旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月18日 水曜日    天気は午前中晴れ 場所により雨 

 シンプルこの上ないラグジュアリーホテルの朝食は1人80バーツとのことであったが、これもラグジュアリーな雰囲気ではなかったので、外へ出て朝食を食べることにした。川沿いのレストランで食事をしたいと思ったが、鉄道橋近くのレストランは日帰りの観光客相手のためか、朝食の営業をしいおらず、少し下流のラフトハウスのゲストハウス併設の食堂で朝食にした。小さな店であったが、落ち着いた雰囲気で、とても気持ち良く朝食が食べられた。料理も美味しかった。注文したのは、アメリカンブレックファスト、フレンチトースト、チャーハンである。ピョン用には豚の生肉を少し刻んでもらった。ピョンもようやく生肉が食べられて満足そうである。

 ホテルをチェックアウトしたのは10時過ぎである。その後、鉄道橋を徒歩で渡って往復した。クワイ川の水は、チェンマイのメーピン川のように茶色ではなく、緑かかった色をしていた。橋周辺は非常に良く整備されており、公園のようであった。「死の鉄路」を目的に世界中からの観光客を惹きつけてはいるが、このキレイ過ぎる環境からは「死の鉄路」のイメージは連想されない。ただの観光名所である。それでも、汽車にはカメラをぶら下げた観光客が多数乗っていた。

 次に戦争博物館も見学した。展示品や展示方法への関心が薄いのか、雑然としていて、保存状態も良くなかった。見学者もそれほど多くは無いようで、カンチャブリは戦争の悲惨さを伝える町と言うよりも、スリリングな渓谷沿いの汽車の小旅行が楽しめる観光地としての意味合いが強くなっている気がした。博物館内には、石膏で作った捕虜の働く姿が再現されていたが、人形は埃を被り、ボロボロになっていた。

 再び鉄道橋にて、観光用のトロッコ列車に乗る。ただ橋をトロッコで往復するだけのものだが、トロッコでも汽車には違いなく、橋を汽車で渡ったと言う思い出になるかと思い、一人20バーツを払って乗車する。乗った感想は、やはり橋を往復するだけのものに過ぎなかったが、橋の上では涼やかな川風が吹いて、それだけはとても気持ちが良かった。

 最後に、戦時中に日本軍が立てた死没者のための慰霊碑に参拝したが、こちらは何も展示品こそ無く、慰霊碑と、それを取り囲むように、ベトナム、マレー、英語、中国語、タミール語の碑文があり、無言のうちに訴えかけて来るものを感じた。今もイラクなど各地で発生する紛争や人権蹂躙が早く無くなりますようにと、家族3人で手を合わせた。なお、記帳台があり、記帳をしたのだが、当然かもしれないが、記帳者はみな日本人であった。

 K.K.トラベルで手配の依頼を受けていたチェンマイ-バンコク間の汽車の切符を買うためにカンチャナブリ駅に立ち寄る。汽車の切符は簡単に発行が受けられたが、一般の乗車券売り場には次のような張り紙があった。「死の鉄路、終点ナムトクまでの運賃は外国人300バーツ」と書いてあった。正規の運賃がいくらかは分からないが、たぶん十倍くらいの運賃であろう。但し書きに、運賃にはスナック、飲み物、乗車証明書そして傷害保険が含まれ、専用の車両を用意しているとあったが、ずいぶんと高い値段をつけたものだ。

 昼食には昨夜好評だったバーンラウで食べることにした。昨夜のミックスグリルにあったミニステーキが凄く美味しかったそうで、今日は本格的なビフテキを注文したいのだそうだ。ビフテキなんて贅沢と思われるが、ここのステーキは安くて、ちゃんと付け合わせまであって、80バーツであった。

 午後2時に、チュンポンの港へ向けて出発。この500キロのドライブも長かった。特に、途中で何度も雨に降られ、日没後の雨は視界を悪くして、難渋した。チュンポンまで7時間かかって走ったが、グッタリ疲れてしまった。その疲れを癒すことなく、深夜のタオ島行きオンボロ貨客船に乗りこんだ。出港は0時である。

朝食
クワイ川沿いのゲストハウス併設の食堂で朝食。
昼食
昨晩と同じバーンラウにてビフテキと、エビ味噌チャーハン、五目野菜炒め。
夕食
チュンポン川沿いのレストランにて鶏肉とカシューナッツ炒め、空芯菜炒め、カニチャーハン、タイ式イカフライ

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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