7月8日 木曜日    天気は晴れ、夜に雨

 今朝は小鳥のピョンより早く目を覚ました。そして、いつもならチーチーと鳴いて私を起こすはずのピョンを私が起こした。しかし、ピョンは寝起きが悪いのか、半分寝ぼけたままである。カゴから出すといつもなら喜んで部屋の中を飛び回るのに、ちっとも飛ぼうとしない。まぁ、食欲だけはあるようで、豚のヒレ肉をパクパクとよく食べて、そしてまた目を瞑って寝てしまった。その間に私がピョンのカゴをふろばで洗ってやる。これが毎朝の私の日課であるが、今日から3日間の出張、明日と明後日の朝は、誰も洗ってくれる役を引き受けてくれない。

 6時半に11チェンネルのある広報局に集合と言うことで、早朝にアパートを出る。今回のナーン県の外国メディア視察団に混ぜてもらったのだが、団員の中で日本人は私一人である。バンコクにあるB社に声をかけていたのだが、週末は原稿の締切りなどがあり、都合が付かないので記者を派遣できなくなったと連絡があった。代わりに誰かに声をかけようと思って、K.K.トラベルに好意的なフリーペーパーのYさんを誘ってみようかと思い、携帯電話に何度か電話をしてみたが連絡がつかない。そうしているところで、別のフリーペーパーのKさんからメールが入り、「参加しませんか」と返信したら。自分は別の仕事が入っているので、参加できないが、相棒を参加させると言って来た。もっともその相棒さんはタイ人である。一行は外国メディアと言っても、各国の通信社が参加しているわけではなく、ほとんどがチェンマイの英字紙の記者であった。一人だけバンコクに拠点を持つ大手華字紙のチェンマイ支局の記者さんも参加していた。

 ランナーパレスホテルで朝食バイキングを食べ、8時にナーン県へ向けて出発する。ランパーンからデンチャイ方向へ向かう国道は新緑がとても美しかった。また、田んぼも田植えをしたばかりのようで、そちらの緑も美しく、景色が良かったが、日頃の疲れが出て、道中の半分くらいで居眠りをしてしまった。そして、私の前に座っていた広報局長から、「タロー、よく眠れたかい?」と言われてしまった。
 11時前にプレー県に入り、ラジオタイランド・プレー放送局に立ち寄る。チェンマイの放送局と比べると、ずいぶんと小さなラジオ局で、スタジオも3人も入れば一杯になってしまうほど狭いのが一室あるきりであった。ここでも、チェンマイと同様、番組の大半をバンコクの本局からのリレーで放送しているそうだが、1日8時間ほどを、このスタジオから生放送しているそうだ。プレー県は山間部にありテレビがよく映らない所も多いそうで、まだまだラジオの果たす役割は大きいそうだ。
 ここの放送局の担当者にいくつか質問をさせてもらったら、番組中のリクエスト曲のトップはルークトゥンと呼ばれるタイの演歌的歌謡曲だそうで、続いてタイのポップソング、そして洋曲だそうだった。また、国営の放送だけあり、政府の方針に従い、ローカル番組の約半分を麻薬など薬物に関する啓蒙番組が占めているそうである。

 プレー県では、ペムアンピーと言う、侵食によって大変不思議な地形をしたところへ案内してもらった。土地がまるで造成工事でもしているかのように、切り崩されており、しかもまるで巨大キノコのような土の塊がそびえている。文字で説明するのが、困難なので、特別に写真を展示してみます。

 へんてこなのは地形だけではなく、地名も変である。ペムアンピーと言うのを日本語に訳すと、「お化けの街の森」と言うことになる。しかし、こんなへんてこな地名と風景、まだまだ観光開発が遅れているようだから、是非この視察団の成果として、観光宣伝してみたいものである。

