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2017年夏の台湾温泉旅行 2日目
7月15日 土曜日

今回の台湾旅行の主目的は、明日の遠東航空墜落紀念堂への参拝であり、廬山温泉で「これだけはやっておきたい」といった計画は立てていなかった。

快晴
[ネットで調べた天気予報は毎日「雨マーク」だったが、この青空]

それが昨日、廬山園ホテルの宿泊料が手頃だったので、2泊することにしたため、今日は一日廬山地区にいることになった。
さて、何をするか、、、。
前回まで二回続けて合歓山越えをしてきたが、峠越えだけで合歓山の頂上には立っていないから、合歓山までバスで行って、ちょこっと山頂までハイキングしようか?
今頃はシャクナゲが見られるんではないだろうか?
なんてことも考えたが、バスの時間を調べてみると合歓山での滞在時間はそれほど長くない。
しからば、これは前回、奥地の静観部落まで歩いた時に、道の途中で能高山越えの別れ道を見かけて、学生時代に能高山を越えて花蓮まで抜けたことを思い出して、感慨にふけった。
「できるならばもう一度挑戦してみたい」と思い続けている。
もちろん、一日や二日で行ってこれるルートではないし、どうやら能高山を越えた花蓮県側では歩ける道がなくなっている感じだ。
しかも、このルートは以前から花蓮側からの送電線の保線管理のための作業路になっていたのだけれど、その送電線も最近役目を終えて廃止になったらしい。
そうなると、ますます道がどうなっているのか怪しいものである。
一方、南投県側は登山路としてその後整備されているようだ。
Google Mapではストリートビューまでできるほどだ。
日帰りでどこまで行けるかわからないが、現在は屯原登山口と言うところまで車が走れる道ができているらしい。
廬山温泉の先の廬山部落まではバスも走っており、その廬山部落から屯原登山口まで距離にして9キロ、Google Mapでは徒歩3時間と出てくる。
往復で18キロほど。
ちょうど良さそうなので、この計画を採用する。

犬の同伴ができる宿らしい
[廬山園ホテルはイヌと一緒に宿泊できるらしい]

お粥と饅頭の朝食をたっぷり食べ、8時50分のバスで廬山部落へ向かう。
温泉から部落まで歩けない距離ではないけれど、歩けば1時間半はかかる。
バスに乗ることで朝食をのんびり食べられる。

9時15分にはバスの終点である廬山の小学校前に到着。
この小学校の少し先には警察の駐在所があり、昔はここの検問を入山許可書なしでは通れなかった。
その入山許可も簡単には手に入らないため、学生の時は夜明け前の夜陰に紛れて抜けたものであった。
しかし、いまはかつてのような「山地管制区」はなくなり出入りも自由。
堂々と駐在所の前を通れるのだが、Googleの地図をよくみると、廬山小学校の裏を拭けて茶畑の中の道を通った方がずっと近道であることを発見し、駐在所の前を通らずに小学校脇の民家の軒先を抜けて進んだ。

蘆山部落のバス折り返し場
[廬山部落のバス折り返し場の前には教会がある]

急傾斜の斜面にお茶が栽培されている。
以前はもっと大々的にお茶を栽培していて、農作業に従事している人たちが道端で昼食をとっているのを見かけたことがある。
そのおかずにはお茶の葉っぱを煮しめた様なものを食べていた。

急な斜面は茶畑
[廬山部落周辺では急斜面で今でもお茶の栽培が盛んにおこなわれている]

30年前に能高越をしたときは、廬山の部落を抜けたところで軽トラックに拾ってもらって、茶畑の中の道を荷台で揺られた。あのときはどのあたりまで乗せてもらったのかはっきりしないが、作業場へと]向かう別れ道のところで降ろしてもらったような気がする。

青空と白ゆり
[急斜面には白いユリの花も咲いている]

30分も歩くと茶畑はなくなり、森の中に続く道となる。
ちゃんと舗装もされており、ときどき車も行き来する。
道の脇には塩ビのパイプが走っている。
沢の水を集めて農地へ送るための送水パイプのようだ。

