旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月20日 金曜日

5時前に目がさめて、トイレへ行く。寝台車の2段ベッド上段だと外のようすがわからないが、トイレの窓から眺めたところ、まだ夜は明け切っていないようだ。車内でも起きている人の気配は無い。もう少しベッドの中で本を読んだりして過ごす。

汽車はほぼ定刻の9時過ぎにチェンマイ駅に到着。改札口(といってもタイの駅には改札口などないが)にはトゥクトゥクやピックアップトラックタクシーの運転手たちが集まって、盛んに声をかけてくる。一定のルールはあるらしきく、運転手側から近寄ってくる事は出来ないようだし、強引な客引きも出来ないようだ。ナコンピンコンドまでと言うと、100バーツと返事が来る。高いよといえば、70バーツになる。しかし、私としては30バーツ程度と考えているし、朝からこの汽車の到着を待っていた運転手たちにとっては、70バーツは貰わないと割が合わないはず。ここで値段の交渉をしても両者が満足して合意できるはずが無いので、駅前通まで出て、流しのピックアップトラックを捕まえる。たったの20バーツ。交渉の必要も無く、これは運転手の言い値で即合意成立。

家の前で、鶏の唐揚げ(フライドチキン)ともち米、ナムプリックというタイのキムチと言った感じのものを買う。家に戻って、チキンを食べる前にまずメールのチェック。特に急用はなさそうなので、チキンを朝食代わりに食べ、洗濯物を洗濯屋にお母さんと出しに行く。戻りに、小屋がけ食堂でアイスコーヒーとバナナの葉っぱに包まれたもち米をココナツミルクで炊き込んだもの買う(ひとつ5バーツ)。家に帰ってお母さんが食べたが、美味しいと好評であった。もち米以外にカボチャ餡のプディングが載っていた。その後シャワーを浴びる。

昼食には別の小屋がけ食堂で、お母さんには鶏肉のチャーハンで私は豚肉のグリーンカレー。いつもながら小屋がけ食堂は安くて美味しい。

午後3時過ぎに、チャンマイでの知人というか後見人というか、とにかく心強い存在のマダム・スワニーさんの家へ伺う事になっている。ガソリンスタンドのコンビニで、手土産代わりの洋菓子を買っているとバンコクのハンさんから携帯へ電話があり、明日帰るのなら再入国許可を取るべきだとアドバイスをいただく。
こりゃ大変と、再びアパートへ戻り、パスポートを持ち出し、幼稚園へ優泰を迎えに行き、その足でトゥクトゥクにお母さんと3人で乗り込み、スワニーさんのお宅へ伺う。挨拶もそこそこに、移民局へ再入国許可を取りに行かなくてはならない旨伝え、スワニーさんの車で移民局へ向かう。
移民局は空港の入り口近くにあり、スワニーさんのお宅との間には広大な空軍基地があるが、スワニーさんの車は軍のブースから衛兵の敬礼を受けて基地内に乗り入れ、ものの十分ほどで移民局へ辿り着けた。
しかし、移民局で確認したところ、私たちの持っているビザならば再入国許可を取らなくても問題無いとのことであった。
安心したところで、スワニーさんに車でアパーまで送っていただく。

夕方6時近くに洗濯屋にお母さん一人で洗濯物を受け取りに行かせたが、何か行き違いがあったらしく、すぐに戻ってきた。どうも洗濯物のうち預けていない長袖のワイシャツがあったとかで、結局一緒に再度洗濯屋に向かう。確かに、私のものではないワイシャツか1枚混じっていた。そのワイシャツ分の5バーツを割り引いてもらい、45バーツを支払う。帰りに晩の惣菜を買う。幅広うどんの醤油炒めと野菜のオイスターソース炒め、ライスとコーラそしてビタミルクというビン入り豆乳を買う。優泰にはアパート1階の軽食堂でサンドウィッチを作ってもらう。

お母さんは昨日昼間韓国料理屋へ行ってチヂミとピンデトクをもらって来ていて、それを温めなおして食べると言う。私もチヂミをメコンウイスキーのつまみに半分ほどいただく。香ばしく焼けており、なぜか焼き餃子を思い出し、焼き餃子が食べたくなったが、結局野菜炒めとライスを食べただけで、幅広うどん炒めまで箸を伸ばす事が出来ず。これは明日の朝食代わりとする。

明日は朝早く日本へ向けて出発だが、パスポートと航空券ぐらいしか持ち物は無い。スーツケースも持っていくが、中身は空っぽである。旅支度の必要が無いのは楽チンだ。

 

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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