■かれんだー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

タイの修理事情
先月、タイ南部のトラン県ガンタンへ行ってきてから一か月が過ぎた。
あれは汽車に乗りっぱなしの旅だったけれど、温泉も出会った人も良かった。
久々に良い旅したなと感じられた。
が、どうもその帰りに、携帯電話についているカメラのレンズがダメになっていたようだ。
よく見てみるとレンズの一部が割れている。

ピサヌロークには懇意にしている携帯電話の修理屋があるので、6月初めにピサヌロークへ行った際に修理に出した。
半日ほどでレンズを交換してもらい、代金も400バーツとリーズナブルだったのは良かったのだけれど、あとで確認してみると、写真がすべて白っぽくなっている。
交換したレンズが汚れているのか、目に見えないような傷が付いているのかもしれない。
この修理屋、値段が安いのには訳があって、交換部品は新品ではなく、中古品を使っている。
そのため当たり外れがよく発生している。

かすんだし画像
[画像がかさんでいる 特に光がぼける]

バンコクでの足として使っているバイクも要修理の状態にあった。
少し前からバイク前輪のブレーキが作動しなくなることが頻発していた。
ちゃんとブレーキが効くときもあるし、ブレーキレバーを奥まで握っても全くブレーキが利かないときもある。
何度か握りなおすと、効き始めることもあったりして、不安定てな状態だった。

日本で乗っているラビットスクーターも前輪のブレーキがほとんど効かない。
これは故障じゃなくて、道路が未舗装だった1960年代までは、前輪のブレーキが効きすぎると、前輪がロックして、転倒事故になりかねなかったからで、1960年以前のモデルだと、前輪にはブレーキそのものがなかったりしていた。
そんなラビットスクーターに乗り慣れていたこともあり、バンコクのバイクでは後輪のブレーキはちゃんと効くので、スピードを出さないとな、注意しながら通勤に使っているバイクを分には大きな問題はなかった。
それでも、ブレーキがよく効くことに越したことはなく、タウンインタウンにあるバイクの修理工のところへ持ち込んだ。

修理工はブレーキを分解し、いくつかの小さな部品を交換した。
ベアリングもダメになっているというので、ついでに交換してもらった。
前輪のブレーキトラブルは、ブレーキレバーと連動している油圧ポンプの問題だったようだ。

ブレーキポンプ
[四角のがブレーキオイルのタンクでその下にポンプ]

修理をしてもらい、ブレーキがよく効く。
ちょっとレバーを引けば、すぐに止まることができる。
少しブレーキが効きすぎるかなとも感じたりした。

しばらくは、バイクの調子も良く、6月23日にバンコクから東に80kmほどのチャチュンサオ県へ行く用事があるのだけれど、車でなくバイクで行こうかぐらいに考え始めた矢先、またまたトラブルが発生。
最初のトラブルは朝の通勤での走行中、突然チェーンが外れた。
チェーンが外れる経験は何度もしているし、原因はチェーンが伸びていたからで、後輪の車軸を後ろへずらせばよいだけ。
しかし、めんどくさく感じて、そのままチェーンをギアにはめ込む応急処置しかしてこなかった。

さらに走行中、前輪から異音がし始める。
ゴゴゴゴゴとハンドルにも伝わる振動もある。
低速で走行しているときには、振動が大きく感じられる。
こりゃ、良くないなと感じたが、場所がバンカピ市場近くで、おまけに日曜日。
ちょうど野菜を買いに市場へ行ったときに発生したトラブル。
とりあえず、買い物を済ませ、だましだましアパートへ戻る。
日曜日でなければ、修理屋へ持ち込んで、チェーンの調整と併せて見てもらうところなんだけど、休日なので修理工も休み。
それと、アパートへたどり着いたころには、異音もほとんどなくなっていた。

しかし、先週末再び前輪からの異音が発生。
このときもやはりバンカピ市場へ野菜を買いに行った時だった。
ラムカムヘーンの高架道路から降りたあたりで、異音が激しくなる。
そして、どうも前輪のブレーキが勝手に効き始めたようで、前へ進もうとするのに抵抗を感じる。
エンジンをふかして無理やり進もうとするけれど、どんどん抵抗が大きくなってくる。
これでは到底市場まではたどり着けないと判断して、バイクを道端へ止めようとハンドルを切ったところ、転倒してしまった。
前輪は完全にロックされた状態になっていて、そこへハンドルを切ったものだから、後輪からの推力ベクトルが、舵の役割をする前輪が固定されているため、行き場を失って、車体を横倒しにしてしまった。
引力に引っ張られて倒れたのではなく、エンジンの力でねじ伏せられるように倒れたので、こちらとしてはひとたまりもない。
バイクもろとも道路へ倒れこんでしまった。

