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続・タイガーエア台湾で格安台湾旅行
6月10日 日曜日

このところ薬の副作用によるアレルギーで体がかゆくてよく眠れない日が続いていたけれど、昨晩はずいぶんとぐっすり眠れた。

6時前に起きだして、宿の周辺をウロウロしてみる。
今朝も青空が見える。

6月9日の朝
[廬山園の中庭より、今朝もいい天気]

この廬山園の朝食時間は通常7時過ぎからだけれど、今朝は団体客がいるからか、6時半前には朝食会場がオープンしていた。
この30分の差は大きい。
6時半に朝食を食べられれば、7時5分に廬山温泉を出るバスに乗れる。
このバスに乗れば、途中でバスを乗り継ぎながら合歓山へ日帰りすることができる。

今回は滞在時間も短いし、体力的にも、自力で山の中を長距離歩き回る自信がないが、バスで合歓山まで行くことができれば、周辺をトレッキングすることができる。
この合歓山までは何度か行ったが、今までは合歓山が目的ではなく、花蓮側へ向かうために通過したに過ぎず、合歓山周辺をゆっくり歩いてきていない。
この機会にきょうは合歓山へ行くことにしよう。

団体客と一緒なので朝食はバイキングスタイル。
テーブルは昨晩と同じで丸テーブルにひとりでポツンと座ることになるが、料理は台湾風のものからトーストまで食べ放題。
料理の味も良い。
朝からガッツリと胃の中へ詰め込む。

廬山園宴会場での朝食風景
[団体客と一緒の朝食会場]

7時にはバス停に行き、バスに乗り込む。
バスの乗客は私一人。
出発予定時間よりも少し早めにバスは動き出す。

合歓山へ行くバスは清境農場の国民賓館を8時半に出るので、このまま霧社まで行ってしまうと少し待ち時間が長くなってしまう。
そこで春陽村で途中下車し、山道を登って仁愛国民中学校前に出て、そこから国民賓館に向かうバスに乗り換えることにする。
温泉から春陽村までのバス代23元。

春陽村のバス停
[春陽村のバス停、乗ってきたバスは小型のマイクロバス]

部落の急な坂道を登り、春陽国民小学校のグランドを突きって、山道を進む。
途中で路面が崩れて車両通行止めの箇所があったけれど、歩いて通り抜けることはできた。

春陽国民小学校
[春陽国民小学校は警察派出所の隣、戦前からこんな位置関係だったんだろう]

仁愛国民中学校から先のバスは8時過ぎに来ることになっているので、その間にコンビニに立ち寄ってICプリペイドカードへリチャージをしておく。

仁愛国民中学校前のコンビニ
[仁愛国民中学前のファミリーマートの駐車場は団体バスも止まれるほど広い]

国民賓館方面へのバスは翠峰行きで、観光バスのような大型バスであった。
お客は三分の一も乗っていないのではないようだ。
日曜日なので、もう少し乗車率が良くても良さそうな気もする。
合歓山行きのバスも翠峰を通るので、このバスに乗って終点の翠峰まで行き乗り換えても良さそうだけれど、合歓山行きのバスはマイクロバスなので、途中から乗り込もうとして満員だったらつまらないので、始発の国民賓館から乗り込むことにする。
仁愛国民中学校から国民賓館まで23元。

国民賓館のバス停にはすでに何人かが合歓山行きのバスを待っていた。
バス停で並んで待っているが、山を登って行く車が多い。
みんなイイ車ばかり。
台湾の人は自家用車にお金をかける傾向があるようだ。

国民賓館のバス停
[国民賓館前バス停で合歓山行きバスを待つ人たち]

8時半、合歓山行きのマイクロバスがやってくる。
ここが始発だと思っていたが、すでに乗り込んでいる人が沢山あったので、始発はもっと手前にあったのかもしれない。
私がこのバス停から乗り込んだ最後で、私が乗ったら空席がなくなった。

