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タイガーエア台湾で格安台湾旅行
6月8日 金曜日

タイガーエア台湾という航空会社に初めて乗る。
中華航空の系列会社のようだけれど、LCCでまったくの別会社ということらしい。
タイガーエアというのはシンガポール航空系のLCCだったから、そこと中華航空が一緒になって作った会社ではないかと思っている。
そのシンガポールのタイガーエアは最近同じシンガポール航空系LCCのスクートに統合されてしまったので、タイガーエアを名乗っているのはこの台湾タイガーだけではないだろうか。
いままでにも台湾までLCCを使ってきていたが、使ってきた航空会社はノックスクート。
これもシンガポール航空系のLCCでタイを本拠地にしているのだが、そろそろLCCもそんなに安く感じなくなってきていたところ、タイガーエア台湾で往復5,000バーツを切った運賃があったので、衝動買いをしてしまった。

出発空港はアパートからはアクセスが不便なドンムアン空港。
出発時刻は19:20ということになっている。
先日来薬疹により病院通いをしており、今日も午前中勤務した後、病院へ行って治療を受けていた。
まったく、日本なら医療事故として訴えたいくらいの事態であるが、タイでは泣き寝入りしかできないようだ。

薬疹以外にも「航空性歯痛」という厄介な歯の病気を患い、先週末にプーケットまで飛行機で往復した際に死にそうな思いをしている。
こちらも同時進行で治療を受けており、今回の飛行機搭乗で再発しないかと不安も抱えている。
なんといっても、この航空性歯痛、飛行機が飛んでいると激痛に襲われるというもので、プーケットまでの1時間でさえ耐え難かったのだから、台湾までの4時間だとどんなことになるかと恐怖であった。

午後6時前にチェックインカウンターへ行ったらば、だれも並んでいない。
これは飛行機がガラガラなのではないかと期待をする。
チェックインを済ませて、スーパーのレシートのような搭乗券を受け取る。
指定された座席は2Aとなっている。
随分と前方の窓側らしい。
機材は全席エコノミークラスのA320型機なので、前の方でも席はどうせ狭いのだろう。

タイガーエア台湾のチェックインカウンター
[チェックインカウンターはガラガラ]

出国審査場もガラガラでスムースに抜けられる。
免税店にも興味はないし、ラウンジが使えるわけでもなく、そのまま搭乗ゲートへと直行する。
ゲート前まで来て、ガラガラだろうとの期待は遠ざかった。
ゲート周辺には私と同じ黒猫のイラストの入ったタッグが付いた荷物を持った人たちがたくさんいた。
小型のA320型によくもこんなに搭乗させられるものだと思うくらいたくさんの人がいる。
これはつまり座席間隔を詰めて乗客数を増やしているためではないかと想像される。
薬疹の痒み止め薬と睡眠薬を服用して搭乗開始を待つ。

タイガーエア台湾の搭乗券
[搭乗券はスーパーのレシートみたいなペラペラ、タッグにクロネコ]

7時に少し遅れて搭乗案内。
後方の座席から案内されるので、私の搭乗案内は一番最後。
まぁ、どうせ早く乗り込んでも窮屈なだけだから、最後に余裕で乗り込む方が正解だろう。

タイガーエア台湾のA320
[飛行機はトラ模様]

機内は満席で、ぎっちり詰まっている。
しかし、追加料金のかかる最前列の座席は空席のまま、そして2列目も空席。
私は指定された窓側に座り、隣に太った人が来なければいいなと念じているうちに飛行機の扉が閉まった。
なんとラッキー、足元はとても狭いけど、3人掛けのシートに私一人らしい。

タイガーエア台湾の機内
[機内は満席だけど、最前方の2列は空席のまま シートもクロネコ]

飛行機が離陸してぐんぐんと高度をあげていくけれど、歯痛は発生しない。
どうやら航空性歯痛は完治したようだ。

バンコク上空からの夜景
[高度を上げても航空性歯痛は発症しなかった]

