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イギリス旅行 (前編)
8月10日より15日までタイの連休を利用してイギリスへ旅行してきました。
前回は金子光春でベルギーとパリ、その前はオランダでチューリップと目的がはっきりしていたけれど、今回のイギリス行きにはあまり目的らしいものがなく、行くこと自体が目的になていたような気がする。
ロンドンまでの往復切符を買って、あとからどこへ行こうか考えはじめ、ロンドンの宿賃が高いことに恐れをなして、どこか適当な安宿はないかと探しているうちに、バーターバラという町へ行くことになってしまった。

搭乗券
[今回も黒猫を連れて行く]

8月10日 (木)
今回も利用するのは台北からの中華航空。
前回までのアムステルダム行きは台北の出発が深夜であったけれど、ロンドン行きは朝の出発。
そのため前日のうちに台北まで飛ぶ。
夕方のバンコク発台北行きの飛行機は空席が目立ち、タイ料理のレッドカレーを機内食にいただく。
タイカレーで赤い色をしていてレッドカレーと総称されるものはいくつかあるようだ。
代表的なものにゲーンペットというカレーで、意味は辛いカレーという意味だろうか。
そして、煮込みのチューチーも赤っぽい色をしているのでレッドカレーと表記されたりしている。
他にもパネーンという南部のイスラム色が強いカレーも赤い。
恥ずかしながら、この赤いカレーが何と言うカレーなのかわからない。

赤カレー定食
[機内食で出た赤カレー]

スチュワーデスさんに質問したが、中国語で「泰國咖喱飯」との答え。
もう少し、食い下がってどんな種類のカレーかと質問したが「鶏肉」ということまでしか回答を得られなかった。
機内にはタイ人のスチュワーデスも乗っているとのことなので、呼んでもらって同じ質問をした。
"ゲーンカリーガイ"との答えだったけれど、これではチキンカレーという意味にしかならないから、
ゲーンはゲーンでも、ゲーンペット、チューチー、パネーンといろいろあるじゃないかと掘り下げたけれど、
"クライクライゲーンペット"と言われた。
つまりゲーンペットに似たようなもの。
たぶんエコノミーの機内食などは、どんな料理法なのかなどあまり重要ではないのだろう。
前菜にはソムオーのヤムがあるし、デザートはルークチョップなので、機内食のタイ料理としては完成度が高いと思う。

メコン川上空の夕焼け
[隣の席が空いているので、窓から外を眺められる]

タイとラオスの国境、メコン川の上空で日没となる。
今は北東に向かって飛んでいるけれど、また明日の朝は西に向かって飛び、メコン川の上流を通るはず。
機内では映画を見た。
「湯道」という銭湯をテーマにした映画。
しかし、いまひとつ感動するような内容にまとまっていなかった。
もうちょっとドキュメンタリータッチにした方が、良かったんじゃないかなと思う。

映画、湯道
[銭湯の映画]

台北の空港で夜明かしとなる。
ラウンジで毛布を借りてベンチで横になる。
ここで寝るのは半年ぶりくらいだろうか?
空港で夜明かしする人の数が、以前よりも増えてきたようで、横になれそうなベンチも見つけにくくなってきている。
そのうちにイスで寝たりしなくてはならなくなるかもしれない。
飛行機も深夜の時間帯でも発着しているようで、出発案内のアナウンスが一晩中聞こえていた。

8月11日 (金)
朝、6時前には起きだしてラウンジへと移る。
そしてシャワー室を使わせてもらう。
ホテルのバスルームのように豪華な設備になっていたが、ホテルのバスルームと同じように便器もあり、私が入る前に誰かがここで大便でもしたようで臭い。
空港ラウンジのシャワールームには便器などない方が良いのではないかと思う。

シャワールーム
[ラウンジのシャワールームにトイレの設備はいらないと思う]

ロンドン行きの飛行機は9時出発なので時間はたっぷりある。
昨晩少し食べ過ぎたので、あまりお腹が空いていないが、「朝粥」をいただく。
台湾風の粥で、芋が入っている。
タケノコ煮、豆腐の加工品、キュウリの漬物、デンブなどを入れて食べる。
台湾の朝という感じがする。

朝粥
[台湾の朝粥を食べると蘆山温泉が懐かしくなる]

