5月22日 土曜日    天気は曇り

 今朝バンコクからチェンマイへ汽車で到着されるお客様へ、ワゴン車の手配を依頼されていた。いらっしゃるのは総勢6人だそうで、先日トゥム君が「レンタカー依頼の電話」受けたが、そのお客様である。結局はスポーツライダー7人乗りではなく、運転手付きのワゴン車となった。汽車の到着は8時55分の予定で、私も優泰を補習校へ届けた後、鉄道駅へ出迎えに出る。タイの汽車の怖いところは何時間遅れるか良くわからないところにある。バンコクとタイ第2の都市チェンマイを結ぶこの北本線でさえ、単線である。つまり途中で何度も列車交換をしながら長距離列車が走ってくるので、1本が遅れ始めるとすべての列車が遅れてしまうのである。しかも、線路の状態はあまり良くなく、レールも日本の赤字ローカル線以下で、レール表面が痛んでいたり、レールの継ぎ目の間隔が開いていたりと、日本の安全基準では到底旅客列車を走らせるのに堪えられる状態ではない。が、ここではマイペンライで、列車は毎日走っている。そして、今日は約30分ほどの遅れで到着した。
 お客様たちを手配したワゴン車へご案内し、チェンライへ向けてお見送りをした。通常の観光旅行ではなく、何かの取材が目的のクルーのようであった。運転手への指示も、「深夜1時過ぎまで運転してもらうことになる」とのことであった。もっとも、午前中から昼過ぎにかけては、特にやるべき仕事は無いようなので、実質労働時間はそれほど大したことは無いようである。

 10時半、ロイヤル・プリンセス・ホテルへ東京からいらっしゃったT航空のA部長さんに会いに行く。A部長さんは奥様連れで、お2人ともチェンマイがお気に入りのようである。はじめにチェンマイでのロングステイの状況などについて質問を受けたが、突っ込んだ話は無く、ものの15分ほどでお別れした。A部長さんからは手土産に「ハローキティーの人形焼」をいただいた。これを見たらお母さんが喜ぶことだろう。いや、もしこんなものをタイで売っていたとしたら、きっとヒットしそうな気がする。ハローキティもタイでは人気キャラクターだし、人形焼き風のお菓子なんかもタイ人受けしそうである。まぁ中にいるのがアンコから、すぐにサンカヤーと言うカスタード・クリームに変身したり、豚肉のデンブになったりしそうだが、、。

 昨日、あるキリスト今日宗教団体がらみのセミナーに付帯したエクスカーション・ツアーの見積り依頼を受けた。半日ずつ2日間に渡って、チェンマイ郊外のリゾートホテルを出発して、数時間の観光コースを立案するように依頼された。総勢は200人。ツアーは20種類以上用意するようにとのことであった。本来私がやってしまうべき仕事であるが、私はトゥム君にたたき台になるようなコースを作成するよう支持した。さらにトゥム君はまだ業務知識があまりないので、他のスタッフと協力し合って、作業を進めるように進言した。
 はじめのうち、このやり方は成功したかに見えた。トゥム君はダラダラのスタッフたちを召集して企画ミーティングのようなことをはじめた。ここのスタッフたちは、楽しそうにチェンマイ近郊の観光スポットの名前を羅列し始めた。こうしたことは楽しいらしく、次々に色々な名前が飛び出している。が、問題は飛び出した名前を書きとめる者が一人もいない。そして、そのうちに退屈し始めて、自然とミーティングは溶けて消えてしまった。残ったのは生真面目なトゥム君一人。提出期限は1週間。さて、どこまで作り上げられるだろうか、、。

 午後お母さんから電話が入り「ベランダで鳥が死んでいるから早く来て何とかして」と言って来た。我が家では鳥を飼っていないので、どこかから飛んできた鳥がたまたま我が家のベランダで事切れてしまったのだろう。しかたなく、アパートへ急いで戻り、ベランダで仰向けに倒れている小鳥を拾い上げた。まだクチバシに雛どりの面影を残した小さな鳥であった。まだ、死体は硬くなっておらず、死んで間も無いようである。拾い上げて、優泰を連れ、アパート近くの雑木林の残る一角へ行って、落ち葉の堆積する土を掘った。湿った落ち葉の堆積するような土を掘ったのなど何十年ぶりだろうか、、。子供の頃の昆虫採取を思い出す。こうした土を掘ると、さまざまな虫や幼虫が出てきて、それを観察するのがとても楽しかったことを覚えている。今の優泰と同じくらいの年頃だった気がする。優泰はこうした土を掘った経験もなく、こんな土を触ることにも怖がって手を伸ばそうとしない。10センチほど掘り下げて、小鳥をうつぶせにして寝かせ上から土をかけた。このくらいの深さだと、その辺の犬に掘り返されそうだが、まぁ自然の中にいた鳥なのだから、それはそれでイイと解釈する。
 アパートへ戻りながら優泰に「お父さんが死んだら、優泰も土を掘って埋めてくれるかい?」と聞いてみたら「うーんとぉ、わかんない、大きくなってから考えてみる」と言う。「じゃあ、大きくなる前に死んじゃったら、ゴミ箱に捨てられちゃうんだなぁ」と言ったら、優泰は笑って「そんなことないよ」と言った。

