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結婚25周年旅行 ④
4月15日 土曜日

今日は一日中アトランタホテルのプールサイドでのんびりと過ごしたいと思っていたのだが、運の悪いことに午後から出社となっていた。
朝食もホテルの食堂でいただく。
注文したのは、チャーハン。
朝からチャーハンと言うのは、日本では考えにくい選択だけれど、バンコクではありだと思っている。
日本でも、朝からチャーハン食べて悪いことなんかないだろう。
私は昔、海外からの添乗業務を終えて、成田空港に早朝降り立ち、解散した後で空港内の食堂で食べたカレーライスがやたら美味しかった記憶がある。

アトランタホテルのチャーハンは、味付けはなんとなくピンボケではあったが、やはり盛り付けは盛大で、街中の食堂の倍くらいのボリューム感がある。
妻が注文したのは、お粥セット。
こちらは玄米のお粥が丼にたっぷり入り、タイ風のおかずが何品か付く。
やはりまずまずのボリューム。
たぶん、このホテルの宿泊者の大半が欧米人で、身体の大きな人たちだから、料理の量も多くするようになったのだろう。
別の言い方をするとタイ人の利用は考えられていないということになる。
そのためか、タイ風のおかずもなんとなくタイ人味覚からズレているような感じがする。

アトランタホテルのビジネスセンター
[本棚とライティングデスクとスタンドがあり、つまり旧式のビジネスセンター タイプライターもほしいところ]

午前中だけプールで過ごして、午後からは仕事に行く。
そして、夕食にはチャオプラヤ川沿いの海軍クラブの食堂に入る。
久しぶりに行ったのだが、王宮周辺は交通規制がされていて、なかなか海軍クラブへ近づけない。
昨年10月に国王が崩御され、その記帳に王宮を訪れる人たちの数が大変多くて、交通規制をしているらしい。
ぐるぐると王宮周辺を迂回し、芸術大学の裏を抜けて海軍クラブへたどり着いた。

夜のワットポーにて
[ワットポーに立ち寄ったら、境内で芝居がかかっていた]

海軍クラブの料理は、ごまかしのないタイの味で、大変に気に入っている。
トムヤムクン、ヤムウンセン、鶏肉の包み揚げなど、注文した料理のどれもが美味しい。
チャオプラヤ川に張り出したテラスで川風に吹かれながらビールと一緒に食べるからさらにおいしい。

チャオプラヤ川のディナークルーズ船
[派手なディナークルーズ船が行きかうのがテラスから見える

<hr>
4月16日 日曜日

朝食の代わりにまだ残っていたマンゴーを剥いて食べる。
冷蔵庫がないので、生暖かいマンゴーだが、そのせいか余計にねっとりとした甘さが感じられる。
小さなリビングのソファーでいくつものマンゴーを剥いて食べた。

スイートルームのリビング
[一応スイートルームなのでリビングがあるが、メイド部屋のように小さい]

昼前にチェックアウトをし、スーパーで買い物などをしてアパートに帰る。
アパートではネコが退屈を持て余して待っていた。
明日からまた通常勤務。
弁当の準備や掃除洗濯など、アパートに戻ったらやらなくてはならない仕事がたくさんある。
しかし、アパートの部屋に入って、ベッドを見たらやたらと眠くなってきてしまった。
そろそろ遊び疲れも出てきているようだ。

夕食にはやたらとジャガイモのいっぱい入ったおでんを作って食べる。
豆ごはんも炊くが、私の豆ごはんには少しの酒と一つまみの塩を入れてある。
妻は豆ごはんには味付けなどしない方が本来の豆の味がするのにと少し不満顔。
私とは味覚の上でも大きな相違がある。

おでん
[おでんを作りすぎて、翌日から毎日弁当におでんを食べることになった]

<hr>
4月17日 月曜日

妻の帰国便は午前6時台の全日空なので、まだ暗いうちにアパートを出発。
チェックインカウンターは空いており、手続きもすぐに終わり、出国ゲートに見送る。
外は少し明るくなってきたようだ。
早くアパートへ戻らないと、朝の渋滞に巻き込まれて、会社に遅刻してしまう。

