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2018年最初の一時帰国
1月6日 土曜日

バンコクにいて、しかもいつも通り会社とアパートの往復ばかりしていると、正月を迎えて年が改まったような気分にはさっぱりならない。
生活で変化の起伏がほとんどなく、マンネリ化しているからだろうけれど、このブログもマンネリそのもの。
今回もまた中華航空に乗っての一時帰国の話。

いつもの通り朝6時すぎにアパートを出て空港へ向かう。
先月と同様にまだこの時間だと夜が明けきっておらず、空は紫色をしている。

留守番ネコ
[ネコは5日間の留守番 5日分のキャットフード]

先月の一時帰国のことを書いた中で、2つほど中華航空のことで私の認識不足による勘違いがあったことを今回発見する。

ひとつめは、バンコク空港のラウンジにはお粥がなかったように書いてしまったが、実はちゃんとあったようである。
今回もラウンジで朝食を食べているときに、白米の上にエビが載った茶碗が並んでいた。
前回は、エビではなく茹でた豚挽き肉だったわけだが、これを私は「白いご飯の上に豚挽き肉が載ったもので、お粥でもなかった」と書いてしまったが、お粥であった。
今回係員にエビの入ったご飯茶碗を示したらば、茶碗にスープをかけてくれた。
ご飯も普通の白米ではなく、茹でてあって、かなり柔らかい。
これにまたネギや香菜を刻んだものを散らして食べるわけで、粥と言うより、緩めのお茶漬けのようなものだった。

海老のお粥
[お粥と言うより海老のお茶漬け サラサラと食べられます]

もう一つは、バンコクから台北への機内食で、「サイドメニューはいつも同じで、ソムタムのようなサラダが付いてくる」と書いたが、これも毎回同じソムタムではないようで、今回はヤム風のサラダになっていた。

その機内食だけど、今回は魚餡かけフライご飯のようなものをいただいた。
ちょっとタイ式中華風の味付け。
今回もまるで指定席かのように8Dというシート番号。
足は延ばせて快適だし、しかも4人掛けのシートに私しかいない。
機内食もテーブル2つを使って、食べられるので、快適で気分がいい。

タイ風中華の魚フライご飯
[前菜はヤム、機内食らしい機内食と言った感じ]

前回と違っているのは食べ物のことだけではなく、機内音楽プログラムも番組が変わっていた。
「日本ゴールド」というちょっと古い日本の歌謡曲を集めたプログラムで、前回は師走と言うのにサマーソング特集をしていて、ちぐはぐだと感じたのだけれど、やはり新年早々内容を編集しなおしたようだ。
どんな曲が入っているのかは聞いてみなくてはわからない。
曲目リストがあるわけではなく、ただ番組冒頭のアナウンスで1970年代から昨年までのヒット曲で、今回は「テレビドラマの主題歌やCMソングからのナンバーをお送りします」と言っている。
なんとなく嫌な予感がしたけれど、最初から最後まで2時間にわたってイヤホンを耳に差し込み続けていた。
そして、予感的中でキャンディーズの曲は含まれていなかった。
それに、もともとテレビなどほとんど見てきていないので、どの曲も聞き覚えのない曲ばかりだった。

台北までは意外と距離があるのか、音楽プログラムを聴き終わってもまだ時間が余っているので、映画を見ることにした。
洋画は言葉がわからないし、西洋人の俳優は、顔の区別がつかないのでストーリーがチンプンカンプンになる。
しかし、日本の映画も見たくなるようなものはない。
代わりに見つけたのは韓国映画の「軍艦島」。
韓国で昨年あたり騒いでいた映画だし、どんなものか見てみようと思った。
ストーリーは単純で、半島出身徴用工たちの軍艦島からの脱出と言うもので、見る前から結末が分っているというか、韓国のお定まりの娯楽映画であった。

韓国の独立は、他の植民地が独立闘争のなかから勝ち取ったものであるのに対して、日本の敗戦によって与えられた独立であったことが、こんな映画をヒットさせるのだろう。
こうしたフィクションを作り続けることで、やがてそれが史実であったかのように信じ込ませてしまうのだろう。
実際に植民地化にあった人たちが、いなくなってきて、フィクションを史実化させやすくなっているのだろう。
特に、勝ち取った独立と言う民族史の輝きがない分、どんなフィクションでも伝説になりえてしまうのだろう。
そして、民衆はそんな伝説を渇望しているから、映画がヒットしたのではないだろうか。

