旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月22日 土曜日    天気は晴れ

 タイトなスケジュールの一日。優泰を補習校に送ってすぐに、ワタノー学校で補講をおこなう。本日の補講は9時半から12時半までの2クラスがある。教えるのは楽しいのだけれど、3時間休みなしと言うのも疲れる。受講生たちも色々と都合があるらしく、欠席する受講生も出てくる。そうすると、次回の授業について来れなくなるし、全体としてのレベルも下がってしまうから、欠席した生徒のための補講をまた別に組んで上げなくてはならない。そんなわけで、一週間に何時間も補講を行わなければならなくなってしまった。自業自得。
 疲れるのは補講のためだけではなく、疲労の蓄積と慢性的な睡眠不足によるものと思われる。この1ヶ月以上、休日と言うものを取っていない。朝は早いし、夜も遅いし。夜だって、さっさと寝ればいいものを、アルコール飲料をなめながら公開日記を書いたりするものだから、ついつい飲む量も増え、寝る時間も遅くなってきてしまう。今日などは補講中の発音矯正をしているさなかに、ひどい眠気に襲われてしまった。説明をしながらでさえ、あくびを堪えるのが大変であった。

 夕方から「運転手」役を命じられる。同じ10階に住む、韓国人家庭があり、今年13歳になる女の子がいる。なんでも、彼女は今晩、ノボテルホテルでパーティーに招かれているとかで、買ってもらったばかりのワンピースのドレスを着て、髪にカールをあててもらって、会場に乗り込むのだそうだ。当初、私はパーティー会場までのエスコート役という話で引き受けたのである。パーティーへ女の子をエスコートしていくなどと言うのは生まれて始めての経験でもある。まぁ、13歳とちょっと年齢的にはレディーまでまだだいぶ背伸びをしなくてはならないのだが、普段と違ってビシッと決まっている。が、どうも、話は修正が加えられ、エスコート役は彼女の母親が担当することになったらしく、私はただの「運転手」役に甘んじることとなった。まぁ、どうせ大した違いなどないのだが、、。助手席に座ったその母親と話をしたのだが、「韓国では受験競争も厳しいし、イジメの問題もあったりしてチェンマイに来たのだが、チェンマイはチェンマイで色々と子供のことで悩みが絶えない」と言っていた。我が家も子供のことでは常に頭がいたいのだが、思春期の女の子を持つ家庭は、もっと頭が痛いらしい。特にインターナショナル・スクールなどと言うところは、やたらとマセタ生徒がいたりするし、環境も環境なので、気が気でないのだろう。

 ノボテルホテルに送り込んだ後、迎えは夜10時半にと言うことなので、KKトラベルへ行って、やり残している仕事を片付ける。やってもやってもなかなか終わりが見えて来ない。黙々と作業をしていると経営者から、パソコンで名刺を作ってほしいと依頼を受ける。一枚の名刺の表面だけに、英語とタイ語で所番地などを書き込み、ロゴを入れ、更にバックグランドにはドイステープ寺院を入れるようにと言う支持である。しかも、名前は縦書きの中国名も漢字で入れてほしいらしい。でも、文字は小さくしてはいけないと注文もついている。つまりゴテゴテの名刺になりそうなのだが、そのゴテゴテが好みらしい。英語は問題なく書き込めたのだが、タイ語は厄介であった。同じサイズのフォントを使ってもタイ文字はやたらと小さくなってしまう。さらに、行換えをしようとすると、行間隔が開きすぎてしまう。まったく、パソコン泣かせの文字である。この名刺と格闘すること一時間半、トドメのつもりで名刺には経営者の顔写真まで貼り付けてあげたところ、経営者は大喜びである。スタッフたちも全員帰ってしまったオフィスで、女中の女の子に、「どうだ、すごくイイでしょう」と自慢していた。

 10時半に再びノボテル・ホテルへ。初めてドレスなど着て、ホテルのパーティーなどに行ったものだから、女の子はまだ興奮から冷め切らないようである。まぁ、これもソシアル・デビューの一つなのかもしれない。で、結構パーティーではモテタらしく、アパートまでの移動中にもひっきりなしに男の子と思われる電話が携帯にかかってきていた。

朝食
モチ入りオニオン・スープ。
昼食
キムチ炒め。
夕食
カレーライス。

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(2015年5月からのブログ)

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