水平飛行に移ってから、後ろの方の人が空いている前方のシートへ移動を試みてやってきたが、CAから追加料金を求められ、そのまま引き返していった。
つまり、この3人掛けのシートは私のベットとして使えるということらしい。
ちょうど、今日の午後処方してもらった強力な睡眠薬も効き始めてきて、シートにゴロリと転がったとたんに記憶が無くなってしまい、CAに揺り起こされたときは、もう台湾上空まで来ていた。

<hr>

6月9日 土曜日

バンコクの出発は少し遅れたけれど、台北にはほぼ定刻に到着。
午前零時へ過ぎには入国手続きを済ませて、第2ターミナルへ移動する。
移動の理由は第2ターミナルの地下にはコンビニエンスストアがあり、そのコンビニの前にはカフェテリア風にコンビニなどで買ったものを自由に食べられるスペースがあるから。
つまり、遅くなったけれど機内食の提供を受けていないので、コンビニで何か買って夕食にしようという魂胆である。

深夜台北・桃園空港へ到着
[ターミナルまではバスに乗せられて移動]

第2ターミナルへの移動にはターミナル間連絡の小さなシャトル電車に乗る。
成田空港の第2ターミナルも以前はこんなシャトル電車があったけど、今は動く歩道になっている。
どちらが便利で効率が良いのかわからないが、たぶん移動に要する距離に関係しているのではないだろうか。
その点では、バンコクのスワナプーム空港は歩かせる距離が長すぎる。

ターミナル間のシャトル電車
[深夜にもかかわらずシャトル電車の利用客はいるものだ]

コンビニはセブンイレブン。
各種お弁当や冷凍食品、インスタントまで充実している。
いろいろとあるので迷ってしまう。
弁当も日本風のものも、台湾式のものも揃っている。
せっかく台湾に来たし、台湾式の弁当にしようかとも思ったけれど、台湾式の弁当はいずれもお肉のボリュームが半端ではない。
ドカーンまたはゴロゴロと肉がご飯の上に載っているので、こんな深夜に食べるには少し重すぎる。
かといって日本風も面白くないので、迷っていたところ麻婆豆腐弁当と言うのがあった。
これだと食べやすそうだ。
それに麻婆豆腐は好物でもある。

深夜のコンビニ
[バンコクの空港内コンビニは市内より値段設定が高いが、台北は値段が市内と同じようだ]

レジで会計60元也。
ちゃんとレンジで温めてくれるが、レジ袋は付かない。
これは有料。

カフェテリアスペース
[こんなスペースがケチンボ旅行者には嬉しい]

麻婆豆腐はご飯と麻婆豆腐が別プレートの二段重ねになっており、味の方は私からすると唐辛子の辛さは控えめで、その代わり山椒の痺れる感じが強かった。
ボリュームの点でも味の点でも及第点だけれど、麻婆豆腐しかなく、できればザーサイでも良いし、ゆで卵でもいいから、もうひとつ何かを付けてほしかった。

麻婆豆腐弁当
[同時に果物を購入すれば10元オフとも書かれている]

麻婆豆腐弁当
[日本人的には、せめてご飯に胡麻でもふってもらえるとありがたい]

午前1時半の台中行き国光号バスに乗る。
台中まで280元。
乗客は3分の1程度で、車内は空いており、座席指定だけれど、好きな席に座れる状態。
私に指定された席は一人掛けのものであったが、広くゆったり座れる二人掛けのシートへ移動して、再び寝込む。

午前3時45分、台中到着。
駅前に新しくできたバスターミナルは、複数のバス会社が乗り入れており、24時間バスが発着しているようで、ターミナル内の施設も充実している。

台中駅ターミナル到着
[午前4時前、無事に台中駅ターミナルに到着]

まずは最終日に空港へ戻るバスの切符を購入しておく。
午前4時前と言う時間でももちろん切符販売カウンターはちゃんと営業している。
11日の11時31分発の統聯バスで、これも運賃は280元であった。

統聯バスのカウンター
[統聯バスのシンボルカラーは黄緑らしい]

