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3月23日 土曜日    天気は曇り、午前中霧雨 

年末にマレーシア旅行をしてきて、明日で90日目を迎える事になる。お母さんと優泰はこの間に一度もタイから出国していないので、明日で滞在期限が切れてしまう。そこで、今日は家族3人でビルマ国境のメーサイまで一泊のドライブ旅行と言う事になった。しかし、メーサイ自体は泊りがけで行ってもオモシロそうなところじゃないし、それに暑そうだ。どこか宿泊するのに適当なところはないかと地図を眺めていら、メーサロンと言う町が目に付いた。メーサロンはつい最近まで中国国民党の部隊が中国への反攻砦を築いていたところであり、また麻薬栽培でも有名なところであった。それが、時代の流れか、台湾ですら反攻中共のフレーズが聞かれなくなったように、ここの砦の国民党軍たちも、タイに帰順し、現在は観光地となっている。なんとなく、台湾海峡の金門島に似たところではある。このメーサロンは観光地と言っても、とんでもない僻地にある。孤立した砦を40年も維持できたくらいだから、その僻地かげんは相当なものだ。しかし、今回私たちがメーサイへ向かうルートからはそれほど外れた場所ではなく、ルート上から15キロほど山奥に入るだけだ。高い山の鞍部にあり、涼しそうだし、本場の中国料理も楽しみだ。

今回のメーサイまでのルートは西回りのファーン経由を取る。距離的には東回りのチェンライ経由より遠いし、道も悪いのだが、景色が良い。午前中に優泰の日本人補習校一年生入学準備のための体験授業を受けさせる。アパートを出発できたのは正午になってであった。そのままアパートで昼食までしてしまうと、いったい出発できるのが何時になるかわかった物ではないので、昼食はお母さんお気に入りのチェンダーオ(チェンマイの北約70キロ)手前のホームメードと言う食堂へついてからにする。

ホームメードには午後1時に到着。途中霧雨に遭ったため昨日洗車したばかりのビートルは泥だらけとなってしまっていた。昼食にはたっぷりと1時間半以上の時間をかけて、お母さんたちは食後のケーキとお茶まで楽しんでの出発となった。時刻は3時近い。

チェンダーオ、ファーン、メーアイ、タートンと順調に北上を続ける。お母さんと優泰は昼寝をしていて、車内は静かなものである。峠道にさしかかり、そろそろガソリンが心もとなくなってきたので、ガソリンスタンドを捜したが、もうほとんど民家もないような僻地へ入ってしまったため、まるでスタンドがない。あっても入り口を閉めている。困ったなあと思っているうちに、峠の上へ辿り着き、左折して15キロでメーサロンとある。しかし、こんな尾根道で15キロもガソリン補給無しに走るのは、無謀と思え、そのまま峠を下ってみる事にした。下り道ならガソリンの消費も少なくて済むはずだ。しかし、ガソリンは節約できたが、峠の上からスタンドまでは約17キロほどの距離があった。

ガソリンのドラム缶を並べただけのスタンドには、鷲が飼われていた。木のこずえに足を繋がれて、それでも遠くを見つめるような眼差しを四方に配っていた。さて、ここまで山を下ってきてしまったので、このままメーサイまで行ってしまうべきか、それとも戻ってメーサロンへ行くべきか悩んだが、やはり折角なのでメーサロンへ行くことにした。再び今下りて来たばかりの峠道を引き返し、峠の上の別れ道でメーサロンへの道に入る。しかし、これがまだ急勾配の連続するすごい道で、登りも下りもギアはローに入れたままで、ブレーキとアクセルの操作だけで、クラッチやギヤを操作する必要がない。

メーサロンではメーサロンリゾートと言う施設が最高級とされ、もともとは国民党軍の軍事教練施設をホテルに改装したものだと言う。しかし、メーサロンの部落の一本道の両脇を注意しながら走ったけれど、とうとう見つけられないまま部落のはずれまで出てしまった。見つかったのはメーサロン・ビラと言う宿泊施設である。一泊素泊まりで700バーツにしてもらいコテージに部屋を取る。食堂は広いばかりで殺風景だし、ロビーも無ければ帳場は食堂のカウンターと言うあまりぱっとしないホテルであったが、宿泊施設はしっかりしていた。まず斜面にゆったりと配置された白いコテージは南欧風で、周りには花壇が良く整備されて沢山の花が咲いている。谷に面して立てられているので眺めも良い。

夕食はホテルの食堂で食べることにしたが、楽しみにしていた本格中華はほとんど望めなかった。牛肉が無いと言う。麺類も品切れだそうで、メニューもさして多くない。おまけに料金だけは一流ホテルのレストラン並で、料理一品が最低でも100バーツである。注文したのは野菜炒め、雲南風炒飯、マントー、鶏挽肉の卵巻き、カシューナッツと鶏肉の炒め物、海苔と豆腐のスープ。味は今ひとつぱっとしない。本場中国の団体観光客向け田舎食堂の最低予算メニューと言った感じで、食器にも清潔感が欠如している。従業員たちもサービス業に就いているといった認識に欠けているようだ。決して不親切ではないが、もてなしの心が判らないらしい。素朴すぎるのかもしれない。それから、タイ語が判らない従業員も多い。中国語も北京語が話せる人も少ない。従業員の多くがビルマ人なのである。

朝食
私とお母さんは残っていたお粥にパートンコーを食べる。そして、優泰は、、今日もコーンフレークである。
昼食
チェンダーオ手前のホームメードと言う食堂で私は唐辛子炒めご飯、お母さんは鶏肉のバジル炒めご飯、優泰はケチャップ味の炒飯。食後、2人はお目当てのケーキをひとつずつ食べた。
夕食
ホテルの食堂で大した事のない、中華を食べる。

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(2015年5月からのブログ)

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