映画はやはり2時間ほどで、台北での乗り継ぎをしたあとも見続けることになった。

台北のラウンジで、今回食べたヌードルは「芝麻醤麺」という台湾風ゴマダレうどん。
砂糖でも入っているのかゴマダレは少し甘みがある。
私は子供のころ、ゴマ味噌うどんが好きだった。
胡麻を擂粉木ですって、味噌を混ぜたものわ冷たいうどんに絡めて食べるもので、上にシソや大葉の刻んだのを散らしたりすると、大変に香ばしくて、夏などは冷やし中華より好きだった。
この芝麻醤麺も素材が似てはいるが、風味は全く異なっている。
味噌は入っていないようで、なんとなく胡麻ドレッシングにも似ている感じがした。
うどんも冷たくなく、湯切りしてあるが、アツアツのままである。

芝麻醤麺
[芝麻醤麺 初めて台湾に来た時にも食べた気がする あれはゴマダレがドロドロで麺もボソボソで食べつけなかった]

桃園空港の壁に、故宮博物院収蔵絵画の複製が飾られていた。
ただし、そのコレクションは「故宮酉年大吉画鶏名品特展」となっている。
おやおや、今年は戌年で、酉年は去年だったはず。
こういう縁起物は、きちんと変えておく方が良さそうなものだけど、どうしたのだろうか。

故宮酉年大吉画鶏名品特展
[台湾の人は干支とか縁起物に敏感だと思うけど、どうしたんだろう]

縁起物と言えば、もう一つ搭乗口の近くに、「おみくじマシーン」が置かれてあった。
バンコクでもコインを入れるとおみくじが出てくるような機械をたまに見かけるし、
バンコクでは巫女さんではなく、ルシーと言う仙人がおみくじを運んで来てたように思う。
ここのおみくじは巫女さんタイプ。
台湾や中国にも巫女さんがいるのか知らないが、とにかく中国の時代劇に出てきそうな衣装を着けた人形が奥の方からおみくじを引いて運んで来てくれる。
コイン(お賽銭)は不要でボタンを押すだけ。

おみくじマシーン台湾版
[おみくじマシーン台湾版 台湾のお寺や廟でもおみくじは引けるけど、こんな巫女さん姿は見かけたことがない]

大吉であった。
書かれていることは、大変に縁起が良い。
しかし、ここで疑問も沸いてきた。
このおみくじの中に凶や大凶もあるのだろうか。
おみくじで縁起でもないことでも書かれていたら、これから飛行機に乗るのを躊躇ってしまうのではないだろうか。

六十甲子霊籤 凡事大吉
[六十甲子霊籤 凡事大吉 あまりにも出来過ぎな感じです]

台北から成田への飛行機は満席であった。
私が勝手に自分の指定席だなんて思っている8Dのシートではなく、27Dと言う席。
この席も、前が椅子ではなく、壁になっていて足元が広いが、後方に位置している。
そして、私の隣にも、またその隣にも人が座っている。
そのため、豚丼のような機内食を食べるときも、肘を寄せて食べなくてはならない。

機内食は豚丼風
[できれば、生姜焼き風の味付けにしてほしかった]

成田空港へは少し遅れて到着。
荷物を受け取るまではスムースだったけれど、税関に長い行列ができている。
バンコクの空港も台北の空港も、最近は税関検査は抜き打ち検査だけのようで、税関はほとんどフリーパスのようになっているが、日本の空港は税関検査もしっかりしているらしい。

ぎりぎりと言った感じで東京シャトルの切符売場へ。
すぐのバスに乗りたかったのだけれど、満席で20分後のバスと案内される。
そんなに待つなら、成田シャトルのバスにしようかと思いかけたところ、
「有楽町行きで良ければ10分後にありますよ」
と言うことで、有楽町行きの切符を買う。

この有楽町行きはまだ知られていないのか、まったくガラガラ。
有楽町と言っても、東京駅の鍛冶橋駐車場のことらしい。
バスが動き出したら、第一ターミナルにも立ち寄らずそのまま高速道路へ入っていった。
空いているバスで、すぐの発車だから、早めに帰れるかと喜んでいたのだけれど、京葉道経由で首都高は神田橋で降りた。
それから皇居前を通って、日比谷から数寄屋橋交差点とぐるりと回りこんだので、いつもの東京駅日本橋側へ行くのよりも時間がかかった。できるならば終点まで乗らずに、途中の大手町あたりで降ろしてもらいたかった。

