旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月27日 火曜日    天気は晴れ    

 お腹の具合は回復したようで、食事も美味しく食べられる。やっぱり健康が一番。月曜日と火曜日の2日間アルコール飲料を口にしていないことも良く作用しているようで、朝の目覚めがイイ。

 さて、本日よりワタノー校の教壇に立つことになった。初めての授業にいったい何をやろうか、、。「ひらがな」から初めても、文字をいきなり暗記しなさいでは、興味を失ってしまうだろう。あいさつの言葉から初めるのも大人数で行うには向いていないだろう。自己紹介をして、それから「私の名前は○○です」と言った構文を教えて、全員に自分の名前を言わせて見るのも良さそうだ。それと、自分が受け持つ生徒たちの名前を早く覚えなくてはならないが、学校側からは生徒の名簿も渡されていない。仮に渡されても難解なタイ人の名前は覚えることはそのままではとても顔と名前が一致しそうにない。これは私の方で各生徒のデータベースを作成するのが得策だろう。そのデータベースの基本資料として各生徒に名前やニックネーム、日本語の学習経験、英語を始めとした語学への関心度を知るためのアンケートを実施することにしよう。そこで早速アンケートの作成にあたる。アンケートはタイ語で作成することにして、パソコンのキーボードをポツン、ポツンと押してアンケートを作成する。慣れないタイ語のキーボードは打ちたい文字をキーボード上から見つけ出すだけでも一苦労する。タイ文字はひらがなやアルファベットと比べて文字数が極端に多い。そのため、1つのキーに2文字ずつ記されており、それをシフト変換しながら打ち込むわけで、まるでカルタ遊びをしているかのようにキーを1つずつ探しながらの入力でやたらと時間がかかってしまった。

 午後1時からの授業に対して、20分ほど前に学校に到着、敷地の奥にあるシリウィット棟がどうやら語学関連の教室に指定されているようで、2階に語学系の職員室がある。職員室に入って、そこにいた先生たちを紹介されるが、教えられた先生たちの名前は一人も覚えられなかった。とにかくタイの人の名前は長いし、日頃聞きなれているタイ語の単語とは別の古代インド語系の単語で名前が付けられていることが多いので、こちらとしてはまったくお手上げ状態。職員室最前列隅の机を割り振られる。
 この語学系の職員室教材置き場には日本語の教材セットもほぼ未使用のまま置かれてあった。国際交流基金から寄贈された子供向けの教材で「日本語の教え方スーパーキット」と書かれている立派なセットである。中には色々なモノや状況をイラストで描いたカードや、教え方マニュアルなども入っていて、ずいぶんと役に立ちそうだ。さらに、たぶん同様に寄贈されたものだろうが、お習字セットなども何組かでてくるし、和食器セットなんてモノもある。少人数のクラスならこんなものを使って日本の文化講座もできそうだが、まぁまだ先のことだろう。

 1時に1階の112号教室に案内される。エアコンなどの空調設備はなく、窓もドアも開け放たれていて、風通しは良さそうだ。そして天井には吊り下げ式の扇風機がプロペラを回している。生徒たちは教室に入る際に靴を廊下に脱いで入る習慣らしい。みんな白い靴下のままで着席している。先生は靴を履いたままでよいらしい。この方式は教室内が汚れにくいし結構いい方式かもしれない。
 「こんにはわ」が私の第一声である。生徒たちもこの程度は知っているらしく「コンニチワ」と返してくれた。生徒は圧倒的に女生徒が多い。まるで日本の商業高校のようだ。全体で26人が出席のうち、男子生徒はたったの4人しかおらず、女生徒たちと比べるととても幼く感じられる。教室最前列隅に固まって座っている。あらかじめ考えていた通り自己紹介をして、「わたし」「なまえ」「〜は○○です」「〜はなんですか」などの単語や使い方を説明、生徒同士を指名して「名前は何ですか?」「私の名前は○○です」と対話をさせてみた。ここでも「名前は○○です」の○○が私の耳には聞き取れないのである。
 普段の生活ではタイ人たちをそれぞれのニックネームで呼び合う習慣がある。ニックネームは発音の短いタイ語であったり、英語風であったりして、私でも覚えやすい。しかし、どうやら学校内では本名で呼び合うらしい。この場合、姓ではなく「名」の方を呼ぶらしい。