長距離バスのターミナルは24時間営業しているけれど、温泉へ行く始発バスまではまだ時間がある。
それに、始発で温泉に向かっても、早く着きすぎて宿の部屋に入れない可能性もある。
そこで台中から温泉に行くのに少し寄り道をして行こうと思っている。

台中の南に二水と言う駅があり、そこから集集線と言うローカル線が伸びている。
その終点の車埕というところへ行ってみようと思う。
昭和5年の霧社事件当時、霧社や埔里へ至るにはこの車埕を回るルートが一般的だったようで、車埕から埔里までは台車(人力トロッコ)線も営業していたようだ。

もともとこの集集線は日月潭ダム建設や材木を運ぶ目的の路線だったようで、終点の車埕はそうした森林開発や製材が盛んだったころを再現したテーマパークのようになっているらしいので、今回は話の種としても寄り道してみたくなった。

その集集線の起点である二水へ行く電車もまだ走っていない。
昔の台湾にはたくさんの夜行列車が走っていたけれど、いまはなくなってしまって、電車は午前6時ころの始発を待たなくてはならない。
始発電車が6時と言うのは日本の感覚からすると遅いような気もするが、とにかくまだ電車は走っていない。

カラオケボックス
[ターミナル内にはカラオケボックスもあり、こんな時間に熱唱している人がいる]

それまでの時間を利用して24時間営業のスーパーへ買い物に行ってみる。
まだ眠ったような台中の町を南に歩き、鉄道のガードをくぐって、さらに歩き続ける。
距離にして1キロ少々。
夜明け前に歩いても安心なのが台湾の良いところだろう。

夜明け前の有明町路地裏
[スーパー周辺は戦前「有明町」と呼ばれていたらしい]

頂好スーパーに入る。
中規模の店で品ぞろえは大したことはないけれど、土産用のパイナップルケーキや温泉で飲もうと思っている紹興酒を物色する。
パイナップルケーキはともかくとして、これから向かう埔里は台湾で紹興酒の産地として知られていて、わざわざ今から買っておく必要もないように感じたが、埔里の街はともかくとして、温泉まで行くと意外と紹興酒が入手しずらい。
それと、今回気が付いたのだけれど、普通の紹興酒と5年物の陳年紹興酒の価格差がスーパーでは15元くらいしかない。
両者の味覚面での差は15元以上大きいので、これは陳年を買う方が理にかなっている。
ということで頂好スーパーでの支払額は合計373元。

スーパーのビール売り場
[日本ブランドのビールが多い もちろん冷えたビールも冷蔵庫にある]

買い物を終えてスーパーの外に出てみるともう外は明るくなり始めていた。
またもと来た道を歩き台中の鉄道駅へ。

台中の夜明け
[朝が来ていた]

台中から南下する始発電車は午前5時42分発の自強号特急で、それは特急なので集集線の二水駅のような小さな駅には止まらないので、自強壕では途中の彰化まで乗ることにして、彰化で二水駅に止まる電車に乗り換えようと思う。

始発の自強号車内
[始発電車の車内はガラガラ]

台中から彰化まではあっという間で、15分とかからなかったが、彰化駅構内に差しかかる手前に機関庫が見え、オレンジ色をしたディーゼル機関車が何両も止まっている。
そのなかで、転車台を取り囲むような機関庫から煙が上がっている。
火事の煙ではなく、蒸気機関車が石炭を焚き始めた煙に見える。

彰化駅でそのまま二水に止まる電車に乗り換えようと思ったけれど、この機関庫が気になったので途中下車してしまう。
台中から彰化まで23元。

タイの鉄道施設と違って、線路や敷地内への立ち入りは禁止されているようで、機関庫へは直行できず、跨線橋を渡り、住宅街の中を歩いてアプローチを試みる。
近づくにつれてかすかに煤煙の香りが混じって来る。

彰化駅の跨線橋より
[彰化駅跨線橋より 青い車体に白帯は昔の台東線の軽便車両に思われる]