後ろにいた宅配ライダーが駆け寄ってきて助け起こしてくれたけれど、バイクを路肩に運ぶのにとても苦労した。
前輪が人の力では全く回らないので、前輪を浮かせるようにハンドルを持ち上げて、引っ張るのだけど、バイクと言うのは、自転車と違って重たいものだと実感する。
宅配ライダーの協力がなければどうにもならなかっただろう。

さて、どうしたものか。
バイクを動かせないのだから、修理屋へ持ち込むこともできない。
自分で修理するにも工具を持っていない。
こんな時は、じたばたしても始まらない。
もともと野菜の買い出しに来たのだから、市場で野菜を買って、バスでアパートへ戻り、工具を持って出直してくるのが得策と判断し、そのまま歩いて市場へ向かう。
市場まではあと少しの場所だったのはラッキーだった。

ライチが安くなっている。
1キロ25バーツ。
前週は40バーツだったから、随分と安くなった。
ことしはライチの色づきも良く、豊作なんだろう。
しかし、ライチに限らず今年も果物は概して値段が安くなっている。
マンゴーもマンゴスチンも、みんなキロで20バーツ前後。
タイはいまインフレがひどくなっているけれど、果物だけは例外のようだ。
肥料や農薬など化学製品はとっても値上がりしているはずで、生産者は泣いているのではないだろうか?
せめてもと言うわけではないけれど、せっせと安くなっている果物を食べて、協力をしているつもりになる。

1時間ほど市場で菜っ葉や果物を選び、布袋一杯に買い込んだところでバス停へ向かう。
バンカピ市場のすぐそばのバス停からアパートのあるバス停までのバス路線は137番。
しばらくバス停でバスを待ったがなかなかバスはやって来ない。
そこで、バイクを止めてきたラムカムヘーン通り近くのバス停まで歩いてみる。
ラムカムヘーン通りならば、137番以外にも168番バスも通っている。

ラムカムヘーン通りのバス停に立つ前に、バイクの様子を見てみる。
さっきは完全にロックしてしまい、まったく回転しようとしなかった前輪が、とても重たいながら、少しは回るようになった。
ブレーキがかかったまま無理に走ってきたものだから、摩擦熱でブレーキオイルが沸騰してブレーキのピストンを押し切っていたのかもしれない。
ディスクブレーキの円盤も、さっきまではとても熱くて触れなかったのが、少しは冷えてきたようだ。
このバイクを止めている場所から500メートルほど先にバイク屋がある。
このバイクは中古で、そのバイク屋から買ったもの。
そこへ持ち込んで修理してもらうのが良さそうだと考える。

ゆっくりゆっくりとバイクを走らせる。
100メートル走る。
200メートルになると抵抗が大きくなる。
300メートル、スロットルを全開、ギアはローでもほとんど進まない。
400メートル、前進を断念して、道端で再びブレーキが冷えるのを待つことにする。
バイク屋の看板がすぐ先に見せているけれど、あと100メートルが何ともならなくて悔しい。

道端にしゃがみこんで、ライチを食べる。
ライチはナイフがなくても皮を簡単に指先で剥けるので好都合。
しかし、皮に爪を立てて穴をあけると、そこから果汁が噴き出してくる。
その果汁、捨てておくのはもったいない。
さりとて、まだ洗っていないライチの皮に口を付けてチュウチュウ吸うのも気が引ける。
そこで、この果汁を有効活用。
熱くなっているブレーキにポタポタと滴らせる。
このライチジュースを冷却水代わりに使うことにした。
なんとも贅沢な冷却水。
ライチジュース100%!。