 夕方から、夜にかけて、ニュースは北朝鮮拉致家族の帰国に関する報道一色であった。今日は8時には帰宅したので、テレビでNHKをつけていたら、延々とこの報道である。が、これを本当に「帰国」と呼んで言いのだろうかと一人さめた思いに駆られる。子供たちは朝鮮人だと信じて育ってきた。両親が日本人であったとして、それを知らずに育ち、説得されて日本に連れてこられたのでは、これはその子にとって不幸ではないだろうか?確かに北朝鮮は日本とは比べ物にならないほど貧しく、そして人権も尊重されない国家かもしれない。しかし、日本へやって来た子供たちは、大学を出ていたり、大学で学んでいたりと言う。つまり、北朝鮮と言う世界の中で、彼らなりの将来の夢を持って暮らしていたのではないだろうか?それが突然、まるで異なる世界へ連れてこられたら、その夢はどうなってしまうのだろうか?
 北朝鮮からの亡命者たちは北朝鮮は牢獄以下の生活だと口をそろえて言う。しかも、北朝鮮の幹部までが亡命して、そう言うからには事実なのかもしれない。しかし、今回日本へ来ることを拒否した元米兵の方は、日本へ行けば、訴追され、米国で軍法会議にかけられる恐れがあるので帰国を拒んだと言うことらしい。とすると、そこに少し矛盾を感じる。北朝鮮の牢獄以下の生活も、米国の軍刑務所よりマシだと言うことになるのだろうか?民主的で人権の守られていて、米国と犯罪人引渡し協定のない中国で面会させてお茶を濁すなど、まさに茶番ではないだろうか?中国だって、どれほどの北朝鮮からの亡命者を強制送還してきたことか、強制送還された人たちの運命がどうなるかなど、考慮されているようには思えない。それがどうして「民主的で人権の守られていて」いる国と言えるのだろうか?それに、そんな方法があるなら、こんなに長く待たせずに、さっさと北京でだろうが、板門店でだろうが再会させてやるべきだったのではないだろうか?さらに、この元米兵だって母国に家族がいるだろう。その家族のことはどのように処理されているのだろうか?

 今回の小泉首相の訪朝に関して、各政党代表の意見の中で、失敗だったとしているのは与野党のなかで民主党だけと言うのも嘆かわしい。共産党等は数少なくなった友党でもあろう北朝鮮へ気兼ねから、訪朝を評価している始末である。多大な援助と引き換えに、既に筋書きができていた一部の家族の連れかえりで、これを成功だとするのは、どう考えても理解ができない。そして、唯一失敗だったと酷評した民主党にあっても、これは自民党と小泉政権への反発による評価から発している政治的な臭いが強く、ちっとも人権を尊重しての発言とは思えない。
 「アメリカは北朝鮮による拉致問題は明確な国家テロ行為だと言っている」と小泉首相は再三口にしているのを耳にしたが、それが国家テロかどうかなど、第三者の米国に判断してもらうようなことではなく、当事者である日本国政府がしっかりした判断をするのが筋ではないだろうか?長年、拉致問題を棚上げにしてきて、漸く米国が米国に非協力的な国家への軍事侵攻を正当化するための「国家テロ」だの「テロとの戦い」だの言葉に踊らされている日本の政治の自主性のなさには嘆かわしく思う。拉致問題の発生から40年ほどになるらしいが、さらにその20年前には、それこそ本物で、しかも何万倍も倍規模な「強制連行」を日本はおこなっているのである。同一次元で話し合うべきことではないが、この問題に対して「国家間で決着済み」と言った態度を貫く日本政府の態度では、この家族たちを日本へ呼び寄せても幸せには遠いのではないだろうか?小泉政権中に、北朝鮮との国交正常化してしまったら、行方不明拉致被害者の問題だって、北朝鮮側から「決着済み」と言われても仕方がないのではないだろうか?国益優先も良いが、日本と言う国は、何よりも「筋を通す国」であってほしいと思う。

 台湾の住民が住民投票をすることは、中国と台湾の関係に緊張をもたらす事だから反対する日本政府の発想は、国益優先と言うよりも、大国にへつらう日和見国家の発想だと思う。民主的な土壌のある台湾で住民投票をすることに、どうして日本が反対するのであろうか、本来なら日本が中国に対して、民主主義にのっとって、台湾の住民投票への理解を説得する立場にあるように思える。今回の陳総統就任式に石原都知事が出席したそうだが、私は北朝鮮を訪問した小泉さんと比べると、石原知事のほうが筋が通っている気がする。ちょっと石原さんには右寄り過ぎる傾向もあるが、筋を通すと言う点で、私は歓迎したい。
 

朝食

ご飯と炒り玉子、海苔の佃煮。

昼食

インゲン豆のバジル炒め。

夕食

ほうとう風味噌煮込みうどん。

前日へ  翌日へ