おわり

<hr>

この25周年のブログも、第1回のアップは比較的速やかに行ったつもりだったが、あとがなかなか続かなかった。
時間が取れなかったこともあるし、時間があっても書こうとしなかったこともある。
結局、5月13日から日本へ一時帰国するから、そのとき飛行機の中ででも書こうと思っていたのだが、そこでも失敗。
行きの飛行機の中では、映画を見てしまった。
アメリカ映画だが17世紀の日本を舞台にした映画で、「沈黙」と言うタイトル。
主人公はポルトガル人の宣教師。
西洋人が撮った日本を舞台にした映画では、必ず出てくる桜吹雪の映像はなかったようだ。
日本人の俳優を多数使っているが、撮影は日本ではなく台湾で行われたらしい。
それが、かえって17世紀の日本の情緒を演出できていたのかもしれない。
そして、もう一本が「深夜食堂Ⅱ」。
前作も機内で見ていたが、続編も機内で見ることになった。
前作の方が面白かったかなとも思うし、なんだかパターンが読めてしまうので、ちょっと退屈。
退屈ならPCでブログの続きを書けばよいのに、書くのが面倒だから映画を見続けてしまった。

台北空港で牛肉麺
[台北空港での乗り継ぎで、いつもの牛肉麺とビール、銘柄が「北海道」から「サッポロプレミア」に変わっていた]

東京では、妻に付き合って東村山の白十字病院へ行ってみる。
担当してくださった医師は、まだレントゲンだけでははっきりしたことはわからないが、
骨には異常はなく、半月板で見なさそうなので、関節の周りの軟骨がすり減って傷んでいるらしく、たぶん治療法はなさそうなことをほのめかしていた。
それでも、来週もうMRIを使って検査をしてみましょうということになった。
期待はできないが、大変親切に調べてくださって、やって来た甲斐があったと思った。

続けて、妻の再入国許可を取り付けに付き合う。
再入国許可を扱う入管は東京では品川と立川にしかないらしい。
しかも、品川は品川駅からさらにバスに乗っていかなくてはならない場所らしい。
と言うことで立川にしたのだが、立川の入管も不便に場所だった。
そして大変不親切であった。
入管の掲示板に再入国許可の条件変更が薄汚れて張り出されており、永住権のあるものは1年以内の再入国なら再入国許可は不要になったといったことが解りにくい説明で書かれている。
もし、1年以内の再入国なら手続き不要なら、実質的に再入国許可など不要と思われる。
そこで、受付カウンターでそのことを質問しようとしたら、「番号札を取って待て」とのこと。
しかも、番号が回ってくるまでにまだ40人以上いる。
ちょっとした質問だけなんですがと食い下がったが「番号とって、あんたわかんないの」と言われてしまう。
そして、待つこと実に3時間。
たしかに、改正があって1年以内なら再入国手続き不要になったらしい。
なんだバカバカしい。
ものの1分もかからないことに、どうしてこんなに待たされるのかと、無性に腹が立ったが、妻はそれでも「再入国許可」の申請をしておくという。
申請料は収入印紙で6,000円。
「どうして、もったいないじゃないか」と言う私の抗議は受け付けられず、申請をしてしまう。
しかし、不便なことに収入印紙は入管の建物内では売っていない。
郵便局で売ってるから買ってくるようにと言われる。
とぼとぼと郵便局まで収入印紙を買いに行く。

裏庭にて
[裏庭の手入れ、これから夏になると草むしりで大変]