粥を食べていたら、腹の方も少し目を覚ましてきたようなので、これも台湾名物の牛肉麺をいただく。
牛肉などあんまり食べたくないのだけれど「肉は少しだけ」と言って注文して食べた。
このところ肉食をしないようにしている。
特に牛肉は避けていた。
若いときはステーキを喜んで食べていたけど、今は食べたいと思わない。
すき焼きも、食べるとしたら牛肉ではなく鶏肉が良いと感じたりしている。
そして、牛肉の味も半分忘れていた、
ここのはニュージーランドの輸入肉らしいが、なんだかあんまり味自体がうすくて、牛肉ってこんな味だっただろうかと考えさせられるような味だった。
全体的に牛肉麺としてはあっさり味のスープで、なんだか昔食べた台北の下町にあるしもた屋食堂のコッテリした牛肉麺とはだいぶ違うなと感じた。

牛肉麺
[台湾のソウルフード牛肉麺]

ロンドン行きの飛行機は満席であった。
私の隣にも女性が座っている。
夏休み、お盆休みの時期だからか、日本人も結構乗っている。
彼らも空港で夜明かししていたのだろうか、それとも台湾に住んでいるのだろうか?
ロンドンまで14時間半。
満席の飛行機と言うのはちょっときつそうだけど、私の隣の女性などはトイレに立つのも容易でなくてかわいそう。

離陸して、南西に向かって飛び、海南島あたりから内陸部に入り、昆明の上空に差し掛かる。
このあたりがメコン川の上流。
座席のスクリーンには今どのあたりを飛んでいるのか地図で表示されているけれど、窓はすべてブラインドを下ろさせられて、外の様子はわからない。
むかしは強制的にブラインドを閉めるようになどと言われなかった気がする。
ヨーロッパへ飛ぶ飛行機ではシベリアの永久凍土を見下ろせたり、北極圏近くではオーロラが見られたものだ。
今は、機内食のサービスが終わると機内の照明も落とされて、睡眠を強要される。
しかし、まだ午前中のはずで、眠たくなんてない。
狭いシートで寝るのも楽ではない。
こんな時は、飲んで酔ってしまうのが一番と考えて、ウイスキーのお湯割りをいただく。
おつまみももらったけれど、全然空腹でないのでウイスキーだけをひたすら飲む。

フライトショー
[昆明から上ビルマを経てインドへ]

酔いの力を借りて、ウトウトしたり、身体の姿勢をモゾモゾと変えたりしてみる。
ロンドンには現地時刻の午後4時半に到着予定だけれど、タイの時間だと夜10時半。
ロンドンに着いたら、今夜は今年からロンドンで働いているミツグ君とビールを飲む約束をしている。
ウトウトでもいいから、少しでも眠っておいた方が体のため。
モニターではインド亜大陸の地図の上を西に向かっている様子が示されている。

機内では眠らずに映画を見ている人が半分くらいいる。
私は見たい映画もないし、以前は好きだった音楽プログラムの「日本ゴールド」も、もう何度も聞いてしまって飽きている。
飽きるだろうということは事前に予想しており、むかし息子にもらったおフルのiPodを持ってきており、それで懐かしい歌謡曲を聞くことにした。
100曲以上入っているので、聞き終えるのに何時間もかかるはず。

カスピ海、黒海と飛んで、やっとヨーロッパの上空になったはずと思う頃、機内の照明が明るくなってきた。
タイ時間のままの私の腕時計は、夜8時を指している。
機内食の時間だという。
そしてそれは朝食のサービスだという。
タイ時間は夜の8時、台湾なら9時。ロンドンだと午後2時のはずなりに、どうして朝食なのか不思議に感じる。
朝食サービスなので、飲み物にビールやワインの選択肢はなかった。

ロンドン時間の午後4時過ぎ、定刻にヒースロー空港へ到着。
到着ゲートから入国審査場まではやたらと遠かった。
天気は晴れているようで、日差しが明るい。
入国審査場では日本のパスポートは自動ゲートを利用できるようで、ほとんど並ぶこともなく通過できたが、機内から吐き出された大多数を占める台湾の人たちは、長蛇の列に並んでいた。
荷物もほとんど待つことなく受け取れて、地下鉄乗り場へ向かう。
この通路もひたすら長く、ずいぶんと歩かなくてはならなかった。

