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HPご意見メール

10月28日 木曜日

 昨夜も寝たのは午前3時近く。優泰が朝学校に行くのにも気が付かず、私は寝坊をしていた。そして9時頃になってようやく目を覚ましたのだが、なんだか身体の調子がおかしい。天井が回っているのである。床から起きあがり、布団をたたもうとするのだが、身体がフラフラする。1階へ下りようと狭い階段を下るが、足がもつれる。遅い朝食を取っていると胃がむかついて吐き気を覚えてしまい、ほとんど食べられない。この手の症状は、最近はほとんどないが、以前は日常茶飯事であった。「二日酔い」である。しかし、昨夜は少しも飲んでいない。日本に帰国してからアルコールを摂取したのは禁酒の誓いを立てている関係上、まだ2回しか飲んでいない。歳と共に筋肉痛が運動した翌日とか翌々日に出るようになってきたから、「本来なら昨日出るはずだった二日酔いが、3日目にして出てきたのかもしれないぞ」と考えたりもしたが、とにかく酷い眩暈である。これでは今日1日なにも手につきそうにない。

 と言うことで、畳の上にひっくり返っていた。お母さんが「また悪くなっちゃ困るから、早く病院へ行ってみてよ」と言うので、昼食を食べてから、昨日もらったばかりの健康保険証を持って近所の診療所へ診てもらいに行く。
 「どんな症状ですか?」
 「まったく、二日酔いと同じなんですよ、でも飲んでませんけど、、」
 「耳鳴りなんかはありますか」
 「いいえ、ありません」
 それから、血圧だけを測定してもらい、「眩暈ってのは、怖いんですよ、脳梗塞ってことだってあるんですからね」と物騒なことを言われたが、しかし、「取り敢えず薬を出しておきますから様子を見てみましょう」と言われたので、心配にはあたらないのかもしれない。その薬にしても、私が先月薬アレルギーで死にそうな体験をしたことを話したところ、「じゃあ、ビタミン剤と眩暈止めだけにしときましょう」と言うことになった。

 帰宅をしてメールをチェックしていると、K.K.トラベルからメールが届いている。署名は経営者からだが、経営者はキーボードが打てないので、秘書のギフトさんが送って来たもだが、冒頭に変なことが書いてある。「今日はオークパンサーで、、小鳥も籠から出て、自由に飛びまわれるようになり、、新しい世界へ旅立ちました。残った鳥かごはどうしましょうか?・・・会社としては、タローにチェンマイへ戻ってもらい、、そのための協力は何でもするつもりで、、」と言ったことが書いてある。そうか、今日はオークパンサー(雨安居明け)なのか。このオークパンサーと言うのは、雨季の間寺にこもっていた僧侶たちが、外へ出ることが出きるようなる日のことで、チェンマイでは大切な仏教行事でもある。きっとチェンマイ大で哲学を専攻したギフトが、日本で就職活動をしている私を鳥、そして鳥かごをK.K.トラベルにでも例えたのかと思った。
 しかし、しばらくして日本人後任者から、もっとはっきりした事実を知らせるメールが届いた。
 「今朝、私が知らないうちに、メイドがピョンを外に話してしまいました。」と書いてある。そして、自分も今さっきいなくなったことに気が付いたばかりだと言う。何てことだ!自分からエサを探すことも、満足に飛ぶこともできないピョン子を外へ飛び出させて、何が自由なものか!何10メートルかバタバタと飛んで、疲れて地面に落ちたところで、野犬にでも食べられてしまいかねない。仮に、戻ってきてタオ島の時のようにチッチッと鳴いたとしても、騒々しいチェンマイでは、その鳴き声が人の耳に届くとも思えない。
 後任者は迷い鳥探しのチラシを作るので至急ピョンの写真をメールで送って欲しいと言ってきた。しかし、残念ながらピョン子の写真はすべて紙ベースの写真で、データベースのものがない。私は眩暈を起こしていることなど忘れて、急いで外へ飛び出した。どこかで紙の写真をスキャンしてもらい、CDにでも焼いてもらおうと考えたのである。暗くなりかけた駅前商店街などを回ったが、東京もはずれの住宅街、コンピューター関連のサービスをしてくれるような店は見つからない。写真屋も「メモリスティックからの焼き付けはできるが、写真からじゃできません」とつれないことを言う。そんなことをしているうちに、チェンマイも夜になってしまう。ことは命にかかわる重大事である。私は電気屋でスキャナーを1台買う事にした。

 こうして、夜になってから、写真をデータ化して、メールでは大き過ぎるので、ウェブページに掲載した。そして、K.K.の経営者に対して「ピョンを探し出さない限り、今後K.K.への協力はしていくつもりがない」とメールを送りつけた。
 後任者からは夜遅くなって、ことの真相を知らせるメールが届いた。真相としては次のようなことであった。
 朝、天気が良くて、経理担当者がピョンに外でエサを食べさせてやりなさいとミャンマーからの出稼ぎメイドへ指示した。これはタイ語の問題だと思うのだが、助詞や用言の活用のないタイ語のため、そしてタイ語が不充分で、尚且つ思考力のあまり強くないメイドは、喜んでピョンをカゴから外へ飛び放ったのだそうだ。今日はオークパンサーで、どう言うわけか、この土地の人たちは、こうした行為で功徳を積んだことになり、来世により良い形で生まれ変われると信じている。メイドにしたら、道端や寺の境内で売られている1羽20バーツの解き放ち専門の小鳥をお金を出して買わなくても、飛ばすことができると喜んだのだろう。まったく、私から見たら飽きれるどころか、右も左もわからない幼子を山奥にでも放り出されてしまったような心境である。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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