旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月25日 水曜日 〜 8月6日 月曜日までのこと

PCを持参していなかったことを理由にして、ずっと日記の作成をサボってきてしまった。それに日記自体もマンネリ化してきており、各方面から何を食べたかといった目も程度の内容だとの指摘もあり、そろそろ日記の書き方も改めようかとも考えていたが、自分の日記なのだから、まぁ将来に「あの時はあんなものを食っていたのか」と思い出す程度で十分かと思い、従来の形式を踏襲することにしました。

さて、約2週間にわたって日記をサボり、この間に何を食べていたかを思い出すのは、記憶細胞の密度の問題もあり、困難であるうと想像できるので、今思い出せる範囲の内容だけかいつまんで記してみます。

7月25日 水曜日
5時半過ぎにはアパートを出て、空港へ向かいバンコク経由でソウルへ向かう。バンコクからソウルへ向かうタイ航空は台北経由で、台北で約半数の乗客が入れ替わったが、乗務員は替わらなかった。韓国人のスチュワーデスが私たちの席周辺のサービスにあたっていたが、接客マナーがまるでできていない。大変不愉快であった。他のタイ人と台湾人のスチュワーデスはとてもよかった。

7月26日 木曜日
ソウルのアパートの中で一日中ゴロゴロしていた。外へ出たのは夜みんなで銭湯へ行ったときだけであった。韓国の銭湯のお湯は熱くないので、熱い湯が好きな私としては物足りない。

7月27日 金曜日
ハルモニ(優泰の母方の祖母)の80歳の誕生日祝いをおこなう。お母さんの兄弟一家が続々と集まり、韓国式の身体を床に投げだすような礼拝をし、料理を食べる。料理はケータリングサービスを利用し、リビングに立食用バイキングテーブルを設置して各自好きなものを取って食べる形式であった。しかし、所詮はホテルの宴会場と異なり、アパートのリビングでは広さ的に限界があり、各自思い思いのところにしゃがみこんだり座ったりして料理を食べる。キムチをはじめとした韓国料理や刺身におすしとおそばの日本料理もどき、コーンスープの西洋料理がたんまりと並んでいた。

7月28日 土曜日
今日もゴロゴロと怠惰に過ごす。夕食にはカルビを食べに連れ出してもらう。「葡萄の木の家」という名の大きな焼肉屋であり、満員の盛況であった。日本人観光客(主に中年男性グループ)も結構多い、味はおいしいのだと思うが、カルビ一人前が3万ウォン近いお値段にはびっくり。私たち家族は日本では焼肉といったら安楽亭のファミリーカルビくらいしか食べたことがないので、ごちそうしてもらう身としては、恐縮するところ甚だ大きい。

7月29日 日曜日
日本航空で広島経由で、東京へもどる。広島までの便は若い韓国人の小グループと日本のおばさんグループが目立った。ダルマさんのようなスタイルと顔をしたスチュワーデスは前方のおじさんグループ声をかけられはしゃいでいるが、そのためサービスがおろそかになっている。食事の際の飲み物も、他のスチュワーデスたちはワゴンに飲み物を載せて配っているのに、このダルマさんは 弁当箱を配りながらオレンジジュース・インサイドと言うだけであった。しばらくして、小さな弁当を食べ終わったころ、トレーに缶ビールを山と積んだパーサーが大慌てで「ビール!ビール!」と叫びながら配っていた。
広島空港での乗り継ぎ時間がかなりあったので、空港周辺を歩く。山の上の台地にある空港で、空港周辺には店が一軒もない。空港ターミナルビルの中のお好み焼屋で広島焼きを食べる。

7月30日 月曜日
大泉の家でラビットを連れ出し、都内へ向かう。ラビットも快調。会社で離職票など一連の書類をもらい、ハローワークへ雇用保険の手続きに行く。東京は暑い。スーツを着て炎天下を走り回るのはきつい。離職票に記載されている内容に対して、納得のいかない点があったので「異議申立て」をおこなう。これによってまた面倒をひとつ抱え込むことになるようだ。

7月31日 火曜日
チェンマイで買ったラビット用のホワイトリボンとミラーを取りつける。ホワイトリボンはタイヤのリムサイズが若干異なるようで、すこしダブダブな感じになってしまった。その後、練馬区役所へ向かい、国民年金の手続きをおこない、秋葉原でノートPCを購入。NECのVersaProという製品。値段も10万円少々で手ごろであった。中古PCをねらっていたが、結局新品を買うことになった。

8月1日 水曜日
日中は何もすることがない。母親にデスクトップPCの使い方を少しレクチャーする。ちょっといじくって、動いたら「わかった、わかった」といってすぐにわかったつもりになっているから、何回教えても同じところでつまづいている。
夕方から、また会社をやめた社員がおり、その送別会に参加する。