きょうは天気に恵まれたので、バスの窓から見える景色もなかなかだ。
この山岳道路を自転車で登ってくるグループも多い。
大型バイクのエンジン音を轟かせて来るグループもいる。
そして、なんと空気だって薄いだろうに、軽快なランニングで山を駆け登っている女性までいた。
私もジョギングはするが、歩くのだって大変なこの山道を走って登られるとは、まったく尊敬してしまう。

東西横貫公路霧社支線
[翠峰を過ぎると右手に仁愛郷の集落郡が下のほうに見える]

昆陽から武嶺にかけては、私がいつも感動する景色。
バスの車窓から眺めるだけではなく、途中下車して歩いてみたくなる。
女性的でなめらかに笹に覆われた山肌に一本線を引いたように伸びる道路。
しかし、周辺の山は筋肉質で荒々しい岩肌を見せている。

昆陽-武嶺
[昆陽-武嶺はこの路線のハイライトのような景色]

この道路の最高地点である武嶺は標高3275メートル。
観光客が沢山集まって記念写真を撮りあっている。
武嶺からは下り坂となり、バスに乗ること約1時間ほどで終点の合歓山到着。
国民賓館から合歓山までのバス代83元。

合歓山のバス停
[バスの後ろに見えるのがレストハウス]

標高自体は武嶺の方が高いが、合歓山には広い駐車場やレストハウスなどの施設が充実している。
さらに手軽なトレッキングコースが用意されている。
南投県と花蓮県の県境でもあり、松雪楼というホテルもある。
このホテルには泊まったら、朝日や夕日などすばらしい景色を楽しめそうだけれど、いつも「本日満室」の札がかかっている。

この合歓山レストハウスのすぐ裏に、聳えているのが合歓尖山。
山頂までまっすぐに山の峰に沿って登山道がついており、歩く距離はたいしたことがなさそうに見える。

合歓尖山登山道
[頂上はすぐそこに見えるが道はなかなか厳しい]

登山道はゴツゴツした岩がむき出しになっているが、ちゃんと階段状に足場が用意されており、急斜面だけれども歩きやすい。
ちいさな青い花が咲いている。
リンドウのようだ、
紫外線の関係かもしれないが、青い色がやたらと鮮やかだ。

阿里山リンドウ
[阿里山リンドウという種類らしい]

途中一箇所鎖を使ってよじ登るようなところもあったりするし、とにかく見晴らしが良い峰を急角度で登っていくので、景色の展開も面白い。ぐんぐんと高度も稼げて、振り向くたびに登り口のレストハウスがどんどん小さくなっていく。

合歓山レストハウス
[合歓山レストハウスが小さくなっていく]

合歓尖山の山頂は3,217メートルで登り始めて10分ほどで到達してしまった。
景色は良いし、楽しい山登りだったけど、たった10分ほどだとやはりどうにも物足りない。

合歓尖山頂
[合歓尖山の頂上]

奇莱峰の雄姿を拝みたいところだけれど、あいにく雲がかかって、山頂部は見えない。
それでも山腹部分のゴツゴツと岩がむき出しの山肌からは迫力が感じられる。
とても私なんかには登れそうにない山だけれど、惹きつけられるものがある。

奇莱峰
[合歓尖山から見た奇莱峰、残念ながら半分雲に隠れている]

レストハウスや駐車場のある場所まで戻ってきて、午前10時。
合歓山からの戻りのバスは一日3便。
09:45/12:15/15:35となっている。
最終の3時過ぎのバスまで滞在すればずいぶんと歩き回れそうだけれど、このバスだと乗継が悪くて廬山温泉に戻るのが6時半になってしまう。
6時半でも夕食時間に間に合うけれど、ゆっくり温泉に入っている余裕がない。
消去法で12時15分のバスに乗ろうと思う。
それまであと2時間。

山岳解説図
[見えている山々はいずれも三千メートル以上の大物ぞろい]

