、11:36。

ナコンサワン駅
[ナコンサワン駅は街から随分と離れている]

少しは遅れるだろうと思っていた列車が定刻にやってきた。
さっそく向かうのは、軍馬の慰霊碑。
軍馬の慰霊碑は、ナコンサワンの駅から西に進み、国道一号線との交差点も突っ切り、陸軍の歩兵隊駐屯地の先にある。
ちょうどお昼時ということもあり、地元では評判らしい駐屯地裏門前のクイティオ屋に入る。
なかなか繁盛しているようで、兵隊ばかりかと思ったが、家族連れも来ている。
味もまずまずで、値段も30バーツと手ごろ。

食後に軍馬慰霊碑のあるワット シーサワーン サンカーラームへ。
暑い昼下がりである。
寺院境内には、ほとんど人気がなく、寺の犬ばかりが激しくほえたててくる。
境内奥に軍馬慰霊碑がある。
二体あり、向かって右側が古くからあるもので、左側は1990年に建立されたもので、こちらには碑文もしっかり記載がある。
終戦後、タイにいた日本兵はナコンサワンで武装解除を受けた。
その際に、日本軍が連れていた軍馬も軍装として扱われ、連合軍から射殺を命じられたので、その軍馬たちを慰霊するために、建てられたものである。

軍馬慰霊碑
[1990年に建てられた軍馬の慰霊像]

人気のない境内であったけれども、慰霊碑の周りをウロウロしていたら、たぶん寺院のお世話をしていると思われる女性が現れて、4時になったらご住職が帰ってくるので、詳しい話を聞かせてくれるという。
今日はこのあとカオノーという山へ登ってくるつもりなので、4時まで待っていられないのと、詳しい話をしてもらっても、それを理解しきれるだけのタイ語に自信がない。

その女性によると、以前はしばしば日本人が訪れていたという。
しかし、もう戦後も75年が過ぎ、ここで軍馬たちが射殺されたことの記憶もほとんど消えてしまっているのだろう。
いまでは、ほとんど慰霊に訪れる人はいないらしい。

慰霊碑の後ろに倉庫のような建物がある。
先ほどの女性が、この辺りで以前馬の骨が土の中から出てきたそうだ。
その骨をどこに保管しているのか分からなくなってしまったという。
この倉庫にあるのではないかと聞いたが、そうかもしれないがわからないという。
窓から薄暗い倉庫を覗いてみたらば、馬ではなく巨大なゾウの頭蓋骨が置かれていた。

寺院内には仏塔があり、内部が見学できるというので、見学させてもらった。
とくに軍馬に関する資料は内容だったけれど、先代の住職がミイラになって横たわっていた。

慰霊碑のある寺を出て、国道1号線の交差点手前、陸軍の駐屯地正門に古い小さな戦車が置かれていた。
保存状態もあまり良くないようだけれど、詳細に見て回ったところ車輪に漢字らしきものが書かれているのを発見。
なんども分厚くペンキを塗られてきているために、何と書かれているのか判然としない部分が多いのだけれど、最後の4文字は「株式會社」と読める。

株式会社
[なんという会社名かは読みとれない]

つまり日本製らしい。
ネットでよくよく調べてみると、どうやら戦前の日本陸軍の九五式軽戦車らしい。
この戦車は戦時中に日本からタイ国軍へ納品された戦車と思われる。
もし、日本軍がタイに持ち込んだ戦車だったらば、終戦時の武装解除で破壊されていたはずである。

九五式軽戦車
[案内看板くらい用意してあっても良さそうなものだ]

軍馬は射殺されて、戦車は破壊を免れたとは、運命のいたずらにしては、ちょっと度が過ぎている気がする。

カオノーへは車で走ること30分ほど、このカオノーは昔から気になっていた。
チェンマイからバンコクへ向かって走っていると、平野の真ん中で横一列に並んだ岩山が見えてくる。
岩山に近づくにつれて、横一列に並んでいた岩山が重なりだし、最後は全部が重なり合って一つのとんがった山のように見えるのである。
面白い景色だとは、ずっと思って来たのだけれど、最近になってこのカオノーへ登れることを知った。
しかも、頂上からの景色は絶景らしい。

