2015,10,19, Monday
10月12日 月曜日
バリ島3日目。 今朝もジョギングをする。 部屋の扉を開けたら向側の部屋の前でネコが寝ていた。 今度は昨日とは逆方向にホワイトサンドビーチへ向かう峠の上まで走ってみる。 宿を出てすぐのところの小学校へ登校する生徒たちは民族衣装のようなもを着ている。 チェンマイでも週に一度は伝統衣装で登校する日があったがバンコクでは見たことがない。 良い習慣だと思うのだが、考えてみると日本でもやっていないな。 峠に差し掛かると坂道なので息が切れてしまう。 それ交通量も多くて走っていてあまり楽しくない。 我慢して走り続けて峠の頂上に着いたらサルたちがたくさんいた。 祠があり、サルたちはヒンズーの神の使いとして見なされているのだろう、通りかかりの人たちからパパイヤなどの果物が振るまわれてた。 祠に祭られているのはヒンズーの神と言うより精霊信仰のように見える。 ビルマのナットと言う精霊にも似ている。 インドネシアの精霊信仰はスマンガット信仰と習ったような記憶がある。 バリでは選挙でもあるのか選挙ポスターのようなものがあちこちで見かけられる。 そのなかでも、このポスターはやたらと数多く見かける。 それにこの顔なので、嫌でも目についてしまう。 シャワーをして朝食。昨日と同じテーブル。 注文したのはオムレツとベーコン。 出てきたオムレツは私が想像していたアーモンド型したオムレツではなく、平べったい卵焼きにベーコンが刻まれて入っていた。 タイでよくある失敗オムレツや油だらけのカイチアウよりはいい。 昨日果たせなかったブルーラグーンへ今日は行ってみることにする。 しかし、その前にバリの山の中もバイクで走り回ってみたい。 海辺のリゾートもいいけど、伝統的な生活や建物の残る山の中の村を見たら、これぞバリと感じられることだろう。 以前来たとき、道に迷って山の中の村に入り込んだら、まるで中世の村に迷い込んだような印象を受けたことがある。 なのでブルーラグーンとは反対側のまたホワイトサンドビーチ側へバイクを走らせる。 途中から山への道に入り、上り坂を進む。 半袖の腕に太陽の光が直接当たるので焼けてヒリヒリと痛い。 サンクリームを少し塗ってあるが、こんなに焼けたらシミになるだろうなと思う。 山道の途中でのどが渇き、小さな雑貨屋の店先にスイカを切ったものと、ジューサーミキサーが置かれているのが見えたので立ち寄ってみる。 店番の女の子に身振り手振りでスイカのシェークを作ってほしいと頼んだが、シェークにスイカは使わないのだそうだ。 よく聞いてみると、ミキサーには粉末ジュースを入れて作るのだそうで、これをポップアイスと言うのだそうだ。 そういえば、あちこちでポップアイスと書かれているのを見かけたことがある。 私はこれをかき氷のようなものだろうと想像していたが、粉末ジュースとは思わなかった。 味はやっぱり粉末ジュースでやたらと甘かった。 ベンチで飲みながら休憩してたら、バイクの若者が来て店先に並ぶスイカの切ったものをつまんで食べ始めた。 スイカは冷えておらず、生暖かいはずだけど気にしていないようだ。 「ベサキ寺院へ行くのか?」と声をかけられた。 「いや、ただバイクを乗り回しているだけだよ」と答えたが、どうやらこの道を進むとベサキ寺院へ行くらしい。 ベサキ寺院の名前は聞いたことがあるからきっと有名なお寺なんだろう。 せっかくだから寄り道して見学するのも悪くないなと思い、ベサキ寺院へ向かうことにする。 延々と山道を進み、途中急流下りのラフティングの基地を過ぎ、ときどき村や町が現れて、お昼少し前にベサキ寺院手前までたどり着く。 ここで停車を求められ、入場料として15,000ルピアを支払う。 