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台湾温泉旅行2017年11月-未踏のマレッパヘ
11月24日 金曜日

このところ年に2回の恒例行事と化しているノックスクートを利用した台湾格安旅行。
今回でもう5回目くらいになるだろうか。
はじめは往復で3,000バーツ程度だったのが、だんだんと高くなり、もう5,000バーツを越えている。
しかも、今回は復路にオプションまで付けたので6,000バーツを越えている。
もう、安いから台湾へ行くという理由は成立しなくなりつつある。

そして、値段が高くなるのと同じように、搭乗率も高くなってきているようで、午前零時過ぎのチェックインカウンターは長蛇の列になっている。
チェックインの行列に並ぶのはあまり愉快ではない。
前後とも、観光客グループで楽しそうに笑ったり写真を撮り合ったりしている。
一人旅は台湾でもタイでもあまり一般的ではないようで、行列の中で浮いた存在になっている。

ドンムアン空港チェックインカウンターの行列
[午前零時を過ぎてもドンムアン空港チェックインカウンターには行列]

順番がやっと回ってきて、チェックイン。
「窓側か通路側どちらにしますか」とちゃんと聞いてくれる。
これが当たり前だと思うけど、前回マレーシアへ行った時に乗ったエアアジアは座席の選択は追加料金を払わない限り一切できなかった。
「どちらでも良いけど、なるべく前方の席をお願いしますよ」と希望を述べたら、22Hと言う座席が出てきた。

午前2時過ぎに搭乗してみたら、もらった席は大正解であった。
機内前方のサイレントゾーンと言う区分にある黄色いシート。
以前もこのシートだったことがあり、足元が広くて快適だった。
事前にこのシートの予約をしようとすると、随分と高い追加料金がかかることになっているらしい。
このノックスクートに乗る人は若い人が多いのだけれど、このサイレントゾーンに乗っている人の年齢は私を含めてちょっと高めである。
航空会社でも、年配者には何らかの配慮をしてくれているのだろうか。

黄色いシートは前の座席に膝がつかえることがなく、普通の飛行機よりも足元が広いかもしれない
[黄色いシートは前の座席に膝がつかえることがなく、普通の飛行機よりも足元が広いかもしれない ]

ただし、3人掛けのシートて、隣は中年のタイ人女性二人組であったので、ゴロリと横になるわけにはいかなかった。
しかし、私のすぐ前のシートは一列丸まる空いている。
客室乗務員に席の移動をしたい旨伝えたのだが、「移動には追加料金が必要」とのことであった。

足元は広くて、膝がつかえることもなくてよいのだが、シートそのものは薄っぺらなエコノミーで、痛めている頸椎に負担がかかるのか、前回マレーシアへ行った時と同様に、首から背中にかけて痛み、右腕が痺れっぱなしとなる。
背もたれにクッション代わりとして枕でも当てたいところだが、LCCなので枕も毛布も配られない。
台北までの4時間、ひたすら目を閉じて、痛みに耐えて座り続ける。

最前列のシートへの移動は断られ、空席のままだった
[最前列のシートへの移動は断られ、でもずっと空席のままだった ]

定刻よりも少し早めの6:45に桃園空港に着陸。
急げば、7:05発の台中行バスに間に合うかもしれない。
着陸したものの、地上をノロノロ走ったり、止まったりを繰り返して、7:55にやっとターミナルへ。
しかも、イミグレーションから一番遠いゲートに着いたようだ。
大急ぎでターミナル内を走り、一番でイミグレーションを抜けて、バス乗り場へ。
果せるかなギリギリ間に合いそう。
しかし、バスの切符売り場に係員が見当たらない。
うーん、しからば直接バスへ。
台中行の緑色したバスはまもなく出発しようとしているところだった。
「間に合った」と喜んでバスに乗り込もうとすると、ドアの横の女性係員が「切符を買ってからの乗車です」と言う。
切符売り場に係員がいなかったことを伝えたが「必ずいるから、急いで買ってきなさい」と言う。

