旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

このページ「チェンマイ通信」はIIJ4Uサービスのホームページ機能が2016年3月31日(木)をもって終了した関係で、chiangmaikk.comのサーバへ引っ越ししてきました。設定不備もあるかと思います。

 

HPご意見メール

5月17日 月曜日    天気は曇り 夜ににわか雨

 優泰を7時にインター・スクールへミニバイクで送る。今日から地元の学校は新学期で、再び登下校の車でナコンピン橋周辺が渋滞している。この橋の先にはプリンス・ロイヤルと言う大きな名門学校があり、そこへ子供たちを送り迎えする親たちの車が数珠繋ぎになっている。この1ヶ月ほど、雨や風でチェンマイの空気がきれいになったと喜んでいたが、朝夕にこうした渋滞があるとまたすぐ空気が汚れてしまいそうだ。チェンマイの交通渋滞を緩和する方法のひとつとして、各学校とも学区制にして、遠距離からの自動車通学を禁止したり、自転車通学を奨励すれば、渋滞も大気汚染も緩和されるのではないだろうか。

 K.K.トラベルは自社では航空券の発券端末がなく、予約のみ行って、発券は代行業者に委託している。その委託先の発券端末が今朝から故障でダウンしていると言う。そうなるとまったくK.K.トラベルとしては手も足も出ない。月曜日と言う週の初めに、こうしたトラブルは歓迎されない。しかし、これを歓迎しているのは発券担当のスタッフで、開店休業状態なので、実に嬉しそうである。お菓子や果物を食べながら新聞を読んだりしている。午後3時近くまで発券機の修理に時間がかかった。

 午後にYさんのお宅へ航空券をお届けに行き、お茶をいただきながら話し込んでしまう。K.K.トラベルのスタッフに関する愚痴を聞いてもらったり、最近のチェンマイ事情について意見交換する。Yさんはあるチェンマイ在住者の集まりの世話役をされていて、その集会場所には沢山のチェンマイ長期滞在希望者が訪れて情報を求めているそうである。確かにチェンマイは住みやすいところだし、私も大好きである。が、我も我もと日本のシルバー層が押し寄せてくるほど、チェンマイは誰でもが住みやすいと感じる街ではないと思う。少なくとも、パクチーを好む人と嫌う人があるように、チェンマイも結構アクの強い町だと思う。それとも、現在の日本がそれほどまでに暮らしにくい町になっているということなのだろうか、、。

 夜、アパート近くのタイ式パブ、TAKE OFFに久しぶりに行く。先月から1ヶ月ほどチェンマイに滞在されている方と一緒である。この方、日本でコンピューター関係の開発の仕事をされていたそうで、一旦会社を辞めて、チェンマイで暮らせるものかと思ってチェンマイへ下見に来られたそうである。
 ところで、毎晩タイの若者たちでにぎわっているこの店も今日はひっそりとしている。ライブも入っていない。テーブルでは店の経営者が酒盛りをしている程度で、他に客の姿がない。ウエイトレスが一人いて、この店で働くのは今日が初日なのだそうだ。ウエイトレスと言っても、店の従業員ではなく、洋酒のシーバスリーガルの販売店から派遣された販促員である。新人と言うだけあって、初々しく、とても可愛らしいウエイトレスであった。可愛いと言っても、タイ人女性としては長身で170センチだそうだ。ヒマなものだから、しょっちゅうテーブルに寄って来て水割りを作ってくれる。もっとも、彼女の販促努力にかかわらず、注文したのは別の銘柄の安いスコッチであったが、、。その彼女に発音を矯正されてしまった。タイ語で「海」と言う意味の「タレー」の発音が間違っていたそうだ。タレーの「タ」は無気音ではなく、有気音で発音する「タ」でなくてはならないのだが、私の発音は無気音になっているらしい。アパート近くのシータナー・カレッジを卒業したばかりだと言うが、こんな若い女性に発音矯正されて、喜んでいるなんて、まったく私もオヤジである。

朝食
カイワレ風サラダ。
昼食
パイナップルと野菜の甘酢炒め。
夕食
Take off にて空芯菜フライのヤム、豚肉のあぶり焼き。

前日へ  翌日へ

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

チェンマイ帰り就活日記

求む!ピョン子の情報