路地裏のような道から機関庫のある「彰化機務段」の門の前までたどり着く。
この機関庫は彰化県県定古跡に指定されているそうで、「彰化扇形車庫」というらしい。
中を見学させてほしいと門の横にいた守衛さんに尋ねてみたが、「見学は10時から」とつれない。
もっとも、施設見学を開放しているだけでも感謝すべきことかもしれない。
でも、10時まで待つ気はないので、駅へ戻る。

扇形車庫
[もうすぐ目の前まで来ているのに残念]

線路沿いを歩ければ、この機関庫を覗けるだろうけれど、線路沿いは立ち入り禁止になっている。
であれば、もういちど上り方向の電車に乗って、窓越しにのぞき見してやろうという気になった。

すぐの上り電車に乗り込み、ドアの窓から外を睨みつけるように固視する。
機関庫が見えてきたが、電車のスピードが速すぎて、一瞬で見えなくなってしまった。

扇形車庫
[一瞬で通り過ぎてしまったが、車庫からは確かに煙が漂っている]

チャンスはもう一度、次の成功駅で下車して、また彰化方向へ戻る電車に乗る。
しかし、今度も車庫前との間をディーゼル機関車が塞いでしまっている。
まぁ、もういいだろう。
別にチラリと見れたからどうということにもならないし、またいつか機会があれば指定時間に見学に来ればよいだけ。
そのまま彰化で下車せずに40分ほど電車に乗り続けて二水駅へ向かう。
二水まで42元。

転車台と扇形車庫
[ほとんどさっきと同じ写真になってしまった]

のどかな二水駅前は、台湾の田舎の町と言った感じで、ロータリーと駅前旅館があるだけ。
いまどきこんな駅前旅館にどんな人が泊まるのだろうか。
自分としては、こんな旅社にノスタルジーを感じて泊まってみたいと思うのだが、時代から取り残される感じは否めない。

二水駅前
[朝の駅頭風景としてはのどかすぎる]

なにか簡単に朝食になるものを食べたいと思い、駅の周りをうろついていたら、「葱油餅」と書かれた屋台が出ていた。

葱油餅
[作り方はお好み焼きにも似ている]

これは先日北投温泉の朝食で食べたネギ入り台湾風パイによく似ている。
これを朝食にいただくことにする。
玉子も一緒に焼いてもらい一食分30元也。
あわせて別の屋台で冷たい豆乳も10元で購入して駅のホームで食べる。

集集線のディーゼルカーは昔と違って新しい車両になっていた。
しかし、そのためシートは通勤電車のようなロングシートで、旅情の点からはつまらない。
一部の車両の一部だけ前向きに座れるシートがあったが、グループ客で占有されていた。

集集線のディーゼルカー
[なんとなく昆虫をイメージさせるデザイン]

一番前まで行ってみたところ、運転台の横にも客席があり座れるようになっていた。
しかも空席。
これはラッキー。
前方の展望ができる特等席である。

運転席横の特等席
[ここからなら景色をたっぷり楽しめそう]

午前8時出発。
本線と離れてすぐにローカル色満点となる。
一番前の座席で、前面が開けてはいるが、シートそのものはロングシートと同じで横向き。
まっすぐ座っていれば、見えるのは運転席で、進行方向を見るためには常に右を向いていなくてはならない。

南国のローカル線
[ビンロウ椰子を除けば日本のローカル線とそっくりな車窓風景]

座席に座って前を向けば、正面は運転席で、床にはタブレットが置かれ、ときどき駅でタブレットの交換をしている。

床に置かれたタブレット
[床に置かれたタブレット]

タブレット交換
[運転席の窓からタブレットの交換]

もともと田舎の景色が続いていたが、先へ進むほど山の中に入っていくようで、遠くに山が見えているなと思っているうちに、山の中へ入ったのかトンネルに入ったりする。
坂道なのかエンジンの唸りも大きくなっている。

トンネル
[前方の景色の展開を眺めていると飽きない]

50分ほどの乗車で、前方に小さなトンネルが現れ、そしてくぐり抜けたところが終点の車埕であった。
駅周辺は聞いていた通りテーマパークのようになっていて、鉄道車両も展示されているが、駅舎はないのか改札口のようなものを見かけなかった。
そのためICカードをチェックしておらず、あとでカードの利用状況を確認したらどうも無賃乗車をしてしまっていたらしい。

車埕駅
[ホームはあるが改札口はどこだったのだろう]

展示されている鉄道車両はディーゼル機関車と貨車で、貨車は戦前のものを含めて日本製のようだった。
最近の台湾ではあちこちに鉄道関連の展示施設ができているけれど、以前の台湾で鉄道に興味を持っている人など皆無に等しかったのに、最近は変わってきているのだろうか?