ラビットスクーターは燃料系に問題が出いるらしいことは去年くらいから感じていた。
燃料タンク内にサビが溜まってしまい、それが目詰まりの原因となってキャブレターにガソリンが回らない。
回るとキャブレターが詰まるという問題を抱えていた。
キャブレターが詰まると、分解洗浄しなくてはならず手間がかかるので、今回バンコクから燃料フィルターを買ってきており、それを取り付けた。
しかし、根本原因のタンク内のサビはそのままなので、サビが堆積しすぎて燃料コックも詰まってしまった。
タンクからガソリンを抜いて、燃料コックを洗浄する。
まだまだタンク内のサビは除去しきれていないけど、とりあえずはこれで走行中にエンジンが止まってしまうことは当面回避できそうだ。

帰りのフライトではブログを書こうと思ったが、成田空港のラウンジでビールや紹興酒などを飲み、好物の稲荷寿司など摘まんでしまい、いい気持ちのまま機内へ。
ジャンボジェットの2階席で、もともとビジネスクラス用のシートだから座り心地も良い。
もちろん電動でシートを倒せば寝心地も良い。
それにブランケットもまるで羽根布団みたいに軽くて柔らかい。
機内食のカレーライスを食べたら爆睡してしまった。

飲んだ後はカレーがうまい
[出発前に十分にアルコールに浸ったので、機内食のカレーがひときわ嬉しい]

台北から先などは機内食も、ビールさえもらわずに寝ていた。
そして到着したバンコクの空港。
いつもながらイミグレが混んでいるだろうなと思い、急ぎ足でイミグレへ向かったが、すでに長蛇の列。
こんな時は、急がば回れで、もう一つ先のイミグレへ回ってみることにした。
しかしそこもイミグレからあふれた人がコンコースまで埋め尽くしている状態。
観念して並ぶが、中国人の大きな団体旅行と重なっているらしい。
中国人と韓国人ばかりなので、もう順番に並ぶという体もなしていない。
やっと、イミグレの審査ブースが見えてきたなと思ったら、入管の係員はテキパキしていないから、やたらと時間がかかる。
それでいて、刺々しく下手な中国語で怒鳴り散らしている。
そして、唖然としたのはこんなに並んでいるのに、ブースの大半が閉まったまま、係官はいてもブースを開けていない。
結局、入国までに3時間もかかってしまった。
どうやら今回は、立川と言い、バンコクと言い、入管では3時間待ちになるらしい。

と言うわけで、結局ブログの続きはバンコクに帰ってから仕上げることになった。


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結婚25周年旅行 ③
4月12日 水曜日

夜明け前に目を覚ます。
空の色が、濃い紫色から徐々に青みを帯び始めている。
海は暗いままだが、次々に沖合から漁船が浜へ戻ってくるのが見える。
海に突き出し、そそり立っている山の輪郭が次第にはっきりしてくる。
なかなか良い眺め。

プラチュアップの夜明け前
[もうじき日が昇ってくるところ]

日の出
[ご来光です]

今朝もジョギング。
プラチュアップの浜辺に沿った遊歩道を走る。
やはりブライベートビーチで細切れになった海岸線より、尾を引くように長く弧を描く海岸線がいい。
その点では、プラチュアップキリカンは最高。
パタヤのビーチもプーケットのバトンビーチも海岸線に沿った道より海側にはホテルなんてないし、プライベートビーチなんかで仕切られていないけど、海岸線に沿った道沿いが繁華街になりすぎている。
海岸線を空軍基地前まで南下し、街中の道を走って北上。
木造の二階家がまだたくさん残り、古いタイの街並みを楽しめる。
繁華街のヘドヘドや悪臭もなく、清潔。

プラチュアッブのビーチロード
[長い海岸線に沿ってビーチロードが続く]

ホテルの朝食会場は宿泊棟の大型旅社の雰囲気からは想像できないくらいモダンで明るかった。
料理の方は地方ホテル丸出しの田舎風だったけれど、まずくない。
朝からタイ風のカレーと言うのも悪くない。
白くて明るい室内。
大きな窓からは、朝の光が差し込み、そして海がよく見える。
いつもはこの町で安いバンガローに泊まっているけれど、こんなホテルに泊まって、窓からの景色を楽しむというのも悪くない。

ハートトーンホテル
[堂々たる大型旅社といった感じのハートトーンホテル]

