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金子光春を追って(後編)
6月25日(日)
パリでの2日目。
今日は夜のバスに乗るまでたっぷりと時間がある。
計画としては、午前中はまたホテルで自転車を借りて、サクレキュール寺院まで行ってきたいと思っている。
そして、午後はパリの中を歩き回る。

中庭の自転車
[ホテルの中庭に自転車があり、宿泊者は勝手に乗り回してよいらしい]

07:40に本館にあたるソーラーホテルの一海で朝食をいただく。
バイキングではなく、ちゃんと着席でテーブルまで朝食を運んでもらえる。
しかし、朝食で出されるのは小さなバゲットパン半分、クロワッサン一個、バターとジャムが二種類、ヨーグルトにジュースとコーヒーだけ。
チーズも卵もない完全なコンチネンタル・ブレックファスト。
バンは美味しいけど、もう少しボリュームが欲しかった。

コンチネンタルブレックファスト
[これがパリの一般的朝食スタイルなんだろう]

9時前に自転車を借り出して、パリの街を北上。
リュクサンブール公園の脇を抜けて、カルチェラタンの坂道を下りセーヌ河畔に出る。
昨日の午後のパリも良かったけれど、今朝のパリもいい。
お金を徹底的に使わない主義で、パリで買いたいものも、食べたいものもないけれど、この街並みの中にいるだけで、気持ちがウキウキしてくる。
華やいだ雰囲気など無縁と思っているはずなのに、ここはやっぱり「花の都パリ」なんだと思う。
そう思わせるのは、青空の広がる天気ににもよるのだろうか、
金子光春の描くパリは、寒く、薄暗く、霧に霞んでいる情景が多い。
その金子の文章の中に「もとより都会という場所は、他人のはなやかさにまぎらかされて、誰もがじぶん自身のむなしさを忘れていることのできるところなのだ。つまり、誰かが、どこかでありついているらしい、この世のたのしい目に、捲きこまれているおもいだけで、いっしょにお振舞いにあずかっている気がしていられるのだ。」と書いている。

カルチェラタンの裏道
[パリはどこへ行ってもパリなんだ]

9時半、サクレキュール寺院のあるモンマルトルの中腹までやって来た。
坂道ばかりで、自転車で登っていくのは体力的に無理がある。
果物屋の間の道端に自転車を乗り捨てて、住宅と住宅の間に続く狭い坂道を登っていく。
途中から階段の続く小径となった。

モンマルトルの坂道
[坂が急]

登りつめたところはサクレキュールの裏側だった。
見上げると、とにかく無駄なくらい贅沢に青い空の下に、明るい朝の陽ざしに照らされたややベージュかかったドームを持つ建物が聳えていた。

サクレキュールの裏側
[今回の旅は天気に恵まれた]

この建物の上部、壁面の上端あたりにも、ノートルダムのような怪獣の上半身が伸びだしているのが見える。
4つ足をコーナーにそろえてしゃがみ、遠吠えをするように頭を前に突き出してい、口を開いている。

サクレキュールの怪獣
[この怪獣たちの顔を近くで見たくなる]

正面へ回り込む。
アーチのゲート、ドームの屋根、直線と彫刻、ベージュ色だったのが、色はより白っぽく見える。
建物正面の両端、コーナーの上に騎馬像があるが、銅がさびているのか、薄いエメラルドグリーンをしていて、やたらと目立つ。
建物は柵で覆われ、内部は入場料を取って公開しているようだ。
もちろん、中には入らない。

サクレキュールの正面にて
[サクレキュールの正面にて]

建物も壮麗で良かったけれど、やっぱりここはモンマルトルの丘の頂上でもあり、ここからの眺望が良かった。
建物前の広い階段にはたくさんの観光客が来て写真を撮っている。
視界の右側にひときわ高いビルが見えているが
モンパルナスタワーなのだろう。
宿のあるダゲールからモンパルナスは近いから、あのあたりから自転車をこいで来たことになる。

サクレキュールの階段から
[パリが眼下に見える]

それにしても、どこから見ても絵になる構図ばかり、小便臭いブリュッセル中央駅のような光と闇みたいな部分はちっとも見られない。
手入れは行き届き、明るく、金子の描く、パリはだいたいが寒い冬のパリで、そこにある暗さはこの6月の晴天のパリとは対極にあるように感じる。

サクレキュール寺院
[金子が感じていたパリの暗さは感じることができない]

時刻は10時となり、そろそろ宿へ戻ってチェックアウトの準備をしなくては。
下り坂が多いから、自転車でも楽々なのだけれど、このモンマルトル周辺はパリの下町なのだろう、地理不案内の身には、五差路に出くわすたびに、さてどっちへ行くべきかと迷ってしまう。
自転車だから、交差点ごとに止まって方向を確認してもたいした問題がないけれど、これが車だったら後ろからクラクションを鳴らされてしまうことだろう。
普通の交差点なら直進か左か右かで目的地への行き方もなんとなく自然にわかるのだけれど、五差路だと、直進はなく、右は手前側の右と奥の右の2つがあり、左も然りで、迷子になりそう。
それにどの建物も5階建てか6階建てくらいで、整然と並んでいて、みんな同じように見えてしまう。

そんな下町を走っていると、日本料理の店をたくさん見かけたが、同様にタイ料理のレストランもずいぶんとたくさんあった。
むかしはタイ料理なんて、ほとんど見向きもされない料理だったのに、なんでこんなにブームになっているのだろうか。
日本料理の店は殆どが日本人経営ではなく、韓国人や中国人が厨房で働いていると聞いたけれど、タイ料理屋はどうなんだろう。

タイ料理屋
[スコータイという名のタイ料理屋]

五差路で迷いながらもやがて凱旋門へ出る。
凱旋門まで来れば、あとは目印になるような場所も多いのでもう迷うことはない。
凱旋門からシャンゼリゼの通りを下る。

シャンゼリゼ
[日曜日の午前中だからか車は少ない]

そしてジョルジュサンクへ入って行けば、やがてセーヌ河に出てエッフェル塔が見えてくる。
今回の旅行で、防寒対策として長袖は何枚も持ってきたけれど、暑さ対策はまるで考えていなかった。
下着兼寝間着替わりのTシャツがあるだけ。
しかし、昨日も暑かったけれど、今日のパリもやたらと暑い。
長袖のシャツで自転車をこいでいると汗だくになってしまう。

セーヌ川
[パリはどこも絵になりそう]

エッフェル塔は今日もたくさんの観光客がエッフェル塔へ向かって流れていく。
路地のようなところにも観光客が溜まってガイドが説明をしている。
ガイドはいったいどんな話を聞かせているのだろうか。
観光客たちも浮かれている。

エッフェル塔へ続く路地裏
[パリはどこも観光客だらけ]

宿には11時ころに戻り、汗をかいたのでぬるめの湯をバスタブに張って入浴する。
ビールも一本飲む。
金子光春がパリで暮らしたこの宿では、あんまり部屋でゆっくりする時間もなかったけれど、快適な滞在ができた。
チェックアウトを済ませ、荷物を夜まで預かってもらうように依頼して、ダゲールと通りを端から端までゆっくりと歩いてみる。
通りは庶民的な雰囲気もあり、八百屋や魚屋、パン屋などもあったけれど、レストランなどの飲食店もおおく、観光客相手と思われる店の方が多いと感じた。

おもちゃ屋
[ここは玩具店らしい]

今夜のバスは夜10時なのでまだまだ時間がありすぎる。
金子光春はパリの街をメトロにも乗らずひたすら歩き回っていたというので、それに倣って私もパリをほっつき歩いて見るつもりにしていたが、ダゲール通りを往復しても時間は30分と流れていない。
流れたのは汗だけ。
それにちょっと疲れた。
昨晩、夕食にパンをかじりワインを飲んだカタコンブ裏の市民公園のベンチに座り込む。
そして、また夕食と同じようにパンをかじり、リンゴをかじる。

ビールとワイン
[パリで飲んだビールとワイン]