有楽町シャトル
[車内はガラガラ 車いす用の乗降口まで付けている身障者対応のバスらしいけど、鍛冶橋は駅から遠くて、あんまり便利でない気がする]




1月7日 日曜日

いつも通り自転車で墓参りを済ませてしまうと、私はもう別に東京にいても何もやることがない。
息子は年末からヨーロッパへ旅行に行っているそうだ。
また先月部屋の蛍光灯が切れたので電気屋を呼んで交換してもらったとのこと。
出張費込みで一万数千円だったそうで、蛍光灯くらいのことでと、ちょっとげんなりする。

夕方から銭湯へ。
今日も夕焼け空のもとでの富士山が眺められた。
明日あたりから天気が崩れるそうだけど、今日は風が強いながらも、日差しは暖かかった。
そして、銭湯の湯は今日も熱めではあったけれど、入って入れないほどではなかった。

銭湯へ行く途中の富士山
[喜多の湯の壁の絵は、銭湯で一般的な駿河湾からの富士山ではない]




1月8日 月曜日

午前中に市内の柳窪地区へ行ってみる。
この柳窪地区は、昔の集落の面影を残している場所で、大きな木に囲まれた農家があり、曲がりくねった道の両脇は生垣になっているような場所で、トトロの舞台にも共通する景色が見られる。

生垣に囲まれた道
[戦前から昭和30年代くらいの風景がまだ残されている 散策に良さそうだけど、新しい住宅やモーテルなんかも周辺にはあったりもする]

この地区には一軒だけだが、茅葺屋根の家屋が残っているそうで、その家屋は江戸時代に建てられたものだと昨日銭湯に置かれていた広報誌に書かれていた。
柳窪は子供のころから知っていて、ずいぶんと田舎に来たような感じがするところだったが、そんな古い家屋があるとは知らなかった。
行けばわかるだろうと思っていたが、柳窪も結構広くて、探すのに苦労した。
やっと由来が書かれた立て札の立つ立派な門まで来たのだけれど、茅葺の家屋は生垣の奥の方にあって、表からはほとんど見えない。
それに今でも人が住んでいる民家であるから、勝手に覗き込むこともできない。

立派な門構
[成金趣味ではない、本当の旧家の門構と言った感じがする]

有形文化財平野家住宅
[有形文化財平野家住宅の案内板]

垣根越しに拝見
[市内に残る唯一の茅葺家屋を垣根越しに覗かせていただく]

午後に少し雨が降ったが、小雨であったので、傘を持って散歩に出かける。
前沢から落合川に沿って歩く。
このあたりも以前は田舎道、畑の中の曲がりくねった細い道だったが、新しい道ができていたり、住宅が建て込んだりして、景観がずいぶんと変わっている。
落合川沿いは遊歩道も整備され、生活排水も流れ込まなくなったからだろうか、以前よりもずいぶんときれいな河川となっている。
ひょうたん池は子供のころ見たときにはもう少し大きかったように思えたが、窪地から泉が湧き出ている小さな池だった。
この池には金魚だったか、コイだったかわからないが赤い魚が泳いでいたような気がする。
夏だったかに、喉が渇いて、この池の水を飲んだが、生ぬるく、なんだかまずい水だなと思った記憶がある。

現在のひょうたん池
[この池の水を飲んだ後でお腹を壊したかどうかは記憶がない]

現在の落合川
[昔より落合川の環境は格段によくなっているようだ 昔はドブ川みたいだったけど、今は清流と呼べそうだ]

神明神社は昔よりもずっとさびれてしまったようだ。
杉木立もなんだか寂しそうに見える。
この神社はこのあたりの子供の遊び場であったけれど、いまでも近くには都営住宅があるようだけれど、子供たちの姿は見かけなかった。

神明神社
[ひっそりとしており、社殿の奥に宮司さんが住んでいるのか一匹の老犬が飼われていた]

神明神社から、神明幼稚園へも、昔は畑道で、梅雨時にはカタツムリを捕まえて、幼稚園の帰り道でイチゴの空パックに入れて連れ帰った思い出がある。
また、連れ帰ったと言えば、ニオと名付けた拾いネコも幼稚園の近くからだった。
いまバンコクにいるネコと同じ黒ネコで、首の裏側(のど)だけが白かった。