以前の知識では、ロンドンでは交通系カードでオイスターカードというのがあり、これを持っていないと割高な切符を買わなくてはならなかったり、いろいろと不便があると聞いていたけれど、今はさらに進んでオランダなどと同様にクレジットカードを自動改札にかざすだけで乗れるようになっていた。
どうせロンドンで地下鉄に乗るのは空港への往復だけと思っているので、オイスターカードを買わずに済んで助かった。

ヒースロー空港駅
[ホームには大きな荷物を持った人でいっぱい]

地下鉄ピカデリー線は小さな車体で、そこへ大きなスーツケースを持った人たちが乗り込むのでぎゅう詰めになった。
エアコンもなくて、車内は蒸し暑い。
タイを出る前にロンドンは8月になってから気温が下がって、朝晩は13度くらい、日中も20度くらいと聞いていたので、長袖を中心に用意してきたが、この地下鉄の中は30度を超えていそうでじっとしてても汗がにじんでくる。

キングスクロスで地下鉄を乗り換え、1時間以上かかって今夜の宿、ドーバーキャッスルのあるパロ駅に到着。
地下鉄から地上に上って、さて宿はどっちだろうかとウロウロとしてしまうが、GoogleMapという便利な機能があるので、スマホの案内に従ってたどり着けた。
宿の受付はパブの奥の階段を下りた地下にあるという変な宿。
ここで宿賃として35ポンド払う。
バーツにしたら1600バーツ以上に相当するけど、8人部屋のドミトリー。
朝食もない。
ロンドンはオランダやベルギーよりも宿賃が高いようだ。

部屋の入ると、ほとんどの同室者は外出しているようで若い女性が2段ベッドり上に二人いるだけだった。
ミツグ君に渡すタイのレトルトを中心にした土産を整理し、所持金も持ち歩くカードと少額紙幣の財布と大枚を入れた財布の2つに分ける。
そうこうしているうちにミツグ君から「宿の下で待っているよ」とスマホにメッセージが届く。
急いで、支度をしてミツグ君を宿共用のキッチンへ招じ入れ、私がタイから持参した冷えていないタイビールで乾杯する。

宿の下にはパブがあり、そっちへ移って飲むのが正道なんだろうけど、「ロンドンは物価が高い」とミツグ君も言う。
パブでビールなんかも1パイントで5ポンドくらいするんだという。
ランチなんかも安いとこでも10ポンドくらいするからもっぱらスーパーで何か買って食べているという。
なんとも、私と似た境遇の日々を送っているらしい。
そこで、スーパーで缶ビールを買って、タワーブリッジの見える公園で飲もうということになった。
パブも良いけど、騒々しいパブより、公園でのビールが嬉しい。
スーパーはテスコ・エキスプレスに入る。
テスコは以前タイにもあって、テスコ・ロータスだったが、最近資本撤退したのかタイでの名称はテスコが外れてロータスだけになっている。
ミツグ君はアイリッシュの黒ビール、ギネスをパックで購入。
私はおとなしく発泡果実酒のシードルを一本。
公園には夕涼みに来ている人がたくさんいる。
夕方で空の色がどんどんと変わっていき、タワーブリッジが美しく映えている。

シードル
[シードルならこれがイイですよと勧められた銘柄]

夕方とはいっても、時刻は夜8時過ぎ。
日没が9時近いので、まだまだ明るい。
タワーブリッジを背景にして記念写真を撮ったりしている人が多いから、ここに集まっているのは地元の人より観光客が多いのかもしれない。
ミツグ君も念願のロンドン勤務をしているけど、食生活ではバンコクの方が豊かだったと回想していた。
すっかり日が暮れて、暗くなってからお開きとした。

ミツグ君と
[次はどこで会えるだろうか]

