旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月24日 土曜日    天気は晴れ

 昨夜乗ったソーポンツアーのバスは、バンコクを出発してしばらくすると大雨に見舞われた。雨の降り方は凄まじく、2階建てバスの2階屋根は各所で雨漏りをはじめて、雨が漏れ始めた。雨垂れなんて優しいものではなく、滝のように吹き出してくる。私の頭上は攻撃から免れたが、床は水浸しになり、ひざ掛けに使っていた毛布はビショビショとなってズボンまで濡らし始めた。
 雨漏りこそあったが、車内サービスは悪くなかった。特に深夜のお粥サービスでは、オカズが4皿も出て私は大満足であった。

 サムイ島までのバスの切符であったが、本土から島へ渡るフェリー代は含まれていないようで、港で80バーツの切符を買うこととなった。しかし、とても不可解なことは、バスも一緒にフェリーに積みこまれ、サムイ島へ渡るのだが、サムイ島の中で我々乗客を乗せてそれぞれの目的地まで運んでくれるわけではなく、フェリーがサムイ島の桟橋に到着し、バスもサムイ島に上陸した段階で、バスの乗客はそれぞれの席から荷物を請出して、それぞれ勝手に乗合トラックなどに乗ってどこかへ散ってしまう。バスもここからどこかまで走ろうと言う雰囲気がない。つまり、バスは確かにサムイ島まで来たのであり、私の買ったバスの切符には何の偽りもなかったのだが、本土の港からサムイの港までバスはただ乗客の荷物を積んできただけに過ぎず、フェリーの航送料金がいくらかかるのか知らないが、まったく無駄なことをするものだと感心してしまった。

 サムイ島へ渡る船は日本のカーフェリーのお古であった。あちこちに日本語の表示が残り、客室正面には煙をたなびかせた雄大な山の絵が描かれている。絵には「阿蘇」と題があり、江田豊とサインが入っていた。絵がかかれたのが1980年とあるから、近年まで日本で活躍していたのだろう。元の船名も「第七有明丸」と確認できた。

 桟橋近くでレンタルバイクを借りうけて、早速チャウェングビーチに向かう。今晩はこのビーチのバンガローにでも宿泊しようと思った。当てずっぽうで適当に安そうなバンガローに飛び込んでみた。バンガローの名前はデュードロップハット。つまり、滴の小屋とでも訳せば良いのだろうか、、。粗末なバンガローであった。値段が安いことを期待したが300バーツと安くもない。エアコンはなく、シャワー室は半分外に飛び出した形になっているし、昔私が学生時代に利用していたブーンバンガローと大差がない。ブーンバンガローは当時1泊30バーツであった。それでも、隣近所を見まわしてもここより安そうなところがなかったので、ここに泊まることにした。

 Tカップルは私のサムイの宿代の27倍もする高級コテージに宿泊している。尋ねていったら、外部からの人間は立ち入り禁止だそうだ。Tたちもせっかく高い金を出して高級コテージに泊まっていると言うのに、ちっともじっとしておらずバイクを借り出して走りまわっているそうだ。彼らと一緒にバイクでボプットビーチへ行ってみる。さっきちょっと触れたブーンバンガローがどうなっているのか気になったのである。
 バンガローはもはや営業していなかった。周囲の雰囲気もがらりと変ってもはや当時の面影などどこにもない。なんとかバンガローがあった場所へ辿り着き、そこの人に話しを聞いてみると、オーナーはチャウェングビーチに移って商売をしているそうだ。浜辺沿いには当時のバンガローが2棟、倉庫として使われているのか、寂しく建っているのを確認した。

 午後からサムイ島をバイクで一周してみる。ボプットのバンガローだけではなくサムイ島全体がまるで変っている。学生当時に来た頃は、まだホテルなどはなく、どこも椰子の葉で葺いたバンガローが静かに点在しているだけであった。飛行場もなく、本土との間には日に3便の小型船だけが往来の足であった。それから10年ほど前、お母さんと結婚した頃には、ようやく空港ができ、バンコクとの間に20人乗りくらいの小さな飛行機が通い出し、大型リゾートホテルもでき初めて、当時最高級だったインペリアルサムイホテルに泊まって新婚旅行としたのであった。そして今や大型高級リゾートから安手のホテルまでホテルだらけである。通りには車やバイクが溢れ、なんとメータータクシーまで走っている。巨大ショッピングセンターのロータスまで建設中なので、きっと後2年後はここもパタヤと同じような歓楽街に成り果ててしまうのだろうか、、。電気も来ていないような学生時代のサムイ島の静けさが懐かしい。

 が、私の泊まったバンガローは昔のサムイそのままであった。何故なら停電しているのである。昼から停電し始め、夜7時になっても電気が灯らなかった。やはり、電気くらいは来ていた方が良いのかなぁ。

 夜7時半にチャウェングビーチのニンジャ食堂でTたちと夕食にする。このニンジャ食堂、経営者は日本人で、私が昨年まで勤めていた会社のサービスを利用してくださっていたユーザーさまである。そして、私はユーザーさんに連絡もなく退社をし、さらに会社そのものも倒産してしまうなど、まったく申し訳ない気持ちで、どんな顔して店へ行って良いやら気になっていたのだが、行ってみたら大変気持ち良く迎えていただけた。料理も美味しく、サービスも良くて、私たちは深夜遅くまで粘りに粘って、ビールを飲みながら話しこんだ。相当の量を3人で飲み食いしたし、この位お金を使えば多少は償いにでもなるかなぁと考えていたのだが、いざ会計をしてもらおうとすると、店のオーナーのKさんは「お代は結構です」などと仰ってくださる。ありがたいのは山々だが、こんなに食べまくって却って申し訳なく感じてしまった。

朝食
バス車内でもらった調理パンとフルーツ牛乳。
昼食
ボブット村の簡易食堂でバジル炒めご飯。
夕食
チャウェングビーチのニンジャ食堂でTカップルとやたらと食べまくる。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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