2015,09,06, Sunday
地図で確認すると昨晩から止まっているプランブリからプラヤナコン洞窟までは30キロくらいらしい。
今日は午前中に洞窟見学して、午後には再びプラチュアップキリカンを目指そうと思っている。 それに宿の人によると、ここから車で15分くらいのところにもビーチがあるとのこと、そこらへんでも泳いでみるのも悪くない。 いっそ、今晩もこの宿に泊まり、ここを拠点にプラチュアップキリカンへ往復してくるのも悪くなさそうだ。 朝食に昨晩コンビニで買っておいたアンパンとバイトーイ・カスタードクリームのパン、そしてバンコクから魔法瓶に詰めて持ってきたコーヒー。 さすがにコーヒーはもうだいぶぬるくなってしまっていた。 「今晩もう一晩泊まりたい」と宿の主人に申し出た。あわよくば連泊なのでもう少し宿賃を値下げしてもらえるかと期待したのだが、なんと予想外の「今晩は予約で満室だよ」とのこと。こんな宿に予約で客が入るなんて信じられない。別に風光明媚な場所でもないし、街中でもない。まったく不思議だ。 しかし、満室ということなら仕方がない。昼までにプラヤナコン洞窟ならいったん戻ってチェックアウトし、当初の予定通りプラチュアップキリカンへ向かうこととしよう。 宿でセルフサービスのインスタントコーヒーをもらい、それを飲みながらプラヤナコン洞窟を目指す。 田舎道だけどよく整備されている。 ときたま高級リゾートモドキがある。 建物は洒落たビラ風のもので、泊まればそれなりの金額になりそうなリゾートなんだけど、やはり海岸線にあるわけでなく、風光明媚とは関係ないただの畑や荒れ地の続く田舎の風景。周囲には民家もなければ、店も食堂もない。いったいどんな人が泊まるのか首をかしげてしまうが、昨晩私が泊まった宿でさえ予約で満室になるというのだから、需要はあるのかもしれない。 道の先に見えているのはサムローイヨートと呼ばれる景勝地かもしれない。 タイ語の意味は「300の頂」という意味で、実際にそれほどの山が重なっているかどうかは知らないけど、フアヒンからの日帰り観光スポットになっているらしい。 プラヤナコン洞窟もこのサムロイヨート国立公園の一部になっているようだ。 30分ほどでプラヤナコン洞窟の入り口に到着。 漁港を中心とした集落となっており、洞窟へ続く道の入り口はお寺の境内を抜けている。 広い駐車場の先に丘があり、海岸がすぐ近くに迫っている。 そこに入場券を売る小屋があり、ここの入場料は200バーツという。 もちろんこれは外国人料金で、私はタイに在住しててちゃんと税金も納めているからタイ人料金にしてほしいと訴えたが聞き入れられなかった。 入場券売り場の前にいたここの集落に住んでいるらしい人から「ボートに乗るか?」と聞かれるが、ボートではなく歩いて行くと答える。 入場券売り場の人に聞くと洞窟まで2キロの道のりだそうだ。 丘を越える道は、ハイキングコースと呼ぶにはかなり急な道で、階段状になっている。 その階段もかなり荒れていて、階段を歩くより脇のコンクリートの上を歩く方が楽だ。 とにかく急な階段で、息がすぐ上がる。 しばらく、足元を気にしながらフーフー言いながら登ったら、見晴らしが開けた。 穏やかなビーチが伸びている。 砂は白砂というわけではないが、泳ぐには良さそう。 こうして坂を上って大汗をかいていると、海に飛び込みたくなる。 さらに進むと、こんどは野生のサルに出会った。 このあたりの山に住んでいるのだろう。 野生でも人からエサなどをもらうのだろうから、別に人を怖がっている様子はない。 そしてこちらを攻撃してこようとするそぶりもない。 10分ほど登って、今度は下り坂。 下りもやはり急で、足元を気にしながら下るが、息が上がることもないので上りよりずっと楽だ。 すぐに丘を越えた先のビーチに降りることができた。 ここはキャンプ場のようになっており、砂まじりの道を進むと再び山登りが待っている。 こんどは洞窟まであと430メートルとある。 もうすぐなわけで、楽勝楽勝と再び急な坂道に挑んだが、430メートルの割には随分と長く感じた。 それでも10分くらい歩いたところからは下り坂となり、「プラヤナコン洞窟」との看板も出てきた。 ここが洞窟と言われても、日本人が一般に想像する洞窟というのは、山の中に横穴が開いていてちょうどトンネルのような感じのものを想像するが、ここの洞窟は垂直である。トンネル型というより噴火口型。 