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10月から12月まで
前回の日記が10月の初めの部分で、それ以降ずっと更新していなかった。
怠慢もあるけど、日記を書いている余裕もなかった。
仕事も忙しかったし、仕事以外でもバタバタしていた。

前回書いたのが日本への一時帰国のことだったけれど、その後10月末から11月にかけてと、12月にも一時帰国をしており、一時帰国のことを日記に書くとしても、毎回同じようなことを書き連ねるマンネリの反復になるのは火を見るより明らか。

日本へ2往復しただけでなく、タイ国内も飛び回っていた。
広いタイ国内を「飛び回った」と言っても飛行機で移動していたわけではなく、車を運転したり夜行バスに揺られたりの、地上を這いまわっていたわけで、本当に疲れてヘトヘトになるような2か月間を過ごしていた。
そんなヘトヘトの日常の中から、私の衰えた記憶力ではもう思い出せなくなってしまった部分をスマホに残る写真から抜粋してみようと思う。

10月07日
バンコクからピサヌロークへ行く途中、チャイナート県とウタイタニ県に立ち寄る。
立ち寄った目的は、月内に予定しているオンライン・ツアーのリハーサルのため。
コロナ禍で日本からのツアーが止まってしまい、この穴埋めと言うか、旅行の延命みたいな形でオンラインツアーを担当してきたけれど、コロナが終わってもまだオンラインツアーは続いており、私もタイの宣伝みたいな感じで引き受けている。
10月はオンライン番組を2本担当しており、初めての中継場所のため下見を兼ねて訪れたのがチャイナート県のソムオー(ポメロ)農家とウタイタニ県のワットタースン。

ソムオー
[巨大なソムオー]

この巨大な柑橘がソムオーで、最近は日本にも輸出されてポメロと呼ばれているらしい。
ここの農家で栽培されている品種期はカーウテンクワーという種類で、日本語に訳すと"白いキュウリ"。
なんだか変な名前だし、なんでキュウリなのかわからない。
味は酸味がないのだけれど、全体的に味が薄い。
私の好みは酸っぱくても濃い方が好き。

100メートル礼拝堂
[100メートル礼拝堂]

ソムオー農家から続けて訪れたのがウタイタニ―県のワットタースン。
ここは"ガラスのお寺"などとも在タイの日本人に呼ばれているお寺で、礼拝堂内部はガラスと言うより鏡のお部屋。
そしてクリスタルだらけの空間が広がっている。
そんな煌びやかな礼拝堂だけど、巨大で建物の長さは100メートルもあるそうで、タイ語での名前も100メートル礼拝堂を意味する"ウィハーンローイメート"。
バンコクから日帰りのツアーを募集している旅行会社もあるようだ。

ワットタースーン
[黄金仏]

このお寺は先代国王であるラマ9世とも因縁の深い寺院らしく、黄金の仏像の前にはラマ9世が出家して僧籍にあった時の像が置かれている。
こちらもキンキラ金の像になっている。
また、黄金仏の反対側には先代の住職の像があり、さらにそのミイラも安置されている。
タイではミイラを礼拝堂に安置しているところが多いけれど、こんな暑い土地でどのような腐敗対策をしているのだろうか。


10月09日はカオコーへツアーで行っている。

五連仏
[ワットパーソーンゲーオの五連仏]

そろそろ雨期明けも近いけれど、まだ雲も厚い。
この雨雲も、見た感じそんなに悪くない。
でも雨期は雨が降ることが多く、ワットパーソーンゲーオ境内は靴を脱がなくてはならず、うっかり靴下をはいたままで歩くと水溜まりで靴下を濡らしてしまう。
もっとも私の靴は底に穴が空いているので、靴を履いていても靴下は濡れる。

ピノラテ
[ピノラテカフェ]

ワットパーソーンゲーオの次はツアールートお定まりのピノラテカフェ。
ここの食べ物飲物の値段が私の懐感情から見ると破廉恥に高い。
それでもいつも満員の盛況。
何も食べなくても写真だけ撮りにやってくる人たちも少なからずいるようだ。
そんなピノラテには看板ネコがいる。

チャータイ
[チャータイ]

このネコの名前はチャータイ。
Thai Milk Teaの意味で、タイのミルクティーはオレンジ色をしている。
ここはカフェということもあり、カフェのメニューでネコの名前を付けているようだ。
ラテというネコは薄い茶色のネコ。
カメリカーノは黒猫だったけれど、車にはねられ半身不随となり、手厚い介護を受けていたけれど先年死んでしまった。
そして、このチャータイ。
まだ若い雄ネコ。

10月19日にはピサヌロークからチェンマイへ向かう。
途中、11月のツアーで利用する予定の食堂を下見する予定にしていた。

本日休業
[キノコ村の食堂]

しかるに、スタッフがアポイントを取っておいたという食堂へ来たらば門が閉まっており、「本日休業」の札が出ている。
食堂のオーナーへ電話を入れてみたが、「アポイントなんて知らない」という。
本当にスタッフがアポをとっていたかどうかも怪しいので、スタッフへ「どうなっているのか」と確認させた。
その答えが、「今日は病院へ行くから店を閉めた、それにもともと小さな店で団体客はお断り」と言われたという。
まったくもって、どうなっているんだか。
それでもツアーでの昼食場所を探さなくてはならないので、あれこれ調べて10キロほど先に適当な店を見つけて、そのままそこを予約してしまう。

10月20日、チェンマイへは1泊して翌日にはランパーン経由でチェンラーイへ向かう。
バスの便でもランパーン経由でチェンマイとチェンラーイを結ぶ路線があるが(今はないかもしれないが、かつてはあった)、これが物凄い遠回り。
倍以上の距離となってしまう。
しかし、ランパーンで下見をしておかなくてはならない場所がいくつかあった。
その中のひとつがランパーン・タイ象保護センター

外国人料金
[ゾウ乗り料金表]

ここはタイの国が運営している施設で、ゾウのショーやゾウ乗りなど観光客目当てのアトラクションがある。
しかし、入場料もそうだけど、ゾウ乗りでも外国人料金が設定されている。
タイ人ならゾウ乗り200バーツなのに、外国人は400バーツと倍額。
タイではよくあることで、タイ人料金は外国人にはわからないようにタイ語で、ご丁寧に数字までタイ数字で掲載している。
タイの外国人料金、国立公園とか歴史公園とかは数倍の差が設定されているから、倍額なんて可愛いものかもしれないが、この手の外国人料金と言うのはタイ政府が率先して導入しているようだ。

ゾウ保護センター
[ゾウのショー]

かつてはここでの象のショーは毎日3回くらい上演されていたけれど、現在はお客が少なくなって1日1回だけ。
この日の上演では外国人の姿は皆無だった。
ショーの内容も数百バーツ払って見るほどの内容ではなく、とても間延びした30分だった。
最近は動物保護団体からの圧力もあり、ショーの演目も限られているからなんだろうけど、演目が減っても値下げはしないようだ。