日曜日だから公園で遊んでいる子供たちの姿が目立つ。
この辺に住んでいるのだろうから、やっぱりこの辺は観光客だけのエリアではなく、生活感のあるエリアなんだろう。
この公園には水飲み場があった。
日本の公園なんかにもある水飲み場で、子供たちも水を飲んでいる。
ヨーロッパでは水道水を飲まないと言うけれど、どうしてどうして子供だけでなく大人も飲んでいる。
ここではタイのように飲料水は安くない。
私はケチなので水を買ってまで飲みたくない。
買うならビールだと思っているのが、しかし水を飲まないというわけにもいかない。
みんなが飲んでいるなら、私も飲めるはずと思い水を空のペットボトルに詰める。

木陰のベンチにゴロリ横になって1時間ほど昼寝をする。
そのうちに、木陰になっていた場所が移ってしまい、日に照らされ、暑いもんだから公園から撤退することにした。
気温は32℃まで上昇している。
なんだ、タイと変わらないじゃないか。

公園を出てから昨日は閉園後のため入れなかったモンパルナス墓地へ入る。
墓地には地図が用意されていて、有名人の眠る墓の場所などを示しているが、私は芸術家にしろ政治家にしろ、名前を聞いてもわからないので、そうした有名人の墓めぐりはせず、ただうろつくだけ。
金子はモンパルナスの墓地に関して「西洋風な墓地としては、横浜をはじめ、上海静安寺墓地などと比べてみても、どこかしめっぽく、どこかの片隅の石をもちあげて、屍体が這い出してきそうな気配があった」と書いているけれど、今日の墓地にはそんな気配はまるでない。
それに日本的に墓石と呼ぶのが妥当ではないくらい、墓の上の石造やコンクリート製の構造物は巨大で、重機でも使わなくては、とてもじゃないが石を持ち上げることなどできそうにないように思われた。

モンパルナス墓地
[モンパルナスタワーが墓地の向こうに見える]

ここモンパルナス墓地では公衆トイレを使わせてもらった。
パリ市内にも若干だけれど公共のトイレはあるが、ほとんどが有料。
それも私にとって安くない金額。
無料のトイレを見つけたら使わないという手はない。

墓地から出て、裏通りのような道を歩いてルクサンベール公園に入る。
ここも金子の本の中によく登場する公園で、金子が持て余している時間をつぶしたりするのに立ち寄っている。
私ももったいない貴重な時間だけれど、時間つぶしのためにルクサンベール公園の中を歩く。
運動公園のようなところもあり、木立の下のベンチで休憩している人もいる。
屋外演奏会でもするのか、楽器を持ち込んで音合わせをしているグループは正装している。
しかし、ほとんどの人の服装は、海にでも遊びに来ているのではないかと思うほどの軽装。
タンクトップにショートパンツ。
宮殿前の花壇と芝生があるあたりは、日影がないのであんまり人影は多くないけれど、木立のあるあたりは人でいっぱい。
私もベンチに座りたいけれど、日影になるようなところにあるベンチはどこもふさがっている。
空いているのは日向のベンチだけ。
ヨーロッパの人たちは、日光浴が大好きだと聞いていたけれど、芝生の上にマットを広げて寝転んでいる人もいるにはいるが、相対的にここでは日向より木陰の方が好まれているようだ。

リュクサンベール公園
[木陰のベンチには空きがない]

また、朝と同じようにカルチェラタンの街並みを抜けて、シテの方向へ歩く。
シテが近付くと、観光客の密度が高くなってくる。
観光客相手の店も多い。
絵葉書を店先で売っていたりする。
最近はスマホのカメラやSNSなどで、旅先から絵葉書を書いて送るようなことも減っているのではないかと思う。
旅先からのSNSは便利だけれど、あとになるとやっぱり形として残っているものの方が良かったと思うんじゃないだろうか。
そんな絵葉書も1枚が1ユーロなので安くない。

ネコのカード
[ネコのカード]

ネコのイラストの描かれたカードも並んでいる。
どのネコも黒猫たち。
ル・シャ・ノワールのデザインもあった。
でも、まだパリに来てから一匹も本物のネコに出会っていない。
パリのネコたちはどこにいるのだろう。

ノートルダム修復現場
[ノートルダムの修復現場]

ノートルダムの修復工事現場の横を歩く。
修復の様子をパネルにして防護壁に提示している。
ノートルダムは石造りの建物だけれど、内部の梁などは大きくて太い木材を使っているようで、その木の伐採の様子なども写真展示していた。

ノートルダム修復現場
[なるべく元々の工法で修復しているらしい]

時刻は5時、セーヌ右岸に渡りサンジャニック塔横に腰掛ける。
やっと日陰で座ることができた。
とにかく、6月のパリがこんなに暑くなるとは思わなかった。
私と同じように木陰で休憩している若者が何人もいる。
お金を使うことに躊躇さえしなければ、パリにはたくさんのカフェテラスもあり、冷たい飲み物でも飲みながら、通りを行き来する人たちを眺めながら休憩もできるが、お金を使うことを躊躇すると、忍耐力も必要になってくる。

サンジャニックの塔
[パリにはこうした建物ががあちこちにある]

サンジャニックの裏へ歩いていくとパリ市役所があった。
日本の四角いだけのコンクリート製市役所と違って、宮殿のように重厚感のある建物になっている。
来年はパリでオリンピックが開催される。
この役所の中でもオリンピックで忙しくしているのだろう。
それとも、ここでは手狭で、どこか別のところに近代的なオフィスビルで作業が行われているのだろうか。

バリ市庁舎
[今日は暑いけど市役所にエアコンはあるんだろうか]

市役所横のオテル・ドゥ・ヴィル(パリ市庁デパート)へ入る。
タイのデパートならガンガンにエアコンが効いているが、ここではそれほど涼しくない。
そもそもエアコンなどあるのかわからない。
ここに立ち寄ったのは、別に土産物を買いに来たのではない。
金子光春もこのデパートへ足を運んでいる。
金子によれば、「庶民向けで、値安く、そのうえ、よそのデパートではない大工道具や、段ボール、釘、金物のたぐいまで、なんでもまにあう」らしい。
いまも店内は庶民向けと言うか、あんまり高級雰囲気はただよっていない。
金子がデパートでどんな買い物をしていたのかはわからないが、金子はリヨンのデパートへ絵具を万引きしに行っている。
私はこのパリのデパートに買い物をしに来たのでも、万引きしに来たのでもなく、ただトイレを使いたくて入った。
日本やタイなら各フロアーにトイレがあるが、ここでは上の方の階まで上がらないとトイレを見つけることができなかった。

デパート
[金子も通ったパリ市庁デパート]

まだ明るく日も高いので、夕方になったような気がしないけれど、時刻は6時を過ぎている。
そろそろ宿に向る時間。
来るときと同じようにノートルダムの前を通り、カルチェラタンからパンテオンの坂道を登り、リュクサンブール公園を抜ける。
公園にはまだたくさんの人がいたけれど、空いたベンチをやっと見つけることができたので、ちょっとだけ座って休憩。
太陽が西に傾いて、日影になる面積が増えたから、日影ベンチの供給量も増えたようだ。
ここまで来て時刻は7時。
しかし、まだ午後4時くらいの感じがする。
でも、早く宿に戻って荷物を受け取り、夕食用のパンと冷えたビールを買わないと。
もう手持ちの食料は食べつくしている。

ダンフェルロシュロウ
[このロータリーの横に地下鉄乗り場がある]

ダンフォルロシュロウの胸をそらしたライオンの象があるロータリーを回り、ダゲール通りの入り口に差し掛かったところでネコを発見。
道端のカフェの前に座り込んでいた。
さっそくキャットフードの小袋を手に近づいてみたら、すり寄ってきた。
そしてキャットフードを夢中でカリカリと食べている。
首輪はしているけど、ちょっと痩せたネコで、お腹を空かせていたようだ。
シャノワールではなくちょっとシャムっぽい毛並みのネコだった。
パリでもネコに遭えた。

