旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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6月21日 金曜日    天気は晴れ

 朝一番で自転車に乗ってイミグレーションを目指す。今パスポートに押されている入国スタンプでの滞在期限は「6月21日=本日」までとなっている。万一にも滞在延長を認めてもらえなければ本日中に国外退去をしなくてはならない。最寄のビルマ国境が閉鎖されている現在、簡単に行けるのは東北タイのノンカイまで出て、メコン川を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ逃げ込むことだ。それとて、チェンマイから800キロも離れているので、イミグレーションで「本日中に退去!」なんて命令されたら、ビートルに家族を乗せてラオスへ逃避行しなくてはならない。800キロの田舎道だと15時間はかかるだろうから、本日中に出国できるかも危なっかしい。深夜に国境についても国境ゲートが開いている補償はない。といっても、別にそれほど慌てているわけでもない。書類は全部揃えてきたし、問題ないだろう。

 「即刻退去せよ」とは言われずに、14日間の滞在延長が認められた。しかし、私が考えていた14日間の延長とは数え方から異なっていた。今日は金曜日だから、2週間後の金曜日まで延長されるものと思っていたら、本日から起算して14日間だから7月4日木曜日までの滞在許可であった。あと一回だけ7日間の滞在再延長を認められるそうだが、同じ計算で行くと最終期日は7月10日水曜日となる。私が考えていたのよりも2日も短い。しかし、悪い事ばかりではなかった。次回の再延長に際しては、申請書も申請料も不要だと言うのである。パスポートだけを持って来れば良いそうだ。「本当に何も要らないのか?」と聞き直したら、、「・・・じゃお菓子でも持ってきてよ」と言われた。タイのお菓子が良いそうだ。そんなのお安いご用だと、「で、如何様なものを?」と聞くと「トゥク・コン」と言われたように聞こえた。トゥク・コンなら全員分だ、、。いったい何人いるのだろう、、心配になり「何人分でございましょうか?」とへりくだって聞いてみると、、「私のだけで、、、」と答えられた。どうやら聞き間違えをしていたようだ。トゥク・コン(全員)ではなく「トゥーク・コーン(安いもの)」と言われていた様だった。

 午後、ビートルのフロントが虫の死骸がコビリツイテあまりにも汚いので、バケツに水を汲んで洗い流してやることにする。駐車場へ降りてビートルに近づいて愕然とした。蟻の道である。何千と言う蟻たちが、虫の死骸にたかり、バラバラになった死骸を噛み砕き、運び去ろうとしている。そして肉片(?)を加えた蟻たちが、ゾロゾロと1本の道を形成していた。このまま1週間も放っておけば、私が洗車せずとも蟻たちが綺麗にしてくれそうだが、そんなに待てないので、蟻ごと洗い流してしまった。

 夕食に優泰と二人でブタ鍋屋に行く。ブタ鍋と言うのは「ムーカタ」と呼ばれている一種の焼肉で、ジンギスカン鍋のように真ん中が盛りあがった鍋で肉を焼いて食べるのである。そして、本来なら鍋の周囲の肉から出た屑などが溜まる所にスープを張り、タイスキをやってしまうものだ。昔、台湾でこれによく似た焼肉を「韓香村」と言う台湾風にアレンジされた韓国焼肉のチェーン店で食べた事がある。台湾にも石頭火鍋と言うタイスキによく似た鍋料理があり、これが焼肉と合体したのである。今でもあるのかどうか知らないが、15年くらい前までは若者を中心に人気があった。
 本来焼き肉なら牛肉だが、焼肉に適した牛肉が少ないタイではこれが豚と鶏肉に変わる。そして名前もムー(ブタ)カタ(鍋) となるのである。私たちの行き付けの豚鍋屋は比較的良い肉を使っている。チェンマイでは今この手の店が人気であちこちにあり、バイキング式の食べ放題にしているが、肉質の悪いところも多い。そしてここはデザートのココナツアイスクリームも食べ放題なので、優泰はそれがお目当てである。各テーブルには巨大なペプシコーラのペットボトルもサービスされていて、優泰もコーラを3杯くらい飲んでいたから、今晩はオネショが心配である。夜中に1度起こしてオシッコをさせないと、、。

朝食
私はパンと豆乳。 優泰とお母さんはコーンフレークを食べていた。
昼食
小屋がけ食堂にて、優泰とお母さんにはカイヤッサイと言うタイのオムレツ。私はパッタイと言うタイ式のヤキソバ。
夕食
優泰と二人でブタ鍋屋に行って食べる。

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(2015年5月からのブログ)

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