その甲斐あって、20分ほどで再びブレーキかゆるみはじめ、あと100メートルほど進んでバイク屋へたどり着くことができた。
店裏にいる修理工の大将をつかまえて事情を説明する。
15年前にバイクを買ったときに担当したのもこの修理工の大将だった。
しかし、「新しいの買った方がイイよ」が彼の答えだった。
彼によれば、ハンドルに付いているブレーキポンプの交換で2,000バーツくらい、しかし、それで直らなかったら、車輪側のディスクを絞めるシリンダー部分の交換で4000バーツくらいかかるそうだ。
たしかに、そんなに修理代がかかるのなら買い替えを考えるべきかと思うが、前輪ブレーキなどなくても構わないくらいに思っていたので「せめてブレーキを取り外してほしい」と頼んだけれど、それも断られてしまった。

しかたなく、三度ブレーキが冷えるのを待つことにした。
そのバイク屋の裏路地に、天の助けと言うか大きなクーラーボックスが放置されていた。
しかも、中をのぞいたら麻袋の中に、ほんの少しだけれど氷が残っていた。
この氷を使ってブレーキを冷やすことにする。

ブレーキシリンダー
[ブレーキシリンダボックス、この中にピストンが2つ]

ライチのジュースと比較して数倍の威力を氷は発揮した。
どんどんシリンダーボックスに乗せるとあっという間に解けてしまうが、氷はまだまだある。
20分ほど氷で冷やされたブレーキは、もうバイクを人力で押しても進ませられるくらいになった。
極力ブレーキに摩擦熱を発生させないように用心深く、ゆっくりゆっくりとアパートへ向かって走る。
1km走っても、2km走っても、まだ抵抗は大きくなっていない。
アパートへ戻る前に、先日ブレーキを修理した修理工のところへ持ち込んでみる。
土曜日なので、修理工は働いていた。

ふたたび事情を説明。
修理工はブレーキの分解に取り掛かり始めた。
ゆっくり走って、極力摩擦熱を発生させないように慎重にここまでやって来たけれど、それでもブレーキディスクは高温になっていて、手で触れないほど。
そして、そのディスクを絞めつけているブレーキパッドはピストンによって強力に押し付けられていて、シリンダーボックスをディスクから抜くのに大きなハンマーでなんども叩かなくてはならないほどだった。

バラバラに分解して、判明したことは、たぶん経年や高温でブレーキ内のゴム製パッキンが劣化したり溶けてしまっていること、膨張したピストンとシリンダーが焼き付け状態となり、固定されてしまっていることだそうだ。

修理工も、「こりゃ、交換しないとダメだろうな」という。
しかし、交換しようにも部品がないらしい。
修理工は少し考えこんでから
「治るかわかんないけど、やるだけやってみるか」と言って、シリンダーに溶けてこびりついたパッキンの残滓を削り落としたり、ピストンを磨いたり、地道な作業を背中丸めながら始めた。
1時間くらいかかって、シリンダーとピストンの咬み合わせもぴったりとなり、ふたたび組み上げられたブレーキは、ブレーキレバーの押し返しも良く、前輪も抵抗なく回転する。
ゴゴゴゴゴと言った異音もなくなり、わずかにシャーシャーといったブレーキパッドが軽く触れる音だけとなった。

最後に後輪のチェーンも調整してもらって、修理代は450バーツ。
タイでも、こんな地道な修理をやってくれる修理工は少なくなっている。
熟練技術を持った修理工がいなくなっても、車やバイクの修理は、ユニットごとの交換で対応するのが一般的になってきている中で、この修理作業を見ていて、感動を覚えた。


| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=214 |
| 日常 | 03:51 PM | comments (0) | trackback (0) |
毎週のウドンタニ通い
今年になって初めてブログを書き始めている。
今日はもう2月13日で、1月はとうとうブログに穴を開けてしまった。

初日の出
[元旦からツアーで、カオコーにて初日の出を拝む]

昨年からずっと忙しくしており、書いている時間もほとんどなかっただけではなく、
書くということに対する気力がなくなっていた。
忙しかったのは確かで、仕事は休みも取らずに飛び回っていた。
週末はずっとツアーが入っていたし、年末年始や大きな団体も抱えていた。
1月になってからも、週末は毎週ウドニタニへ行っていた。
金曜の夜の夜行列車で出かけて、月曜の朝に戻ってくる。

プーロムローのサクラ
[昨年末から気を揉んでいたサクラ、素晴らしい花見になった]