パリのネコ
[お腹を空かせていたようだ]

ダゲールの通りではすでに路上に並べられたテーブルで夕食を楽しんでいる人でいっぱいになっていた。
毎食、毎食パンばかりを食べているから、最後くらいは店に入って食事をしてもイイかなと言う気になった。
そう、イタリー広場周辺のベトナム料理屋でフォーでも食べてみようか。
以前来た時に、そこでフォーを食べたが、大衆食堂風で、一人でテーブルに着いても違和感はなかった。

ダゲール通り
[ダゲール通りは夕食タイム]

8時前、カバンを受け取りバスターミナルへと歩き出す。
イタリー広場まで来て、そこから横道に逸れてみた。
以前は公団住宅みたいな集合住宅がならんでいて、その1階部分に大衆食堂やスーパー何かが入っていたような記憶がある。
しかし、25年ぶりに来てみるとちょっと様子が変わっていて、ずっとおしゃれな街になっていた。
フォーを食べさせるような大衆食堂も見当たらなかった。

仕方なく、またバスターミナルへ向かって進み、ガソリンスタンドに併設されているスーパーでバゲットパンと缶ビールを購入。
メトロの高架下にあったベンチに腰掛けて最後の晩餐とする。
バゲットパンには醤油を少し垂らして食べる。
バゲットそのものにもともと塩味は少しあるけれど、醤油を垂らすことで旨味がぐんと増してくる。
バターやジャムなんかよりパンと醤油の相性はとてもいいと思っている。
そして冷えた缶ビールも旨い。
ずっと冷えてないビールばかり飲んできて、ヨーロッパでは冷えてないビールでも旨いと思って来たけれど、やっぱり冷えたビールの方が美味しい。
白ワインも少し残っていたので、それも旨い。
白ワインは冷えてないけど、旨いものは旨い。
こうしてバゲットをかじっていると、パンくずがこぼれる。
そうすると、それを目当てにハトたちが私の周りを取り囲んで争奪戦を始める。

最後の晩餐
[醤油を垂らしたパンをいただく]

こうしてハトと一緒に晩餐を楽しんでいたら、私の前を黒人男性が足早に通り過ぎようとした。
その男性、手に持っていたバゲットサンドウィッチとラズベリーパイをベンチで私が腰かけているすぐ横に置いて、コレコレって指さし、「食べろよな」って感じでウインクして立ち去って行った。
うーむ、私は彼から食べ物を施されたことになるらしい。
好意は嬉しいんだけど、長さが50センチくらいある私が買ったバゲットはもう大半を食べており、そろそろ満腹状態。
彼が置いていったサンドウィッチはサーモンや生ハムが入っていて、私の醤油バゲットより断然豪華なのだけれど、でもいつ作られたものかはっきりしない。
傷んでいたりして、腹を壊すようなことになったら大変である。
今晩は夜行バスに乗らなくてはならないからトイレが心配。
彼には感謝しながらも、バゲットサンドとラズベリーパイはハトたちに進呈することにした。
パリのハトはサーモンや生ハムを食べるということを始めて知った。
そのせいか、タイのハトよりも羽の艶がイイみたいだ。

いただきもの
[せっかくだけど、ごめんなさい]

時刻は既に9時半になった。
まだ暗くないので、時間が何時なのかわからなくなる。
10時少し前、セーヌを渡る。
これでパリもお終い。
あとはスキポール空港まで夜行バスに乗るだけ。

夕焼け
[夜9時半に夕焼けが]

22:15にブラブラバスはほぼ満員のお客さんを乗せて走り出した。
利用者はほとんどが若い旅行者で、アジア系の顔も見える。
私の隣は西洋人としては少し小柄の男性で助かった。
ようやく暗くなり始めたパリ郊外へ向かう高速道路に入り、シャルルドゴール空港へ立ち寄り、何人かのお客を拾った。
そのあとは一日中歩き回って疲れたのか、バスの狭い座席でも良く眠ることができた。

満員のバス
[夜行バスはタイでも乗り慣れている]

深夜にブラッセルの駅前に到着、ここで半分くらいの乗客が降りて行った。
こんな時間にバスから降りて、明け方までどうするつもりなんだろうか?
私の隣の席の男性も降りてしまったので、私はゆったりと座ることができるようになった。

6月26日(月)
次に目が覚めたのは、もうロッテルダムの近くであった。
ロッテルダムも昨年来た街。
時刻は5時を回っていて、空は明るくなりはじめていた。
朝焼けの中に風力発電の風車が回る景色の中を30分ほど走ったらもうスキポール空港へ到着した。
時刻は05:45で、定刻よりも30分くらい早い到着。

スキポール空港到着
[一夜を過ごしたパリからの紅いバス]

帰りの飛行機は11時過ぎなので、チェックインまでもまだだいぶ時間がありそう。
空港内にスーパーマーケットがあったので、土産用に缶ビール6本パックを買った。
無人のレジと有人のレジがあったけれど、有人のレジへ並び現金で支払いをした。
そうしたら、ビール代以外に1ユーロほどなにかチャージが付いている。
これは税金なのだろうか、それとも有人レジでサービス料なのだろうかと考えてしまった。

8時にチェックインとなり、そのままラウンジでハイネケン生ビールとスペインの発泡酒カヴァを飲み、パンとチーズを食べる。
去年から数えて3回目のスキポール空港だけれど、とりあえずこれからはもうこの空港を利用する予定はない。
これが最後となるかもしれない。

朝食
[久しぶりに温かい食べ物を口にした]

帰りの飛行機は満席で、私の隣にも中国系の男性が座った。
私はまたまたすっかり眠り込んでしまって、長いフライトもあんまり気にならなかった。
私の隣の男性は私が眠り込んでいたのでトイレに立ちにくかったことだろう。

バンコクに着いて、荷物がなかなか出てこなかった。
どうやらロストバゲージになったらしい。
手続きの書類にサインをして帰宅したが、電話がかかって来て荷物は台北にあって、次の便でバンコクヘ送られてくるから、夕方には届けると言われた。
台北での乗継時間が短すぎたようだ。

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金子光春を追って(中編)
6月24日 (土)
同室の若者たちの何人かは夜明け前に部屋から出て行った。
灯りもつけず、静かに荷物を整理して出て行った。
ドミトリー部屋でのエチケットはしっかりと守られているようだ。

私は7時にベッドから這い出して、朝の散歩に出かけた。
朝食は7時半からだそうなので、それまでに金子光春の住んでいた場所をもう一度歩いてみることにする。

サンマリ教会
[夜明けはそんなに早くないみたいだ]

土曜日の朝だからだろうか、表通りは人通りも車も少なく、閑散としている。
空は澄んだ青空。
スカラビークへ向かう道は、まっ正面にサンマリのドームがそびえているのが見え、歩いていくとどんどんドームが迫って来て迫力がある。
昨日は夕刻だったので、通りにまでディナーのテーブルが並んでいたが、まだ朝早いので車道も歩道もがらんとしている。
ときどきゴミ収集車が回ってくる。

Rue De La Hoecht 113番地
[Rue De La Hoecht 113番地]

この時間にも店開きしているのは青果屋で、ここだけは歩道にまで果物を入れたケースを並べている。
今の時期は桃が旬らしく、桃の甘い香りが周辺に漂っている。
桃なんて随分と長いこと食べてない。
美味しそうで、たべたいけれど、ぜいたくなことはしないことにしているので、香りだけ楽しませてもらう。
ここで売られている桃は、押しつぶしたように扁平な形をしたものもあった。
日本では見たことのない種類のようだ。

八百屋
[光春が住んだ部屋の下もこんな八百屋だったのだろうか]

さらに進んでサンマリ教会の周りを半周する。
小さな公園があって、その公園の木の幹に毛糸を編んだようなものをたくさん貼り付けてある。
なんとなくタイ東北部で縁起物として吊るされているトゥンを思い起こされる。
ベンチにはトルコ人らしい男性たちが座っている。
この毛糸を編んだものもトルコに関係があるものなのかもしれない。