このまままっすぐ1キロくらい行くように言われて進んでいったらまたも停車を求められる。 チケットチェックだという。 さっきの入場料を払った際のチケットを見せたところ、「短いズボン、ダメね、サロン巻く大丈夫」と日本語言われてバチックの布を私の腰に巻き付けてくれた。 「20,000ルピアね」と平然と言うのでそりゃ高すぎるよと抵抗すると、15,000、10,000と値段が下がってくる。 それでもあんまりいい気分ではないが、こんどは「今日はお祭りの日ね、外国人はガイド雇わないと中に入れないね」と言う。 ガイドなんて想定外。 それに身分不相応、見学やめようかとも思ったくらいだ。 「ガイド200万ルピアね、日本円2,00円だけ、おーすごい安いね」と言う。 安いかもしれないけど、ついでに立ち寄っただけなので、そんなの払う気ない。 でも、ここで片言の日本語を交えての交渉するのも面白そうな気がした。 150万になり、100万になり、80万になり、60万まで下がった。 そして最終的には50万ルピアでサロンはサービスということで交渉成立。 寺院の入り口まではまだ先のようで、ガイド君が私のバイクを運転し、私は後ろに乗った。 何の下調べもせずにベサキ寺院に来てしまったが、ガイドを雇ったことは正解だったかもしれない。 最初はガイドなしでは見学できないとかバンコクでもよくあるように嘘かもしれないし、金額もいい加減だったので釈然としなかったが、ガイド君はよく働いてくれた。 質問にもちゃんと答えてくれるし、携帯電話のカメラで写真も撮ってくれる。 ベサキ寺院は今から1000年前に建立されたバリで一番大きい寺院だそうで、標高は1000メートルのところに位置しているそうだ。 どうりで随分長いこと山道を登ってきたわけだ。 1000年も前となるとタイの歴史より古いことになる。 そんな大昔に東南アジアのはずれに近いところにまでインドの文明が及んでいたとはすごいことだ。 石造りの寺院、黒い石は火山によるものらしく、今日はガスがかかって見えないが、寺院の後ろに聳えているアグン山から溶岩になって流れ出してきたかしたものなのだろう。 アグン山はバリで一番高い山だそうで、1960年代にも噴火をしている火山だそうだ。 茅葺のような屋根は、茅ではなく椰子の葉の繊維だそうで、それを相当分厚く重ねている。 隅はきれいに切り込まれ、角張って見えるところが日本の茅葺屋根によく似ている。 この椰子の屋根は大変丈夫で20年くらいは持つのだそうだ。 寺院の真ん中はやはりセレモニーをしているらしく、聖なるベルが打ち鳴らされている。 まるで巫女か祈祷師が打ち鳴らす鐘に似ている響きがある。 ガイド君によるとこの寺院にも僧侶はいるそうで、それは男も女もいるそうだ。 しかし、寺院に住み込みと言うわけではなく、通いだそうで、家に帰れば普通の人と同じような生活で、結婚もできるのだそうだ。 お参りに来ている人たちも白い装束で、果物などをお供えする。 お供えし、儀式が終わると持ち帰ってみんなで食べるのだそうだ。 絵葉書売りの少女がやってきて絵葉書を差し出す。 「1枚1ドルだから買ってよ」とせがんでくる。 昔は絵葉書を旅先で買って書いたものだった。 最近は絵葉書なんて書いた覚えがないし、もらってもいない。 大体にして郵便で届くものなんて請求書などばかりであまり見て楽しくなるものではなくなっている。 「2枚で1ドルでもいいから買ってよ」 絵葉書を買ってくれる人がいるのだから、請求書くらいしか郵便受けに入っていないのは私だけなのかもしれない。 「ねぇ、買ってよお願いだから、お腹空いてるの」 どこの国でもセリフは似ているなと思う。 寺院の境内内部はやはり儀式でもあるのか、中へ入ることは許されず、周りから覗き込むだけ。 