旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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1/9-1/12の間は日本に滞在していますので、チェンマイ日記はお休みです。

この間ラビット日記を、ざっと以下に紹介します。

1/9 (水) チェンマイからのバスがバンコクに入ったのは午前0時過ぎであった。いつもはドンムアン空港前で降ろしてもらっていたのだが、今回乗ったバスはドンムアン空港前では下車させないらしく「ランシット(空港手前7キロほど)で降りてタクシーで行きなさい」と言葉は優しいが、タイにあるまじき優柔性のなさである。仕方なくランシットのロータリー前で降ろされる。ずらりとタクシーが並んでいるが、近郊の工場で働いているような工員風も沢山たむろっている。工員風情が日々の通勤にタクシーに乗るとは思えず、バスを待っているのだろう見当をつけて私も道端で待つ事にする。やはりバスは来た午前1時近くだが29番の空港前を通ってバンコク中央駅行きの市内バスが来た。運賃は深夜割増の5バーツであった。

エジプト航空に乗るのは15年ぶりであったが、機内サービスに笑顔アルコールがないことを除けば、ノースウエスト航空よりもきれいにしており上々であった。眠たいが途中マニラに立ち寄り、眠れないうちに昼過ぎに成田へ着いた。

夜、かつて有楽町で働いていた頃の先輩社員と御徒町で飲む。鮨屋で食べてバーで2次会をする。バーでは3人でワンショットずつ飲んだだけだが、請求金額は小屋がけバーの900ショット分であった。

1/10 (木) 前回来た時にラビットのミッションケーブルを取り替えるのに間違って短く切りすぎたので、改めて交換をする。今度は長さも丁度良い。しかし、留め金具にヒビが入っているのを発見。早晩これも金具の交換が必要になりそうだ。午後から以前の会社の破産管財人弁護士事務所に行き、会社資産についての確認作業を手伝うが、リース物品の契約書がいい加減に作られており、また北米のサーバーに付いては資産計上すらされていなかった。社長はまだ行方を晦ませているようだ。まったくヒドイ会社。債権者へ返せるお金は債権額の1パーセントにも満たないだろう。

1/11 (金) おとといの晩に飲んだ有楽町時代の先輩社員の会社へ行ってみる。思ったよりきれいで立派なオフィスであったが、やはりこのご時世で資金繰りがなかなか大変なようだ。そして古巣の旅行会社のほうも、今春の他社との合併を前に社員は浮き足立っているらしく、ここへ来てまた離職者が増えていると言う。まったく日本はどうかしている。デフレスパイラルなんてもう渦の渦中にはまり込んでいるのではないだろうか、、。都内の帰りにロジャースへ立ち寄ってお母さんに頼まれた食材などの買出しをおこなう。乾麺やコーヒーなどで、かさばるし結構重たい。

1/12 (土) 大泉の家から持ち出す荷物を整理するために午前中から大泉の家へ向かう。今回は優泰の自転車を持ちかえってあげようと思ったが、分解しても荷袋に入りきりそうにない。フレームの長さがちょっと長いのである。今回は持ちかえれそうにないので、代わりにラビットのマフラーを取り外して持ちかえることにする。以前からマフラーに亀裂ができてしまっていたので、チェンマイへ持ちかえって修理に出そうと思う。
エジプト航空のチェックインをしたのは2時半少し前で、出発まではまだ1時間半もあったが、希望した通路側の席はとれず、両脇を挟まれた席しかもらえなかった。だが、エジプト航空のサービスは確かに向上している。東京〜マニラ間の機内食は、肉料理か魚料理か、そしてそれぞれ和食か洋食かを選べる。つまりエコノミーでも4種類があるのだ。マニラ〜バンコク間でも和食か洋食かを選べた。アルコールのサービスがなくてもこれなら満足である。どちらの区間も和食をチョイスした。
バンコクにはほぼ定刻の11時過ぎに到着。大急ぎで最終のピサヌローク行の特急ディーゼルカーに乗り継ぐ。幸運にも荷物も早く出てきたし、税関も簡単に抜けられた。11:53にピサヌロークへ向けて出発

 

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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