本棚には日本語の書籍
[日本人など来ないだろうと思っていたが、ホテルの書架には日本語の書籍が何冊かあった]

昼近くまで、のんびりして、プラチュアップキリカンの町周辺を車で走り回ってからバンコクに向かう。
昼食も市内のイスラム食堂で牛肉のマサマンを食べる。
妻は日焼けにはジャガイモをスライスしたジャガイモパックが効くと言って、市場でジャガイモとピーラーを買う。

ブーゲンビリア
[サルの聖地、クラジョク山の麓のブーゲンビリア]

バンコクまでの道は快調に走ることができ、渋滞もほとんどなかった。
夕方にはアパートにたどり着いて、留守番させていたネコに再会。
Skypeを使ってネコの様子はビデオで確認できているものの、ちゃんと元気にしていることを実際に見て取るとうれしいが、
泣きつかれたようなかすれた声を耳にすると心が痛む。

アパートで簡単な夕食をとってか今晩の宿、スクンビット通りのマンハッタンホテルへ向かう。
マンハッタンホテル、お化けが出るとか言われて、あまり評判のいいホテルではない。
しかし、子供のころは夜寝るときにお化けが怖いと思ったりしたが、いまだにお化けには出くわしたこともない。
せっかくなので、お化けにお会いしてみたいと思ったが、お化けもご多忙なのか出てきてくれなかった。

マホガニー色の家具類
[安いホテルだけど、老舗だけあって重厚感は感じられる部屋]

マンハッタンホテルの部屋は、昔風で家具類はマホガニー色、つまり海老茶色で最近の流行ではないが、重厚感があった。
バスルームも今風に広くて機能的ではないが、バスタブもあり、お湯もふんだんに出る。
立地も中心地だし、悪くない。

<hr>
4月13日 木曜日

どう間違ったのか、今日は勤務日。
マンハッタンホテルで朝食。
如何にもツアー客向けの、朝食会場、ブッフェブレックファスト。
心を込めて料理しましたと言えるものはなく、とりあえず品数は出しておくので適当にどうぞと言った感じ。
まぁ、このレベルのホテルで高望みするのが間違っているのだろう。
キムチが出ているのは元大韓航空御用達ホテルだったからだろうか。
私は朝からキムチなど食べたくないが、一口食べた妻曰く、「味の素の味がする」とのことであった。
やはりツアー客が多く、中国人も、インド人もいる。
肩から背にかけて、破れて穴の開いたシャツを着た日本のおっさんもいる。
妻が、「お父さんも、だらしなく見えるから穴の開いた服をいつまでも着てないでね」と言う。
私はシャツに穴が開けば繕い、補修しながらボロボロになってシャツやパンツを着続けている。
自分自身としては、悪いことだと思っていなかったが、こうして他人の姿を鏡に映されたように見せつけられると、なるほどと思えてくる。

マンハッタンホテル
[かつては日本航空や大韓航空の乗務員たちの指定宿]

日中はずっと会社で仕事。
夕食にホテル内の韓国焼き肉のレストランに入ろうと思っていたが、なんとも今日は休みであった。
今日からソンクラン、タイ正月で一般の商店など休みになるところは多いのだけれど、ホテルの食堂まで休むというのは珍しい気がする。
焼き肉レストランで韓国風の豚の三枚肉などを焼いてビールでも飲もうかと思ったが、休みなら仕方がない。
近所にはコリアンタウンなどもあり、焼肉屋などたくさんあるが、わざわざ食べに行くほど肉好きではない。
中華街へ出て、タイスキのテキサスに行く。
テキサスはソンクラン中でも営業していた。
あれは新婚旅行の時だったか、はっきり覚えていないが、テキサスが改装する前、妻とテキサスへ行ったことがある。
満席で、場末の、それもトイレの入り口にテーブルをしつらえてもらって、タイスキを食べた。
当時は今のような電磁鍋ではなく、テーブルの下にプロパンガスのボンベが置かれていた。