毛糸の編み物

[なんの目的で、どんな意味があるのだろ江]

金子光春が暮らした部屋でリュウデラポスト(郵便局通り)へも回ってみたが、その途中、リュウデラポストの一本隣りロワイヤル・サントマリー通りに郵便局があった。
つまり郵便局通りの隣に郵便局は移転したんだろう。
それでも、通りの名前は昔のままらしい。
そのロワイヤル・サントマリー通りの先には、スカラビーク市役所の建物が見える。

スカラビーク市役所
[スカラビーク市役所]

8時にはユースホステルへ戻って朝食にする。
朝食はバイキングになっているけれど、サラダもハムもない。
食べられるものは、パンとチーズ、それに若干の果物とシリアルくらい。
コーヒーやジュースはある。
ナイフとスプーンは並んでいるけれどフォークがない。
厨房にいた男性にフォークがほしいと言ったのだけれど、
「朝食はスプーンとナイフで食べるもので、フォークは夕食で使うものだ」と教えられた。
周りの人たちもフォークなどは使っていない。
ナイフも果物を剥いたりバターを塗るのに使う程度。
スプーンはシリアルやヨーグルト用で、パンとチーズなんかは手づかみで、食べている。
60年近く生きてきて、初めて知った。
果物にはリンゴと一緒に洋梨もあった。

この日の予定は、午前11時過ぎのバスでパリに向かう。
朝食を食べ終わってもまだ時刻は9時。
ちょっとまだ早いけど、チェックアウトしてキャリーバッグを引っ張りながら、昨晩歩いたグランプラスへ向かって歩きはじめる。
ブリュッセルの道は石畳が多くて、キャリーバッグの車輪が壊れるのではないかと心配になる。
なるべくガタガタの少ない道を選んで歩くようにする。

出発
[コングレ記念塔]

グランプラスへの道はなだらかな下りになっているところが多い。
坂を下っていくと、大きな塔が2つ並んでいるのが見えた。
正面へ回ってみると、塔は大きな聖堂の左右に伸びているモノであった。
この聖堂はサン・ミッシェル大聖堂だそうで、昨日はバスに乗って移動したので気が付かなかったけれど、歩いていると色んなものが見られて楽しい。

サン・ミッシェル大聖堂
[サン・ミッシェル大聖堂]

ギャルリ・サンテュベールというアーケードの入り口も見た。
吉祥寺のサンロードなんかとは比較にならないくらい豪華なアーケード。
並んでいる店も高級品店ばかりのようで、私には無縁の場所のようだ。
さっさと通り過ぎる。

高級アーケード
[ギャルリ・サンテュベール]

グランプレスには朝からたくさんの観光客が来ている。
昼間ということもあるのか、昨晩のように広場に座り込んだり、寝転んだりしている人の姿は見かけなかった。
夜のグランプラスは豪華な印象だったけれど、青空と明るい日差しの中で見るグランプラスは、まるで中世のおとぎの世界のような印象を与える。
あまりにも見事なので、これは実物ではなく映画セットのようなハリボテではないかと思ってしまうほど。

グランプラス
[オイル交換でもらったTシャツ]

大聖堂とか博物館、美術館などベルギーには見どころがたくさんあって、世界中から観光客を集めているけれど、たいていどこも入場料を徴収している。
私は基本的に入場料のかかるところへは入らないことにしているけれど、このグランプラスは無料で眺められるので、大いに気に入った。
こんな景観が無料で開放されているとはすばらしい。

グランプラス
[どれだけの富が蓄積されてきたのだろう]

そして、ベルギーと言ったらチョコレート。
カカオの産地を植民地に持っていたからだろうか、ベルギーのチョコレートは世界的に有名。
そんなチョコレートを土産に売る店もグランプラス周辺には並んでいる。
でも、チョコレートを買ってまで食べたい思っている私はショーウィンドウから眺めるだけ。

チョコレート屋
[チョコレート屋のショーウィンドウ]

小便小僧にも挨拶していく。
ここにも朝から観光客が集まっている。
この小便小僧、毎日世界中から送られる衣装に着替えているそうで、この日はケベックから送られた衣装を身に付けられていた。
日本からのもあるそうだけれど、日本からだとどんな衣装になるのだろうか。

小便小僧
[小便少女には衣類がないのだろうか]

パリ行きのブラブラバスは、昨日下車した場所と同じブリュッセル中央駅の南口から出ることになっている。
小便小僧から中央駅への道は、ちょっと下町っぽい感じのところだった。
石畳ではなくなったのでキャリーバッグでも楽に歩けるようになったけれど、道路工事をしているところもあった。
中央駅に近づくにつれて、だんだん場末に近づいているような雰囲気もしてきた。
近代的な建物なんかも見えるけれど、薄暗い高架下からはアンモニア臭も漂ってくる。
浮浪者らしき姿もちらほら。
なんとなく新宿の大ガード下に似た印象を受ける。
タイでは、食べ物の腐った臭いとかよく嗅がされるが、こんなアンモニア臭の漂う場所は記憶にない。

パリに向かうバスは昨日のバスよりも大きなバスであったけれど、座席の間隔はだいぶ狭くて、ちょっと窮屈。
それに乗車率も良くてほぼ満席。
私の隣に座った人は、ずっとノートパソコンを開いて仕事をしていた。

狭い座席
[パリ行きのバスは大きいけどシートは狭い]

バスは高速道路を快調に走り、いつ国境を越えたのかも分からないうちにフランスへ入っていた。
パリに近づくとところどころで渋滞もしたけれど、パリのセーヌ河畔ベルシーにあるバスターミナルへ定刻より少し早い2時半過ぎに到着。
地下にあるようなターミナルのためかちょっと薄暗く、そしてここもちょっとアンモニア臭い。
このターミナルはパリからヨーロッパ各地への格安長距離バスの発着場所になっているようで、モニターにはたくさんの行き先が表示されていた。

パリ到着
[ベルシーの地下バスターミナル]

さて、とうとうパリ入城。
バリは25年ぶりくらいだろうか。
ベルシー橋でセーヌを渡り、左岸へ。
パリでの宿はモンパルナス近くのダゲール通りまでは、距離にして5キロくらい離れているけれど、ここも節約してメトロに乗らず歩いて向かう。

セーヌを渡る
[ベルシー橋は二層構造で上に地下鉄]

ダゲール通りへの道は弧を描くように続いていて、その途中にイタリー広場がある。
前回パリに来た時、つまり25年前に産経新聞記者で「サイゴンから来た妻と娘」を書いた近藤紘一の足跡を訪ねてこのイタリー広場周辺を歩き回った。
25年前のイタリー広場のロータリー周辺と現在とではだいぶ変わっていた。
ロータリーに面して大きなショッピングセンターがある。
レストランも高級化している。
近藤紘一が生前パリ足跡を残してからもう40年になる。

イタリー広場近く
[イタリー広場近く]

パリも好天に恵まれて、ダゲールへ向かって歩く道筋の街路樹の緑が新鮮で気持ちがイイ。
大通りの真ん中にはメトロが走っており、それが地下へもぐったり、地上へ出てきて高架へ登ったり。

1時間ほどかけて歩き、ダゲール通りへ到着。
狭い路地のような通りであった。
金子光春の文章の中から想像されたダゲールは、絵の具がこびりついた服装の人が行き交っているものだったけれど、いま眼前にはそんな人は一人も見当たらない。

ダゲール通り
[とうとうダゲール通りに到着]

金子光春が森美千代と暮らしたパリのホテルは、現在"Le Lionceau Hotel"という名前になっている。
金子光春が暮らしていた時期だけでオーナーが変わったりしているので、それからどのくらいオーナーが変わったり名前が変わったのかわからないけれど、現在はSolar Hotelという50メートルほど離れたブラール通りにあるホテルの別館と言う位置づけになっている。
なので、チェックインの手続きはSolar hotelで行う。

Le Lionceau Hotel
[金子たちが住んだホテル]