係員は切符売り場に戻っていた。
大慌てで台中までの切符を買い(280元)、バスへもどったのだが、そこにはもう緑色のバスはいなかった。
先ほどの女性係員が「次のバスは7:35だからね」と言う。
ちょっとくらい待っててくれても良さそうなものだが、まぁ待ち時間が30分くらいなら許容範囲だろう。
慌てて乗り込んで、台中までの2時間少々トイレを我慢しなくて済んだと思えば、不幸中の幸い。

桃園空港には今にも雨が降り出しそうな厚い雲がかかっていた
[桃園空港には今にも雨が降り出しそうな厚い雲がかかっていた]

7:35のバスは前回までのバスが3列シートのゆったりタイプだったのと比べると、普通の4人掛け、USB電源も付いてなければ車内WiFiにログインしても、ネットには接続できないなど、ちょっとサービスのレベルが低いバスに当たったようだ。

台中駅前に到着したのは午前11時。
時計台のある旧台中駅から新しくて大きな台中駅にすでに変わり、電車も高架を走るようになったけれども、どうもまた新しい台中駅舎は完全には完成していないのか、駅の入り口は旧駅舎を使っているようで、旧駅舎へ出入りする人がたくさんいる。

埔里行きのバス乗り場も、旧駅舎前のロータリーではなくなっていて、前回は随分と歩いたけれども、そのバスも新しい駅舎前にバスターミナルができていて、そこを経由することを知ったので、そのバスターミナルへ向かう。
バスターミナルは新しく、大きく、各方面行きのバスが発着するようにできているので、大変便利そう。
それとターミナル内の飲食施設や土産物売り場なども、まるで日本の駅構内物産館のように充実しているし、ディスプレイも垢抜けている。

次の埔里行きのバスは11:15発となっていた。
それまでターミナル内のWiFiに接続してみる。
本当のところ、今回の台湾旅行はいつものマンネリ廬山温泉旅行ではなく、中国大陸に近い馬祖島へ行こうと思って夏くらいから計画していたものである。
しかし、先月くらいから台湾から馬祖島へ渡るフェリーに欠航が目立ち始めていた。
欠航の理由は、風と波浪のためらしい。
そして、1年のうちでも今くらいが一番北西風が強いらしくて、今月に入ったらほとんど毎日欠航続き、せいぜい週に一便運航できるかどうかと言った感じになっている。
こんな状況では、島流しになって帰れなくなってしまう恐れもあり、馬祖島行きはもう少し季節の良い時まで延期と決めた。
そして、ウェブを確認すると、やはり今晩の馬祖島行きのフェリーは欠航となっていた。

馬祖島行きのフェリーは今日も欠航

埔里行きのバスは車内のWiFiでネットに接続できた。
埔里に着いた後、温泉まで行くバスの接続時間を調べてみたら、埔里発が11;20と次の13;00となっている。
台中から埔里まで所要時間は1時間なので、11:20のバスにはギリギリで間に合いそうに思えるし、早く温泉に着きたいところなのだが、今朝はまだ何も食べていない。
それに温泉に着いてしまうと、温泉街には一人でふらりと食事が取れるところがほとんどない。
台湾の観光地で一人旅はレアケースのため、どの食堂もグループ向けになってしまっている。
埔里の街ならば、一人飯向けの食堂は充実している。
そのままバスを乗り継ぐべきか、一便遅らせるべきか考えているうちに埔里に到着。
十分に乗り継げそうだったけれど、台湾の楽しみは食べることでもあるので、すぐの廬山温泉行きのバスを横目に、埔里のバスターミナルから市場の方へ向かって歩き出す。

なお、埔里のバスターミナルのトイレは大掛かりな改装工事をしていた。
ここのトイレは初めて埔里に来た30年以上前から変わっていなかった。
当時からちょっと臭い、古めかしいトイレだったが、とうとう改装されることになったらしい。
時代の波は、こんな田舎のトイレにも押し寄せているのかと感傷的な気分になる。