<hr>
4月14日 金曜日

午前中はホテルのプールで泳ぐ。
マンハッタンホテルのプールは3階にあるということだったが、不思議な作りで、3階の廊下を突き当りまで歩いていくと非常口に突き当たる。
この非常口から出て、非常階段を下まで降りたところにプールがある。
つまり実際のプールは1階なのだが、3階からしかアクセスできない。

マンハッタンホテルのプール
[プールまでのアクセスはよくないが、たどり着けばトロピカルムード]

プールは大きくないが、深かった。
深さが2.5メートルもある。
深いプールは大好きである。
なぜ好きかははっきりわからないけど、たぶん深いプールだと、プールの中でビーチボール遊びをしたりする人がいないからかもしれない。
泳ぐ人も少ない。
つまり、プールを独り占めできる。

水深2.5メートル
[2.5メートルの深さがある]

プールサイドには刺青の日本人男性がデッキチェアに休んでいる。
日本のプールだと、「刺青お断り」などと虐げられているのだろうけど、ここでは背中のアートを太陽の下にさらしている。
まぁ、日本でも、タイでも、歓迎されない筋の職業なのだろうけど、仕事を離れてバンコクで休暇を楽しまれている限りにおいては、刺青の有無など問わなくても良いのだろう。
古いホテルだけ立って、プールの周りの木々の茂みも豊かで、中途半端なコンクリートだらけのプールよりずっといい。

日本語の文庫本多数
[日本人が多いからか、それとも日本人が本好きだからか、プール入り口には日本語の文庫本が沢山おかれていた]

昼にチェックアウトをしてホテルを移る。
こんど泊まるホテルはアトランタホテル。
マンハッタンと言い、アトランタと言い、バンコクにはアメリカの地名を冠したホテルが多い気がする。
フロリダホテルやマイアミホテルもあって、
ホテルカリフォルニアなんてのもバンコクにはあるらしい。
で、このアトランタホテルは私が学生時代にバンコクでの定宿にしていたホテル。
当時は、ほんとうに古くてぼろいホテルだった。
値段も安かったが、プールがあるのが魅力的だった。
その後調べてみると、開業は1952年。
バンコクで初めてのプールがあるホテルだったらしい。

アトランタホテル
[アトランタホテルの入り口]

ホテルのことは別のブログにも書いたので、重複してしまうが、
少し上位の部屋を予約したこともあるが、現在も古くてぼろいホテルには変わりないが、宿泊料はずいぶんと高くなっている。
昨晩までのマンハッタンよりも高い。
部屋にはエアコンこそあるが、冷蔵庫もなければ、飲料水もポットもない。
つまりゲストハウス並みである。
タイル張りのクラシックな小さな浴槽はある。
ただし、お湯の出が悪くお湯をためるのに時間がかかる。
小さなタイル張りの浴槽と言えば、これも昔、妻と二人で調布飛行場から小さな飛行機に乗り伊豆大島へ行ったときに泊まった宿の浴槽もタイル張りの小さな浴槽だった。
年取った番頭さんが「かわいらしいお風呂ですよ」と案内してくれたが、結局大浴場の温泉をつかって、この内風呂は使わなかった気がする。

古いプールだけれど、プールの周りはなかなか良かった。
デッキチェアだけでなく、ハンモックもあり、プールも十分に深い。
飛び込みができるように、プールの端には築山風の崖まである。
古いだけあって、木立の緑も深い。

トロピカルなプールサイド
[植物たちが繁茂するプールサイド]

プールの北側に古びた建物がある。
プールに面して窓が開いており、なんだかお化け屋敷のような印象も受ける。
まったくの廃屋なのだろうかと思っていたら、夜になったらその窓に明かりがついた。
アトランタホテル内のあちこちに古い写真を飾っており、その中にもこのお化け屋敷が写っていた。
それも、お化け屋敷としてではなく、ホテルの建物としてである。
どうも開業当初はお化け屋敷側がホテルの客室棟だったようだ。
つまり、プールに面して開かれている窓は当時バンコクで唯一のプールビューの部屋だったのだろう。
そのプールビューだった部屋も現在は従業員部屋なのか倉庫なのかわからないが、宿泊者を収容する施設ではなくなっているようだ。