8月2日 木曜日
再びソウルへ戻る。今回は関西空港経由。朝も早い。やはり関西からの便は仕事人風が結構乗り込んでいる。そして満席であった。ソウルの仁川空港で荷物を預けようとしたら、預かり賃が12000ウォンだと抜かすので、頭に血が上り、重たいカバンを引きずり、アパートへ向かう。空港バスの終点清涼里駅から歩こうかと思ったが、あまりの暑さと荷物の重さでタクシーに乗ってしまった。運転手が車内で昼食を食べたばかりなのか、ものすごくキムチくさいタクシーであった。

8月3日 金曜日
ようやくチェンマイに戻れる日となった。空港までで予約したワゴンタクシーは途中でパンクしたとかで、約束の時間に30分遅れてやってきた。それでも空港まで一時間半ほどで 到着し、チェックインは無事に完了した。が、私はトランジット扱いでソウルに来ているので、空港税は免除されるはずなのに、手続きのスタッフはそれを認めようとせずに、かなりごねる結果となり、約款を照合させてなんとか空港税を免除させる。一方お母さんは在外韓国人であってもパスポートが韓国で発行されているという理由で、内国人の出国税まで徴収されてしまった。

チェンマイへはお母さんのお姉さんと、その小学校5年生になる息子(トシ)も同行し、彼らはチェンマイオーキッドホテルに2週間滞在することになる。夕食はホテルの中国料理でペキンダックを食べるが、彼らにはペキンダックが好評ではなかった。ダックのあめ色に焼けた皮には、一片の肉はおろか、脂肪すらも残さず削り取られており、大変美味であり、肉は炒め物、骨はスープで供され、私にはとっても美味しかったのだが、如何せんほとんど私一人でペキンダックをまるまる一羽食べることなってしまって、超満腹となった。

8月4日 土曜日
彼らと優泰は午前中はホテルのプールで遊び、レモングラスでタイ料理の昼食を取った後、女性陣はアパートの下の美容室に入った。私はPCのネットワーク化に苦戦する。美容室でカットをしたりマッサージを受けた二人に不満顔であった。夕食は向かいのコカで取るが、こちらも彼らには好評ではないようで、壁もない開放的な食堂の雰囲気にカルチャーショックを受けたようだ。

8月5日 日曜日
メーサーのエレファントキャンプへ案内して行こうと計画していたが、優泰がぐずぐずしたため、ショーの時間に間に合いそうもなく、結局ランパーンの象トレーニングセンターなら11:00のショーがあるので、そちらへ向かうことにする。ビートルに5人で乗ってハイウェイを時速100キロで飛ばして、なんとかショーぎりぎりの滑り込む。
感想としては、ショーそのものはメーサーの方が面白かった。また、売店などもほとんどなく、商売っ毛がほとんどないようだ。象にも乗ったが、この象は道草を食ってばかりで、本当に草の生えているところへ出ると、鼻で草を引き抜き、象使いが「歩け!」といっても、聞かずに一心に草を食べている。
園内の食堂ではお気に召してもらえないようで、ランパーンの街まで出て、そこのホテルのレストランに入りバイキングの昼食をたべる。美味しいものがいっぱいあり、食べ過ぎてしまった。
夕方5時前にチェンマイへ戻り、休憩したのち、韓国食堂へ行く。

8月6日 月曜日
午前中はトシに英語の家庭教師がついて勉強をみてもらうことになっている。私もサボっていたタイ語の宿題をこなす。昼にはタイ語の先生も来て、私は一時間のレッスンを受ける。このところ先生は英語を使わずにすべてタイ語で説明をしてくれるのだが、正直ほとんど聞き取れない。優泰が幼稚園で先生が何を言っているのかわからないのと同じような境遇になってきてしまった。
月末に東京へ戻る切符の手配を使用としたが、日本が夏休みということもあり、直行便も経由便もみんなキャンセル待ちとなってしまう。
夕食にはオーキッドホテルのフランス料理を食べる。サービスも味もよかったが、私は短パンにTシャツといういでたちであった。感動的なのは食後のアイリッシュコーヒーはリキュールに火をつけて、その火でブラウンシュガーを熱してカラメル状にするといった懲りようで、パフォーマンスとしても一級のものであった。が、このレストランでアイリッシュコーヒーが注文されるのは異例なのか、ウエイターたちも集まって、このバーテンダーのパフォーマンスを見入っていた。
トシは夜8時半からも英語の個人レッスンを2時間に渡って受ける。

 

 

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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