車埕駅構内に展示されている車両
[きれいに展示はしてあるが解説はあまり充実していない感じがした]

鉄道車両以外にも実物大で復元されている製材所の作業風景展示や貯木場の池などがあり、日本統治時代の家屋なども復元されていた。
貯木場の先はすぐにダムになっており、今でも発電所として使っているのか高圧線鉄塔が何本も立っていた。
全体的にきれいによく整備されていて、懐古趣味的なつくりになっている。

製材所の風景
[製材所の作業風景]

テーマパークと呼んで差しさわりないとは思うが、入場料などは取られず、インフォメーションへ立ち寄ったら何枚かの絵ハガキさえもらってしまった。
もっとも絵ハガキは、この車埕のものではなく、日月潭のものであった。

貯木場と日本式家屋
[貯木池の水の色は緑 山も緑、空は青]

今日は土曜日、週末だけれど、まだ朝早いこともあり観光客の姿はチラホラしか見かけないが、あと2時間もしたら、観光客がたくさん押しかけてきそうな雰囲気が、何軒も並んだ土産物店や飲食店から想像できる。
ここの名物は小さな木のお櫃に入った弁当だそうだ。

埔里へのバスはこの車埕から少し山側へ登ったところを走る道路に外車埕という停留所があるそうで、午前中とはいえ、強い日差しの中を汗かきながら坂道を少し登る。

バス停は外車埕、戦前の名称のまま

バスは9時45分にやってきた。
埔里までクネクネと曲がる山道が続いていたようなのだが、車内ではほとんど居眠りをしていたので、どんな道を走っていたのかあんまり記憶がない。
ときどき目を覚ましてキョロキョロしただけで、それも寝ぼけたままである。

戦前は同じところを手押し台車が通っていたということだけれど、私はもっと平坦なルートを走っていたのだろうと想像していた。
こんな山道で人力でトロッコを走らせていたとは、随分と人夫たちも苦労したことだろう。
かつて台車で4時間かかった道をバスで1時間少々、11時には埔里へ到着。
運賃は109元で、資料公開されている大正15年の時刻表によると、当時の台車の運賃は4人乗り台車に4人で乗って、一人4円8銭だったらしい。
また、雨天時は二割り増しと記載されている。
さらに雨避け日除け覆い付きは三割り増しともある。

4月に桃園空港で竹炭花生と言う竹の炭でコーティングしたピーナッツを探したことがあった。
どうも適当なものがなく諦めたのだが、その後南投県ではピーナッツ栽培が盛んらしく、しかも埔里の農協でも竹炭花生を作っているらしいことを埔里農会の通販ページで発見する。
しかも、空港で売られているものよりかなり安いようだ。

廬山温泉行きバスとの乗り継ぎ時間を利用して埔里農会の即売所を訪ねてみる。
しかし、即売所には竹炭花生はなかった。
紅麹花生など別のフレーバー豆菓子はあったが残念。

埔里農会即売所
[わざわざ来てみたけれど竹炭花生はなかった]

始発のターミナルよりも埔里農会に近い市内のロータリーにあるバス停から廬山温泉行きのバスに乗り込む。
台湾には梅雨前線がかかり、毎日雨との予報であったけれど、きょうは晴れ渡って良い天気である。
12時半、終点の廬山温泉に到着。
埔里から廬山温泉まで99元。