幼稚園から、旧市役所前を通る。
旧市役所の建物はすでになく、通りの向かい側にあった市川建設の建物も見当たらなくなった。
残っているのは、農協の建物だけ。
旧市役所前の通りと小金井街道は、東久留米のメインストリートだったけれど、新しい道ができて影がうすなっているようだ。

小金井街道を南に下り、第一小学校を過ぎて、落合川を越えて少しのところにお地蔵さんがあった。
お地蔵さんがあることは昔から知っていたが、案内板が付いていることは知らなかった。
その案内によると、18世紀に作られたそうで、江戸道と大山道の分岐点になっていたとある。
江戸道はたぶん所沢街道のことで、大山道は府中街道ではないかと思うのだが、そうすると現在とは位置関係がズレていることになる。
この近くのバス停の名前が、いまでも「前沢宿」となっていて、江戸時代には宿場があったそうだから、何世紀も前とは街道の位置も変わってくるのだろう。

三叉路のお地蔵さん
[ちゃんとお堂にお住いのちょっと大きめのお地蔵さんです]

お地蔵さんの由来
[散策していると郷土史を訪ねているような楽しみがある]

夜遅くなって、長男がヨーロッパから帰ってきた。




1月9日 火曜日

昨日のぐずついた天気も、今朝は曇りがちながら雨は上がっている。
近所の「わくわく健康プラザ」と言うところに郷土資料室のようなものがあるらしいので、そこへ行ってみる。
わくわく健康プラザは以前の滝山小学校が廃校となり、その建物を再利用した施設のようだ。
滝山小学校のすぐ近くには第九小学校があり、私はそこに通っていた。
当時は大型団地ができ、建売住宅も増えて、子育て世代のニューファミリーがどんどん引っ越してきていた時代で、学校の校舎が足りずに、私が四年生の時はプレハブ教室だった。
それが、つい数百メートル先に新設校ができ、そちらの小学校へ移っていく生徒がたくさんあって、プレハブから解放された。
また、校舎も増築され三階建ての教室から、良く晴れた日に富士山が眺められた。

郷土資料室には縄文時代の遺跡から出土した土器などの展示から、古い写真パネルなどが展示されていた。
小学生の頃は、市内の丘に貝塚があり、縄目模様の付いた土器の破片などを拾うことができた。
写真パネルは昭和30年代くらいからのものが多く、解説のいているのもあれば、解説がなく、ただ古い市内の写真だなと感じるだけのものもあった。
そんな解説のない写真の一枚に、見覚えのある景色が映っていた。
写真の左手にお茶屋さん、通りを挟んで日立の電気屋さんと、その前に止まっているオート三輪。
そして、その手前にははっきりしないが二階建ての建物と階段。
この二階建ての建物はきっと「かねよしマーケット」ではないかと思われる。
味噌樽が並んだり、野菜や魚、雑貨などを売る市場のような店が入った施設で、当時の買い物は大体ここへ畑の中の道を抜けてきていたものだ。
土の道には、ハンミョウの幼虫がいる穴が開いており、母はそれをニラムシと教えてくれた。
穴の中に、ニラの葉っぱを突っ込むと、幼虫が葉っぱにかみつき、釣り上げることができるとのことだったが、釣れた記憶は一度もない。
そんな道をマーケットで買ったトマトやハム、QBBのベビーチーズなどをおやつ代わりに食べながら、弟を乗せた乳母車を押して歩いたものだ。
そんな記憶が沸きあがってきた。

昼食には少し遅くなったが、妻と商店街の中の寿司屋に入った。
すでにランチタイムは過ぎているところだったが、ニギリ15貫の上寿司を注文。
店の名前は、「すし小島」となっている。
むかしからこの商店街のこの場所には寿司屋が入っていたが、当時の名前は「寿司金」。
寿司は出前で注文することはあっても、この商店街の寿司屋に食べに来るのは何十年ぶりだろうか。
小学生のころ、留守番を言いつけられて、昼ご飯を何か適当に済ませるようにと財布を渡された。
そして、食べ行ったのが当時の寿司金で、小学生の子供二人がフラりと寿司屋に入ってきたものだから、店の奥さんはてっきり子供が出前の注文を伝えに来たものと思ったようだった。
テーブル席で食べたのは、ノリタマと呼ばれる玉子のニギリと巻物のセットだった。
今の店の女性店員さんに「ここは元の寿司金さんですか?」と尋ねたが、知らないようだった。
現在の店は、商店街向かいにある鮮魚店の経営で、ネタは値段の割に良かった。