カオソーイ
[ランパーンでカオソーイ]

クンターン峠を越えたところにカラという名前の洒落たカオソーイ屋がある。
ここもツアーで使おうとアポを入れてあった。
こちらはアポはちゃんと伝わっていたが、店が人手不足のためか急がし過ぎて、アポイントは入っていても対応できないから勝手に見てくれよってことになった。
そして、しっかり試食もしてみた。
盛り付けや味の方は問題なし。
ただし、人手不足で注文から配膳までに時間がかかりすぎる。
とくに店でお勧めとなっているカフェ系のドリンクは一杯一杯にすごく時間がかかっている。
改善の余地たくさんだけど、ツアーでは事前にオーターして準備してもらっておくより仕方ない。
麺類だから、あんまり早く用意されて麺が伸びきったり、スープが覚めてしまう心配もある。

この食堂、勝手に見て回ったら、ここでも二重価格を発見。
メニューが2種類あり、観光客向けの写真入りメニューは、地元の人向けのメニュー価格より5割くらい高い設定になっている。
これは別に外国人料金と言うわけではなく、いかにもチェンマイからの帰り道に立ち寄った感じのタイ人観光客にも観光客用メニューが配られていた。
私が試食したカオソーイも119バーツの請求だった。
ちなみに地元の人向け価格は79バーツ。

10月21日はゴールデントライアングルでコムローイのイベント。
会社で毎年実施してきているイベントだけど、まずまず好評で、今年は3月に続いての2回目の催行。
毎度だいたいおんなじ手順なので慣れたものです。

コムローイ
[ゴールデントライアングルの夜空へ飛んでいくコムローイ]

10月29日、オンラインツアーの本番。
しかも、ダブルヘッダーまで組まれている。

最初はガラス寺の異名を持つワットタースン。
寺院の礼拝堂内からの中継で、「神聖な場所だから静粛に」とつまみ出されるのではないかと心配もしたけれど、私以外のタイ人たちもみんなキャーキャー言いながら礼拝堂内で写真を撮り合っており、私の中継など問題にもされなかったようだ。
そしてそのまま同じくワットタースンにあるゴールデンキャッスルと呼ばれる建物へ向かった。

ゴールデンキャッスル外観
[ゴールデンキャッスル]

このゴールデンキャッスル、バンコクのロハプラサートによく似ている。
とくに以前のロハプラサートは真っ黒で、アイアン・キャッスルなどと呼ばれていたけれど、何年か前に金色に塗り替えられたので、ますますよく似ている。
このゴールデンキャッスルの2階へ登れるようになっているのだけれど、今回初めて足を踏み入れてみた。
内部はとても豪華な展示ホールだったけれど、その裏側がまた鏡の部屋になっており、そこへ黄金の仏像が並んでいるものだから、向かい合った鏡に映った黄金仏が、何重にも重なりとても神秘的な景観になっていた。

ゴールデンキャッスル
[タイ人と言うのは、こんなことをよくも考え付くものだ]

10月31日
忙しい合間に5日ほど休みをとって日本へ一時帰国。
飛行機の乗り継ぎの関係で、台北にストップオーバー。
時間があったのでバスに乗って桃園の駅前まで行ってみる。

桃園市街
[オレンジ色の自転車はレンタサイクル]

桃園の街まで行ったものの、何も食べず、ただ街の雑踏を少し歩いただけ。
台湾の田舎町もどんどんと変わっている。

ラウンジの朝食
[ラウンジでいただく朝食]

台北で乗り継ぐ便は翌朝なので、空港内で夜明かしし、朝になってラウンジで朝食をいただく。
エメラルドメンバーになってからラウンジでの対応も変わって、いままでの朝食が芋粥だったのに対して、ここでは海鮮粥にアップグレードされている。
しかもバイキングのセルフサービスではなく、テーブルまでお膳で運んできてくれる。

11月04日
日本での滞在は実質中2日間だけだったけれど、ラビットスクーターの調子も良く、天気にもまずまず恵まれていた。
そして、帰りの飛行機の窓からは富士山も眺めることができた。

富士山
[頂上付近に少し雪をかぶっているのが見える]

11月11日にもカオコーへ行く。
これは仕事ではなく、コロナ中に退職して日本へ帰ってしまった同僚が、タイへ遊びに来てワットパーソーンゲーオへ行ってみたいとのことだったので、同行する。
その元同僚から、タイでも15年働いていたら年金もらえるよとの情報をもらう。
いまの職場での勤務は12年だけど、前の職場で3年は働いたので、合計すれば15年になりそう。
月々の年金額は微々たるものだけれど、1年分まとまれば日本からタイまでの航空券代くらいにはなりそう。
さっそく私が何年間年金をかけてきたのか調べてみることにする。

チャータイ
[ピノラテカフェではまたチャータイに出会う]


11月16日
またまたバンコクから車を運転してピサヌロークへやってきた。
そのピサヌロークで京都市カフェなるものを発見。
日本の街角をイメージした小さなテーマパーク風のカフェで、一昨年くらいにチェンライにオープンして盛況だという話は聞いていた。
それが繁盛して、現在ではタイ全土で10店舗くらい展開するほどになっているそうだ。
もっとも、バンコクにはまだ店がなく、地方都市ばかり。

京都市カフェ・ラーメン屋
[京都市カフェのラーメン屋]

このピサヌロークの京都市カフェ、ラーメン店もやっている。
この建物がラーメン店なのだけれど、ラーメンはこの建物ではなく、カフェの方で食べてもらう仕組みらしく、ここでは調理だけが行われていた。
ただ、その調理の段取りが悪くて、茹であがった麺をドンブリに入れてから、トッピングまで終わらせて配膳係に送るまで5分近くかかっている。
麺も伸びきって、スープも冷めてしまいそうだけれど、タイのラーメンしか知らない田舎の人には、伸びたラーメンやぬるいスープはクレームの対象にならないのだろう。

京都市カフェ
[クリスマスと雪も演出]

11月18日、スコータイのロイクラトンフェスティバルの初日。
ツアーの方も大入り満員。
しかし、イベントのスタッフもウチのスタッフの動きが悪くて、イライラすることが多くて、精神的にきつかった。
フェスティバルで上演されたショーは久々の有料でのショーとなった。
コロナ中は自粛されたり、急遽開催が決まって無料ショーにしたりといろいろあったけれど、これでまた今まで通りの運営になるかと期待した。
そのショーだけれど、大筋では以前とおんなじ展開なんだけれど、なんか見ていて間延びしている感じがする。
私が何度も見てきているから、ちょっと飽きていることもあるのだろうけど、以前のショーのシーンを思い返してみると、3割近くシーンが削られているように思える。

スコータイ・ロイクラトン
[ゾウの戦闘シーンももっと派手にアクションが続いたはずなんだけど]