送水管からの水漏れ
[道端の送水管から勢いよく沢水が漏れだしている]

一時間少々歩くと、勾配がきつくなった。
九十九折れの道は舗装こそされているが、道幅はだいぶ狭くなり、また路面も荒れ始めた。
私の運動靴は靴底が薄く、そしてかなりすり減っているので、砂利や石ころを踏むと足の裏がとても痛い。
今回の旅行前に新しい運動靴を買おうかどうか迷っているうちに、時間切れとなってそのまま出発してしまったことが少し悔やまれる。

蘆山部落が遠くに見える
[1時間も歩いたら廬山部落も遠くになった]

台湾中央山脈の分水嶺
[台湾中央山脈の分水嶺が見える]

道端には朱色の山つつじがあちこちで咲いている。
山つつじだけではなく、黄色と黒のしま模様になったヘビもいた。
それほど大きなヘビではないが、私に驚いたのか、茂みの奥へ逃げ込もうとするのだが、茂みも崖のように急な斜面になっており、足も手もないので踏ん張りがきかず、ずるずると滑って登りにくそうにしていた。

山つつじ
[曲がりくねった道のあちこちで山つつじが朱色に咲いていた]

Google Mapでは片道3時間となっていたが、2時間半くらいで屯原登山口までたどり着けるだろうと考えていた。
廬山から温泉への戻りのバスは午後2時40分発なので、ちょうど12時ぐらいまでに屯原登山口へたどり着けば御の字という計画であった。
しかし、歩き始めてもうすぐ2時間と言うところで、急に前方にハイカーの集団が見えてきた。
さらに近づいてみると、もう屯原登山口に来てしまっていた。

屯原登山口
[歩き始めて2時間ほどで当初の目的地である屯原登山口に到達]

折り返し予定時刻は12時にしていたから、まだ40分はある。
せっかくここまで来たのだから、少しだけでも能高越えの登山道を歩きたくなった。
2キロくらい歩けるだろう。

能高越えルート
[能高越え登山ルートマップ]

土曜日と言うこともあってハイカーが何パーティーも来ている。
登山道として整備され、一般に開放されたからなのだろうけど、30年前とは大違いだ。
あの時は、途中誰にも出会うことはなかった。
唯一、天池の山小屋に入っていたら、山地管制区警備の若い兵隊さんにあったくらいだ。
山地への侵入が禁止されている当時、戒厳令も敷かれており、違反者は共匪の疑いがかけられかねない状況下、あの兵隊たちは私たちを咎めることもしなかった。
それに部隊へ帰って上官には報告しなかったのだろうか?

最初の山崩れ箇所
[登山道の先は崖崩れになっている]

細い登山道を歩き出してすぐに大規模な土砂崩れの箇所に出くわした。
もともと吊り橋がかかっていたようなのだが、吊り橋も見事に破壊されていた。
そのガラガラと崩れてきそうな斜面にも、登山道は続いている。
そう、確かに昔もあちこちで崖が崩壊していたり、斜面が谷底まで抉れている箇所があった。

断崖に貼りつくような登山道
[断崖に貼りつくような登山道]

支柱だけ残る落ちた吊り橋
[支柱だけ残る落ちた吊り橋 ]

既に電力の送電は廃止されたことになっている送電線もまだ残っており、あんまり大きくはないがところどころに鉄塔が立っている。
30年前、遭難しかけながらなんとかたどり着いた磐石保線所の管理人に、この送電施設を建設する際の苦労話を聴いたことがある。
山の人たちは、重さが100キロ近い資材を担いで山を登って、鉄塔を建設していったそうだ。
写真も見せてもらったが、背負い紐は肩にかけるのではなく、額にかけるスタイル。
そんな苦労をして建設された設備も役目が終わって廃止になるとは、歳月の流れに哀惜を感じる。

送電鉄塔
[送電線の鉄塔に沿って登山道は続いている]

何人かのハイカーと言葉を交わす。
みんな今晩は天池の山小屋に泊まるらしい。
私も行ってみたい。
30年前はドス黒い木造官舎のような建物だったが、近代的な山小屋になっているらしい。
天池までは登山口から13キロほど、この時間からの日帰りは無理だろう。
行ってみたいけど、今回は諦めざるを得ない。

大崩落現場
[壮大な規模で山が崩れている]

12時までの40分だけ歩こうと思っていたが、もう少しだけ、もうちょっと先までと、予定時刻過ぎても歩き続けたら、時刻は12時20分になってしまった。
登山口から3キロくらい奥へ入ったことになるだろうか?