長男が生まれたばかりのころ、当時住んでいた近くに和可菜と言う寿司屋さんがあって、ときどき三人で食べに行った。
おかみさんが気を配ってくれて、2階にある畳敷きの部屋へ通してくれたものだった。
夕方からラビットスクーターに乗って、あの寿司屋はどうなったかと見に行ったが、「和可菜」と看板はそのままだったけれど、もう長いこと店を閉めている様子だった。
その先の交差点の角に立つ酒屋もコインランドリーになっていた。

夕食はスーパーで惣菜類を買って、間に合わせる。
合鴨ロース、マグロの切り落とし、クリームコロッケ、鮭汁、、
酒は「ひがしくるめ」という名前の純米酒。
メーカーは隣町に酒造蔵のある豊島酒造。
なんとなく、居酒屋のテーブルを囲んでいるようになった。

純米酒ひがしくるめ
[地酒と言うわけではないけど、なんとなく郷土愛から選んでしまう]

酒造元は隣町の豊島酒造
[酒造元は金冠で知られる東村山の豊島酒造]




1月10日 水曜日

バンコクへ戻る日。
今朝も一番に小平霊園へ墓参り。
空はよく晴れていて、今回は飛行機のまどから富士山がばっちり見えるだろうと期待が沸いてくる。

朝から快晴
[関東地方の冬の朝は透明感のある青空が広がっている]

いつものように東京シャトル11時40分のバスに乗って成田空港へ。
一時間ほどで空港に到着し、チェックインカウンターへ。
カウンターにはほとんど並んでいる人がいない。
いつもなら台湾からの団体客などで長い列ができているのだけど、台湾から日本へ団体客が来るときの便は、つまり私が乗ってきたような便は、正月を台湾で過ごした日本人が多くて満席だったから、台湾からの団体客が相対的に少なくなったためだろう。
成田のラウンジのメニューはこの二年ほど全然変わっていないように感じる。
毎日食べに来ているわけではないから、メニューが同じでも構わないけど、多少は変化があった方が楽しいかと思う。

今日の中華航空の台北行きはジャンボではなくてボーイング777。
ジャンボの二階席みたいに豪華でゆったりと言うわけにはいかないけど、他の区間のエアバスと違ってプレミアエコノミーの席が付いていて、ジャンボの二階席同様にエコノミーのチケットでもそのまま座れてしまう。
席は30Kで、プレミアエコノミー右舷側最前列窓側。
足元は広いし、シートはゆったりしている。
隣のシートは空席のまま。
とてもお得感がある。
それに窓の外は晴れているので、富士山がばっちりのハズ。

少し遅れて離陸。
搭乗率は半分にも満たないだろうか、団体客の姿はあまり見られない。
お待ちかねの富士山だけれど、どうした訳だか、頂上部分にだけ雲がかかっている。
前回は雲海の中から頭だけ出していたのと反対になっている。
やっぱり富士山は頂上を拝みたいのでちょっと残念。

雲の帽子をかぶった富士山
[なぜか頂上だけが雲の帽子で隠れてしまっている]

機内食の焼き鳥ご飯を食べたらば、台北まで昼寝をしていく。
ジェット気流は風速400キロに近い向かい風、そのためか飛行機の対地速度は600キロにも満たない。
これでは時間もかかるし、燃料も余計に食うだろうなと思る。

焼き鳥ご飯
[焼き鳥は照り焼き風になっていた 最近デザートは最中が続いているようだ]

桃園空港到着後、いつものように南崁の町に出て市場とスーパー巡り。
市場では台湾うどん一斤とワンタンを1パック購入。
飛行機が遅れて、来るのが遅かったのか、市場のおばさんはもう店じまいの準備を始めるところだった。

南崁の市場
[7時半にはそろそろ店じまいを始めるようだ]

いつもはバス停に近いカールフールへ立ち寄るのだけれど、少し探検しようと住宅街の方まで足を伸ばしてみる。
超高級マンションのような建物があったりして、どんな人が住んでいるのだろうかと思う。
南崁の市場とはアンバランスな気もするが、南崁には市場だけではなく、私は立ち入っても興味もないような高級ショッピングモールもあるので、この町の住人は二層化しているのかもしれない。