バスから降りたのは私ともう一人30代くらいで軽装の男性。
どうも日本人のように見えたので声をかけてみたら、やはり日本人であった。
軽装なので日帰りかと聞くとそうだと答え、台中に泊っているそうだ。
台湾旅行の目的は野球観戦だそうで、わざわざ台湾の野球を見に日本から来るような時代になったのかと思う。
日帰りなら、温泉街の奥にある源泉で入浴ができると教えたのだが、どうやら夕方からの野球を見に戻らなくてはならず、のんびり入浴などしていられないらしい。
それどころか、今乗ってきたバスが折り返しで山を下るので、それに乗らなくては次のバスまで2時間待ちであることを知らせたら、慌ててバス停へ戻って行った。

6月9日の廬山温泉
[天気に恵まれてよかった]

いつもの廬山園ホテルでは、いつもと同じ料金で部屋へ通してくれた。
今日は土曜日で、予約なしだったので、満室で宿泊を断られるのではないかと心配していたが、空室はあったようだ。
いつもと同じ谷川に面した部屋。

お昼時だけれど、昼食には今朝方台中のスーパーで買っておいた即席麺を食べることにする。
いつもの台湾炸醤麺と同じタイプ、つまり日本のカップ焼きそば式のインスタントで、「地獄辣椒風味大乾麺」と書かれたパッケージに惹かれて買ってしまったものだ。
メーカーは炸醤麺と同じ維力で、同じように麺のゆで汁でスープを作る形になっている。

地獄辣椒風味大乾麺
[地獄辣椒風味の文字に興奮してしまう]

地獄辣椒とは、どれほど辛いものだろうかと期待していたが、辛さは大したことがなかった。
そして台湾のカップ麺に共通することだけれど、和えタレなどの調味料は充実しているが、フリーズドライのカヤクはほとんど入っていなかった。

地獄辣椒風味大乾麺
[まずくはないけど、もっと地獄を体験したかった]

午後2時より散策に出かける。
散策と言っても、この温泉の周りはどちらへ進んでも山ばかりなので、山歩きということになるが、もう何度も来ているのでだいたい周辺は歩き尽くしている。
まだ行ってないところはないだろうかと考えていたら、前回来た時だったか地図に能高山登山歩道と書かれた道があり、途中に展望台があり片道3キロくらいと案内されていた。
その時は時間がなくて行かなかったが、片道3キロだったら今から軽く歩いてくるのに適当と思われ、能高山登山歩道を歩いてみる。

マヘボ部落跡

警光山荘の横から旧マヘボ部落の跡へ続く道を進む。
このあたり果樹栽培が盛んで、柿や梨などが栽培されている。
道端にプラムの木があり、下にプラムの実がいくつも落ちている。
いずれも小さな実で、虫食いのものも多いから、間引かれたものだろうか。
落ちているものの中から、比較的きれいなものを拾い上げて齧ってみる。
甘さはあまりなく、少々渋いけれど、ビタミンがいっぱい入ってそうで、それなりに美味しい。

小さなプラム
[昼食にカップ麺しか食べていないので、これで栄養バランス?]

登山道と言っても山の中の農道のようなもので、歩いていても退屈な道である。
林間が開けると茶畑になり、ときどき眼下に温泉街が見える。

温泉街

展望台と思われる赤い屋根の東屋が途中にあったが、山の中腹で、特別見晴らしが効くという感じてもないので、立ち寄らずそのまま先へ向かって歩き続けた。

展望台
[わずかに赤い屋根が見えるが、これが展望台なのだろうか]

地図には能高山登山歩道と紹介されていたようだけれど、どうも能高山へと続く道ではないらしく、最後は茶畑の中で道は途切れていた。

茶畑
[能高山登山歩道は茶畑の中で途切れていた]

ここまで1時間少々で、いまから宿に戻って温泉と言うのも悪くないし、ちょっとプールで泳ぐのも悪くないと考えながら今来た道を引き返し始める。
登って来る時には時に気にならなかったが、途中で谷側へ下る別れ道があった。
その道も農道のようなのだが、このまま谷へ下ればたぶん廬山温泉の源泉が湧く裏当たりに出れそうな気がする。
まだ時間もあるので、その谷へ下る道を進んでみる。
この道も農道のようだけれど、果樹園や茶畑はなく、森ばかりであった。