ライトアンドサウンド
[クライマックスとも言える場面でも、花火が小さく数も少なく感じた]

シーンを削ったからか、場面展開が遅いので、それだけ間延びした感じを受けたんだと思う。
ショーのチケット代は以前とおんなじ1,200バーツ。
この数年間の物価上昇でも値上げしなかったから、コンテンツを減量したのかもしれない。

コムローイ
[ショーの終わりにはコムローイ体験も]

ショーのあとにはコムローイをあげられることができる日もあった。
今回は11月18日から26日までの間に4回もショーを見る機会があったけれど、コムローイを上げることができてたのはそのうちの2回だけだった。
どういう基準で上げさせたることを決めていたのだろう。
それと、コムローイは1つ200バーツ徴収していた。
以前は無料だったように記憶している。

コムローイ@スコータイ
[ショーのなかでは毎回夜空にコムローイが放たれていた]

11月27日、この日はチェンマイのイーペン祭でコムローイ。

コムローイ@チェンマイ
[イーペンのコムローイ]

チェンマイでは数千人が集まってコムローイをあげるから迫力がある。
でもこのイベントの参加料金はとても高いので、外国人しかいない。
私がツアーで行った会場はイベント参加者の大半が日本人だった。
コムローイは良かったけれど、イベントの運営はイマイチだったようで、事前に懸念して主催者に伝えておいたことが、一つも反映されていなかった。

11月28日チェンマイからの帰り道、ランパーンの陶器博物館へ立ち寄る。
外国人は100バーツの入場料がかかるけれど、それなりに面白い博物館で、タイ語ながら案内も付く。
ランパーンはニワトリが描かれた陶器で有名だけれど、このニワトリの絵柄、ランパーンがオリジナルではなく、もともとは100年ほど前に中国から移民してきた華僑が持ち込んだものであることを学んだ。

ランパーン陶器博物館
[巨大なドンブリを前にアホなポーズ]

11月30日、ピサヌロークのラチャパット大学で講義を依頼されており、大学へ向かう途中、お堀沿いを走っていたらピンク色の睡蓮がとても綺麗に咲いていた。
これだけ綺麗なら観光名所になっても良さそうな気がする。

ピサヌローク睡蓮

12月03日、やっとバンコクのアパートへ戻る。
この1か月近く、ほとんど夜もろくろく横になって寝ることもできないような毎日で、体力を使い果たしてしまっていた。
でも、もうこれでほとんどお終い。
部屋の中にクリスマスツリーを今年も飾る。

クリスマスツリー
[ツリーの電飾、半分は点灯せず、残り半分は点滅せず]

12月06日からまた日本へ一時帰国。
今回は日本からタイへ戻る途中で台湾に1週間ほど旅行した。
そのことはまた別に書くとして、
バンコクから台北への飛行機の時刻が大幅に変わって、朝8時過ぎの便が、午前3時過ぎになってしまった。
そのぶん早く成田に着くのは良いけど、時間がけたたましい。
前夜最終のエアポートリンクで空港へ向かおうとアパートからラムカムヘーン駅まで30分かけて歩いていったものの、駅では終電を待たずにエレベーターが止まっており、重たい荷物を担いで登ろうかと迷っているうちに終電に乗り遅れてしまった。
せっかく歩いてきたのに、タクシーで空港へ行かなくてはならなくなった。

富士山
[夕焼け空と一緒に富士山が機装から見えた]

5時間も早くバンコクを出発したけれど、成田に到着したのは日没後になっていた。
そして、東京での数日は晩秋を感じさせる天気が続いていた。

イチョウ
[小平霊園脇のイチョウはたくさんの黄色い葉を散らしていた]

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| 日常 | 05:04 PM | comments (1) | trackback (0) |
一時帰国
9月29日から10月3日まで、東京の家へ帰っていた。
今回の一時帰国の目的は、税金関係の手続きと墓参り。
墓参りは毎度一時帰国をしていれば朝に夕にと一日に2回も墓参りをしてきているけれど、墓参りをする小平霊園では毎年10月1日に慰霊の合同献花式と言うのをやってくれている。
以前にも一度参加したことがある。
13回忌さえ何もしてこなかったので、せめてこういう式典に便乗させていただこうと考えたわけ。

今回も台北経由の中華航空だけれど、いつもと比べて台北での乗り継ぎが良くなって、当日中に成田行きに乗り継げて、朝出れば夜には到着できるようになっている。
その代わりバンコクの出発は朝早く、6時前のエアポートリンクに乗らなくてはならない。
そのエアポートリンクの駅まで、歩けば30分ほどなのだけれど、今回はスーツケースに本をたくさん詰め込んで、重さが30kgを越えている。
重たいスーツケースを引っ張っていくのはことなのでタクシーを利用したが、朝の早い時間はタクシードライバーの交代時間なのかやたらと乗車拒否に遭って、なかなか乗れなかった。
バンコクのタクシーは値段が安いけれど、乗車拒否は改善してほしい。

バンコクの空港でさっさとチェックインを済ませて、中華航空のラウンジへ一目散。
サラダを丼いっぱいいただき、飲茶やスープもいただく。
ここのスタッフたちとももう顔なじみ。
パートンコーを食べながら、「あったかい豆乳があるといいよね」と言ったら、冷蔵庫に入っているパックの豆乳を温めてこようかと言ってくれる。
こういうのが嬉しい。

サラダ
[サラダは常にきちんと盛り付けられていて、新鮮な感じが嬉しい]

ラウンジしっかり食べたけれど、機内食もしっかりいただく。
本日のメニューは白身魚の餡かけとチャーハン、温野菜がメインで、前菜はポテトサラダ、デザートはフルーツとココナッツゼリー。
白身魚の餡かけにはガーリックフライがこれでもかってほど入っている。
これを食べた機内の人が吐く息で、機内は相当ニンニク臭くなっているはず。
でも、自分も食べているので、どのくらい臭いかよく解らない。

機内食はチャーハン
[ニンニクは嫌いな人もいるので控えめにしてほしい]

機内ではテキストだけだけれどWiFiが使える機材だった。
ネットサーフィンとかは有料でアクセス権を買えば使えるようだけれど、仕事のメッセージをやり取りするには無料のテキストだけで十分。
しかし、これも善し悪しで、飛行機の中でも仕事のメッセージに追われることになった。

飛行機に乗る前も乗ってからもずいぶんと食べているけど、ちょっと口さびしくなったのでスナックが欲しいと言ったらば、ミックススナックの小袋を3つもくれた。
パッケージの色はピンク色。
いつもは青い色をもらっていたが、中身はおんなじでエンドウ豆ばっかり。
しかし、私は黒いパッケージはビジネスクラス用でアーモンドとかが入っていることをしている。
こんな小さなことでもエコノミーとビジネスでは待遇が違うようだ。
それから、スナックの小袋だけでなく、頼みもしないのにトランプを二箱ももらってしまった。
一人暮らしで、トランプで遊んでくれる友人もいない身でトランプをもらっても仕方ないけど、有難く頂戴しておく。