地図を見ると松雪楼の裏にもハイキングコースがあり、合歡山東峰へ登れるらしい。
距離も片道1キロほどと、これもあっという間に往復できそうな気がする。

松雪楼
[松雪楼は今日も満室]

合歓尖山へのコースはとても急な上りであったけれど、この合歡山東峰へのコースも先ほどではないにしても急な登坂路の連続。
それでも、ゴツゴツの岩むき出しの峰を歩くのと違って、笹に覆われて斜面を登るので、トレッキングの感じがする。

合歓東峰へのトレッキングコース
[松雪楼の裏から合歓山東峰へ]

歩き始めて30分ほどで崩れかかった廃墟があった。説明板もあり、その廃墟は民国74年(1985年)以前にはスキーリフト乗り場(降り場)として使われていたものが、自然災害で壊れてしまったそうだ。

スキーリフトの残骸

後で調べてみると「日本が統治していた時代に作られたリフト設備跡」と紹介しているページもあるが、戦前からこの中央山脈で雪が降ることは知られていたがスキーリフトがあったという話は聞いたことがない。
もしリフト施設のあるスキー場などがあったとしたら、当時の絵葉書や写真などで紹介されて、ネットでも出てきそうなものだが、日本統治時代にスキーリフトがあったとは考えにくい。
しかも、日本本土ですらスキー場にリフトが設置され始めたのは戦後であるらしい。
中華民国滑雪滑草協会のホームページを調べてみたら、ここのスキーリフトは民国55年(1966年)に400メートルのゲレンデとともにオープンしたらしい。

合歓山スキー場
[なるほど雪が降ればスキーには最適なスロープ]

45分ほどで山頂近くまで登ってこれた。
合歓山東峰の頂上そのものは狭く、それでいて沢山の人が集まっているので、頂上は後回しとして、さらに先まで歩き進んでみる。

合歓山東峰山頂付近
[山頂部には沢山の人]

シャクナゲが咲いている。
以前バスの中から見た山の斜面にシャクナゲが咲いている風景が印象的で、あのときのシャクナゲは白い花で、もっと大きかったような気がするが、いま目の前に咲いているシャクナゲは薄いピンク色をしている。

しゃくなげ
[このシャクナゲは薄いピンク色]

この合歓山東峰がこのあたりでは一番高い場所になるのか360度の展望がある。
これだけの山岳風景は日本でもなかなか見られないのではないだろうか。
それに標高が3,400メートルを越える場所だって、日本なら富士山くらいだろう。

合歓山東峰からのパノラマ
[おにぎりでも持ってきてここで食べたらおいしそう]

山の背中
[このあたりの山の峰は尖っている]

周辺を一巡してから合歓7山東峰の頂上へ向かう。
まだ高校生グループの一団が記念撮影中であったが、彼らが退散するのを待って私も頂上で記念撮影をする。
合歓山東峰の標高3,421メートル。
ずいぶん高いところへ登ってきたものだけど、でも実際には自分の足で登ったのは200メートル少々くらいなのだろう。

合歓山東峰山頂
[合歓山東峰山頂]

高山植物はさっぱりわからないけど、小さくてかわいい花が咲いている。
花の色はとても鮮やかに見えるし、下界のように雑草が繁茂しているわけでもないから、まるで作り物ではないかと思えてしまうほどだ。

道端に咲く小さな花

黄色い花

高山植物だけではなく、やはり下界ではお目にかかったことのないような赤い鳥も見かけた。
あまり人を恐れないのか、すぐ近くまで寄っても飛び立ったりしなかった。

赤い鳥

下りは上りよりも視界が開けて見えるので、より一層気持ちがいい。
そして、らくらくと下れるので、30分ほどで松雪楼まで降りてきてしまった。

合歓山東峰からのトレッキングコース
[下りでは周辺の展望が開けている]

