旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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10月13日 日曜日    天気は快晴 

 1泊2日でパイの温泉へ行くことにした。朝から出発する予定が、いつもの通りダラダラそしてグズグズとして出発できたのは11:30になってからである。この辺の時間感覚だけは、我家の連中はタイの人たちと共通項の様だ。乾季に入ったばかりのためか、空気はまださわやかである。埃っぽさもそれほど感じずに済むし、涼やかだ。日差しは強いが、ビートルの三角窓を開ければ、エアコンが無くても十分しのげる。

 パイはチェンマイの隣、メーホンソン県の北部にあり、道幅は狭いながらも国道が通じていて、チェンマイからの距離は140キロほどである。タイの一般的な国道ならば、せいぜい2時間もあれば到着できる距離なのだが、旧道の碓氷峠を凌ぐ旧勾配とヘアピンカーブの連続である。越すべき峠はいくつもあり、そんな道が延々と100キロほど続くのである。もともと車酔いしやすい体質のお母さんは、メーテンの町を左折して、30分ほど峠道に入ったところで気分が悪くなったと言い出した。「どこか適当なところで休憩を、、」と考えていたら、ポーンドゥアト温泉と言う看板が目についたので、国道から右折してポーンドゥアト温泉への細道へ入る。が、これもすさまじい道であった。山肌にコンクリートを塗り付けただけのような道をゴトゴトと奥へ進む。

 入り口から4キロほど入ったところに監視小屋のような建物があり、立ち寄ると料金所であった。入場料は大人20バーツ、子供10バーツ、車の乗り入れ30バーツである。これはひょっとするとタイ人価格で外国人価格は違うかもしれないが、料金所の先5百メートルほどが公園になっていた。整地された芝があり、ビジターセンターなどもある。こんな山奥に、これほどの施設を作ってどうするのだろうと心配になるほどだ。公園管理人小屋も大きなものがあるから、ここで働く人間の数も結構いるのだろう。
 公園の駐車場にビートルを止めてハイキングコース風に整備された登山道に入る。入り口には温泉まで500メートルと書かれている以外に、滝や2キロほど先には山岳民のカレン族の部落もあると書かれている。そんな遠くまで歩く気は無いので、温泉までだけ行って見る。温泉はものすごい湯量であった。窪地のようなところから、ゴボボボ、ゴボボボと熱湯の温泉があちこちから吹き上がってきている。サンカンペン温泉の様にパイプで吹き上げているのではなく、地表から地上1メートル近くまで吹き上げているのである。温泉自体はさほど整備されておらず、入浴施設はもちろん、タイでよくある温泉玉子を茹でるところすらなかった。あるのは「危険越えるな」の看板と柵だけである。そのためお湯に触れることすらできない。
 湯量は実に豊富で、湧き上がったお湯が川に注ぎ込むのではなく、温泉からのお湯だけで、川幅3メートルほどの渓流を構成している。源泉から100メートルほど下ったところまで行って、流れの速い渓流に手をつけてみる。「あっちー」と叫ぶほどの熱湯である。湯温は70度くらいはあるだろうか、指先は火傷をしてしまうくらいであった。あー、もったいないもったいない。温泉宿を作れば1000人は入れるくらいの湯量だ、、。

 ポーンドゥアク温泉で1時間半ほど休憩したりして、再びパイ温泉へ向けて走り始める。のんびりと山道を走っていると、後ろから来たスズキの軽四輪車一群に追越をかけられた。運転しているのは若い白人グループなのだが、まったく傍若無人な運転である。ヘアピンカーブでも追越をかけて来る。そんな一群が7台くらいに分乗して来る。きっと、そのうちに事故を起こすだろう、、などと考えながら、再び静かな山道を30分ほど走っていると、やっぱりと言うか、さっきの連中が路肩にずらりと止まっている。そのうちの一台がボンネットを開けてタイ人風がゴチャゴチャやっている。オーバーヒートでもしたのだろうか、白人連中はのんびりと修理が終わるのを待っているのか、路上に寝そべったり、タバコをふかしたりしていた。