洞窟内は広く、見上げると二つの天窓が開いて光が差し込んできている。 また、石灰石の山らしく、鍾乳石もある。 日本の鍾乳洞でもよく見かけるが、ここでも名前がついていて「水なしの滝」だそうだ。 もう少し気の利いた名前にしてほしいが、タイ人は滝が大好きだから、これでいいのかもしれない。 さらに進むと見えてきました。 クーハーカルハート宮殿。 まだ少し時間が早いのか、光の差し込み方が写真で見入るのと違い神々しさがあまりない。 ベストな時間は10時から11時ころということなので、まだ少し早いくらいかもしれない。 宮殿とは言っても、とても小さくて寝泊りできるような建造物ではなく、ちょっと大きめの祠といった感じである。 写真でよく見るのは、この建物の裏側からで、逆光の光が差し込むところを狙っているものが多い。 表に回ってみるとこんな感じ。 なんかクッキリしすぎていて、神々しさなどちょっとも感じられない。 色合いも安っぽい感じ。 西洋人のグループも何組か来ていて、光の具合がよくなるのを気長に待っている。 そして待ち切れず帰っていく人もいる。 携帯電話のカメラで撮影したのではこの程度、それにプロのカメラマンのように技術もない。 あまりにも世間に神秘的な観光写真が出回りすぎてしまっているため、ついつい自分もそんなシーンに出会えるかと思いがちがだが、 こんな写真でも、実はこれが私が目にした真実であり、なんだこの程度かと思うくらいだったら、現物を見ない方がいいのかもしれない。 でも、アップダウンは大変だけど、山登りとしてはとても楽しかった。 バンコクに住んでいると山登りなどなかなかできないし、ジャングルの中などは蛇などどんなものが出てくるかわからないので怖くて入れないけど、ここなら快適ではないけど安心して楽しめる。 帰り道も同じルートを急ぎ足でたどって11時半には宿に戻る。 汗をかいたので、熱くはならないけどバスタブにお湯を張って入浴し、12時にはチェックアウトする。 雨が降り出してきた。 大型トラックの巻き上げる水しぶきに視界が遮られながらもマイペースでペッチャカセム通りをプラチュアップキリカンへ向けて南下する。 ネコはシートの下で寝たまま起きても来ない。 ネコとドライブしても話し相手にもならない。 プラチュアップキリカンで行ってみたかったのはマナオベイという海岸。 なかなか良さそうなビーチで、軍の施設内にある。 しかし、マナオベイに着いてもまだ雨が降り続いている。 ビーチ前の食堂でカニチャーハンを食べながら雨が止むのを待つ。 軍の施設内だからだろうか、カニチャーハンが35バーツと随分と安かった。 車の運転がなければ、雨の海岸線など眺めながらビールでも飲みたいところだけど、ビールは夜までお預け。 雨脚が小降りになったところで、海に入ってみる。 まるで波が立っていない静かな海である。 沖合には小島も浮かび、ビーチも清潔でとてもいい。 ただ、雨雲が覆って、色彩にかける。 透明度はあまりないが、波もなく、深さも適当で泳ぎやすい。 ビーチへ上がることなく、2時間ずっと泳ぎ続けた。 ビーチのはずれにある岩場まで泳いだら、海底に真っ黒で巨大なウニがたくさんいたので、こんなのに刺さったら大変と恐れをなして、別方向へ泳ぎ続けたら、小さな漁船が係留されていることに気が付かず、海面に頭を上げた時にぶつけてしまった。 一瞬何が起きたかわからずうろたえてしまったが、幸いケガもしていなかった。 随分と長いこと泳ぎ続けたので、足が少し攣った状態となり、そろそろ岸へ上がることにする。 小雨が降る中泳ぎ続けたからか、海から上がるととても寒く感じた。 ここにはシャワーの施設もちゃんとあり、水のシャワーを浴びたらさらに寒くなってガタガタと震えが来た。 急いでバスタオルで体を拭き、車の中に逃げ込む。 寝ているネコをたたき起こして、胸に抱く。 ネコが暖かくて気持ちいい。 しかし、寝ているところを起こされたネコは、しばらくすると「おい放してくれよ」とばかりに腕からすり抜けてしまった。 ここは空軍の敷地内にあり、滑走路を横断するような個所も何か所かある。 滑走路手前には衛兵が立っているが、車で近づくと誰何を受けることなくニコニコ顔で敬礼などしながら遮断機を上げてくれる。 戦闘記念碑があった。この記念碑は日本軍のマレー半島上陸作戦で上陸地点の一つとなったプラチュアップキリカンで、日本軍とタイ側が交戦した際の模様をレリーフにしたものとのことである。 