ブログで書こうと思えば、いろんなことがたくさんあったので、いくらでも書けたはずだった。
昨日は、2月12日土曜日、連続していた週末のツアーも途切れて、何か月ぶりかで休みが取れた。
この日は部屋の掃除をした。
もう長いこと掃除をしてきておらず、床にはビニール袋が散乱し、ほこりも溜まっている。
去年10月にピサヌロークから撤退してきたときの荷物も段ボール箱に入ったまま、床に置かれている。
掃除をしようと腰を上げるまでに、何から手を付けていいのかわからず、しばし呆然としてしまう。

まずは散らかっているビニール袋の回収から初めて、床のほうき掛け。
アパートの近くにセメント工場があるからか、埃だけではなく、砂埃のようなものも多い。
ほんとうは床を雑巾がけでもしたいところだけれど、それはまた次回としてしまう。
クリスマスツリーも飾りっぱなしだったものを仕舞い込む。
ツリーの飾りで雪に見立てた綿はすっかり黒ずんで、東京の道端に残った雪のようになっている。

下駄箱の中にはたくさんの靴が入っている。
また履く機会もあるのではないかと思って、履き古した革靴などを放り込んであったのだけれど、
これらも処分してしまうことにする。
私は捨てるということが苦手で、ついつい貯め込んでしまう。
いつかまた使う機会があるのではないかなどと考えているだけではなく、
捨てるという行為に、心がとても痛んでしまう。
生き物でも、モノでもおんなじ。

今回処分したものに、タオルケットもある。
タオルケットをシーツ代わりにして、寝ているのだけれど、もうビリビリに破れてしまっている。
洗濯機で洗うと、さらに破れてきてしまうので、もう長いこと洗濯もしていない。
埃の原因にもなっているけれど、やっぱり捨てられずに敷き続けていた。
これにはネコとの思い出もあるということも原因している。
そのタオルケットもきれいに折りたたんで処分することにした。

毎週末、ウドンタニへ行っていたけれど、ウドンタニでの定宿はV1ルームと言うところで、
ここのオーナーはネコ好きで、黒いメス猫を飼っている。
この黒いネコが、私のネコによく似ている。
私のネコよりも一回り小さいのだけれど、
背中の毛の一部に白いものが混ざっているのもおんなじ。
もともとは白い毛などなかったのだけれど、薬疹により白くなったのだそうだ。
そんな経緯も私のネコと同じ。
このネコ、昨年は車とぶつかって、獣医通いをしていたそうで、そのときの薬が白い毛の原因となったそうだ。
ネコはその事故以来、少し性格的に警戒心が強くなってしまったそうで、
私が近付くと、スーッと逃げるようになってしまった。
しかし、毎週通っているうちに、膝の上でもじっとしていてくれるようになってきた。

V1ルームのネコ
[このネコにあえるだけで、この宿に泊まる価値がある]

ウドンタニ以外にもチェンライへ出張した。
チェンライもウドンタニも食堂の値段が高いようだ。
50バーツ以下で食べられるものがほとんどない。
タームサンと呼ばれる簡易食堂でも、汁かけ飯でも、クイティアオの屋台までも、みんな最低で50バーツ。
バンコクでの食堂の水準がどんなものなのか、わかっていないので一概には言えないけれど、
少なくてもピサヌロークで同種のものを食べるのと比べると5割以上高く感じる。
これはピサヌロークの食べ物の価格水準が安いだけということなのかもしれない。
ピサヌロークはそれでいて、価格だけではなく、味の面でも上を行っている。

ブンカーンの夜明け
[このところブーンカーンが異常な人気]

ウドンタニの場合、食堂の絶対数も少ない気がする。
食堂もイサーン料理の店の比率が高いのは当然としても、
肉をあまり食べたくない私にはあんまり食べ物の選択肢がないのもちょっと困った。
道端の屋台も肉の串焼き、炙り焼きが多く、クイティアオのスープも豚の血が入って黒いものが主流のようだ。
もち米のカオニャオやソムタムは嫌いではないけれど、そればかりが続けて食べるわけにもいかない。
そんななか、ウドンタニの朝食で見つけたものに、ベトナム風のサンドウィッチがある。
コッペパンに似た形のフランスパンにベトナムソーセージなどが挟んである。
フランスパンと言っても、皮がパリパリに固いわけではなく、パリパリ感は少しはあるけれど、
タイ人好みにちょっとフニャリともしている。
ラオスあたりだと、ハーブ類をはじめとした野菜類もふんだんに挟み込んでくれるが、
ここのは野菜類は入っていない。
現代のタイ人は野菜嫌いが多いと思う。
一膳飯屋でも野菜を残す人が多い。
子供に野菜を食べる習慣をつけさせようとしている家庭もあんまりないのではないだろうか。
子供たちに野菜嫌いは顕著なようで、
レストランでツアー客の子供さんに何を食べさせるかで店の人に質問したことがある。
子供向けにはどんなメニューがあるかと、
そうしたら答えとして、フライドチキン(ガイトート)やコームーヤーンと呼ばれる豚の炙り肉を提示された。
タイの子供は肥満体が日本の子供より比率が高いようだ。