GPSで位置確認
[スマートフォンのGPS機能で位置確認するが、地図に道は表示されない]

30分くらい歩いたところで農作業小屋があった。
作業小屋ではなく、人も住んでいるのかもしれない。
谷底の狭い土地に畑が作られていた。

作業小屋のネコ
[ネコがいるということは誰か住んでいるのかも]

そのまま進んで行くと谷川が見えてきて、対岸の河原にはどうやらオートキャンプに来ている人がいるようだ。
谷川沿いに岩場を少し下ると、ところどころで温泉が湧いていることに気づいた。
このあたりでは温泉が自噴しているらしい。
温度はかなり熱くて、源泉では手を入れられないほどだ。

オートキャンプ
[対岸でオートキャンプをしているらしい]

キャンプをしている人が準備したのか、要領よく大きなビニールシートに温泉を貯めて、即席の露天風呂ができていた。
私も入浴させてほしいところだが、他人のお風呂に勝手に入るわけにもいかないし、それに水着も持ってきていない。

ビニールシートの露天風呂
[自然満喫できそうな露天風呂]

さらにもう少し先に歩くと、こんどは湧出する温泉を堰き止めた深さ10センチほどの池が作ってあった。
そばでオートキャンプしていた家族連れに聞くと、適温だと誘われた。
浅いので入浴と言うわけにはいかないが、お湯浴び程度はできそうで、タオルを温泉に浸して体を拭いたり、脚や腕に湯を掛けたりできた。
源泉だけでは熱すぎるので、適当に川から水を引いてきて、混ぜてある。
この家族連れは2日前からキャンプをしているそうで、この温泉の名前は精英温泉と教えてくれた。

精英温泉
[こんど来る時はスコップでも借りてきたい]

ここから廬山温泉まで谷川沿いに下ることはできないそうで、廬山温泉へ戻るにはいま来た道を戻るか、吊り橋を渡って対岸へ渡り、廬山部落を経由して行くしかないらしい。
廬山部落を経由したら何時間歩かなくてはならないかわからない。
「車で送ってやるよ」とも言われたけれど、いま来た道を引き返すことにする。

情人橋
[この吊り橋の名前は「情人橋」と言うそうだ]

谷川の精英温泉から廬山温泉まで歩くこと1時間少々。
山の峰を一つ越える感じで、延々と登って、ダラダラと下り、6時に宿へ戻る。

夕食までまだ少し時間があったので、プールでほんの少し泳ぐ。
1月に頸椎の手術をして以来、水泳を禁止されていたので、ほぼ半年ぶりにプール入った。
そして、そのまま大浴場で入浴。
今夜も団体客か入っているようだけど、台湾の団体客は裸湯になれていないのか、浴場にはいつもの通り誰もいなかった。
そとからは宿の中庭でカラオケを歌う声が聞こえてきた。

廬山園の大浴場
[大きな風呂ではないけれど、いつも一人でのんびり入れるのが気に入っている]

宿のレセプションにある冷蔵庫からビールを一本抜き取って、夕食前に風呂上がりの一杯。
金牌台湾ビール、35元。

夕食は、毎度おんなじメニュー。
合鴨のロースト、酢豚風炒め物、キャベツ炒め、ポテトフライ、そして肉団子とタケノコのスープ。
団体客が盛大に食べている片隅の丸テーブルでひとり夕食のプレートを突く。
今回はいつもよりちょっとアップグレードした陳年紹興酒もグビグビといただく。
ご飯もすすむ。
贅沢なものなどないけれど、素朴で健康的なメニューが美味しい。

廬山園の夕食1日目
[二人以上だと料理は皿に盛られてくるけど、一人だとこのプレート]

団体の添乗員さんが、紹興酒を飲んでいる私に気づいて、塩煎りしたピーナッツを一皿差し入れてくれた。
台湾の人の人情も嬉しい。

夕食後にもう一度温泉に浸かって、早めに休むことにする。

つづく

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