旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

このページ「チェンマイ通信」はIIJ4Uサービスのホームページ機能が2016年3月31日(木)をもって終了した関係で、chiangmaikk.comのサーバへ引っ越ししてきました。設定不備もあるかと思います。

 

HPご意見メール

10月21日 日曜日

朝目を覚まして、ひとりでベッドから抜け出して、ホテル裏から続く市場をのぞきながら歩く。ナコンサワンはチェンマイから流れてくるメーピン川、スコタイからのヨム川、ナン川が合流して、チャオプラヤ川(俗に言われるメナム河)となる場所で、チャオプラヤ川は、バンコクを流れてシャム湾に注いでいる大河である。そのためか、大きな川にふさわしい大きな魚が売られている。巨大なまずは大きさがひとかかえ以上もあり、重さは何十キロあるか知れない。なまず以外にも、頭の上に大きな瘤のある鮭よりも一回り大きな魚も売られていた。日本のなまずと同じ位のものもおり、それらはタライの中でうごめいていた。まだまだ他にも亀にドジョウにライギョと淡水魚たちのオンパレードであった。

市場を一巡りして部屋に戻ると二人は起きていた。朝食の買出しにまた私ひとり外へ出る。今朝はパートンコー(チェンマイの2倍以上大きい)、麦と寒天の入った豆乳、安物のケーキ、いも餡の入った揚げ団子(20個で10バーツと安かった)を買ってくる。花も売っていたので、小さなバラの花束(バラが5輪と黄色い小さな花)を10バーツで買って部屋へ戻り、ベッドの上で朝食とする。この宿屋には何故か床屋とカラオケは入っているのにレストランはないのである。

9時少し過ぎにナコンサワンを出発。昨日までの道と比べて、なお一層路面の状態が悪い。走行車線は200メートル間隔くらいで、道路が陥没していたり、穴があいていたりする。当然事故も多いのか、大型トラックが事故を起こして運転席がペシャンコになっているのを見かけた。極力追い越し車線を走り、後ろがつかえて来たら走行車線に戻るといった運転で、ほぼ時速90キロ前後で走行。

約2時間ほどでアユタヤの入り口にさしかかり、ハイウェイから一旦離脱してアユタヤの町に入る。本来なら遺跡めぐりをしたいところだが、昼日中の遺跡めぐりは暑いので、遺跡めぐりに興味のない二人からはクレームが付きそうなので、遺跡めぐりはエアコンの効いた車内からの見学ということで、町のなかをビートルで一周した。そしてチャオプラヤ川沿いに係留された船を改装したレストランに入った。まぁ船上レストランだから観光客向けなのだろうけど、出されたメニューを見て思わず財布の心配をしてしまうほど値段が高かった。書かれてあるメニューに並ぶ料理は、どれも100バーツ以上で、何百バーツと言ったものもある。場違いだったと思っても、すでに乗りかかった船である。こうなった以上、メニューに書かれている料理など無視して、いつもの小屋がけ食堂で注文しているような料理を注文してみる。タイ式オムライスのカイチアオ、ひき肉とバジルの炒め物、唐辛子炒め。飲み物は水。チャオプラヤ川をときどき小船が下って来たり、ちょっと大きな川舟がタグボートに引かれて遡って行ったりする。川風は常にそよそよと吹き心地よい。ウエイターがボートで回らないかと誘ってくるが、この船上からの眺めだけで十分だ。会計はやはり300バーツをオーバーし、町の食堂とくべて数倍の金額であったが、出されたメニューの金額から想像したものよりはずっと安く済んだ。

アユタヤからはまっすぐバンコク市内を目指す。あと約70キロでバンコクだ。ハイウェイに乗って30分ほどでドンムアン空港の脇を通り、1時間ほどで戦勝記念塔のロータリーまで来た。ここからちょっと遠回りになるが、チトラダ宮殿やドゥシット動物園の横を抜けて、王宮前広場からエメラルド寺院を壁越しに眺め、ヤワラートのチャイナタウンのあり地獄のような迷路で渋滞に巻き込まれ、密閉されているはずの車内にどこからか外気が入りこむのか、ツーサイクルエンジンの煙の匂いが漂ってくる。ニューロードを南下し、予約してもらっているトンタラホテルに着いたのは3時半近かった。

