旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月24日 日曜日    天気は晴れ 一時曇り

  ミシミシ、ギギーと言った物音で、夕べはよく眠れず、明け方前には目を覚ましてしまった。優泰はそれでも良く眠って6時過ぎまでぐっすりであった。そして、普段学校のある日では考えられないくらい、目を覚ますとパッと飛び起きて、「ちょっと外へ遊びに行ってくる」なんて言い出すのには驚いてしまった。もっとも、知らない町で、一人外へ行かせるわけにも行かないので私も同行して外に出る。外は一面の靄で真っ白である。おまけに吐く息まで白くなるほど寒い。
 国道に沿って細長く伸びた町で、商店の数も数えるほど、雑貨屋や農機具屋が中心。小さいながら市場もあり、野菜や肉などが並んでいる。お母さんが好きな豆もやしもここにはあった。朝食にはパンが食べたいと優泰が言うので、雑貨屋で何種類かの菓子パンを買いこんで、コーヒーの屋台で食べる。

 8時にホテルを出発。まずはクンユアンにある戦争博物館に立ち寄る。博物館前には慰霊碑が建ち、泰緬戦線資料館などとも日本語で書かれいてたので、これはなかなか見応えがあるかなと期待をした。しかし、残念なことに、資料としての価値の高いものは少なく、展示品は未整理で、写真は白黒コピーであった。たぶん、周辺住民が拾ったものなどを集めたのであろう。クンユアンの町は大東亜戦争末期に、ビルマ方面から退却路にあたり、ビルマ、ケマピュの町から山越えをして来た者のうち、傷病者を収容する野戦病院のあった町ということになっている。しかし、現在でもそうなのだが、ケマピュからクンユアンまでには自動車の走れる道はなく、当時の兵隊さんたちは徒歩で山越えをしてきたはずである。もっとも、戦闘とは無縁のタイ領であるクンユアンまで来ても、ここからチェンマイまで出るのも命がけのはずで、苦労がしのばれる。
 ビルマからの退路については、このルート以外に、現在のアジアハイウェイのルートと重なる退路があり、こちらも山岳地であったが、こちらのルートを使った日本兵では比較的生還率も高かったそうである。特に当時は現在のビルマ、シャン州の町ケンタン(チェントン)までタイ領とされており、荷車も通れたそうである。(メークテラ、カロー方面からこのルートを通ってきた元日本兵の方から聞いた話)

 さて、お目当てのブアトーン。メーウーコはクンユアンの町から北東へ26キロ入ったところにあった。さすがに観光名所になり、日曜と言うこともあって観光客を乗せたワゴン車やピックアップトラックがたくさん走っている。メーウーコに近づくにつれて、ブアトーンの群生が少しずつ大きくなり、ところによっては黄色い花のトンネルと言ったような個所も見られる。道はアップダウンがきつくて、運転が大変なのだが、眺めは良い。そして、ドイウーコと言う最大の群生地に着いた。なるほど、山の斜面一面が黄色く染まっている。数百万以上の群生であろう。タイ人観光客でいっばいである。皆あちこちで花の群生の中に入って記念撮影に夢中である。タイ人と言うのは記念撮影好きな民族らしく、もうモデルさながらにポーズを決めてシャッターを押し合っている。キャンプ地にもなっているようで、キャンプをしていた連中はお定まりでギターを抱えている。夕べはキャンプァイヤーでもしていたのだろうか、、。

 確かに群生の中に入ると、まっ黄色なのだが、果たしてこれは自然のなせる技なのだろうか、、、。斜面一面を黄色く染めているのは、この斜面だけで、その他はまばらに群生が点在しているだけである。私としては山の頂上に登れば、周辺の山々が全山黄色く色づいていることを期待したのだが、逆に頂上へ登ったことにより、足元の群生が見えなくなり、どこにでもある緑の山々しか見えなくなってしまった。その点で、蓼科高原の車山周辺を黄色く染めるニッコウキスゲの群生のほうが迫力がある。もっとも、展望台は山の頂上ではなく、山の斜面中央にもあり、ここから眺めると、黄色い海に立っているかのような感覚になれる。もちろん、ここまでやって来るだけの価値は確かにあった。