ここも小さなホテルで、入って行くと小さなレセプションがあった。
チェックインは簡単に済み、予約の時に希望していた別館のLe Lionceau Hotelに部屋が用意できているという。
今回、このホテルに1泊するが、料金は119ユーロ。
パリでは一番安いクラスの価格帯。

Solar Hotel
[こちらが本館に相当するSolar Hotel]

ホテルの一階はどういうご縁があったのか知らないが、タイ料理屋になっている。
そのタイ料理屋の横の階段を登って上に上がる。
金子光春たちが暮らしていた時も、階段にも絨毯が敷いてあり、夜でも足音が気にならないと言ったようなことが書いてあったが、現在もちゃんと赤い絨毯が狭い階段の端から端まで敷き詰められている。
階段の手すりも年季が入っている。
金子もこの手すりを握ったのだろうか。

絨毯敷きの階段
[絨毯敷きの階段]

金子たちの部屋はダゲール通りに面していたようだけれど、私の部屋は中庭に面していた。
窓から中庭を見下ろしてみたけれど、中庭には何もなかった。
金子たちのところへ、「金子たちが部屋を出る」との噂を聞いたあわてんぼうの洋画家が、家財道具抱えてやって来てしまうエピソードがあり、結局さの画家は中庭のアトリエに住むことになったと書かれていたが、現在の中庭にはアトリエは内容だった。

中庭
[かつてはここにアトリエがあったのだろうか]

部屋はシンプルなダブルベッドの部屋。
清潔でエアコンはないけれど窓を開けていれば快適。
冷蔵庫らしきものが部屋にあるが、壊れているのか使えなかった。

ベッドルーム
[私にはちょっと贅沢すぎる部屋]

風呂場にはバスタブもあるし、フランスらしくビデまである。
タオルなどのリネンもしっかり備わっていて、あとでお風呂に入るのが楽しみだ。

バスルーム
[お風呂に入るのが楽しみ]

フロアーの見取り図を見てみると、ダゲール通りに面した部屋は私の部屋より一回り程狭いようだ。
私の部屋は4階で、屋根裏部屋もあるようだけれど、客室にはなっていないようで、客室は3階と4階だけ。
各フロアーには3室だけしかない。

18号室の扉
[各部屋の扉には絵が描かれている]

金子光春以外にも、この宿は日本人と縁があったようで、ホテルの紹介文にも18号室には画家の板東敏雄がいたとある。
私の部屋は21号室だけれど、各部屋のドアもちょっとアートな感じなっている。
アメリカの彫刻家、アレクサンダー・カルダーもここで作品を作っていたそうだ。
金子たちはパリで額縁に彫刻を施す内職をして、ノミを叩く音や削りカスに気を使っていたようだけれど、他にも彫刻家が作品を作っていたことになる。

私の部屋の扉
[これは私の部屋の扉]

このホテルでは嬉しいことに無料のレンタサイクルのサービスがある。
さっそく自転車を借り出してパリの名所めぐりに出かけることにする。

時刻は4時半過ぎだけれど、まだまだ全然夕方の雰囲気はない。
モンパルナスからエッフェル塔、凱旋門、ノートルダムと時計回りにぐるりとパリのハイライトをサイクリング。
パリやローマは車の運転が乱暴だといった印象があり、自転車なんかでちょろちょろ走り回っても大丈夫だろうかと懸念をしていたけれど、パリでペダルをこいでみると自転車専用レーンが整備されているし、東京の郊外同様に自転車に乗っている人も多い。

最初にやってきたのはアンバリッド廃兵院。
ドーム型の屋根を持つ建物があり、ここにはナポレオンの墓があるそうだ。

アンバリッド廃兵院
[アンバリッド廃兵院]

そして、パリと言ったらエッフェル塔で、東京タワーとは貫禄が違う。
金子光春の本の中にも何度か登場しているが、1930年ころは今よりもひときわエッフェル塔が目立つ存在だったのだろう。
しかし、金子自身は高所恐怖症でもあるらしく一度も登ったことがないという。

エッフェル塔
[エッフェル塔前でバナナを食べる]

私は過去に妻と登ったことがある。
観光バスのコースで、塔の上にあるレストランでのディナーが付いていた。
そして、そのディナーで失敗した記憶がある。
2人に1本ずつシャンパンが付いており、下戸の妻の分も私がいただいた。
さらにテーブルで同席になった日本人母娘のふたりも飲めないというので、そちらも頂戴して、シャンパンを都合2本も飲んでしまった。
ここで止めておけばいいのに、またムーランルージュのキャバレーショーでもシャンパンを飲ませてもらい、翌日悪い二日酔いでフラフラになってしまった。

セーヌの遊覧船
[船の上は通勤ラッシュ並のようだ]

天気も良いので、セーヌ川を行き来する遊覧船も人でいっぱい。
花の都パリと言われるほどに、どこへ行っても観光客がたくさんいる。
私のように自転車をこいでいる人もいるが、電動自転車も多いし、それより電動キックボードが物凄い。
それらがちょろちょろしたり、追い越したりするので、自転車レーンを走っていても時々ヒヤッとすることがある。

ジョルジュサンクの通りを抜けて凱旋門へと向かう。
途中ジョルジュサンクホテルの隣にプリンスドガルホテルがある。
どちらも超高級ホテルで、最低でも一泊10万円以上するはずだけれど、妻とバリで滞在したのは、このプリンスドガルだった。
ロビーも部屋も重厚な作りだったなとの印象は残っているけど、ただそれだけ。
いまもホテル前には黒塗りの高級車がずらりと並んで、私のような自転車は近づくことさえ遠慮しなくてはいけなさそうな雰囲気。
周辺の店も一流のブランド品店が並んでいる。
そうそう、妻と二人でシャンゼリゼを歩き、ハンバーガー屋に入りたいと妻が言うので立ち寄りハンバーガーをかじりながら華やかな通りを歩いた。
あの時妻が食べたのはフィレオフィッシュだったはず。
自分が何を食べたのかは記憶にない。

プリンスドガル
[若いときは身分不相応ということがわかってなかった]

西日を背後に受けて凱旋門は聳えていた。
今年になって、ラオスのビエンチャンへ行く機会があり、ラオスの凱旋門をなんどか見ている。
シルエットとしてはどちらもよく似ているけれど、ラオスのとは華やかさがまるで違う。

凱旋門
[壁面や上部の彫刻もフランスのパワーを感じさせる]

観光バスがたくさん来ており、凱旋門を登ろうとする人たちはたくさんの車が行き来する巨大なロータリーの中にいる。
彼らはどうやってバスからロータリーの真ん中へ渡って行ったのだろうか。
自転車でロータリーを周回するのも、ヒヤヒヤものだった。

凱旋門からプラタナスの並木に若葉が茂るシャンゼリゼの緩い坂道を下っていく。
ここでも電動キックボードが私の自転車を追い抜いていく。
が、私の自転車を追い抜いたばかりの電動キックボードが、私のすぐ前で転倒した。
危うく私も巻き込まれるところだった。
乗っていたのは中国人風の若い女性だった。
自転車レーンがあると言っても、路面は石畳なのでデコボコしている。
車輪の小さな電動キックボードなど、慣れてなければ転倒事故など起きて当たり前。
それに歩行者を巻き込んでしまうこともあるだろうし、あんまり野放しなしているのは危険だと感じる。

シャンゼリゼ
[ハンバーガーを食べながら歩いたのはこのあたりだろうか]

ずっと下ってコンコルド広場に出る。
このあたりから重厚な建物が増えてくる。
オペラ座、ヴァンドーム、高級ブランドのショーウィンドウ。
まったく私とは縁のない場所で自転車で走り抜ける。

ヴァンドーム広場
[ヴァンドーム広場]

ルーブル美術館入口、ガラスのピラミッドも横目で見ただけで、そのままセーヌの河畔に出る。
もともと美術とかへの興味がないので、美術館などを見て回ろうという発想がない。
世の中にはヨーロッパで美術館周りをしたい人はたくさんいるだろうけど、私には猫に小判。
それに美術館の入場料が高いというのも、入らない理由になっている。