縦一列に並んだカオノー
[岩山がすべて重なって、一つの岩山になってしまう]

カオノーの入り口にはイチゴ農園があった。
タイでイチゴは、北部山岳地帯のモノと思っていたけれど、このあたりでも栽培しているらしい。
外気温は35℃くらいあるのだろうか、真夏とイチゴ園というのはなんだかチグハグな印象がある。

観光いちご園
[カオノー入口の観光いちご園、イチゴの粒は小さめ]

カオノーの登山口にはワットカオノーというお寺があり、そのお寺の周辺にはおびただしい数のサルが住みついている。
正直なところ、サルはあんまり得意ではない。
サルと相性が良くないのかもしれない。
なんかイタズラをされそうな気がするし、目が合うと飛び掛かってきそうな殺気を感じる。
そんなサルだらけのところを歩いて、山に登るというのは、ちょっといい気持ではないのだけれど、ここのサルたちは、比較的おとなしく、穏健派らしい。
たぶん、このお寺にはたくさんの人たちがサルにエサを与えていて、食べ物が豊富だから、サルも人間との共存が自分たちにとって必須であることを理解しているようだ。

ワットカオノーのサル
[食べ物はふんだんに与えられているようだ]

そんなサルたちの中でカオノー登山を始める。
最初はひたすら階段が続く。
階段は延々と続く。
登れば、登るほど階段は急になってくる。

約700段の階段
[階段は約700段とのこと]

ところどころに、腰を下ろせるような鉄パイプ製ベンチがある待避所が用意されているけれど、ここに座ったらば、さらに登り続けようという意思がくじけてしまいそうなので、休憩も取らずに登り続ける。
同行のIさんには、災難みたいなもので、相当に息が上がっているのがわかる。
「先に登っててくださいよ」と言われ、私が一緒にいると、休憩も取りにくいだろうと思い、一人先に進む。

長い階段が終わり、少しガレ場を歩いた後は、鉄パイプ製のハシゴ段の連続。
このハシゴ段の一段一段がやたらと高い。
そして、このハシゴ段も登れば登るほど、傾斜が急になってくる。
手すりがあるので、両手で手すりを引っ張るようにして、一段一段登っていく。
階段よりもハシゴの方が、短時間に高度を稼げる気がする。

鉄パイプ製のハシゴ段
[一段一段の間隔が広い]

尾根の部分まで登ってこれた。
このあと尾根沿いに山頂まで少しの距離なのだけれど、尾根の部分がとても怖い。
とんがった岩の上を歩くわけだけど、遮蔽物がないので、下が見える。
足元の岩のすぐ横が断崖。
風にでもあおられてバランスを崩したり、躓いたりしたら真っ逆さまだ。
ちゃんと手すりこそあるのだけれど、尾根は日当たりが良すぎるようで、鉄パイプの手すりが火傷しそうなくらい熱くなっている。
それでも、鉄パイプを握らなくては、高さが怖くて一歩たりとも前へ進めない。
パイプの熱さを我慢し、手のひらを真っ赤にしたところで、頂上へ到達。

カオゲーオ
[山頂からは隣に聳えるカオゲーオの峰が見える]

頂上には仏像が2体と、小さなお堂があった。
登ったけれども、まだ高さにビビッて、立ち上がれない。
四つん這いみたいにして、お堂の脇の日陰に逃げ込む。

カオノー頂上
[二体の仏像があり、旗がはためいていた]