8月12日 (土)
前夜、ミツグ君と別れて宿の部屋に戻り、早々にベッドへ入る。
男女相部屋ではあったが、私が床に就いた時、同室者はみんな女性だけだった。
しかし、すっかり眠り込んでいたらイビキで目が覚めた。
時刻は午前3時過ぎ。
大きなイビキで、どうやら深夜に男性宿泊者たちが部屋に入って来ていたようだ。
その後は、スマホにメールやらメッセージやらがどんどんと届くようになる。
おちおちと寝ていられず、部屋から抜け出してシャワーを浴びる。
このドーバーキャッスルという宿、部屋の中にはトイレやシャワールームがなくて、共用のが各フロアーにあることになっているが、トイレ2か所のうち、一つは故障中。
シャワーももともと1か所しかなく、宿に関する口コミでもトイレやシャワーで困ったというものが多かったけれど、夜明け前でみんな寝静まっており、心おきなくシャワーもトイレも占有して使うことができた。

7時前には起きだす。
同室者はまだみんな寝ている。
みんな宵っ張りなようだ。
共用のキッチンで機内食で食べ残したパンを食べて朝食とする。
飛行機に乗る前にさんざんラウンジで飲み食いしているものだから、飛行機の中では空腹を覚えることなく、機内食が出てもパンに手を付けていなかった。
そんなパンが3つもあった。

8時に宿をチェックアウトして外に出る。
本日の予定は、11時のバスでピーターバラへ向かう。
それまで約3時間。
約30年ぶりに来たロンドンなので、観光名所をぐるりと歩いてみることにする。
バスの乗り場はビクトリアターミナルとなっていて、宿からまっすぐ歩けば1時間もかからないはず。
しかし、ターミナルとは反対方向へ向かって歩き始める。

ドーバーキャッスル
[赤いバスの後ろがロンドンで泊まった宿ドーバーキャッスル]

昨晩も歩いたサザークと言う下町のようなところをタワーブリッジに向かってキャリーバックを引っ張って歩く。
ブリュッセルの街と違って、道が石畳ではなくほとんどがアスファルト舗装されているので歩きやすい。
外壁がレンガでできた古い建物の多い街並みはロンドンらしい。
パリなどの大陸側とは雰囲気が異なる。
なんとなく、アメリカ東海岸の街のような感じ。

建物の間からザシャードという四角錐の形をした高層ビルが覗かれる。
このビルはヨーロッパで一番背が高いビルなのだと昨晩ミツグ君に教えてもらった。
あとで調べてみたら、87階建て、310メートルだそうだ。
バンコクで高層ビルを見慣れているせいか、びっくりするような高さには感じない。
ビルの中にはシャングリラホテルが入っているそうだけど、きっと宿泊料も相当高いのだろう。

ザシェード
[このビルは目立つ存在ではある]

タワーブリッジの見える公園まで来た。
朝の公園では犬を連れて散歩している人が多い。
また、私たちのように昨晩この公園でビールなどを飲んでいた人たちが置いていった空き瓶や空き缶があちこちに落ちている。
公園でビールが飲めるのは良いけれど、マナーにもう少し気を配った方がイイと思う。

タワーブリッジ横の公園
[今日も天気に恵まれた]

タワーブリッジを歩いて渡る。
何度も渡ってきたけれど、歩いて渡るのは初めて。
今日は天気も良くて、良く晴れている。
気温も丁度いい。
このロンドンを代表するようなタワーブリッジだけど、初めてロンドンに来るまで、この橋は「ロンドン橋」だと誤解していた。
幼稚園頃だろうか、♪ロンドン橋おちた、おちた、おちた、、と歌いながら輪になって遊んだ記憶があり、ロンドン橋は跳ね橋であると思いこんでいた。
なので東京の勝鬨橋もロンドン橋も跳ね橋で、橋の下を船が通るときには、橋が跳ね上がると信じていた。
しかし、ロンドン橋は跳ね橋ではなかった。

タワーブリッジ
[タワーブリッジは歩道の幅もしっかりあって歩いて渡りやすい]

そして、私がロンドン橋だと思い込んでいたのは、タワーブリッジのことだった。
では、いったいなんで♪ロンドン橋おちた、、という子供歌ができたんだろう?
たぶん、私と同世代の人の中には、いまだに混同している人が多いんじゃないだろうか?