最古のプールビュールーム
[バンコクで最古のプールビュールーム]

では、現在の宿泊棟は何なのだろうか。
たぶん、新館と言う位置づけだったのかもしれない。
30年前に宿泊した当時に感じた印象は、ホテルと言うよりコンドミニアムのような感じだった。
バスルームにはバスタブもあるが、汚れきっていて、しかもお湯を貯める栓がない。
それどころか、お湯などそもそも出ずに、水だけだった。
それは安い部屋だったからかもしれない。

夕食はホテル内の食堂で食べる。
洋食とタイ料理ができる。
インテリアは1950年代のアメリカを舞台にした映画に出てきそうな町の食堂と言った感じ。
注文した料理はコルドンブルー。
チーズ入りカツレツのことである。
料理の出来栄えは、今一つであった。
カツレツを揚げるのにムラがあり、衣が真っ黒に焦げている部分もある。
しかし、盛り付けはよく、カツレツは大きく、添えてあるフレンチフライもたっぷり。
マナオの汁をたっぷりと振りかけて、ビールと一緒にいただく。

アトランタレストラン
[食堂は1950年代風]

つづく

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結婚25周年旅行 ②
4月10日 月曜日

夜明けととともに起き出してジョギングに出かける。
サムイ島は起伏の多い島で、島を一周する幹線道路もかなり急な坂道が多い。
ふだんバンコクで平坦な道ばかり走っているので、坂道になるとすぐに息切れしてしまう。
心臓も「もう限界」と悲鳴を上げるが、委細構わず強引に走り続ける。
心臓は「ムリ、ムリ」と叫び、足の筋肉たちも共同戦線を張って、「そこらで休みませんか」と囁きかける。

昔と違い、サムイ島も車が増えた。
こんな早朝から車やバイクがたくさん行きかう。
以前なら、と言っても30年も前だけれど、島で走る車と言ったらソンテウと言う乗り合いピックアップトラックくらいだった。
当時は今のようなフェリーもなくて、こんなトラックをどうやって島まで運び込んだのだろうかと不思議に思っていた、。
当時からバイクはよく走っていた。
観光客もレンタルでよく利用していた。
ガソリンはタイ・ウイスキーの空瓶に入れたものが道端で売られていた。
これは現在も島のあちこちで見かけるが、ちゃんとしたガソリンスタンドも今はある。

サムイ島の日の出
[サムイ島の日の出]

走っているうちに日の出を迎えた。
もう少し眺望の良いところで日の出を拝みたかったが、この道路少しばかり海岸から離れている。
さらに、海岸はどこも「ここはプライベートビーチ、私有地だから入るなよ」と威嚇するように看板が立っている。
看板だけでなく、鉄条網で囲われてたりもする。
タイの海浜観光地は大体どこへ行ってもこんな感じになってしまっている。
プライベートビーチなんて言ったって、ビーチのコマ切れみたいなもので、たとえプライベートでないとしても、広々と長く伸びるビーチの方が価値があると思う。

道端の広告看板にヘンテコリンなマッサージの看板があちこちにあるのを発見。
日本語で「ヌルマッサージ」と書かれており、日本語だけでなく英語も、中国語も、タイ語も、ハングルまで添えられている。
しかし、ヌルの意味がよくわからない。
英語も、タイ語も、ハングルまで「日本式Nuru」となっている。
そして目尻の切れ上がった東洋系の女性が小さな日傘をさして振り返っている絵が付いている。
服装は着物風。
で、その着物がツンツルテン、いやツンツルテンなんて甘いものではなく超ミニ。
実態は何かわからないけど、なんだかいかがわしいマッサージのような印象を受ける。
この看板がやたらとたくさん立てられている。