ガイド君は途中の売店で飲み物の入ったボトルを受け取った。 「あれ、俺の母ちゃんなんだ」と彼は言った。 父親は寺院を清掃する仕事をしているそうで、家族三人でこの寺院を舞台にして生きているらしい。 バンコクへ戻った後になってこの寺院のことをネットで調べたら、随分と悪評が並んでいてびっくりした。 ニセガイドにボラれるとか、なんとなくあれはそうだったのかなぁと思い返されることも書かれているけど、 結果的に私はガイドに案内してもらってよかったと思っている。 もし、バリに来る前にそんな悪評を目にしていたら、先入観で楽しめなかっただろうし、この寺院には足もむけなかったかもしれない。 ベサキ寺院の見学を終え、バイクで山を下る。 途中の市場に立ち寄って昼食にする。 タイの市場に似て、市場の前に食べ物の屋台が並んでいる。 バリに来て気になっている食べ物がある。 「バクソ」 あちこちでこの名前を見かけてきていて、どうやら屋台の食べ物らしいのだが、現物を見ていない。 それがついに食する機会に恵まれた。 バクソとはタイで言うところのクオッティオのようなもので、米でできた半透明な白い汁そばに、肉団子などが添えてある。 薬味にはチリペーストなどを入れて食べるようで、なかなか美味しい。 ヌードルではあるが、ハシは使わずスプーンで食べる。 これはあまり食べやすくない。ミートボールだけでなく、玉子のフライも入っていた。 量はあまり多くはなく、一杯だけでは満腹にならない。 会計の7000ルピアを払って、隣の屋台へはしごする。 隣はナシチャンプルの屋台で、こちらはご飯に作り置きのおかずを何品かよそってくれるタイプの飯屋であった。 豆腐の揚げ物、青菜の炒め物などが盛り付けられて、これもチリペーストをつけていただく。 こちらもなかなか美味しいが、少し油が気になる。 お代はやはり7000ルピア。 このほかこの市場には豚の丸焼きの屋台などもあったりして、迫力がある。 道路の整備状況はタイより良いようで、舗装の傷んだところなどほとんどない。 快調に山を下り下りる。 棚田もあったりして、こんな風景を見ると西洋人は喜ぶんだろうと思う。 途中の交差点で、はてどちらへ行ったものかと思い、道端で「パダンバイはどっちですか」と尋ねたりした。 バリには公共の路線バスなどないものと思っていたが、こうして道を走ってみるとバリにも地元の人向けのバスが走っているのが確認できた。 オンボロで、エアコンもく、扉も開きっぱなしで走っているけど、ところどころ道端に停車してはお客さんを乗り降りさせている。 時間があれば、こんなローカルなバスにも乗ってみたい。 ブルーラグーンに着いたらばもう3時近くになっていた。 駐車料金係の女性から「朝来るはずだったのにどうしたの」と言われてしまった。 「もう泳げないですかね?」と聞いてみたら、まだ大丈夫とのこと。 早速急な階段を下りてビーチへ。 このブルーラグーンビーチは幅100メートルにも満たないくらいの砂浜が入り江に張り付いているだけで、波打ち際からしてもう岩とサンゴが張り出してきている。 大急ぎで服を脱ぎ捨て、海に向かって突進。 しかし、波打ち際からして岩とサンゴのため歩くのに不自由する。 しかも、波が高くて海水が膝上くらいまで来ると、今度は波に押されたり、さらわれたりするので立ているのも容易ではない。 なんども転びながら、なんとか少し沖までたどり着き、やっと泳ぎ始めてみる。 おぅ、おぅ、いるじゃありませんかぁ魚たちぃ。 昨日のホワイトサンドビーチも良かったけれど、ここの方が魚の種類も多い感じだ。 カラフルで大きな魚もいる。 しかし、いかんせん波が高い。波によって押されたり引き戻されたりして、絶えず体が行きつ戻りつするのでゆっくり魚を見ていることができない。 