橋の上から
[テムズ川にタワーブリッジの影が映っている]

タワーブリッジを渡り終えて、ロンドン塔の横を歩く。
ロンドン塔の脇の遊歩道をからロンドン塔側を見ると、要塞のように高い壁が囲んでいる。
その壁までの空き地になっている部分には背の高い雑草が生えていて、なんだかうら寂しい。
千年前から国王の居城であったとされているけれど、華やかな印象は外から見ている限りには伝わってこない。
むしろ、牢獄として使われ、処刑場でもあったという暗さが漂っているようだ。
勉強不足でロンドン塔も素通りするだけだけれど、事前に調べておいたらば、いくつもある塔の一つ一つに物語があったりして、もっと興味深く眺められそうだけれど、今回は立ち止まることもなく歩き続ける。

ロンドン塔
[要塞のような城]

シティーと呼ばれる金融街を通り抜ける。
昨日乗った地下鉄にバンクと言う駅があったが、このシティーあたりのはず。
銀行が集まっているからバンクなんだろうけれど、このあたりには近代的な高層ビルなどがレンガの重厚な建物と並んで立っている。
先ほどのタワーブリッジから眺めたときも、左手側には一本だけ細く伸びるザシェードの高層ビル。右手側には香港かシンガポールのようにニョキニョキと密集する摩天楼が見えていたが、その摩天楼が密集している部分がこのシティーらしい。
普段なら今の時刻、午前9時くらいはビジネスマンが通りを行き来している頃だろうけど、今日は土曜日なので歩道に人影はほとんど見られない。
観光客相手の両替商は店開きしていた。
ユーロやドルからの両替だけではなく、¥マークも掲げられていた。
両替率を見ると異常なくらい円が強くなっているように見えたが、よく見ると¥マークと隣に中国の旗のマークも出ていた。
どうやらロンドンでは¥マークは日本円ではなく中国元をさすようだ。
しかも、悔しいことにタイバーツも両替率は悪いものの、大きく表示されているのに、本当の日本円は下の方に小さく表示されているだけだった。

閑散とした土曜日のシティー
[古い建物の奥に摩天楼]

シティーからセントポール大聖堂へ向けて歩き続ける。
プラタナスの並木からの落ち葉が道端に落ちている。
気温も20℃くらい。
6月の暑かったパリと比べると、もう秋の空気をロンドンでは感じる。
土曜日の中心街を歩いているのは、私同様に各地からきている観光客何だろうけど、観察してみると西洋人は一概に薄着で、半袖であるのに対して、東洋人はジャンパーなど着こんでいる人が多い。
そして、中国語を話している人が多いけれど、北京語だけではなく、広東語なのだろうか中国の方言でしゃべっている家族連れの観光客も多い。
日本語もあまり聞こえてこない。

プラタナスの落ち葉
[プラタナスの落ち葉]

歩き回っていて、唯一聞こえてきた日本語は、テムズ川にかかる歩行者専用のミレニアム橋の上。
海外挙式でもするのか、白いウェディングドレスの女性と黒いタキシードの男性、そして撮影のためのカメラマンたちから日本語が聞こえてきた。
この橋の上では他に韓国語も聞こえてきた。

ミレニアム橋にて
[前を歩くのは韓国人女性二人組]、橋の向こうはセントポール

日本語を耳にする機会はあまりなかったけれど、日本食の食堂は街のあちこちで見かけた。
"Wagamama", "Itsu", "Wasabi"などというチェーン店をあちこちで見かけた。
食べてみたいとはちっとも思わないけど、Sushi Rollは看板メニューのようだけれど、私の好きな稲荷寿司は見かけなかった。
そしてもう一つあまり見かけないのがフィッシュアンドチップス。
イギリスの国民食などと言われているけど、立ち食いしている人など見かけない。

王立裁判所の近くまで来たら、時刻は10時になろうとしていた。
バスの時間まであと1時間。
ちょっとのんびり歩きすぎたのかもしれない。
バスターミナルまでまだ3キロ以上あるから少し急がなくては。

王立裁判所
[ロンドンは威容を誇る建物が多い それとあちこちに銅像がある]

ウォータールー橋近くからテムズ川に沿って歩く。
対岸に白くて大きな観覧車が見える。
テムズ川を行き来する遊覧船も見える。
観光バスが道端に停車して、観光客が下りてくる。
道端で迎えのバスを待つ団体観光客の集団がいる。
ロンドンは観光客が目立つ。
バリも目立っていた。
バンコクも観光客だらけ、いま世界中の街には観光客があふれているようだ。
日本でもそうなのだろうか。
でも、日本人観光客はあんまり見かけない。