いい加減走って、ラマイビーチの入り口で引き返す。
ホテルの部屋に戻って、バルコニーのお風呂に飛び込む。
昨晩もここでお風呂をしたのだが、朝の光の中での入浴は、また格別。
さらに差し入れ物モノのスパークリングワインもいただく。
これは一世一代の贅沢な時間を過ごしているような気分になる。

贅沢な朝風呂
[バルコニーの大きな露天風呂でスパークリングワインを飲みながらの入浴]

朝食会場もやはり中国からの宿泊客が多い。
朝食はバイキングなのだが、中国人好みのラインナップがそろっている。
タイの寸詰まりのパートンコーではなく、物差しのように長い油条、茶葉玉子など、、
いつもなら中国風の食材を好んで選ぶところだけれど、なんだか食傷気味。
それに中国式に長くて大きい油条も、本場のものと大違いで、なんだかパートンコーを長くしただけのような食感。
それでも洋風のものなど、美味しそうなものはたくさんあり、朝から食べ過ぎてしまう。

茶葉玉子
[いつもなら茶葉玉子を食べたくなるところだけど、中国的なものに食傷ぎみなのでオムレツ注文]

海で泳ぐ、プールで泳ぐ、デッキチェアで昼寝する、文庫本を読む。
昼食の代わりに一昨日ドライブ途中で買い込んだマンゴーを食べる。
せっかく車でサムイ島まで来ているのにホテルから一歩も外へ出ようとしない。
海で泳ぐと岩礁の周りに小魚がいる。
小魚と言ってもイワシくらいのからアジくらいのまでいる。
いままで何度となくサムイの海で泳いできていたけど、魚たちにあったのは初めての気がする。
たぶん、今まではゴーグルを着けずに泳いでいたので海の中が見えなかっただろう。
小魚を追いかけて泳ぐが、追いつかない。

デッキチェア
[このデッキチェアで一日の大半を過ごす]

午後遅く、部屋に戻ってみると昨晩差し入れにもらったケーキが消え失せている。
まだほとんど口をつけておらず、テーブルに置いたままにしておいたのだが、どうやらハウスキーピングが捨ててしまったらしい。
うーむ、残念と言うか、勝手に処分しないでほしいというか、こんなのってありなのだろうか。
いや、テーブルの食べかけにアリがたかってはいけないと気を利かせてくれたのだろうか。

プール越しに海
[ホテルには二つのプール、下のプールは真水で、上のプールは塩水]

夕刻になり、妻が「日焼けが痛い」と言う。
見れば火傷かと思うほどに皮膚が赤紫色に変色している。
私もなんどか日に焼け過ぎて痛い目にあっているので、なるべく早めに対処してやりたいと思い、サムイ島内にあるバンコク病院へ連れていく。
もともと日焼けであるから、これと言った治療法があるわけではないだろうけど、診察まで時間がかかった割に診察結果は「日焼け」。
処方は「アロエクリームの塗りこみ」だけ。
他にどうしろと言えるものでもないけれど、なんだかそれだけっていった感じだった。
現代医学をもってしても、日焼けが簡単に治せる処方はまだないらしい。

夕食はホテル内のレストランで食べる。
タイ・ヘリテージ・ブッフェディナーと書かれており、ソフトドリンクも飲み放題とのこと。
しかし、内容としては期待外れでもあった。
タイ各地の料理を何種類ずつか並べただけで、品数が全然少ない。
それに、東北部や北部の料理もあるにはあるが、主食であるはずのモチ米はない。
味付けもよく言えば外国人向けにマイルド、実態はピンボケ。
それだからか、せっかくのブッフェであっても、ブッフェを食べている人があんまりいない。
それとソフトドリンクの飲み放題も無意味で、あるものはコーラとファンタなどの炭酸飲料のみ。
私たちは水を注文。

月夜
[椰子の葉陰から月光]

<hr>

4月11日 火曜日

また朝のジョギングに出かける。
今日はまた長距離のドライブがあり、あまりバテてしまってもいけないと、昨日より少しジョギングで走る距離を縮める。
途中に展望台のような場所があり、波打ち際の岩場まで階段もある。