息継ぎのため水面に顔を上げたとたんに波をかぶったりもする。 怖いのは波が引く時で、水位が下がるので海底のサンゴがすごい勢いで接近してくる。 しばらく泳いでいたら足の指がボロボロになってしまっていたことに気が付く。 海に入るときにサンゴで切ってしまったらしい。 いったん海から上がり、足の裏防御のため今度は運動靴を履いたまま海に入ることにする。 運動靴があるのでサンゴや岩の上でも楽々。 楽勝で泳げる場所までたどり着けた。 靴を履いたままだと、泳ぐとき楽ではないが、仕方ない。 海中にいる魚たちも波の影響を受けるようで、潮が押したり引いたりするたびに、海中を流されている。 波は1日中あるわけだから、魚たちも気が休まるときがないのではないかと、他人事ながら心配になってしまう。 要領の良い魚はサンゴや岩の陰に隠れている。 そこだと波の影響も少ないのだろう。 そうした陰には伊勢エビとかも隠れているのではないだろうかと思って、サンゴや岩の陰をよく見てみることにした。 しかるに、伊勢エビはいなかったが、私が南の海で最も恐れている黒くて巨大なウニがたくさんうごめいていた。 ゲゲゲゲー、コリャタマラン。 波で身動きがうまく取れないところで、こんなバカデカウニのトゲに刺さったら大変である。 恐怖におののき、もう海から上がることにする。 靴を履いているので、サンゴの上でも安心して歩いていたのだが、後ろから押し寄せる波を甘く見ていたのが失敗だった。 突然の大波が背後からやってきて、私は波に呑まれてしまった。 しかも、サンゴの上をゴロゴロと転がり、起き上がろうにも、波は次々に来て、足元をさらう。 四つん這いになりながらようやく岸まで上がったら、全身擦り傷だらけ、血まみれになってしまっていた。 急いでバスタオルで拭いたが、バスタオルも血まみれになってしまった。 そうそうに引き上げて、宿に戻ることにする。 帰り道でスイカを一つ買う。 バリに到着した日に宿でウエルカムフルーツを皿に盛って出してくれたのだが、その中でスイカがとても甘くておいしかったので、バリ土産にスイカを持ち帰ろうと考えた。 大きなスイカで、店のババアに値段を聞いたら25000ルピアだという。 高いなと思って、15000ルピアでどうかと持ち掛けたら、あっけなくOKだという。 売り棚にふたつ並んだスイカのうち、私がコレと言ったものではない方をビニール袋に入れてよこした。 「コレが良かったんだけど、、」言ったらば、 「こっちの方が美味しいんだよ」と言われてしまった。 バンコクに帰った後でスイカを割って食べてみたら、だいぶ古くなっていたようで、少し傷みかけていた。 そして、水っぽいばかりであんまり甘くなかった。 宿に戻って、傷口をきれいに洗い、海がだめなら山だとばかりに、チャンディダサの裏山に登ってみようと考えた。 少し小腹がすいたので、春巻きのようなものを売り歩いている自転車を呼び止め、一袋買う。 ルンピアーと言うそうで、見た目は春巻きそっくりだが、巻いている皮は柔らかく、肉厚。 北京ダックの餅皮のような食感で、甘しょっぱいソースをたっぷりかけてくれる。 これで5000ルピア。 油がきついが腹持ちは良さそう。 農家の裏庭のようなところから山へ登れそうだと考えて潜入。 農家の裏にはネコがいた。 これでバリに来て2匹目のネコを発見したことになる。 牛の放牧もしているらしい。 牛追いたちが牛の群れと一緒に歩いている。 イヌが多くて、やたらと吠え掛かってくるが、近くまで来ては意気地がないのか、こちらが振り向くと悲鳴を上げて、尻尾を巻いて後ずさる。 山へと続くと思われた道は段々畑の途中で途切れてしまった。 同じ道を犬にほえたてられながら戻り、今度は海岸へ。 