旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月26日 火曜日    天気は終日小雨が降ったり止んだり

  ハードスケジュールの1日。お母さんをゴルフ場に送ったのが10時。その足でチェンマイプラザホテルへ向い、新しくチェンマイにやって来たIさんを拾って、ナコンピンコンドへ案内する。マネージャーのスパンポーンさんから紹介を受けた部屋は、多分つい先日までここのオーナーが住んでいたのか、家具調度品も立派だ。それにやたらと置物が多い部屋であった。広さは130平米超だが、実はもう一部屋内扉で抜けられる部屋がある。そちらの部屋は、また別の人に貸すようだが、この部屋もまとめて借りることも家賃次第で何とかなるらしい。もっとも、そうなると家賃が3万バーツになるそうだ。始めのうち、Iさんは私が、伝えた家賃の金額の単位を日本円と思っていたらしく「いゃー、そんなに安いの!」なんて喜んでいた。私は私で、3万バーツと言う金額を聞いて「安い!」と言われるくらいだから、Iさんも相当のお金持ちなのだろうと思った。が、やがて、単位がバーツであることにIさんが気づき、「いゃちょっと待ってくださいよ」と言う事になって、契約するかどうかは、夕方又来て結論を出すと言う事になった。

 11時にはお母さんをゴルフ練習場に迎えに行き、午後からはお菓子教室に送る。お菓子教室が始まるのが1時で、3時まで。2時半になると優泰の学校が終わるので、優泰でも拾おうかと、学校へ回るが、門が閉じられていた。何でも、テロ対策で、登下校時以外は門を閉じておくことになったそうだ。仕方なく門の前にビートルを止めて下校時間まで待つ。今日は朝から雨模様なのだが、この一時、雨脚も強くなり、私はビートルに閉じ込められたままになってしまった。
 2時半過ぎに優泰は出て来たが、いつものワゴン車に乗って帰ると言う。せっかく迎えに来て、待ってやっていたのだが、無駄な時間になってしまった。

 3時半にIさんが再びナコンピンコンドにやって来て、やはり大きいほうの部屋だけを借りることにしたと言う。まぁ、悪い部屋ではないし、電子レンジなど家電製品もそろっているのだが、ただ一つ、バスタブがないのである。スパンポーンさんは、1年契約で借りてくれるなら、無料でバスタブも設置すると言ってくれたが、Iさんはしばらくはバスタブなしの生活をしてみると言う事になった。

 5時、チェンマイのS旅行会社のS社長と面会。S社長は私を採用したいようだし、私のS社の業務内容はチェンマイで最もしっかりしていて、仮に働くとしたら、ここくらいだと以前から感じていた。Aホテルの日本人マネージャーさんが引き合わせてくれたのだが、見合いとしては、相思相愛に近いところまで行っていたのだが、最終的に賃金の面で妥協点が見出せず、S社長からしばらく考えさせてほしいと言われる。まぁ私の希望した金額は、通常の現地採用の日本人初任給の10倍であったわけだし、経営者としては「うーん」と唸るのは当然であろう。でも、私としては、仮にチェンマイで働くとしても、チェンマイでの賃金ベースで働く気はない。あくまでも、ベースは日本であることを固持したいと考えている。その理由は、日本から駐在員として来ている人たちとの格差の問題である。どうしても現状私と同世代の在住日本人は駐在員中心になるし、その辺で、その人たちよりも数段落ちる賃金で働くことに抵抗がある。また、学校における優泰の立場も同様だと思う。経営側からすればナンセンスな理論でも、私としては譲りたくない一線でもある。
 もっとも、仕事や賃金のことを抜きにしても、このS社長さんには大変好感が持てた。親分肌で、話も上手である。今されている仕事の話や、昨今のチェンマイの旅行業事情など話を伺っているだけでもとても楽しく、時間が過ぎるのを忘れてしまうほどであった。

朝食
ご飯とオムレツ、マーボー豆腐の残り。
昼食
スーパートップス前のクーポン食堂にて餡かけカタやきそば。
夕食
小屋がけ食堂のピータン入りのバジル炒め。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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