チムチュム鍋
[チムチュム]

ウドンタニで買ったものに、チムチュムのタレがある。
昨年ブリラムへ行ったときに食べたチムチュムがやたらに美味しかったので、同じイサーンだからとウドンタニでもチムチュムを食べたのだけれど、チムチュムとは名ばかりで、タレがタイスキ用だったり、タイの人たちがシーフードソースと呼んでいる唐辛子とニンニクのタレしか用意していなかったりする。
チムチュムのタレを用意している店もあったけれど、ブリラムで食べたものとは、まったく味が違う。
そこで市場へ行って、チムチュムのタレを買ってみた。
ペットボトル入りで90バーツと安くなかった。
このタレを使って先週初めて鍋を作った。
バンコク、クロントイ市場で野菜やハーブ類を買いそろえた。
野菜だけではなく、ルークチンプラーというツミレやトーフープラーというはんぺんのようなもの、冷凍庫に入っていたプラードーリーという大型のナマズの切り身なども鍋に入れて食べた。
旨かった。
ブリラムで食べた味には及ばなかったけれど、カーオクアと呼ばれる砕いた米を乾煎りしたものなどをタレに混ぜて食べると、いくらでも食べれてしまいそうだ。
本当は素焼きの鍋を七輪にかけて食べたいところだけど、アパートの部屋でそれは無理なので、電磁鍋だったが、あんまりに旨いので、ついつい食べ過ぎて、苦しくなってしまった。
なお、野菜嫌いの続きになるが、ウドンタニのあるチムチュム屋に入ったとき、隣のテーブルで同じく鍋を突いていた女性二人組、セットに含まれる野菜やハーブ類はすっかり残して、肉類だけを食べていた。
タイ女性も美容とかには異常なほど関心が高いようだけど、野菜嫌いそのままのようだ。

ウドンタニとの往復には夜行列車ばかりを使っていたわけではなく、昼の時間帯のバスも二度ほど利用した。

二等寝台
[週に二晩はこの寝台車を利用]

これはウドンタニでの仕事が早めに終わって、夜の汽車まで待つ時間がもったいなかったから。
飛行機なら快適なのはわかっているけれど、これはお金がもったいないのではなから選択肢に入っていない。
以前なら昼間の時間帯でもウドンタニからバンコクへ向かうツアーバスが頻繁に走っていたはずなのだけれど、
コロナの影響でそうなったのか、いまはバンコク行きのバスは夜行便しかないようだ。
唯一2等の急行バスが昼の時間もバンコク行きを走らせていたので、それを利用した。
運賃も385バーツと安かった。
しかし、ツアーバスなら7時間ほどの所要が、この2等急行バスは13時間もかかった。
お昼に乗ったバスが、バンコクに着いたら日付が変わっていた。
急行バスは、国道沿いのバスターミナルに立ち寄り、お客を拾いながら走ることも関係している。
ウドンタニを出発するときは半分くらいの乗車率だったものが、コンケーンあたりでは、ほぼ満席になってしまう。
ナコンラチャシマでたくさんの人が下車したけれど、しかしまた同じだけの人が乗り込んできて満席となる。
快適ではないけれど、不愉快でもない。
なんとなくバス旅らしい情緒があった。

急行バス
[ウドンタニからバンコクへの二等バス]

