旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

このページ「チェンマイ通信」はIIJ4Uサービスのホームページ機能が2016年3月31日(木)をもって終了した関係で、chiangmaikk.comのサーバへ引っ越ししてきました。設定不備もあるかと思います。

 

HPご意見メール

3月24日 日曜日    天気は晴れ 

ここメーサロンはイスラム教徒も多いようで、まるで南部タイにでもいるように明け方前からコーランの読教がモスクのラウドスピーカーから鳴り響いてきた。

朝7時過ぎに優泰と町外れの高台に立つパゴダへ登りに出る。ちょっと距離があったので、パゴダの麓までビートルで行き、そこから歩いて登ることにした。しかし、登り口の階段には鉄条網で閉ざされていた。こりゃダメかと思って、周囲を散策していたら、メーサロン・リゾートに出た。なるほど施設も規模も大きい。中国風の東屋が花壇の中に立っているし、バラ庭園もある。テナガザルが1頭飼われていてホーホーと鳴いていた。しかし、実際のところ宿泊するには昨夜泊まったメーサロン・ビラの方が眺めも良くて、結果的に昨日はこのリゾートが見つからなくて良かったと思った。

ビートルへ戻ると、お坊さんに出会った。高台のパゴダへ登りたいのだがどうしたら良いかを尋ねると、表の階段は工事中だが、山の裏へ回れば、裏道があると言う。車なら行けるはずだから是非行ってみるようにと言ってくれた。山の裏へ回る道はとんでもない悪路で、4輪駆動車でなければ走れないのではないかと思った。ワダチにはまり込まないように注意しながら走るが、ガリガリと車の下を岩か何かが擦る音が響いてくる。しかし、そんな道も1キロほどで、パゴダへ登る裏道に出た。ここから千段はあるかと思われる階段を登ってパゴダに出た。パゴダは改修工事中であったが、ここからの眺めはなかなか良かった。メーホンソンでもこれと似たような眺めだったが、山はこちらのほうが険しいようだ。

優泰と部落の中国人イスラム教徒の店で朝食を食べる。注文したのは雲南風の鶏そばと焼きそば、水餃子と書かれていたワンタンスープ。どれも味は昨夜の中華よりも美味しかった。ホテルの部屋にいるはずのお母さんにはトーストと目玉焼きを買って帰る。

メーサロンを出発したのは朝10時になった。国道1号線にぶつかるメーチャンへは距離が約30キロ。これもとんでもない急坂の連続であった。メーサイの入国管理事務所に辿り着いたのは11時半。ここでタイ出国のスタンプを受ける。ここの入国管理事務所はずいぶんとサービスが良い。飲料水のサービスはタイではあちこちで見られるが、ここでは電気ポットとティーバッグを置いて紅茶のサービスをしていた。これだって店で飲めば10バーツは下らない。日本なら自販機を置くところだろう。

メーサイから橋を渡ってビルマ側に入る。お母さんは足が痛いので、闇市のような市場を歩かせるわけに行かない。お母さんを免税店のテラスの座らせて、私と優泰が市場を一回りして来るのを待たせる。市場で買ったものは、パソコンにつなげるためのスピーカー(70バーツ)、ディズニーのVCD2枚組(タイ語吹き替え25バーツ)、携帯電話型電卓(40バーツ)。本当はカシューナッツを捜していたのだが、良い品質のものが見つからない。あるのはピスタッチオばかりだ。良いものは直でタイへ入ってしまうのだろうか?免税店に戻り、シンハビールの大瓶を1ダース買う。1ダースで370バーツであった。タイ国内なら1本で50バーツ近くするのだから格安だ。以前、マルボロタバコの偽物をつかまされた事があったが、まさかビールはそんな事無いだろう。第一にお客は冷蔵庫から冷えた免税ビールを取り出して買ったすぐそばから飲むことだってできるのである。が、これではいったい何を持って免税と言うのだろうか、、。昔、まだビルマが鎖国をしていた頃は、マンダレービールと言うあまり旨くないビールがビルマ国内でとんでもない高値で売られていた。それも国営ホテルのレストランくらいでしか口にできず、支払いは現地通貨ではなくドルを要求された事を覚えている。当時一度だけタジという鉄道駅のある町で、闇の中国ビールを飲んだ事があるが、冷えておらず、保存もいい加減だったのか、もともとか気が抜けてとても不味かったが、結構高かった事を覚えている。

1ダースのビールを手に下げて再び国境を越えてタイへ戻る。パスポートには6月21日までの滞在許可印が押された。これで一安心。時刻は2時近くになっていた。ビートルを走らせてしばらくして、お母さんがそろそろ食事にしようと言い出す。こんな田舎でまともな食事ができるところなど皆無に近い。取りあえずハイウェイをメーチャンで降りて、田舎町の中で食堂を探す。しかし、やはり田舎町なので、田舎食堂しかない。このような所だとお母さんがまず食事をしたがらないから、お母さんでも入れそうなところを探すのに苦労する。小さな町の隅々を走りまわり、30分ほどかけて漸く小さな川沿いのちょっとはきれいにしている食堂を見つけて入る。料理は簡単なものしか注文しなかったが、味付けはまずまずだった。

メーチャンを出て、ひたすらハイウェイをチェンマイへ向けて走る。距離にして200キロ。途中峠もあり、トイレ休憩もして、およそ3時間半の走行で6時半にチェンマイに着く。チェンマイの街に入って、そのままお母さんを鍼の病院へ連れていく。今日は2日間休診があった為か、患者が待合室一杯に座っていた。

朝食
私と優泰はメーサロンの村の食堂で中国風の麺類を食べる。お母さんにはトーストと目玉焼きを買ってくる。
昼食
メーチャンの食堂で、五目野菜炒めと豚肉入りの卵焼きの昼食。
夕食
レモンツリーでグリーンカレー、ヤムウンセン(ハルサメの和え物)、鶏肉とカシューナッツ炒めを食べる。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

チェンマイ帰り就活日記

求む!ピョン子の情報