 自分が中学校の時のことや、日本でよく見かけた中学生たちと比べると、ここの生徒たちのほとんどはとっても行儀がよい。この年頃の生徒たちでこんなに見が輝いているなんてことは日本では考えられないのではないか?よそ見をしている生徒もほとんどいない。私の下手クソなタイ語にも一生懸命耳を傾けてくれるし、問い掛ければ生徒を一人ずつ指名しなくても、みんな声を合わせて返事を返してくれる。まったく素直で可愛い。ここが進学校だからこのような生徒ばかりが集まっているのだろうか?しかし、教室の環境は日本と比べるとかなり劣る。黒板は木製なのだろうそこに暗緑色のペンキを塗っただけで表面がデコボコしていて、チョークの載りが悪い。それに黒板拭きで拭いてもきれいに消えず、全体に白いチョークの粉だらけになる。生徒たちの机も木製で貧弱なものである。天板はガタガタになっているし、中には天板がなくなったのか、ボール紙で代用している机もある。授業のカリキュラムも生徒の都合はあまり考慮されていないようだ。生徒たちは自分たちは授業ごとに教室を移動するようなのだが、この広い敷地に点在する教室棟を移動するための時間が組み込まれていない。つまり、日本なら授業と授業の間にあるべき10分くらいの休み時間がないのである。2時からの希望者だけを対象にしたクラスでは、33人の生徒がほぼそろったのは2時20分過ぎである。その間、他の生徒は全員集まるまで教室で待たなくてはならない。

 夕方、旧市街へ出かける。ある交差点近くで50ccのモーターバイクが売りに出ていた。実は私にはコンタンがあって、お母さんにモーターバイクの乗り方を教え込もうと思っている。お母さんがモーターバイクに乗れるようになると、私はお母さんの運転手役からかなり開放されて、自由に使える時間が増える。現在はほぼ毎朝おかあさんをタイ語教室まで送り届けなくてはならないし、1日の時間が有効に活用できない。東京にいる時も一度お母さんにモーターバイクの乗り方を教えかけたことがあった。その時はラビットスクーターに乗せたものだから、大失敗に終わった。自転車にようやく乗れるようになったばかりで、重量が100キロを越える重たいラビットスクーターはお母さんにはまだ無理であった。ブレーキをかけるときもスロットルを開きっぱなしだったために、止まることができず、家の塀にぶつけてしまう始末であった。しかし、今回考えているのは、50ccのそれもとても小さなスズキ製のモーターバイクで、ギアはなく、スピードメーターも40キロまでしかないと言った安直なものである。車重も両手で持ち上げられるくらい軽い。
 タイでは50ccクラスのモーターバイクはバイクとして登録ができない。たぶん日本で言うところの道路交通法規上に定義されていない乗り物なのだろう。私がチェンマイに住み始めた頃にはほとんど見かけなかったが、最近急に街で若い人たちが乗っているのを見かけるようになった。タイでは製造されておらず、日本製の中古車ばかりだが、中には日本のナンバープレートが付いたままのものもあったりするので、結構盗難車が流れ着いているケースも多いのかもしれない。
 実車に試乗し、故障している個所を確認、そして売主と価格の交渉をする。タイにおいてエンジン付きの乗り物としては破格な金額提示を私は要求し、売主側が「一晩考える」と言うことになった。車体はもう20年近く前のものだろうし、タイヤも磨り減っているがエンジンは快調なようだ。さて、明日どのような回答になるだろうか?また、私の目論見は成功するであろうか?

朝食
ご飯と炒り玉子、野菜サラダ。
昼食
インドネシア製即席麺ミーゴレン風。
夕食
小屋がけ食堂より、豚肉炒め、貝のお好み焼き(ホイトート)、シュウマイ。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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