テムズに沿って歩いてきて時計塔ビッグベンの前で右に折れる。
時刻は10時20分。
ビッグベンはロンドンをタワーブリッジとともにロンドンを代表する観光所。
タイ人の間では特に人気が高くて、テレビコマーシャルとかでイギリスと関係あるものには必ずと言っていいほど登場してくる。
バンコク市内から空港へ向かうエアポートリンクの車窓からは、シーナカリン通り近くにあるショッピングセンターにもビッグベンのレプリカが立っている。
ビックベンと関係があるのかどうかはわからないけれども、タイの地方都市では街の中心にあるロータリーなどに時計塔を立てているものが多い。
でも、タイ人が時計好きかと言うと、そうでもないようで、商店などの壁に掛け時計がかかっていることなどめったにない。

ビッグベン
[ビッグベンの周辺も観光客のたまり場になっている]

電車の駅のビクトリアステーションまではなんとかやってくることができたけれど、バスの乗り場がわからない。
駅前にバス停があり、赤い2階建てバスが発着しているけれど、長距離バスの発着している様子はない。
駅の構内へ入ってインフォメーションで訪ねてみようと思ったが、先客がずっと占有して込み入った話をしているようだったので、自力で探すことにした。
構内をよく見たら「長距離バスターミナルはあっち」と標識が出ていた。
その標識をたどって行ったらば、駅の外へ出てしまった。
出たところにバスターミナルらしきものは見当たらない。
場所を示す標識もない。

ちょうど路上駐車している観光バスがあったので運転手に長距離バスターミナルの場所を訪ねて教えてもらった。
「ずっと向こうにある信号を右に曲がって歩いていけばわかるよ」ということだった。

バスターミナルにはバスの出発10分前に到着。
バスターミナルと言っても狭くて、混雑していたけれど、表示はしっかりしていて、私の乗るバスは18番ブースからと案内されていた。

バス乗り場
[鉄道のビクトリア駅と比べると地味で質素なビクトリアバスターミナル]

乗り込んだバスはブラッドフォード行きのフリックスバス。
黄緑色の車体で、最近ヨーロッパでよく見かける格安長距離バス、
私が‐買った今回のピーターバラまでのキップも手数料を含めて8ドルほどだった。
指定された座席は20D。
一番後ろのシートだったが、隣のシートは空いていたので快適。
車内はインド系と北アフリカ系、中近東系の乗客ばかりで、西洋人や東洋人は少数派になっていた。
車で混雑するロンドンの街の中を1時間ほど走って、途中1か所でお客を拾ってから郊外に出て、快調に走りだした
(中編へつづく)

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チビのこと
8月9日 水曜日
7月の下旬ころ、具体的な日付は記憶にないのだけれど、ピサヌロークの私の部屋にネコが寝泊まりするようになった。
もともと部屋のある下宿のネコで、一昨年くらいにここで生まれたメス。
このネコの父親はウォッカと言うトラネコ。
母はブラウニーと言う名でシャムの血が混ざった茶色いネコ。
何匹もの兄弟がいたのだけれど、いなくなったりして、今現在この下宿に残っているのは、オスでウォッカそっくりなネコと、私の部屋で寝泊まりするようになったブラウニーそっくりのネコだけになっている。
半年前まではもう一匹ウォッカそっくりのがいたのだけれど、いつの間にか消えてしまった。

下宿のネコたち
[私の部屋はネコたちのサロンになっている]

このメスにも名前があるはずなのだけれど、私は知らない。
下宿のオーナーに聞けば教えてくれそうだけれど、私はただ「チビ」と呼んでいる。
身体が他のネコたちより小柄なのでチビとしたのだけれど、私がチビと呼べば自分のことと認識しているようだ。
このチビがある晩、私の部屋へ入り込んできた。
私は風通しを良くするため寝るときも部屋のドアを開けたままにしている。
それでよくネコたちが夜中に侵入してくるのだけれど、朝まで部屋にいるようなことはめったにない。
それが、このチビは朝まで部屋に居座っていたりした。

