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11月14日 金曜日    天気は晴れ

 ここチェントンでの泊まりはチェントン・ニュー・ホテルと言うチェントンの町一番のホテルで、もともとはシャン州の藩王女の宮殿があった場所らしい。現在は政府経営のホテルとなっていて、近代的ではないが、ゆったりとした造りのホテルである。しかし、印象派極めて悪かった。まずチェックインの際に私は一人部屋を希望したのである。ミャンマー側の手配では2人一部屋になっていて、これではゆっくり休めないし資料整理もできない。追加料金を払っても一人部屋がほしかった。しかるに、ホテルのフロントが言うには、パッケージに含まれているのは2人部屋であり、一人部屋を使うなら、もう一部屋分全額もらうと言う。このホテルは一人部屋と2人部屋とで料金が異なるのだし、「差額を払うだけで良いのではないか」と質問しても頑として受け付けない。しからば、込みになっている朝食分について、私たち4人で3室、5人分払うことになるのだから、一部屋別にお金を払う私は「2食分食べても良いんだな」と言うと「4人しか泊まらないから、4食でございます」と言い方だけは丁寧だけど、話が通じない。

 その朝食と言うのが、パンと目玉焼きにコーヒーと言った極めてシンプルなものであった。生野菜やハム、ソーセージなどと言ったものはなく、小さくて薄いトーストだけは普段着のおばさんが好きなだけ給仕してくれるようで、私は昨夜のこともありトーストばかり6枚も食べてやった。

 午前中はチェントンの町の見学と言うことになっており、市場前で雇った三輪のバイクタクシーで丘の上の寺院などを見学する。この寺院には高さが260フィートもあると言う大木が伸びていた。ものすごい樹齢なのかと思えば、まだたったの250年だそうだ。それもビルマ王アラウンパヤ王がアヤタヤ攻略の際にチェントンに立ち寄り戦勝祈願の植樹をしたものだそうだ。タイ人にとっては不愉快な木であろう。そして、ここチェントンの人たちにとってはどのような印象をこの木に対して持っているのであろうか。この土地の人たちはビルマ族と言うよりも、民族的にはアユタヤのタイ族に近いわけだし、、。そのことをガイド氏に聞いたが、私の聞き方が悪かったのか、質問の意味を理解してもらえなかった。もっとも、丘の中腹にはミャンマー軍が駐屯し、大木の周りは公園のように整備こそされているが、この木を地元の人たちが特に崇めている印象はなかった。

 このあたりを管轄している役所へ行き、チェントンから州都タウンジーへ我々外国人でも行けるかと確認すると、飛行機でなら行けるという。陸路では道も悪いし、治安の問題があるからダメだと言う。定期バスは乾季には2泊3日で走り抜けているそうだが、外国人は乗れないらしい。このルートは戦後長く閉ざされたままになっているし、是非とも開拓してみたいのだが、役所レベルの問題ではなく、軍の問題も絡んでいるらしい。が、ガイド氏によると特別の許可を得たドイツ人2人組みがバイクでここを走破したことがあったそうだ。そしてそのままインドまで走り抜けたのだと言う。私も是非走破してみたい。

 昼前にチェントンの町を出発。私のデジタル式のカメラは昨日から調子が悪く、今朝はもう完全にだめになってしまった。フィルム式のカメラもフィルムを撮り切ってしまっている。もう、撮影することが不可能となってしまった。帰り道はほとんどどこにも立ち寄らずタイ国境へ爆走する。途中の小さな集落の簡易食堂で昼食。まるで家畜用の餌入れのような琺瑯風の器に盛られた焼き豚入りチャーハンと青菜のスープをすする。味は悪くなかったが、イメージが悪かった。タイ人たちは美味しい美味しいと盛んに食べていたが、私はあまり箸を伸ばせなかった。トイレも「清潔だよ」と言っていたが、確かに汚物で汚れているわけではないが、泥濘に木の板を差し渡した通路の奥のトタン囲いの小屋で、日本人のお客様にはご案内できないようなトイレであった。

 タチレクの町には4時に到着。少しの時間をもらって私は国境市場に買い物に走った。お母さんからの要望で毛布を買わなくてはならない。このところ夜はチェンマイでも冷え込み、毛布などがほしくなっていたのである。中国製の毛布を何枚か仕入れて、国境を越えてタイへ戻る。時間をタイ時間に戻し、6時過ぎにチェンライの市街地に入る。本日がチェンライで二軒目の大型スーパーの開店日と言うことで、スーパー前のハイウェイはひどい渋滞をしていた。J.Travel前でツアーは解散。反省会もせずに、私はチェンマイへ向けてビートルを飛ばした。夜9時半前にアパートへ到着。このツアーで得た収穫は小さくはなかったが、果たしてこの研修から、売れる旅行商品を作り上げられるかは大きな未知数である。それに最終的にミャンマーの国営旅行社から渡された領収書は、とても会社に提出して、費用処理してもらえるような内容のものではなかった。むしろ、今回のことはプライベートの旅行だったと割り切って、自腹で処理してしまったほうが良さそうである。でも、自腹にしては、ちょっと金額が大きすぎたかな、我が家の一か月分の飲食費よりも大きかったのだから、、、。

朝食

パンと目玉焼き。

昼食
街道沿いの田舎食堂でチャーハンと野菜スープ。
夕食

納豆ご飯とジャガイモと玉子の炒め物。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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