旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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6月29日 土曜日    天気は曇り 午後から晴れ

 優泰の日本人補習校も一学期最後の授業。半日授業なので昼に迎えに行くと成績表をもらっていた。成績はインターよりはマシな内容であったが、書かれていた先生からのコメントはほぼ同じ内容であった「元気が良いのは、良いのだけれど、、、」と言ったことが書かれていた。

 アパートへ戻る途中でナイトバザールの首都銀行に立ち寄って3万円ほど両替する。週末の円高で100円が34バーツまで上昇している。3月頃と比べて7%くらい上昇していることになる。もっとも、円の対米ドルのレートは10%以上値上がりしているのだし、本来ならもっと交換率が良くなっても良さそうなものだが、、、。もっとも、日本のメディアは「急激な円高」などと言っているが、世界的に見たら円などと言った一通貨が高くなっているのではなく、ドルが各国通貨に対して安くなっているだけだから「ドル安」と表現するのが本当だろう。ユーロに対しての円などは1ユーロ115円程度から119円程度と3%も円安になっているのだから、、。

 で、首都銀行だが、私はこの日記上で「首都銀行」との表記をしてきたが、この銀行自体、タイでは当然のことながら華僑の経営であり、漢字での名称も持ち合わせていた。漢字での表記は「京華銀行」となっていたので、これからは首都銀行を改めて京華銀行で統一していこうと思う。さて、週明けの為替はどうなることだろうか、、。ドルはまだ大企業の不正経理事件が出てきそうな雰囲気だし、しばらくはドル安も止まらないだろうが、ワールドカップ後の日本経済だって決して明るい兆しは見えていないから、円だって通貨価値が下落しても不思議はない。

 夕方、自転車に乗って夕食の材料を買出しにタニン市場へ向かう。惣菜の中でシイタケと野菜の炊き合わせのようなものがあり、旨そうだった。値段を聞くと20バーツと言う。「20バーツではなく10バーツ分だけ欲しいのだけと」と言ったが「できない」と一言でかたずけられてしまった。店の手伝いをしていたのは小学生くらいの女の子だったが、立て板に水で話にならない。もともと面倒なことが嫌いなタイ人には、少しでも面倒(いつもと違う)ことは、単純に「できない」でかたずけてしまうタイプが結構いる。その母親格も娘と同様の態度であった。旨そうだったが、買う気がうせた。蒸かしイモを売っている台へ行ってイモを買おうとすると、「ひと袋10バーツ」と言う。これもひと袋は多すぎる。「イモはひつとで良いから5バーツにしてよ」と言ったら今度は了解してくれた。

 市場からの帰り道、スコールに遭って立ち往生する。軒を借りて雨宿りをし、雨が止むのを待つ。用意周到に雨合羽を着てバイクに乗る人、濡れてTシャツから下着の線が見えていることなど気にせずにいる女の子など、雨の降り出しのドタバタした往来を眺めているのは結構楽しい。15分ほどで雨は止み、再び自転車を漕ぎ出すと、アパート近くのロータリーで路面の色がクッキリと2色に分かれていた。乾いて白っぽいアスファルトと濡れて水溜りまでできて黒いアスファルト。スコールは降っているところと降っていないところの境目がハッキリしているから、こうした現象が起こるのだろう。雨を避けて空を見上げながら逃げ回れば、逃げ切ることだって可能だろう。

朝食
ロールパンにバターをはさみレンジでチンしてホカホカを食べる。美味しい。バターたっぷりなので健康的とは言えないが美味しい。お母さんと優泰は菓子パンを食べた。
昼食
カウマンガイを買って食べる。揚げた鶏肉を2つと茹でた鶏肉1つを注文したはずが反対になっていた。タレはちゃんと揚げたの用2つと茹でたの用を1つで入っていた。
夕食
リンピンスーパーで買った生餃子を焼き、タニン市場で買ったシュウマイに小麦粉をまぶして揚げ、ニラ饅頭を焼き、野菜スープを作って食べる。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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