 午後から、ナーン県にはいる。チェンマイから約350キロの距離である。東京から名古屋くらいまでの距離だ。北タイと言うのは実に広い。
 はじめに案内されたのが、麻薬患者の更生施設である。ここはナーン県知事自らが説明してくださった。なんでも、2年前に知事に就任してからこの施設をはじめ、タイで唯一麻薬患者の更生に成功している施設なのだそうだ。私たちが到着すると、入所者の歌で歓迎を受けた。その入所者たちの顔を見ると、「まぁ、どの程度で成功と言うのかわからない」と言った第一印象を受けるほど、やる気のなさそうな表情である。しかし、知事の説明や入所者への質問を通じて、彼らは入所後、たったの10日間で社会復帰をしていくのだそうだ。そのため、この2年のうちに、6000人を社会復帰させたそうである。まぁ、麻薬患者が10日間だけで表情まで変えるのは無理があるのだろうが、他の施設と異なり、再び薬物に溺れ、再入所してくる人はいないのは事実らしい。ある記者が「他所の施設との違いは何か」と問いただしたところ、「それは愛である」との答えが返ってきた。これについても、なんだか良く判るような、判らないような感じであったが、後で個人的に知事さんに質問をさせてもらって、とてもよくわかった。
 知事さんの説明の中で、「常習者は1日に200バーツも薬物の為にお金を使っている。県全体で一万人の常習者がいたら、年間で7億バーツが薬物の為に、消えていることになる」と話された。これに関して、私は少し疑問を感じた。タイ人の労働者にとって200バーツは結構大きなお金である。それを毎日使えるものだろうか?そう思って「彼らはどうやってそんなお金を用意できるのですか?」と質問したら、「親にお金をせびったり、盗みをしたりしてだ」と答えられた。なるほど、薬物汚染は、常習者の身体を蝕むだけではなく、犯罪の温床になっている訳だ。しかし、親にせびるにしても親だって、大変だろう。子供にあまいタイの親だから、借りに薬物のためと知っていても、子供にせびられたら、なんとかお金を用意してしまうのだろう。
 ここに入所している10日間の間、毎日グループディスカッションをさせるのだそうだ。そして、自分たちと同じような境遇の者がいることで、社会復帰する勇気を創造し、また自分たちの父母のことを話し合わせる。そして、薬物に溺れた自分たちの為に親がどれほどつらい思いをしているのか考えさせる。すると、「ソンサーン、ポーメー(父母が可哀想)」になり、その気持ちが2度と薬物に手を出さなくさせるのだと言う。なるほど、これが「愛」なのかと理解できた。
 県知事さんは、実にこの麻薬撲滅に熱心で、毎日この薬物リハビリセンターに顔を出されているそうである。そして、県民と一緒に昼食に一杯20バーツの麺類を食べたりして、恵まれない人たちの声を聞いているのだという。そして、ポケットマネーで、麺類をふるまったりするそうだ。金のある人たちに、何千バーツもの酒をふるまうより、その金で貧しい人たちに、安い飯をふるまうのが意義あるポケットマネーの使い方だと言って、無造作にポケットに突っ込んであったお金を取り出して見せてくれた。

 その後、ワット・プーミンと言うお寺を見学した。外見は変哲も無い普通のタイの寺であったが、中に入って驚いた。タイの寺がどこでもそうであるように、壁一面にタイの風俗や仏教の教えに関する絵がかかれているのだが、ここのものは、他の寺のように新しく描きなおされたものではなく、昔のままのものである。そのため、ところどころ崩れかかっていたりするのだが、実に素晴らしい本物を見た感じがする。古いだけあって、色合いも上品に落ち着きがあり、それ以上にこの壁の絵が描かれた当時の、ナーンの街の情景がよくわかる。英字紙のM女史が説明してくれたところによると「ほら、ここにちょっと変わった人たちが描かれているでしょう。彼らはフランス人なのよ。この絵が描かれた当時、ナーンの隣のラオスがちょうどフランスの植民地にされかかっていたのね。これで、ナーンの人たちにも、フランスに注意しなさいよと呼びかける意味合いがあったのよ」と教えてくれた。と言うことは今から1世紀半ほど昔の絵なのであろう。よく見て見ると、日本の黒船襲来のように、煙を吐く外輪船の絵も描かれていた。
 そうした歴史背景のわかる絵以外にも、庶民の風俗を描いたものも興味深い。また、地獄絵図のようなものもあった。


 

朝食

ランナーパレスホテルの朝食バイキング。

昼食

プレー郊外にあるラビアンブンと言う釣堀つき食堂で、雷魚の酸味を利かせた鍋物(ペッサ)、川魚のレモン蒸し、鶏肉とレモングラスのフライ、カニチャーハン、アスパラと海老の炒め煮など。

夕食

ナーン市内にあるルアンゲーウと言う食堂にて、揚げ出汁豆腐風の料理、五目野菜炒め、鶏肉とカシューナッツ炒め、魚のフライ、トムヤムクン

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