チャンディダサにも人工的なのか知らないが小さなビーチがある。 ビーチの幅は数メートルしかない。 そのビーチの前にはハート形のオブジェがある。 タイだったら絶対に写真スポットになっているだろうけど、ここではそれらしき人影も見当たらない。 人工的だろうが何だろうが、ここでも海の透明度は高く、午後はここで泳いでいてもよかったかもしれない。 日没で暗くなるにはもうほんの少し時間があるので、テンガナン村への道を歩いてみることにする。 前方を見たらば薄ぼんやりとシルエットのようにはっきりしないが、形の良い山が見える。 昼間隠れていたアグン山だろう。 ベサキ寺院から眺められたら、もっと感動的だっただろうに、残念だった。 細い田舎道で、コピルアクのプランテーションと書かれた看板があった。 高級なウンチのコーヒーとして知られるコピルアクはインドネシア原産だけど、バリでも作っていたとは知らなかった。 道端からブタの悲鳴が聞こえてきた。 きわめてローカルな肉屋の前で、丸い鉄製の筒に豚が入れられており、その豚の悲鳴であった。 今この場で屠殺されるのではなく、たぶんどこか別の場所で丸焼きにされるのだろうけど、あの悲鳴を耳にしたらとても豚の丸焼きなど食べられそうもない。 丸焼きにされた豚の表情も最後まで悲鳴を上げ続けたような顔をしている。 こういうのだめなんだよね。 さらに進むと、こんどは養鶏場が次々にあり、鶏糞の匂いで少し気分が悪くなった。 養鶏場ばかりが続きそうなので引き返す。 帰り道のローカルな食堂の前でまたネコを発見。 ベサキ寺院のガイド君にバリでは犬やサルはたくさんいたけど、ネコは少ないよねと話しかけたら、 「バリはネコもたくさんいるよ、だけど犬は外にいるけど、ネコは家の中にいるから目立たないだけだ」と言ってたけど、なるほどよく見ればバリでもネコは結構いるようだ。 夕食には昨晩の雑貨屋食堂へ行く。 最後の夜なのでもう少しは贅沢をして薪窯焼きのピザでも食べようかとも思っていたけど、ピザならバンコクでも食べられるし、昨日のローカルフードと雰囲気は気に入っていた。 夜道をとぼとぼ歩いて行ってみたが、今日はアラックで酒盛りはしておらず静かだった。 やめようかとも思ったけど、女主人が出てきて「朝走ってたでしょ」と声をかけてくれたので、そのままテーブルに着いた。 昨日の飲み残しのアラックを持参しているが、まだバリに来てビールを飲んでいない。 バリにはビンタンビールと言う有名なビールがあり、これを飲まないでいるという手はない。 残念ながら小瓶しかなかったが、緑のボトルからグラスに注いで飲んでみると、とてもさわやかなビールであった。 ピルスナーと瓶のラベルに書かれている。 うーん、ピルスナーかぁ、悪くないねぇ。 ビールと言えばドイツが有名だし、ベルギーのビールもいろいろ個性があって美味しいけど、でも私はイギリスのパブのビールが一番おいしいのではないかと思っている。 黒ビールも、エールも、ピルスナーも、みんなしっかりと旨い。 この雑貨屋食堂にもネコがいた。 ネコの名前はマニースだそうで、オス。 私の注文したおかず載せご飯から魚をより分けで、マニースに与えたらとても喜んで食べた。 もっと食べたいらしくて、ニャーニャー言うが、あとはテンペや野菜くらいしか残っていない。 女主人がネコ用にご飯に魚をまぶしてあげたが、ウチのネコと同じで自分が食べたい魚だけ食べてご飯は残したまま、もっとくれ、もっとくれと、ニャーニャーわめいている。 それでももらえないとわかったら、ふて寝を始めてしまった。 ネコのことをインドネシア語でクーチンと言うそうだ。 今晩のお代は32000ルピア。ビールが22000ルピアなのだそうだ。 ずいぶんとビールは割高に感じる。 |