しかし、当時日本とタイとは友好国同士であり、日本側もタイと戦火を交えるつもりはなかったのだが、日本軍が上陸するという予定が連絡徹底されておらず、不意に上陸してきた日本軍とタイ側で戦闘があり犠牲者も出たという不幸な事件である。 連絡が行き届かずというところが、現代にも引き継がれているような気がするが、そのあたりのところの解説がしっかりされておらず日本軍へのレジスタンス活動と一緒にされているところがとても気になる。 さらに空軍の殉職者の碑もあったのだが、こちらの碑文もさらに首をかしげる。 第二次世界大戦中に、日本との戦闘で殉職した英霊をみたいなことが書かれている。 しかし、タイの空軍は同盟国日本に協力し、連合軍と戦火を交えたことは史実だが、日本軍とのタイ空軍が交戦したなどというのは聞いたことがない。 もし、ここに祭られている英霊が、連合軍との交戦で亡くなったとしたら、彼の魂は今頃どこを彷徨っているのだろうか? 戦後70年、歴史など後世への伝え方如何でどうにでも変えられる。 事実は一つだが、史実は一つではない。 これら碑のあるあたりの海岸も砂浜で、波穏やかで景色もとても良い。 海の家などもなく、もともと軍の敷地だから一般人の遊泳など禁止されているのかもしれないけど、素敵なビーチだ。 海岸沿いにプラチュアップキリカンの市内へ入る。 海岸沿いにシーフードの炭火焼きなどを食べさせる店などが並びなかなかいい感じ。 外国人向けではなく、ローカル向けだけど、けっこうにぎわっている。 私もこんなところでシーフードでもつまみながらビールでも飲みたい。 しかし、今夜の宿はプラチュアップキリカンへ着いてすぐ、ペッチャカセム通りのモーテルに部屋を取ってしまっている。 そこまではちょっと遠いので、次回汽車にでも乗って再訪し、シーフードを食べてみたいと思う。 街中の屋台街でソムタムとイサーンソーセージを買ってモーテルの部屋の中で食べる。 このあたりだと、イサーンの味付けも本場から遠くなっているのか、今一つであった。 食べ足りないので、国道の向かい側で営業している食堂に入り、パッタイを注文するがなぜか通じない。 パッタイくらいの単語が通じないことにショックを受け、何度も言い直したり説明をして理解をしてもらう。 「オー、パッタイ、OK」と言われるまで紆余曲折があった。 しかし、OKとは言ってくれたものの、ニラがないという。 ニラはパッタイに必須だけど、仕方ないかぁ、、OK、マイペンライ、ニラなしOKと伝えたところ 今度はモヤシがないという、、、ニラに続き、モヤシもないとなると、野菜系の具は他に何があっただろうか、、、 ええい、どんなものができるか、むしろ楽しみというものだ、、マイペンライ、モヤシいらないよ。 ピーナッツとパッタイの調味料がないんだけど、、、、 あー、もうダメだ。 つまり、麺以外何もない様だ。 「仕方ない、パッキーマオ(クオッティオ米粉の唐辛子とバジルの粒胡椒を利かせた炒め物)に変更」と伝えると「OK、OK、パッキーマオ」と言って作り始める。 しかし、なぜか即席ラーメンの袋を開けようとする? 「オイ、オイ、即席ラーメンでなくて、クオッティオ・センヤイ(平たい極太米粉)で作ってよ!」 「OK、OK、パッキーマオ・センヤイ、OK、すぐだよ」と大きな中華鍋に極太米粉を炒め、豚肉を入れ、エビを入れ、イカも入れるという豪華版。 しかし、味付けはバジルも粒胡椒も入れず、先ほどの即席ラーメンの粉末スープを入れて出来上がり。 オイ、オイ、オイどうなってんだろ、、、まぁ、致し方なし。 パッキーマオとは別の焼きそばと思うことにして食べてみるが、やはりちょっと間の抜けた味。 この食堂には白いネコがいて、とてもなつっこかった。 タイの食堂は日本と違って犬猫たちの出入りが自由である。 保健所も気にしていないのだろう。 バンコクでも随分とネコカフェが増えたが、ネコカフェのような施設でなくても、ネコ食堂やイヌ食堂など場末にはいくらでもあるのがタイである。 そして我が家の黒ネコ、今夜はピンク色の壁の部屋にお泊りです。 紫と言い、ピンクと言い、タイの人たちは、鮮やかな色が本当に好きだ。 昨晩はwifiの調子が良かったが、ここはwifiが遅すぎて使い物にならない。 今夜は「二十四の瞳」を見ようかと思ったけど、画像がちっとも動かない。 買ってきたビールを冷やそうにも冷蔵庫がない。 今夜の宿は400バーツ。 やはり昨晩の宿とは料金の差があるだけのことはある。 ま、寝るだけの事、マイペンライさ。 |