スナックとトランプ
[トランプなんてもう何年も遊んでいない]

台北の乗り継ぎでは、第二ターミナルのラウンジに入ってみる。
第一の方がゴージャスな雰囲気があるけど、第二は明るく、そして食べ物がおいしい気がする。
特に翡翠餃子が美味しい。
お酒の充実度はおんなじ。
お酒では梅酒がある。
台湾の人は梅酒好きが多いのだろうか。
また、今日は中秋節なので月餅もお月見団子のように皿に盛られている。

ラウンジのバー
[飾り気はないけど、飲み物は充実している]

乗り継ぎ時間は3時間。
その間もメールやらの仕事をこなす。
しかし、片手には高級なお酒の入ったグラスを持ちながらだから、まじめに仕事しているとは言えない。
きっと誤字脱字ばかりで、意味不明なメールになっていることだろう。

台北からの飛行機の中でも月餅をもらった。
一口サイズの小さな月餅。
実は明後日、10月1日に息子と新宿で会う約束をしている。
息子は彼女もつれてくるという。
以前ネコの本をプレゼントされており、お返しもできていなかったことを思い出して、今朝は4時前に起きだして、24時間スーパーへ土産になりそうなものを買いに行った。
しかし、タイからの土産になりそうなものが見つからない。
折から中秋の名月でもあり、タイでもドリアン入りの月餅とかが進物用にたくさん売られていることを思い出して、夜明け前のスーパーの陳列棚を見回したけれど、月餅はなかった。
月餅は中華レストランやS&Pというチェーンレストランで売られているのはよく見たけれど、終夜営業のスーパーでは日常的に入用なものばかりしか売っていない。
こんな中で、月餅ではないけれど、似たような中国菓子があった。
直径が20センチくらい、重さも500グラムくらいありそうな菓子で、月餅のような洗練された高級感はなく、とてもローカルな菓子で、私もバスターミナルなどでいつ作ったかわからないような、そしてずっと小ぶりの中国菓子を買って食べたことが何度かある。
味はまずくないけど、たぶんラードでも使っているのかちょっと脂っこくて、腹にたまる菓子。
タイでは中国系の人たちが祭壇などへ置いて先祖への供養に使っているのを見たことがある。
つまり、土産としてふさわしいかどうかは怪しいけれど、それしかないのでその巨大な中国菓子を買い求めた。

月餅
[機内でもらった小さな月餅]

成田に到着したのは夜8時過ぎ。
早く荷物を回収して、家に向かわないといけないのだけれど、荷物受け取りのターンテーブルから本が詰まって重たいスーツケースがなかなか出てこない。
バンコクで預けるときに"First Priority"という赤い最優先タッグを付けてもらっているのに、いつまで待っても出てこない。
うーむ、またロストバゲージだろうか?
6月のパリ、8月のロンドンと続けてロストバゲージに見舞われている。
まぁ、ロストバゲージでも、すぐに必要なものはないので、明日でも東京の自宅へ持ってきてくれれば、こっちも重い思いをしなくて好都合だとも思った。
係員に荷物が出てこないことを伝えたが、あんまり親身になって対応してくれない。
「私たちも探しますからもう少し待ってみましょう」という。
こっちは遅くなると東京郊外の自宅へ帰れなくと困るし、さっさとロストバゲージの処理をしてもらいたいのだけれど、ただ待つように指示される。
が、カバンは最後の最後になって、出てきてしまった。
待つこと30分。
もうほかに出てくるカバンもなくなって、まわりに飛行機から降りた乗客もいなくなったところで出てきてしまった。
カバンに回したベルトは留め具が壊れて、ベルトがだらりと取っ手に絡んでいた。
「おカバンの損傷は補償の対象ですが、ベルトの損傷は補償の対象外となります」と地上業務を請け負っている日本航空の係員は説明した。

結局、帰宅したのは深夜12時前。
曇り空だけど、雲の切れ目から満月が見えた。

中秋の満月
[スマホのカメラだと夜空も明るく写ってしまうみたいだ]

9月30日 (土)
朝少し寝坊をする。
身体がだるい。
眠り足りないような気もする。
昨日の飛行機での暴飲暴食が祟ったのかもしれない。
それでも、不在中に届いていた郵便物を確認し始める。
郵便受けにあふれるほど貯まった郵便物などの半分以上は広告のチラシ類。
他は公共料金の請求書など。
そんな中に固定資産税の督促状があった。
それも普通の督促状だけではなく、最後通牒(最終催告書)まであった。
10月3日までに払わなければ差し押さえるという。
いやはやギリギリじゃないか。
急いでネットバンキングで1年分まとめて払い込みを行う。
他にも郵便物の不在通知なんかも来ているが、すでに保管期限が切れているものもある。
息子には1か月に一度くらいは、家に来て部屋に風を通すくらいのことをしてほしいと思っているが、もう何か月も放置されていたことがはっきりした。

最後通牒
[危うく差し押さえになるところだった]

2020年の2月に、ピサヌロークで息を引き取った私のネコの骨を埋めたベランダの下へ手を合わせに降りてみた。
ちょうど季節なのか赤い彼岸花が綺麗な花を咲かせていた。

彼岸花
[彼岸花の朱色は物悲しくて心に染みる]

あれからもう3年半。
ネコのことは忘れたことがない。
埋めたと思われる場所を見たら、アブラゼミだろうかセミの抜け殻がひとつ転がっていた。
もう9月も終わり、アブラゼミの季節ではないはずだけれど、
私のネコがセミに生まれ変わって、3年半幼虫として土の中で過ごし、そして空へと飛んで行ったのだろうかと勝手な空想をしたら、涙が出てきてしまった。
セミに姿を変えたとしても会いたかった。

セミの抜け殻
[ネコがセミになってしまうなんて]

昼前に自転車に乗って小平霊園へ墓参りに行く。
小平霊園でもあちこちで彼岸花が咲いていた。
共同墓地前では明日合同慰霊祭の準備でテントを張ったりしていた。
その後、郵便局へ回って帰宅。

小平霊園の彼岸花
[小平霊園でも彼岸花が咲いていた]

帰宅後はラビットスクーターの整備。
前回帰国時にエンジントラブルを起こして動かなくなったままにしていた。
まずはキャブレターを分解して石油で細かな部品や細い穴の一つ一つまでよく洗浄する。
だいたいこんなモノかなと思われる程度までで組み上げてエンジンをかけてみようとしたが全然ダメ。
ガソリンが流れてきていない。
燃料タンクの中が空っぽになっている。
燃料コック周辺から燃料漏れを起こしていたようだ。
燃料コックも分解して石油でよく洗浄。
それからトボトボと重たいラビットスクーターを押してガソリンスタンドへ。
試しに300円だけガソリンを入れてみる。
スタンド内でエンジンがかからずバタバタしているのを見られるのは恥ずかしいので、そのままラビットスクーターを手押ししながらガソリンスタンドの外へ出る。