しかし、ウドンタニからバンコクへの国道そのものは、大型貨物車が多く、信号も多いし、自分で車を運転してこようと言う気にはならない。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=207 |
| 日常 | 12:46 PM | comments (0) | trackback (0) |
年末ツアーの仕込み
11月の後半から、ツアーの仕事か忙しくなり始める。
平日はツアーの手配や打ち合わせ、そして週末にはツアーに出るということを繰り返しているので、休みが全く取れなくなってしまった。
さらに悪いことに会社は、年末年始の休暇を含めて12月は13日間の休日を設定しただけではなく、有給休暇を年内に消化しなければ、そのまま消えてしまうというので、12月のスタッフたちは出勤日がとても少なくなっている。
そのため滞ってしまった業務のつけはこちらに回ってくると次第で、まったく忙しいといったらありゃしない。
そんな中、日中はやたらと会議が設定されている。
悪循環で、よくぞミスを犯さずにいられるものだと、我ながらあきれてしまう。

12月に入ると、;連休が2週続けてあったこともあり、週末を絡めた前後の日にもツアーが入り始めてる。
コロナ以前よりも取り扱いツアーの件数は確実に増えていると思う。
この点で言えば絶好調なのだけど、対応する身としては、とてもしんどい。

ピサヌロークへの往復に、以前は車を運転していくことが多かったのだけれど、夜間のドライブでは居眠り運転をしてしまう可能性もあり、また日中のドライブだと、ひっきりなしにUrgentと記されたメールやメッセージが入ってきて、落ち着いて運転していられない。
そこで夜行バスを使うことになるのだけれど、バスの中で仮眠をとるのも楽ではない。
一度はピサヌロークからバンコクへ戻るのに、適当な時間にバスがなくて、ロットゥーと呼ばれる乗り合いバンを使うことになった。
しかし、狭いし、乗り心地は悪いして、バンコクに到着したらぐったり疲れてしまった。
以前はバスも鉄道ももっと便数があって、時間のことをあまり気にせず利用できたのだけれど、コロナが少し落ち着き、運航再開し始めたといっても、まだ半分くらいの便数しかない。
飛行機に至っては、1日1便くらいしか飛んでない。
お客が少ないわけではなく、バスも飛行機も満席。
予約も取りにくくなってい
ついこの間までソーシャルディスタンスとかいって、シートも隣り合わせに並ばないように間隔を空けさせられていたけれど、そんな規制もなくなって、ぴっちり詰め込まれる。
ほんとボヤキがとまらない。

ピサヌロークからの乗り合いバン
[ピサヌロークからの乗り合いバン]

それでもこのまま順調にツアーが活況を呈してくれていたら、ふたたびピサヌローク専任に戻してもらえるのではないかと淡い期待もしている。
可能性は高くはないけれど、こんな希望でも持っていないと、張り合いがでない。
日本からの観光客はほとんどゼロのような状況だけれど、日本以外の国からの観光客は入り始めているようだ。
先日はスコータイ遺跡で大型の観光バスから西洋人観光客がぞろぞろ降りてくるのを見かけた。
聞けばスペインからの観光団とのこと。
バンコク-アユタヤ-スコータイ-チェンマイの西洋人団体客に人気のゴールデンルートも復活したのだろうか?
しかし、ピサヌロークの受け入れ態勢を見てみると、お寒い限りである。
約2年近くのコロナ禍にあって、受け入れ態勢はボロボロになっている。
もともとピサヌローク自体は外国人観光客をひきつける要素が豊富と言うわけではなかった。
先のゴールデンルートでスコータイ見学の前後に宿泊するための街に過ぎない扱いで、その宿泊ついでに西洋人観光客に「サムローに乗っての空飛ぶ空芯菜体験」が人気であったけれど、空飛ぶ空芯菜食堂は半年前に廃業してしまった。
サムローもまだ少しは町の中で細々と走ってい入るけれど、西洋人団体客が来なくなったこともあり、黄昏時に隊列組んで市内を走り抜ける姿は全く見られにくなった。
年末年始のツアーのためにサムローを手配しようとしたら、たった台数が揃わないと言われてしまった。
台数といってもたかが20台ほど。
しかし、長いこと走らせてこなかったために、壊れてまともに走れなくなっているのだそうだ。
もちろん修理をすれば良いだけだけど、年末年始のツアーなど一過性のもので、そのあとが続かないようでは、修理損ということにもなりかねないのだろう。
事情も分かるが、こちらもツアーを手配しなくてはならない手前、はいそうですかとは引き下がれない。
年末まであと1週間を切ってしまったけれど、なんとか対策をしなくてはと四苦八苦している。

黄昏の中を走るサムロー
[黄昏の中を走るサムロー]