気温は15.3度で半袖では少し肌寒いくらいの温度だけど、日差しがあるので日焼けしてしまった。
また、気圧も696.2ヘクトパスカルで下界より30%も低いけれど、航空性歯痛は発症しなかった。

レストハウスの電光掲示
[レストハウスの電光掲示板]

12時15分のバスで山を下りる。
ほぼ満席に近いくらいだったけれど、立つ人はいなかった。
下るにしたがって霧が出てきた。
しかし、雨になることもなく、清境農場が近づいて来たら霧が晴れた。
青青草原で途中下車する。
合歓山から青青草原までのバス代74元。

霧
[途中霧が深かったが、青青草原まで来たら霧が晴れた]

まだ時刻は1時。
時間も早いので、少し歩いて春陽村まで行ってみることにする。
歩くのならば車の往来が多い省道ではなく、清境農場の中を歩いたほうが気持ちがいいのだけれど、清境農場に入ると200元の入場料がかかるので節約。
こんなところでケチする人は台湾にはいないようで、国民賓館から青青草原へ向かう路線バスは頻繁に満員の乗客を乗せて上って来る。
みんな国民賓館に車を止めて、バスで青青草原へ登り、清境農場の中の歩道でまた国民賓館まで下るのだろう。

清境農場の綿羊
[清境農場では牧羊犬のショーをやっているらしい]

しばらく道を下っていくと、清境高空景観歩道なるものの入り口があった。
以前にネットニュースに記事掲載されていた高架式の歩道で、樹木に邪魔されずに、また車の往来もなく景色を楽しみながら歩けるという観光施設で、1.2キロの長さがある。
ただし、これも有料で通行料は一人50元。
当然ながら私は清境高空景観歩道を利用しなかった。

歩いているうちに日差しが気になってきた。
そういえば、宿を出るときには帽子を持ってきたはず。
どうもはっきりしないがバスの中に置き忘れてきたような気がする。

清境農場
[清境農場はもともと退役軍人の就労先として開発された それ以前の日本統治時代は「見晴らし」と呼ばれ牛が飼われていた]

国民賓館の駐車場を見回したらば、合歓山への往復をしていたマイクロバスも止まっていた。
マイクロバスなので窓から車内を覗ける。
私の帽子は往路、合歓山へ向かうときに座っていたシートの下に落ちているのが見えた。
しかし、運転手は乗っておらず、乗降口も鍵がかかっていて開かない。
待てばそのうちに運転手も戻ってくるだろうけれど、待っている時間ももったいない。
しかし、運の良いことにということに、運転席横のドアは施錠されておらず、ドアを引いたら簡単に開いた。
なんとなく車上荒しと疑われそうだけど、運転席から乗り込んで、急いで帽子を引っ掴んで、何食わぬ顔してバスから離れた。

国民賓館はホテルではあるけれど、ホテル以外にもここ清境農場の中心的施設で飲食店やコンビになどの商業施設もある。
昼食時間も過ぎているので何か食べようかとも思ったが、観光地っぽい店ばかりで、いまひとつ食べたいという気にならず、ちょっと覗いただけで外へ出た。

国民賓館の商業施設前
[商業施設前には黒い犬が寝ていた]

国民賓館から春陽村へ歩いていくのに、省道ではなく、翠湖歩道というのを歩いてみることにする。
翠湖歩道へは国民賓館の中の茶園歩道というのを歩いていけばつながっているように案内地図には書かれていた。
しかし、その茶園歩道を歩いてもどうもうまく翠湖歩道へたどり着けず、国民賓館の周辺をぐるりと回っただけで、また商業施設へ戻ってきてしまった。

翠湖歩道の案内板
[この地図はデフォルメされすぎているようだ]

仕方なく、省道を少し山の方へ戻り、栄光巷という道を歩くことにする。
どうもこの栄光巷という道が翠湖歩道ということだったようなのだが、歩道ではなく車も走る狭い舗装道路であった。