ラビットスクーター
[数か月ぶりにカバーを外す]

歩道の上で、エンジンをキックしてみる。
バゥ、バゥ、バゥとエンジンがかかった。
白い煙もモクモクと吐く。
エンジンの回転数も安定している。
これは嬉しい。
天国のネコが見守っていてくれたからだろうか。
そうなると、さっそく乗り回したくなる。
ラビットスクーターは古いこともあるし、整備もしっかりできていないので故障も多い。
だけど、乗っててこれほど楽しい乗り物はないと思う。
そのまままた小平霊園へ行く。
夕方の墓参りのついでに事務所へ行って、明日の献花式の段取りについて教えてもらった。
以前は慰霊祭のスピーチとかの儀式に続いて、参列した遺族により献花となっていたけれど、現在は代表献花だけになつたとのこと。
代表は霊園の管理代表者で、その人が代表で献花をし、遺族は式典後に各自献花ができるという。
なので、以前のように遺族が集まるようなことはしないそうだ。
これも感染症予防対策なのだとか。
代表献花の様子はYouTubeにアップするのでそれを見てほしいという。

10月1日 (日)
小平霊園の代表献花が始まる前に一足先に朝の墓参りを済ませておく。
まだ朝早いので、誰も来ていない。
実のところ、代表献花にしてもらって良かったと思っている。
こんなことを言ったら霊園で眠りについている母親に怒られるかもしれないけれど、花を供えたくないなと思っていた。
日本は花が高いので、ケチな自分としては花を買うのがもったいないと感じているのも事実だけど、ほかにも切り花が好きではないということもある。
せっかく咲いている花を観賞用に切ってしまうというのは、お花がとてもかわいそうに感じる。
そのままにしておいてあげれば、花はやがて実を結んで、次の世代へはつながって行けたかもしれないのに、ほんの一時の観賞用に切ってしまいたくない。

そんなことを考えながら帰宅して、ベランダ下へ回ってみたら、昨日までとてもきれいに咲いていた彼岸花が、茎のところからバッサリ切られてしまっていた。
誰かが、家の仏壇にでも備えようとして持って行ってしまったのだろうか?
やっぱり、きれいな花でも摘み取ってしまったらかわいそうだ。
また来年もここに咲いてくれるだろうか?

慰霊献花式
[慰霊献花式の立て看板]

昼からまた小平霊園へ行く。
こんどは人がいっぱい来ている。
みんな豪華な切り花を抱え、線香に火をつけ、そして手を合わせている。
私も便乗して、手ぶらだけど手を合わせる。
そして、霊園からメッセージカードを1枚いただく。
別に人を感動させるようなことはなにも書かれていない。
丁寧な文章だけど、ただそれだけ。
持ち帰ったら仏壇に上げておくことにする。

小平霊園から水道道路を自転車で走り、小金井公園へ行く。
今日は都民の日で、小金井公園内にある江戸東京建物博物館が無料開放されている。
実はこの中に入るのははじめて。
子供のころは今と違って武蔵野郷土館だった。
そのころは入ったことがあるが、現在とはまるで違ったもので、地味な郷土資料館だった。

無料開放だからなのか、博物館は人がいっぱい。
外国人の姿も見られる。
江戸時代に建てられた豪農の屋敷がある。
ここへ移築する近年まで人が住んでいた建物だから、すべてが江戸時代のままという訳ではないけど、畳敷きの部屋は時代劇に出てきそうな雰囲気。
そんな部屋の中も開放されていて、見学者が歩き回っている。
こんなところで貸衣装でも着せて写真でも撮らせたら、タイ人とか喜びそうだ。
どこかの貸衣装屋と組んで、オプショナルツアーでも作ったら人気が出そうな気がする。

お月見の飾り
[古民家の縁側にはお月見の飾りつけ]

明治時代に建てられた財界人の邸宅やハイカラな店もあり、カフェになっていたりする。
どこも靴を脱いで内部まで見学できるようになってといるけど、私は靴を脱がず、内部の部屋へは上がりこまなかった。
私は身長が高く、そして昔の人たちの生活は畳に座ってと言うものだったろうから、ほとんどのものが低い位置にある。
そんなところ下の方をキョロキョロしながら歩いていたら、鴨居に頭をぶつけてしまうのが目に見える。

そんな建物が並んでいる中にボンネット型バスがあった。
行先方向幕は「上野広小路」となっている。
塗装も昔の都バスに似せている。
建物のように詳しい説明が付いていない。
ただ昔のバスはこんな形だったとあるだけ。
しかし、なんか違う。

ボンネットバス
[昔の都バスに見えるけど、違和感を感じる]

私はバスについては、ちょっと詳しいつもりでいる。
高校大学とバス会社でバイトをしてきている。
まず、いすゞのボンネット型バスと言うのには異論はない。
しかし、都バスなどとして市街地を走り回るバスとしては、腰が高すぎる。
このタイプのバスは、中学3年の時に岩手県八幡平で見たことがある。
岩手県北バスだったと思う。
もう40年以上前だけど、そのころでももうボンネット型バスはとても珍しいものになっていた。
そして、最近その当時見かけたバスが今も現役であることをネットで知った。
冬季の八幡平で運用されているという。
そのバスはただのボンネット型バスではなく、日本で唯一の全輪駆動バスであるらしい。
もともとは全輪駆動のトラックのシャーシーにバスのボディーを乗せたものだとも書かれていた。
つまり、トラックだったので乗客の乗り降りなど想定してなくて腰が高いスタイルになっている。
この江戸東京建物博物館に置かれたバスの床下を覗き込んでみたら、やっぱりそうであった。

前輪にもデフ
[特注の全輪駆動車であった]

野外展示場の反対側は大正時代から昭和初期の建物が中心で、昔よく見かけたような懐かしい建物が多くあった。
看板づくりと言う商店の形態や古い旅籠宿、花屋や乾物屋。
このあたりは見ていて面白い。
酒や醤油などは量り売りだったと説明に書かれているし、古いポスターが貼られている。
銭湯もあって内部見学ができる。
男湯と女湯があっても、見学者は男も女も関係なく入って行く。
古い建物が並んでいて、映画のセットのようだけれどセットのようなハリボテではなく、実際の建物と言うのがまた面白い。

まるで映画のセット
[このあたりが一番人気らしく見学者も多い]

都電も展示されている。
これは7500型で本物の都電。
こっちは車内に乗ることもできるようになっている。
その都電の横でラムネや駄菓子なんかを売っている。
たぶん今でも縁日なんかでラムネが売られていると思うけど、あれは容量が少なく、それでいて安くないのでコスパは悪いけど、あのビー玉で栓をしているのを開けるのが面白いということなんだろう。
その点では同様にコスパの悪いシャンパンに似ている気がする。