沢に架かる橋
[沢には橋も架かっている]

戦前は尾上と呼ばれたところの近くで、駐在所があった場所。
昭和5年の霧社事件当時、現在の温泉のあるたありマヘボ部落で原住民側が蜂起したのが午前4時半、そして廬山部落にあったボアルン駐在所が襲撃されたのが午前6時、トンバラ駐在所は午前8時、そして尾上駐在所は正午頃に襲撃され焼失したと当時の総督府理蕃課長の森田俊介氏の著書に記されている。
それぞれの襲撃に際しては攻防がありながら、廬山部落からここまで4時間で到達していることになっている。
さらにその先の能高駐在所、現在の天池は3時間後に襲撃されている。

能高山
[能高山の雄姿が間近に望める]

廬山部落からここまで距離にして12キロほど、私はどこかで攻防戦に巻き込まれることもなく、お気楽に3時間かけて登って来たわけだが、廬山から温泉へ戻る最終バスの出発まであと2時間少々しかない。
下り坂とは言え、足場の悪い崖に張り付いたような個所や土砂崩れの箇所もある。
脚力にはまったく自信はないが、ここは韋駄天のように山を駆け下りなくてはならなさそうだ。

小さな崖崩れ
[登山道は整備されているが、あちこちで大小の崖崩れがある]

屯原登山口まで戻り、この先は車の走れる道になり、小走りで駆け下りることができそうに思えた。
荷物はショルダーバッグひとつと身軽だけれど、下り坂を駆け出すと、筋肉が弱いためブレーキが効かない。
九十九折れのコーナーなど曲がり切れなくなってしまう。
下り坂でジョギングは不可能と判断して、速足で山を下る。

ここから路面がよくなる
[九十九折れを抜けると道の舗装状態が良くなる]

途中で、山から下って来る車に「乗せてくよ」と何度か声をかけられたが、バスの時間は気になるものの、私は自分の足で戻りたかったので、遠慮させてもらった。
廬山部落まであと2キロほどのところから茶畑になった。
そして、別れ道がある。
30年前に軽トラックに便乗させてもらったのはこのあたりまでだったのではないだろうかと思う。

製茶作業場への分かれ道
[製茶作業場への別れ道]

このあたりのバスは運転手の気分次第で、予定時刻より少し早めに出発してしまうことがよくある。
だいたいお客が誰も乗っていないなんてことが当たり前みたいな環境なので、バスの運転手もまさかバスに乗り遅れまいとスタコラと山を駆け下りてくる私など想像もつかないだろう。
そのため、できれば出発10前には部落へたどり着きたい。
茶畑の中をクネクネと下り坂が続ているるが、クネクネなんてまどろっこしい。
急傾斜であるが茶畑の中を突っ切りショートカットする。
よくできたもので、茶畑のある急な斜面には農作業用に、古タイヤを重ねて作った階段があった。
これが実に都合が良い。
ゴムタイヤなので滑らないし、弾力があるので、すり減った靴底でも痛くない。

部落の軒先を抜ける道
[部落の軒先をくぐるように集落内の道をバス乗り場へ急ぐ]

バス折り返し場には、2時半にたどり着くことに成功。
まだ、バスは発車していなかった。
間に合ったお祝いに雑貨屋で缶ビールを買う。
キリンビールの"BAR BEER"と言うブランド。
どうもこのあたりではやたらと人気のブランドのようで、このあたりの道端に投げ捨てられているビールの空き缶はたいていがこの"BAR BEER"と言う黄色い缶であった。