埔里の市街地をしばらく回ってみて、四海遊龍の餃子チェーンに入ることにする。
餃子好きなので、やはり看板を見ると食べたくなる。
鍋貼と言う台湾式棒餃子8個とニラ入りの水餃子6個を注文。
以前は焼き餃子1個当たり5元だったが、少し値上がりしで5.5元になったようだ。
ライバルの八方雲集チェーンで前回食べた時は、5元のままだったが、そっちは現在どうなっているのだろう。

四海遊龍の焼き餃子(招牌鍋貼)
[少し値上がりしたらしい四海遊龍の焼き餃子(招牌鍋貼)]

餃子の皮も淡緑色をしたニラの水餃子
[ニラの水餃子は、餃子の皮もうっすらと緑色をしていた]

餃子を食べ終えてもまだ廬山温泉行きのバスまで1時間近くある。
やっぱり、時間がもったいない。
荷物がなければ、街中を歩き回るのだが、頸椎の炎症で右手に力が入らず、とても荷物を持って歩き回れそうにない。
バスターミナルへ戻ってきたところ、ターミナル前には何軒かのレンタルバイク屋が並んでいた。
そうか、バイクを借りて廬山温泉へ行くと言う方法もあるなと思い、店の前にバイクの貸出料を書いた看板を立てている店に入ってみた。
看板には50ccからレンタルがあるようで、125ccクラスでは300~400元となっていた。
バス代よりも高いけれど、バイクがあれば、廬山温泉周辺での機動力も確保できる。

しかし、バイクは借りられなかった。
外国人には貸さないことになっているという。
行きたいところがあれば、タクシーで行った方が良いという、嬉しくもないアドバイスをもらってその店を出る。

すぐ隣もレンタルバイクで、出租機車とは書いてあるけれど、料金表などは掲載されていない。
ダメもとでバイクの借用を尋ねたら、ふたつ返事でレンタル契約書を出してきて、手回しよくレンタルの手続きを始めた。
パスポートと国際免許書を提示して、保証金の代わりに身分証を預かることになっているというのだが、パスポート以外に身分証を持っていないし、パスポートは預ける訳にはいかない。
「タイの運転免許書(自動車用)でも可以か?」と聞いたら、OKとのこと。
契約書にサインをして、「ところでいくら?」と尋ねたところ、1日600元と言う。
うーむ、予算オーバーだなぁ、、料金交渉をするが、他の人の契約書を見せながら、みんなこの金額で借りてるんだよと言われる。
結局のところ明後日の日曜日お昼までにガソリン満タンで返却するので1100元と言うことになった。
SYMという地元メーカーの125ccスクーター。
ふだん古いバイクばかり乗っているし、こんなスクーターにはほとんど乗ったことがなく、しかも馴れない右側走行、ちょっと心配だけれども、スロットル回して埔里の街を走り始める。

スクーターならば日本で古いラビットスクーターに乗り続けているのだけれど、最近のスクーターは、ブレーキがハンドルに付いているので、当初かなり戸惑った。
スピードやタコメーターなどはデジタル表示になっている新型なのだが、エンジンの回転数が5000ppmを越えると、ついつい癖で左手のブレーキレバーをギュッと握ってしまう。
旧式のラビットスクーターでは、この左手レバーはクラッチになっているから、エンジンの回転数が上がったら、クラッチを切って、ギアチェンジをするものと体が覚え込んでしまっている。

霧社への道を注意しながらゆっくりと、時速40キロくらいで走るが、想定外の寒さに震えてしまった。
エアコンの利きすぎる飛行機の中から、長袖のシャツを着たままでいるのだが、それでもスクーターで走るとかなり寒い。
この何年か、毎年この季節に台湾へ来ているが、いつも半袖で過ごせたような気もするが、記憶違いだったのだろうか。
それに空は厚い雲に覆われて、陽も差してこない。
こんなことからバンコクでもバイクに乗るときに使っている薄手のヤッケを持ってくるんだった。

廬山温泉まで1時間以上かけて到着し、いつもの廬山園ホテルへスクーターを回す。
いつもなら廬山温泉のシンボルとも言うべき吊り橋を渡るところだが、今回はスクーターなので下流のコンクリ橋。
なんだか、吊り橋を渡らないと、廬山温泉へ来たなと言う実感が伴わない。