都電
[都電は本物の都電]

江戸東京建物博物館を出たところで雨が降ってきた。
急いで自転車をこいで駅へ向かう。
夕方には息子と新宿で会うことになっている。

最初、息子は精進料理の店を指定してきた。
しかし、調べてみると値段も高く、肩が凝りそうな店であることが判明。
それに肉好きの息子が精進料理なんか喜んで食べるとは思えない。
そこでこちらから別の店を指定した。
新宿御苑近くにある「随園別館」。
きれいな店ではない。
街中華みたいな店構えで、30年以上前にここで羊肉のしゃぶしゃぶを食べたことがある。
満員の盛況で、旨かったことを思い出したからだ。
料理は華北料理。
飾りっ気の全くない店だけれど、年配のボーイたちはワイシャツに黒服を来て、蝶ネクタイ。
雰囲気としては昭和初期の中華レストラン。
店お勧めの水餃子、皮が肉厚だけど、それがまた良い。
オム野菜炒め。
オムライスのように玉子に包まれているが、中はケチャップライスではなく野菜炒め。
これを北京ダックの餅皮で包んで食べる。
まだ季節ではないからないかと思っていたけど、羊のしゃぶしゃぶもあった。
私としては、羊が食べたいという訳ではないけど、薄い黄土色をしたタレがやたらと旨い。
食べるだけではなく、飲む方も飲んだ。
ビールから紹興酒、そして羊しゃぶしゃぶが出てくるころから二鍋頭という北京の地酒。
これは白酒(パイチュー)で、度数も50度を超えている。
これを口に含ませ、歯茎がジリジリしてくるのを待ってグイっと飲み込む。
喉から胃へ流れていくのがわかる。
食事をしながら息子がまだ小学五年生のとき、二人でタイからラオス、そして中国の雲南省へ入って上海へと旅した時の思い出話をしたり、むかしの北京の話をしたりした。
二鍋頭という酒を知ったのも昔の北京でだった。
あの頃の北京は夜がとても暗くて、店の前に張り出した円卓で一皿2元程度の菜を摘まみながら二鍋頭の小瓶を次々に開けた。
そんなどうでも良い話をしても、息子の彼女はちゃんと話を聞いていてくれて、それが嬉しくて次々と二鍋頭の盃を空にしてしまう。
そんなわけで、店を出たときにはいい加減に酔っぱらっていた。
新宿三丁目の駅で息子たちと別れて、フラフラと西武新宿まで歩き電車に乗る。
始発駅なので座ることができたが、そのまま眠り込んでしまい、気が付いたら降りるべき駅を通り過ぎていた。

10月2日 (月)
二日酔い。
午前中は墓参りに行くことくらいしかできなかった。
午後になってようやく本調子となりラビットスクーターに乗って近所を走り回る。
市役所に行って、妻の健康保険や介護保険の手続きをする。
お金の出ていくことばかり。
東村山高校の脇を走っていたら、後ろから来た新聞配達のバイクに声をかけられた。
「いいの乗ってんねぇ、ラビットだろ」
私よりも一回りくらい年配の男性であった。
ラビットスクーターに乗っていると時々こうして声をかけられるのも楽しい。
でも、ラビットスクーターも製造中止から55年。
声をかけてくる人、つまりラビットスクーターを知っている人はもう70歳以上ということになるのだろう。
もう10年もしたら、誰も声などかけてこなくなるかもしれない。
そうそう、むかし東村山市役所の人でラビットスクーター好きの方がいらして、公民館の地下でラビットのレストアをされていた。
あの方はどうしているだろう。
もう40年も前のことだ。

10月3日 (火)
タイへ戻る日。
いつもならタイへ持ち帰る食料品などの仕入れをするのだけれど、もうタイでの暮らしも残り4カ月ほどとなり、在庫の食料品ですら食べきれない可能性があるので、今回持ち帰る食品は納豆のパックが一つだけとなってしまった。
荷物は軽くなり楽だけど、毎度持ち帰る食料品をスーパーで物色して、1円でも安いところを探して回るのは嫌いではなかった。
納豆は、いままで業務スーパーで緑色のパッケージのものが格安だったので、それを求めていたけれど、先月の札幌と同様に緑色の納豆パックは入荷されていなかった。
あまりの低価格商品で採算が合わなくなってしまったのだろうか。
帰りの飛行機は成田発午後2時半頃。
9時ころには家を出て空港へ向かった。
朝のラッシュ時間も過ぎており大きなスーツケースを持って電車に乗ってもそれほど不便を感じない。
ただ、日暮里からの京成電車は空港への快速電車の時間が合わず、途中で2度ほど乗り換えをすることになった。

成田空港でチェックインを済ませて、荷物検査場に入ろうとしたら「ここは日本航空利用者専用の検査場だから、向こうへ回るように」と係員に制止された。
日本航空専用の手荷物検査場なんてものがあったなんて知らなかった。
もっとも一般用の検査場も空いていて並ぶ必要はなかった。

さっさとラウンジへ入る。
エメラルドとパラゴンメンバー専用室へ通してもらたけれど、特別に豪華にしつらえられているとか、特別メニューが用意されていると感じではなかった。
ただ、専任のスタッフがいて、ブッフェのラインへ皿持って取りに行かなくてもテーブルに運んでもらえるというだけで、私は自分で好きなものをラインから持って来る方が好きなので、面倒だけど専用室を出て、一般のブッフェラインが欲しいものをもらってきた。
欲しいものの筆頭は稲荷寿司。
今回は太巻きも加わっていて、助六が復活していた。
助六になったのは嬉しいのだけれど、太巻きにはワサビが欲しいところだったけれど、ワサビは用意されていなかった。

稲荷寿司
[稲荷寿司&海苔巻きで助六寿司、江戸っ子のシャレだね]

しかし、これも気に入っていたクロワッサンのサンドウィッチはなくなっていた。
スタッフに聞いたところメニューは時々入れ替えているとのことだった。
スタッフが言うには、今回のメニュー入れ替えでの目玉は「カレーライス」とのことであった。
カレーライスの味の方は、特別美味しいというものではなく、ごく普通のカレーライスであった。
福神漬けはあったけれど、トッピングと呼べるものは用意されておらず、ちょっと寂しい。

カレーライス
[カレーライス、、トッピングがあればいいのに]

おなじエメラルドとパラゴンメンバー専用室でも台北の空港はホームベースということもあって、豪華な作りだし特別メニューもいくつか用意されていた。
そんなメニューの中に「うな重」もあったので注文してみる。
一口サイズのミニサイズだったけれど、ウナギは蒲焼と白焼きが交互に並べられていて楽しい。
ただ残念だったのは、ご飯の炊き方でお米にふっくら感が足りなかったことと、山椒が着いてこなかったこと。
成田空港のワサビにしても台北の山椒にしても、どうもちょっと一つ欠けているのは気になるところ。