年末のツアーでの懸念は、ほかにもある。
「暖冬」と言う言葉がタイで当てはまるのかわからないけれど、乾期に入ってもなかなか冷え込んでくれない。
年末年始のツアーの目玉の一つにプーロムローでのサクラ見物を入れているのだけれど、こちらのサクラは気温が10℃を下回る日が続かないと開花してくれない。
日本のように春が近づき暖かくなって来てサクラが咲き始めるのとは反対である。
去年、一昨年と12月には満開となった当地のサクラ、今年はちょっとも咲く気配を見せていないというのだ。
こんな自然相手だと、こっちがジタバタしてもどうなるわけでもないのだけれど、気がかりでしょうがない。
そこで、実際に今どんな状態なのかを確かめようと、ルーイ県まで車で行った帰り道に、プーロムローのダンサイ側の登山口へ立ち寄ってみた。
本来ならサクラ見物の観光客を輸送するピックアップトラックの発着する広場にはトラックや観光客どころか誰一人いない無人の状態で、ますます焦り始めてしまう。
村役場へ回って情報を仕入れようとしたところ、役場にも情報はほとんどないようで、今年のサクラは1月中旬ごろではないかと言われる。
しかし、役場の人は親切で、役場の前庭に植えられているサクラの木へ案内してくれた。
そしてその木をよく見ると、枝の先に小さなピンク色の花がほんの少し咲いているのが確認できた。
花は小さく、台湾の霧社や蘆山温泉周辺でときどき季節外れに咲いているサクラと同じくらいのレベルであるが、溺れる者は藁をも掴むで、私に淡い期待を抱かせてくれた。

早咲きのサクラ
[早咲きのサクラ]

「ルーイ県まで車で行った帰り道」と書いたけれど、ルーイへ行く途中でも、懸念していることの確認で立ち寄ったところがある。
新年の初日の出をカオコーの山から眺めさせたいと考えている。
この季節、カオコーは雲海が出現することが多くて、とても人気がある。
そんな雲海から昇ってくる初日の出を拝みたい。
しかし、通常カオコーの雲海を見るビューポイントとされているところは、雲海が現れるカオコーの盆地に対して東側に位置している。
つまり日の出の方角とは反対側。
これでは雲海から昇る初日の出にならない。
そこで考えたのは、盆地の西側、峰の上にそびえる風力発電所があるあたりから眺められるのではないかと考えた。
でも、実際にどんな感じになるのか確認していないので、実際に見ておきたいと考えてルーイへ向かう途中に早朝のカオコー風力発電所へ立ち寄った。
日の出は、何の心配もなく、自然現象とはいえ、予定通りの時刻に昇ってきた。
しかし、雲海は全く見られない。
展望台近くで土産物を売っている人に「ここからは雲海は見られないのか」と聞いてみたら「風が吹いているから雲海は出ないけど、風がなくて雲海が出ればとてもきれいだ」とのことであって。
風が吹くかどうかはその時次第だろうけど、ここに風力発電所があるということは、ここでは一年中風が吹いていることが多いからかもしれない。
なお、別の人に聞いたら「雲海を見るなら、雨季に来た方が良い」とも言われる。
雲海は雲だから、乾期よりも雨季に出るものだと。

風力発電所で日の出
[風力発電所で日の出]

雲海は見られなかったけれど、日の出は綺麗だった。
一瞬閃光のように光って、太陽の端が見えたかと思うと、ぐんぐんと昇ってくるのが見て取れる。
日の出をじっくりと眺めるのは久しぶり。
日の出と言うのは、なんとなく霊的な印象も受けるので、寝不足気味でも元旦にはやっぱり眺めてほしい。

雲海そのものは、やはりルーイ県チェンカーンのプートク山で見れた。
ここはこの季節、雲海が見られる確率が高いようだ。
いままでほとんど雲海を見損なったことがないような気がする。
そのせいか、ここに登ってくる人の数は多くて、毎朝大変な人ごみになっている。

プートクの雲海
[これはプートクの雲海]

さて、そんなこんなで今朝はもう12月31日。
早くアップしないと、今月はなにもアップしてないことになってしまうので、中途半端だけど、このあたりで今年最後のブログとします。

チェンカーンの夕焼け
[チェンカーンは夕焼けがきれいだ]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=206 |
| 日常 | 06:26 AM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