そんなマンションの並びに、頂好超級市場スーパーがあったので覗いてみる。
台北市内の頂好スーパーは品ぞろえも価格も良かったので、なにか良い冷凍食品でもないかと覗いてみたが、台北の店と比べると規模も小さく、これはと思えるようなものがなかった。
次に、もう少し庶民的な住宅街の方へ歩いて行ったら、全聯福利中心と言うスーパーがあった。
こちらは先ほどの頂好スーパーと大体規模は同じくらいだったけれど、冷凍食品コーナーが充実しており、冷凍餃子を二袋購入する。

全聯福利中心
[全聯福利中心と言うスーパーはなんとなく日本の生協のような感じだった]

さらにいつもの八方雲集の餃子チェーンで翌日の弁当用に餃子を15粒注文。
弁当用なので、招牌鍋貼の焼き餃子を注文したつもりが、伝票の書き間違えで水餃子を頼んでしまったようだ。
水餃子も美味しいのだが、時間がたつと皮がくっつきあってしまう懸念があり弁当には向かないと思っていたが、さすが持ち帰り注文に慣れているのか、水餃子をパックに詰める際に、スプレーで油を吹きかけている。
これなら皮同士がくっつくこともないだろう。

バンコク行きの飛行機は深夜11時過ぎの出発。
南崁から空港に戻って、ラウンジでパイナップルを食べようと思っていたが、果物はオレンジとグアバそれにミニトマトしかない。

果物と野菜のバー
[パイナップルがラインナップに入っていない]

ちょっとがっかりしたが、念のためにラウンジの女性スタッフに「パイナップルが食べたいのだけれど」と言ってみたら、厨房の奥へ確認に行ってくれた。
「等一下」と言われて、ビールを飲みながら待っていたら、お皿に山盛りのパイナップルを持ってきてくれた。
これには感動してしまった。
やっぱり台湾のパイナップルは美味しい。
それにこうして希望がかなってうれしい。

感動のパイナップル
[皿に山盛りでパイナップルを切ってもらった]

久しぶりに牛肉麺も注文してみる。
従来食べていたものと比べると、麺の量が半分くらいに減ったような気がする。
私は牛肉よりも麺とスープが好きなのだけれど、普通の人は牛肉を好むのだろうから仕方がない。
それに台湾でも炭水化物ダイエットがはやっているのかもしれない。
ダイエットはブームだけど、その効果はあまり出ていないのか、メタボの人がラウンジ内には多いようだ。

バンコク行きの飛行機も少し遅れが出ているらしい。
搭乗予定時間が少し繰り下がっている。
バンコク到着予定時刻が午前二時なので、あんまり遅れてほしくない。

搭乗ゲートを通過する際に呼び止められる。
シートチェンジとのことだ。
いつもの指定席8Dが消されて、5Dと書き換えられる。
「ビックシートチェンジOK?」と聞かれる。
つまりビジネスクラスのシートへ変更らしい。
シートの変更だけで、サービスはエコノミーのままかと思ったら、ちゃんとウェルカムドリンクから始まるビジネスのサービスをしてくれた。
機内は別に満席と言うわけでもなく、私の指定席8Dは赤ん坊用のカウチ対応席で、カウチが必要なお客さんがいたのかもしれない。
どっちにしても私にとってはラッキーである。

ビジネスクラスへアップグレード
[エアバスのビジネスだけど、座り心地はいいし、斜めながらフラットにもなる快適です]

隣の席は空席のままだし、ワインも美味しい、
しかし、空腹ではないので機内食はあんまり食べたくないけど、食べなきゃもったいないという意地汚さからシーフードを注文してしまう。

これが大失敗で、食後はぐっすり寝ていくつもりだったが、シーフードには大量のニンニクが入っており、ニンニクアレルギーの私は食後間もなくトイレへ駈け込むことになった。
しかもバンコク着陸までにトイレへ3回も往復してしまった。

シーフードの機内食
[大量のニンニクがシーフードには入っていたようです 以後シーフードの注文には気を付けたいと思います]

バンコクへも30分ほど遅れて到着。
入国審査場は大混雑していたが、機内でファーストトラックの優先クーポンをもらったので、わけなく別ゲートを通過できた。
そしてまたトイレへ。

アパートにたどり着いたら、午前3時半。
ネコのトイレをきれいにしてやったり、エサを補充したり、冷凍餃子を冷蔵庫に入れたりして、床に入ったのは4時半過ぎになってしまった。

おしまい

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