廬山園ホテルは案に相違して、ほぼ満室の様だった。
どうやら大きな団体客が来ているようで、フロントでは私の部屋を捻り出すために、団体ツアーの添乗員に電話を掛けたりして調節してくれた。
今晩は1200元で、明日は休前日料金の1500元。
いずれも、夕食と朝食付きで、もちろん温泉にも入れるから、大変にうれしい料金。

部屋は5階の5311という部屋で、谷川に面している。
掃除はちゃんとできているけれど、メンテナンスは弱いようで、電気コードが剥き出しになっていたりする。

長袖シャツの下にTシャツを2枚重ねにして着込んで、再びスクーターで出かける。
スクーターなど機動力がなければいけないところとして、ハボン渓沿いの集落がある。
昔は入山許可書を携帯しなければ行けないところであったし、現在のように制限がなくなっても公共交通機関が通っていない集落である。
霧社からの距離も30キロほどあるので、歩いて行くにも遠すぎて、いままでずっといけないでいた地域だ。
このあたり霧社事件より10年前にサラマオ事件と言う山地原住民の蜂起事件があったサラマオへのルート上にあり、また霧社事件当時、警察の霧社分室主任をしていた佐塚警部はハボン渓奥のマレッパから転任してきていた。
その佐塚警部は、霧社事件で山地民の恨みをかって殉職しているが、転任元のマレッパの山地民の評判は良かったようである。

このせっかくの機会なのでマレッパまで行ってみることにする。
午後2時に廬山温泉を出発、春陽村から山道に入り、旧ロードフ社のあったあたりから清境農場へのドライブウェイに入って少し走って、力行産業道路へ左折する。
この力行産業道路と言うのがマレッパ方面への道で、ずっと進めば梨山まで繋がっているようである。
産業道路と名前が付いているけれど、日本の産業道路とは大きくイメージが異なり、むしろ林道である。
車が走れるように道幅こそ拡張されているが、もともとの理蕃道路とほとんど変わっていないのではないかと思われる。

力行産業道路はところどころ崩れた箇所がある
[力行産業道路はところどころ崩れた箇所があり重機が入っている]

地元メーカーSYMのGT125スクーター
[本来ならオフロードバイク向きだけど、地元メーカーSYMのGT125スクーターもなかなかのものです]

簡易舗装もところどころ途切れがちで、泥んこの水たまりでは、ブレーキをかけるとスリップをして転倒しそうだ。
山の斜面に筋を入れたような道で、クネクネと曲がってばかり、スピードも20キロとは出せないところが多い。
1時間少々走って、発祥村への別れ道になる。
発祥村は旧マシトバオン社で、ここへも足を延ばしてみたいが、既に3時を過ぎており、寄り道していたらパレッパまでたどり着けそうにないので割愛する。

発祥村(マシトバオン)への分かれ道
[左へ下れば発祥村、右へ進めば力行村を経て梨山への別れ道]

発祥村(マシトバオン)遠景
[はるかに発祥村(マシトバオン)の遠景が望める]

急な斜面に沿って、谷があれば奥深くもぐりこんで渡ります
[道は急な斜面の等高線に沿って、谷があれば奥深くもぐりこんで沢を渡ります ]

耕して天に昇る
[こんな急傾斜の斜面も農地になっている まさに「耕して天に至る」]

小さな滝と、希望古道と名づけられた登山道(旧道?)
[小さな滝と、希望古道と名づけられた登山道(旧道?) ]

更に走ること30分ほどでマレッパ(力行村)にたどり着いた。
貧しい村である。

マレッパ集落の中心にあるロータリー
[マレッパの集落の入り口であり中心でもあるロータリー]

平たんなところはほとんどなく、急な斜面に集落があり、等高線に沿って家並が並んでいる。
段々畑ならぬだんだん家並と言った感じである。
メインストリートと思えるところも、小さな雑貨屋があるだけ。
その雑貨屋の前で、店主が山で捕まえてきたのか、大きなムササビのような動物をガスバーナーで丸焼きにしていた。