BAR BEER
[このあたりで人気があるらしいキリンのBAR BEER、初めて飲んでみた]

味の方は、キリンラガーの苦みが効いた味と違い、ちょっともったりした感じの味であった。
ビールを飲み干したところでバスは出発。
予想通り乗客は私一人だけであった。

宿に戻って、プールでひと泳ぎ。
他に誰も泳いでいないので、さして大きくもないプールだけれど、貸切状態で悠々と泳げる。
そのうちに宿のイヌがプールサイドに遊びに来た。
イヌと一緒に泳ぎたかったが、ここのイヌは金槌なのか、イヌカキもできないようで、プールサイドから、ちょっと足を水に浸けるだけで。泳ごうとしない。

プールの後は大浴場で、のんびりと温泉に浸かる。
今日は週末と言うこともあり、この廬山園ホテルにもだいぶお客が入っているようで、大浴場手前のSPAと呼ばれる施設は賑わっていた。
SPAと言っても、水着を着て入る泡風呂や打たせ湯、寝湯があるくらいで、サウナの温度も60度ほどとかなり低い。
やっぱり、SPAなどより私には露天風呂風の温泉の方がいい。
それに、こちらは他に誰も入浴客がいないので静かだ。

温泉街の土産物屋に小米酒と呼ばれる粟酒を受け取りに行く。
山から戻った時に、土産物屋で小米酒を買い、夕食時に飲もうと思って、夕方まで冷蔵庫で冷やしてもらっていた。

夕暮れの温泉街
[黄昏時の廬山温泉街]

夕食は宿泊客が多いからか、大きなホールでの設営となっていた。
もっとも、食べるものは昨晩と同じような給食風のプレートに載せられている。
そのなかの川エビとピーナッツを揚げたものがやたらと美味しい。
小米酒もちょっと甘いけれど、ほど良い酸味もあり、どぶろく風でうまい。
キンキンに冷えているからグビグビと飲めてしまう。

食堂ホールはお客が多いので、ざわざわと騒がしいが、食器がぶつかる音や飛び交う中国語や台湾語にかき消されながらも、BGMではシャンソン風の古いフランス語の歌曲が静かに流れている。

温泉2晩目の夕食
[今晩の夕食 冷えた粟酒も旨い]

今夜の料理も豪華さはないけれど、家庭的な優しい味で、大変満足する。
デザートには黄色いスイカをひと切れいただき、満腹となる。
台湾の人たち、お酒好きな人が多いはずだけれど、私のように飲みながら食事をしているお客はほとんどいなかった。

夕食後も温泉に浸る。
こんどは一人先客がいた。
どうも宿泊客ではなく、日帰り入浴のようで、リュックサックが棚に置かれていた。
山にでも登ってきて、ひと風呂浴びて家路につくつもりなのかも知れない。

小米酒はしばらくたってから酔いが回ってくる感じで、温泉に浸かっていたらいい気分になってきた。
そして、こんどは外からカラオケが聞こえてくる。
聞き覚えのある懐メロ風の伴奏。
ちょっと甲高い発声ながら、歌詞も日本語。
「しみーずぅ、みーなとのぉ、めいーぶーつーはー、、、」
清水の次郎長、旅姿3人男ではないか。
21世紀の台湾でも、まだこんな歌をカラオケで歌う人がいるのだなぁと感動してしまった。

廬山温泉のカラオケと言えば、碧華荘の主人夫妻に誘われて、温泉場内にある警光山荘のカラオケに行ったことがある。
奥さんに一緒に歌いましょうとマイクを押し付けられたが、奥さんの選曲はフランク永井の「有楽町で逢いましょう」。
私はマイクを握っただけでほとんど歌えなかった。

部屋に戻ってテレビをつけたら、これまたちょっと古い時代劇ドラマ「暴れん坊将軍」をやっていた。
白い馬にまたがった松平健の若いこと!

昭和生まれには、このタイムスリップしたような台湾が面白くて仕方がない。

旧警光山荘の前で見かけたネコ
[旧警光山荘前にはネコがいた やたらすり寄ってきたが捨てネコだろうか?]

つづく

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