8月30日 月曜日    天気は晴れ 夕方から雨 

 昨日の手術後の痛みはだいぶ引いて来た。しかし、頬のあたりが腫上がって大きく膨らんでいる。まだ、口を動かすのも楽ではない。しかし、代替要員のいない仕事のため、今朝も朝一番からアマリ・リンカム・ホテルへ出発の立会いに伺い、さらにお母さん名義のアパートの部屋を人に貸しているのだが、そこで水道関係のトラブルが発生したそうで、その修理にも回る。K.K.トラベルへは10時に入った。そうしたらファックス兼用のプリンターが故障したと言う。故障したものの修理も私の担当になっているようだが、しばらく調べてみたが、直しかたが判らない。それに、私も自分の業務が忙しいので、修理屋を呼ぶように指示をした。

 ところが、この修理屋、昼頃にやってきて、プリンターをちょっと見ただけで「これは壊れているから、直らない」と一言言って帰ってしまった。何と言う無責任な修理屋かと腹が立ったが、それで諦めてしまっては、ファックスの送受信ができず、忙しさが余計倍化してしまう。コツコツし内部を点検し、読み取り部分を起動するベルトに問題があることを発見して、ファックスは復活した。この作業のために1時間も時間をロスしてしまった。

 午後から人と合う約束があり、モントリーホテルのコーヒーショップで1時間ほど情報交換を含めて話し合いをする。この頃より、身体の不調があちこちで出始めてくる。薬物アレルギーが出てしまったようだ。手や足、特に指がむくみ始め、パンパンに張っている。さらに痛みとカユミ、圧迫感も酷い。クチビルも痺れだし、恥ずかしい話しだが、性器周辺も痒くて仕方なくなる。昨日の手術後にもらった薬に身体が拒絶反応で起こしていのだろう。さらに、全身に酷い疲労感が出始める。
 1時間くらい、情報交換をしたりしていたら、携帯電話のベルがなる。K.K.トラベルからであった。「タロー、日本のお客が来てるから今かわるよ」と言う。そして電話口には日本人男性が出た。「どちら様ですか」と聞いたのだが、「ちょっとお会いしたいので、1時間前から待っている」と言われる。声には聞き覚えがない。モントリーホテルから歩いてK.K.トラベルに戻る途中、貧血になったのか、眩暈を起こし、しゃがみこんでしまう。
 やっとのことでK.K.トラベルにたどり着いた。私のカウンターの前には、かなり太られた日本人が座っていた。用件を伺うと、「ホームページを見て、大阪行きの予約をしに来た」と言われる。ホームページを見てくださっているのなら、もう私が新規の予約を受けていないことをご存知いてくれても良さそう那気もしたが、まぁせっかく来てくださったのだしと、航空予約端末を叩いている、その男性はカメラを取り出し「写真を撮らせてもらいますよ」と言う。こちらはボロボロの状態で、しかも顔面は腫上がっている。それに勝手に写真を撮られるのはもともと好きではない。「写真を撮る目的はなんですか」と聞いたらば、気分を害されたようである。こうしてホームページなど持っていると、写真を撮られるのは仕方がないのだろうか?まるで、観光少数民族村の首長族にでもなったような気分であった。もちろん、観光村ではないので、入場料もモデル料もあるわけではない。
 私は「写真はお断りします」と言ったらば、いちいち言われたくも無いことをズラズラと言われ、おまけに「ネット上でなんだってかけるんだからな」とまで言われてしまった。あぁ、やっぱりこの手の人種だったのだなぁ、、。このホームページも、私が帰国後もしばらくは記念として残しておこうかと想ったけれど、こうした人たちに見られて、あちこちでやり玉に挙げられることが続くようなら、早めに閉鎖してしまうに越したことがなさそうだ。

 この一件で、私はとても気分が悪くなった。医者からは1週間はアルコールを飲むなと言われていたが、夕方6時過ぎにK.K.トラベルの裏で、安酒で酒盛りをしている男性スタッフに混じって、センソーンと言うタイ・ウイスキーを煽るように飲んだ。さらに、別の食事会にも参加し、愚痴などをタレながらビールを何本も飲む。気分の良い酔いではなかったが、一緒に付き合ってくださった人たちのおかげで、お開きの時には、上機嫌で帰宅することができた。
 が、当然ながらこの反動は真夜中にやってきた。寝ていたのだが、胸が苦しくなり、全身が圧迫されて、目を覚ます。喉が乾き冷蔵庫から水を出そうとしたところ、酷い眩暈でキッチンの床で倒れこんで、動けなくなってしまった。酷い頭痛と心臓の苦しさで、この世とおさらばする時が来たのかと想ったが、1時間ほど床にぶっ倒れていたら、少し落ち着き、ベッドに戻ることができた。

朝食

ソウメン。

昼食

モスリム風菓子パン。

夕食

ダイヤモンドホテル隣のフアンボーランと言う古い民家改造のレストランにて北タイ料理

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