レトロなバス
[シャンジュ橋にて]

セーヌの右岸を走り、シテ島へ渡るシャンジュ橋のところでレトロなバスを見かけた。
大戦前の市バスのようで、緑色とクリーム色をした小型の車体。
バスの路線番号まで掲げているけれど、たぶん観光バス何だろうと思われる。
金子光春がパリに暮らしていた時にもこんなバスがパリ市内を走っていたのだろう。

レトロなバス
[レトロなバス]

やがてノートルダムが見えてきた。
先年の火災で焼失したと聞いているけれど、西側の塔がそびえている側から見る限りは、堂々とした威容が昔のままのように感じる。
塔の上の方にあるテラス欄干の怪獣もそのままのように見える。
ここにもたくさんの観光客が来ていて記念写真を撮っている。

ノートルダム
[パッと見には火災があったとは感じさせない]

しかし、ノートルダムの裏側、東側の部分は完全に焼け落ちてしまっていた。
ダンゴムシが脚を伸ばしたようにも見える聖堂と尖塔などは再建の真っ最中で、足場が組まれ、クレーンが動いている。
来年末には修復が完了して、内部も見学できるようになるとの話もあるらしい。
近藤紘一の本の中にもノートルダムは先妻との思い出の中に出てきていた。
それは、決して明るいものではなかったが、とても生々しかった。

修復作業
[修復作業]

時刻は既に7時近くになっている。
そろそろホテルへ戻って夕食の食べ物を買いにスーパーへ行かないと、昨日のようにスーパーが閉まって買い物ができなくなる恐れがある。
シテ島からは左岸、カルチェラタンの路地裏や坂道を自転車で進む。
坂を登り切ったところにパンテオンがあった。

パンテオン
[自転車だと坂道がちょっと辛い]

7時過ぎ、ダゲール通りに戻ってくる。
ダゲール通りでも道に貼り出してテーブルを並べてディナーを食べている人がいる。
そんな中を、ちょいと上を見たらば、黄金色した馬の首が3つ飛び出していた。

馬の首
[金色をした馬の首が三つ]

金子光春の部屋の窓から外を見ると、そこには黄金の馬の首があるように書かれていた。
その馬の首は馬肉屋のシンボルで、金子も馬肉を買って食べていたようだけれど、現在ダゲール22番地、金子たちがいた部屋の向かい側は馬肉屋ではなく、「香満閣」という中華料理屋になっている。
この90年の間に馬肉屋もダゲール通りの中を移転したとも考えられるのだけれど、現在この黄金の馬頭がある場所が馬肉の店かどうかの確認はシャッターが閉まっていて分からなかった。

現在のホテル向かい側
[現在のホテル向かい側]

ダゲール通りを金子は庶民的なところだとしていたが、確かに八百屋があったり魚屋があったりして、少し生活臭を感じさせるが、行き交う人の大半は居住者と言うより観光客のように感じられた。

八百屋や魚屋
[八百屋や魚屋]

夕食の食材探しにロシュロウ駅の向こう側にあるカールフールへ行く。
カールフールと言ってもコンビニを少し大きくしたくらいの小さな店舗。
何か買って食べようかと総菜や食品の棚を眺めたけれど、どれも値段がとても高い。
アムステルダムのスーパーと比べても倍くらい高いように感じる。
結局、ビールと白ワインだけを買う。

スーパー
[小さなカールフール]

夕食はカバンの中に食べ残しのパンとワイン。
カタコンブ近くの小さな市民公園のベンチに座って食べる。
ほんとうは近くのモンパルナス墓地で食べたかったのだけれど、墓地は6時閉園で入れなかった。
市民公園では子供たちが遊んでおり、そんな中でベンチでパンをかじり、ワインを飲むのはちょっと恥ずかしくもあったけれど、ボルドー産の白ワインはとても美味しかった。

白ワイン
[久しぶりに美味しいと感じる白ワインを飲めた]

ワインを半分ほど飲んで、ベンチから腰を上げ、ホテルの部屋へ向かう。
時刻は既に9時を回っているが、まだ十分に明るく、夕方のような感じ。
ホテル1階のタイ料理屋も大繁盛で、通りへ張り出したテーブルまで満席になっている。
パッタイが13ユーロと、タイの10倍くらいの値段だけれど、タイ料理はヨーロッパで随分と人気があるようだ。
どこの街角にもタイ料理の店がある。

ダゲール通り
[西日が差し込んできてまぶしい]

部屋へ戻って、バスタブにたっぷりとお湯を張って入浴をする。

22番・ダゲールまで
[22番・ダゲールまで]

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金子光春を追って(前編)
6月22日(木)から五日間の旅行に出る。
夕方の中華航空に乗って台北へ飛び、そこからアムステルダム行きに乗り継ぐ。
4月の旅行の時はオランダだけ、しかもハーレムに3泊滞在するのんびりとしたものだったけれど、今回はアムステルダムからベルギー、フランスと回る駆け足旅行。
それぞれの移動区間のバスもすでに手配済みなので、どこかでスケジュールが崩れると身動きが付かなくなってしまう懸念がある。
その試練第一歩が初日の台北での乗り継ぎ。
乗り継ぎ時間が1時間しかない。
飛行機が遅れるのはしょっちゅうなので、ここで乗り継ぎに失敗したらどうにもならない。
数日前から飛行機のフライト状況を確認すると、だいたい15分くらいの遅延で台北へ到着しているが、1時間近く遅れている日もあった。

そんな懸念を抱きながらも台北には15分ほどの遅延で到着し、無事に乗り継ぎに成功。
しかも、ラウンジにも立ち寄って缶ビールをいただく余裕まであった。
コロナからずっとラウンジに置かれたビールは台湾ビールだけだったけれど、今回覗いてみたらサッポロビールも置かれていた。
ここも少しずつサービスがコロナ前に近付いてきている気がする。

台北からアムステルダムまでは14時間のフライト。
機内はほぼ満席。
私の隣は運よく空席になっている。
機内では機内食を食べて、狭いシートでうつらうつらして過ごす。
今回の旅行に出る前の数日間も忙しく飛び回っており、睡眠不足になっていたから機内ではぐっすり眠れるだろうと思っていたけれど、どうもうまく眠りに入れない。
機内は照明が消されて暗いのだけれど、半分くらいの人は起きて映画を見ているらしく、シートのスクリーンが青白い光を放っている。

6月23日(金)
アムステルダムにはほぼ定刻の7時過ぎに到着。
入国審査も簡単に終わり、荷物を受け取り税関前にあるトイレへ入る。
トイレへ入った時、手洗い場に女性がいたので、最初入り口を間違えたかと思った。
が、入り口を間違えたわけではない。
次に女性用が混んでいるから男性用に回ってきた人かと考えたけれど、よく観察してみたらここのトイレ、入り口は男性と女性が分かれているが、中に入ると男女一緒になっている。
日本でもタイでもまだこのような仕組みのトイレは見たことがない。

スキポール到着
[台北での乗継含めて20時間かかって到着]

さて、次の目的地はベルギーのブリュッセルなのだけれど、ここスキポール空港からなら電車で直接ブリュッセルへ行けるようになっている。
オランダは電車が発達していてとても便利。
しかし、ヨーロッパの交通機関は運賃が高い。
ブリュッセルまで早割りで25ユーロと言う金額。
タイから来た身には、ちょっと高く感じたので、もう少し安くいく方法はないかと調べたらBlaBlaバスという会員制のようなバスが走っていて、これがやたらと安い。
スキポール空港からブリュッセルまで11ユーロほどの金額。
所要時間は電車よりかかるけれど、値段が安いので09:48発のバスを予約しておいた。
バスの出発時刻まで時間があったけれど、空港内のベンチに座って、ブリュッセルに着いた後の行動予定などについてスマホを使って計画を立ててみる。

