旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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6月1日 土曜日    天気は晴れ 

 今日は優泰の日本人補習校で弁当を持っていく日だとばかり思っていたが、良く調べてみたら給食の日であった。弁当用に昨日市場でソーセージなどを買って来ておいていたのだが、、。

 お母さんのところへ行ったら、ちょうど排便の直後だったらしく、痛くて首も回せないなどと訴えながら涙を浮かべている。まだ、退院までしばらくかかるかな、と思いながら朝食の粥を置いて、優泰を補習校へ連れて行く。

 昨日の金曜日に円高が進んだが、午後になって日銀が為替相場に介入し、円安に戻った。日銀のように海外の中央銀行も為替相場に介入してくるものなのだろうか、、。そして、午後になって円安となっても、チェンマイにあるほとんどの銀行では、朝一番の為替レートを終日適用するところがほとんどで、特に土日などは、金曜の朝のレートがそのまま適用される。つまり、昨夜のニューユーク市場でさらに円安が進んでも、チェンマイでの両替は昨日の朝のままの訳だ。両替率を軍人銀行(土日は休みでした)、バンコク銀行、農業銀行、首都銀行で調べてみると、首都銀行の為替が最も良い。100円が33.64バーツであった。(他の2行は33.60)両替を15万円ほどする。お母さんの入院費やらで出費がかさむから、このお金でも何日持つか覚束ない。

 病院へ戻って、お母さんの容態を見ると、朝一番ほどではなく、薬も効いてきているようだ。昼ご飯にはバナナとミカン、そして牛乳が欲しいと言う。昨夜は新しい患者は病室に運び込まれてくる事もなく、お母さんひとりだったようだ。他の病室のベッドも半分くらいは空いていた。日本では病院のベッドが足りないなどと言う話しを良く耳にしたが、ここの病院ではベッドが余っている。タイの庶民にとっては、健康保険も普及しておらず、入院などは大変な事なのだろう。

 スーパーと市場へお母さんの希望のものを買いに出かける。何故か道がひどい渋滞だ。ビートルで移動したため買物をしに行くだけで1時間以上もかかってしまった。お母さんは黒い斑点の出たバナナは嫌いである。黄色いバナナが綺麗だから好きだという。しかし、ちょうど頃合の黄色いバナナ、それもお母さんご指名のクルアイホームという銘柄のほっそりと長いバナナはなかなか見つからない。普及タイプのデブデブのバナナなら一房10バーツもしないで売っているのだが、、。ようやく見つけたクルアイホームはまだ少し緑がかっていた。1/2房、6本付きで18バーツとやはり高級品である。が、まだ熟しておらず、食べたら硬いし甘味もなかった。

 市場で買った物を持って病院へかけつける。「もう退院してお家へ帰りたい」とお母さんが訴える。今朝の状態を見るとまだ数日は入院かと思っていたが、もう退院したいのだそうだ。入院4日目、あと1日入院していれば、生命保険から入院給付金が出るところだったのだが、、。看護婦さんに退院手続きの依頼をして、優泰を補習校へ迎えに行く。

 入院治療費は2万2千バーツを越えていた。なかなか大きな金額である。100バーツが買った病院のVIP会員カードのおかげで多少値引きしてもらって、600バーツほど安くなった。退院できるとなると、お母さんの顔色がパッと明るくなり、元気そうになったようにも見える。アパートへ連れて帰り、大きな私のベッドを提供する。しかし、手術後の傷口を見て驚いた。傷口がヒドイ炎症を起こしていて、手術する前よりも大きく膨らみ、痛そうである。やっぱり退院させるべきではなかったのではないかと考えた。家の中では優泰がウロチョロするし、付きまとったりするだろうから、在宅看護も大変そうだ。私としては、日常生活ができるようになるまで病院に入っていて欲しかったのだが、それでもお母さんは退院できたと嬉しそうだ。

 

朝食

優泰には親子丼を作って食べさせ、お母さんはお粥が食べたいと言っていたので粥を作った持って行く。私は連日の残り物のトウモロコシ。

昼食
お母さんのところにイモの天ぷらやバナナ、ミカンなどを持って行く。
私は小屋がけ食堂に立ち寄って挽き肉のバジル炒めライスをかき込む。15バーツで大盛り、旨い。
夕食

優泰と私はホットドッグとサラダ、お母さんには白いご飯と味噌汁、缶詰の山海炊き合わせ、生野菜。

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(2015年5月からのブログ)

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