 パイ温泉には5時半に到着。広いツインベッドのある部屋にチェックインする。800バーツ。ディスカウントには応じてくれなかった。温泉に浸かるのが目的であり、ここの露天風呂が入りたくて来たのだから、他をあたると言うこともできない。仕方ない、、。まぁその分、たっぷりと温泉に浸かって、のんびりしようと思うことにした。夕食には、先日パイの町で「ものすごく美味しいピザ」があったと、優泰の同級生のN君のお母さんが言っていたの思いだし、「よし、今晩はピザを食べよう」と心に決めて、パイの町に繰り出したが、ピザは見つからなかった。どこの食堂も白人観光客で溢れている。その白人観光客に媚びるように土産物を売る山岳民が目に付くくらいで、あまり気分がよくない。ちょっと外れたところで、ドイツ風のパンをショーケースに並べた食堂があったので、中に入ったが、できるメニューはタイ料理ばかりであった。もっとも、外国人観光客向けに、調整された味付けのタイ料理であったが、不味くは無かった。

 夜8時を過ぎて、温泉宿に戻ると、あろうことかあの傍若無人な軽4輪のグループが来ていた。せっかくの静寂も連中の騒がしさで掻き消されてしまった。部屋でも高歌放吟、宿の食堂では乱痴気騒ぎ、露天風呂はプールと化してしまった。耳を塞ぐようにして、湯に浸かりながら星空を眺める。
 湯から上がり、部屋に戻るが、連中の大騒ぎは収まらない。もう夜10時を回っていると言うのに、ひっきりなしに出入りする連中の一人を捕まえて、「もう夜遅いから、静かにして欲しい」と訴えたが"I don't know"としらばっくれる。別の若いのを捕まえて「子供が寝れないじゃないか」と言っても"I don't care"だときた。こいつらに何を言っても無駄だと思い、宿屋側に何とかする様に訴え様と思ったが、すでに事務所の電気は消えて無人用である。懐中電灯をかざしている警備員を見つけて、何とかする様に訴えたが「ファラン(白人)連中に何を言っても聞かない」と取り合わない。しかし、そんな言葉でかわされては堪らないので、食い下がると、連中はチェンマイの旅行会社が企画した一群であることが分かり、タイ人のガイドがいる事が判明。そのガイドを捕まえて、窮状を訴えたが、やはりそのガイドも警備員と同じ事を言う「ファランだから、、、」。頭に来たので「アンタが連れ込んだ連中だろ、何とかしろよ」と抗議したが、「自分は旅行会社に雇われているだけで、連中に口答えできない」と言う。また「イスラエルやフランスやアメリカのファランはいつもこうなのだ」とも言った。
 お母さんも、部屋の前に陣取って、出入りする若い白人女の何人かに静かにするよう訴えたが"I'm sorry"とかわされて、一向に静かにならないと憤慨していた。私は警備員にマネージャーのところへ案内する様に訴え、案内させた。マネージャーは宿屋の建物から何百メートルか離れたところに済んでいた。はじめに警備員が恐る恐る、ドアの外からマネージャーを呼ぶが、寝ているところを起こされたマネージャーはドアの向こうから、「もう寝てるのだ、そっちで何とかしろ」と怒鳴っている。また、警備員が「でもですねぇ、、」と声をかけては、怒鳴り返されていた。そのうち、警備員もしょんぼりとし黙り込んでしまった。そこで私はドアを無言でノックする。怒鳴りながら、起きだして来たマネージャーは、ドアの向こうに立っているのが私だと見て取って、驚いた様な顔を一瞬して、すぐスマイを作って「どうされましたか?」と言う。オイオイ、だからさっきから警備員が説明してたじゃないかぁ、、、。

 マネージャーも相手がファランだとどうにもならないという。特に酒を飲んでいるときにでも、注意しようモノなら大暴れをすると言う。「離れたところに、別の建物があるから、そこで今晩のところは寝てもらえないか?」と提案してくる。なんとなく本末転倒、なぜ被害者が夜逃げしなくちゃならないのかとも思ったが、こうタイ人たちが異口同音に「ファランは、、」と言っているところを見ると、それ以外の選択肢はなさそうである。もう、午前0時である。

 タイはアジアで唯一独立を守りぬいた国家であるが、現在のタイにとって外国人観光客の落とすお金は大変重要な収入源であり、そのためにタイは相当気を使っている。プライドの高いタイ人も、外国人観光客にへつらい、抜け目の無い業者は、白人観光客にまるで植民地の支配者のような扱い方をさせて、おごり高ぶらせている。日本人観光客の一部もそうだが、このような社会ルールを無視した行動は、社会問題としてもっとクローズアップされても良いのではないだろうか?

朝食
昨夜の残りのスープとご飯。
昼食

メーテンの町(マーライ交差点)近くの食堂で、クオッティオうどんと飲茶。

夕食

パイの町の食堂で、野菜のグリーンカレーと春雨の和え物(ヤムウンセン)。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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