 この展望台には、笛を持った痩せ型のタイ人男性がおり、メージェムの小学校の教員だと言う。サービス精神が旺盛なのか、目立ちたがりやなのか判らないが、突然三点倒立をしてみたり、私に向って「上をむいて歩こう」などを笛で吹いたりする。私にも盛んに話し掛けてくるのだが、まぁ陽気なのは良いのだが、こちらとしては一体どのような対応をすれば良いのか戸惑ってしまう。この手の人物はインドあたりでは良く見かけたが、タイでは珍しいような気がした。

 ここドイウーコの先にはスリン滝と言う滝があるらしく、行って見ようと言う事になった。このブアトーンの群生地を過ぎると突然未舗装の悪路となった。やっぱり、このブアトーンの群生地は観光名所であり、そのためにこんな山奥まで舗装路を付けたのだろうと思われる。と言うことは、この斜面一面の群生はやはり人工的なものなのかもしれない。
 スリン滝周辺は国立公園になっていた。入場料を払い、指定された駐車場にビートルを止めて滝を見に歩き出す。ハイキングコースの入り口のようなところに看板があり、滝壷まで往復3時間と書かれている。とても優泰を連れて歩ける距離ではなさそうだ。しかし、どうやらこの滝は、滝壷まで歩かなくても、駐車場近くの展望台から眺められるようで、「ビューポイント」と看板も近くにあった。ただし、近くと言うのは150メートルほどの距離で、たった今車で通りすぎたところなのだが、そこまで歩くのも結構大変であった。とにかく坂が急なのである。

 スリン滝は落差が100メートル以上。ひょっとしたら200メートル近くあるかもしれない。この展望台の先500メートルくらい先にあるのだが、こちらまで轟音が響いてくる。滝の周辺は巨大なU字谷になっており、この手の谷はヨーロッパやカナダで良く見かけた氷河によってできた谷の典型であり、こんな熱帯圏でも見られるとは以外であった。もっとも、素人の私のことだから、これも単なる勘違いかもしれない。崩落する水量は雨季も明けたばかりのためか、十分な量で、華厳の滝とまではいかないが、日本人でも十分に鑑賞に堪えられる滝である。タイ人たちは通常滝壷で遊ぶのを好むが、これほどの大滝になると、とても滝壷で水浴び遊びをする度胸のあるタイ人は少ないだろう。普段、自然景観になどほとんど興味を示さない優泰までが「すごいウォーターフォールだね」なんて言うのだから、お勧めである。

 ウーコからチェンマイへ戻るのに、来た時の道と同じ道を走るのは、ちょっと面白くないので、ちょっと冒険してみることにした。メーホンソンへは北回りと南回りとあるのだが、地図を良く見ると道を示す細い線が描かれている。車での走行が可能な道なのかは自身がないが、先ほどの笛のタイ人はその道の中間点メージェムからモーターバイクでやって来たと言っていた。モーターバイクで来れるのだから、ビートルでも行けると判断した。メージェムまで出てしまえば、チェンマイまで120キロの距離だ。それに南や北のルートより距離にして100キロ近く短い。

 ほとんど舗装されていたが、それでもアップダウンやカーブがキツイ。メージェムまで100キロとないはずなのに、3時間もたっぷりかかってしまった。沿道にはポツリ、ポツリと山岳民の集落が現れる。時には集落を示す看板だけで、民家が見当たらない個所もあった。P氏によると「カレンでしょうねぇモン(メオ)も混ざっているようですが」との事であった。メージェムからはタイ最高峰のドイインタノン5号目を回るルートでチェンマイへもどる。チェンマイ市内に入ったのは夕方の6時であった。運転は緊張の連続と、ハンドルの回し過ぎで肩がいたくなったが、さすがに距離が短かったために、時間的にはだいぶ節約できた。

朝食
コーヒーとあんぱん。
昼食
五目野菜炒め載せライス。
夕食
チェンマイ・コカにてタイスキ。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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