栄光巷を歩き始めてしばらくすると雨が降り出してきた。
折りたたみ傘をさして栄光巷を下る。
ところどころに栄光巷の湾曲部分をショートカットするような歩道がついており、その畑の中の道を歩く。
雨の中の花畑もなかなか詩情があってきれいではあるが、傘をさしてもぬれるくらいの雨で、畑の中の小径を歩くと、茂った植物が集めた水滴をズボンでぬぐって歩くような状態になってしまう。

雨の中の花畑
[雨に霞む花畑も見ているだけならきれいでいい]

雨脚はどんどんと強くなってくる。
急な斜面の道はもう川のようになっている。
靴はずぶぬれ。
畑の中の小径などまるで沢くだりのような感じになっている。

雨
[雨脚はどんどん強くなってくる]

栄光巷から再び省道に出て歩く。
舗装された省道も、路面には雨水が走っている。
それを車が跳ね上げながら横を走っていくので、道の端を歩く私は水しぶきにさらされないように走りすぎる車に向けて傘を差さなくてはならない。
そのうちに折りたたみ傘の柄が折れてしまい、傘として役に立たなくなってしまった。

かばんの中から100円ショップで売っているような安直なビニール合羽を取り出して被る。
もう惨憺たる状況である。

仁愛国民中学校手前から春陽村へショートカットする山道に入る。
下り坂はますます急になり、路面はまるで激流のように雨水が暴れながら流れ下っている。
道が崩れて道路工事中だった箇所は、崩れた場所がさらに拡大し、崖下へまるで滝のように路面を流れ下ってきた激流が流れ落ちていっていた。

雨のため、歩くのにもいつもより時間がかかり、春陽村を午後3時20分過ぎに通る温泉行きのバスに間に合わない懸念が出てきた。
雨が降りしきる急な坂道で小走りになる。

温泉行きのバスには間に合った。
水滴の垂れるビニール合羽を脱いでバスに乗り込む。
このバスも乗客は私一人だけ。
春陽村から温泉までのバス代23元。

バスの車内
[やっと乗り込んだバスの車内]

終点の廬山温泉で下車すると、雨はほとんど上がっていた。
時刻はまだ4時前。
廬山園のプールで少し泳いで、そのまま温泉に入る。
たいして山登りもしていないのに、なんだか足が筋肉痛のようだ。
最近の運動不足だったからだろうか。

入浴後、すっかり雨の上がっており、晩酌用に吊橋の向こうの雑貨屋へ紹興酒を買いに行く。
廬山園ホテルには紹興酒を置いていない。
缶ビールと知らない銘柄のウイスキーと漢字でラベルが書かれた葡萄酒くらいしかお酒は置いていない。
その代わり、外で紹興酒を買って持ち込んでも別に文句を言われるわけではない。

浴場の内庭
[浴場の内庭には松が植えられている]

何十年も前からそのままのような古い雑貨屋の棚で陳年紹興酒を探したが置いていなかった。
学生の頃もこの雑貨屋でよくお酒を買ったものだ。
当時の紹興酒は一本105元だった。
もう30年以上前のことだけど、当時の私には105元はちょっと高かった。
そこで、紹興酒よりもアルコール度数の高い「米酒頭」という米焼酎を買ったりしていた。
これだと飲み干すのに数日間はかかる。
埔里から温泉までのバス代が当時29元だったのが、現在は三倍以上の99元になっているから、紹興酒の価格上昇はバス代に比べたら緩やかなのかもしれない。
さて、陳年紹興酒は雑貨屋にはなかった。
店の人に陳年がほしいと伝えたら、もうラベルの色も変色しかかった紹興酒を棚の奥から取り出してきた。
陳年ではなく、普通の紹興酒だが、2016年2月の製造とラベルに製造年月日が印字されていた。
5年以上寝かせた紹興酒が陳年だが、2年以上売れ残った紹興酒も陳年の部類に入るのだろうか。
価格は180元であった。

2年もの紹興酒
[紹興酒のラベルの色も変色しかかっている]