ホテルの部屋には大きな窓があり、11階の部屋はチャオプラヤ川に面していて眺めが良い。バンコクでガイドをしているフォンさんとは6時半に会うことにして、優泰と二人チャオプラヤ川の水上バスに乗りに行くことにする。ホテルから川は良く見えるのだが、川岸まで歩くと結構距離があった。そしてせっかく辿り着いた川岸に水上バスの桟橋がなかった。川沿いには古い工場や倉庫が並び、川沿いを歩く事が出来ない。迂回する形で路地を歩くと、狭い路地の両側には粗末な住宅が並んでいた。路地で遊んでいた小学校高学年くらいの男の子に、「この路地は抜けられるか」と聞いたら、抜けられると言い、「船着場はあるか」と聞いたらないと答える。しかたがなく、路地を抜け、表通りに出たところの屋台のおばさんに「水上バスに乗りたいのだが」と言ったところ、「このまま通りを行ってワット・ラーチャシンコン寺のところから乗れる」と教えてくれた。しかし、ラーチャシンコン寺までは結構距離があり、船着場に辿り着いたのは、回り道をした事もあったが、ホテルを出てから40分も立った4時半過ぎであった。どうやらラーチャシンコン寺が水上バスの起点らしく、桟橋には何艘かの水上バスが係留されていた。

水上バスに乗り込み、王宮前の桟橋までの切符を買う。8バーツで、優泰は無料。何百メートルかごとに桟橋に止まり、客を乗せ、王宮前近くにくる頃には満員で、通路にも人が立つ状態であった。優泰は船からの眺めに夢中で、30分ほどの航海があっという間に感じられたようだ。チャオプラヤ川はタグボートが幾艘もの大きな艀を連ねて航行していたり、大型エンジンもけたたましく川面をすごいスピードで飛ばす水上タクシー(ルアハンヤオ)が盛んに行き来して退屈させない。

王宮前の桟橋で戻りの船を待つと、観光客を乗せた遊覧船がしばしば接岸してきたが、水上バスはなかなかやって来なかった。やっと来たかと思った大型の急行船はバンコクの北にあるノンタブリとこことを往復する船で、私たちの戻る方向とは反対に向かうそうだ。15分ほど待って、ようやくやってきた水上バスは満員で、私と優泰は乗りこんでも通路に立つ状態であった。帰りはラーチャシンコンまで行かずにサートン通りで降りることにした。ここだと表通り(ニューロード)に近く、ホテル方向へ向かう路線バスを拾いやすいと判断した。

サートン通りの船着場は、BTSという高架鉄道の終着駅(タクシン橋駅)と接続しており、船から沢山の人が降りて、BTSの駅へ向かって歩いていった。私と優泰は駅の脇をそのままニューロードへ向かい、緑色のミニバスに乗った。このバスの運転手はやたらと荒っぽく、客の乗り降りが終わらないうちに、もう走り出そうとする。こりゃ優泰が乗ろうとしたら振り落とされかねない(ドアは走行中も開けたまま)と判断して、パスしようかと思ったが、一旦走りかけたバスから車掌が「待て待て子供が乗るから」と声を張り上げ、私たちを手招きする。運転手はエンジンを空ぶかししながらも、優泰と私が乗りこむのを確認するまで、走り出さずに待ってくれた。バスは満員で通路にもぎっしりと人が立っていたが、優泰が乗るとすぐに若い男の人が優泰に席を譲ってくれた。私は立ったままだったが、ミニバスは天井が低く、背の高い私は中腰にならないと頭が天井につかえてしまう。なかなか苦しい態勢出乗っていたが、バスの運転手は容赦なく荒っぽい運転で、急発進、急ハンドル、急ブレーキを繰り返し、私は何度も天井や握り棒に頭をぶつけた。しかし、荒っぽい運転のおかげで、ホテル前にはあっという間に到着する事が出来た。

6時半過ぎにフォンさんと会い、モンティエン・リバーサイドホテルのレストランで食事をすることにした。一緒に食事をするものだとばかり思っていたが、フォンさんはもう夕食を済ませたと言い、自分はコーヒーだけだという。私たちは遠慮なく料理を注文させてもらい、フォンさんのお勧めに従い、お母さんはコーンスープ、優泰はエビのスパゲティ、私は精進料理のイミテーション・シーフードのバジル炒めを食べさせてもらった。ここのパンは焼き立てらしく、そして生地も良いもののようで、ふっくらとしてとても美味しかった。優泰はパンを7つも食べてしまったほどだ。フォンさんとはお互いの子供の学校の話などをしながら、1時間ほどで食事を終える。会計の段になって、フォンさんがお金を払うと言って、私たちに払わせてくれなかった。私たちだけ食事をし、それも家族でご馳走になるなど、まったく申し訳ないのだが、無理にこちらが払おうとすれば、せっかくの好意に水をさしかねないと思い、遠慮なくご馳走になった。ホテルに戻り、優泰とお母さんを部屋に戻した後、ロビーでしばらくフォンさんと話し込む。テロ事件の影響か、不景気のせいか、それとも旅行業界の過当競争のせいか、ガイドの仕事も大変らしい。仕事と収入は減り、仕事もやりにくい仕事ばかりになっているようだ。

 

前日へ  翌日へ

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

チェンマイ帰り就活日記

求む!ピョン子の情報