チビ
[小柄なネコなのでチビと呼ぶ]

それに寝坊助でもあるようで、私が朝の支度をして、仕事に出かけても気づかずに寝ていたのだろうか、仕事から帰って部屋のドアを開けたら、部屋の中に閉じ込められていたこともある。
寝てるときはドアを開けてても、さすがに外出するときはドアを閉める。

私の部屋がネコにとって格別居心地のよい所と言うわけではないのだろうけど、このチビはどうも下宿の中で行き場所をなくしているようだ。
どういうことかと言うと、このチビを生んだブラウニーは、自然界の法則で成猫となったチビを子離れと言うのか、追い出しにかかっている。
それも追いかけまわして、いじめるのである。
チビもすっかりブラウニーに恐怖心を抱いている様子。
一方、父親のウォッカは、チビが自分の娘だということもわからないのか、近頃チビの尻を追い回している。
そうした恵まれない環境にあって、私の部屋だと安心していられるということなのだろう。

が、しかしブラウニーがただの子離れでチビを虐めているのではないかもしれない。
チビの兄弟、ウォッカそっくりのオスを追い払おうとすることはないなら、これはメス同士の縄張り争いなのかもしれない。

ブラウニー
[母ネコのブラウニー、チビとよく似ている]

部屋の中にい続けるので、最初は私のネコの霊前から下げたキャットフードを分けてあげていたけれど、それでは食べたりないとエサをねだるようになってきた。
たぶん、下宿で用意しているネコたちのエサ場には、チビを目の敵にしているブラウニーと遭遇する可能性も高くて、行きたくないのだろう。
そこで、ドライキャットフードを500グラムほど買ってきた。
ピサヌロークでは、ペットフードを売る店がやたらとたくさんある。
そして、大袋からビニール含めに小分けして安売りしていたりする。
Me-Oというブランドのビニール袋詰めで38バーツと格安。

このキャットフードを与えたのが決定打になってしまったようで、どうもチビは私の部屋で飼われているつもりになってしまった。
私の顔を見れば、エサをねだる。
朝、仕事に出かけるときは、部屋の外に連れ出すのだけれど、仕事から帰って来ると私の部屋へ登る階段のところで待ち構えていたりする。
そして、いっしょに部屋へ入り、「腹減ったニャー」と騒ぎ出す。

階段で待つチビ
[こうして階段のところで私の帰りを待っている]

部屋の中にネコ用の砂箱、つまりネコのトイレは用意していない。
いったいいつ下の用事を済ませるのかわからないが、私が気が付かないうちに、たぶん寝込んでしまってから部屋から抜け出して、外で用を足してくるのだろう。
トイレくらい用意してやるのは簡単だけれど、そんなことをしたらずっと部屋に住み着いてしまい、私が飼い主にならなくてはいけなくなってしまいそうだ。
ネコを飼いたくないわけではないけれど、半年後には日本へ帰国するつもりになので、ネコを連れ帰る準備期間が足りない。
それにもともと下宿のネコだし、私がいなくても食べるに困ることはないだろう。
あと半年、しっかりエサを食べていれば、チビも大きくなって、母ネコのブラウニーから虐められなくなるのではないかと期待をかけていた。

ところが、なんでこんなめぐりあわせなのか、またまたバンコク勤務を命じられてしまった。
異動日は9月1日付けだそうだ。
このままチビをピサヌロークの下宿に置いていくか、それともバンコクへ連れて行くべきか悩んでしまう。
バンコクへ連れて行ったら、そのまま来年は日本へ連れて行かなくてはならない。
日本へ連れて行くには、予防接種や抗体検査証明、マイクロチップ埋め込みなど、たくさんの手続きと時間がかかる。
時間切れになってしまったら最悪。
それに日本での暮らしにチビが順応できるかもわからない。

チビ
[もうすっかり居住権をつかんだ気でいるようだ]

はてさてどうしたものかと思うのだけれど、今日から1週間ちょっとピサヌロークを留守にする。
バンコクへ行き、そして5日間ほどイギリスへも旅行してくる予定。
チビもその間、私の部屋へは入れないわけで、私の留守中どうしているだろう。
来週木曜か金曜にピサヌロークへ帰ってから、チビの様子を見て考えることにしてみよう。

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