夕食は昨晩とは違って団体客もおらず、数組が小さなテーブルに分かれて食べていた。
メニューは昨晩とは少し違い、蒸し鶏。きのこと竹の子の炒め煮、厚揚げの煮物、野菜炒め、中国ソーセージとポテトフライ、豚のスペアリブと苦瓜のスープ。

廬山園二泊目の夕食

スペアリブと苦瓜のスープ
[スープはあっさり味]

他の人のテーブルにはピーナッツと小エビの塩煎りが付いているが私にはない。
ここのピーナッツと小エビの塩煎りを私は特に気に入っているので、私もピーナッツと小エビの塩煎りを食べたいと訴えたところ気前よく小皿を持ってきてくれた。
これを紹興酒のツマミにすると最高なのである。

ピーナッツと小エビの塩煎り
[ピーナッツと小エビの塩煎りがやたらと美味しい]

夕食後、警光山荘前でネコを探す。
去年来たときには、ここにネコがいた。
人懐こいネコで、温泉客に自分から擦り寄っていくようなネコだった。
しかし、今回は見かけない。
どうしたのだろうか、誰かに拾われていったのなら良いのだけれど。

吊橋手前の以前碧華荘の入り口があった場所にはネコが何匹かいた。
昔も碧華荘の周辺にはネコが何匹かいついていた。
たぶんその末裔だと思うが、人懐こいのもいるし、人を怖がるのもいる。

旧碧華荘周辺のネコたち
[ここのネコはクリーム色したネコが多い]

警察の派出所横ではセミの幼虫が羽化しようと桜の木の幹に登ってきているのを見かけた。
はじめは黒い塊がセミの幼虫だとは思わず、クワガタのメスだと思って手でつまんだらば、グニュリと柔らかく、それでいて持ち重りがして、クワガタなんかではなくセミの幼虫だと気が付いた。
幼虫なら成虫にうかする瞬間を見てみたいとは思ったが、しばらく観察したが、羽化にはずいぶんと時間がかかるものらしく、幼虫は木の幹に掴まったままちっとも動かない。
観察は途中であきらめて、宿に戻り、またもう一度温泉に入って寝てしまう。

セミの幼虫

<HR>

6月11日 月曜日

朝6時前に起きだす。
昨晩のセミの幼虫はどうなったかと思って見に行ったら、もう羽化してどこかへ飛んで行ったようで、木の幹には抜け殻が残されていた。

セミの抜け殻
[無事に羽化できたらしい]

それから源泉のある温泉頭まで歩く。
別に温泉頭へ行っても何かあるわけではないし、源泉ブクブクが見られるわけでもなく、古びて朽ち果てかかった施設があるだけ、しかもまだ営業時間前という状態だけれど、廬山温泉に来たからには一度は足を運んでおかないとバチがあたるような気がして、毎度お参りしてしまう。

温泉頭
[奥に見える建物のあたりが源泉]

7時過ぎに朝食。
団体客がいないので、昨晩と同じように宴会場ではなく、「接待中心」と入り口に掲示された"和風舞月館"というエレベータ付き建物の1階にある食堂で食べる。
バイキングではなく、夕食と同じように給食風のプレート式。
煎り卵、キャベツ炒め、ピーナッツ、豚肉のデンブ、きゅうりの漬物と台湾の一般的朝食メニュー。
白粥と饅頭は好きなだけ食べられる。

朝食プレート
[朝食としては生野菜か果物がほしいところ]

8時40分のバスで下山するために、8時半には廬山温泉のバス乗り場へ到着。
万が一いつものとおり乗客がいないので、出発時刻前にバスが出てしまったら大変である。

旧天廬ホテル前
[急ぎ足でバス乗り場へ向かう]

今朝のバスも温泉から乗っているのは私一人であった。
そして、出発時刻の8時40分まであと2分ほどあるがバスは走り出した。
霧社までは左手にタロワン渓、ブカサン渓の深い谷が続き、雲が低く垂れ込めている。
温泉から埔里までのバス代99元。