展望台から波打ち際近くまで階段を下る
[展望台から波打ち際近くまで階段を下る]

その岩場へ降りたらば、カニがたくさんいた。
カニは用心深い性格のようで、ちょっとでも近づくとすぐに岩の割れ目などに隠れこんでしまう。
波しぶきを浴びても全然動じないくせに、人の足音には敏感なようだ。

磯のカニ
[岩の上でカニが泡を吹いてる]

昨日と同じく朝食をすまし、出発までの間しばし海で泳いでみる。
波打ち際には、ゴミも多いし、プラスチックやガラスの破片なんかもあって、歩くのはあまり気持ちよくない。
なるべく沖の方へ出て、泳いだり、プカプカと浮かんでたりする。
サムイ島も開発と言う名のもとに、俗化してしまったし、私の思い出の中にあった美しかった島とは別の島になってしまったようだ。
またいつか来ることもあるかもしれないけど、もう思い出を手繰り寄せるようにして訪れることはやめた方が良さそうだ。

静かな朝のビーチ
[静かな朝のビーチ]

10時前にチェックアウトをして港へ向かう。
途中、小雨が降ったりする。
30分ほどで港に到着。
しかし、私はフェリーの出発時刻を勘違いしていたようだ。
12時出港だと思っていたけれど、私が予約していたのは13時の便であった。
窓口に、変更を頼んでみたけれど、まるで相手にしてもらえなかった。
しかたなく、待合室のベンチに座って文庫本を読む。
外は雨が降ったり、止んだり。

車も一緒に海を渡る
[フェリーにはめいっぱい車を乗せる]

帰りのフェリーは「りつりん丸」ではなかった。
どこかの中古船なのだろうけど、どこにも日本語の表示はないし、船の程度も悪い。
座席も中古のバスから外したリサイクル品のようだ。
そして、ちっともエアコンが効いていない。
蒸し暑い。

白い航跡
[空は青く、海も青いが、少し緑がかっている、航跡は白く光る]

本土側のドンサク港には2時半過ぎに到着。
ここから今晩の宿泊地プラチュアップキリカンまでは400キロ以上ある。
やっぱり、もう一便早いフェリーで上陸しておきたかった。

スラタニ市内を迂回するバイパスで道路工事をしていて、ちょっと渋滞気味。
それに信号待ちも多かった。
しかし、そのあとは渋滞することもなく、信号もほとんどないので、普段よりスピードを出して、国道4号線を北上する。
ヤシ畑、ゴム林の続くハイウェイは単調で、ポットに詰めてきたコーヒーをすすりながら走る。
チュンポンを過ぎると太陽がミャンマー国境の山へ沈んでいき、あとは夜道。

プラチュアップキリカンに到着したのは夜8時を回ってしまっていた。
今夜の宿は、ハートトーンホテルと言う海に面した古い大きなホテル。
もう、ホテルと言うより旅社と言った感じの宿であったが、部屋はオーシャンフロント。
目の前に夜の海が広がっているし、海の上には漁火を灯した漁船が並んでいる。

プラチュアップも月夜
[ホテルの部屋から月夜に広がる海が見える]

夕食にはお気に入りのイタリア料理屋へ行きピザとグリーンサラダを食べる。
ピザはクリスピーで美味しいのだが、グリーンサラダはずばりグリーンサラダで、大きな皿に新鮮野菜が山盛り。
そして、ドレッシングなんてかかっていない。
タイはサラダにやたらとドレッシングをかけてしまうし、そのドレッシングは決まってやたらと甘ったるく、サラダを食べてもすっきりしない。
が、ここのサラダはドレッシングなんてそもそも付いていない。
サラダを小皿にとりわけ、オリーブオイルとワインビネガーを適当に振りかけるだけ。
これが美味しい。
ピザとの相性もいい。
ビールもうまい。

日焼け痕が痛々しい
[日焼け痕が痛々しいが、ピザは美味い]

つづく

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