マレッパ村 教会の十字架が見える
[急傾斜の斜面に段々になって家屋が密集しているので屋根ばかりしか映らない そのなかにも教会の十字架]

戦前の警察官舎のような黒い木造家屋が残っていた。
たぶん日本統治時代からの建物と思われるが、佐塚警部もこのような官舎に暮らしていたのだろうかと想像してみる。
佐塚警部はピッコタウレという地元の山地民を妻として、二男二女がいた。
30年前、私が廬山温泉の碧華荘で初子おばあさん(オビンダダオ)から、横浜戸塚の下山さんを紹介してもらったことがある。
スナックのような店をやっているとのことであったが、とうとうその店を訪ねることのないまま、その連絡先など紹介を書いてもらったメモも紛失してしまった。
その下山さんと言うのが、佐塚警部の次女である。

古い警察官舎風の木造家屋
[今でも人が住んでいるらしい昔の警察官舎風木造家屋 ]

このマレッパの村も大きな村ではないけれど、ゆっくり歩いてみて回る時間がない。
既に時刻は4時で、もたもたしていると陽が暮れてしまう。
心残りはあるけれど、パレッパまで来られたことだけでも良しとして、廬山温泉へ戻ることにする。

果樹園では柿の栽培が盛んなようで、立派な柿がなっていた
[マレッパ周辺の果樹園では柿の栽培が盛んなようで、立派な柿がなっていた]

帰り道の途中で、燃料タンクの残量が半分以下になっていたので霧社のガソリンスタンドに立ち寄る。
もうすっかり日も暮れてしまった。
ガソリンはレンタルした店から95のハイオクを入れるように言われている。
レギュラーでも良さそうな気もするが、もともと燃料タンクが小さいのか、満タンにしても3リットルほどしか入らず、値段も83元と安かった。
ガソリンの値段はバンコクとほぼ同じくらいのようだ。

霧社のガソリンスタンドでハイオクガソリンを補給
[霧社のガソリンスタンドにて、このあたりで給油所はここだけしかないようだ]

宿には6時前にたどり着き、すぐに大浴場の温泉に飛び込む。
マレッパからの帰り道は小雨交じりで、身体が冷え切ってしまっていたので、温泉のお湯ガンともうれしい。
小さな庭のある露天風呂のような感じの浴場なので、できれば陽のあるうちに入りたかった。
既に今晩の団体客も到着しているようで、宿の中庭からカラオケが聞こえてくる。
台湾の人はカラオケが本当に好きなようだ。
ひっきりなしにカラオケが途切れるということがない。

夕食会場は団体客とは別に、個人客ばかり数組のテーブルが別会場に用意されていた。
私は埔里の酒屋で買った175元の紹興酒をぶら下げて食事のテーブルに着く。
学校給食風の毎度おなじみの一人用メニュー。
私の好きな川海老とピーナッツの炒め物も付いている。
贅沢なメニューではないけれど、それぞれみんな美味しい。
紹興酒との相性もいいし、ご飯も進む。
他の台湾人のお客さんたちは、おかずを残していたりしていたけれども、私は全部きれいに食べつくした。

給食風のプレートに盛られた夕食
[今晩の夕食 ちょっと冷めかけているが、もともとプレートなので弁当感覚で食べられる]

豚の骨がゴロリと入ったスープ
[プレート以外に豚骨と冬瓜のスープやデザートにスイカが付いてきた]

夕食後にもう一度大浴場で温泉に浸かる。
はじめはぎこちなかったスクーターの運転にも慣れてきたので、明日は能高山天池を目指すため、その途中の屯原登山口までスクーターで登ってみることにしよう。
前回来た時は、バスの終点である廬山部落から徒歩で登り始めたので、屯原登山口の少し先までしか行けなかったけれど、登山口までスクーターで行けば、もっと先まで、上手くすれば天池まで往復できるかもしれない。
そんなことを湯に浸かりながら計画する。

モディリアニの絵に似ている
[温泉宿のレセプション横の時計にはモディリアニ風の女性が描かれていた]

つづく

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