しばらく安静にして、高さにも多少は慣れたところで、頂上からの景色を眺めてみる。
なるほど、絶景。
岩の連なりが一直線に伸びている。
麓からの高さは約180メートルほど。
前方と後方に一列ずつ岩山が並んでいて、左右は真っ平らな平地になっている。
さっき登り口にあったお寺も眼下に見下ろせる。
絶景を楽しんでいるうちにIさんも登ってきた。
Iさんに高所恐怖症で、四つん這いになっている醜態を見られなくて助かった。

カオノー山頂にて
[顔が引きつっている]

お堂の中には仏足石があり、コインが何枚も投げられていた。
仏像を含めてお供え物もあったりして、参拝のためにここまで登って来る人もいるらしい。

仏足石のお堂より
[仏足石の置かれた小さな祠の窓から]

登りと比べると、下りは楽である。
あとで膝関節がガクガクになる心配はあるけど、息が上がって苦しいということがないだけ楽だ。

快調に下山して、時刻はまだ5時。
このカオノーでは日没時刻にコウモリが洞窟から飛び立つところも観光名所になっているようで、その見学ができる場所にはたくさんの出店が並び、観光客たちの車が並んでいた。
コウモリの飛翔も見たいけれど、今の時期だと日没は6時半ころ。
まだ1時間半もある。
コウモリは見たいけれど、それより早くシャワーも浴びたいし、ビールも飲みに行きたい。
西日を浴びるカオノーの山並みだけを見て、ナコンサワンの街へと向かう。

コウモリを見学するスポット
[西日を浴びたカオノー]

ナコンサワンでの宿は病院街のような場所にあるグランド ウィサヌ ホテルという古いホテル。
むかしは学校の校舎だったのではないかと思われるような建物だったけれど、部屋の中は普通の安宿であった。

夕食には、ここから徒歩圏の鳳凰酒楼(ホンファー)という中国料理屋で食べることに決めていた。
ナコンサワンは華僑の街だし、この鳳凰酒楼というのは老舗格の食堂らしい。
病院と棺桶屋が並ぶ道をしばらく歩いたところに鳳凰酒楼はあった。
ちょっと見は、営業しているのか閉まっているのかわからないような入口。
タイの中華料理屋なら入口に調理場があったり、アヒルのローストなどがぶら下がっていたりするものだけれど、この店はガラス戸があるだけ。

店の中に入っても、大きなホールがあって、円卓が並んでいるわけでない。
廊下があり、その廊下の両側に個室が並ぶスタイル。
こんなタイプの中華料理屋はチェンマイの謝桐興レストランにも似ている。
個室では宴会が入っているらしく、子豚の丸焼きなどが運ばれていく。
そんな廊下の奥の方にホールと言うか、一般用のテーブルが並んだ部分があり、そこへ案内されるが、我々二人以外には誰も客が入っていない。
エアコンも入れられてなかったけれど、私たちがテーブルに着くとエアコンのスイッチも入れられた。

メニューには写真も入っていて分かり易い。
でも、料金が書いてあるものがほとんどないのが怖い。
タイ語で書かれたものの一部には値段が付いたものがあるが、そうしたものには写真がない。
一応、タイ語のメニューを読んでみると、タイの食堂で供されるようなワン・プレート料理ばかりが並んでいた。

料理を数品にチャーハンやビールを注文。
Iさんはアルコールと唐辛子を受け付けないので、炭酸飲料。
Iさんは香港や中国での駐在が長く、店員に中国語で注文を通そうとしていたけれど、店員の方は中国語などチンプンカンプンのようす。
で、料理なんだけれど、盛り付けもきれいだし、味も良い。
華僑の街の老舗中華だけのことはある。
ちょっと注文しすぎた様で、チャーハンなどは食べきれなかったけれど、値段は心配するほどのこともなく、大変良心的。
ビールも2本飲んだけれど、600バーツ台だったように記憶する。

クワイの炒め物
[これは特に旨かった、タロイモで作った器にクワイとクリなどを炒めて盛り付けてある]

つづく

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=184 |
| | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