今回の旅行の目的は、金子光春の足跡をたどってみようというもので、以前にもマレーシアのバトパハを訪ねている。
画家であり、詩人である金子光春は、マレー蘭印紀行、眠れパリ、西ひがしの3冊の旅行記の傑作を残しており、90年の時を隔てても、色あせない情景を再現してくれている。
しかし、90年の間に、世界中いたるところが変わってしまい、当時と今とでは全く違っているところの方が多い。
バトパハでは、金子が滞在していた日本人倶楽部の建物は健在で、すでに倶楽部ではなくなっているが、ここの一室の藁布団で金子は寝泊まりしていたのかと思うと、タイムスリップしたような気になれた。
今回、この3冊の旅行記に加えて、「マレーの感傷」という作品集を読んでみた。
その中には、ブリュッセルやパリで過ごした住所番地まで記されていた。
それを頼りにして、ブリュッセルとパリを訪ねてみたかった。

スキポール空港からのBlaBlaバス、チケットにバス乗り場は「スキポール空港」と書かれているだけで、何番のバス乗り場とかの表示がない。
ターミナルを出たところでタクシーの客引きをしている男性に確認したら、タクシー乗り場の隣で待っていれば来るよと教えてくれた。
バスの出発1時間前には、バスの座席番号を知らせるメールも届いた。
座席は6Aだそうだ。

バスは少し早めにやって来た。
車内は空席が目立つ。
空港を出て、牧場の中を走るハイウェイを快調に走る。
ホルスタイン種の白と黒の牛が緑の中に群れている。
集落には教会の尖塔が見える。
風車小屋を見るとオランダに来ていると言った実感がわいてくる。

空席が目立つ
[車内は空席が目立つ、乗り心地も悪くない]

30分ほど走ってユトレヒトに到着。
ここで数名乗車してくるけど、まだまだ車内は空席が目立つ。
さらに30分ほど走って国境を越えてオランダからベルギーに入った。
国境には高速道路沿いにここからベルギーみたいな看板が一つ立っているだけで、国境となるような川だとか、山の尾根なんてものはなにもない。
もともといったいどのようにして国境を定めたものなのだろうか。

ユトレヒトのバス停
[ユトレヒトのバス停]

国境を越えてすぐガソリンスタンドに立ち寄る。
スタンドにはスーパーが併設されていたので、バスから降りて覗いてみる。
コンビニのようなスーパーで、奥の方に惣菜が売られている。
コロッケのような揚げ物が売られているが、値段が高い。
ひとつ3ユーロ前後になっている。
このところユーロが値上がりしていて、1ユーロが38バーツくらいになっているから、3ユーロだと120バーツ近い金額。
日本円でも500円くらいだろうか。
ベルギーはオランダよりも物価が高いのかもしれない。
それにしても、500円のコロッケとは驚いた。
むかし、日本が世界で一番物価が高いと思っていた。
アメリカでもヨーロッパでも、物価が高いとはあんまり感じなかったけれど、どうやら世の中変ったようだ。
東南アジアの発展途上国に20年も沈没していたので、浦島太郎になってしまった。

コロッケが3ユーロ
[無駄遣いはしません]

バスはアントワープでたくさんのお客を載せて、ほぼ満席となった。
このバスの最終目的地はパリということしい。
みんなパリへ行くのだろう。
アントワープは金子光春の妻、森美千代が金子と別れて船賄事務所で働いていた場所。
大きな港町で、大型船の入れる運河があるけれど、バスの車窓から見る限りでは、港町と言った印象は受けない。

アントワープ
[バスの窓から見たアントワープ]

ハイウェイを走る車はほとんどが欧州製で、ベンツやシトロエン、ワーゲンなど。
日本車の占める割合は1割くらいではないかと思われるくらいの少数派になっている。
それもコンパクトカーばかり。
ここでも世界の中から日本の影が薄くなっているのを感じる。
そんな欧州車ばかりのハイウェイも所々で渋滞する。
特にブリュッセル近くは交通量も多いようで、もうとっくにブリュッセルに到着している時刻なのにまだハイウェイの上。
1時間遅れてブリュッセルに到着。

今夜の宿は、ユースホステル。
先ほどスキポール駅で計画を練っているときに、ブリュッセルの移動にはバスや市電に乗り放題となるフリーパスが便利でお得であるということを調べた。
24時間使えて8ユーロほどらしい。
とりあえず地下鉄の駅へ行けば買えるだろうと思って、地下鉄駅へ。
駅のキオスクで買えました。
確かに8ユーロ。
「24時間使えますよね」と念押し確認したら、
「ちがう、今日だけだ」と言われる。
うーむ、買うキップを間違えたかな。

1日乗車券
[一日乗車券]

とにかく、地下鉄に乗り込んでユースホステルへ向かう。
バンコクや東京の地下鉄と比べるとぐっと小さな車体で、エアコンがないので窓も開けている。
そのため車内は狭くて騒音も大きい。
イスラム系の女性や黒人、アラブ系の男性など、車内はいろんな人種の人が乗っている。
駅と駅の間隔は短くて、500メートルくらいだろうか?
ドアは半自動で、取っ手を引くとガラガラと開く。

ユースホステルは小さなロータリーに面した建物で、時刻はすでに3時を回っていたのですぐにチェックインさせてくれた。
受付の女性は片言の日本語を話し、香港出身で日本が大好きだと言っていた。
部屋は8人部屋だけれど、私以外はまだ誰もチェックインしていないようなので、窓よりのベッドを確保させてもらう。
宿泊料には朝食も含まれており、また共用のキッチンもある。
夕食には冷凍食品でも買ってきて食べようかと思う。

ユースホステルの建物
[なかなか立派な建物のユースホステル]

金子光春の住んでいたエリアはユースホステルから北に1キロほどの場所。
歩いても行けるところだけれど、せっかくフリーパスがあるので、ちょっと遠いところへ行ってみようと思った。
金子光春がブリュッセル滞在中に、いろいろと面倒を見てくれていたベルギーの東洋趣味コレクターのルパージュ氏が空港に近いディーガムというところに住んでいて、金子はそこへ頻繁に通っていたらしい。
そのディーガムのルパージュ氏の住所も「風車小路の7番地」と書かれており、だいたいの場所も見当をつけ、宿近くからバスが出ていることも判明した。
さっそく、そこから行ってみようとバスに乗り込む。
パスを読み取り機にかざしたけれど、ピピーという信号音がならない。
変だなと思ったけれどドライバーはイイから乗り込めという仕草を見せる。
が、どうも乗ったバスは目的地とは反対方向へ向かうバスだったことが判明する。
次のバス停ですぐに降りて、バスを乗り換えることにする。
フリーパスなので、こうして乗り間違えしても問題ないから良かった思う。
が、乗り換えようとしたバスの読み取り機もピピーっという信号音がならない。
そして、こんどのドライバーは「イイから乗れよ」という仕草をしない。
"Can you speak English?"と聞いてくる。
自信はないけど、イエスと答えたらば、
「そのパスではこのバスに乗れない、別の会社のバス用だ」と教えられた。

どうやらブリュッセルには2つかそれ以上のバス会社があるらしく、このフリーパスは共通で使えるものではないらしい。
しかも、ディーガム方向へ行くバスはいずれも別会社のバスらしい。
それでは仕方がない、別の場所へ行くとするか。

ブリュッセルの街
[バス会社がいくつもあることまで確認していなかった]

「マレーの感傷」の中には金子が歩き回った土地の名前がたくさん出てくる。
ワーテルローやビールセルなどを金子は森美千代と歩いている。
そんななかにテルビウルンと言うのがあった。
大きな森の公園らしく、白領コンゴー殖民博物館があるとなっている。
ブリュッセルの街の南東側にあるのだけれど、そこまでなら地下鉄と市電を乗り継いで行けそう。

モンゴメリと言うところから乗った市電が良かった。
2両編成でちょっと旧型の市電は、最初乗り場を探すのにウロウロとしたけれど、乗り込んでしまうと市電とはいっても東京の荒川線のようにほとんどが専用軌道を走り、その軌道は両側から包み込んでくるような緑の茂みに覆われいる。
この緑のトンネルの中を進む雰囲気がメルヘンチックで、ディーガムへは行けなかったけれど、なかなか雰囲気の良いところへやってくることができたと思った。