ミニうな重
[ウナギを食べたのは久しぶり]

バンコクでは無事にすぐ荷物も出てきて、そのままタクシーでアパートへ向かうことができた。
歳をとってきたからか、深夜の時間帯に動き回るのはだんだんと辛く感じるようになってきた。
以前のように飛行機の中やラウンジでひたすらお酒を飲み続けるようなこともしておらず、かなり控えめにしているけど、こうして飛行機に乗ったりしたあとに疲れがのこってなかなか抜けなくなってきた。

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暑さの峠を越える
今年のタイは例年以上に気温の高い日が続いていたそうだ。
自分でも毎日嫌になってしまうくらい暑くて、特に週末ピサヌロークの下宿で過ごすときなど、午後の時間が暑すぎてとても苦痛だった。
先月日本から戻ってきてから、今日まで何があっただろうかと思いだそうとしても、あんまり記憶がない。
前回も書いたけど物忘れが多くなっていることもある。
思い出すためにスマホに残っている写真を見返してみたけれど、写真そのものをほとんど撮っていない。
つまり、ブログに書くようなことはなんにもしてこなかったということらしい。

赤いマンゴー
[赤い象牙と言う名のマンゴー、そろそろマンゴーの季節も終わり]

そんな中でも、写真こそ撮影していないけれど、週末を利用してバンコクへ一度行ってきた。
行かなくてはならない理由もなかったけれど、ピサヌロークの下宿より部屋が広いので、居心地が良い。
月に何日も滞在するわけでもないからバンコクのアパートなど解約してしまい、バンコクへ行って宿泊しなくてはならないときは、安手のホテルに部屋を取った方が安上がりな気もするけれど、自分の部屋があるというのは、気分的に落ち着くので、解約もせず家賃を払い続けている。

そのバンコク行きは、06月09日金曜日の夜にピサヌロークを出て、11日日曜日の夜遅くに戻るというもので、往復ともヤンヨンツアーのバスを利用した。
そしてバスは往復とも満席だった。
人の往復が以前のように活発になってきたんだと思う。
でも、バスに乗っている人の大半がマスクを着用している。
まだコロナを引きずっているらしい。
人の往来は活況を呈するようになってきているけど、ピサヌロークとバンコクの間の移動手段はコロナ前と比べると随分と減ったままになっている。
バスの便数も鉄道の便数も減っている。
飛行機も半減したままで、私の業務範囲としての朝の飛行機でピサヌロークへ来てもらって観光ツアーに乗ってもらうというプランが立てにくくなってしまった。

バンコクへのバスは23:45に出発して、翌朝6時にバンコクのモーチット・バスターミナルに到着するというスケジュールだったけれど、途中ノンストップで走って午前5時にはまだ夜が明けていないバンコクへ到着した。
バスターミナルからアパートまでは517番の市内バスに乗れば乗り換えなしの一本で行けるのだけれど、市内バスの乗り場へ行ったけれど517番のバス乗り場を示す看板がなくなっている。
最近517番のバスには青い車体の電気バスが投入され始めているけれど、この青いバスはモーチット・バスターミナルへは行かず、戦勝記念塔域になっていて、使い勝手が悪い。
とにかく、ここ数年バンコクの市内バスは新車を投入し始めているけれど、運行ルートが変わったり、本数が減ったりして、以前より使いにくくなっている。
517番のバスを諦めて、赤い136番バスに乗り、フォーチュンタウンで137番バスに乗り換えてアパートへたどり着いた。

それでもまだ朝早い時間だったので、身体はだるいのだけれどジョギングにでる。
ジョギングのルート上の何か所かでネコたちに挨拶して回る。
ネコたちは半分ノラみたいなのもいたりして、そうしたネコはいつの間にか姿を消してしまったり、また新顔がやってきたりする。
ネコと言うのは、風来坊みたいなところがあるのかもしれない。

午前中にバンコクのオフィスへ行って少しだけパソコンに向かって仕事をする。
土曜日はスタッフがほとんど出社しておらず、ガランとしている。
バンコクのパソコンもピサヌロークのパソコンのあんまり調子が良くない。
起動して、まともにキーボードを叩けるようになるのに20分くらい待たされる。
さらにパフォーマンスを見てみるとCドライブの稼働が100%を示して、折れ線グラフが天井に貼り付いたままになっている。
つまり、ものすごく処理に時間がかかったりすぐにフリーズしたりする。
きっと探せば何か解決策もあるのかもしれないけど、探してもなかなか見つけられないのでそのまま放置している。
最近はAIだか何だか知らないけれど、ネットで解決策を探そうとしても、的確な回答を得られないことが多い。
おんなじ使えない回答が繰り返し表示されるばっかりだ。

ターミナル21のクーポン食堂で昼食にする。
ここはこの界隈で一番安く食事ができるところということもあり、空き席がないくらいの大盛況。
タイ人もいるけれど、中国系と韓国系の利用者が目立つ。
そして、食べ終わった食器類を下げずにテーブルに置きっぱなしで席を立つ人も多いのも困りもの。
テーブルは食べ散らかしや汁がこぼれていたりする。

今月はまたヨーロッパへ遊びに行く予定にしている。
前回4月には現地での支払いにクレジットカードをもっぱら使っていたのだけれど、カードで支払うと後日請求される際のレート換算率が良くないことが判明したので、事前にユーロの現金を用意して、なるべくカードを使わないようにしたいと考えた。
そこでアソーク交差点に面した小さな両替屋で数千バーツほどユーロに両替する。
レートは1ユーロが37.20バーツだった。
前回までの使い残したユーロもあるので、これで何とかなるだろう。
同じくアソークにある両替屋で、BTS改札口近くにあるオレンジ色のスーパーリッチには長い行列ができていた。
そこは別にレートが格別良いわけでもないのに、いつもみんな辛抱強く列に並んで順番を待っている。

午後からは部屋の掃除をする。
もう何か月も掃除をしてきておらず、部屋の中をはだしで歩くと足の裏がすぐに真っ黒になるほど汚くなっていた。
アパートの近くにはセメント工場もあり、それでなくても埃っぽい。
部屋にいると鼻水が出たり、くしゃみの連発が出たりするので、相当部屋の中が埃っぽくなっているのだろう。
バケツに水をためて雑巾で床を拭く。
棚のほこりを払う。
広くもない部屋なのに、あんまりに汚れているので何度もバケツの水を交換しなくてはならない。
こんな苦労するなら、やっぱりバンコクではホテルに泊まった方が楽かもしれないと思ってしまう。