雲龍橋からの車窓
[谷の底に雲がたまっているように見える]

霧社からはバスに乗り込んでくる乗客がある。
霧社から乗ってきたのは地元の人たちらしく、また年配者も多くて山の言葉をしゃべっている。

雨が降り始めた。
九十九折れの峠を下り、人止関を抜けて眉渓沿いに走って埔里のバスターミナルに9時45分に到着。
ちょうど良いタイミングで台中行きのバスに乗り継げる。
台中行きの乗客は街の人たちばかりで若い人もいる。
高速道路を順調に走ってぴったり1時間後の10時45分に台中へ到着。
埔里から台中までのバス代は124元。

バス車内に貼られた飲食禁止の張り紙
[車内での飲食禁止のはずがなぜか日本語では「食事なし」、さらにハングルでは"ダイエット禁止"]

台中で降ろされた場所は旧台中駅の南側。
以前と同じバスの下車専用バス停。
ここから旧台中駅前を突っ切って、台中駅北側の新しいバスターミナルまで歩く。
運よく降っていた雨も上がり、歩くのに支障はない。

台中駅の旧駅舎
[堂々とした赤レンガの台中駅旧駅舎]

桃園空港へのバスは11時31分発を予約してあるが、バスターミナルに到着して、一本前の11時01分発の便に変更してもらった。

空港行き統聯バスは台中市内を途中のバス停でお客を拾いながら朝馬まで30分くらいかけて走り、高速道路へ。
昨年歩いた三義の山が見えるあたりから、苗栗あたりまでは昔ながらの台湾の田園風景が続いたが、新竹が近づく頃には、もう台北近郊ではないかと思うような近代的な町並みが多くなった。

桃園空港行きの切符
[予約変更したらマジックで書き換えてくれた]

空港まで高速道路の渋滞もなく、午後1時半前には到着。
タイガーエアのチェックインも無事に終え、指定されたシート番号は10D。
昼食をまだ食べていないし、また機内食のサービスもないので空港内のコンビニ(ハイライフ)で維力のカップ麺でお気に入りの炸醤麺と台湾ビールのロング缶を買ってベンチで食べる。
ベンチにはベトナムあたりから来たのか外国人労働者の団体が集まっていた。
炸醤麺と台湾ビールで78元。

出国審査の手前の食品専門みやげ物店である新東陽で竹炭花生を買う。
やはり空港のみやげ物店だからかパッケージはきれいだけれど、250グラム入りの値段はちょっと高くて180元。
ちなみに今回買えなかったけれど埔里農會の竹炭花生は通販で売られているものを見ると同じ250グラムで95元となっている。

免税店で10年もの紹興酒十年窖蔵を買って帰ろうと思っていた。
しかし、注文をした際に行き先を聞かれ、バンコクと答えたところ、「タイ免税範囲はお酒1本までなので、この紹興酒は2本入りのセットなので持ち込めません」と販売を断られてしまった。
善意というか、余計なお世話というか、こちらの「陶器入りでしたら」大丈夫ですよと故宮博物院の収蔵物レプリカのような壺入りを勧められる。
これは私の方からお断りする。

バンコク・ドンムアン空港行きタイガーエア台湾IT505便の出発は30分遅れた。
そして帰りの機内もほぼ満席で、私の隣にもタイ人女性が座っていた。
やっぱり足元が狭くて、居住性が悪い。
そして、台湾滞在中は取り立てて気にもならなかったが、薬アレルギーによる身体の痒みが戻ってきてしまった。
この痒みも気分的なものと関係しているのかもしれない。

タイガーエア台湾の搭乗口
[出発は30分遅れの16:00になっていた]

ドンムアン空港の入国審査は、予想に反してガラガラで、すんなりと空港ターミナルの外へ出ることができた。

おわり

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