テルビウルンへの市電
[緑の中を走っているのは爽快]

終点がテルビウルンの公園前になっており、そのまま公園へ入っていくと、堂々たる建物があり、アフリカ博物館となっている。
これが元の白領コンゴー殖民博物館で、金子もこの明るい森の中の道を歩いたのだろう。
大きな長方形をした池があり、そり回りは手入れの良い芝になり、そして森となっている。
金子は日本の森と西洋の森は違ってて、日本の森はジメジメしているが、西洋の森は明るいと言ったようなことを書いていたけれど、この公園の中の森は深いけれど、確かに明るい森であった。
長方形の池や芝など、幾何学的に設計された公園で、美しいけれど、その美しさは人間によって作られ、管理されている美しさで、日本のような自然そのものの美しさとは別物だとわかる。
多くの画家がここで絵を描いたということだけれど、日本と西洋では描く絵でも被写体への向き合い方が違っているのではないだろうか。

アフリカ博物館
[広々として壮大な博物館]

ふたたび、緑の中を市電に揺られてモンゴメリへ戻る。
調べてみるとモンゴメリからブリュッセル市の外周を走って、ディーガムの近くまで行くバス路線があることを発見した。
私が買ったフリーパスはブリュッセル市の交通局のパスで、ブリュッセルにはブリュッセル市以外の近郊からもバスが乗り入れており、そうしたバスは交通局のバスではないから乗れないということらしい。
モンゴメリからディーガム近くへ行くバスは、ブリュッセル市から外へ出ないようだ。

目論見は当たって、ディーガムまで1キロほどのアーレンという町までバスで行くことができた。
近郊住宅街と言った感じのところで、ちょっと歩くと麦畑になっている。
そこから歩いて風車小路へ向かう。
大きな幹線道路を越えてすぐのところに風車小路と金子が呼んでいた"Watermolenstraat"はあった。
大型のトラックが行きかう幹線道路と違って、昔ながらの曲がりくねった小道で、道の両側にレンガ造りの住宅が並んでいる。
7番地もすぐに見つかった。

風車小路
[風車小路の入り口]

通りの左側が奇数番地で、右側が偶数番地。
なので通りに入って4件目がもう旧ルパージュ氏の邸宅ということになる。
ルパージュ氏は代々区長の名誉職にあり、本人も実業家で手広くビジネスをしていたようなのだけれど、実際風車小路7番地に建っている建物は邸宅と言うイメージからは遠く、庶民階級の住宅と言った印象を受ける。

旧ルバージュ邸
[旧ルバージュ邸と思われる]

たぶん、建物自体90年前と同じではないかと思われる古い作りで、ここにルパージュ氏が住んでいて、金子はここを頻繁に訪ねていたのに間違いはないだろう。
いまもここにはルパージュ氏の縁続きの人が住んでいるのかどうかはわからない。
日本の住宅と違って、表札などは出ていない。
どんな人が住んでいるのかはわからないが、子供用の自転車が庭にあったので、きっと子供のいる家庭なんだろうと思われた。

旧ルバージュ邸
[いまはどんな人が住んでいるのだろうか]

これでディーガムも確認できたし、あとはブリュッセル市内の金子の旧居3か所を探すだけ。
これも本に書かれており、
Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階

居所番地
[金子光春の居所番地が書かれている]

最初の家は、八百屋の2階ということになっていたけれど、現在は八百屋ではなく肉屋になっているようで、"Foungee 1978 Boucherie Abdel"と書かれている。
路地と路地の交差する角に立っており、西側へ続く路地は下り坂でブリュッセル北駅へ向かっている。
金子はここは広い部屋と書いていたけれど、外から見ただけでも一面に窓が3つもあり確かに広そうだ。
現在のこの店の名前からも推測できるように、このあたりはトルコ人がいになっていた。
時刻は7時過ぎで、通りにはトルコ料理の店がテーブルを並べていた。

Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
[現在は八百屋ではなく肉屋になっているようだ]

そこから少し北に歩いたところ、サンマリ教会の裏側の路地が、リュウデラポスト(郵便局通り)で、183番地はクリーム色の壁に深緑の扉と言ったこじゃれた3階建て。
このあたりは住宅街なのか。商売をしている建物ではない。
所番地は間違えないけれど、瀟洒な建物は牛乳屋だった面影はない。
既に建て替えられたものなのだろうか?

Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
[牛乳屋には見えない]

3軒目は、少し離れていて、郵便局通りの建物と比べると一格落ちるようなレンガ建ての住宅で、当時は洗濯屋だったのかもしれないけれど、現在は商売をしているようには見えない。
そして、金子が住んでいたのは4階となっているけれど、このあたりの家並はどこも3階建てで4階のあるものは見かけない。
金子が言っている4階と言うのは屋根裏部屋のことなのだろうか。
通りかを見上げても、屋根裏部屋にあるはずの出窓は見えなかった。

Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階
[3軒の中で一番小さい建物]

ここまで回って、いったんユースホステルの部屋に戻った。
時刻は8時半を回っている。
部屋にはもう若者たち数人が入っていた。
私はシャワーを浴びて、夕食材料を買いにスーパーを探そうとGoogleMapで調べてみるのだけれど、この周辺には大型スーパーはなく、どこもコンビニに毛の生えた程度の店しか表示されなかった。
しかも、コンビニ並みなのにどこも夜8時閉店で、すでに店が閉まっている。
サマータイムでしかも緯度の高いところなものだから、夜9時になっても外は明るい。
どうも時間の感覚がずれてしまっている。
しかたなく、機内食などで食べ残したパンなどを持って外へ出る。

ブリュッセルの下町のようなところを歩く。
ブッシェ通りと言う路地を進んでいくと料理屋が連なっている。
どこも繁盛していて、店の外にまでテーブルを並べている。
デリリウムというピンク色のゾウのマークがあるビール屋の奥に「小便少女」がいた。
小便小僧のパロディーということらしい。
有名なベルギービールの店ということで、店の中も外もお客でいっぱい。

小便少女の路地
[この奥に小便少女像がある]

そこから少し歩いたところで、ネコを一匹発見。
ベルギーで見かけた最初のネコ。
このネコがやたらとジャンボ。
毛が長くて大きく見えるということもあるけど、普通のネコの3倍くらいのサイズ。
カバンに忍ばせておいたキャットフードを取り出して与えた大喜びで食べて、あとはスリスリ。

ベルギーのネコ
[ネコはどこでも人気者]

夜10時、グランプラスに到着。
旧ギルドの壮麗な建物に囲まれた世界一豪華な広場と言われる場所だそうで、この広場の石畳の上に寝転んで取り囲む建物を見上げるとよいというので、早速やってみる。
この広場で機内食の残りのパンや飲茶とともにビールを飲んで、ちょっといい気分になる。
貧しい食事だけれど、目に映るのは豪華な建物。

グランプラス
[エビシュウマイ]

それにビールも飲茶も美味しい。
ヨーロッパに来て思うのは、ここで飲むビールは冷えてなくても美味しく感じられること。
日本やタイだと冷えてないビールなど飲めたものではないけれど、ヨーロッパなら美味しく感じる。
湿度など気候と関係しているのだろうか。

グランプラス
[ベルギーで台湾ビール?]

この時間になってやっと少し薄暗くなってきて、建物に明かりがともり始めているけれど、まだまだ明るい。
夜空の下で見上げた方が、より感動的なんだろうけど、もう時間的には夜も遅い。
ユースホテスルの門限も気になる。
しかし、小便小僧の像にも挨拶しなくては。

小便小僧
[世界三大ガッカリの一つらしいけど]

グランプラスからバスや地下鉄を乗り継いでユースホステルに帰る。
時刻は11時を回っており、地下鉄から外に出たらばさすがに暗くなっていた。
ユースホステルのルームメイトたちもすでに明かりを消して眠っているらしい。

白夜かな
[夜11時でもまだ少し明るい]


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