翌日は昼過ぎま部屋の中で過ごす。
バンコクにおいてあるノートパソコンの電源を入れようとしたが全く反応しない。
バッテリーは以前からダメになっているのだけれど、AC電源につないでもウンともスンとも言わない。
このパソコン、もうあちこち故障していているのだけれど、ハードの中にはまだ必要なデータもたくさん入っている。
前回はちゃんと起動できていたのに、どうしたんだろう。
パソコン本体の故障だとちょっとお手上げだけれど、以前からアダプターが使用中とても熱くなるという事象があったので、まずはアダプターを疑ってみる。

アダプターのケースを開けるのは容易でないことは経験している。
ネジとかでセットされているのではなく接着剤のようなモノで上下のカバーがくっつけられている。
ケースを綺麗に開くことは諦めてノコギリで切ってしまうことにした。
その作業も根気がいる作業だったけれど、なんとかカバーを上下に分離することに成功。
ケースの中の基盤を見たらあちこちが焼け焦げて煤で黒くなっている。
ヒューズらしきものも断線している。
これはそもそもアダプターが故障していたことが判明。
パソコン側にも問題があるかもしれないけれど、まずはアダプターを交換する必要がありそうだ。
このパソコンはメーカーものではなく、ヤマダ電機のオリジナル製品なので、アダプターもメーカーの汎用品に対応していない。
DC側の出力が20ボルトとなっている。
まぁ、こんな変則的なものでもネットショップとかで探せば似たようなものが見つかるかもしれない。

5バーツのアイスキャンディー
[ピサヌロークで見つけたアイスキャンディー屋にて5バーツのアイス]

今月はまたヨーロッパへ遊びに行くと書いたのだけれど、飛行機の切符は去年のうちに手配したもの。
まだコロナで飛行機の需要もあんまり高くないときだったからか往復で3万バーツ以内で買えた。
しかし、半年以上も先の切符を買ってしまうというのはリスクもあり、どうしたわけか、6月は全体的に仕事が甘かったのに、私がー旅行に出ている週末だけやたらと仕事が忙しくなっている。
不在中に手配のミスが発生しないように、あれこれと手を尽くさなくてはならないのでちょっとバタバタする。
トラブルが発生しても自分が直接采配を振るうことができれば、なんとか乗り越えさせる自信はあるのだけれど、それができずスタッフに任せるというのは不安で仕方がない。
もう少し機転が利いて、ちゃんと動くスタッフがいてくれたらと、毎度ながらに痛感する。

06月17日、また週末となる。
前の晩、ナーン川沿いのルンチュアイの店で夕食を食べたが、料理3品を注文したけれど、食べ残してしまった。
料理を食べ残すというのは、めったにないこと。
以前と比べて食が細くなっているようなんだけれど、体重は去年と比べて数キロも増えている。
残したのは、量が多すぎたこともあるかもしれないが、料理がしょっぱ過ぎたこともある。
特に「カナー菜の塩魚炒め」がしょっば過ぎた。
リタイホテルの朝食で好んで注文していた「カナー菜の芽と塩魚のチャーハン」のイメージでルンチュアイの店で注文したのだけれど、まったく味が違っていた。
塩魚はしょっぱいだけでなく、骨がやたらと多くて食べ難くもあった。
ルンチュアイの店は安いし、オープンエアで気持ちがいいので気に入ってはいるけれど、これからは一人で食べるときは料理は2品にしておくのが妥当なようだ。
それにしても「空飛ぶ空芯菜の店」があればどんなに良かっただろうと思われる。

そして朝になり、夜中に雨も降ったこともあり、気温は27℃。
少し風も吹いていて、なかなか気持ちのいい朝。
ピサヌロークの中で私が出歩く場所はほとんど決まっていて、何年も住んでいるけれど、ほとんど探検してきていない。
そんな中で、つい最近地図で見つけたのがワニ園。
ピサヌロークにワニ園があるなんてちっとも知らなかった。
地図で調べてみたら下宿から12キロほどの距離にある。
暑さも知れているので、午前中のうちに自転車でワニ園へ行ってみることにした。
下宿がある場所からしてもう市街地の外なのだけれど、さらに郊外へ向かって自転車のペダルをこぐ。
雨季が始まり田んぼに水を張ったところが多い。
このあたりは田植えをせずに直播の田んぼが多いので、若々しい黄緑色の稲がチョボチョボと水面に顔を出していたりする。
アップダウンもなく平坦な田舎道で、しかもちゃんと舗装されているから自転車で乗ってサイクリング気分となる。
しかし、小さなママチャリでの12キロはちょっと遠かった。
1時間近くかかってピサヌロークのワニ園、パタマーン・フォームに到着。
入り口にはアーチ形の門があり、広い駐車場になっているけれど車は一台も止まっていない。

ワニ園の入り口
[園内に高圧線鉄塔が立っている]

園内には大きな池があり、親子連れが魚にエサをまいていた。
この池にはワニはいない。
奥に建物があってカフェとなっており、ワニを見るにはこのカフェを通り抜けなくてはならない。
なんとなくアイスコーヒーの一杯でも注文しないといけないのかなと言う気になったけれど、別に何も言われることはなく、むしろカフェの女性スタッフは「ワニはこの先の階段を下りたところ」と教えてくれた。

その階段を下りたところに大きなコンクリート製のプールがありワニたちがウジャウジャいる。
発泡スチロールの大きなボックスがあり、その中にワニのエサが砂遊び用のプラバケツむに入っていた。鶏のガラで一つ20バーツ。
その発泡スチロールの蓋を開け閉めしたら、その音を聞きつけたワニたちが続々とプールから上がって、こっちに向かってノシノシと歩み寄てくる。
これはなかなかの迫力もの。
数十匹が柵の下で早くくれよと催促して口を半開きにしている。
私はエサをやるつもりもなくただのぞき込んでいたら、その中の一匹、それも特に巨大なワニが私の方に向かって1メートル近くもジャンプして飛び上がってきたのには思わず仰天してしまった。

エサを催促するワニ
[ワニは100匹以上いるらしい]

この施設の中には小さなステージ風のものもあったのでワニのショーなども上演する計画があったのかもしれないが、ショーをするにはあまりにも来園者が少ないようだ。
カフェではワニ肉の入ったクイティアオのポスターが貼られていたけれど、それも提供していないのか在り来たりのコヒーなどしか提供していないように見受けられた。
併設してワニ革製品の販売コーナーもあったけれど、とてもささやかなもので、展示数も少なかった。
つまり、このワニ園、観光施設としては全然うまくいっていないようなのだけれど、たぶん本業はワニの養殖で、観光客の受け入れは趣味程度なのかもしれない。
そして趣味程度だからこそ、こんなに人が来ないのに園内は随分とよく手入れされている。
ワニ以外にも鶏やシカなどの動物たちがいるし、芝は良く刈り込まれ、木々の手入れもしっかりしている。
つまり、意外と穴場なのかもしれない。

園内
[のんびりするにはいいところ]

お昼となり、また自転車で下宿へ向かってペダルをこぐが、やっぱりこの時間になるとさすがに暑い。
そして、途中で左足の膝が少し痛みだしてきた。

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