旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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HPご意見メール

11月28日 金曜日    天気は晴れ

 オリエンタル航空に振り回されて、精神状況が良くなくなってきているので、今日はオリエントル航空に関することは極力避けることにする。午前中にバンコクからチェンマイまでの汽車の切符の手配を受ける。現在ではタイの鉄道も簡単に全国の列車の予約ができる。しかし、鉄道駅がある町に限られるわけで、メールで鉄道駅のない県からの切符の注文である。が、注文は年末の週末で、希望は1等寝台車と言うことであったが、もう既に満席となっている。空きがあるのは2等寝台のしかも上段である。これでも構わないかとメールで打診したところ、OKだと言うので発券をする。代金は銀行振込ということらしいのだが、今日は月末なので、入金までのあいだ私が代金を立て替えなくてはならない。給料も払われないのに、こうした出費ばかりがかさんでしまう。

 KKトラベルでの作業は、アクセスを使った注文管理データベースとそのデータベース使って自動的にバウチャー(予約確認証)の発行システムを作り上げることである。現在は学生が研修を兼ねて2名会社に来ており、バウチャーや領収書類をパソコンで作成しているのだが、パソコンで作ると言っても、ワードやエクセルで作っているに過ぎず、ワープロの域を越えない範囲である。ラチャパット大学でコンピューターを学んでいると言うが、SQLをはじめとしてデータベースに関しては授業で習ったけれど、実際に操作したこともないし、習ったこともどうやら忘れてしまっているらしい。もう一人も同じくラチャパットで日本語を学んでいると言うが、日本語での会話など、断片的な日本語の単語を知っているだけで、会話として成立するレベルとはほど遠い。ラチャパット大学はもともと教育大学が前身であって、現在は職業訓練大学的な感じがあるが、学生のレベルはあまり高くないのかもしれない。社内のスタッフたちも別に仕事を教えている風もなく、学生たちは応接セットのソファーに寝そべってお菓子を食べながら音楽を聴いて一日を過ごしていく。
 アクセスは毎度その理論を掌握しきれていないため、悪戦苦闘してきたが、今回は比較的スムースに組み上げていくことができた。スムースと言っても朝から夕方までたっぷりと時間がかかってしまったのだが。

 夜、テレビを見ていたら台所からお母さんの悲鳴が聞こえてきた。「お父さん、早くきてぇ、助けてぇ」と叫んでいる。悲鳴のほうを見てみると、お母さんはブルブルと振るえながら壁に張り付くようにして棒立ちになっている。どうしたのかと近づいてみると、台所にヤモリが出たと言う。なんだ、たかがヤモリじゃないか、別に喰いつくわけでもないのに、、。「早く何とかしてよ」と叫ぶので、仕方なくヤモリを捕まえることにした。ヤモリを追いまわしていると、「お母さんのほうにヤモリを来させないでよぉ」と泣き叫ぶようにお母さんは居間の隅まで飛んで逃げていった。まぁ、以前だったら、お母さんはすぐに部屋中に殺虫剤を振りまいていたのだが、私が十年来「殺生をするな」と言い聞かせてきたことが効を奏したのか、殺虫剤が切れていたのか、今晩は部屋がガス室にならずに済んだ。5分ほど私はヤモリを追いまわし、ヤモリは尻尾まで切り落として最後のチャンスに賭けたのだが、結局私に捕らえられてしまった。私はヤモリをベランダからアパートの外壁に這わせて逃がしてやった。切り離された尻尾はまだピョンピョンと跳ね回っている。それを見たお母さんはまた卒倒しそうに「早く捨ててよぉ」と叫んだ。
 先日、ある郊外の一戸建てに住む韓国人家庭で、家に蛇が出たので、もうこんな家には住めないといって、アパートを探している人がいるとお母さんが言っていたが、人の噂をするお母さんも、台所のヤモリで叫んでいるようだと、とても人のことなど言っていられないと思うのだが、、。まぁ、これ以上書くとまたお母さんからクレームが付くかもしれないのでやめておこう。読者の皆様、この件はひとつ内密に願います。

朝食
ご飯と納豆。
昼食
ネーム入りチャーハン。
夕食
コカにてタイスキ。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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