旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月22日 火曜日

バスの座席で、寝返りを打つ事もできず、ほぼ斜め45度くらいの角度で直立不動の姿勢のまま、浅い眠りについていたが、午前5時前になると車内の照明がつき、間延びした歌がスピーカーから流れ出したらば、おしぼりと、すさまじい味のホットコーヒーのサービスがあり起こされた。まだ眠っている人もミニスカートの女性乗務員が肩を小突いてコーヒーとおしぼりを配ってまわっている。

午前6時にバンコクの街外れのバスターミナルに着き、ここで降りる何人かを降ろし、バスは市内中心部のプラトゥーナーム市場まで行くというので、そのまま乗って市内まで行くことにする。しかし、ターミナルで何やらバスの床をはずし、運転手さんが油だらけになって機械をいじくっている。どうやら故障しているようだ。昨晩走行中も何度か路肩にバスを止めて、何かやっていた気配があったが、この機会に明るくなった事だし、万全にしておくのだろう。私もこんな早朝に街外れで放り出されても困るので、バスに乗ったままで修理が終わるのを待つ。
どうにか30分ほどでバスはエンジンをかけて何事もなかったかのように走り出した。車内にはまだ10人ほどの乗客が残っている。男性は職業不明ながら、女性は明らかに水商売風の20歳台後半か30歳台と思われる人が2人いた。

さて、バスは快調に走り、空港方面へ伸びるパルティヨホンの大通りにある大きな交差点でUターンをしようとしたその時、交差点のど真ん中で突然バスは停車し、あとはどれほどエンジンを吹かそうが、走らなくなってしまった。運転手も今度はあわてて作業をするが10分たっても、20分たっても、バスは動けない。折からのラッシュアワーも近づき、交差点の真中をふさぐこのバスのせいで、交通渋滞がひどくなってきたようだ、白バイに乗った警官も、故障とあっては手も足も出ないのか、しばらく腕組みして待っていたが、結局しばらく交通整理をしたかと思ったら、どこかへ行ってしまった。

とうとう、大型のレッカー車が登場して、バスを牽引し始め、1キロくらい先の安全地帯まで引っ張ってくれた。ここでもしばらく待たされて、今度は走れないバスを放棄してワゴン車に乗せられ、このワゴン車でバンコク市内まで運ばれた。

今晩はバンコク市内に泊まらなければならないが、バンコクのホテル代は安いホテルでも何千円かはする。自腹で泊まるのにこんな宿泊費ほどもったいないものはない。かといって熱いバンコクでシャワーもなく野宿する気にもなれないので、中央駅近くにある中国人宿へ行ってみる事にする。ここは学生の頃何度か宿泊した事があった。当時でも前世紀の遺物かと思うほどオンボロで、不潔で、汚い木賃宿であったが、まさか20年も経てば、多少は手を加えているだろうと期待をし、それと宿賃も高くなっていることだろうと覚悟して、中央駅前へ向かう。

新華南峰旅社、漢字の看板をスリ・フアランポーン・ホテルとタイ語で読む事を知ったのは学生の頃の何度目かの滞在のときであった。フアランポーンとはこの中央駅のタイ語名で、スリとは偉大なとか大きなとか言ったサンスクリット語だそうで、スリランカのスリである。そして、ずいぶんと語呂の良い漢字を当てたものだと感心したものであった。駅の裏にあたり、当時は隣に市場が広がっていたが、今は市場は消え、高速道路の入り口になっていた。それでもこの新華南峰旅社は生き残っていた。入り口がいつも客の入っていない大衆食堂になっていて、脇に宿の受付を兼ねたテーブルがひとつあり、オカッパ頭でいびつな造詣をした顔のおばさんが座っていた。そうそう、むかしもこのおばさんがこうして座っていたんだ。このいびつなお顔は見覚えがある。確かにあの頃より老けて一回り小さくなったようだが、あのころもおばさんだった。いったい彼女は何歳なのだろう。私がここに泊まりたいと言うと、部屋を見てからにした方が良いと言う。まるで、止めときなよといわんばかりだ。8号室のカギを受け取り、二回へ上がる。以前は以下にも生まれてこの方ずっと華僑でしたと言った感じのおじさんがランニングシャツで迎えてくれたものだが、さすがにこのおじさんはおらず、掃除のおばさんと、別の刺青の若い男性がいた。8号室は、私の期待を裏切り、ちっとも手入れがされていなかった。昔からこれ以上汚なくなれないほど汚かったので、20年たっても、その20年と言う時間の経過を感じさせない。しかし、唯一シーツだけは白いものに変わっていた。以前は柄物のシーツで、汚れ放題、柄なのか汚れなのか判別できないようなシーツであったが、これだけは白いものに変えたようだ。
階下へ降り、気に入ったから泊めてもらうといったら、漸く宿泊台帳を持ち出してきた。台帳の中には何人かの日本人の名前も載っており、最近のバックパッカーブームでこんなところにも泊まる人が増えている事に驚く。宿泊代は、20年と言う歳月の経過の割には、二倍ほどしか値上がりしておらず、一泊180バーツであった。部屋へ戻り、素足で床に足をつける事すらためらわれるようなシャワールームで水しか出ないシャワーを浴び、ワイシャツとネクタイに着替え、早速バンコク市内へ仕事に出かける。時刻は午前10時を回っていた。

日本人租界のようなスクンビット通りで結局PCの設定などの仕事を夜7時過ぎまで行い、とうとう今日は朝も昼も夜も何も食べず、結局コーヒーを3杯飲んだだけであった。渋滞する道を路線バスに揺られ、新華南峰旅社に辿り着いたのは夜8時を回り、ネクタイはずし、シャワーを浴びて、Tシャツに着替えて、食事に出る。しかし、空腹を通り越して、もうフラフラだし、こんな時刻からひとりで食堂を探すのは面倒なので、通りの屋台でワンタンメンを一杯すする。バンコクのガイドをしている友人に電話をかけたが、まだツアーを案内している最中とのこと、ツアーのお客さんはソルツインタワーの泊まりだと言う。ソルツインタワーなら新華南峰旅社から1キロほどのところなので、ホテルの前へ先回りしてみる。しかし、よる10時を過ぎても友人はおろかツアー客も現われない。明日はツアーを早朝の水上マーケット観光に案内するといっていたから今晩は早めにホテルへ戻ってしかるべきだが、、。と考え、再び携帯へ電話すると、なんと飲み屋さんへ案内していて、午前様になりそうだとのこと。とてもそれまでは待ちきれないので、新華南峰旅社へ戻り、ベッドに横になる。シーツは白いがベッドのマットらしきものは汚く、どうやら虫でもいる気配。横たわっていると身体のあちこちがなんとなく痒くなってきてなかなか寝付けなかった。

 

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(2015年5月からのブログ)

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